2018年6月25日星期一

バンコクのタクシー

 BTSやMRTといった軌道交通がまだ少なく、バスも乗りこなすには一苦労と言う向きには、いきおいタクシーでバンコクの街を移動する機会が増えてくる。

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 バンコクの大部分のタクシーには屋根の上に「TAXI-METER」と書かれたサインを載せている。このタクシーにはタクシーメーターが付いていて、走った距離や渋滞などの待ち時間で運賃が決まる、我々の感覚では普通のタクシーだ。


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 他方、屋根の上のサインが「TAXI」だけのタクシーは、行先までの値段を交渉する、交渉制のタクシーだ。このサインのタクシーを見ることは、バンコクではあまりない。





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 もっとも、やはり屋根の上に「TAXI」のサインを掲げているトゥクトゥクは、運賃交渉制だ。やHり「TAXI」だけのネオンは要運賃交渉の証なのだろう。





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 最近増えてきたのは、屋根の上にこのサインを掲げたタクシー。「TAXI」の両側に、赤丸に「APP」、黄丸に「GPS」と書かれている。このタクシーは、まさに屋根のサインの通りGPSを装着していて万一の際の位置情報になるし、東南アジア中心に展開するタクシー呼出アプリであるGRABに対抗して作られた、タイのタクシー業界推奨のスマートフォンアプリ「TAXI OK」で呼び出すことができるタクシーだ。車載カメラや乗客のためのSOSボタンもあり、評判芳しくないタイのタクシーの安全性や信頼向上のための設備が備え付けられたタクシーだ、バンコクのタクシーは順次このタクシーに切り替わっていくと言われているが、実際のところはどうなることか。
 上で「評判が芳しくない」と書いたが、メータータクシーでも運賃交渉をする、乗車拒否をする、メーターが早く回る、などの良くない評判を聞く。あくまで小生の感覚だが、乗車拒否は勤務時間間際で特定の方向に行きたいときに逆方向に行けと言われた時や、行先がよくわからないときによく発せられる感がある。また突然明らかに高い金額で運賃交渉を言われるのは、夜に繁華街から乗ろうとするときや、欧米人が良く住むエリア(アソーク付近のスクンビット偶数側、Sckhumvit Soi 18やSoi 20等)で発せられることが多いように感じる。それ以外のところや時間では、言われるほど乗車拒否やメーターを使わず運賃交渉で吹っ掛けられることはない気がするし、よしんば言われたとしても次に見つけたタクシーで乗ることができるという感がある。

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2018年6月19日星期二

プノンペン・その他もろもろ

 2か月前のことになってしまったが、ソンクランの時期に駆け足で訪れたプノンペンのことを、空港鉄道と日本人の慰霊碑のことに続いてぼちぼちとアップ。

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 プノンペンのトゥクトゥクはバイクの後ろに座席と屋根を付けた古いタイプの他に、それ専用に作られたような小さくて新しそうなタイプのものが走っている。





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 タクシーはまだ台数が少なく、ましてメーターで走るタクシーは最近登場したばかりだそうで、街を移動する足はまだトゥクトゥクに頼ることになりそうだ。







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 ワット・プノンからアメリカ大使館や高級ホテル(「ラッフルズ・ホテル」の名を冠している)へ伸びる通りにもトゥクトゥクが走っている。








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 カンボジアは中国の影響が強いようで、ここプノンペンでも中国語の看板や広告をよく見かける。簡体字は古くからいる華人の影響ではなく今日の中国人の影響の所以だ。





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 タイだとソンテウと呼ばれる、トゥクトゥクより人数が乗れる乗り物も、引っ張るのは中国のバイクの前部だ。







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 後ろに荷台を付けてたくさんの商品を並べて売り、そして走っていくオートバイがいるのはタイと同じだ。







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 街の北にある、日本の援助で架けられたカンボジア日本友好橋。今またJICAの支援を得て工事中で、たもとから橋を見ることはできなかった。







