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三月 2007

2007年3月31日星期六

清明節

 毎年4月の初旬に、清明節がやってくる。
 この清明節、旧暦由来ではなく24節気の1つである。1太陽年を24等分してその分割点に季節を表す言葉を示したのが24節気であり(参照:Wikipedia当該記事、例によって中国からはそのままでは見られないが)、春分・秋分・立春などおなじみの節気とともに「清明」という節気がある。「清明」は「春分」の15日後、今年(2007年)は4月5日である。
 中国では清明節は墓参りの日となっており、この前後の交通機関は墓参りに行く人で混雑する。上海に住んでいる人の中には蘇州に先祖の墓を持っている人が多いとかで、上海~蘇州の列車は混雑している。鉄道局もこの時期には上海~蘇州の臨時列車を増発して対応に当たっている。

Img_0016  上海駅では、飲食物に加えて墓参用の花束が置いてある売店があった。



Img_0035  おそらく墓参に行くであろう人 が、花束を手に列車を降りていく。



Img_0036_1 Img_0037 Img_0143 列車のみならす、蘇州からは各墓地向けに臨時のバスが出ており、墓参りに行く人たちの便宜を図っている。写真はその案内。

 日本だと春分・秋分の前後に当たる彼岸が墓参りの時期とされているが、中国ではそれより少し遅い3月下旬~4月初が墓参の時期である。

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2007年3月28日星期三

中国からココログへのアクセス制限?

 中国在住の同学から、「中国からココログに繋がらない」というご指摘を受けた。
 今のところ私の部屋からはココログのブログを見ることができるのだが、確かにここ最近外出先でココログに繋がらない、という事例に何度か出くわしている。
 また、ブログ検索で「ココログ 中国 アクセス」で検索すると、やはり中国からココログにアクセスできないということを書いておられる方のブログが検索に引っかかる。3月27日現在の検索結果はこちら。言われてみれば最近アクセス数が減っているな、西班牙のこと頑張って書いたのになぁ、と思ったのだが、もともとアクセス数は少なかったのでさほど気にすることはなかったのだが・・・

 今のところ、
・私の部屋のインターネット環境(中国電信のADSL)からはプロキシを噛ませなくてもアクセス可能、編集画面もやはりプロキシを噛ませなくともアクセス可能。
・私の部屋以外の場所からアクセスした場合、アクセス不能なことがあった。
 ある場所からはアクセス可能である場所からはアクセスできない、というのも不思議かつ不気味ではある。
 暫く様子をみてこの状態が続いたり事態が悪化したりするようならば対策を考えないといけないのだが、中国在住の皆様、如何ですか?(って、見られないかもしれないのか)

 とりあえず、2006年3月6日に書いた拙文「接続できないウェブサイトにつなげよう」を再掲。プロキシを使ってかいくぐるしかないのか。

///quote///

 拙ブログにはアクセス解析が設定されているのだが、アクセス数が少ない拙ブログに、「中国から特定のウェブサイトに接続できない」ことを調べようとして検索エンジンに検索フレーズを入れてたどり着いたと思われる方が少なからずおられるようである。
 中国国内から接続できないウェブサイトのことについて、過去に何度かこのブログで取り上げてきた。

アクセスできないウェブサイト
書き込み制限
アクセスできないウェブサイト その後
Wikipediaに接続できない
Seesaaブログに接続できない

 が、これらの記事は単に「接続できない」と愚痴を言っているものであり、折角たどり着いた方にとっては「やっぱりアクセス規制の対象なんだ」という確認にはなっても解決にはなっていなかったのではないか、と思う。

 こうしたアクセス禁止の仕組みは北口堂通信:中国のインターネット規制に図解されており、中国国内からウェブサイトに接続する際にファイアウォールを通さねばならず、その過程でアクセス不可のサイトには接続できないようになっている、という仕組みである。問題はそのアクセス規制が特定の「有害とされる」ウェブサイトだけではなく、「有害とされるウェブサイトが属するサーバー」もろともアクセス禁止にしてしまうため、普通のウェブサイトやブログも巻き添えになってしまうことである。
 私が知る限りでは、上記の通りブログではSeesaaブログ、ウェブサイトではgeocities.co.jp、infoseek.co.jpやWikipediaにアクセス不可となっている。かつてはhomepage3.nifty.comやexciteブログにもアクセスできない時期があった。

 しかしながらただ手をこまねいてこうした規制を甘んじて受けるわけには行かない。geocities.co.jpやinfoseek.co.jp、それにSeesaaブログにリンクされていたときどうしても見たくなるのが人の性である。また、Wikipediaは利用価値大だと思うので普段から使いたい。
 こうした中国から見れないウェブサイトを見る方法の1つとして、「プロキシサーバー経由で接続する」というのがある。(プロキシサーバー自体については、CyberSyndromeなど詳しいウェブサイトがあるのでそちらをご参照ください。)(以下、間違い等ありましたらご指摘ください)

 インターネットに接続して他のウェブサイトを見る場合、通常は以下のルートに拠っている。

ユーザー −−→ 中国のプロバイダ −−→ ウェブサイト

 しかしウェブサイトが「アクセス禁止」とされた場合、このルートでは接続できないのである。
 そこで、「プロキシサーバー経由の接続にする」ことにより、これを解決しようとするものである。

ユーザー −−→ 中国のプロバイダ −−→ プロキシサーバー −−→ ウェブサイト

 ユーザーがウェブサイトを見ようとする際に「アクセス禁止のウェブサイトに接続します」ではなく「プロキシサーバーに接続します」とリクエストすることで、ファイアウォールをかいくぐろうというのである。

 設定はブラウザーで行うことができる。Internet Explorerの設定は上記CyberSyndromeに記載があるので割愛するとして、私の手持ちのブラウザの設定方法である。
Opera 8.5 - 「ツール」→「設定」→「詳細設定」タブ→「ネットワーク」→「プロキシサーバー」をクリック
Firefox 1.5 - 「ツール」→「オプション」→「一般」→「接続設定」→「手動でプロキシを設定する」をクリック
 上述のCyberSyndromeなどでプロキシのアドレスを入手し、最後の「8080」などを右側に、それより前の数字やアルファベットを左側にインプットである。
 このプロキシサーバー、時が経つと使えなくなるケースが多いのでその場合はまた新しいプロキシのアドレスを探して設定してやる必要がある。
 私はOperaにはプロキシを設定せず、Firefoxにプロキシを設定している。普段はブラウザにOperaを使用しているのだが、Wikipediaを見たいときやSeesaaブログにぶつかったときにFirefoxを起動して見ることにしている。

