2018年4月25日星期三

The Imperial Mae Ping Hotel - テレサ・テン終焉の地

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 チェンマイの中心部、ターペー門を出て少し東へ行ったところにある、The Imperial Mae Ping Hotel ジ インペルアル メーピン ホテル。夜土産物屋や食堂で賑わうAnusarn Marketに程近いところにある大きなホテルだ。








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 このホテル、数多くのヒット曲を発しその歌声が日本・台湾・香港そして中国で親しまれたテレサ・テンが最晩年を過ごしたホテルだ。彼女は1994年8月にチェンマイを訪れ、初めは他のホテルに滞在していたのだがこのメーピンホテルが気に入ったようですぐにここに移り、亡くなるまでの間に3回に渡ってこのホテルに宿泊している。
 そして1995年5月8日、彼女はこのホテルで容体が急変し、部屋を出て助けを求めるも搬送先の病院で死亡が確認された。
 そんな彼女が最晩年を過ごした部屋が一般公開されている。入場料は宿泊客だと500バーツと結構な値段だ。


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 15階のスイートルームが、彼女が過ごした部屋だ。2部屋を繋いだところで過ごしていたようだ。
 15階に上ると、まずチェンマイでのテレサ・テンの暮らしぶりを知る人の証言や彼女の業績を紹介するビデオを見る。当時からこのホテルのこのフロアで担当していたホテルマンが、今でも15階で案内をしてくれる。
 室内にはいくらかのテレサ・テンの写真が飾ってあるのと彼女が生前日本を、台湾を、そして中国や香港を席巻した歌が流れている他は、特に物珍しい展示はない。
 テレサ・テンは中国で有名だったこともあり、この日も多くの中国人観光客がこの部屋を訪れていた。

 日本でも成功を収めたテレサ・テンは、その歌声が広く知れ渡っていた中国でのコンサートを夢見ていたが、その夢は1989年の天安門事件で果たせぬものになってしまった。その後活動を減らしつつあったテレサ・テンは一時フランスのパリに居を構えたが、避寒地としてであろう訪れたここチェンマイを気に入って、突然の死までの日々の多くをここで過ごした。
 当時はこのホテルの前にクイッティアオ屋があり、テレサ・テンは好んでこの店を訪れて「クイッティアオガイ」(鶏肉入りの米麺)を食べたそうだ。その店のことはインターネットで調べると写真とともに見つかるのだが、今メーピンホテルの向かいを見ると長期滞在者用の洗濯屋がそのクイッティアオ屋と同じ屋根、同じひさしだ。飲み物も売っているのでクイッティアオ屋のことを聞いたところ、「ここがその店だ。クイッティアオ屋はもう閉じた」との話だった。同じ人が商売替えしたのか、話したのは当時とは関係ない人でよくこのことを聞かれるので答えたのか、は聞かなかった。テレサ・テンが寄せた「恭禧發財」のサインが店に飾ってあったそうだが、それももうないとの話だった。

 テレサ・テンの生涯、とりわけ台湾と中国の狭間で揺れ動き翻弄された日々や、天安門事件に関わった民主化勢力にシンパシーを寄せそして大陸でのコンサートが叶わぬこととなりパリやチェンマイで過ごした日々のことは、今回参考にした有田芳生著『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫 2007年、単行本は文藝春秋2005年)で知ることができる。

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2018年4月16日星期一

Chieng Mai Gymkhana Club -タイ最古のゴルフ場-

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 タイで最古のゴルフコースはチェンマイにある。ここChieng Mai Gymkhana Club チェンマイ ジムカーナ クラブは1898年設立、今年で設立120周年だ。
 このチェンマイ ジムカーナも9ホールのゴルフ場だ。18ホールあるゴルフ場でタイ最古のものは、ホアヒンにあるRoyal Hua Hin Golf Courceになる。





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 チェンマイ ジムカーナはチェンマイの中心地から西側の程近いところにある。チェンマイの国鉄駅が近い。
 クラブハウスの入口。質素な造りだ。