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 カンボジアの正月、クメール正月もタイのソンクランと同じ。市場は門を閉ざして休みになっていて、周りに衣類を机や路面に並べて売る人がちらほらといるだけだ。







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 かつてフランスの植民地であった頃の名残を感じさせる建物もちらほらと見ることができる。嘗て住んでいた時に見た上海の旧租界のようだが、今はどうなっているだろうか。




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 王宮。今も国王の居所であり執務も行っているが、中に入って前庭から即位殿などの歴史ある建物を見ることができる。







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 その隣にある、王室の菩提寺であるシルバー・パゴダ。敷地を囲む塀に描かれた、昔を記す壁画絵巻も状態よく観ることができ美しい。






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 東南アジアの暑期ということで暑い。王宮の入口のベンチの下は、涼を求めた猫の休憩場所になっていた。







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 前述のカンボジア・日本友好橋を王宮近くから望む。夕方になると遊覧船が夕陽のプノンペンを走るのだろう。







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 このトンレサップ川、シェムリアップの南にあるトンレサップ湖と繋がっていて、両都市間をスピードボートで行き来することができる。
 その後川は名前を変え、ベトナムのメコンデルタへと注いでいく。






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 プノンペンを発つ前にワット・プノンを再訪したら、人多くこの地の人達が奏でる音楽や踊りで賑やかだった。クメール正月のお祭りだろうか。






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 クメール正月に訪れたこともあり、市場が閉まっているなど観ることができなかったところもあるので、そのあたりはまた来てみたいものだ。

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2018年5月30日星期三

プノンペン・2人の日本人の慰霊碑

 カンボジアでは1975年からクメール・ルージュが国内を掌握していたが、当時都市住民を強制的に農村に移住させて生産活動に従事させる、宗教の禁止、貨幣を廃止するなどの極端な原始共産主義を追求して国内を支配していた。
 そしてその間、国内で酷い虐殺行為を行った。彼らに反対する者のみならず医者や技術者など知識教育のある人々の抹殺を試み、甚だしきは「眼鏡をかけている」から知識人に見える等の些細な理由で虐殺を行った。彼らが統治した4年の間に、200万人が虐殺の犠牲になったと言われている。そしてベトナムに後押しされた勢力がクメール・ルージュを追い払った後もタイ国境近くに逃れて戦いを続け、そしてその政権を押すベトナムやそれを良しとしない中国の介入もあり1980年代の大半はカンボジアは内戦の時期となった。1980年代末から和平の機運が高まり、1991年の4派合意による内戦終結、そして1993年の議会選挙へと進んでいくが、この選挙にはクメール・ルージュは参加しなかった。
 今日、虐殺の舞台となった場所は訪れることができ、プノンペン近辺ではキリング・フィールド(必ずしもこの場所のみを指す言葉ではないが)やかつての学校跡で収容や虐殺が行われたトゥール・スレンなどを見ることができる。

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 他方、このクメール・ルージュが国内を掌握する前に彼らを取材に訪れ、その際に現地で病により命を落とした石山幸基・共同通信社支局長の慰霊碑と、内戦終了後の上述選挙のために国連ボランティアとして活動中に殺害された中田厚仁氏の慰霊碑が、トンレサップ側沿い、王宮に程近いワット・ウナロムという寺に並んで建っている。
 クメール・ルージュの支配そして内戦期へと続く時系列の始まりと最終盤に命を落とした日本人2人の追悼碑の前に立つと、前述のキリング・フィールドなどとは違った意味でカンボジア苦難の時期に思いが至る。

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2018年5月9日星期三

カンボジア・プノンペン空港鉄道

 今年のソンクラン休暇の中2日で、カンボジア・プノンペンに行ってきた。
 バンコクからプノンペンまでは飛行機で向かい、市内へは4月10日に運行を開始したばかりという、プノンペン空港と市内を結ぶ列車に乗って移動をした。