 GoogleやMSNが検閲に協力などなど、とは別に、もっと身近に切実な話題、ということで。

///unquote///

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2007年3月24日星期六

2007年春節@西班牙(番外編)-その他もろもろ-

 なかなか「上海で見たこと聞いたこと感じたこと」に戻れないので、西班牙旅行中に目に止まったこと、気になったことをまとめてアップ。

・サッカー

 今回はソリアで福田健二選手出場のヌマンシアv.s.マラガの試合を観戦したのだが、それ以外にもサッカーにまつわるエピソードがあった。
Imgp0411  写真はバレンシアにて。ちょっとわかりにくいが河川敷に全面なら2面、ハーフなら4面取れるサッカーグラウンドがあった。橋の下とその対面にゴールポストがあるのがお分かりだろうか。
 この河川敷にはこれも含めて合計7面のグラウンドが1ヶ所に固まって設けられていた。平日の昼間だったのであまり使われてはいなかったが、土日や夜になるときっと広く市民に使われているに違いない。1ヶ所にこれだけのグラウンドがまとめて設置されているところに、スペインサッカーの裾野の広さを見た気がした。
 あと、マドリッド滞在中の夜テレビで見たカードはレアル・マドリード対ぺディス。このカード、やはり記事中で紹介した『龍時』で主人公のリュウジがロナウドに足を削られた試合でしたね(改めて、すごい設定だ)。現実のこの試合ではホームのレアル・マドリードが勝てずにドロー、しかもベッカムが退場処分になるというホームにとっては厳しい試合だった。
 さらにバルセロナでは、滞在期間中に欧州チャンピオンズリーグの試合、バルセロナとリバプールの試合があった。旅行者向けのホテルが多いランプラス通りでは、赤いリバプールのユニフォームを着た人達がたくさんいて、歌を歌いながら地下鉄の駅を目指していた。歌いながら自らを鼓舞し、またアウェーの地でバルセロナの人達を威嚇?しなければならないのだろう。
 アウェーのリバプールサポーターに占拠されたせいか、バルセロナのホテルはどこも満室。結局バルセロナには3泊したのだがどこに行っても「他の日は空いているけどこの日は満室」と言われ、この日に泊まれる部屋を探すのに随分難儀した。
Img_0434  この試合は1-2でバルセロナの負け。次の日の新聞には、うなだれる選手の写真や各選手への低い採点など、スペイン語を解さなくても辛辣であることが容易に想像できる記事が掲載されていた。


・柔道と武道

20070223093  フランスにて、凱旋門の最寄り駅であるCharles de Gaulle Etoile駅に張ってあった柔道大会のポスター。日付からするとおそらくフランス国際大会の宣伝。フランスは柔道人口では日本を抜いていると言われ、オリンピックを始めとする国際大会での結果を含め世界一の柔道大国である。
 上海でも、道場で少なからぬフランス人が稽古に励んでいる。
20070223095  こちらは詳細不明なるも武道大会の宣伝か。空手と中国武術?の写真が左右に大きく掲載されており、下にはテコンドーと合気道の写真も。左右の写真の背景には「吾々は長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと・・・」といった日本語が記されている。

20070224097  こちらは浦東空港にて、既に終わったドーハ・アジア大会の宣伝もやはり柔道の写真である。こうやって見ると、青い柔道着というのは結構目立ちますね。


・日曜日もオープン

 西班牙では日曜日は閉店の店が多い。今回はソリア滞在が日曜日に当たったのだがやはり街の商店の多くが閉店。市内にあるヌマンシアのグッズショップも閉店。試合がある日ぐらい開店すればいいと思うのだが、休み優先なのだろうか。
 商店が閉まっていると、やはりその街に対して寂しいという印象を持ってしまう。もっとも、ソリア観光ではそれを補ってあまりある素晴らしい街並みが待っていたのだが。
Img_0139 Img_0140  そんな中、日曜日でも営業している食料品店を見つけた。惣菜類や乾物などに加え、酢漬け野菜や漬物の類がたくさん置いてあるのに目を引かれた。ソリアは内陸部にあり、海から遠く昔は新鮮な海産物を手に入れるのは困難だっただろうし、寒い冬に備えてこうした保存の利く野菜を作るようになったのだろか。
 私は歩き疲れて飲み物を買っただけなのだが、それでも商店が殆ど閉まっている日曜日は飲み物を手に入れるのも難しい。
Img_0158  この日のサッカーの試合の帰路、もう1度同じ店の前を通った。ホームチームの勝ちゲームの帰り、客の財布の紐も緩くなるのだろうか。



・中華料理店

Imgp0017 2007021805920070219072  西班牙でもやはり、小さな街にも中華料理店がある。写真左はトレドにて、中央はソリアにて、右は(小さな街ではないが)サラゴサにて。店頭にある「Chino」の文字で中華料理とわかる。中国系の人を対象にした飲み屋もある。
 前述の『龍時』で、主人公のフルネームは志野リュウジ。西班牙へ渡ったとき当初は「Shino」と呼んでもらえず、「中国人」の意味である「Chino」=チノ、と呼ばれていた、という設定である。「Chino」という言葉の持つ意味合いも含め(この言葉はアジア人全体も指すようである)、作者の野沢尚氏は主人公のキャラクターを作っていったようである。
Imgp0341 Imgp0340 こちらはバレンシアにて、中国物産店。「ARTE CHINA」と銘打ってはいるが、店頭に日本人形と思しき人形が飾られているなど取り混ぜて扱われている感は否めない。

・西班牙で食べたもの

 言葉がわからないので、だいたいBarかCafeteriaで昼は定食の類を、夜は店頭に並んでいるtapas(つまみ類)を指差し「これとこれとこれ」という感じでオーダーして食した。

Imgp0122  ソリアでの昼食、野菜の酢漬けを炒めたもの。前述の通りソリアは内陸部にある厳しい環境の街であり、こうした野菜料理がでるのだろうか。



Img_0161Img_0163Img_0162 ソリアでの夕食、ヌマンシアのホームゲーム観戦の後だったのだが、店の客の関心はテレビでやっているバルセロナの試合に既に移っていた。


Img_0358 Img_0360Img_0277  バルセロナにて。海に近いせいか、魚介類を用いたtapasが美味しい。この店には2日間通った。



Img_0421 Img_0423 Img_0425  やはりバルセロナの別のBarにて。この日は前述の通りバルセロナ対リバプールの試合があったせいか、店内では英語のやり取りも多かった。

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2007年3月20日星期二

2007年春節@西班牙(番外編)-右側?左側?-

Img_0415 バルセロナの地下鉄の改札。乗り降りする人は改札機の左側を通っている。つまり、切符を右手に持って本人の右側にある改札機に入れることになる。確かホスピタル・デ・サン・パウ駅(サン・パウ病院駅)にて。
 上海の地下鉄このスタイルだし、日本も私がいた限りではこうであった。