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 1週間ほど前からクリケットの試合があるとかで、その間7~9番ホールはその試合会場になっており閉鎖。1~6番ホールを3回まわる変則的なプレーになった。
 写真は1番ホール、並んだ木々が左右を遮る。左の木の向こうは6番ホール、1番ホールとは逆にこちらへと戻ってくるコースだ。
 この日は途中まで北京から来たという旅行者とラウンド。けっこう遅い時間から来てプレーする人もいて、ここもチェンマイ在住の人が思い立ったら来てプレーできるところなのだろう。

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 水に邪魔をされるところは少ないイメージだが、3番ホールはやはり木々に挟まれた狭いフェアウェイの真ん中にクリークが流れ、4番ホールはティグラウンドから池を越えて打ち下ろすショートホールだ。



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 5番ホールは2番ホールのウェアウェイの脇にティグラウンドがあり、隣のホールの球に当たらないよう金網の中からのティショットだ。
 正面の木が行く手を遮る。





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 その木には、サルスベリのような花が咲いていた。










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 前述の通り1~6ホールを3回まわってこの日のプレーは終了。1番ホールのティグランド脇には服装に関する掲示が。








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 やはり1番ホール脇、スターターの上には歴史を感じさせる木がある。太い枝が横に長く伸びていて、折れないように下に支えを付けているほどだ。








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 コースの一部を塞いで行われていたクリケットの大会。1週間くらいの期間で開催されたようだ。この日が最終日で、2日後から9ホール全てがゴルフで使用可能になるとのことだった。
 このチェンマイ ジムカーナ、イギリス人が作ったとかで、ゴルフだけではなくクリケット・テニス・スカッシュもできるようだ。クリケットは上述の通り、テニスはテニス場が駐車場の脇にあった。こうしたスポーツを通じた社交場のようなところだったのだろう。


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 クラブハウスの1番ホールを望む側には、オープンエアのレストランがある。タイ料理や西洋料理を頼むことができ、メニューには日本語が付されている。室内のレストランはメンバー専用のようだ。
 ビジターでもプレーフィー+キャディーフィーで18ホール450バーツと格安なのだが、メンバー以外にはロッカーがないのが不便なところで、このレストランに荷物を預かってもらった。
 9ホールで2,909ヤードのこのコース、全てのホールをプレーすることができなかったので、また訪れて9ホール全てをまわってみたいものだ。
 Chieng Mai Gymkhana Clubのウェブサイトはこちら

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The Stardome Golf Club @チェンマイ

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 最近バンコクで9ホールのゴルフコースに予約なしで行くことがあるが、同じようにチェンマイにある9ホールのゴルフ場にもチャレンジしてみた。もっとも、ゴルフ場はさておきバンコクからだと飛行機の予約が必要なので、気が向いたらフラリと行く、というのとは少し違うかもしれないが…
 4月初旬の休みを使って向かったのは、チェンマイ空港から目と鼻の先にあり、市街地に向かう途中にあるThe Stardome Golf Club。プロモーション中とかで、18ホールカート付き、キャディフィー込みで1,000バーツだった。


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 殆どのホールで水が絡む造りになっていて、一打目の落としどころが狭いホールが多い。







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 空港に近い、と言うか滑走路の斜め先にあるゴルフコースということで、この日はチェンマイ空港を離陸する飛行機をひっきりなしに見ながらのラウンドだった。








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 ショートホールはやはり2つとも水を意識しながらのショット、これは5番ホールだが右はウォーターハザード、ショートするとバンカーということで2回ともオーバーして奥の木に打ち込んでしまった。
 9ホールで白ティから3,114ヤードと距離もそれなりにあり、落としどころが水やバンカーで狭まっていて簡単ではない。





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 チェンマイに住んでいる日本人や欧米人が来て1人やら2人やらでプレーしているのが多かったような感がある。チェンマイに住む人はやはり気の向くままにここに来てプレーするのだろう。
 中にはタイ人の5人打ちも。そんな組が前にいたらそのホールは飛ばして他のホールへ行き、後でそのホールをプレーすることができる。




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 ゴルフコースの脇には2階建ての練習場が。その奥にはゴルフショップが並んでいる。