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 空港の建物を出ると、バスやタクシーの案内とともに鉄道の案内のブースがある。「2018年7月31日までは無料」とのことだ。








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 空港ターミナル正面にあるクーラーの効いた待合室で、列車の到着を待つ。









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 待つことしばし、列車がやって来た。前後のディーゼル機関車に客車1輌が挟まれた列車が、踏切もない車道を横切って駅へと入ってくる。








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 空港駅に到着した列車。駅も線路1本と簡素な造りだ。








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 客車の下には、家庭用クーラーの室外機と同じようなものが設けられている。









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 車内の様子。付いているのはやはり家庭用のクーラーだ。









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 出発後列車は道路沿いに走っていき、途中1回スイッチバックで前後を入れ替えて市内へと向かう。スイッチバックと言っても高低差があるわけではなく、別の方面に向かう線路から引き返すべく向きを変える。
 カンボジアの鉄道は長らく線路が荒れ放題だったところを復旧し、ぼちぼちと列車が走るようになったようだ。頻度は少ないので沿道には普通の道路よろしく店や民家が立ち並ぶが、列車の頻度が増えて車やバイクが走れなくなると商売に影響が出るところもあるだろう。
 これら鉄路は、かつてポル・ポト派が逃走する時にも使われたそうだ。

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 途中で列車が行き違いできるところが1箇所あったが、ここも線路が埋まっていたりゴミがあったりでまだ実用には耐え難い感じだ。








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 プノンペン中央駅に近づくと、打ち棄てられた客車が目の前に現れる。
 タイのソンクランと同時期に当たるクメール正月のせいかゴミが線路脇に散乱していたり、やはり線路脇には物干し竿が並び洗濯物がぶら下がっていたりと、線路脇の秩序が保たれていないのがプノンペンの現状と言えよう。





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 30分程かけてプノンペン駅に到着、
 10分程停車し、空港へと向けて出発していった。









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 駅構内の様子。シアヌーク国王を始め王族の写真が飾ってあるのはタイの駅にも似ている。
 カンボジア航空はじめ、スターアライアンス系を中心に駅でのオンラインチェックインと思しき施設があったが、人もおらず使えるのかどうかわからなかった。

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 本格開業の暁には写真のようなメキシコ製のディーゼルカーが導入されるようだが、機関車2輌+客車1輌という空港からのトランスポーターには正直似合わない列車は、暫定開業の意味合いで使われているのだろうか。
 30分おきに運行を謳う空港列車だが、片道30分走って10分停車だと1時間以上おきの運行になってしまう。2編成の導入や、途中複線になっている場所を整備して列車の行き違いができるようにならないと、30分おきの運行はできない。

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 プノンペン駅。1932年からあるそうだが、現在の駅舎は2010年に改築されたものなのだとか。駅正面にもやはり王族の写真が飾られている。








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 帰りも列車で空港へと向かうことにした。
 16時はシアヌークビル行きの列車が発車する時間、隣のホームに停まっていた。
 客車の横に数字が書いてあるが、カンボジアの客車の等級の区別はよくわからない。


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 後部には乗用車を積むオープンな貨車や、オートバイ等を積んだ貨車が繋がれている。







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 シアヌークビル行き列車を見送った後、空港行きの列車も出発。前日空港から乗った時同様に、機関車2輌+客車1輌の編成だ。前の日と同じ編成のようだ。







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 車内は大混雑だが、空港の利用者という訳ではなさそうな人が多い。この日は車道を横切る度に歓声が上がったり、ソンクラン同様にクメール正月もそうなのか沿道から水をかけられたり水風船をぶつけられたりして、これもまた歓声が上がったりしていた。列車そのものが物珍しく、無料ということで乗っている人も少なからずいるのだろう。






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 空港に程近い場所にスイッチバックはある。線路と道路との区別があまりつかない、路面電車の線路のようなのがわかる。








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 やはり30分かけて空港に到着。
 2台の機関車のうち凸型のものはチェコスロバキア製。







