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七月 2006

2006年7月31日星期一

機内で決まりを守らないと・・・

 Yahoo!ニュースの中に、ロイター通信からの配信として以下のような記事があった。ロイターによる配信はこちら。(どちらもリンク切れするかも)

飛行機から強制退去の女性、理由はグッチのバッグ
16:24 JST
 [香港 31日 ロイター] キャセイパシフィック航空の香港─東京便では今月、客室乗務員の指示に従わなかった女性の乗客が、警官によって飛行機から降ろされるという騒ぎがあった。手荷物で機内に持ち込んだグッチのハンドバッグを、座席の下か頭上のキャビンにしまうことを拒否したという。31日付の香港紙、蘋果日報が報じた。
 キャセイのスポークスマンは、この騒ぎで同便の出発時刻が予定の約1時間遅れになったと説明。「当局に助けを求めなくてはなりませんでした」と語った。
 同紙によると、女性がバッグを持ってようやく機内から連れ出されたとき、ほかの乗客からは拍手が沸き起こったという。
 女性は後に謝罪し、一緒に飛行機を降ろされた4人の友人と共に東京行きの後発便に乗ったもよう。
 キャセイパシフィック航空は、ほかの便への影響はなかったとしている。

 以前書いた通り、私も今年5月に香港→上海の東方航空便に乗ったときに似たような体験をしている。近くに座っていた男性が旅行カバンを通路に置きっぱなしにし、空中小姐が何度注意しても「俺が保証するから大丈夫だ」「しまうのは嫌だ」「俺に指図するのか」と取りあわなかったのだが、その男性は結局着陸後どこかに連れて行かれてしまった、という話である。上述の記事でも「当局に助けを求めなければなりませんでした」とあるので、私のケースでもその男性はやはり当局のお世話になったのだろうか。空中小姐を軽く見たり、客だからといって尊大すぎる態度を取り挙句の果てに決まりを守らないとこういうことになる、というごくごく当たり前のことへの教訓にはなろう。
 香港で降ろされた女性の国籍は書かれていないのだが、香港にいると香港を出るときに気が大きくなって「機内では言うことを聞かなくてもいい」というマインドが醸成されるのか?

 ところで上記の記事を読んで蘋果日報のウェブサイトにアクセスを試みた。Wikipedia中文版(暫く大陸から繋がらなかったが、今日現在プロキシ経由でどうにか見ることができる)の該当記事によると蘋果日報のアドレスはここらしいのだが、アクセスできない。プロキシ経由で接続しようとしても接続がリセットされ、その後どのウェブサイトにも飛ぶことができない。香港、中国に返還されたのに「一国二制度」とやらで大陸住民の香港マスコミへのコンタクトが制限されているのか。

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2006年7月29日星期六

外灘の夜景

 ここ1週間、上海にしては珍しく遠くまで見渡せる見通しのいい天気が続いている。今週は外灘を何度か通る機会があったのだが、昼も夜も浦東側がハッキリと見えた。
 というわけで、改めて夜景を見るべく外灘に行ってみた。71番のバスに乗ると延安東路が外灘とぶつかる「延安東路外灘」まで行くことができるので、そこから外灘を北上することにした。
 去年の12月にやはり外灘を昼間に歩いているのだが、そのときの様子はこちら
Img_2421 延安東路からさらに南に数分歩いたところにある歩道橋から撮影した、外灘の夜景。「外灘の夜景」として紹介されるのはこうしたアングルが多かろう。


Img_2431 やはり外灘の夜景を楽しもうという地元の人か他所から来た人かで、夜でもとても賑わっている。



Img_2435 旧ユニオン・アシュランス・カンバニー・ビルを中心に、奥が旧上海クラブ、手前が旧日清汽船(現・華夏銀行)。「ユニオン~」の上には眺めのいいバーがあったような記憶がある。


Img_2432手前は旧・香港上海銀行(現:上海浦東発展銀行)、奥が上海税関。昼間の眺めはこちら



Img_2436 旧日清汽船(現・華夏銀行)。




Img_2438 旧・中国通商銀行(現・バンコク銀行)から上述の旧・香港上海銀行までの眺め。



Img_2439 右が上述の旧・中国通商銀行、左も中国通商銀行のビルだったらしいが今は上海海上安全管理局。中央奥にそびえ立つビルはラディソンホテル。


Img_2444 手前の旧・露満銀行から和平飯店付近までの眺め。




Img_2445 旧・露満銀行。今は中国外匯交易中心。外為取引センターである。



Img_2449 外灘の北部、旧・横浜正金銀行(現・中国工商銀行)から旧・インドシナ銀行(現・中国光大銀行)まで。奥にマル十字のネオンが見える建物は上海大厦(旧・ブロードウェイマンション)で、マル十字は製薬会社のバイエルのマークである。昼間の眺めはこんな感じ

