« 十月 2006 | Main | 十二月 2006 »

十一月 2006

2006年11月26日星期日

上海蟹が世界を滅ぼす?

 上海の秋の味覚として有名なのが、上海蟹である。この時期に上海にやってくる人の中には「上海蟹を食べたい」と言ってくる人も少なからずいる。それだけ「上海蟹」という名前は日本でも有名なのだろう。
 上海蟹は上海の郊外、陽澄湖で育ったものが良品とされ、高値で取引されるらしい。そのため、他所で育ったものを陽澄湖産であると偽って売り込むケースが後を絶たないとかで、正規の陽澄湖産のものにはタグがつけてあるとも、甲羅にレーザー光線で印をつけているとも言われている。
 上海蟹の味覚を表した言葉に「9月の雌、10月の雄」というのがあり、旧暦の9月は雌が美味しく、10月は雄が美味しいとのことである。これは旧暦を踏まえた表現のため、現在の暦では10月が雌の、11月が雄の季節ということになる。
 ところで上海蟹、学名はチュウゴクモクズガニという名前なのであるが、この上海蟹が世界の生態系を乱しているとの指摘がなされている。まずは毎日インタラクティブから、こちらの記事。

上海ガニ:後絶たぬ持ち込み 生態系乱す恐れ…2月から輸入禁止 /千葉
 ◇東京税関成田支署、パンフなどで呼び掛け強化へ 旅行客の土産、税関で任意放棄
今が旬で、フカヒレやスズメの巣と並んで中華料理の高級食材として名高い上海ガニ(チュウゴクモクズガニ)。日本の生態系をかく乱するおそれがあるとして2月から持ち込みが規制されているが、成田国際空港では旅行客が土産として持ち込むケースは後を絶たない。東京税関成田支署は、パンフレットやポスターなどで、今後さらに呼び掛けを強化する方針だ。  
同署によると、上海ガニは2月、環境省に外来生物法に基づいて特定外来生物に指定され、事前の届け出がない場合は原則輸入禁止となった。上海ガニを持ち込もうとすると、税関検査場で任意放棄することになる。  
ここ数年、上海ガニは中国、上海便の旅行客が土産として持ち込むケースが増加。表にカニの絵柄が印刷された箱や発泡スチロール製の箱に入れてくるなど、旅行客も知らずに買ってきたのがほとんどだという。10月に13件212匹、11月は12日までの間に17件261匹が任意で放棄された。  
規制は、あくまでも国内での繁殖を危惧(きぐ)するための措置であり、既に死んでいる上海ガニの持ち込みは同法の適用外となる。同省成田自然保護官事務所によると、生きた状態で持ち込みしようとしている以上、結果的に死んでいても任意放棄することになるという。同所の担当者は「手荷物の段階で逃げ出すことも想定され、それを防ぐため」と説明する。【柳澤一男】 毎日新聞 2006年11月24日

 さらに、中国情報局の記事はこちら

上海ガニ:欧州で大繁殖、生態系の脅威に

 上海ガニがエルベ川など欧州各地の河川で大繁殖しており、現地の生態系にとって脅威となっている。2日付で環球時報が外電を引用する形で伝えた。
 問題となっている上海ガニはもともと中国の長江下流で生息していたが、欧州に向かう貨物船に積まれたバラスト水に混入していたものと見られる。雑食性で生命力が強いことから現地の生態系にとって脅威となっている。ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州では淡水の水揚高が以前の半分となってしまった。
 ハンブルク大学の生物研究者は「上海ガニは今後数年間で西欧の全ての河川や港湾で見られるようになるだろう」「厳しい措置をとらないと上海ガニを絶滅させることができなくなる」と警告を発している。
 欧州では上海ガニを食べる習慣がないが、在住している中国人やベトナム人のために毎週200キログラムもの上海ガニを捕獲して、スーパーマーケットやレストランに出荷する漁師も現れたという。(編集担当:菅原大輔)