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 もう1輌は調べてみるとフランス製のようだ。
 空港と市内を結ぶコミューターとしては異例ともいえるこの列車だが、本格開業の際にはそれ相応の列車に取って代わられるのだろう。今だけの貴重な経験、ということになるのだろう。






 プノンペン到着時に乗った列車が、プノンペン駅で折り返して空港へと向かうところ。プノンペン駅では鳥のさえずりも聞こえてきた。

 こちらは空港駅で折り返して市内へと向かう列車。道路沿いを列車が走っていく。

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2018年4月26日星期四

バンコクの朝、屋台の下

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 ある日の早朝、屋台というか手引きの移動販売車の下で姿勢よく座っている猫。笑ってこっちを見ているようにも見える。猫の表情というのはわからないが…

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2018年4月25日星期三

The Imperial Mae Ping Hotel - テレサ・テン終焉の地

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 チェンマイの中心部、ターペー門を出て少し東へ行ったところにある、The Imperial Mae Ping Hotel ジ インペルアル メーピン ホテル。夜土産物屋や食堂で賑わうAnusarn Marketに程近いところにある大きなホテルだ。








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 このホテル、数多くのヒット曲を発しその歌声が日本・台湾・香港そして中国で親しまれたテレサ・テンが最晩年を過ごしたホテルだ。彼女は1994年8月にチェンマイを訪れ、初めは他のホテルに滞在していたのだがこのメーピンホテルが気に入ったようですぐにここに移り、亡くなるまでの間に3回に渡ってこのホテルに宿泊している。
 そして1995年5月8日、彼女はこのホテルで容体が急変し、部屋を出て助けを求めるも搬送先の病院で死亡が確認された。
 そんな彼女が最晩年を過ごした部屋が一般公開されている。入場料は宿泊客だと500バーツと結構な値段だ。


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 15階のスイートルームが、彼女が過ごした部屋だ。2部屋を繋いだところで過ごしていたようだ。
 15階に上ると、まずチェンマイでのテレサ・テンの暮らしぶりを知る人の証言や彼女の業績を紹介するビデオを見る。当時からこのホテルのこのフロアで担当していたホテルマンが、今でも15階で案内をしてくれる。
 室内にはいくらかのテレサ・テンの写真が飾ってあるのと彼女が生前日本を、台湾を、そして中国や香港を席巻した歌が流れている他は、特に物珍しい展示はない。

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 スイートルームからの眺め。かつての眺めとはかなり変わっているだろう。
 テレサ・テンは中国で有名だったこともあり、この日も多くの中国人観光客がこの部屋を訪れていた。

 日本でも成功を収めたテレサ・テンは、その歌声が広く知れ渡っていた中国でのコンサートを夢見ていたが、その夢は1989年の天安門事件で果たせぬものになってしまった。その後活動を減らしつつあったテレサ・テンは一時フランスのパリに居を構えたが、避寒地としてであろう訪れたここチェンマイを気に入って、突然の死までの日々の多くをここで過ごした。
 当時はこのホテルの前にクイッティアオ屋があり、テレサ・テンは好んでこの店を訪れて「クイッティアオガイ」(鶏肉入りの米麺)を食べたそうだ。その店のことはインターネットで調べると写真とともに見つかるのだが、今メーピンホテルの向かいを見ると長期滞在者用の洗濯屋がそのクイッティアオ屋と同じ屋根、同じひさしだ。飲み物も売っているのでクイッティアオ屋のことを聞いたところ、「ここがその店だ。クイッティアオ屋はもう閉じた」との話だった。同じ人が商売替えしたのか、話したのは当時とは関係ない人でよくこのことを聞かれるので答えたのか、は聞かなかった。テレサ・テンが寄せた「恭禧發財」のサインが店に飾ってあったそうだが、それももうないとの話だった。

