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十月 2006

2006年10月26日星期四

銀聯カード

Img_2764 殆どの中国のキャッシュカードにはこの「銀聯」マークがついている。2002年に「中国銀聯」が銀行間の決済を担う会社として政府主導で設立され、今では中国・香港・マカオの銀行がこの中国銀聯のネットワークに加盟しており、中国で発行されるキャッシュカードの殆どにこの銀聯ブランドが付与されている。これら銀聯マークが付いたキャッシュカードはまとめて「銀聯カード」と呼ばれている。
Img_2765 中国のATM。やはり銀聯マークがついており、銀聯カードが使える、つまりたいていの銀行のカードが使えることがわかる。但し、他行のATMで現金を下ろすときは日本同様に手数料を取られる。





 この銀聯カードであるが、最近は日本でも使える場所が増えてきている。まず「お金を引き出す」キャッシュカードとして、日本の金融機関のATMで銀聯カードを使って日本円の現金を引き出せるところが増えてきている。郵便局・シティバンク銀行・東京三菱UFJ銀行(まだ旧UFJ銀行のATMのみらしいが)などで使うことができる。
Img_2654Img_2655 写真はシティバンク銀行のATM。郵貯や都銀・地銀ネットワーク、PLUSに加えて銀聯カードのマークがしっかり入っている。
 先日の一時帰国時にここで3万5千円(千円札が欲しかったのだ)を引き出したが、後日上海に戻ってから記帳したら、1元=14.74円で換算されていた。現金で両替すると(そもそも日本では人民元を両替できるところは少ないのだが)もっとスプレッドを取られることを考えると銀聯カードで日本円を引き出せるというのはお得でもある。
 次にデビットカードとしてであるが、家電量販店などいろいろなところで使えるようだ。検索サイトで「銀聯カード」と入れて検索すると使える店の名前がぞろぞろと出てくる。以前の帰国時に、ヨドバシカメラで銀聯カード使用可の表示を見つけたことがある。日本人がおもむろに銀聯カードを出したら不思議がられるかもしれないが、機会があれば試してみたい。
 このように、銀聯カードは日本でも使えるようになっている。先述の通り両替するよりはお得だろうし、中国で働いて人民元をがっつり貯め込んだ人もこれで帰国時・帰国後に困ることもなく、日本円で引き出したりデビットカードとして使ったりして人民元を使うことができる。
 10数年前まで兌換券が流通し、つい最近までは旅行ガイド本に「人民元は日本では両替できないので中国の空港で両替しましょう」と書かれ、両替できても多額のスプレッドを求められていたことから考えると、人民元も随分メジャーになったものである。

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2006年10月23日星期一

雁湯路でカレーを食す

 淮海路散策の後、南北高架路の西側にある雁湯路へと足を向け、脇道にそれることにした。
Img_2825 雁湯路。歩行者天国のようになっているが、雨上がりのせいか人が少なかった。淮海中路との交差点に始まり、南昌路との交差点を経て復興公園に向かう200メートル程度の短い道路である。


Img_2826 ライトバンの後部を改造して営業しているジューススタンド。




Img_2833Img_2839 通りには様々なレストランがあり、建物の概観とあわせて洒落た雰囲気である。値段はローカル系より高めの店が多そうである。


Img_2840 南昌路との交差点にある、かつての中華職業教育社。今でもその関連の機関が入っており、その他ブライダル写真の店などが入っている。





Img_2834 この雁湯路に、「明治館」という名前のカレー屋がある。店の移り変わりが激しい上海では老舗の部類に入るようだ。



Img_2837 ここでカツカレーを食した。日本のカレー屋と変わらない味である。値段は29元とローカルな昼飯より高めであるが、これならいいだろう。

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淮海路を歩く(1)-4 思南路から南北高架路まで

 前回の続き。
 淮海中路小学を見ているうちに雨が降ってきて、次第に大降りになったのでしばし雨宿り。しかしひとときのことで雨は止んだので、再び淮海中路を東へ向かって散策することにした。
Img_2799 賑やかな淮海中路の裏には、昔ながらの建物が残っている建物がまだまだある。甲子園球場よろしく草が絡まったビルは、かつての泰山公寓。1930年できとのことで、今は研究所やそれに付属する生涯学習施設、旅館になっている(淮海中路622弄)。