 上海蟹がその土地の生態系を乱している、あるいは乱すおそれがあるという記事である。
 貨物船が貨物を積んでいないとき、あるいは貨物を積んでいてもバランスを保つ必要があるときに、海水を船内のバラストタンクという場所に取り込むことで船のバランスを取ったり、船のプロペラが水面上で空転するのを防いでいる。上海で取り込んだバラスト水に上海蟹やその卵・幼生が含まれており、欧州側で貨物船が吐き出したバラスト水とともにこれらが吐き出されかの地で繁殖した、とされている。ただそれだけなら「ヨーロッパでも上海蟹が食べられていいね」ということになるのだが、事はそう単純ではなくこの上海蟹ことチュウゴクモクズガニの繁殖力がかの地の他の生物よりも強く、かの地の生態系を乱すという問題を起こしているとのことである。日本でアメリカザリガニやブラックバスが繁殖しすぎて生態系を乱しているとされているのと同じことである。
 このため上海蟹ことチュウゴクモクズガニは中国料理店以外では歓迎されていない。日本では上海蟹は「特定外来生物」(リンク先は日本の環境省のウェブサイトより)に指定され、生きた上海蟹は事前の届け出なしでは輸入禁止となった。上海で生きた上海蟹を買って日本に持ち帰ろうとしても税関検査場で見つかり次第任意放棄させられる、とのことである。
Img_2991  写真は浦東国際空港のカウンターにて。航空会社が上海蟹の持ち込み禁止を訴えている。「機内手持ち」というのは所謂機内持ち込みのことだろうが、それだけではなく預けるのも駄目なのだが、もっとも預けると貨物室で死んでしまう可能性が大きいのだろう。

 ところで上海蟹、足は細くて食べられるところは少ないし、食べるのも何かと面倒である。やはり足にたっぷりと身のついた日本の蟹をいただくのが美味しいと思うのだが、如何でしょうか。

(追記)trackback for 中国見聞録 上海駐在生活日記: 3年目の上海蟹。私の場合、上海蟹は外食先でオーダーするなど限られた場面でのみ食しているので、なかなか自分で積極的に、とはなっていない。

(さらに追記)アメリカでは、船舶が領海内に入る前に公海上でバラスト水を入れ替えることが求められるとか。「自由な国」の閉鎖的な一面ともいえるが、「公海の生態系」は考えなくてよいのだろうか。

| | Comments (4) | TrackBack (2)

2006年11月24日星期五

中華年記念音楽祭

 先週土曜日(18日)深夜のことであるが、何気なくテレビのチャンネルをあちこちつけていたら、鳳凰電視台に日本のNHKで見たことがあるアナウンサーが映っているのが目に停まった。気になったのでそのまま見たところ、横浜で行われた『中華年記念音楽祭』の番組だった。
 なぜに「中華年」?と思ったが、調べてみると2007年は日本で「第九回世界華商大会」なるイベントが開かれるとかで、それにあわせて来年を「日本中華年」にして様々なイベントを開くのだとか(第九回世界華商大会の公式ウェブサイトはこちら)。この『中華年記念音楽祭』は、そのキックオフとしてのイベントだそうだ。
 ちょうど番組が始まるところだった。前述のNHKのアナウンサーは佐藤充彦アナウンサー。その他に中国中央電視台(CCTV)の男女アナウンサー(このうち女性が流暢な日本語で進行役を勤めていた)と鳳凰電視台の女性アナウンサーの4人が司会を務めていた。「中華」なのに台湾はナシか、と思ったが、台湾の元行政院長である蕭萬長が、世界華商大会組織委員会の名誉主席とかでコメントを寄せていた。
 このイベントには日本と中華圏の歌手が参加していた。日本からは元ちとせ・ゴスペラーズ・中孝介・w-inds、中国からは阿宝・吉祥三宝・韓雪、台湾からは王心凌・S.H.E・周華建が参加。歌手は台湾からも来ていたし、結構大物も参加しているのである。
 中国の3人のうち阿宝・吉祥三宝は「いかにも中国」という感じの歌。どちらも初めて見た。後者は内モンゴルの夫婦とその姪の3人組で、家族をモンゴルの自然に喩えた掛け合いの歌がヒットしているそうだ。王心凌が披露した『睫毛弯弯』も中華テイストな曲だし。韓雪は中島美嘉の『雪の華』のカバーが知られているが、この日は中孝介とのデュエットを披露していた。そういえば王心凌も『亜麻色の髪の乙女』をカバーしている(番組では放映されてなかったが、このカバー曲『月光』も歌ったようだ)。
 元千歳=元ちとせは中国語でトークをしていたが、会場には中国語ネイティブの人はどれだけいたのだろうか。
 聖堂教父=ゴスペラーズの参加は事前には知らされていなかったようで、スペシャルゲストとしての扱いのようだ。去年上海でコンサートをしている。
 番組ではw-indsと周華建がメインの扱いのようで、この2組は2曲、他は1曲ずつ放映されていた。w-inds、「女性に大人気」とアナウンサーに紹介されていたが、中国語の字幕が「少女殺手」=少女キラーになっていた。3人が大人になっていて、真ん中の人の背が高くなっていたのが印象的である。会場には彼らのファンが多かったようで、この場面は黄色い声援(死語?)が飛んでいた。