 テレサ・テンの生涯、とりわけ台湾と中国の狭間で揺れ動き翻弄された日々や、天安門事件に関わった民主化勢力にシンパシーを寄せそして大陸でのコンサートが叶わぬこととなりパリやチェンマイで過ごした日々のことは、今回参考にした有田芳生著『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫 2007年、単行本は文藝春秋2005年)で知ることができる。

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2018年4月16日星期一

Chieng Mai Gymkhana Club -タイ最古のゴルフ場-

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 タイで最古のゴルフコースはチェンマイにある。ここChieng Mai Gymkhana Club チェンマイ ジムカーナ クラブは1898年設立、今年で設立120周年だ。
 このチェンマイ ジムカーナも9ホールのゴルフ場だ。18ホールあるゴルフ場でタイ最古のものは、ホアヒンにあるRoyal Hua Hin Golf Courceになる。





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 チェンマイ ジムカーナはチェンマイの中心地から西側の程近いところにある。チェンマイの国鉄駅が近い。
 クラブハウスの入口。質素な造りだ。








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 1週間ほど前からクリケットの試合があるとかで、その間7~9番ホールはその試合会場になっており閉鎖。1~6番ホールを3回まわる変則的なプレーになった。
 写真は1番ホール、並んだ木々が左右を遮る。左の木の向こうは6番ホール、1番ホールとは逆にこちらへと戻ってくるコースだ。
 この日は途中まで北京から来たという旅行者とラウンド。けっこう遅い時間から来てプレーする人もいて、ここもチェンマイ在住の人が思い立ったら来てプレーできるところなのだろう。

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 水に邪魔をされるところは少ないイメージだが、3番ホールはやはり木々に挟まれた狭いフェアウェイの真ん中にクリークが流れ、4番ホールはティグラウンドから池を越えて打ち下ろすショートホールだ。



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 5番ホールは2番ホールのウェアウェイの脇にティグラウンドがあり、隣のホールの球に当たらないよう金網の中からのティショットだ。
 正面の木が行く手を遮る。





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 その木には、サルスベリのような花が咲いていた。










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 前述の通り1~6ホールを3回まわってこの日のプレーは終了。1番ホールのティグランド脇には服装に関する掲示が。








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 やはり1番ホール脇、スターターの上には歴史を感じさせる木がある。太い枝が横に長く伸びていて、折れないように下に支えを付けているほどだ。








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 コースの一部を塞いで行われていたクリケットの大会。1週間くらいの期間で開催されたようだ。この日が最終日で、2日後から9ホール全てがゴルフで使用可能になるとのことだった。
 このチェンマイ ジムカーナ、イギリス人が作ったとかで、ゴルフだけではなくクリケット・テニス・スカッシュもできるようだ。クリケットは上述の通り、テニスはテニス場が駐車場の脇にあった。こうしたスポーツを通じた社交場のようなところだったのだろう。


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 クラブハウスの1番ホールを望む側には、オープンエアのレストランがある。タイ料理や西洋料理を頼むことができ、メニューには日本語が付されている。室内のレストランはメンバー専用のようだ。
 ビジターでもプレーフィー+キャディーフィーで18ホール450バーツと格安なのだが、メンバー以外にはロッカーがないのが不便なところで、このレストランに荷物を預かってもらった。
 9ホールで2,909ヤードのこのコース、全てのホールをプレーすることができなかったので、また訪れて9ホール全てをまわってみたいものだ。
 Chieng Mai Gymkhana Clubのウェブサイトはこちら

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The Stardome Golf Club @チェンマイ

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 最近バンコクで9ホールのゴルフコースに予約なしで行くことがあるが、同じようにチェンマイにある9ホールのゴルフ場にもチャレンジしてみた。もっとも、ゴルフ場はさておきバンコクからだと飛行機の予約が必要なので、気が向いたらフラリと行く、というのとは少し違うかもしれないが…
 4月初旬の休みを使って向かったのは、チェンマイ空港から目と鼻の先にあり、市街地に向かう途中にあるThe Stardome Golf Club。プロモーション中とかで、18ホールカート付き、キャディフィー込みで1,000バーツだった。