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 洒落たレストランもあり、ステーキなど肉料理を食べることができる。この他にコーヒーショップなどがある。
 さすがにチェンマイにふらりと行く訳にはいかないが、住んでいたらWalk-in(予約なしのプレー)ができるコースとして通うだろうなぁと感じるゴルフコースだった。

 The Stardome Golf Clubのウェブサイトはこちら

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2018年3月4日星期日

ロッブリー小旅行

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 バンコクから北へ2時間あまり、アユタヤのその先にあるロッブリーという街へ行ってきた。ロッブリーはスコータイ王朝・アユタヤ王朝期には首府に次ぐ重要な街として位置付けられた古都である。
 新市街にあるバスターミナルに程近い大通りからソンテウに乗って見どころの多い旧市街を目指す。鉄道の線路を跨ぐ踏切近くでソンテウを降りると目の前にあるプラ・プラーン・サーム・ヨート、13世紀の仏塔なのだが周りには猿がいっぱい。

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 踏切近くの線路にも、通りの商店の軒先にも猿が普通に歩いている。
 近くに猿を見るのは3年余り前のジブラルタル以来だがその時は岩山の上、今回は歩道や車道に猿が溢れているのでこうした経験はおそらく初めてだ。


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 改めてプラ・プラーン・サーム・ヨート、境内のみならず、仏塔に居座りよじ登る猿が目を引く。







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 プラ・プラーン・サーム・ヨートの向かいにあり、ソンテウのおり場でもあるサーン・プラ・カーン。交差点にロータリーのように建つ寺院なのだが、猿がいっぱい。中国語で「小心猴子抢东西」=猿のひったくりに注意、と書かれているが、最近タイで激増している中国人観光客はこの時はあまりいなかったようだ。
 同様に「猿に食べ物を与えるな」という注意書きもここやプラ・プラーン・サーム・ヨートに掲げられていたが、当の地元の人達も含め猿に食べ物や水を与えているようで、中にはヤクルトを手にして飲んでいる猿も見かけた。

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 踏切にある信号所にも、タイによくある象とともに猿の像も。







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 猿が多いエリアから歩くことしばし、チャオ・プラヤー・ウィチャエーンの家と呼ばれる遺構。17世紀にフランス大使の邸宅として建てられ、後にギリシャ出身でアユタヤ王朝の高官になったコンスタンティン・フォールコン(タイ名はチャオプラヤー・ウィッチャイェーン)が住んだという邸宅の跡であり、三角屋根にヨーロッパの様式を感じるタイではあまり見ない感じの遺構だ。
 17世紀といえば日本は鎖国時代、そんな時代でもタイはフランスと交流を持ち、人の行き来もあったことが新鮮に感じる。


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 この遺構から伸びる通りには「Rue de France」の名前が冠されている。現代の仏教寺院や市場に面した通りだ。









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 Rue de Franceの突き当たりにある、プラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿。今は国立博物館。入口に回ると水曜日から日曜日に開館、祝日は閉館と書いてあり、今回ロッブリーを訪れたのはタイの祝日だったのだが、門が開いているので中に入って尋ねたところ博物館もオープンしているとのことだった。
 白い建物の中にはかつての王朝期の仏像の頭部や仏具、皿などの食器が展示してあった。
 アユタヤ王朝の後、時を経て現代に繋がるチャクリー王朝のラーマ4世が19世紀にこの地を訪れ、古都ロッブリーの再興を命じたとかでここはかつてのラーマ4世の宮殿、その生涯を紹介するエリアもあったのが印象的だ。一度は活気を失ったことがある街なのだろうか。

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 敷地内にはかつてのナーラーイ王朝期の建築物も。左写真は「Dusit Sawan Thanya Prasat Throne Hall」、国王が各国大使に謁見する場所であり、右写真は「The Twelve Royal Storage Buildings」、英語の説明も海外からの商いや貢物として得たものを保管しておく倉庫とのことだ。

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 ロッブリー駅の前にも広大な敷地の中に遺構が広がる。
 駅前に保存されている蒸気機関車の後ろにも、時代を経たであろう仏塔が見える。