 この『中華年記念音楽祭』、日本ではNHK-BS2で今年12月30日に放映するとのことである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006年11月17日星期五

続・インターネットの敵

 今週はインターネット関係のことばかり。
 私は、ブラウザーはOperaとFirefoxを併用して使っている。Operaはプロキシなしで、Firefoxにはプロキシを噛ませてネットサーフィン(死語?)をしている。
 今日はFirefoxを使ってウェブサイトやブログを見ていたのだが、あるブログを見ようと思ってリンクを押したところ・・・
Clip_image002 このような画面が表示された。アラビア語の下に「Access to the requeted URL is not allowed!」と書かれている。アクセス禁止を示す画面である。
 どこのプロキシを指定したかチェックしたところ・・・'~.sa'、サウジアラビアのプロキシだった。サウジアラビア、よく考えたら「インターネットの敵」の一員であった。Cybersyndromeのプロキシサーバー一覧で上のほうにランクされたプロキシを選んだのだが、「インターネットの敵」中国のアクセス制限をかいくぐろうとして別の「インターネットの敵」のプロキシサーバーを指定したら意味がなかろう。
 しかし、この一件が起こるまでそんなことには全然気がつかなかった。このプロキシ経由でWikipediaも含めて(アラビア語のWikipediaも)ここまで問題なく見ることができた。第一、ブロックされたブログは全然政治色もないものだし、同じ会社が提供するほかのブログは問題なく読めたのだが・・・
 サウジアラビア、そのWikipedia日本語版の「サウジアラビア」のページを見ると、「内閣も国会も存在せず、国王の命令が法律の公布と同意義になっている」とされており、イスラム教の戒律も厳しいとのことでこれが「インターネットの敵」といわれる振る舞いにつながるのだろうか。本当のところは今回以外体験していないのでわからないが。

 中国とは直接関係ないが、「インターネットの敵」つながり、ということで。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

またダメだ!Wikipedia

 ようやく見られるようになったと思って喜んでいたWikipediaだが、今日(11月17日)に改めてアクセスしたところ、日本語版はプロキシなしでは接続できなくなっていた。中文版は、プロキシを噛ませても駄目。
 あれはひとときの夢だったのか?あるいは「お試し」で開放してみたけど、あまりのアクセス振りを知ったか報じられたのを見たかでもう一度情報統制の必要を感じたのか?「ページごとの規制」に失敗したのか?
 なまじ数日見られるようになったのが報じられてまたアクセス禁止では、余計中国の情報統制が際立つと思うのだが、何か、もう・・・

 中国在住の皆さん、いかがですか?

| | Comments (4) | TrackBack (1)