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 殆どのホールで水が絡む造りになっていて、一打目の落としどころが狭いホールが多い。







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 空港に近い、と言うか滑走路の斜め先にあるゴルフコースということで、この日はチェンマイ空港を離陸する飛行機をひっきりなしに見ながらのラウンドだった。








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 ショートホールはやはり2つとも水を意識しながらのショット、これは5番ホールだが右はウォーターハザード、ショートするとバンカーということで2回ともオーバーして奥の木に打ち込んでしまった。
 9ホールで白ティから3,114ヤードと距離もそれなりにあり、落としどころが水やバンカーで狭まっていて簡単ではない。





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 チェンマイに住んでいる日本人や欧米人が来て1人やら2人やらでプレーしているのが多かったような感がある。チェンマイに住む人はやはり気の向くままにここに来てプレーするのだろう。
 中にはタイ人の5人打ちも。そんな組が前にいたらそのホールは飛ばして他のホールへ行き、後でそのホールをプレーすることができる。




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 ゴルフコースの脇には2階建ての練習場が。その奥にはゴルフショップが並んでいる。









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 洒落たレストランもあり、ステーキなど肉料理を食べることができる。この他にコーヒーショップなどがある。
 さすがにチェンマイにふらりと行く訳にはいかないが、住んでいたらWalk-in(予約なしのプレー)ができるコースとして通うだろうなぁと感じるゴルフコースだった。

 The Stardome Golf Clubのウェブサイトはこちら

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2018年3月4日星期日

ロッブリー小旅行

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 バンコクから北へ2時間あまり、アユタヤのその先にあるロッブリーという街へ行ってきた。ロッブリーはスコータイ王朝・アユタヤ王朝期には首府に次ぐ重要な街として位置付けられた古都である。
 新市街にあるバスターミナルに程近い大通りからソンテウに乗って見どころの多い旧市街を目指す。鉄道の線路を跨ぐ踏切近くでソンテウを降りると目の前にあるプラ・プラーン・サーム・ヨート、13世紀の仏塔なのだが周りには猿がいっぱい。

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 踏切近くの線路にも、通りの商店の軒先にも猿が普通に歩いている。
 近くに猿を見るのは3年余り前のジブラルタル以来だがその時は岩山の上、今回は歩道や車道に猿が溢れているのでこうした経験はおそらく初めてだ。


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 改めてプラ・プラーン・サーム・ヨート、境内のみならず、仏塔に居座りよじ登る猿が目を引く。







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 プラ・プラーン・サーム・ヨートの向かいにあり、ソンテウのおり場でもあるサーン・プラ・カーン。交差点にロータリーのように建つ寺院なのだが、猿がいっぱい。中国語で「小心猴子抢东西」=猿のひったくりに注意、と書かれているが、最近タイで激増している中国人観光客はこの時はあまりいなかったようだ。
 同様に「猿に食べ物を与えるな」という注意書きもここやプラ・プラーン・サーム・ヨートに掲げられていたが、当の地元の人達も含め猿に食べ物や水を与えているようで、中にはヤクルトを手にして飲んでいる猿も見かけた。

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 踏切にある信号所にも、タイによくある象とともに猿の像も。







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 猿が多いエリアから歩くことしばし、チャオ・プラヤー・ウィチャエーンの家と呼ばれる遺構。17世紀にフランス大使の邸宅として建てられ、後にギリシャ出身でアユタヤ王朝の高官になったコンスタンティン・フォールコン(タイ名はチャオプラヤー・ウィッチャイェーン)が住んだという邸宅の跡であり、三角屋根にヨーロッパの様式を感じるタイではあまり見ない感じの遺構だ。
 17世紀といえば日本は鎖国時代、そんな時代でもタイはフランスと交流を持ち、人の行き来もあったことが新鮮に感じる。


