2020年9月26日星期六

誠品生活日本橋

Dsc_3401  日本各地のアンテナショップが集まる日本橋、そこに建つ室町テラスの2階は「誠品生活日本橋」、誠品書店を始めとして台湾の「誠品」の世界が広がるショッピングエリアになっている。

Dsc_3402 エスカレーターで2階に上がる。ロゴは台湾の誠品と同じ書体だ。

Dsc_3685  フロアガイドには「日台文化交流のPlatform」と記されている。
 並んでいる商品は必ずしも台湾由来という訳ではないのだが、「誠品」の名の付く店のみならず何かしら台湾との繋がりがあったり、台湾の誠品を彷彿とさせるコンセプトのテナントなようだ。

Dsc_3662 中央通りに面したフロアの1/4を占める誠品書店。台湾に関する書籍のコーナーや、テーマを決めて台湾からの輸入書を並べているが、台湾関係専門という訳ではなく普通の書店。普段使いには十分な書籍数だと思う。棚の書籍ジャンルを紹介するプレートの自体が、やはり台湾の誠品書店と同じだ。
 台湾の誠品書店ではフロアに座って本を座り読み?する人が多いが、この誠品書店では中央通り沿いの窓の前がベンチになっていて、やはり本を読むことができる。

Dsc_3686 誠品生活市集。食品や食器など日本各地の特徴ある品ぞろえに加え、台湾の+ビールやビーフンなど台湾の食品も並ぶ。黒松沙士も置いてある。台湾ビール小罐が360円+税なのはまだしも、台湾の地ビールの小さな瓶が1,000円するのはちょっとお高いか。
 ここでは台湾の有名な調理家電、大同電鍋も売っている。前述した誠品書店の台湾関連書籍コーナーの壁には、大同電鍋にまつわる年表が描かれており、ぐでたま等最近のキャラクターとのコラボレーションなどが紹介されていた。

 他にも台湾料理や台湾茶の店があったり、「誠品文具」で個性的な文房具を紹介していたり、手ぬぐいやガラス細工等東京の文化を発信する店があったりする。台湾にもなかなか行きにくい状況だが、ここに行くと少しは台湾の誠品書店に立ち寄った気分になれるのではなかろうか。

誠品生活日本橋のウェブサイト

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2020年8月29日星期六

バンコク伊勢丹 閉店

Dsc_0565_r  バンコク中心部にある日系デパート、バンコク伊勢丹がこの8月末で閉店とのことだ。セントラルワールドの北側でデパートを開いていたが、賃貸契約を更新せずこのタイミングで閉店するようだ。
 バンコクの人たちはセントラルワールドまでは歩き回るが伊勢丹までは、という感じだったようだ。バンコク在住の日本人にとっても家族連れの日本人が多く住むエリアからは遠く、伊勢丹の上に紀伊国屋書店がありそこに行ったついでにというのもあっただろうが今はプロンポンにも紀伊国屋書店ができたのでここまで足を運ぶ必要もなく、日本食材を含めた食料品や衣類もここまで来なくてもという感じであり、立地の強みもなくなっていたのでこのあたりで撤退という判断なのだろう。個人的には、高級デパートのようにブランドショップに入って商品を選ぶのではなく、デパートの売り場でよい品質のワイシャツやら靴やらを選ぶことができる伊勢丹は敷居が低くて買い物がしやすかったのだが、時流の流れといったところだろうか。
 歴史の知識としてしか知らないが、かつてバンコクには大丸もあったそうだがすでに撤退している。また、私がバンコクにいる間に高島屋がオープンしたが、公共交通機関の駅から遠いことから苦戦しているようだ。BTS国立競技場駅目の前にある東急デパートは立地も良く、同じビルにあるMBK目当ての客足もあることもありタイの人達でにぎわっていた。その東急デパートにしても、2015年にバンコク2号店としてバンコク郊外に作った「バンコク東急パラダイスパーク」は、4年後に閉店している。
 他方、日本の小売業や飲食業がタイに進出するハードルは低くなっており、デパートへ行かなくても日本食の店は数多くあり、その中には日本のチェーン店が進出したものや個人で店を開いたものも多い。小売店では大規模なものはドン・キホーテがバンコクに進出しており、2号店はまさにバンコク伊勢丹の向かいに店を構えている。日本で培った商売をタイで展開する、その母体が変わってきているということだろう。百貨店などの伝統的な企業でなくても新しい企業や個人で海外進出、あるいは海外で一旗揚げようということが、バンコクでスタートを切るには敷居が低くなったといえよう。
P_20150707_202442_r  そうは言っても、日系百貨店は日本の製品や文化を外国に伝える役割もあった。店内には日本のメーカーの製品が少なからずあり、またおもちゃ売り場にはトミカやプラレールなど「伊勢丹ならでは」のものも並んでいた。
 七夕の時期になると、入口には願い事を書いた短冊が吊るされ、その多くがタイ語で書かれていた、写真は2015年の七夕飾り。

