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五月 2005

2005年5月29日星期日

四川中路〜福州路 −「あやや」発見−

北蘇州路の郵便局に行く用事があったので、帰りはここから四川中路〜福州路を経て来福士広場まで歩いてみることにした。以前この記事で来福士広場から郵便局まで歩いているが、今度は違う道にチャレンジである。

IMG_0895四川中路を南に下り、北京東路との交差点に立つ建物。




IMG_0896そのはす向かい。




この交差点を過ぎてさらに南に歩くと、まもなく蔡依林の「愛情三十六計」を大音量で流している店があった。
IMG_0897以前蔡依林のコンサートのポスターに何で「阿呀呀=あやや」と書いてあるの?とツッコミをいれたところ、pinkmomoさんから、「阿呀呀」というのは蔡依林がイメージキャラクターをしているアクセサリー屋の名前とご教示戴いたが、これこそがあの「阿呀呀」である。意外と小さな店なんですね。ロゴは店の発音「ayaya」から取ったもので、店頭には蔡依林の看板が立っていた。

IMG_0901再び四川中路を南に下るとものすごい行列のできている店があった。店先に花が飾ってあったので新装開店を待っているのかと思いきや、中は定食やら何やらのファーストフード店のようで、満席なので入場規制をしているのだった。そんなにうまいのかな。


IMG_0902四川中路と、九江路だったか漢口路だったかの交差点にて。この辺りは外灘の裏側にあたり、やはり清朝末期や民国期からある建物が多いようだ。ここで西に曲がってみる

IMG_0905江西中路との交差点にて、この建物も1898年できらしい。チャイナモバイルの営業所として、今でも現役。


IMG_0907江西中路と福州路との交差点にある、新城飯店。古い建物だが3つ星ホテル。





福州路は、本屋と文房具屋が並ぶストリートである。外国人向け書籍(語学テキストなど)や外国語書籍を扱う外文書店もこの通りにある。
IMG_0911上海で最大級の書店、上海書城。確か6階建てくらいで、CDショップや、ラジカセや電子辞書などの売場もある。



IMG_0908IMG_0910入り口で、「本は、人類進歩の階段である」と書かれたレリーフを見つけた。紅衛兵による吊し上げや下放では進歩しないということに気づいた、ということか。



IMG_0914このブログでも何度か触れた、角が丸い建物。上のほうが色が違うのは、後から建て増したからか、それとももとからか。


IMG_0916来福士広場に着く直前に、上海を描いたであろうレリーフを発見。中に入ってみると・・・



IMG_0918IMG_0917「愛国主義教育苑」なる施設で、中に入ると壁には上海では革命がいかにして進められたかという掲示がなされていた。

IMG_0920中にあるレリーフの中の1枚。周恩来・トウ小平・陳毅の3人である。
上海の中心部で、経済的には豊かになっても、革命教育というか共産党による教育を見せ付けられた気がした。

こうして以前この記事この記事で紹介した来福士広場に到着して、今日の散策はおしまい。延安路からバスで帰宅。

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2005年5月28日星期六

新華路 −レリーフ通り−

上海のことに話を戻しましょうか。
IMG_0867上海の中心部やや西側、淮海路を交通大学の近くで北に分かれる新華路という道がある。両側に街路樹や植え込みがされているきれいな道で、「優秀歴史建築」とされている建物が並んでいる。


IMG_0873IMG_0874この新華路、塀にレリーフが埋められているところが多い。




IMG_0879通りの紹介もレリーフで。民国期に安和寺路と呼ばれていたのが何度か名前を変え、文革直前の1965年に新華路という名前になったようだ。植え込みやらレリーフやらの街作りがうまくいったとかで、「全国創建文明社区示範点」(全国文明コミュニティ建設模範ポイント?)に指定されたそうだ。キャッチフレーズはともかく、確かに緑も多いし塀のレリーフが街並みにアクセントを与えていて、印象に残る通りである。

IMG_0883新華路と番禺路の交差点でも、レリーフがその一角を覆っている。




IMG_0886IMG_0887レリーフに近付いてみるとこんな感じである。中国的なものではなく、ギリシャ神話か何かを題材にしたもののようである。



外灘のように有名ではなく、観光客もあまり来なさそうであるが、バスが通るような道でもこうした印象的な通りがある。

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リニアモーターカー

IMG_0854今回の旅行、帰りはリニアモーターカーを使って市内まで戻った。
実はリニアモーターカーに乗るのは2度目なのだが、前回は「自腹で乗った訳ではない」ので、今回初めて写真などを撮ってみた。
リニアモーターカーは片道50元。当日の上海発着いずれかの航空券(搭乗券ではない)を見せると40元になる。このほか上級座席があるのだが、僅か8分のために需要があるのだろうか?