2006年11月15日星期三

Wikipediaに接続できた

 昨日中国のインターネット規制について書いたばかりだが、『中国を翔ける,海外生活マニュアル』の「インターネット規制が緩和??-中国インターネット事情」に、中国からもWikipediaに接続可能になったことが触れられていた。
 試してみると、確かにプロキシを噛ませなくてもWikipedia日本語版に接続できるようになっていた。のみならず、Wikipedia中文版にも接続できるようになっていた。これは気付かなかったが、驚きである。
 試しに中文版で陳水扁を検索したら、やはりプロキシを噛ませずとも表示された。「由於近期的頻繁破壞,此頁已被半保護,匿名用戶或新註冊用戶不能編輯」=荒らしのため半保護、というのが何だか可笑しいのだが。
 ただ、「1989年6月4日の出来事」をプロキシなし/Opera8.5で検索したところ、画面が真っ白になってしまった。プロキシありはもっと性質が悪く、そのあと他のページの表示もできずどうにもならなくなってしまった。あまり悪戯が過ぎてまたアクセス不可になるといけないので、実験はほどほどにしてWikipedia本来の用途である調べものに役立てることにしたい。
 上記リンク先には、当局が「ページごとのアクセス不可」を覚えたのではとの指摘がなされているが、もしそうだとしたら他のページにアクセスできたことを歓迎すべきか、相変わらず言論統制が行われていることを非難すべきか。勿論後者なのだが。

 seesaaブログは、相変わらずプロキシなしではトップページには何とか、個々のブログにはアクセス不可のようである。復活しないかな。

(追記)ITmedia newsの記事:中国政府、Wikipediaへのアクセス禁止を緩和中国語版Wikipedia、アクセス解禁で人気爆発

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006年11月14日星期二

インターネットの敵

 先日わが部屋のADSLが繋がらなくなり、「すわ『神の手』ならぬ『お上の手』か」と一人で騒いでしまった。
 ところで、最近「国境なき記者団」なるNGO組織が、住民のインターネット接続を監視し、検閲・遮断しているとされる「インターネットの敵」13ヶ国のリストを発表した。ITmedia Newsによる記事はこちら

国境なき記者団、“インターネットの敵”を発表

 国境なき記者団は11月7日、インターネット検閲に反対する「24 hours against Internet censorship」キャンペーンを立ち上げ、インターネットを検閲、遮断している「インターネットの敵」13カ国のリストを発表した。
 このキャンペーンの敵と認定されたのは、ベラルーシ、ミャンマー、中国、キューバ、エジプト、イラン、北朝鮮、サウジアラビア、シリア、チュニジア、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ベトナムの13カ国。
 いずれの国も、政府が反体制派のサイトへのアクセスを遮断したり、インターネットカフェを監視したり、ブロガーを投獄するなどの取り締まりや弾圧を行っている。
 例えばミャンマーのインターネットカフェのコンピュータは、ユーザーの行動を監視するために自動的に5分おきに画面をキャプチャするという。また今年新たにリストに加えられたエジプトでは、民主改革を唱えたブロガー3人が投獄された。チュニジアは昨年の世界情報社会サミットの開催地でありながら、インターネットカフェはすべて国家統制下にある。
 さらに国境なき記者団は、中国は依然としてインターネットフィルタリングにおいて世界最先端であるとし、また北朝鮮は引き続き世界最悪のインターネットブラックホールで、数人の政府関係者しかWebにアクセスできないとも述べている。
(後略)

 上記はあくまで国境なき記者団の主張であるが、インターネットフィルタリング、またの名を「万里のファイヤーウォール」を身をもって体験している身としてはその部分は頷かざるを得ない。台湾の政府関係や報道機関のウェブサイトへはアクセスできないところが多いし、SeesaaブログやWikipediaが見られるようになるのはいつの日か(プロキシを噛ませれば読めるが)。ウェブサイトによってはプロキシ経由でもエラーになり、そのあとどうにもならなくなるウェブサイトもある。(追記:すみません、Wikipediaは読めるようになっていました。)(さらに追記:11月17日現在またダメなようです。)
 中国のこの「アクセス禁止」については、このブログでも何度か触れたことがある。

 接続できないウェブサイトにつなげよう
 アクセスできないウェブサイト
 書き込み制限
 アクセスできないウェブサイト その後
 Wikipediaに接続できない
 Seesaaブログに接続できない