Img_2452 上の写真を撮った場所で後ろを振り返った景色。和平飯店の新館から上海税関の時計塔までを望むことができ、これも外灘らしい景色といえるだろう。


Img_2443 黄浦江の向こう側、浦東サイドに目を移す。東方明珠も今日はハッキリと見える。






Img_2429 東方明珠から南側、金茂大厦を中心とした眺め。右側の壁面が白くなっているビル、白い部分には広告が投影され外灘を通る人たちへの宣伝となる。だが、電気の無駄使いで近々広告を取りやめるような話を聞いたことがあるのだが、まだやっているところを見ると続けるのだろうか。
 外灘のライトアップされた夜景の写真をアップしたが、一昨年や去年は昼間の温度が35度を超えるとその夜の外灘ライトアップは節電のため取りやめていたとか。今年はこれまた上海らしくなく夏とはいえそこそこしのげる日が多いので夜景を楽しむことができているのだが、そのうち節電措置が必要な日は来るのだろうか。
 先述した襄陽市場のように上海ではあちこちで街のスクラップ・アンド・ビルドが進んでいるのだが、外灘の夜景は今のところ上海の象徴として光を放ち続けている。

(追記)時間によっては花火が打ち上げられ、その煙で視界が悪くなって眺めが損なわれることがあった。折角の夜景なのだから綺麗に見えるままにしてもらいたい、と思うのだが。

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2006年7月22日星期六

BSドキュメンタリー「文化大革命40年目の証言」

 NHK-BSで今日こんな番組をやっていた。
 文化大革命期に黒龍江省でカメラマンだった人が、当時撮った写真に被写体として写っていた人を訪ね歩くという話である。この番組に登場するカメラマンの李振盛氏、文革期の写真のネガを家の床下に埋めて保存したとかで、番組では勿論宣伝されなかったがこれらの写真は『紅色新聞兵』なる写真集として陽の目を見ている。私も一時帰国時に東京駅の八重洲ブックセンターで見かけたことがあるが、批判大会での吊し上げの写真や、もっと生々しい写真が載っていたのを覚えている。
 また、李振盛氏自身もそのうち批判される側に回り、「幹部学校」で労働の日々を送ったそうだ。私は10年以上前に当時やはり下放された作家に関する作家論を卒業論文にしたのだが、「幹部学校」など懐かしい(かつて勉強したことに対してホントはこんなことを言ってはいかんのだが)言葉が頭の中に戻ってきた。
 この番組では、かつて寺を吊し上げたときに「貧困層出身だからという理由で紅衛兵が注目して寺社破壊の手引きにした」という僧侶(今は寝たきり生活)や、批判対象となった省幹部のことについてその次女(告発したのはその姉)に当時の状況を訪ねたりというもので、何かこう昔の傷口に塩を塗っているようであまりよい印象は持たなかった(李氏に対して、ではなく番組に対して)。李氏はさらに吊し上げた側(前述後者の幹部に「髪型が当時の最高権力者に似ている」との理由でバリカンを入れている)にも会おうとしたが、当時の事情を知る人から「本人たちは会わないだろう」と言われて断念している。李氏が摘発から写真のネガを守り、それを昨年世に問うた、ということでいいような気がする。それでいいとは言わないが当時は前述のように親を告発しないといけない(前述のケースは紅衛兵に脅されたとのこと)時代だったのだ。わずか30~40年前の話である。
 文化大革命、政治的権力闘争はさておき当時を生きた人たちすべてを巻き込んだ粛清運動である。今を栄華と誇る上海に暮らしているが、30~40年前はそんなだったのである。現代の上海でも、特定のウェブサイトに繋がらなかったりとか昨年4月の出来事とかで時々「これは違う」という姿を突然突きつけられる。過度に反応する必要はないが「アウェーの緊張感」は保っておいたほうがよさそうだ。
Img_2406 実は、先日上海在住の同学から「工事現場の壁から当時のスローガンが出てきている」とご教示をいただき、行ってきたのが左の写真である。「毛沢東思想」の文字が見える。今まで隠れていたのが工事で出てきたのか。謝謝同学。
 去年3月にも四川省で「文化大革命の亡霊」を見ている。我々も突然「文化大革命に出くわす」ことがあるのである。