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 駅のホームにも猿の像が。
 もっとも、駅舎脇にあった「聞かざる、見ざる、言わざる」、これは日本語から来るものだと思うが、誰かがこの地にこの言い習わしをもたらしたのだろうか。
 駅の窓口にも案内に猿のイラストが描かれているなど、猿がロッブリーのシンボルになっているのだろう。

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 ロッブリー駅を出発したディーゼルカーが先述の猿の像がある信号所の前を通り、プラ・プラーン・サーム・ヨートを横目に踏切を通り過ぎていく。
 鉄道のロッブリー駅がまさに宮殿を始め見どころの多い旧市街にあるのだが、バンコク・フアラムポーンからロッブリーを目指す列車は朝都合の良い8時30分発のSpecial Express(特急列車)は当日駅で切符を買おうとしたら満席で乗れず、急いでモーチットのバスターミナルに向かった。この列車はチェンマイを目指すディーゼルカーによる特急列車とのことで、車輛数も少ないのだろう。
 モーチットでバスの切符を買おうとしたら、窓口でロットゥーで行くように勧められた。そういう運用をしているのだろうか。このロットゥーはサラブリー経由で寄り道をするのだが、2時間半かからずにロッブリーのバスターミナルに到着した。バスターミナルからは、北側にある大通りでソンテウに乗ると約2キロ、5分くらいで先述のサーン・プラ・カーンに行くことができる。
 帰りは鉄道のロッブリー駅近くのロットゥー乗り場から乗り、BTSモーチット駅へ。
 朝バンコクからロッブリーに行く列車は前述の特急列車以外は冷房が効かずまた時間もかかり、帰りの列車も時間が当てにならないので、ロッブリーへはモーチットからロットゥーやバスで行き来するのが便利なのだろう。

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2018年2月5日星期一

Kantarat Golf Course -空港の中のゴルフ場-

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 バンコク・ドンムアン空港には、2本ある滑走路の間に造られたゴルフ場がある。そのゴルフ場、Kantarat Golf Course カンタラット ゴルフコースに行ってきた。空港の滑走路の間にあるゴルフ場は他にはないだろう。
 ドンムアン空港の手前の道を折れ、銃を持った兵士が待ち構えている検問所を通ってクラブハウスへと向かう。空港の中にあるこのゴルフ場は空軍の持ち物だ。




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 クラブハウスは最近別の場所からコースの端に移して新しく作られたようだ。休日はプレーフィー700バーツ+キャディーフィー300バーツの合計1,000バーツでプレーすることができる。プレーフィーの支払時にパスポートの提出を求められ、タイの運転免許証を出したところそれでO.K.だった。
 受付の人に聞いたところ、タクシーでの来訪はダメとのことだった。




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 ロッカールーム。タオルは無料だった。










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 クラブハウスからコースに向かうときに、空港のような荷物検査やボディチェックがある。両者は通りを隔ててフェンスで仕切られていて、このチェックの後にフェンスの中のコースに入る。
 この日は予約なしで行ったが、やはり予約なしで来ているタイ人とのジョイントになった。





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 1番ホールは、2本ある滑走路のうちの1本の突き当りを横切るような格好で進んでいく。写真の右側が滑走路の行き止まりで、その先には軍用機と思しき飛行機の格納庫が見える。そのせいか、この滑走路にカメラを向けることは不可であった。
 のみならず、もう1本の旅客ターミナル側の滑走路や、途中で横断しなければならない誘導路やコースを横切る道などの写真を撮るのも不可と、キャディに言われた。
 アングルを気にしながら1番ホールを写真に収めたら、離陸していく飛行機が見えた。
 この1番ホールでは、離陸したばかりの飛行機が頭上を通っていく。INの17番ホールのグリーン上でもそうだった。