 まぁ「上に政策あれば下に対策あり」で何とかやっている、というところである。

 しかしこの記事、「中国は依然としてインターネットフィルタリングにおいて世界最先端である」としている。もし本当に当局にとって都合の悪いウェブサイト「だけ」をブロックしていれば確かにそう言えるが、実際は都合が悪い「と思った」ウェブサイトと同じサーバーのものを根こそぎアクセス禁止にするという方法を採っているため「最先端」の文字が相応しいかどうか疑わしいものがある。別に「サーバーもろともアクセス禁止」で良いという訳ではないが・・・
 北朝鮮はさもありなんという気がするが、中国とともにベトナムも「敵」に名を連ねている。アジアの中で今後の経済成長が期待され外国人の数も増えていくだろうに、行ってみて面食らう外国人が増えるだろう。あとミャンマーのインターネットカフェで「5分毎に画面をキャプチャ」、これもなかなかやりますね。
 なお、記事にはないがWikipediaの「朝鮮民主主義人民共和国のインターネット」というページ(中国からはそのままだと見られないかも)によると、韓国でも親北朝鮮とみなしたウェブサイトをアクセス禁止にしているとか。決めうちという点ではこちらのほうが「最先端」では?

 この「国境なき記者団」の主張に対して、中国政府も反論をしているとか。やはりITmedia Newsによる記事はこちら

中国政府、「インターネットの敵」認定に反論

 中国政府は11月8日、報道の自由の実現に向けて活動する国際的なジャーナリスト団体「国境なき記者団」により、組織的なオンライン検閲が行われている最悪の状態にある国家の1つとして名指しされた件をめぐり、この非難は事実無根であり、中国国民は自由にインターネットにアクセスできている、と反論した。
(中略)
 中国外務省の広報課職員は匿名を条件に、「こうした批判は根拠のない言い掛かりだ」と語り、次のように続けている。
 「中国国民はインターネットへの自由なアクセスを享受しており、必要な情報を得ることができている。現在、中国国民が得ている情報は、この国にインターネットが導入される以前と比べてはるかに多くなっている」
(以下略)

 外務省の担当者が「匿名で反論」というのもなぁ・・・国としてやましい事がないと信じるなら堂々と報道官なりそれなりの人が名前入りでコメントを発するべきだと思うのだが、どうだろうか。だいたいこの担当者、国にとって有利となる発言をしようというのに匿名とはどういうことだろうか。無断で取材に応じているのか?あるいは名前を出すと近所の人に「ウソつけ!」と叩かれるからなのか。

 アクセス制限もさることながらインターネットの接続スピードも何とかして欲しい・・・という別の不満はまたそのうち。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2006年11月13日星期一

桂林米粉の求人広告

 ADSL復活。日本のそれは壁から電話線が出てきて途中のスプリッタ?で電話回線とADSLを分けるのだが、私の部屋に敷設してあるADSLは壁には電話回線用の電話線が繋がれ、その根っこから細い銅線でADSL回線の線が分かれてきて、その線が小さな箱に繋がれてそこから再び電話線でルーターに繋がる仕組みになっている。その箱の中の接続がおかしかったようで、箱を強引に上から押さえたらまた繋がるようになった次第である。なんとも強引であるが、どうやら「お上の手」のせいではなかったようである。

Img_2986 以前も紹介したが、桂林米粉は上海で手軽に食することのできる一品である。私も何か作るのが面倒くさいときは、よく桂林米粉の店に行く。安いところで5~6元、写真のものでも10元である。



Img_2982 写真はこの店の求人広告。「6.调剂员」と「7.炒粉员」と「8.煮粉员」、違う職種なのだろうか。厨房で「僕炒める人、君茹でる人」というように役割分担がきっちりと決まっていて、「俺は決して茹でたりはしない」などと縄張りがあったりするのだろうか。そんなはずはないだろう、と思いたいが、気になる求人広告である。日本だと「料理人募集」で済みそうなところであるが。
 「4收银员」と「5.服务员」も分けなくてもよさそうだが、ひょっとしたら特定の人以外にはお金を扱わせない、というポリシーを徹底しているのかもしれない。
 この求人広告を写真に撮っていたら、「うちで働く?」と勧誘されてしまった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006年11月12日星期日