20070220087  ところが、同じバルセロナ地下鉄なのにも関わらず改札機の右側を通り、切符を左手に持って本人の左側にある改札機に切符を入れる駅もある。写真はウニベルシタット駅にて。鉄の棒が改札機の右側を通るように仕切られているのがおわかりだろうか。
 右側を通るなら右側、左側を通るなら左側で統一してくれればいいのだが、ばらばらなのが面白い。路線によって統一されているわけでもなく、例えばサグラダ・ファミリアやサン・パウ病院を通る地下鉄5号線では上述の通りサン・パウ病院駅では左側を通り、国鉄との乗換駅であるサンツ・エスタシオ駅では右側を通るようになっている。今回バルセロナ到着後初めて地下鉄に乗ったときに右側を通る改札に遭遇し、日本や上海の習慣で自分の右側の改札機に切符を入れたのに通れず、通りがかりの人に優しく教えてもらったのである。

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2007年3月19日星期一

2007年春節@西班牙(番外編)-閉めないエレベーター-

Imgp0484 バレンシアのデパートにて。エレベーターに乗って目当ての階のボタンを押し、他に乗る人がいないので「閉」ボタンを押そうとしたのだが、「閉」ボタンがない。あるのは「開」のボタンだけである。
 マドリッド・ソリア・バルセロナと、泊まったホテルのエレベーターにはやはり「閉」ボタンはなかった。小さな建物の小さなエレベーターだからついていないのかと思ったが、大きなデパートのエレベーターにもやはり「閉」ボタンがないのである。今回の西班牙滞在中に乗ったエレベーターには、どれも「閉」ボタンはなかった。オフィスビルだと違うのかもしれないが。日本だと皆乗り終わったところで、あるいは本人1人だけ乗る場合だと自分自身が乗り終わった後で「閉」ボタンを押すし、上海では「閉」ボタンを連打する人を見ることさえある(1回だけでいいのに)が、西班牙では「まぁ、そのうちすぐ勝手に閉まるから待ちましょうか」くらいの感じなのであろうか。あるいは我々がその僅かな時間さえ待てないせっかち(よく言えば時間を少しも無駄にしない人、とも言えるが)なのだろうか。

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2007年3月18日星期日

2007年春節@西班牙(番外編)-セグウェイ-

 ペタンクに続き、トレドで見つけた話題をもう1つ。
Imgp0049  トレドの街中を歩いていると、セグウェイに乗って街を走っている人達を見かけた。日本にいたときも、中国でもセグウェイは見かけたことがなく、これが私のセグウェイ初遭遇である。


Imgp0052  このセグウェイご一行、やはり周りの熱い視線を浴びていた。私以外の人達も実際にセグウェイを見ることはあまりないのだろう。写真では割と広い道をスイスイと走っている感じである。ただ、トレドの狭い道では彼らが道を塞いでしまうこともあり、彼らにとっても通りにくそうであった。
 このあとご一行はシナゴーグでセグウェイを降り、見張り?の1人を残して中へ入っていった。
 しかしこのセグウェイ、彼らがマドリッドなど遠くからセグウェイに乗ってやってきたのだろうか、車にセグウェイを積んでやって来たのか。はたまたトレドには「貸セグウェイ屋」があって街中をセグウェイで走ることができるのだろうか。それにしてはトレドで見かけたセグウェイはこれだけだったからそれは考え難いが・・・

 セグウェイ、今のところ日本では公道は走れないようなのでお目にかかる機会は少ないが、日本にも代理店がありゴルフ場やオフロード用として売っているようである。確かにこれで山登りをすると楽そうではある。

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2007年春節@西班牙(番外編)-ペタンク-

 先月の西班牙旅行で、先に書いた以外にも気になったところをまたぼちぼちと公開。

Imgp0008  トレドの城門前にある公園で、鉄球を投げて興じている人達がたくさんいるのを見かけた。これは「ペタンク」と呼ばれるスポーツで、フランスが発祥とか。土曜日の公園で何組かの人たちが楽しんでいるようだった。Wikipediaによる解説はこちら(例によって中国からは普通では見られない)。東京ヴェルディ1969所属でフランスでのプレー経験のある廣山望選手が、ご自身のブログペタンクの紹介をされている
 的の近くに投げるのが良いとされ、さらに相手が投げた球をはじいて遠ざけるのも良いとされているルールはカーリングに似ているような気がする。もっとも、詳しいところはわからないのだが。

Imgp0007

 こちらは家族でこじんまりとやっているのだろうか、若い人もやっているようである。

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呉江路休閑街

 上海の地下鉄2号線南京西路駅(以前の石門一路駅)付近、南京西路の裏にある呉江路が、賑やかな小吃街になっている。
Img_0003 Img_0008 Img_0011  南京西路x石門一路の交差点を少し南に下ると、左側(東側)にものすごい人混みの通りが見えてくる。これが呉江路で、人の多さと屋台の多さで前に進むのもままならないくらいである。写真左で視界が悪いように見えるのは、屋台から立ちのぼる煙のせいである。こうしたところではスリにご注意。
Img_0007  屋台に混じって、中古CDを売っている店を発見。日本の中古CDも数多くあるが、アーティストの顔ぶれがちょっと古いか。くれぐれもニセモノには気をつけて。


Img_0014 Img_0020 Img_0021  手羽焼・タコの串焼き・焼牡蠣、この3つが呉江路の屋台の定番だろう。特に牡蠣を食べるときは注意。
 屋台が並んでいる裏には普通の食堂がやはりたくさん並んでいるので、そちらに入るのもいいかも。

Img_0009 綿菓子売りもいた。



Img_0030 Img_0031 あまりにも人が多すぎて人疲れするので、石門一路との交差点まで戻り、さらに呉江路を逆に歩く。こちらはあまり人ごみも激しくない。
 露天の中に毛沢東や周恩来の肖像、さらに文革期のグッズを売っている店を発見。文革期の新聞などが売り物のようだ。
Img_0036 Img_0027 Img_0028_1  この辺りには以前紹介した呉越人家など割と安心して食べられる店が並んでいるのだが、以前この辺りにオフィスがあったときに足を伸ばしていた台湾小吃の店に入った。この店には「傻瓜干面」という、なんとも訳しようのない名前の麺がある。要はただ麺を茹でたのをそのまま出しただけのことで、テーブルにあるウスターソース(「傻瓜干面专用醋」と書いてあった)と醤油で自分で味付けして食べるのである。「傻瓜干面」は4元、後ろの春巻きは別料金である。
Img_0026  これだけにしておけばよかったのだが、昔は量が少なかったような気がしたので魯肉飯(卤肉饭)も一緒にオーダーしており、それも食することに。食べすぎですね。