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2020年8月1日星期六

フワタケー・マーケットからフワタケー駅へ

Dsc_2781_r Dsc_2782_r  前回の続き。フワタケー・マーケットへはラッカバンからタクシーで向かったが、帰りはタイ国鉄のフワタケー駅まで歩いていくことにした。

Dsc_2787_r Dsc_2794_r マーケットを端から出て、細い道を進んでいく。タイの路地の例にもれず、この道にも犬が多い。

Dsc_2799_r 細い道をクランク状に進んだ後、運河の横を通る視界が開けた道を北上する。

Dsc_2802_r 駅に近い道。ここでも犬が日陰で丸くなって休んでいる。

Dsc_2808_r フワタケー駅。ここが終点・始発の列車も含め、1日13本の列車が発着するようだ。昼には2時間近く間隔が開く時がある。バンコク都内でも、タイ国鉄は郊外へ行くとこんな感じだ。バンコク中心部から、フワタケーの2つ手前の駅であるラッカバンまではエアポートリンクで便利に動くことができるが、そこから先は本数の少ないタイ国鉄に頼らなければならない。
 バンコク・フアランポーン行きの列車が出発したばかりのようで、オープンエアの食堂以外はめぼしいところがない駅で次の列車を待つ。

Dsc_2813_r フワタケー・マーケットも含んだ、駅付近の観光案内。サイクリングガイドもあったが、ここまで自転車を持ってきたり自転車で来たりするのが大変そうだ。

Dsc_2820_r バンコクからやってきた列車は、東京のラッシュアワー並みの混雑だった。本数少ない列車に乗客が集中するのだろうか。この列車はカンボジアとの国境であるアランヤプラテートまで行くようでそこへは1日2本、混んでいるのもその方面を目指す人が集中して乗っているからだろうか。

Dsc_2827_r Dsc_2828_r 駅のホームには、ちまき(バチャーンบะจ่างというそうだ)を売っている母子がいたので1個買ってみた。少ない本数の列車に乗る客を相手に、日がなこの駅で過ごしているのだろうか。1個35バーツ。

Dsc_2836_r フアランポーン行きの列車が来たのでこれで戻った。先程の列車とは違い乗客の数もそれなりで、途中からは座って帰ることができた。

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2020年7月25日星期六

フワタケー・マーケット

Dsc_2730_r  遠出をしたり新しい土地を訪れたりするのが難しい日々が続くので、バンコクの話を。スワンナプーム空港に程近いところにあるフワタケー・マーケットを訪れた。
 エアポートリンクでスワンナプーム空港の一つ手前、ラッカバン駅Lat Krabangで降り、駅前にいるタクシーで行き先を告げる。バンコク中心部からラッカバンを経てチョンブリ方面へ向かうMotorwayのすぐ南を走るラッカバン通りに入口がある。
 フワタケー・マーケットは古い建物を活用したマーケットだが、そこへ至る道は現在バンコクに普通にあるマーケットだ。

Dsc_2737_r Dsc_2739_r 果物を売る店もあったが、日用雑貨を売る店や服を売る店が多い市場だ。

Dsc_2740_r 市場の主であろう猫が、日陰にうまく収まって休んでいる。

Dsc_2745_r Dsc_2746_r 奥にある橋を渡って、フワタケー・マーケットへ。

Dsc_2749_r Dsc_2750_r 古い民家だろうか長屋だろうかの部屋にやはり日用品を売る店が目に入るが、

Dsc_2777_r 飼料や資材を包んだ袋をバッグにして売っている店や、

Dsc_2771_r タイプライターや活字を置いた昔の印刷所をモチーフにしたのだろうか、猫が休んでいるカフェがあったりする。

Dsc_2754_r 壁には、建物の窓を描いた絵が。
 フワタケー・マーケットは芸術的なセンスを活かして店を開いたり、そうした活動の拠点となる店を開いたりする場所になっているようだ。正直なところ何もない普通の日に訪れても特段のことはない、人寂しい場所なのだが、イベントがある日に訪れたり、店を開いている人達のことがよくわかるようになると、違った印象を持つのかもしれない。
 写真が多くなったので続きは後程。