ADSLが不調

 最近、部屋まで敷いているADSLの調子が良くない。
 まずこの前の木曜日夜に突然インターネットに繋がらなくなった。ルーター(路由機)を見ると、ADSLの信号を示すランプが点灯していなかった。そして、翌日金曜日になると何事もなく繋がるようになった。
 そして今日。午前中は繋がっていたのに、夕方になるとやはりADSL経由では繋がらず、ルーターのランプは消えていた。今は16300番経由(パスワードも16300)のダイヤルアップ接続である。
 ずっと前にも似たようなことがあったので中国電信に電話をして人に来てもらったのだが、そのときは電源を抜き差ししているうちに繋がるようになり、「使わないときはコンセントを抜くように」との訳のわからないコメントを貰った。今回も電源の抜き差しをやってみたが、不調の間はずっと不調で復旧せず、一晩寝たら直った、という具合である。明日になればまた繋がるのだろうか。
 ADSLといっても公称下り512kbps、実力はそれ以下なのでGyaOのような動画ダウンロードは夢のまた夢なのである。それにしてもこういうお国柄ゆえに突然繋がらなくなったり繋がったりというところに何か「神の手」もしくは「お上の手」が働いているのかと思わず疑ってしまうが、単なる故障か局地的な不具合だといいのだが(個人的には良くないが)。
 上海でネット接続をしている皆さん、如何ですか?あとついでに、接続スピードを早くするサービスもあるようですが、使い心地は如何ですか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006年11月10日星期五

思南路を歩く(2)-国共内戦-

 前回の続き。孫中山故居をあとにして、再び思南路を南へ向かって歩く。
Img_2900 思南路x復興中路の交差点から少し北側にある建物。洗濯物が生活感を醸し出す。




Img_2903Img_2904 思南路x復興中路の交差点に立つ建物。「優秀歴史建築」のプレートが埋め込まれているが今でも現役で、玄関には12世帯分の郵便受けが並んでいる。

Img_2906Img_2908 その向かいにも、やはり同時代からあるであろう建物が並ぶ。



Img_2909Img_2910 少し歩くと、「周公館」こと中国共産党代表団駐滬弁事所記念館が見えてくる。ここは国共内戦期の1946年~47年に中国共産党の駐上海代表処として使われた建物で、建物の中では当時の周恩来や董必武の書斎件寝室、そして党員の寝室や作業室が再現されている。建物自体は1920年代できとのことである。周恩来のかつての活動拠点として、「上海市文物保護単位」かつ「愛国教育基地」に指定されている。
Img_2915 かつての番地表記。現在の上海での番地表記のプレートは緑色で、地番も現在は「思南路71号」に変わっている。



Img_2911 周公館の庭。




Img_2913 庭に立つ周恩来の銅像。







Img_2917Img_2918 周公館の向かいには、かつての上海婦科病院が建っている。この上海婦科病院、当時は国民党の諜報機関が置かれていたとされており、周公館の2階には上海婦科医院を見張る見張り場があった。当時はまさにこの思南路を隔てて国民党と共産党が相対峙していたわけだ。もっとも、今では国民党の党大会に共産党から祝電が来たり国民党主席の連戦が共産党要人と会談したり、主席を退いて名誉主席になってからも訪中するくらいだからなぁ・・・思南路を隔てた国共対立は歴史のひとコマになるのだろうか。
 この旧上海婦科医院も、今は普通の民家。入り口の上にある「70」の数字は今日の番地表記で、かつては「思南路98号」であった。
Img_2920 周公館を過ぎたあたりから租界時代を彷彿とさせる建物は影を潜め、現代的な建物が目に付くようになる。写真は上海交通大学医学院。交通大学なのに医学部とは、と思うが、かつての上海第二医科大学が交通大学と一緒になったものである。

Img_2924Img_2926 建国南路との交差点にある、便利店=コンビニが入った建物。屋根のすぐ下にある「1927」のレリーフは、当時からの存在をアピールするものなのだろうか。


Img_2929 このあとすぐ泰康路とのT字路にぶつかり、ここで思南路は終わり。ちょうどT字路のところに麺のチェーン店「呉越人家」があったのでここで麺を食した。折角歩いたのにこれではダメですね。


Img_2934 このT字路を左に曲がるとすぐに徐家匯路に行き当たり、南北高架路(重慶南路)との交差点が見える。高層ビルやマンションが目に入り、租界の雰囲気から一気に現代の上海に引き戻される。


Img_2933 徐家匯路と泰康路の交差点の近く、集合住宅の入り口に朝鮮戦争時の「抗美援朝」を称えた記念碑が建っている。なぜここにあるのかはわからないが、中朝関係ももはやこの碑のようではあるまい。