IMG_085514時32分に出発。この日は連休最終日のせいか乗客が多く、結構座席が埋まっていた。立席はありなのかな?全然管理していないみたいだけれど。

IMG_0858車窓はこんな感じ。日本の新幹線も時速300キロに達しているのかどうか忘れたが、新幹線に比べて格段に速い、という印象はない。ただ、カーブでは横目に車窓を見ていても飛び出すのではないかという気になる。よくバスや車で浦東空港へ向かうが、そのとき上をリニアが通ることがありたまたまカーブでお目にかかるとそういうことを感じることもあった。

IMG_0860出発から3分30秒で、時速430キロに達した。このあたりが最高スピードであり、すぐに減速に転じる。


IMG_0861出発から8分とかからずに龍陽路駅に到着。たいていの客はここから地下鉄やタクシーに乗って市内に向かう。街の真ん中まで行かないので中途半端ではあるが、道路経由だと渋滞などに左右されるのと比べて、ある程度空港までの時間が計算できるようになったのが前進だろう。

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沖縄〜台湾旅行(5)その他もろもろ

先の沖縄・台湾旅行で書き忘れたことを少々。

IMG_0742その1。沖縄の国際通りから枝分かれする、市場本通りだったと思うが商店街でみかけたドリンクスタンド。店の壁面に並んでいるメニューといい、木瓜牛乳や珍珠【女+乃】茶などの品揃えといい、ジューサーといい、カップに飲み物を入れてから封をする機械といい、台湾のジューススタンドにそっくりである。やはり台湾に近い沖縄、似たようなスタンドが多いのか・・・と思ったらそういうわけではなさそうで、台湾に本部を置くフランチャイズチェーンで、東京にもあるらしい。

IMG_0840IMG_0846その2。台湾とマカオでは、中国大陸の携帯がそのまま使える。左が台湾での、右がマカオでの携帯電話の画面であるが、着いてから電源を入れると当地のキャリアーが画面に表示され、ショートメールで電話のかけ方が送られてくる(もっとも、マカオでは大陸のチャイナモバイルのカバー範囲に入ることもあるが)。中国も台湾もマカオも共通の方式(GSM方式)を採用しているので、携帯電話を持っていくとそのまま使えるのである(厳密には周波数帯が違うとダメなのかもしれませんが、どうなんでしょう)。世界的にはGSM方式を使っている国は多く、シンガポールやヨーロッパの多くの国も同じ方式を採用している。相手が台湾にいても、中国から普通にダイヤルするとそのままかかるため、かけてくる人にとっては相手がどこにいるかわからないし、受ける人は台湾にいても中国にいるのと同様に電話がかかってくる。
携帯電話を持ってくる以上追っ手がくるのは避けられず、嫌なら電源を切るか携帯電話を置いて旅に出るしかない。

IMG_0843その3。マカオ空港では、英語・中国語のほかにポルトガル語の表示もある。マカオではポルトガル語も中国語と並んで公用語となっており、中国返還後もマカオの来歴を感じることができる。

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2005年5月20日星期五

これって本当?〜中国初ボクシング世界王者誕生?〜

中国情報局 サーチナから提供されているニュース。元情報はこちら

<引用はじめ>
中国初!プロボクシング世界チャンピオンが誕生
発信:2005/05/19(木) 19:24:30
  広東(カントン)省・広州(こうしゅう)市内の天河体育センターで17日、WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチの7回戦が行われ、PABAスーパーフェザー級王者で、96年アトランタ五輪の銅メダリストのポンシット・ウィエンウィセット(タイ)と、中国の徐叢良(写真左)が対戦。徐が6R、ドクターストップによってTKO勝ちし、プロボクサーとして中国で初のチャンピオン誕生となった。

  徐叢良は雲南(うんなん)省出身の27歳。プロとしてこれまで3戦を戦い、全勝している。中国新聞社が伝えた。(編集担当:恩田有紀)
<引用終わり>

 WBA(World Boxing Association)は実在するボクシング統括団体であるし、WBC・IBFなどとともに権威のある団体とされている(日本のボクシング界ではIBFは認められていないが)。文中に出てくるPABA(Pan Asian Boxing Association)というのは、WBAの下部組織とされ、アジアにおけるボクシング統括団体の1つである。
 この記事、まず疑問に思ったのは、「WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチの7回戦」というところである。普通ボクシングの世界タイトルマッチって、12回戦(12ラウンド戦う)ではなかったっけ?
 さらに、戦ったボンシット・徐の両選手とも記事の肩書きはWBAの正規王者ではないのに、何で勝ったほうがチャンピオンになっているんだ?王者決定戦?
 WBAのウェブサイトを見ると、スーパーフェザー級の王者はタイのYODSANAN NANTHACHAI選手(5月19日現在)。3月のランキングが載っているのでダウンロードすると、確かにスーパーフェザー級10位に"PONGSITH WIANWISET"の名前があり、おそらくこの選手のことだろう。だが、徐選手らしい人は、前後の階級も含めて見つけることができなかった。
 目を転じてPABAのウェブサイト(音がするので注意)を見ると、