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2006年7月21日星期五

中台貨物直行便

 昨日のことであるが、春節時の旅客便に続いて初の中台直航貨物フライトが就航した。フジサンケイビジネスアイによる記事はこちら

台湾→上海 初の直行貨物便 陳政権を押しきった「経済」 FujiSankei Business i. 2006/7/21 【台北=長谷川周人】中台を結ぶ初の貨物直行チャーター便となる台湾の中華航空ボーイング機が20日未明、上海浦東空港に到着した。直行便の運航拡大で合意した6月中旬の当局間決定を受けたもので、第1便は半導体大手の台湾積体電路製造(TSMC)が上海工場に搬入する半導体製造設備を積載した。陳水扁政権は対中強硬路線で自らの存在を誇示するが、これを企業ニーズが押し切る形で中台経済の緊密化が進んだ形だ。
 同機は台北国際空港を離陸後、ひとまず南西に飛んで香港の航空管制空域を経由して北上。同日午前1時(日本時間同2時)に上海浦東空港に到着した。
 台北~上海間は最短ルートなら約1時間20分の距離だが、台湾当局は中台「完全直行」を認めておらず、安全保障上の理由に加え、「第三地」を経由して「国際路線」と位置付ける必要があった。同機の飛行時間は約3時間だった。
 すでに3万社が対中進出している台湾企業にとって、中台直行便なら時間とコストの軽減ができる上、貨物便も離着陸時の振動による部品の破損リスクの軽減が可能となる。IT(情報技術)関連など、単位重量や単位体積あたりの付加価値が高い製品を扱う企業にとっては、中台直行貨物便のメリットは大きい。
 対外投資で中国が占める割合が7割を超えた台湾企業は、ハイテク部品を台湾で製造し、組み立てを中国に移転する分業制が主流だ。部品や生産整備の輸送ルートの確保は、対中投資案件の成否を左右する要となる。
 これに対し陳政権は対中引き締め政策を打ち出しながらも支持率低迷の中、産業界の要望にすり寄る格好で徐々に規制を緩和。認可制の直行貨物便のほか旅客便の直行拡大に踏み切ったが、政権内部には「台湾の利益を考えた主体的決定との建前だが、企業関係者など世論的には信頼回復を狙ったなし崩し的妥協と映る」(民進党関係者)との厳しい批判もある。

 地図を見ればわかるのだが、台北から香港上空を経由して上海へというルート、台北を飛び立った後で台北~上海間の距離に匹敵する距離を逆方向に飛び、香港で折り返して上海へ飛ぶ、というかなり遠回りの航路になる。実際に今年5月に上海から香港経由で台湾へ行ったが、まっすぐ飛べば上海~福岡間ぐらいの距離と疲労度で済むはずなのだが直線距離以上の長旅を強いられてしまった。
 「『第三地』を経由して『国際路線』と位置付ける必要があった」とのことだが、「別の国」と主張するのであれば直航しても「国際路線」になるのだから何でだろう、と思ったが、直航すると中国側に「国内航路」と主張される余地があるから、中国-香港-台湾と中国側から見ても「国際航路」(厳密には香港は「中国本土とは別経済地域」なのだが)になるように仕上げなければならない、ということに気付いた。自分の主張のためではなく「相手に主張させない」ということか。
 わが師匠はよく「近づく経済、遠ざかる政治」という言い回しをよく使っていた。こうした「三通」ものは「近づく経済」と「遠ざかる政治」との綱引きでその去就が決まるのだが、やはり「近づく経済」には抗えなかった、ということであろう。もっとも、今回の場合は「遠ざかる政治」ではなく陳水扁の「遠ざける政治」の目論見が叶わなかった、ということであり、「遠ざかる政治」や「遠ざかるアイデンティティ」とは違うと思う。

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2006年7月15日星期六

上海で魯肉飯と担仔麺

 上海に「伊加伊」という名前の飲食店チェーンがある。
Img_2372 陝西南路にある「伊加伊」の店構え。店頭に書かれている「魯肉飯」「台南担仔麺」の文字に、惹かれるものがある。
 メニューには、魯肉飯や台南担仔麺のほかに一品料理や盖交飯(ぶっかけご飯)・点心もある。