 今年の上海は2月から暖かくなっておりもう春到来かと思ったが、3月に入り寒い日が続いている。そんな中でも、呉江路は熱気を帯びている。

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2007年3月17日星期六

ある餃子店の店じまい

 今週水曜日、以前紹介した新楽路の餃子店に昼飯を食べに行ったところ、店の老板娘(おかみさん)に「今日が最後の1日」と言われてしまった。そのせいかその日は餃子が作られておらず、麺類と飯類のみの提供だった。何で閉店なのかと話を聞いたところ、「大家との契約が明日までで、更新できなかったから」とのことであった。
 この餃子店、昼飯時にはいつも近くのオフィスで勤めている人達で狭い店はいつも埋まっており、結構商売繁盛しているように見えた。待たされることもなく頼んだものが出てきていたし、夏にこの店で冷面を食べるのが楽しみであった。この店に通い始めた当初1両=6個で2元だった餃子はそのうち2.5元になり、さらに3元になった。そして餃子だけでなく、麺類やご飯類も出すようになり、確実に客単価を上げているように見えた。さらには出前までやっていてうまくいっているように見えただけに、閉店の話を聞いて思わぬ理由で店じまいの時がやってくるものだと感じた。
Img_3309  仕事帰りにもう1度この餃子店に立ち寄り、もう出してもらえる料理もないのでビールを飲みながら店の老板・老板娘に話を聞いてみた。何でも、この店の大家は次は服飾店か宝石店に店を貸したいらしく、庶民的な餃子店との契約を望まなかったのだとか。なるほど、新楽路には確かに服飾店や宝石店、前にも触れたとおりドイツビールを出す店など「高級感のある店」が出てきており、大家も餃子屋よりこういった店に来てもらいたい、ということか。それにしてもこうした「高級感のある店」、見る限りではあまり流行っているようには見えないのだが、例えば前にも触れたことのある甘味処は遠くからわざわざ来る人も多いと聞くし、見た目客が多くなくても実入りが多く大家にとっても高い家賃が得られるのか。
 さらにどこに移るのか聞いたところ、まだ決まっていないとの返事。2人はまた飲食店をやるつもりで何件か新しい店の候補を当たってみたのだが、設備や家賃の面で気に入ったところが見つからなかったらしい。この場所に店を構えて5年とかで、なじみの客がたくさんいるここを離れるのは残念だといっていた。
 こうした庶民的な店がなくなる一方で、この近くには新たに日本料理店や牛排店(ステーキ屋)ができたりしている。前からある日本料理店も含め、我々の昼飯のローテーションに日本食を加えなければいけないケースが増え、昼飯代の支出が増えそうである。

 ここで餃子や冷面を食べられなくなるのは残念だが、新しい場所での成功を願うばかりである。

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2007年3月12日星期一

2007年春節@西班牙(番外編)-巴黎-

 スペイン旅行の帰り、バレンシアを23日の朝7時05分のフライトで飛び立ち、9時頃に乗継のシャルル・ド・ゴール空港に到着。普通に乗り継げば約4時間後のフライトなのだが、このフライトはoperated by China Eastern Airlines、つまり中国東方航空の機材によるコードシェア便なのである。折角なので帰りはエールフランスの機材に乗りたいと思い、6時間以上待つ15時55分発のフライトに乗ることにしていた。
 待ち時間が6時間以上あり、空港でぷらぶら過ごすのも何なので市内に出られないかと思い、乗継カウンターの係員に聞いてみたところ、「時間までに戻ってくればいいですよ」とのこと。EU域内(厳密にはシェンゲン条約加盟国間)の往来ではパスポートコントロールはおおらかなようである。
 ということで、空港の出口を抜けてメトロの駅に向かう。ツーリストインフォメーションがどこにあるのか見逃したので地図を手に入れることはできず、駅で貰った日本語の地下鉄路線図だけを頼りにパリ市内に出てみることにした。スペインの各都市よりもパリは地下鉄の路線が張り巡らされており、運賃もスペインでは市内一律だったのだがここではそうでもないようで、乗り方がややこしく感じた。
Imgp0507 貰った路線図には日本語で「シャルル・ド・ゴール空港-パリ間29分。雲も、交通渋滞もひとっ飛び。」と書いてあったが、列車が予定通りに来ず20分以上待たされたので結局市内までは1時間くらいかかった。滞在時間が短い身にとっては痛いロスだが、以前フランス人の結婚式に参加した時に聞かされた通りの時間にはおおらかな一面なのだろうか、あるいは単なる遅れなのだろうか。
 バレンシアやバルセロナに比べて、パリはまだまだ寒かった。

Imgp0506  パリでまず思いつくのはエッフェル塔。エレベーターで塔に昇ろうとする人が長蛇の列を作っていたし、時間もなかったので周りから眺めるのみ。






Imgp0501  地図が手許にないので何かわからなかったが、後で調べるとエッフェル塔をくぐるように覗くと公園の向こうに見えるのは陸軍士官学校か。


Imgp0503  セーヌ川。名前は聞いたことがあるがここにあるとは。



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20070223092

 他にも見どころがあることは知らず、凱旋門を目指して地下鉄の駅へ向かう。途中にあったのは「日本文化会館」。中では日本映画や日本の特産品の展示をやっていた。地名?は その名も「Place de Kyoto」。

Imgp0510  古そうな橋の上を、メトロが走っていく。



Imgp0524Imgp0515 Imgp0523 凱旋門の前の通り。凱旋門もそれだけ見るとロータリーに立つ門という印象しか持てないが、凱旋門から広がる通りには写真のようにHSBCも、この国では優雅な建物に看板を掲げている。
 この通りの名がAvenue des Champs-Elysees、シャンゼリゼ通りだと知ったのは上海に戻ってからのこと。


Imgp0526 凱旋門の遠景。




Imgp0529  凱旋門の恋人たち、か。




Imgp0528  ここまで見てフライト3時間前を切ったので、再びメトロでシャルル・ド・ゴール空港へ。市内をぶらぶらしたのは実質2時間と少しだけで、後日上海在住のフランス人に聞いたところ、「パリ観光は1週間かけなければダメだ」とのこと。なるほど、ルーヴル美術館やノートルダム大聖堂などもあるし、1週間いれば「自分だけの発見」をすることもあるだろう。僅か2時間ではパリを「知った」などとはとても言えないのである。

 というわけで、西班牙に行ったはずなのだが上海に戻ってきたときには「ミーはおフランス帰りザンス~」(赤塚不二夫『おそ松くん』)になっていたのである。

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2007年3月10日星期六

2007年春節@西班牙(10)-続・バレンシア-

前回の続き。

Imgp0392 Imgp0394  バレンシアにて、先の記事中のカテドラルの裏に当たるPlaza de la Virden。


Imgp0395 Imgp0398  Plaza de la Virdenから、Caballerosという名前の狭い道を西に向かって歩いたが、途中で交差していた路地。こういうところに住んでみたいものである。