<引用はじめ>
May 17
Site China
Contender
Light Heavyweight Paul Murdoch vs. Juarne Dowling
Super Middleweight Peter Kariuki vs. Sakeasi Dakua
Super Featherweight Pongsith Wiangwiset vs. Xu Chong Liang
Super Bantamweight) Pedrito Laurente vs Xi Mu Xiang
<引用終わり>

と記載があり、Xu Chong Liang=徐叢良だからこの2人はどうやら戦ったようだ。PABAの2005年4月のランキング(アジアランキング、とご理解いただきたい)ではボンシット選手がスーパーフェザー級王者・徐選手が10位にランキングされている。この2人がタイトル戦をしたというのか。しかし、どう見ても世界戦とは言えまい。タイトルを賭けていたとしても「東洋タイトル(*)」くらいが妥当な呼び方だろうが、しかも7回戦とはどういうことだ。
 どなたか詳しい方、教えていただけませんか?

 ちなみに1993年に中国を旅行したとき、「中国で久しぶりに行われたプロボクシングの試合」をホテルのテレビで見た記憶がある。確かWBOのタイトルマッチも含めて数試合だったと思う。中国の選手はおらず皆欧米の選手だったと思うが、中にリングに上がる際に「北京」と書かれた鉢巻をした選手がいたりして少し違和感があったのを覚えている。
 中国では民国期に上海租界等でボクシングが行われ、「上海王者」を名乗った日本人?がいたと聞くが、こうしたことをすぐに調べられないのが日本を離れているもどかしさである・・・おっ、某所での研究ネタになりそうか?

 ボクシングに興味のない方にはよくわからないネタだったと思うが、ご容赦いただきたい。
(*)日本で言う「東洋太平洋王者」はWBC傘下のアジア統括団体であるOPBFの王者であり、日本はPABAの試合を認めていません。

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2005年5月16日星期一

宋楚瑜も来た

先の連戦大陸訪問に続いて、台湾の野党第2党・親民党の宋楚瑜主席も大陸訪問を果たした。
上海でのテレビでの取り上げられ方は相変わらずで、ニュースでは連日「宋楚瑜大陸行」と題して動静を伝え、胡錦涛との会談の日には会談の様子とともに内容を文字で表して読み上げるなど、連戦のときと扱いは同じだった。日本だと衆議院・参議院とも野党第2党は日本共産党(ぉ)。野党第2党の訪問がこれだけ大きな扱いか。
陳水扁としては面白くないのは確かで、日本経済新聞5月13日付国際版の国際面によるとこの会談における共同声明を「台湾を香港と同様、中華人民共和国の一部とするもの」と批判したそうだ。台湾住民の間に「台湾意識」が根付いている一方、経済的には大陸との繋がりが強くなっている台湾。今までは「近付く経済、遠ざかる政治」という感じであったが、一連の訪問により中台接近がなり、経済的メリットが出た場合にはそれは2人の貢献と評価されるだろう。もとより胡錦涛は陳水扁・民進党を相手にするつもりはなく、連戦や宋楚瑜(つまり、国民党や親民党)を相手にして、台湾住民に「国民党・親民党政権だったら台湾の経済メリットがもっと出るようにしてあげるよ」というアピールをして、次回総統選挙までに民進党を追い込もうというのが目先のところだろう。実際陳水扁政権はずっと少数与党のせいで思う政策もできず、急進的なこと(有力企業の名前から「中国」の名前をはずす)をすると支持を減らす、という感じでうまくいっていない。中国共産党にとっては台湾住民の不満を陳水扁・民進党離れに結び付けたいところだろうが、台湾住民は反国家分裂法にもっと不満なので、どうだか。

それにしても陳水扁・連戦・宋楚瑜、表舞台が長い。1994年に台湾で台湾省長・台北市長が初めて直接選挙になったとき当選したのが、台湾省長が宋楚瑜で台北市長が陳水扁。連戦はその頃行政院長で、1996年の総統選挙で李登輝とコンビを組み副総統に当選。今や陳水扁が総統、後の2人が野党党首として政界のキーパーソンになっている。日本の政治家の活躍期間が短いのかもしれないが、さしずめ台湾政界は同じ登場人物が役をとっかえひっかえメインキャストを務める「橋田寿賀子ドラマ状態」と言えるだろう。