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2020年6月15日星期一

『世界ふれあい街歩き~チェンマイ~』

 先月録画したテレビ番組、『世界ふれあい街歩き』のチェンマイ編。初放送は2018年3月とかで、私がタイにいた頃の、そして駆け足ながら訪れた時期と相前後するチェンマイだ。
 観光名所を触れるのではなく、通りで見かける光景やそこにまつわる人達との短い話から街への親しみが深まっていく番組の作り方はいつもながらさすがだ。市場で「徳を積むために放流する」ために売られているナマズを買って旧市街を囲む堀に放つ女性や、道行く人のために水を入れた壺を設け余った水を草木にあげる人に出会い、画面の端々に現れる仏教国ならではの風景には敬虔な仏教の教えが根付くゆったりとした時の流れを感じ、他方で海外からの観光客や定住者が多いこの地で洋書店を開く人、現代アートをカフェで披露する人や女性専用のムエタイジムで汗を流す人には現代のチェンマイを感じる。


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 番組に出てきた中で私も見たことがある風景も少々出てきた。番組の途中で「チェンマイに来たら訪れてほしいところ」として、チェンマイでラーンナー王国を築いたメンラーイ王とその両脇に立つパヤオ王国のカムムアン王、スコータイ王国のラムカムヘン王の像。旧市街の公共施設にて。







Dsc_0827_r  チェンマイの乗り合いバスとして紹介されていたのは、トラックの荷台に屋根と座席を設けた乗り物。他の地域だとソンテウと呼ばれるこの乗り物、チェンマイでは皆赤く塗られていることからロットデーン(赤い車の意)と呼ばれている。乗合で決まったルートを走ったり乗合客の求めに応じてあちこち寄ったりする走り方もあれば、GRABで呼ぶなどしてタクシーのように使うこともできる。

Dsc_1350_r テレサ・テン終焉の地であるThe Imperial Mae Ping Hotel、そしてその中にあるテレサ・テン博物館も紹介されていた。

Dsc_1753_r 番組冒頭に出てきたチェンマイの街並みと向こうに見える空はこのホテルか、あるいは付近のホテルから撮った眺めだろう。写真は私がThe Imperial Mae Ping Hotelを訪れた時に撮った写真。番組で見えた、茶色の尖った屋根が並ぶ建物に見覚えがある。
 『世界ふれあい街歩き』もロケができないのか、音声の収録ができないのか、ここ最近はかつて放送した番組の再放送だ。しばらくは訪れるのが難しくなった海外の街を、この番組を観て歩いた気持ちになりながらいつの日か訪れたり、訪問の敷居が低くなることを願いたいものだ。

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2020年5月10日星期日

『テレサ・テン名曲熱唱~没後25年目の真実~』

 テレサ・テンが亡くなったのは25年前の5月8日。その5月8日にBS-TBSで放送された『テレサ・テン名曲熱唱~没後25年目の真実~』を観た。
 先日NHKで放送された『ザ・プロファイラー テレサ・テン』はターニングポイントとなった出来事に注目して彼女の人生を振り返るものだったが、この『テレサ・テン名曲熱唱~』はテレビで流された彼女の歌をふんだんに流し、売れるまでの裏話を挟みつつ足跡を振り返るものだった。映像の中に『8時だョ!全員集合』で演じたコントもあったのは、TBSの番組所以だろう(図らずも、先日亡くなった志村けんや先に亡くなったいかりや長介の姿も見ることができる)。
 彼女の代表曲の多く、『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』などは私の少年時代ながらリアルタイムで聞いており、テレビでも観ていたので新鮮というよりはむしろなじみがあった歌を久々に聴いたような感じになった。『襟裳岬』や『二人でお酒を』といった他の歌手の歌のカバーも難なく歌うのはその歌唱力ゆえであり、中国や台湾の老歌『高山青』『何日君再来』を聴いてもそれが感じられた。いろいろな番組の映像からであり、彼女が活躍した'80年代は歌番組が盛んな時代だったことを思い出す。
 『ザ・プロファイラー』同様に天安門事件時に香港での支援コンサートに参加したこと、ルーツの中国大陸でのコンサートが叶わなくなったこと、そして香港や中国への思いを日本のテレビ番組で吐露したことに触れて番組は終了へと向かう。番組のナレーションにもあったが、この頃彼女が歌った『悲しい自由』や『香港~Hong Kong~』には、テレサ・テンの香港への思いが込められていただろうことが想起される。