Imgp0402Imgp0406Imgp0403  旧市街の西側にある門を目指したつもりだったのだが途中で道を間違えたようで違うところに着いてしまったため、最寄りのバス停から環状バスに乗り北側のPlaza Fuerosで下車。写真左は広場から南へ伸びる通り。食事時は終わったせいか閑散としている。写真中央・右は広場にそびえ立つ城門。


Imgp0419

 ここから旧市街を囲む車道を東に歩く。途中、聖像に守られた橋の向こうにやはり雰囲気のある建物を臨む。


Imgp0426  Iglesia del Temple, Gobierno Civilテンプレ教会と総督府。ここまで来て折角なので地中海を見ようと思い立ち、タクシーを拾って海が見えるところまで行ってもらうことにした。

Imgp0429 Imgp0430 その名もPort America's Cupという名前のヨットハーバー。今年(2007年)世界的に著名なヨットレースであるアメリカズ・カップがバレンシアで開かれるとのこと(オフィシャルサイト)。そのせいか、周りは工事中のところが多く、殺風景な場所もあった。

Imgp0438 Imgp0440  小さなヨットが泊まっている向こうには、外航船の姿も見える。


Imgp0435  港に面して建つ古めかしい建物。門前には"ADUANA"と記されている。



Imgp0442 Imgp0444 Port America's Cupから少し離れたところに、帆船が2隻停泊していた。近づいて説明を見たところ、レストランを兼ねたクルーズ用の帆船のようである。停泊中は開放されているようで、中を見る団体客もいた。
 逆光の写真は、なかなかうまくいきませんね。

Imgp0447 Imgp0448  2隻の帆船を、船尾から撮影。







Imgp0452 Imgp0451Imgp0457  やはり工事中であった道路を抜けると、ようやく地中海の砂浜を見ることができた。さすがに2月ということもあり、ビーチは閑散としていた。
 ビーチに面して建つホテルが、シーズンの到来を待っているようであった。
 既に17時をまわっていたので、国鉄駅に向かうバスに乗って市内に戻ることにした。

Imgp0464 Imgp0465Imgp0473  駅に戻ると18時近く、既に日は暮れようとしていた。写真は左から国鉄駅近くの路地、Iglesia de San Augustin、地下鉄駅近くの建物。

Imgp0475 Imgp0477 Imgp0480 Imgp0483 Imgp0485



最後に土産物を買おうと思い、スペイン各地にあるデパートEl Corte Ingre'sやスペインを代表するサッカーチームの1つであるバレンシアCFのオフィシャルショップのある市街地の西側まで地下鉄に乗って行った。スペイン各地で見られたロータリーにある門や、その周りに建っている建物を日が暮れた中で眺めるのも、これはまた記憶に残る景色であった。
 この日は空港近くに宿を取り、翌2月23日(金)のフライトで上海に戻った。

 今回旅行して思ったのは、ガイドブックに載っていないところにたくさんの発見がある、ということである。実は今回持って行ったのは『地球の歩き方スペイン〈2006~2007年版〉』(既にA20 スペイン―2007~2008が出ている)なのであるが、この本に載っていなかったソリアやあまり紙面を割いていないサラゴサやバレンシアに思ったよりも多くの記憶に残る景色があった。去年麗江・大理を旅行したときに『次からは1都市滞在型がいい』と言いつつ今回も実質滞在6日間でトレド・ソリア・サラゴサ・アンドラ・モンセラット・バレンシア、さらにマドリッドとバルセロナにも少し滞在したので結構慌しくあちこち動き回ったのだが、それこそサラゴサやバレンシアはもう何泊かして街中をぶらぶらとするのもいいかなと思った。ガイドブックは見所の一部を切り取って記しているのだが、やはり旅というのはそれ以上の発見が得られてこそ嬉しいものである。
 残念なのは、私がスペイン語やカタルーニャ語などを解せず、建造物や遺跡の説明を見てもよくわからないことである。少しなりともわかっていれば、スペイン各地を取り巻く言語状況、さらにその背景にある歴史や社会にも思いを馳せることができるのだが。
 今回訪れたどの街も、また来てみようという気になるところばかりである。2度目だと期待したほどには、ということもあるかもしれないが、逆に新しい発見に出会えるかもしれないと思う。

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2007年春節@西班牙(9)-バレンシア-

前回の続き。
 2月22日(木)。バルセロナを朝9時の特急列車で発ち、バレンシアへ。約3時間の列車旅であった。
Imgp0320 Imgp0326  正午前にバレンシア・ノルテ駅に降り立つ。駅の隣に闘牛場がある。





Imgp0338  駅を背にして、市役所に面したAvda.Marques de Soteloを歩く。



Imgp0339 Imgp0367 Imgp0347  上写真正面のY字路を左に曲がると、正面にバレンシア州旗をたなびかせた建物が見える。ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ、かつての商品交易所である。現在でも展示場などとして使われているようだが、他方世界遺産としても指定されている。写真右は交易所の中庭にて。

Imgp0342 Imgp0344 ラ・ロンハ・デ・ラ・セラの向かいに建つ建物。左は何か忘れたが、右はサントス・ファネス教会。

Imgp0350 Imgp0362  この2つの建物の奥に、バレンシアの市場がある。
 スペイン料理として知られるパエリアはバレンシア地方に由来するらしいが、そのパエリア用の鍋を含めた調理用具や鍋類が市場の横で売られていた。
 近づいてみると、パエリアを模したマグネットを発見。冷蔵庫などにメモを貼り付けるあれであるが、普通のパエリヤやエビの大きいパエリアなど様々なものが精巧に作られている。

Imgp0357 Imgp0358 Imgp0359  市場の中の様子。今回はサラゴサでも市場を訪れたが、ここバレンシアの市場はやはり海産物が豊富である。エビを得意としているところ、魚を得意としているところ、などいろいろあるようである。
Imgp0370 Imgp0366  この辺りを見終えたあと、カテドラルのあるレイナ広場を目指す。時間は14時頃、午前(?)の営業を終えた商店が一旦店じまいをする頃である。

Imgp0371 Imgp0373

Imgp0374  レイナ広場に到着。写真中央はレイナ広場から西側に広がるCalle Sombrereriaという通りの奥に見えるサンタ・カタリナ教会の塔、写真右は東側に広がるCalle Paz。
Imgp0376  ちょうど昼食時なので、観光客や地元の人たちがレイナ広場の屋外でカテドラルの塔をバックに昼食を食べている。