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2005年5月15日星期日

沖縄〜台湾旅行(4)ホエールウォッチング

5月5日。この日台北に移動することになっていた。午前中花蓮市内散策でもよかったのだが、ホテルにおいてあった観光案内の中に太魯閣ツアーなどに混じって「ホエールウォッチング」のメニューがあったのでそれに参加してみることにした。
略毎時ごとに出発しており、朝食時に申し出ると9時のツアーに参加可能とのことでそれに申し込んだ。確かNT$400だったと思う。
8時半に迎えの車が来て、港に向かう。港に着くとバスツアーで参加した人や欧米人もいて、結構盛況だった。
25920020こんな船に乗ってホエールウォッチングに向かう。
救命胴衣の説明を受けた後船に乗り込み、定刻通り9時に出航。防波堤を超えると結構船が揺れる。小さい船だけにそれなりの波でも船が上下するのだが、操縦している船長はそれを楽しませるかのように波に船をぶつけるような操船をするし、案内する航海士?も「Wa〜!!」と煽っている。欧米人の中には、怖がって中央の柱にしがみついている人がいた。
1時間くらい沖に出たところだろうか、船内から歓声が上がる。水面から何かが飛び出しているようだ。
25920024飛び出しているのはイルカだ。そのうち船の前側や左右あちこちで飛び出してきた。



25920029だんだん近くでもイルカが見られるようになった。なかなか高く飛び上がるところを写真に撮るのは難しい。この日はクジラは見られなかったが、沖に出てイルカを見て、これだけでも充分楽しめた。
ところで、この船にはどういうわけかテレビクルーが乗っていた。ホエールウォッチングそのものの取材かと思ったら、若い男女2人が乗っていてこの2人がレポートするようだ。乗っていた乗客氏に聞いてみた。
私「他們是誰?」
乗客氏「明星。」
私「にぃ知道他們的名字ま?」
乗客氏「不知道。」
男性のほうは加藤晴彦に似ており(と思った)、先の航海士?に「ねぇねぇ、何が見れるの?」と聞いてイルカやクジラについて話を聞きだしたり、イルカが見えたときには「ウォー!!」と叫んだりしていた。
一方、女性のほうはフリフリ(死語?)のスカートという、ホエールウォッチングに似つかわしくない格好。出航直後こそ船尾に立って何か話していたものの、その後はぐったりとして船の欄干にもたれかかったままになり、何も明星らしいことをしなかった。

明星、船酔い。

もっとプロ意識を発揮してもらいたいものだ・・・と思ったが、後で送迎の車の運転手に聞いたところ、東森幼幼台という子供向けチャンネルの番組の取材とのことだった。子どもにいろいろ伝えるのも大変ですな。

何でも台湾の東岸はクジラやイルカの通り道になっているらしく、航海士?は「イルカの高速道路」と説明していた。
2時間半のクルーズ?の後再度花蓮港に戻り、ホテルまで送ってもらった。

ホテルをチェックアウトし、花蓮駅から台北行きの自強号に乗った。乗った自強号はほぼノンストップに近く(花蓮を出たら、台北到着直前の松山駅まで停まらない)、2時間あまりで台北に着いた。
台北では着いた晩には知人と晩飯、翌5月6日は台北市内をブラブラと。国家図書館ではここで台湾事情を勉強していた日々を振り返り、書店街で国立空中大学のテキスト『台湾歴史歴史人物與事件』を買って某所での活動の参考にしようとしたりして過ごした。
しかし、台湾はいいですね。魯肉飯や木瓜牛【女+乃】の本場だし、無線LANが使えるホテルやファーストフード店が多かったりその速度も速かったり、infoseekのウェブサイトやhomepage3.nifty.comのウェブサイトも見れるし(ぉ)・・・
そして5月7日早朝の便で上海に。マカオ乗り継ぎの澳門航空を使ったのだが、台北〜マカオ〜上海まで実質直行便かと思ったらそうではなく、しっかり乗り継ぎがあったし違う飛行機への乗り継ぎだった。。それでもマカオ空港でのトランジットは45分。荷物が間違いなくつながっていればとても効率のいいフライトである(事実今回は預けた手荷物も無事上海に着いた)。それでも桃園空港から浦東空港まで約5時間。日本から台湾旅行をするよりも覚悟が必要なことを改めて認識した次第である。

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2005年5月12日星期四

沖縄〜台湾旅行(3)太魯閣へ

沖縄・台湾旅行の続き。
5月4日。前夜遅く着いたので寝不足であるが、それでも朝7時に起きて太魯閣を目指す。太魯閣の見どころをまわってくれるツアーがあったが、今回は自分の足で歩いてみようと思い、ツアーには参加せず一番奥にある天祥まで路線バスで行き、そこから戻ることにした。
25910001バスの出発点の花蓮駅。駅の向こうに山が広がる風景は、日本でも見ることができ似通ったものがある。