Img_2919 高層ビルが林立する上海の中心部でもこのように低層建築がならぶ界隈があちこちに見られる。その中でも思南路はかつてのフランス租界の住宅の雰囲気を今に伝える静かな通りである。
 しかしながら上海交通大学医学院の近くでは、このように取り壊された建物の姿も見かけた。これがこの一角だけであり、思南路がこの雰囲気を保ち続けてくれることを願いたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

思南路を歩く(1)

 この前孫中山故居へ行ってきたが、思南路を北から南まで歩いたのでその様子もぼちぼちと。
Img_2859 淮海中路から別れ、思南路に入る。







Img_2863 思南路に入ってすぐ、南昌路との交差点まで続く商店街。




Img_2865Img_2872 南昌路との交差点にある民家。孫中山故居が目当てだったので通りにあるほかの建物にはあまり期待していなかったのだが、歩いてみるとこうした雰囲気の良い建物が目に入ってきてなかなか雰囲気のよさそうな通りである。
Img_2873Img_2874 思南路x南昌路~思南路x香山路にかけて並ぶ建物。こうした家に住んでみたいが、手入れはきっと大変なのだろう。防寒などは大丈夫なのだろうか。


Img_2875 孫中山故居の隣は中学校。この日は何かの試験会場になっていたようだ。



Img_2876 孫中山故居。訪問記はこちら




Img_2895Img_2896Img_2897 孫中山故居の向かいに白い建物がある。ロシア文字のようなものが見え、扉も木製の重厚な趣きなので何かと思ったが、スペイン料理店のようである。一度試してみたい。
 外灘が清末~民国期の商業街を今に伝えるのであれば、ここ思南路は孫中山故居を始めとして旧フランス租界の住まいの雰囲気を今に伝えている、と言えよう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006年11月5日星期日

陳水扁と中田英寿と

 陳水扁・台湾総統の太太が、公金横領などの罪で起訴されたとのこと。毎日インタラクティブによる記事はこちら

台湾:公費流用、陳総統の主導認定 本人は免責、夫人起訴--検察

 【台北・庄司哲也】台湾の検察当局は3日、総統府の公費の不正流用があったとして、陳水扁総統の呉淑珍夫人ら4人を横領と文書偽造などの罪で起訴した。検察当局は、陳総統が事件で主導的な役割を果たしたと指摘したが、憲法の規定で現職総統には不起訴特権があるため免責とした。自身の積極的な関与が指摘されたことで、陳総統の辞任要求が高まることは必至で、陳総統はいっそう窮地に立たされた。
(以下略)

 総統本人の関与も検察は指摘している。まだ起訴段階ではあり今後の推移を見守る必要があるが、まさに陳水扁政権は窮地に立たされたようだ。陳水扁の太太といえば1985年にテロとされる自動車事故で下半身不随になり、その後車椅子で陳水扁とともに出てきたり、時には家を出るときに陳水扁が太太を抱きかかえて出てくる姿も報道されていたが・・・
 もし陳水扁政権が維持できたとしても、もはやレームダックでさほどの発言力を持たないだろう。もっとも、今でも少数与党で苦労してはいるが・・・韓国の盧武鉉大統領は政権運営が苦しくなるととかく「反日」に訴えていた。陳水扁も同様に2度目の当選後の立法委員選挙で企業名から「中国」の名をはずすべしなどと台湾アイデンティティに訴えたが、それは立法院の掌握をもたらさず前述の通り任期の大半を少数与党として過ごさざるを得ないことになった。民進党初の総統になった当初は国民党から行政院長を出すなど「全民政権」をアピールしていたが、あれこれうまくいかなくなるうちに台湾アイデンティティに訴えることが多くなり、前述の立法委員選挙時の発言やそれと同様の発言を繰り返すもそれが政権の安定には結びつかなかったようだ。
 今回の太太の起訴を受け、陳水扁は「一審有罪なら辞職」と言っているとのこと。毎日インタラクティブの記事より。