Imgp0381  レイナ広場を、観光用の馬車が走る。




Imgp0382  カテドラル内部の様子。このカテドラルは14世紀に完成したもののその後手が加えられているため、各礼拝堂が作られた時代によって様式が異なっている。日本語でのヘッドホン説明もある。

 写真が多くなったので、続きは別途。

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2007年3月8日星期四

2007年春節@西班牙(8)-サグラダ・ファミリアとサン・パウ病院-

前回の続き。
 モンセラット見学を終えて向かったのは、バルセロナと言えば多くの人が思い浮かべるであろうサグラダ・ファミリアである。
Imgp0276 Imgp0277 バルセロナにはアントニ・ガウディが手掛けた建築物がたくさんあるが、このサグラダ・ファミリアはガウディがその建設に生涯をささげた建築物である。1882年に前任の建築家の手により着工してから125年、いまだこの建物は建築中である。
 遠景はよく本で見かけるが、細部の彫刻も見事である。日本人彫刻家の外尾悦郎氏がこの彫刻の制作・修復に関わっている。
 もっとも、今回足を運んでみたかったのはこのサグラダ・ファミリアの中に入るためではない。ここには2003年末に来たことがあり、中に入ったことがあるのだが本当に建設現場だった。さらに、この日は入場まで1時間半待ちとのことであった。
Imgp0281  サグラダ・ファミリアから北東に向かう、その名もAvinguda de Gaudiガウディ通りという、両側にパルやレストランや商店を従えたマンションが並ぶ歩道がある。3年前にこのガウディ通りから振り返って眺めたサグラダ・ファミリアが美しかったので、今回また来てみた次第である。今回はあいにくの曇り空で、前回はサグラダ・ファミリアを背景にひなたぼっこをする人もいて絵になる景色だったのだが今回は前回ほどの感動がなかったのが残念である。もっとも心の中で3年前に見た景色を美化していたのかもしれないと思う一方、もう1度来ればその眺めに遭えるのかもしれない、と思ってしまう。

Imgp0284  このガウディ通りをサグラダ・ファミリアを背にすると、前方に煉瓦色の建物が見える。サン・パウ病院、こちらもサグラダ・ファミリア同様に世界遺産に指定されている。

Imgp0287  サン・パウ病院であるが、ドメネク・イ・モンタネールという建築家が1902年から手掛けた建築物である。こちらも28年間と、サグラダ・ファミリアほどではないが長い時間を要したため本人は完成を見ることなくなくなったが、その息子が後を継いで1930年に完成させた病院である。

Imgp0295  我々を出迎える塔に目を凝らすと、教会であるかのように精緻な彫刻が目を引く。「芸術には人を癒す力がある」というのがドメネクの思想の中にあるのだとか。





Imgp0298 Imgp0301Imgp0303Imgp0304



Imgp0306 Imgp0305 Imgp0307



 病院の中はいくつもの小さな建物に分かれており、そのどれもが目を引く素晴らしい建物である。
Imgp0302  女性が絵を描いている。



Imgp0297  このサン・パウ病院、れっきとした現役の病院である。白衣を着た医者と思しき人達が、構内を歩いている。構内で「Information」の表記を見つけたのだが、観光用のインフォメーションなのか病院としてのインフォメーションなのかわからず、ちょっと戸惑った。建築物としてのサン・パウ病院を紹介するパンフレットが置いてあったのだが、その近くの待合室では観光客ではないであろう人達がたくさん座って、何かを待っている様子であった。
Imgp0310  小児病棟だろうか、小児科の前なのだろうか。



Imgp0309  敷地内に停まっていた救急車。車に書いてある文字が逆写しになっているのは、急がないといけないときに他の車のサイドミラーを通じてその存在を知らせるためか。

Imgp0312  外へ出て、病院の前の通りを東側に向かって歩く。信号待ちの夫婦の姿が微笑ましい。


Imgp0313 Imgp0314  サン・パウ病院、病院としてはお世話にならないに越したことはないのだが、ガウディ通りの突き当たりで強い存在感を放っている。

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2007年3月7日星期三

2007年春節@西班牙(7)-モンセラット-

前回の続き。
 2月21日(火)。バルセロナ市内は2003年末に観光しているので、郊外にあるモンセラットに行くことにした。バルセロナ市内からカタルーニャ鉄道で約50分、そこからさらにロープウェーで修道院のある山を目指す。
Imgp0234  前日とかわってあいにくの曇り空で、目指す山はガスに覆われている。視界が今ひとつでパノラマが楽しめなかったのが残念。


Imgp0245 Imgp0249  門をくぐり、修道院を目指す。



Imgp0251  修道院に到着。ここも遠足と思しき小学生か中学生の団体が多い。何故か知らないが歩いていると少なからぬ生徒に「アリガトウ!」と声をかけられた。知っている日本語がそれなのか、上海で「カバン、トケイ」と声をかけられるより親しみが感じられて良い。カメラを向けてみたら、皆集まってきてVサイン。

Imgp0254  上写真手前の広場に面した回廊。



Imgp0255  アーチをくぐり、中の大聖堂を目指す。



Imgp0256 Imgp0257  大聖堂の入り口。
 中ではミサの最中で、中をゆっくり見ることができなかったのは残念。
 この修道院、今でもミサをやっていることからわかるとおり現在に伝わっているベネディクト会の修道院。ナポレオンによる侵略などにもかかわらず信仰を守ってきた、スペインの聖地である。


Imgp0258  大聖堂の前を囲む回廊。



Imgp0261  建物の細部も、細かい彫刻で信仰を表している。



Imgp0268  修道院の全景。



Img_0386  さらに高いところまでケーブルカーで登り、再び修道院を下に見る。
 この修道院付近のほか、様々な彫刻を見ながら散策できる山道があるのだが、天気が今ひとつだったのと午後行きたいところがあったので今日はそちらへは行かず、市内に戻ることにした。また来る機会があれば、ゆっくり見られなかった大聖堂の内部とあわせてゆっくり見たいものである。

Img_0389 Img_0387  このモンセラット、写真で見ての通り険しい岩山の中にあり、信仰を守るための要塞にすら感じられる。時折岩が人の顔のように見えることもあり、ドキッとすることもあった。

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2007年3月6日星期二

2007年春節@西班牙(6)-アンドラでスキー-

 2月20日(火)。
 ヨーロッパの地図でスペインとフランスの国境を眺めていると、途中に小さな領土があるのに気がつくだろう。「アンドラ公国」という小さな国である。
 外務省のウェブサイトによるアンドラ公国の概要から、一部引用する。

1.面積 468平方キロメートル

2.人口 7.7万人(2004年12月)