花蓮駅前を出発し、しばらくして太魯閣の入り口から渓谷を縫うように走る道に入る。川沿いに山道を上がっていくのだが、目に入る緑が鮮やかであり、緑の少ない上海から来た身としてはとても新鮮である。時々車がすれ違えないような狭いところもある道をくねくねと上がっていく。舗装されており標高差も厳しくはないのだが、まさに山道を登るという感じである。
2591000725910011花蓮駅から80分くらいかかって天祥に到着。ここから歩いて下っていくのである。
天祥にはホテルもあり、小さな商店も並んでおり太魯閣観光の拠点ともいえる。ここから西に山道を行けば台湾を横断して台中側に出ることもできる。この近くに温泉もあるのだが、地震の影響とかで閉鎖されていて行くことはできなかった。
1時間ほど周りを散策したり地図を買ったりした後、10時40分に出た戻りのバスで2キロほど下り、緑水で下車。ここから徒歩での下りの旅を始める。その前にバス停(といっても標識はないが)の近くに太魯閣を紹介した展示館があったので、太魯閣渓谷の成り立ちなどを見学。
25910018舗装道からそれ、山道を下る。舗装道に戻るまで2キロとのことなので楽だろうと思ったが、下りだけでなく登りの場所もあり、結構しんどかった。それでも、渓谷を流れるきれいな水や目に入る緑が心を和ませてくれた。
舗装道に戻る直前に若い男女2人が歩いていたので、どこから来たかなどふたことみこと話をしながら追い越した。お二人は夫婦で、台中から来たとの事だった。


2591002625910025山道の途中に、日本人の名前が刻まれた碑が建っていた。日本統治期に落石事故などで殉職した警官を祀るために建てられたとのことである。当時の警官を祀る碑を、今に至るまでも残してくれている。




25910031その名も「合流」という名前のところで再び舗装道に戻り、渓谷の流れを下に見ながらさらに下る。
慈母橋という橋を渡ってしばらくしたところで車道はトンネルに入るのだが、それとは分かれて九曲洞と名付けられた道にルートを取る。




2591003225910033切り立った崖を上に、渓谷の流れを下に見ながら歩く。先ほどの石碑ではないが、落石や崩落が怖く感じる道である。これはこの前後を車で走っていてもそうなのかもしれないが・・・
再び車道と合流したのが12時過ぎ。さらにしばらく歩いたところで、後ろから路線バスがやってきた。少し楽をしようと思い、地図に「食堂」のマークがある布洛湾というところまでバスに乗った。ところが、布洛湾で下りても、周りに食堂など見当たらない。脇に登り道があり、これを登ると何かあるようだが、疲れて登る気になれない。おまけに雲行きも怪しくなってきた。
次の見どころである長春祠まで5キロ。そこまで乗っていけばよかったととぼとぼとてくてくと歩いていると、後ろから来た車が私の横で停まり、男性が「乗っていかないか」と声を掛けてきた。何と先程山道で追い抜いた夫婦だった。お言葉に甘え、長春祠まで乗せていただいた。
25920002こちら長春祠は、第2次大戦後の蒋介石時代に道路工事の最中に亡くなった人を祀っている祠である。しかしながら、それこそ落石事故の影響だったと思うが長春祠へ行く道に入ることができなかった。
25910037河原に石を並べて愛情表現。「君悦」さん、よかったですね。








太魯閣の入り口に戻り、並んでいる食堂のおばちゃんにお願いしてタクシーを呼んでもらう。切り立った山が太平洋に落ちていく清水断崖を見に行くためである。
2592001125920014運転手も慣れたもので、「清水断崖を見たい」というと道の途中にある展望エリアで停まって見せてくれる。本当に一気に太平洋に山が突っ込んでいるという感じである。この辺の海で泳げるのかと聞いたら、数歩歩くと突然深くなるので泳げないとのことである。納得である。この日は波があまり高くなく穏やかだったのであるが、この運転手、「今日は打ちつける波があまり見えずに残念」と言っていた。海は荒れないに越したことはないのだが・・・
そのままタクシーで和平駅に行き、列車に乗り換えて花蓮に戻ってこの日は終わり。