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 2番ホールから8番ホールまで滑走路に沿って進んでいき、9番ホールで折り返して戻ってくるというのがこのコースの全容だ。途中3番ホールと15番ホール(だったと思う)が終わった後で誘導路を横切る。飛行機が通る場所を歩いて横切ったのは3年余り前にジブラルタル空港の滑走路を跨いでジブラルタルに出入りして以来だ。
 コースの両脇を飛行機が頻繁に離着陸し、大きな音を立てて走っていくのだが、前述の通り滑走路に向けた写真撮影はダメとのことで「空港の中」であることを思わせる写真はない。


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 警備が厳重なせいか?タイのゴルフ場によくいる犬はここにはいなかった。その代わりという訳ではないが、ティーグラウンドでは鳥が佇んでいた。「空を飛べる」鳥が空港にあるゴルフ場には似合うのだろうか。







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 滑走路の間にあるゴルフコースなので、平らなホールが続く。フェアウェイの中央に木を配したり、ティーグランドのすぐ前に何本も木を並べたりして難しくしている。突然池があるホールもあったが水が効いたホールは少なく、滑走路を離れた17番が池越えのショートホール、18番もグリーン前にクリークがある。
 コースの状態は正直今一つで、グリーンもとても遅い。以前訪れたRoyal Irrigationの方が、9ホールとはいえ整備状況は良いような気がする。

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 ティーグラウンドの位置を示すマークは蛇のデザイン。









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 このゴルフコース、OUT/INで往復するコースと言うこともあるが茶店が頻繁にある。特にOUTでは殆どのホールでなにがしかのどを潤したり小腹を満たしたりすることができるような気がする。OUTを回っている時はたくさん茶店があるな、軍のコースだからサービスが手厚いのかと思ったが、INと共通な茶店もあるところもあろう。
 写真はINで気付いた茶店、30バーツでタイカレーなどにありつくことができる(ご飯は別勘定かも?)。茶店では水が10バーツ、ジュースが20バーツ、ビールは50バーツと他のゴルフ場より財布にやさしい値段設定になっている。
 クラブハウスのレストランもしっかりしたものであり、美味しいタイ料理にあり着くことができる。
 コースの状態や轟音を聞きながらのゴルフはさておき、エアアジアやノックエアはじめ様々な塗装の飛行機を見ると、またどこかに旅に行こうかという気にさせてくれるゴルフ場だ。飛行機や乗り物好きには一見の価値があるし、コースの状態は廉価なローカルのゴルフ場として割り切ることもできよう。

Kantarat Golf Courseのウェブページ。バンコク近郊にタイ空軍が持つゴルフコースにはもう1つDhupatemiya デュパテミヤというコースがあり、共通のウェブサイトになっている。

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2018年1月28日星期日

タイ・ミャンマー国境越え(6)スーレー・パヤーやチャイナタウンなど

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 ヤンゴンの中心部だけだが、街を少し歩いたのでそのこともぼちぼちと。
 ヤンゴン中央駅付近、「サクラ・タワー」という名のオフィスビルやシャングリラがあるスーレー・パゴダ通り。コロニアルな建物があるのはかつてこの地がイギリスの支配下にあった名残であり、街を歩くときに目を楽しませてはくれるが考えるところもある。



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 通りの先には、その名の由来であるスーレー・パヤーがある。









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 前述したシュエダゴォン・パヤー同様、規模は小さながらここも朝から新進部会ミャンマーの人達で賑わっている。
 お供え物を塔の上まで運ぶ小さなロープウェーがあるのが面白い。



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 スーレー・パヤーを囲むロータリーには、塔に面してモスクが建っている。仏教とイスラム教の祈りの場所が通りを挟んで建っており、さらにインド人街やチャイナタウンがあるところを見る限りではこの国や街は多様性に寛大なように見えるのだが…






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 スーレー・パヤーで道を西に曲がり歩いたマハバンドゥーヤ通りでは、モスクをいくつか見ることができた。









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 その先はチャイナタウン。小さなビルや店の表示に漢字を見ることが多い。








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 ヤンゴン川沿いの通りにある中国寺院には、山水画風のタイルが壁面に。父母を追慕する目的でその子女がお金を出して作ったことが、横の小さなタイルに書かれている。