Img_2802 雨上がりの淮海中路。




Img_2805 しばらく歩くと、華亭伊勢丹が見えてくる。日系デパートであり靴や洋服は結構高いのだが、日本語を話せる店員は殆どいない。1993年オープンとのことで、上海の外資系デパートとしてはやはり老舗のほう。南京西路x江寧路にも伊勢丹がある。




Img_2811Img_2813Img_2814 華亭伊勢丹は現代的な建物だが、その向かいにはやはり民国期の建物を使った社区がある。旧飛龍大楼という名前で、1922できとのこと。中は普通の社区のようだが、入り口にはローカル料理店や理髪店などがある。入り口には「持高旅館」(一瞬「特高旅館」などと物騒な名前に見えてしまった)の看板と、人民代表大会代表選びにまつわるスローガンが貼ってあった。
Img_2818 再び淮海中路のブランドショップを横に見て歩く。




Img_2829 「上海鐘表商店」という名の時計屋。いかにも上海を代表しているぞと自慢したげな門構えに見えた。



Img_2822 その向かいには旧楊氏公寓と、




Img_2823 上海市婦女用品商店が、雁湯路をはさんで建っている。いずれも民国期からの建物である。上海市婦女用品商店の向こうが南北高架路との交差点である。
 雁湯路でカレーが食べたくなったので、今回の淮海路散策はここまで、「その(2)」はそのうち。地下鉄の駅にして2駅足らずの散歩であった。
 こうして歩いてみると、淮海中路はかつてのフランス租界の雰囲気を今に残し、またその雰囲気を街並み作りに活用していると言えよう。また、表通りの裏にも民国期の建物を使った社区や施設が多数残っており、こちらも民国期の片鱗を感じさせてくれる。

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2006年10月22日星期日

淮海路を歩く(1)-3 孫文ゆかりの地?-淮海中路小学-

 前回の続き。
Img_2791 淮海路x思南路の交差点を過ぎてしばらくのところに、「淮海中路小学」の看板を発見。中へ入ってみると・・・






Img_2787 中には小さな、しかし個性を発揮している建物が建っていた。




Img_2795 建物にはレリーフが埋め込まれており、孫文が1918年~25年の間ここに住んでいたと記されている。1918年~24年といえば孫文の晩年、日本から帰国して、第1次国共合作をまとめ、病に倒れるまでの期間に当たる。そう書かれると、改めてこの建物を見ると民国期初期に思いが至り、ノスタルジックな気分になる。
 しかし、別に「孫中山故居」という場所がちょうどこの略真南、思南路x香山路にあり、そちらのほうが有名である(リンク先はWhenever上海より)。そことの関係は如何に?孫文に詳しい同学、教えてください(私も調べます)。
Img_2789 上の建物の写真右側から後ろ(つまり淮海路側)を振り返る。淮海路と小学校を遮っている建物をバックに「先生を敬い、規律を守り、勤勉であり、向上を目指そう」というところか。「尊師」という表現、以前大理の学校でも見かけたがやはりこれが本来の使い方だろう。

Img_2790 少し引いたところから撮影。手前にバスケットボールのコートがとれるスペースがあり、ゴールが前後2箇所に設置されているが、これが校庭の殆どである。コンクリート敷きであることを考えると、学校としてはちょっと寂しい。

 淮海路を歩いて思わず孫文に思いを馳せることができた。今更ながら孫文をもっと知りたいという気になったし、孫文の上海における歩みについても、この小学校と孫中山故居の関係も含めて学んでみたい。

(追記)孫中山故居にも行ってきました。その様子はこちら

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2006年10月21日星期六

淮海路を歩く(1)-2 一歩入れば・・・

 前回の続き。
Img_2781 淮海中路x茂名路を過ぎたあたりから、ファッションブランドの店やレストランなど、賑わいを演出する店が軒を連ねるようになる。変わったところではソニーのショールームもあったのだが、工事中であった。