Img_2379 こちらは店の側面。「1+1」と「伊加伊」は発音が同じ。「高雄木瓜牛乳」の文字にも、やはり惹かれるものがある。



Img_2376 というわけで、魯肉飯・担仔麺・木瓜牛乳の「台湾食3点セット」を頼んだ。魯肉飯が5元、台南担仔麺は6元、木瓜牛乳は12元だった。甘い木瓜牛乳は奢侈品なのか。魯肉飯はひき肉がたくさん載っていたのだが、煮込み汁がもう少しあってサラッとした感じだと本場らしいのだが、と思った。しかしながら小吃としてはAcceptableな味である。もっとも、この組み合わせでは炭水化物摂り過ぎ・野菜不足だろう。
 ところでこの「伊加伊」という店名であるが、ウェブサイトで調べたところハルビンにある「ハルビン1+1食品加工有限公司」というところから商標侵害だと訴えられていたようであるが、裁判の結果「商標侵害ではない」との判決が下ったようだ。華東政法大学知識産権学院(知的所有権学科、か)のウェブサイトにある判決はこちら。また、上海市第二中級法院のウェブサイトには本件に関する新聞記事がアップされている(なぜに裁判所のウェブサイトに新聞記事が?)。上海の「伊加伊」は漢字の「伊加伊」の商標が先にありきで、「1+1」は語呂合わせで使っているだけで商標の主要部分ではないと主張し、法院もそれを認めて両者の混同は生じにくく商標侵害は生じていない、と判決を出したとのことである。
 上の写真を見ると、「伊加伊」の文字の横にマルRマークがある。この店は漢字のほうはしっかりと商標登録しているのだろうか。ちなみに写真の「伊加伊」は、襄陽広場跡の近くにある。かつての「ニセモノ市場」と商標訴訟、知的財産については両極端である。

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2006年7月10日星期一

神戸居留地

 ココログの調子が酷いようなので、写真1枚だけの小ネタを1つ。
Img_2390 日本食材店で見かけた、「神戸居留地 ACTIVE」なるスポーツドリンク。上海に来る前は東京にいたのだが、東京ではこのスポーツドリンクは見かけたことがなかった。日本では地域限定なのだろうか。
 缶の裏に書いてあるウェブサイトのアドレスは富永貿易というところのウェブサイトで、その関連会社と思しき富永食品なるところが、「神戸居留地」ブランドの飲料を販売しているようだ。2004年夏に私が上海に来た頃には久光百貨店の地下で見かけることがあったのだがそのうち見かけなくなり、最近また古北の日本食材店で見かけるようになった。ウェブサイトの「神戸居留地飲料とは」を読むと日本全国に卸しているようだが、この缶飲料には上海で初めてお目にかかった次第である。
 上海での値段は9元。中国産の缶飲料がだいたい3元程度、他方日本からの輸入物の多くが15元くらいなのと比較すると微妙な価格設定である。味であるが、ポカリスエットに近いように感じた。アクエリアスに比べるとカロリーが高いところが、ポカリスエットに似ているからだろうか。個人的には好みの味である。

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2006年7月9日星期日

襄陽市場跡

 先日閉鎖された、襄陽市場の跡地を訪ねてみた。ついこの前まであった建物に「跡」をつけて語らねばならないのは、先日までW杯で活躍していたのに直後に引退表明したサッカー選手を「日本代表」やら「~」と呼ぶようであるが、もうあの頃には戻れないのだ、という意味合いは込められていると言える。
Img_2359 淮海中路と襄陽路の交差点にあった出入り口には、一夜城よろしく塀ができていた。仮設にしては頑丈そうな塀である。



Img_2358 「あれ、ここにニセモノ市場があるはずなんだけど・・・」という会話をしているのだろうか。



Img_2357 店を閉じてしまったのはマーケットの中だけではない。マーケットを囲むように、道路に面して建っていた店も閉鎖されている。写真は淮海中路側の店並び。


Img_2356 売り尽くさなければならなかったのはマーケットの中だけではなかったようだ。写真右側の店には「最後の1日 全店2割引」の表示が見える。


Img_2354 ここにも「ヨンハ大王」があったのだが、既に解体が進んでおり「カーネルサンダースもどきおじさん」の姿はない。



Img_2364 襄陽路側の店も、全て閉店である。




Img_2361 前の記事で「襄陽市場がなくなったら、商売あがったりかもしれない」と紹介した西洋人相手のレストランも、商売を続けることなく閉鎖。入り口がやはりセメントで固められているのは、防犯対策か。


Img_2387 市場跡地の南側、南昌路の入り口には壁ができていないため、柵越えで解体の様子を見ることができる。市場跡地の西側は重機による取り壊しが進んでいる。


Img_2384 市場跡地の東側はまだ店の跡が残っているが、解体も時間の問題だろう。
 更地にした後はデベロッパーによる開発が行われると言われており、ホテルやマンションができるとの話があるが実際にはどのように姿になるのかはまだ想像できない。地下鉄の駅がここにできるので、それを通じて人を呼び込めるようにするのだろう。
 こうして「ニセモノ市場」は消えていき、歴史の1コマとなるのであろう。