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 ヤンゴンを訪れたのは10月、何の行事だろうか小さな通りに旗が立ち供物がなされていて、関係する一族の人だろうか線香を立てて祈っていた。








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 中国料理店もいくつか。小生も街歩きの途中で別の店に入ったが店の中では店員が中国語を話し、客も中国語を話す人が多かった。ミャンマーの華人は古くからいる人も言葉など保っている人が多いのか、あるいはミャンマーで仕事をする中国人なのか気になるところだ。

 3連休のうち1日をまるまる移動に費やし、3日目の朝に帰路に就いたのでヤンゴンを見たのは実質1日だけだった。ヤンゴンの1%も観てはいないだろうから、また訪れてみたいものだ。

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タイ・ミャンマー国境越え(5)ヤンゴン川河畔

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 前回の続き。ヤンゴンの街はヤンゴン川とバゴー川が合流するところに位置しており、さらにその間をバズンダン・クリークという小川が流れている。ヤンゴンは水に囲まれた街と言える。
 その合流地点、ヤンゴン中心部から程近いところでは、ヤンゴン川に海外との間を結ぶ貨物船が泊まっているのが見える。河川港であり船は浅瀬に気を遣いながら海へ出ていく必要がありそうだ。
 そんな大きな船の横を、小さなボートが通り過ぎていく。



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 貨物船よりははるかに小さい様々な船が、このヤンゴン川を走っている。対岸の街に向かうだけの短距離を走るものから、このまま外海に出て海岸沿いを走ってミャンマー各地との往来をする船まで様々だ。







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 河岸沿いのストランド通りには、線路や駅の跡がある。
 2016年1月にバズンダウンから市街地の南側を河岸沿いに走るトラムが開通し、日本から譲渡された路面電車が走っていたらしいが、わずか半年で運行休止になったとのこと。ガイドブックの地図にはトラムの路線が描かれていたのだが、譲渡された車輛が十分に活躍しないまま休止になってしまったのは残念だ。
 そう遠い昔の話ではないのだが、線路は土で埋まっていて再び列車が走る雰囲気は感じられない。

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2018年1月14日星期日

タイ・ミャンマー国境越え(4)シュエダゴォン・パヤー

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 ヤンゴンのランドマークともいえるシュエダゴォン・パヤー。ヤンゴンにおける仏教の聖地だ。

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 外国人は参観料を支払うが、ミャンマーの人達は無料で参拝することができる。
 歩いて登ることもできるが、エレベーターで丘を登ってシュエダゴォン・パヤーに入る。エレベーターを降りたところから見た仏塔。









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 大きな仏塔に圧倒される。
 塔の尖塔には多くのダイヤモンドや宝石が散りばめられており、それらは全てミャンマーの人達の寄進によるものなのだとか。





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 塔のふもと、つまり地上部の東西南北には異なる仏像が配されていて、それぞれに敬虔なミャンマーの人達が祈りを捧げている。



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 大きな仏塔を囲むように小さな仏塔が並ぶ。境内は靴を脱いで歩かなければならず、足元が熱い。




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 タイと同様に生まれた曜日が重んじられるようで、各曜日にまつわる仏像もある。水曜日は午前と午後で分けていて、8つの曜日それぞれの仏像に祈りを捧げる。







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 境内には菩提樹や、仏画のレリーフもある。




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 夜の仏塔も美しいと聞いたので、同じ日の夜に再びシュエダゴォン・パヤーを訪れた。外国人は昼間に訪れた時のチケットを持っていれば、同じ日であれば再訪することができる。参観料がかからないミャンマーの人は勿論いつでも訪れることができる。



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 夜になっても境内には仏塔や仏像に跪いて祈りを捧げるミャンマーの人達の姿が見られる。信心深いヤンゴンの、そしてミャンマーの人達の姿をここでは見ることができる。