3.首都 アンドララベリャ

4.言語 カタルニア語(公用語)、スペイン語、ポルトガル語、フランス語

5.宗教 キリスト教(カトリック)が国民の約94%

6.略史
(1)10世紀以来、宗主のウルヘル司教と、司教から封土としてアンドラを与えられていたフォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生した結果、両者は、1278年に対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」を結び、以後、両者がアンドラの共同領主となった。
(2)共同領主の地位は、司教側で現在に至るまで代々ウルヘル司教に引き継がれているが、フォア伯爵側では当時のフォア伯爵がフランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来、フランスが国王に引き継がれ、フランス共和国となった後はフランスの国家元首(大統領)に継承されている。
(3)1993年2月には新憲法がアンドラ国会で可決、同年3月住民投票で賛成多数で承認され、アンドラは国家として独立した。フランス及びスペインは1993年6月1日に、アンドラ公国を主権国家として明示的に承認した(両国が仏西アンドラ善隣条約友好協力条約に署名)。また、同年7月国連加盟国の全会一致で国連加盟が認められた。

 香港の面積が、やはり外務省のウェブサイトによる紹介によると1,103平方キロメートルだから、それより随分小さい。ピレネー山脈の山間の小さな町の集まりが国として認知されるには、やはり独特の歴史があるのである。公用語がカタルニア語というのもユニークである。
 前日、サラゴサから特急列車でバルセロナ・サンツ駅に着いた後すぐに隣にあるバスターミナルに向かい、アンドラへのバスがどんな感じで出ているか調べることにした。18時頃バスターミナルに着いたところちょうど18時15分発のバスがあるとのことで飛び乗ろうかとも思ったがあいにくもうこのバスのチケットは売らないとのこと。次のバスは20時15分とのことで、深夜着はちょっと厳しいのでその日はバルセロナ市内に泊まることにし、またまた慌しいが次の日に朝1番のバスに乗り日帰りでアンドラに行くことにした。
 明けて当日、バスの発車時刻は6時15分。朝5時半に宿を出てまだ暗い中を地下鉄に乗ってサンツ駅に向かう。朝一番のバスなので車内は閑散としており、15分くらい遅れでバルセロナを出発。
 暗い中を高速道路を走りアンドラの首都アンドラ・ラ・ベリャを目指す。途中夜が明けて気がつくと一般道路に入っていたのだが、時々周りの視界が悪くなりガスに包まれたような感じになる。アンドラは標高1,000メートル以上のところにあるので、変わりやすい山の天気に翻弄されるのか、とも思った。
Img_0279  しかしまたしばらく走っているうちに周りの視界が開け、青空と緑が顔を覗かせてきた。この調子なら大丈夫そうである。
 バルセロナから2時間くらい走ったところで国境の検問と思しき建物のところで一旦停車したが、特にバスポートチェックもなくアンドラへ入国、さらに終点を目指して走った。
 バルセロナから走ること3時間、朝9時半にアンドラ・ラ・ベリャのバスターミナルに到着。
Img_0281  バスターミナルから歩いて10分くらいのところの橋の上がPl. de la Rotondaロトンダ広場になっており、ここにツーリストインフォメーションがある。ここで地図をもらうとともに、スキーができるか聞いてみた。聞くと、何ヶ所かスキー場はあるが一番近いところはバスで30分、La Massanaなるところまで行きそこからロープウェイに乗るとスキー場に行くことができるとのことで、スキーの板なども貸してくれると教えてくれた。
 バス停の位置も教えてもらい、遅い朝食をとって10時頃バス停に行くとタイミングよくバスが停まっていたのでそれに飛び乗ってLa Massanaを目指すことにした。
Img_0284 Img_0285  30分もかからず、15分くらいでLa Massanaのバス停に到着。ロープウェイ乗り場の周りに何件か貸スキー屋があったので尋ねてみたところ、道具は貸してくれるがウェアは貸してくれないとのこと。これからロープウェイで向かう先がどれほどの気温なのかわからないが、ここも暖冬なのか暖かかったので、ウェアを買うことなく「革ジャンにジーンズ」という姿でスキーに挑むことに決めた。ということで道具一式を13ユーロで借りた。
 ロープウェイ乗り場で利用券を購入。半日(9時~13時・13時~17時)で26ユーロ、1日で33ユーロ。この他長期滞在用に2日券~5日券もあるようだ。微妙な時間になってしまったが1日券を購入。上海の交通カードのようなICカードを渡され、これをロープウェイやリフトの改札でタッチすると決められた時間利用することができる。

Img_0286  かくしてゲレンデに到着。このあたりで標高1,800メートルくらいだったと思う。リフトで更に高いところに行ってそこからの滑りを楽しむ。
 温度的にはスキーウェアがなくても充分だった。


Img_0290  スキー教室の様子。ヘルメットをかぶっているのが特徴的である。アルペン競技が盛んなヨーロッパだからだろうか。


Img_0289  初級者用の短いコースには、動く歩道ならぬ「動く坂道」がある。



Img_0291 Img_0295  ゲレンデから見たピレネー山脈。結構上のほうまで地肌が見えるのは暖冬だからなのか、春が近いことを示しているのか。


Img_0296  日本だとスキー場で食べるものの定番はおしるこか味噌ラーメンだと思うのだが、アンドラの定番はあまりにも人が多すぎたので確認できず。


Img_0301 Img_0305  名残惜しかったが3時間程度滑ったところでスキーは切り上げ、再びアンドラ・ラ・ベリャに戻る。結構険しいところに教会やら家やらが建っている。



Img_0303  中央の銀色に光る建物はCaldeaなる名前のスパ。3時間33ユーロと入場料が高い上に要水着着用なのだが、折角なので海パンも購入して入ることにした。山に囲まれながら湯につかるのは格別である。ちょっと寒かったが。
 冬アンドラに行くときは、スキーウェアと水着を忘れずに?


Img_0308  アンドラにも、日本企業が着実に進出している。



Img_0313  アンドラ・ラ・ベリャのスーパー。品物は殆どが隣国始め各地からの輸入品。肉売り場に中国系?と思しき人がいた。


Img_0312  このスーパーの駐車場の案内。おそらくカタロニア語、フランス語、スペイン語による表記か。




Img_0314 Img_0315 Img_0317  アンドラのもう1つの顔として、免税ショッピングが楽しめる、ということがある。香港を彷彿とさせる電化製品店の店先に、カーオーディオや携帯電話、デジタルカメラなどが並んでいる。カーオーディオ89ユーロ、モノがどのようなものかわからないが安いのだろうか。私も記念というわけではないが1GBのmini SD cardを20ユーロで購入した。電化製品だけでなく、時計や化粧品、スポーツ用品店の店が目立った。もっとも、秋葉原や香港のように賑わっているということはなかった。週末になると違うのだろうか。
 アンドラというところ、スキーやハイキングの他に「バス旅行好き」で「デジモノ好き」の方(ぉ)にもいいかもしれない。