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2005年5月7日星期六

沖縄〜台湾旅行(2)基隆への船旅

台湾へ行く場合、飛行機で行くケースがほとんどであろう。しかし、那覇新港から基隆と高雄へそれぞれ週1便有村産業のフェリーが就航している。
フェリーの切符は、有村産業の事務所に電話して予約し、当日ターミナルにて支払い。日本に住んでいれば旅行代理店で予約することもできるだろう。ここで問題なのは、台湾にノービザで入国するには台湾から出国するチケットが必要であることである。日本から台湾への往復航空券で旅行する場合は問題ないのだが、今回は片道切符での入国である。これは空路での入国時もそうであるが、時々出国する切符の提示を求められ、これがないと入国を拒否されても文句は言えない。今回船のチケットを予約する際にもこの点を聞かれ、出国のチケットかビザがないと売ってくれない。私はあらかじめ台湾の旅行代理店を通して台湾から上海に帰る航空券を入手し、その旨を予約時に連絡して片道切符を売ってもらうことができた。事前もしくは当日に航空券のコピーの提示を求められる。片道で入るためにわざわざビザを取得した人もいた。

5月2日、18時半までに那覇新港に来るべきと事前に連絡を受けていたので、18時過ぎに那覇新港へ。代金を支払い、帰りの航空券を提示した。旅客ターミナルには売店と食堂があった。売店では土産物はあまり売っていないので、予め買っておくべきである。
IMG_0808ターミナル内の食堂で沖縄そばを食した。この手の食堂にしては値段も400円とリーズナブルで、味も上々であった。




IMG_0806
右側が那覇新港に停泊している有村産業の「飛龍」号。本来はこの船に乗る予定であったが、ドック入りのための変則ダイヤか何かで、左側の青色の船の奥に先端だけが見えている「飛龍21」号に乗船することになった。
この航路、宮古島・石垣島を経由して翌日の夕方基隆に着く。つまり一晩寝て翌朝には宮古島・石垣島に行ける訳で、これらの島々へ向かうであろう客で賑っていた。事前の情報ではすいているという話だったのだが、やはり連休のせいであろうか。
IMG_0815今回使ったのは1等船室。4人1部屋・テレビ&シャワーつきであり、今回この部屋は全ベット埋まっていた。窓には面しておらず外が見えないのだが、同室になった人の中によくこの航路で那覇と基隆を往復しているという人がいたが、普段基隆へ行くもう1隻の「飛龍」は1等船室が窓のついた部屋だとかで、今回窓のない部屋になって文句を言っていた。
定刻より少し遅れて那覇新港を出港。食堂が開いていたが既にターミナルで食べてきたので、本日はこのまま就寝。

明けて5月3日。寝ている間に宮古島は入出港したようで、フェリーは既に石垣島に向かっていた。
IMG_081810時頃、石垣島を左側に見る。デッキの上で写真撮影を頼まれることも度々であった。




IMG_082210時半頃、石垣港に入港。ほとんどの客は石垣もしくは宮古がお目当てであり、ここまでにほとんどが下船する。




IMG_0824ここで出国審査。入管職員が乗り込んできて、船のホールで出国審査である。押されるスタンプには「ISHIGAKI」の地名が入っていた。こういうときのための携帯用パスポート読み取り機なんてあるんですね。今回は石垣から乗り込んでくる団体客もいた。

今回は貨物が多かったのか、出港時間を過ぎてもコンテナの積み込みをしていて、定刻の11時45分より1時間弱遅れての出港となった。
IMG_0826ここから基隆までの6時間は名実ともに国際航路。石垣出港後の船内では免税ビールが150円で売られる。ただ、免税になるのはキリンの一番絞りだけで、オリオンビールは免税にならなかった。
IMG_0827昼食は店内のレストランで。カレーやスパゲティ・フライといった定番のほかに、沖縄そばなど沖縄航路ならではのものもある。私は中身汁定食を頼んだが、値段(700円)・味ともこの手の食堂にしてはいい感じであった。
この航路に船を就航させている有村産業、1度会社更生法の適用を受けている。そのせいか、船内サービスはかなり合理化されていて、船内のサロンなど空いていない設備が多かったし、食堂も朝昼晩各1時間のオープン、売店の品数も少なかった。接客の乗組員も数が少なく、同じ人をフロントやレストランや出国審査などいろいろなところで見掛け、なかなか大変そうだった。
午後も甲板に出て海をボーっと見ていたら、結構日焼けしてしまった。
IMG_0831
17時頃台湾の陸地が見えてきたが、遅れているせいか基隆港内に入る頃には暗くなっていた。




IMG_0833基隆ではやはりイミグレーションが乗り込んできて、入国審査と手荷物検査をする。これらを終えて初めて上陸できる。基隆の中心部から結構離れたところに停まったようで、バスで中心部のターミナルまで送ってもらえた。
今回は台湾東部の花蓮・太魯閣に行くつもりで、基隆から列車で花蓮に行く予定にしていたが船は1時間遅れ。何とか花蓮行き最終列車に乗ることができ、基隆から八堵まで通勤電車で、そこで【廾+呂】州号に乗り換えて花連へ。花蓮に着いたときには既に日付が変わって0時半になっていた。駅前でホテルを探し、就寝。
台湾観光であるが、カードリーダーを忘れたためorz、デジカメのカードに一杯になった写真を移すことができず、風景は普通のカメラで撮影。よってブログへのアップは後で・・・