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2017年12月27日星期三

タイ・ミャンマー国境越え(3)ミャンマーで見る日本のバス

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 ミャンマーでは日本の鉄道車輛ばかりでなく、日本で走っていたバスがそのままの塗装で走っているのを見ることができる。
 写真はミャワディからヤンゴンへ向かうバスが休憩した食堂で撮ったもの、JRバス関東の塗装そのままのバスが駐車していた。
 他にも日本のものとわかる観光バスがそのまま使われていたり、日本の保育園の名前などが書かれたマイクロバスをヤンゴン市内でしばしば見たりもした。

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 日本は車は左側通行・右ハンドルだがここミャンマーは右側通行。右ハンドルの中古車の輸入は禁止されると言われつつも続いていたようだが、近々に輸入が禁止されるようだ。
 写真は中国製のバスだが、明らかに中古で見た左ハンドルバスは韓国のものが多く、車体にハングルが書いてあるものを多く見かけた。右ハンドルの日本の中古車の輸入が禁止となれば、取って代わるのは中国や韓国の車だ。





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 日本のお守りが貼ってあったり日本の車庫証明が残っていたりする車を見ることも、そのうちなくなるのだろう。

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2017年12月26日星期二

タイ・ミャンマー国境越え(2)ヤンゴン近郊を走る日本の列車

 ミャンマー国鉄では、日本の国鉄やJRで使われていた車輛が走っているとかで、ヤンゴン中央駅に観に行ってきた。

 ヤンゴン中央駅で待っていた旧国鉄のキハ40系に飛び乗り、隣のパズンダウン駅Pazundaung まで1駅乗った。映像はそのパズンダウン駅を出発するキハ48系の編成。

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 車内は昔のまま、形式番号や非常用の操作案内とともに、この車輛のミャンマーへの船積と技術指導が日本の援助でなされたことが記されている。
 上の映像でも、日本とミャンマーの国旗がクロスして車体の横に描かれているのがわかる。






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 パズンダウン駅。草が生い茂った線路の上を、このディーゼルカーは通って行った。









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 駅では果物の皮を剥く人も。車内での売り物になるようだ。









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 ホームや線路には、鶏も犬もいる。









 すぐにやはりヤンゴン中央駅方面からやって来たのは旧JRキハ11系。

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 側面は緑色に塗り替えられ、「WE ARE ONE」のスローガンが。サッカーのミャンマーナショナルチームをアピールするラッピングのようだ。1回塗り替えると日本にいた頃の塗装には戻らないのだが、これもまた日本からの車輛がミャンマーに馴染んでいく過程の1つだろう。

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 ヤンゴン国鉄を走るのは当然日本の車輛ばかりではない。当地の車輛も続々と駅へ。こちらは機関車に牽かれた客車だ。
 ベンチシートがあるだけの広々とした車内、混雑していても上に書いたような果物を持ち込んで売っている人もいる。

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 雨季の終わりで朝でも暑いパズンダウン駅、列車を待つ人は日陰のある屋根を選ぶ。

 機関車に牽かれた、客車が駅に入ってくる。

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 再びミャンマー中央駅に戻る。駅には昔の蒸気機関車が良い状態で保存されている。









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 機関車があるすぐ近くのホームからは、かつて久留里線で使われていた車両だろうか、その表示のままにやはりパズンダウン方面を目指していった。かつての塗装が残る車輛と、やはり「WE ARE ONE」のラッピングになった車輛が混じる。

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 国鉄やJRの車輛ばかりではない。かつて三陸鉄道で使われたディーゼルカーも、ヤンゴン中央駅を通っていった。一輌だけであり、駅には停まらなかったのだが、どのような使われ方をしているのだろうか。東日本大震災や『あまちゃん』を見届けてここに来たのだろうか。






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 パスンダウン方面からキハ48系の長い編成がやってきた。ホームの途中でポイントを跨いでプラットホームへと近づいていく。








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 側面には形式番号が残る。









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 再びキハ11系。「松坂-鳥羽」の表示が残るので、JR東海で使われていた車輛だろう。前面の扉を開けっ放しにしている列車が多いのはなぜだろうか。

 ヤンゴン近郊を3時間かけて1周するヤンゴン環状線を始め、ミャンマー各地で日本の車輛が活躍しているそうだ。また来る機会があれば、他の車輛が走っているところも観たいものだ。

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