台湾:陳総統「有罪判決なら辞任」 会見で潔白主張

 【台北・庄司哲也】台湾総統府の公金流用事件で呉淑珍夫人が横領などの罪で起訴された陳水扁総統は5日夜、台湾住民向けに会見し、「1審で有罪判決が出たならば辞任する」と述べ、当面は辞任しない意向を表明した。公判開始の見通しは不明。陳総統は「問題の公費は極秘事項の外交工作に使われたもので、私的流用はない」として潔白を主張した。陳総統が続投の意思を示したことで辞任を求めていた国民党など野党との対立が激化するのは必至で、台湾政局は混乱が続きそうだ。
(以下略)

 ところで、上海でも台湾の新聞『聯合報』や『中国時報』は喫茶店やレストランで読むことができる。11月4日付の台湾の新聞はまさにこの件でもちきりだった。
 この一件を伝える4日付『聯合報』を喫茶店で読んでいたら、芸能面に中田英寿が3日に台北のハイアットでタレント(新聞では「芸人」と書かれていた)ら19人と豪華な食事をしたと書かれていた。何でも台湾には友人が多いとかわざわざ日本からやってきた友人もいたとかで、一緒に食事をした中にはMakiyoこと川島茉樹代とその友人も含まれていたが、川島茉樹代って台湾で流行った後「やっぱり日本で」と日本デビューした?と記憶しているが、また台湾にいるのかな。
 ウェブサイトのニュースで「Nakata.net.久々の更新」というのを見たことがあるが、日本では報道されない?目だった報道がされていない?ところでもあちこち旅を続けているようである。中田英寿の消息を台湾の新聞で見るとは思わなかった。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2006年11月4日星期六

孫中山故居-こちらが本家?-

 2週間前に淮海路を歩いたときに孫文がかつて住んだとされる淮海中路小学校を見つけたのだが、上海には「孫中山故居」と呼ばれる場所が別にある。今日はそこに行ってきた。
Img_2860 淮海中路x思南路にある、孫中山故居への案内。




Img_2876 写真を撮ったりせずまっすぐ歩けば淮海中路x思南路から歩いて10分足らずで着くことができるだろう。写真は思南路x香山路にある、孫中山故居=孫中山故居記念館への入り口。手前の灰色の建物は管理棟であり、服飾デザインの展示場である。バスの後ろに黒く見えているのが、孫中山故居である。写真の枠外右側には、孫文の生涯を数十枚の絵で示した展示がある。
 ちなみに、今年は孫文生誕140周年、来週の日曜日(11月12日)がその日である。
Img_2889 入ってすぐ「愛国主義教育基地」の掲示があり、




Img_2892 孫文の銅像が我々を出迎える。




Img_2887 写真が孫中山故居。8元の入場料を払い、写真右下の入り口から入る。
 この孫中山故居、孫文が日本から帰国後の1918年から1924年までここに住んでいたとのことで、内部は当時の様子を再現している。

Img_2881Img_2883 孫中山故居の内部。庭の芝生が出入り禁止だったり、細い通路からの撮影のためこのようなアングルに。





Img_2880 中庭。




 開館時間中の毎時0分と30分に館内ツアーがあり、館内を案内してくれる。中国語での説明と、英語テープによる説明がなされる。一緒にまわった人の中には、日本人観光客・ドイツ人?観光客・欧米系留学生とその友人の中国人・中国人観光客と思しき人たちがいた。ここは孫文が日本からの帰国後に住んだ居所とかで、家具の中に日本式のものがあると紹介されていた。館内の説明で「五族共和」など、懐かしい?かつて学んだ言葉が思い起こされた。
Img_2884 文革前から「国家重点文物保護単位」に指定されているようだ。




 気になっていた淮海中路小学との関係について、チケット売り場の人に聞いてみた。返ってきた答えは、「あちら(=淮海中路小学)は他の人が孫文に貸していたところで、孫文は短い間しか住んでいなかった。こちらが孫文の故居である」ということであった。なるほど。
 しかし、あちらにも「1918年~24年に居住」のレリーフがあるが・・・あれは「孫文が1918年~24年に上海に居住」ということか?あるいは住んでいなかったが何かに使っていた、ということか。

 孫中山故居のウェブサイトはこちら(中国語)。アドレスの一部がsunyatsenと、広東語なのがおもしろい。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« 十月 2006 | Main | 十二月 2006 »