(追記:2008年9月9日)こちらに書きましたが、この航路の運航会社である有村産業は更生手続廃止になり、2008年6月から運航を取り止めています。

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沖縄〜台湾旅行(1)首里・南部巡り

今回の労働節休暇は、「沖縄経由台湾旅行」に出た。沖縄から台湾へは船で渡ったのでその紹介や大陸から台湾への渡り方など整理して別のところに書くかもしれないが、とりあえずだらだらと書いてみる。

まずは5月1日。沖縄直航のフライトが取れなかったので、今回は福岡乗継で沖縄行きとなる。午前9時50分のフライトだったが、浦東空港に着いたのが8時過ぎ。浦東の朝は出国手続きがすごく込むので、搭乗手続き後すぐに出国手続きの列に並んだが、予想通りの混雑振りである。航空券に「120分前には空港に来てください」と書かれているが、ここ浦東では本当に120分前に来ておかないと精神衛生上よろしくない。並んでいてもフライト時間が近付いた人に次々と割り込まれ内心腹立たしくなり、結局精神衛生上よろしくない。出国審査を終えて搭乗口にたどり着いたのはフライト20分前。私自身も割り込みしたいところであったがグッと我慢した結果がこれである。
ゲートでまたひと悶着。同じ搭乗口を使う韓国・清州行きの団体客が大挙して遅刻したため、福岡行きの客は足止め。定刻になって漸く飛行機に乗るためのバスに乗ることができた。が、このバスもまた難あり。途中で飛行機の誘導路を横切るので、飛行機を3台やり過ごし、ここでまた10分遅れ。定刻より遅れて飛行機に乗り込む羽目になった。
乗り込んだのはいいが、飛び立つ気配が見られない。外は霧が濃いのだが、出国手続きを待っている間に他のフライトの「最終のご案内」が何度も流れていたので空港クローズではないだろう、と思ったら「空港混雑のため30分ほどお待ち下さい」のアナウンス。朝の過密スケジュールは少しでも狂うとダメージが大きいのか。
しかし30分待っても飛び立たない。乗務員が飲み物を配り始めた。そんなに遅れるのか。飲み物を配り終えたところで「空港混雑のためもう30分ほどお待ち下さい」とのアナウンス。福岡での乗り継ぎ便にはもう間に合わない。日系の航空会社で同じ会社の便に乗り継ぐのだったら着いた先で何とかしてくれるのかもしれないが、今回乗ったのは中国東方航空の便。全部自分でやらなければならないだろう。日本もゴールデンウィークの最中なので、次の便に空席があるかどうか不安である。離れたところに停まっているので、他の飛行機が浦東から飛んでいるのかどうかもわからない。
そうこうしているうちに12時近くなり、機内食が配られ始めた。まだ遅れるのか、と重いながら機内食を食べたら、「まもなく離陸します」とのアナウンス。上海時間12時半、本来なら既に到着して1時間経っている時間にようやく飛行機が動き始めた。
フライトは正味1時間半もかからない。15時に福岡空港着。福岡空港も国内線と国際線のターミナルが離れていて連絡バスが走っているのだが、開閉式のゲートが何箇所かあるし、両側が柵で覆われた道を国内線ターミナルに向かって走っていく。かなり厳重に管理されている。福岡−那覇間はANAの便を押さえていたので、窓口に行って乗り遅れたことを説明すると次の便に振り替えてくれた。
那覇に着いたのは18時。1日がかりである。
IMG_0746予約していたホテルに荷物を置き、国際通りをブラブラし、ゆし豆腐定食を食して初日はおしまい。旅行とはいえせっかくの一時帰国の機会であるから日用品とかワイシャツとか買おうとしてスーパーにも寄ってみたが、結局何も買わず。とある本を買おうとして那覇のBIBLOに寄ったら韓流関係の本や雑誌が平積みになっていてその多さに驚いたが、パク・ヨンハが表紙の雑誌が多かった。これって全国共通の傾向なのか、あるいはこの本屋の担当者の好みか?