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 この遺構から伸びる通りには「Rue de France」の名前が冠されている。現代の仏教寺院や市場に面した通りだ。









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 Rue de Franceの突き当たりにある、プラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿。今は国立博物館。入口に回ると水曜日から日曜日に開館、祝日は閉館と書いてあり、今回ロッブリーを訪れたのはタイの祝日だったのだが、門が開いているので中に入って尋ねたところ博物館もオープンしているとのことだった。
 白い建物の中にはかつての王朝期の仏像の頭部や仏具、皿などの食器が展示してあった。
 アユタヤ王朝の後、時を経て現代に繋がるチャクリー王朝のラーマ4世が19世紀にこの地を訪れ、古都ロッブリーの再興を命じたとかでここはかつてのラーマ4世の宮殿、その生涯を紹介するエリアもあったのが印象的だ。一度は活気を失ったことがある街なのだろうか。

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 敷地内にはかつてのナーラーイ王朝期の建築物も。左写真は「Dusit Sawan Thanya Prasat Throne Hall」、国王が各国大使に謁見する場所であり、右写真は「The Twelve Royal Storage Buildings」、英語の説明も海外からの商いや貢物として得たものを保管しておく倉庫とのことだ。

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 ロッブリー駅の前にも広大な敷地の中に遺構が広がる。
 駅前に保存されている蒸気機関車の後ろにも、時代を経たであろう仏塔が見える。




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 駅のホームにも猿の像が。
 もっとも、駅舎脇にあった「聞かざる、見ざる、言わざる」、これは日本語から来るものだと思うが、誰かがこの地にこの言い習わしをもたらしたのだろうか。
 駅の窓口にも案内に猿のイラストが描かれているなど、猿がロッブリーのシンボルになっているのだろう。

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 ロッブリー駅を出発したディーゼルカーが先述の猿の像がある信号所の前を通り、プラ・プラーン・サーム・ヨートを横目に踏切を通り過ぎていく。
 鉄道のロッブリー駅がまさに宮殿を始め見どころの多い旧市街にあるのだが、バンコク・フアラムポーンからロッブリーを目指す列車は朝都合の良い8時30分発のSpecial Express(特急列車)は当日駅で切符を買おうとしたら満席で乗れず、急いでモーチットのバスターミナルに向かった。この列車はチェンマイを目指すディーゼルカーによる特急列車とのことで、車輛数も少ないのだろう。
 モーチットでバスの切符を買おうとしたら、窓口でロットゥーで行くように勧められた。そういう運用をしているのだろうか。このロットゥーはサラブリー経由で寄り道をするのだが、2時間半かからずにロッブリーのバスターミナルに到着した。バスターミナルからは、北側にある大通りでソンテウに乗ると約2キロ、5分くらいで先述のサーン・プラ・カーンに行くことができる。
 帰りは鉄道のロッブリー駅近くのロットゥー乗り場から乗り、BTSモーチット駅へ。
 朝バンコクからロッブリーに行く列車は前述の特急列車以外は冷房が効かずまた時間もかかり、帰りの列車も時間が当てにならないので、ロッブリーへはモーチットからロットゥーやバスで行き来するのが便利なのだろう。

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2018年2月5日星期一

Kantarat Golf Course -空港の中のゴルフ場-

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 バンコク・ドンムアン空港には、2本ある滑走路の間に造られたゴルフ場がある。そのゴルフ場、Kantarat Golf Course カンタラット ゴルフコースに行ってきた。空港の滑走路の間にあるゴルフ場は他にはないだろう。
 ドンムアン空港の手前の道を折れ、銃を持った兵士が待ち構えている検問所を通ってクラブハウスへと向かう。空港の中にあるこのゴルフ場は空軍の持ち物だ。




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 クラブハウスは最近別の場所からコースの端に移して新しく作られたようだ。休日はプレーフィー700バーツ+キャディーフィー300バーツの合計1,000バーツでプレーすることができる。プレーフィーの支払時にパスポートの提出を求められ、タイの運転免許証を出したところそれでO.K.だった。
 受付の人に聞いたところ、タクシーでの来訪はダメとのことだった。