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「文明服務」

 少し前の話だが、とある都市に出張に出る機会があった。その帰りのこと。
 中国で国内線の飛行機に乗る際には、チェックインと手荷物チェックの間に身分証明書などをチェックする場所があり、ここで身分証明書(外国人の場合はパスポート)・航空券・搭乗券を提示し、本人かどうかチェックする。外国人にとっては、国内線でもパスポートチェックがある、と考えればよいだろう。
Img_2219 出張帰りに並んだパスポートチェックの窓口には、「文明服務示範通道 civilized service model channel」の表示があった。では他の窓口は「文明服務」じゃないのか、「civilized sevice」じゃないのか、と突っ込みを入れたくなる。他の窓口で「非文明的」な扱いを受ける、というわけではないだろうが・・・そもそも「文明服務」が当たり前でないといけないのだが。
 この他にも、中国では都市によってバスやタクシーの窓に「文明先鋒号」「文明礼貌号」と書いたものを見掛けることがある。じゃあ他のタクシーやバスは「文明先鋒」ではないのか、とやはり突っ込みを入れたくなる。こんな表示は、サービスを行っていても一部の窓口や数台のみが自らが認める「文明服務」レベルであって他はそうでないと言っているようなものだが、全てが「文明服務」レベルになるのは時間がかかるのだろうか。
 上海では、このような表示は見かけないような気がするのだが、どうだろうか。もっとも、「文明礼貌」ではないケースにも多々出くわすのが、残念ながら現実である。

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2006年7月7日星期五

「右見て、左見て」だと・・・日中比較考

 日本と中国の交通事情について、もう1つ。
 日本だと、小さい頃から道路を渡る時には「右見て、左見て」渡りましょう、と言われていたはずだ。「左右を良く見て」と言われても、一方通行でもない限りまず右側を見て安全を確かめるだろう。
Img_2350_1 左側通行の中国で同じことをやり、右側を見て安全を確認したつもりで前へ進むと、左から来た自転車とぶつかることがあるので注意。

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2006年7月1日星期六

青蔵鉄道開通

 今日のニュースで、チベットのラサに向かう青蔵鉄道が今日全面開通したことが報じられていた。
 今までは青海省・西寧からゴルムドまでが開通していたが(西寧へは蘭州から鉄道が通っている)、その先チベット自治区のラサまで約1,150kmの工事が終わり、今回の開通となったものである。
 ゴルムドでの開通式典の様子は当地のニュース番組で度々取り上げられ、胡錦濤国家主席はその演説の中で「中国の現代化における成功だ」と述べていた。チベットはもともとチベット族が多く住むが、文化大革命で「中国化」が一層進められ、歴史的・民族的に微妙な影を落としている。青蔵鉄道の開通は何としても「中国の成功」としておきたいことだろう。事実、青蔵鉄道は今まで鉄道のなかったチベット自治区にとって初めての鉄道路線となり、これにより国内他省とのつながりを強くする可能性がある。
 それはさておき、青蔵鉄道の車輌にはこの地域ならではの特徴がある。ニュースを見たところ新しい客車だから内装が綺麗なのは当たり前で、硬座も10年以上前のそれとは隔世の感がある。それだけでなく、最高で標高5,000m以上のところを走るわけだから、車内に酸素吸入装置が設けられているなどの高地対策が施されている。映像では車内でチューブを鼻に入れて寝台車に乗っている人の姿が報じられていた。その他紫外線対策がされており、更に気密性を保っているため車内は禁煙だそうである。喫煙者にとっては厳しいですね。人民網日本語版による車内紹介の記事はこちら
 食堂車の様子も放映されていたが、高地では水は100度以下で沸騰するのだから米を炊くのは大丈夫なのだろうか。あるいは、強火と油を使うコテコテの中国料理を出すのだろうか。
 北京からラサまで48時間、運賃は北京-ラサ間で軟臥下段が1262元、硬臥下段が813元、硬座が389元だそうだ(サーチナによる説明)。10年以上前に北京から桂林まで硬座に乗って2泊3日過ごしたことがあるが、さすがに着いたときにはぐったりだったのを覚えている。話のタネに乗るにしては厳しいものがありそうだ。
 北京からの便は毎日運行で、その他の成都・重慶、蘭州・西寧からの便は隔日運行だそうだ。

 今日は香港返還9周年だったのだがこの件があってかあまり話題にならず。それよりも中国共産党結成85周年とかで、「偉大なる将軍様」から祝電が届いたことやそれにまつわる書籍が人民出版社から出たことがトップのフラッシュニュース(新聞要聞)で取り上げられていた。来年は香港返還10周年・結党86周年ということか。

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