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2020年4月29日星期三

NHK-BS プレミアムカフェ『走れ 大峡谷を縫って~中国・成昆鉄道~』

 録画してあったNHK-BSの番組『走れ 大峡谷を縫って~中国・成昆鉄道~』を観た。過去に放送した世界各地の山岳鉄道シリーズを改めて紹介する番組で、この番組は2001年の再放送だった。俳優の伊原剛志が、成都と昆明を結ぶ成昆鉄道(成昆線)の列車に乗って、途中下車で沿線の各地を訪れるという番組だった。
 緑色で硬い椅子の古い硬座車、5元でいただくお粥の朝食や弁当(盒饭)などがかつての中国の汽車旅を思い出させた。2001年というとさほど昔のことでもないようにも思えるが、何しろ19年前だ。車内ではホーローの食器を持ち込みお湯を入れてインスタントラーメンを食べている人がいたり、途中駅で野菜を目いっぱい客車に積み込む様子が映っており、山間故に新幹線はないであろうこの成昆鉄道では今もこのような光景が見られるのだろうか。
 当時で直行で24時間のところを5泊6日で旅したそうだ。車窓や沿線の山や田畑の緑が美しく、また沿線に住む少数民族、彝族のお祭りも紹介していて興味深い番組だった。我々が目にする中国は大きく変化しており、この成昆鉄道も輸送能力向上のため改修をしているようだが、沿線の風景や人々の暮らしぶりはどうだろうか。

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2020年4月25日星期六

The Royal Bangkok Sports Club

 かつて住んでいた海外の地を再訪したり行ってみたいところに旅行したりことのみならず、新しく住むことになった街を知ろうと近所を散策することもままならない日々が続くようになった。再訪がかなう日を願いながら日々を過ごしたい。

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 1年あまり前の話だが、バンコクの中心部にある競馬場、The Royal Bangkok Sports Clubの中にあるゴルフコースでプレーをする機会があった。このThe Royal Bangkok Sports Club、目に見えるのは競馬場だが会員制のスポーツクラブであり、ゴルフだけでなくバドミントン・バスケットボール・クリケット・ローンボウルズ・マーシャルアーツ・フィットネス・武術・ラグビー・サッカー・スカッシュ・水泳・卓球・テニス・ヨガといったスポーツを中で行うことができる。ボードゲームの施設やレストラン、宴会場もあり、スポーツを通じた社交場という表現が相応しいだろう。
 もっとも、完全会員制でありその会員になるのは今日では非常に困難であると聞く。今回のゴルフも会員の方とご一緒させていただいてまわることができた。

Img_0699_r  コースの中に設けられているドライビングレンジ。時にはクリケットなど他のスポーツのグラウンドになり、夜ナイターの灯りをつけてプレーしているのをBTSラチャダムリ駅から見ることがあった。

Img_0704_r  競馬開催時にはメインスタンドとなる観客席の前からスタートだ。

Img_0707_r 1番ホールはパー3、ティーグラウンドすぐ先にある池がハザードだ。

Img_0713_r Img_0715_r 競馬の時に使うゲートがそのまま置いてあった。上には「JRA」の文字が見える。日本の競馬のお古なのだろうか、寄贈を受けたのだろうか。

Img_0716_r 4,992ヤード、パー66とゴルフ場としては短いこのコース、5番ホールが唯一のパー5。競馬場のバックストレッチをまっすぐ進んでいく。

Img_0718_r いくつかグリーンが見えるところがあったり、逆にグリーンが見えないところもあり、どこへ向かって打てばよいのかわからないこともある。

Img_0724_r Img_0729_r ラチャダムリ駅から見えるこのコース、逆にコースからは横を走るBTSを観ながらのプレーだ。やはりここでプレーをしたことがある人が言うには「BTSの中からプレーを観られている気がする」とか、気にし過ぎだろうか。確かに、BTSのみならず競馬場を囲むオフィスビル・病院・マンション・ホテルから目に入る場所ではある。

Img_0732_r 競馬場の中のゴルフコース、過去にプレーをした中では今はないがやはりバンコクの中心部にあったRoyal Dusit Golf Club、チェンマイにあるLanna Golf Courseの一部がそうであるが、ゴルフと競馬場は社交場として親和性があるのだろう。