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 ロッカールーム。タオルは無料だった。










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 クラブハウスからコースに向かうときに、空港のような荷物検査やボディチェックがある。両者は通りを隔ててフェンスで仕切られていて、このチェックの後にフェンスの中のコースに入る。
 この日は予約なしで行ったが、やはり予約なしで来ているタイ人とのジョイントになった。





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 1番ホールは、2本ある滑走路のうちの1本の突き当りを横切るような格好で進んでいく。写真の右側が滑走路の行き止まりで、その先には軍用機と思しき飛行機の格納庫が見える。そのせいか、この滑走路にカメラを向けることは不可であった。
 のみならず、もう1本の旅客ターミナル側の滑走路や、途中で横断しなければならない誘導路やコースを横切る道などの写真を撮るのも不可と、キャディに言われた。
 アングルを気にしながら1番ホールを写真に収めたら、離陸していく飛行機が見えた。
 この1番ホールでは、離陸したばかりの飛行機が頭上を通っていく。INの17番ホールのグリーン上でもそうだった。

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 2番ホールから8番ホールまで滑走路に沿って進んでいき、9番ホールで折り返して戻ってくるというのがこのコースの全容だ。途中3番ホールと15番ホール(だったと思う)が終わった後で誘導路を横切る。飛行機が通る場所を歩いて横切ったのは3年余り前にジブラルタル空港の滑走路を跨いでジブラルタルに出入りして以来だ。
 コースの両脇を飛行機が頻繁に離着陸し、大きな音を立てて走っていくのだが、前述の通り滑走路に向けた写真撮影はダメとのことで「空港の中」であることを思わせる写真はない。


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 警備が厳重なせいか?タイのゴルフ場によくいる犬はここにはいなかった。その代わりという訳ではないが、ティーグラウンドでは鳥が佇んでいた。「空を飛べる」鳥が空港にあるゴルフ場には似合うのだろうか。







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 滑走路の間にあるゴルフコースなので、平らなホールが続く。フェアウェイの中央に木を配したり、ティーグランドのすぐ前に何本も木を並べたりして難しくしている。突然池があるホールもあったが水が効いたホールは少なく、滑走路を離れた17番が池越えのショートホール、18番もグリーン前にクリークがある。
 コースの状態は正直今一つで、グリーンもとても遅い。以前訪れたRoyal Irrigationの方が、9ホールとはいえ整備状況は良いような気がする。

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 ティーグラウンドの位置を示すマークは蛇のデザイン。









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 このゴルフコース、OUT/INで往復するコースと言うこともあるが茶店が頻繁にある。特にOUTでは殆どのホールでなにがしかのどを潤したり小腹を満たしたりすることができるような気がする。OUTを回っている時はたくさん茶店があるな、軍のコースだからサービスが手厚いのかと思ったが、INと共通な茶店もあるところもあろう。
 写真はINで気付いた茶店、30バーツでタイカレーなどにありつくことができる(ご飯は別勘定かも?)。茶店では水が10バーツ、ジュースが20バーツ、ビールは50バーツと他のゴルフ場より財布にやさしい値段設定になっている。
 クラブハウスのレストランもしっかりしたものであり、美味しいタイ料理にあり着くことができる。
 コースの状態や轟音を聞きながらのゴルフはさておき、エアアジアやノックエアはじめ様々な塗装の飛行機を見ると、またどこかに旅に行こうかという気にさせてくれるゴルフ場だ。飛行機や乗り物好きには一見の価値があるし、コースの状態は廉価なローカルのゴルフ場として割り切ることもできよう。

Kantarat Golf Courseのウェブページ。バンコク近郊にタイ空軍が持つゴルフコースにはもう1つDhupatemiya デュパテミヤというコースがあり、共通のウェブサイトになっている。

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