5月2日。那覇から台湾・基隆へのフェリーは今日出航のため、沖縄滞在は今日だけ。首里城と沖縄南部を回ることにする。
まずは首里城。国際通りと交差する牧志駅からモノレールに乗り終点の首里駅へ行き、そこからしばし歩くと首里城に着く。
IMG_0747首里城をバックに、途中の池にかかっていた鯉のぼり。




IMG_0751守礼門。右側にいるのは台湾からの観光客。




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城内の説明にも中国語がある。




IMG_0762首里城正殿。建物自体は1997年に復元されたものだが、昔日の様子を跡地に再現したもので沖縄のシンボルの1つと言えよう。




IMG_0773出口前の通りに咲いていたでいごの花。デイゴを歌った歌はよく聞くが恥ずかしながらこれがデイゴだということを初めて知った。



IMG_0787IMG_0788首里城から2キロほどのところに、識名園という、1799年に建てられた琉球王国時代の王家の別邸がある。世界遺産にも指定されている。



識名園へはタクシーで向かったのだが、運転手からそのタクシーを使っての観光を勧められた。観光地間を通るバスは本数が少ないようだし、タクシーで観光地巡りをすれば確かに楽なのだが、移動の過程も旅の1つだろうと思い、丁重にお断りした。

午後は南部にある平和祈念公園とひめゆりの塔をめぐるべく、バスターミナルへ向かった。
IMG_0790バスターミナルの最寄り駅である、モノレール旭橋駅にて。わが母校の宣伝であるが、大学院の研究科名が違うのはご愛嬌か。



平和祈念公園やひめゆりの塔へは糸満までバスで行き、さらに乗り換える。糸満からのバスは13時過ぎの後は2時間ないようなので、先に平和祈念公園に行ってから逆方向のバスでひめゆりの塔に戻ることにした。

IMG_0795平和祈念公園。




IMG_0792島内の小学生だろうか、子どもたちが遊んでいた。




IMG_0793平和祈念公園の先端から見える、きれいな海。子どもたちが遊ぶ風景といい、この風景といい、静かなひとときである。




IMG_0796公園の中心には、主な戦地からの距離が記してある。



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IMG_0797ひめゆりの塔。入り口でおばあさんが花を売っていたので、それを買って献花。
敷地内に資料館があるのだが、そこで沖縄戦を経験された方だろうか、学徒隊と縁があったのだろうか、年配の方が館内をめぐりながら取材を受けていた。学徒隊の写真に知り合いを見つけたようで、指を指したりしていた。
沖縄戦を経験した人、太平洋戦争を経験した人はどんどん高齢になっていく。私が小学生の頃は、親や祖父母に戦争体験を聞くという宿題があったが、今は難しいだろう。

まだ船の出港まで時間があったので、この後玉泉洞という鍾乳洞に行こうと思ったが、時間を間違えたようで既にバスは出た後であった。同様に乗り遅れた人とタクシーをシェアし、玉泉洞に向かった。玉泉洞では鍾乳洞のほか、エイサーの実演を見物した。観光客向けとはいえ、沖縄の音楽のリズムを体で感じることができたのはよかった。
玉泉洞を出ると、もう17時。船の出航まで3時間なので、観光はここまでにしてホテルに置いてきた荷物をピックアップして港へ向かった。翌日までいれば那覇ハーリーをみることができるのだが、船が出てしまうので仕方がない。

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2005年5月1日星期日

国共会談

日付では一昨日のことになってしまったが、4月29日に胡錦涛・中国共産党総書記と連戦・国民党主席が会談をした。
当地の新聞「新聞晨報」は1面に2人が握手する写真を大きく掲載し、「60年の歴史風雨を乗り越える握手」と報じ、これに先立って行われた連戦の北京大学でのスピーチを「40分で15回の拍手」と見出しをつけていた。CCTVのニュースでは、会談中の胡錦涛の発言をかなりの時間を割いて取り上げて、会談で合意したとされる5項目を全て文字にして画面に表わしていた。午後7時のニュースは30分間ずっとこの内容だった。
特に早期統一に向けて某かの宣言が出たわけではなく、また連戦も北京大学でのスピーチで「現状維持」で早期の独立にも統一にも賛成しない立場を表明したとされる。中台の枠組みが今回の訪問で大きく変わるということはなさそうであるが、共産党と国民党の接近がこれでより白日のものになり、台湾意識が伸びてきているが大陸との経済的つながりを重視せざるを得ない今日の台湾において「大陸とパイプを築いた」国民党の評価がどうなるか注目である。

やはりこれらについて分析する能力がないのか、当地での報道がお決まりのものだったせいか、興味は今ひとつである。「台湾独立反対」「1つの中国という共同理想」などと聞き飽きた言葉がニュースで並ぶ。新聞や報道を見返して思うところがあればまた書いてみたい。

しかし連戦、野党の党首である。日本だと民主党の岡田党首に当たるのか、あるいは自民党が下野した時の党首である河野洋平氏に該当するのか。それにしては取り上げられ方が大きいのだが。

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