Img_2782Img_2786 淮海路はかつてのフランス租界を横切る道路である。並んでいる建物は必ずしも民国期のものではないのだが、淮海路の建物はこうした雰囲気を尊重したものが目立つ。

Img_2779 淮海中路x茂名路から淮海中路x思南路に向かう途中にある建物。通りに面したところはやはりいい雰囲気を醸し出しており、建物の中にはブランドショップが入っている。
 写真やや右側に「人民坊」という表示があり、中に入ると・・・

Img_2777Img_2778 裏にはゆっくりと歴史が流れていそうなコミュニティ(社区)があり、上海人の普通の生活が営まれている。淮海路沿いの賑わいとは対照的である。「人民坊」と書かれた門は、コミュニティへの入り口だったのである。
 淮海路にはここ以外にも、店が軒を連ねる中にこうしたコミュニティへの入り口があるところがあちこちで見られる。上海のあちこちで高層オフィスビルの建設や新規事業が進み、それに伴い古くから住んでいる人が立ち退きを余儀なくされるケースが多々見られ、こうした例は淮海路でも西の果て-淮海西路ではかつて見たことがあるのだが、淮海中路ではいまのところ古くからのコミュニティが生き延びているといえよう。今後こうしたコミュニティがどうなるか、いい雰囲気を出している淮海中路の建物も変わっていくのか、注目である。

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淮海路を歩く(1)-1 常熟路から陝西路へ

 上海のことに話を戻そう。
 上海のメインストリートと言えば、上海の浦西側を東西に走っている、南京路と淮海路の名が挙がることに異論はないだろう。それぞれ平行に走っており、北に南京路、南に淮海路という感じである。
 時折雨も降る曇り空だったが、今日は淮海路をぶらぶらと歩くことにした。
 淮海路は淮海東路・淮海中路・淮海西路に分かれているが、その中で最も賑やかなエリアは淮海中路といえよう。今日は淮海中路を、常熟路との交差点から東に向かって、つまり外灘に向かって歩いた。

Img_2766Img_2767 淮海中路x常熟路から淮海中路x襄陽路までの間は、まだ賑やかとは言えず、一般の民家や商店が並んでいる。それでも洋服の仕立て屋や家具屋などが軒を連ね、これから先の賑やかな淮海路への繋がりを感じさせる。
Img_2769 淮海中路x襄陽路。以前紹介したが、襄陽市場の跡地はまだ外壁で覆われている。相変わらずこの辺りを通ると「時計、カバン」と声を掛けてくる人がたくさんいるし、路上にはアクセサリー等を歩道に並べて売っている人がいるのだが、それだけがかつての襄陽市場の名残だろうか。
Img_2771 パークソン。中国語では「百盛」。かなり早くから店を構えているデパートである。






Img_2773Img_2772 パークソンの下にはマクドナルド=麦当労が入っており、またその向かいにはスターバックス=星巴克がある。いずれもアメリカ資本主義の産物だが、今や上海のみならずとりわけ麦当労は中国各地で見ることができる。
 麦当労はセットメニューが20元前後、星巴克のコーヒーはたいていのものは20元以上するのだが、どちらも賑わっている。上海ではもはやこれらを贅沢とは思わない人が増えているのだろう。麦当労は、朝行くと「朝マック」を堪能している年配の人が多いのが印象的である。かつて食べられなかったものを朝の散歩や太極拳の後で堪能する、ということか。
Img_2774 パークソンから3分くらい、淮海中路x茂名路の交差点にある映画館。DVDがたくさん売られ、しかも封切り直後に売られる中では映画産業も大変だろう。本当はそれではいけないのだが。

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門司港(2)

