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2006年11月10日星期五

思南路を歩く(2)-国共内戦-

 前回の続き。孫中山故居をあとにして、再び思南路を南へ向かって歩く。
Img_2900 思南路x復興中路の交差点から少し北側にある建物。洗濯物が生活感を醸し出す。




Img_2903Img_2904 思南路x復興中路の交差点に立つ建物。「優秀歴史建築」のプレートが埋め込まれているが今でも現役で、玄関には12世帯分の郵便受けが並んでいる。

Img_2906Img_2908 その向かいにも、やはり同時代からあるであろう建物が並ぶ。



Img_2909Img_2910 少し歩くと、「周公館」こと中国共産党代表団駐滬弁事所記念館が見えてくる。ここは国共内戦期の1946年~47年に中国共産党の駐上海代表処として使われた建物で、建物の中では当時の周恩来や董必武の書斎件寝室、そして党員の寝室や作業室が再現されている。建物自体は1920年代できとのことである。周恩来のかつての活動拠点として、「上海市文物保護単位」かつ「愛国教育基地」に指定されている。
Img_2915 かつての番地表記。現在の上海での番地表記のプレートは緑色で、地番も現在は「思南路71号」に変わっている。



Img_2911 周公館の庭。




Img_2913 庭に立つ周恩来の銅像。







Img_2917Img_2918 周公館の向かいには、かつての上海婦科病院が建っている。この上海婦科病院、当時は国民党の諜報機関が置かれていたとされており、周公館の2階には上海婦科医院を見張る見張り場があった。当時はまさにこの思南路を隔てて国民党と共産党が相対峙していたわけだ。もっとも、今では国民党の党大会に共産党から祝電が来たり国民党主席の連戦が共産党要人と会談したり、主席を退いて名誉主席になってからも訪中するくらいだからなぁ・・・思南路を隔てた国共対立は歴史のひとコマになるのだろうか。
 この旧上海婦科医院も、今は普通の民家。入り口の上にある「70」の数字は今日の番地表記で、かつては「思南路98号」であった。
Img_2920 周公館を過ぎたあたりから租界時代を彷彿とさせる建物は影を潜め、現代的な建物が目に付くようになる。写真は上海交通大学医学院。交通大学なのに医学部とは、と思うが、かつての上海第二医科大学が交通大学と一緒になったものである。

Img_2924Img_2926 建国南路との交差点にある、便利店=コンビニが入った建物。屋根のすぐ下にある「1927」のレリーフは、当時からの存在をアピールするものなのだろうか。


Img_2929 このあとすぐ泰康路とのT字路にぶつかり、ここで思南路は終わり。ちょうどT字路のところに麺のチェーン店「呉越人家」があったのでここで麺を食した。折角歩いたのにこれではダメですね。


Img_2934 このT字路を左に曲がるとすぐに徐家匯路に行き当たり、南北高架路(重慶南路)との交差点が見える。高層ビルやマンションが目に入り、租界の雰囲気から一気に現代の上海に引き戻される。


Img_2933 徐家匯路と泰康路の交差点の近く、集合住宅の入り口に朝鮮戦争時の「抗美援朝」を称えた記念碑が建っている。なぜここにあるのかはわからないが、中朝関係ももはやこの碑のようではあるまい。





Img_2919 高層ビルが林立する上海の中心部でもこのように低層建築がならぶ界隈があちこちに見られる。その中でも思南路はかつてのフランス租界の住宅の雰囲気を今に伝える静かな通りである。
 しかしながら上海交通大学医学院の近くでは、このように取り壊された建物の姿も見かけた。これがこの一角だけであり、思南路がこの雰囲気を保ち続けてくれることを願いたい。

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