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2006年8月29日星期二

海外で学ぶということ

 今般「ここ」の「こういう制度」を利用して、「学士(商学)」の学位を戴くことができた。
 だいたい学士というのは大学を卒業して戴くものなのだが、学校教育法改正により同法第68条の2を根拠に1991年に「ここ」が開設され、学位を授与することができるようになった。これにより、高専・短大・専門学校を卒業した人や大学で一定の学修を行った人がその後専攻科や大学等で学修を重ねることにより、「こういう制度」を利用して「ここ」から学士の学位を戴くことが可能になったのである。
 去年10月の「とある試験」は積み上げ単位の修得試験、今年3月に在留証明を取った「とある事情」はこの試験のため(海外在住なので日本には住民票がない)、6月に受けた「とある試験」はこの試験本番である。海外から取得にチャレンジする人は少ないと思うが、「ここ」のQ&Aに「外国からの申請」について質問が出ているから、私の他にもいることはいるのだろう。

 ところでこの「『ここ』の『こういう制度』」、繰り返すが日本の制度である。私はこれまで海外の学校で学んだことはない。比較的留学生が(行く人も来る人も)多いところに身を置いていたことがあるので留学自体は身近に存在していたが、そうした路を選ばずにここまで来ている。
 上海にいると中国に留学していた・いる人に多数お目にかかる。一旦日本で働いてその後一念発起して留学した人、日本の学校を休学して留学した人、進学先として中国の学校を選んだ人など、経緯は人それぞれである。日本人ばかりでなく留学経験のある欧州人にもお目にかかることがあるし、HSKの会場では日本人並みにあるいはそれ以上に韓国人留学生を見かける。中国語を中国語で学ぶ、経済なり歴史を中国語で学ぶ・・・母国語でない言葉で新しいことを学ぶというのは簡単ではないと思う。
 留学後母国に戻り学んだことを活かし、あるいは心の糧にしてキャリアを積む人、中国に残りキャリアを積む人、一旦母国へ戻りまた中国へやってくる人など、その後の生き方も様々である。留学しただけでその先が開けるということでは必ずしもないと思うが、「海外で学ぶ」という選択をしたということは多くの場合「自ら図り」「一歩踏み出す選択をした」といえるのではなかろうかと思う。それに、留学するということは独特の経験を積み、視野を広げる良い機会なのではとも思う。
 私自身は前述の通り海外で学舎に身を置いたことはないのだが、その代わりというわけではないが住む先々で楽しみを見つけ、経験を積み視野を広げ、ささやかながらもユニークな生き方をしたいものである。

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