 前回の続き。
18480026 門司港駅の南、駅から5分ほど歩いたところに九州鉄道記念館がある。館内には九州の鉄道事業の歴史に関する展示がある。



18480019 建物の外には、かつて活躍した機関車・列車が展示されている。写真は蒸気機関車2台。手前が9600型、奥はC59型。



18480025 キハ07型気動車。やはり鉄道といえば旧国鉄カラーですね。




18480022 EF10型電気機関車。かつて関門海峡を走ったそうだ。




18480015 九州鉄道記念館を出て、再び門司港駅に向かって歩く。写真は旧門司三井倶楽部。かつて三井物産が建てた社交場で、今はレストランと林芙美子に関する展示になっている。

18480016 前述の通り門司港は「バナナの叩き売り」発祥の地だそうだが、それに関する記念碑もある。横の喫茶店に書いている「珈琲&挽き売り」が「珈琲叩き売り」に見えてしまった。


18480013 反対側の下関にも渡ってみることにした。下関まで渡船で5分の船旅である。



18480011 渡船を降りてすぐ、目の前に見えるのは下関南部町郵便局。1900年できの現存する日本最古の現役郵便局。



18480010 南部町郵便局の隣には、やはり時代の雰囲気を醸し出す旧秋田商会ビルがある。今は下関観光情報センター。



18480008 歩道橋の上から、この2つの建物を臨む。




18480007 旧下関英国領事館が、国道に面したマンションの下にひっそりと建っている。



18480002 これら明治期の建物から10分ほど東に歩くと、春帆楼という宴会場・レストランがある。この中に、下関条約の会見場を再現した展示のある日清講和記念館がある。



18480004 春帆楼に通じる細い道はかつて講和交渉に臨む李鴻章が往来したとかで、「李鴻章道」と名づけられている。今はごく普通の、民家の間を縫う狭い歩道。


 日本の中で比較的早いうちに欧米との接触があった門司港・下関では、往時の様子を伝える建物が残されているのである。

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2006年10月19日星期四

門司でもニセモノ

Img_2685 門司港訪問時に訪れた、旧門司税関にて。「カスタム君」だけではなく税関の展示コーナーがあり、麻薬はダメとかコピー商品・偽物の輸入はダメという展示をしている。
 写真はその1例。ナイキマークにグッチ?デザインの靴なんかあるわけないだろう。こんな靴を日本でどうするつもりだったのだろう、売るつもりだったのか?
 今は亡き襄陽市場においてありそうな品物である。根っこのところは一緒なのだろう。

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2006年10月14日星期六

門司港

 今回の日本帰国では所用で福岡にも滞在したのだが、半日時間があったので門司港へ足を伸ばしてみた。
 関門海峡を臨む門司港はかつて国際貿易の拠点として繁栄しており、当時の建物が多く残っている門司港駅周辺の街並みを「門司港レトロ」として観光地として売り出している。

Img_2668 門司港駅。1914年にできた建物で、国の需要文化財。駅前の噴水は特に池があるわけではなく、地面から突然水が噴き出してくる。


Img_2672 旧大阪商船。1917年できの建物で、かつては大陸航路(中国・韓国向けか?)の待合室だったそうだ。2階には小倉育ちであるわたせせいぞうの作品が展示されている。


Img_2673 奥のビルディングは門司港レトロ展望塔。
 手前の洋館は旧門司税関。1912年できだそうだ。






Img_2683 展望台の上から見た、関門海峡と関門橋。写真には写っていないが外洋を航行する大型船もここを頻繁に通っており、潮流が早く、しかも度々流れを変える関門海峡は難所の1つだそうだ。


Img_2674 旧門司税関の前を、観光用の小型船が通っていく。




Img_2679 国際友好記念図書館。北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して建てられた洋館で、こちらは最近の建築。中には中華料理のレストランもある。


Img_2676 船だまりの土産物屋街で見つけた、「バナナマン」の像。なぜこんなものがあるのかと思ったが、門司は「バナナの叩き売り発祥の地」なのだそうだ。輸入したバナナのうち、積み地からの航海中に傷ついたり熟したりして売り物にならなくなったものを叩き売りしたのが起源だそうだ。



Img_2684 こちらは全国共通?税関のキャラクター「カスタム君」。旧門司税関にて。単なる犬?のぬいぐるみにしか見えないが、麻薬探知犬がモデルなのか?