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2020年3月29日星期日

『ザ・プロファイラー テレサ・テン』

 1か月以上前に録画したNHK-BSの番組『ザ・プロファイラー テレサ・テン』を改めて観た。
 彼女の生涯については番組でも参考にされていた書籍『テレサ・テン 十年目の真実 私の家は山の向こう』を2年前に彼女の終焉の地であるチェンマイのThe Imperial Mae Ping Hotelを訪れた時に読んでおり、司会の谷原章介氏が「彼女の歌は知っているけれど、人生はよく知らない)と言っていた通りで彼女の人生を改めて映像でたどることができた。
 番組では、『~十年目の真実~』でページを割いた人生後半のフランス人との恋愛やチェンマイでの日々は短く触れるに止め、日本でのデビュー、その日本での活動時に偽造パスポートを使ったことで国外退去になること、処分中に滞在したアメリカでの婚約とその解消、そして日本で再度成功を収めることに時間を割いていた。そして中国でのコンサート打診、天安門事件で学生を支援する歌を歌ったことにも触れていた。
 上記した参考文献ではテレサ・テンの心情を代弁する歌として『私の家は山の向こう』を取り上げていたが、番組ではそれに加えて中国を離れて住む華僑や華人たちが聞くと故郷を思うという『梅花』を取り上げていたのが印象的だった。書籍ではテレビでは触れられていないことを知ることができ、テレビでは書籍では印象に残らなかったところにフォーカスを当てていてそこが印象に残り、番組を観て彼女の人生をより深く知ることができた。
 また本で触れていた『私の家は山の向こう』、現代は『我的家在山的那一邊』も映像や音で聞くとこういうことだったのかと印象に刻まれる番組だった。『梅花』同様に故郷を思うこの歌の歌詞の一部を変えて歌い、集会には「民主萬歳」と書かれたハチマキをして参加していたのも分かった。その年の日本のコンサートで「私はチャイニーズ」と言っている姿に触れており、中国で起こった出来事に心を痛めている姿が伝わったが、彼女のアイデンティティはどこにあったのか気になるところだ。番組では「中国を愛していたのでは」としていたが、台湾で外省人の家庭に育ちアメリカで『梅花』を歌ったテレサ・テンにしてみれば番組の短い言葉ではまとめられない思いがあったのではと思う。
 テレサ・テンが亡くなった1995年から25年、彼女のお兄さんは存命で思い出を語っていた。彼女も生きていたらまだ60代なのだが、彼女自身から思いを聞くことができないのは残念だ。

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2020年3月8日星期日

地下鉄の踏切~東京メトロ銀座線・上野あたりにて~

Img_1026_r  JR上野駅入谷口を出て、日光街道(国道4号線)を北に歩くことしばし、路地に入ると小さな通りを跨ぐ踏切がある。こんなところに列車が走っていたっけ、と思ったが、ここを走るのは東京メトロ銀座線の電車。他の私鉄やJRに乗り入れている地下鉄の電車が乗り入れ先で踏切を通ることはあるが、他所に乗り入れていない銀座線が踏切を通るのは想像しにくい。

Img_0987_r ここがその踏切。街中の小道に踏切の標識が立つ。標識と遮断機の先には赤提灯も見える。

Img_0989_r ここは東京メトロの上野検車区。銀座線の車輛基地になっていて、朝夕に本数を増やすべき時に上野検車区から電車が出発し、あるいは一休みする電車がここに上ってくる。

Img_0993_r  柵の向こうでは、出番に備えて電車が休んでいる。

Img_0994_r Img_1002_r 線路の反対側には地下に潜っていくための線路が。検車区への入口共々普段は鉄柵で遮られている。銀座線は線路に並行している第三軌条から電気の供給を受けているため、立ち入ると本当に危ない。なお踏切の上にはこの第三軌条は走っていないので、心配なく踏切を横切ることができる。

Img_1009_r 出番が近づいた電車が策の前まで進んできて、出発時間を待つ。

Mvi_1023_12_r 柵が上に開き、乗客を乗せる営業運転に向けて旅立つ。

Mvi_1023_11_r 今度は、営業運転を終えて検車区に戻る車両が地下から出てきた。

Img_1028_r  ここは鉄道関係者だけが通る道ではなく、町の人が上野駅を目指しあるいは帰ってくる、さらには街の人たちが普通に往来する細い道だ。普段乗っていると踏切に出会うことがない銀座線だが、道を歩いていると思わぬところで地上を走る、踏切を通り過ぎる銀座線の電車を見ることができる。

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