Img_2688 上海の外灘同様、今でも使われている建物もある。写真は山口銀行門司支店。



 ここでデジカメの電源が切れてしまいorz、慌てて使い切りカメラを購入。続きは後程。

 洋館が並んでいる風景は、さながら上海の外灘のようである。門司港は1889年に特別輸出港に指定されたのを期に外国との往来が盛んになり、時期は違えどその国の中で早いうちに近代欧米との接触があった、というのが上海との共通点だろう。

参考ウェブサイト:門司港レトロ倶楽部

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2006年10月7日星期六

上海の秋空

 日本へ向かう前、9月末の上海は涼しく過ごしやすかった。日本へ降り立ったとき、日本のほうが暖かいと思ったくらいである。日本では人に会うたびに「今は日本のほうが暖かい」と言い続けてきた。
 ところが、上海に戻ってきてから昨日今日と汗ばむ陽気である。バスで流れていた天気予報では今日の最高気温は28度と報じていた。半袖半ズボンでも昼間は充分過ごせるくらいである。
 7連休最後となった7日は、特に何をするでもないが福州路に足を運んだ。
Img_2704 アパートの窓から五星紅旗を揚げている。これだけ赤い旗がたなびいていると、さすがに目立つ。






Img_2703 昼間は暑かったが、空を見上げると秋の空である。



Img_2698(追記)上海書城前にて、花売りならぬ花のマスコット売り。対象は誰なのだろうか。

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国慶節休暇

 恒例の国慶節休暇、今年は10月1日~7日が連休である。
 今年も昨年同様、国慶節休暇を利用して日本に一時帰国していた。早めに休みを貰って9月29日に日本に帰り、昨日(10月6日)に上海に戻ってきた。天候があまりよくなく、日本の秋を満喫とは必ずしもいかなかったのが残念である。海難事故や遭難がよく報じられており、とても心配である。
 今回日本でしたことは・・・

・同学・友人と飲食x3
・出身大学で柔道の稽古
・日本の書籍・CD・DVDをまとめ買い
・某所での研究ネタ仕入れ 完成にこぎつけるのは難しいか・・・

等々。これでは昨年と大して変わらないか。あと、

・iPod nanoを購入
・滞在中、TVや駅のポスター、雑誌の表紙で釈由美子をたくさん見かけた。タイミングのせいか?流行っているのか?
・小西真奈美って流行ってる?同様に中吊りや駅の広告でよく見かけた。
・『ヨンエの誓い』なる本を発見。NHK出版からだが、タイトルが安易だなぁ。でも購入。
・久々に発泡酒を飲んだ。すっかり中国でビールを飲み慣れていたので、久しぶりに飲んだ味は・・・あと、「その他の雑酒」を初めて見た。
・いつものことだが日本にいるとインターネット接続が早く、繋がらないウェブサイトもないし、快適。

 ある若いサッカー選手がオランダのチームを退団して帰国したときのコメントが、ホームシックを吐露して「6月に日本に帰った時に、日本が恋しいと思った。」とか(スポニチアネックスより)。飛行機で成田まで3時間足らず、九州だと1時間と少しでちょいちょい帰れる上海と10時間以上かかるオランダとでは条件が違うだろうし、いち勤め人とプロスポーツ選手とでも条件は違うのだが、まとめて日本に滞在していると特にこれというわけではなくても日本にいて「ほっとする」ことがあるのは確かであるし、私もそう思うことがある。やはり今までの人生の大半を過ごした場所への愛着がわくのは当然だろう。(もっとも私の場合「ネットが快適」だの「日本の民放が見られる」など俗物的なことが多いのだが・・・)
 しかしながら、移り住んだ先で楽しみを見つける、というのもこれまた一側面だと思う。私はもうしばらく上海か中国のどこかにいるのだろうが、このことを心に銘じておきたいと思う。

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