Img_0316  アンドラに割り当てられているドメインは「~.ad」。アンドラのみならずあちこちで使われていそうなドメインである。写真はアンドラの電話会社にて。


Img_0325 Img_0326  スキーとショッピング街の散策ばかりで、アンドラの歴史を感じる建築物、アンドラをここまでアンドラたらしめている場所はあまり見なかった。写真左はEsglesia de Sant Esteveなる建物、アンドラ国旗がたなびいている。写真右はおそらく役所の入口、中央に紋章が見える。

 ここまで見たところで18時前。バスターミナルに戻り、18時15分のバスでバルセロナに戻る。バスの中で「ミニ国家はいかにして国家として存立し得るか」研究するのもいいかも・・・と考えているうちに、スキーと街歩きの疲れからか、スパでふぬけになったからなのか帰りは熟睡してしまった。

*アンドラへのアクセス-バルセロナ・サンツ駅横のバスターミナルより、Euroline社のバスにて。手許の時刻表だと1日8往復、片道23.50ユーロ、往復40.50ユーロ、朝1番の便以外はバルセロナ空港が始発で、その後サンツ駅~アンドラと走る。他にもバルセロナ~アンドラのバスはある。
 他にもざっとバス停を見たところ、マドリッド~サラゴサ~リェイダ~アンドラ、アリカンテ~バレンシア~カステリョン~タラゴナ~アンドラなどいろいろな便がある模様。但しバルセロナ便以外は本数が少なそう。

*在仏日本大使館による「日本・アンドラ公国 友好ホームページ」 在仏日本大使館がアンドラを兼括している。

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2007年3月5日星期一

『中国時報』斜め読み

 西班牙旅行記は1回お休み。
 上海の少なからぬ喫茶店では、台湾の新聞を読むことができる。置いてあるのはたいてい『中国時報』か『聯合報』。今日喫茶店で最近の『中国時報』を数日分まとめ読みした中からいくつかピックアップ。
 さて、始めは今日(5日)付けのトップ、台湾の陳水扁総統が「台湾独立は必要」と言ったとされる記事であった。同様の内容を毎日インタラクティブから引用

台湾:陳総統「新たな考え」 独立「必要」、路線問題「ない」  

【台北・庄司哲也】台湾の陳水扁総統は4日、台湾独立や新憲法の必要性を訴える「四つの『必要』、一つの『ない』」と名付けた新たな考えを発表した。陳総統は00年5月の就任演説で、在任中は独立宣言や国号(国名)を変更しないなどとした「四つの『ノー』、一つの『ない』」という方針を表明したが、それに反する内容で、台湾独立を警戒する中国の反発を招きそうだ。
 陳総統が掲げた四つの「必要」は(1)台湾独立(2)台湾名での国連加盟(3)新憲法制定(4)台湾の発展。一つの「ない」は「台湾には左派、右派の路線問題は存在しない」。4日夜に行われた会合での演説の中で発表した。
 ただ発言の真意は、李登輝前総統による批判を意識したものとみられる。李前総統は台湾の週刊誌などで「台湾は統一か独立かを争う無意味な闘争をすべきではない」などと発言し、陳総統の姿勢を批判していた。

毎日新聞 2007年3月5日 東京朝刊

 この発言自体が李登輝が行った陳水扁批判への対抗とされている。『中国時報』でこの陳水扁の発言に触れた記事の下には、李登輝が『陳水扁はスローガンばかり』と述べたとされる記事が掲載されていた。
 (1)の「台湾独立」は、「台湾は既に独立状態にあり今更宣言をする必要もない」という主張に対し、敢えて独立をアピールすべき、というもの。
 (3)であるが、台湾は1949年に国民党政権が台湾に逃れてきてからも「我々こそが全中国を代表する」という建前で、国共内戦中の1947年に施行された憲法をそのまま台湾で適用していた。そのため例えば台湾の立法院や国民代表大会(日本の国会、と思ってください)は「議員を全中国から選出する」ということで江蘇省選出議員やら湖南省選出議員やらというのがいて、彼らは選挙ができないという理由で長いこと居座り「万年議員」となるなど、台湾のみの憲法としては矛盾があった。この矛盾を解決すべく、「自由地区」すなわち現在の台湾の支配圏のみで各種選挙ができるようにしたり行政制度や地方制度を定めたりといった「追加条文」を当初の憲法に追記している、というのが現在台湾で施行されている憲法の状況である。つまり、大陸を想定した『中華民国憲法』に書き足しをして運用している、ということである。こうした「大陸の憲法」から「台湾の憲法」に衣替えしよう、というのが上記の「新憲法制定」である。
 某国の首相は改憲の根拠として「憲法制定の過程」にこだわっているが、台湾では「前提」さえも異なっているのである。

 2000年に陳水扁が総統に就任したときには「4つのノー」、つまり独立を宣言しない、国号を(中華民国から台湾に)変更しない、2国論を憲法に盛り込まない、統一か独立かを問う国民投票はしない、と言っていたのだが、国民投票は前回の総統選時にやってしまった上に「4つの『必要』」に変わってしまった。
 「台湾の将来は台湾人が決める」わけであるが、こと陳水扁に関して言うと「うまくいかない時にスローガンを発する」「スローガン先行」という印象が否めない。今も夫人の裏金疑惑の只中だし、以前書いたが企業名から「中華」を外し「台湾」の文字を冠しようと言い出したところ立法院選挙で少数与党から脱することができなかったりと、うまく立ち回れていない感じがする。こういう発言は死に体でないところや窮地に立ったときでないときに発して欲しかった、という感じがする。
 その陳水扁であるが、不確実な噂をもとに政敵の宋楚瑜が中国共産党の人物と密会したと言ったとかで、裁判で敗訴して300万台湾元の損害賠償と謝罪広告の掲載を命ぜられたと別の日の『中国時報』1面に報じられていた。控訴可能とのことだが、何かとうまくいきませんな。

 もう1つ、先月2月28日は「2・28事件」60周年だった。本省人(台湾にもとからいた人)による、国民党や軍やそれらに属する外省人(大陸から来た人)に対する抗議運動とその弾圧から60年、翌3月1日の『中国時報』3面では台湾の政治学者・呉乃徳の演説全文として「我們還有一件事情沒有做到」という文章が掲載された。2・28事件以来生じた本省人と外相人の溝に代表されるように分裂する社会を、まとまりを持った社会にして行こう(つまりこうした台湾市民の融合が「一件事情還沒做到」)、という内容だと読んだ。

 台湾の新聞は芸能面にもかなりのスペースを割いている。3月4日・5日とも芸能面のトップは日本人。最近韓流が台頭していても日本の芸能ネタはやはり欠かせないようだ。4日は伊東美咲のこと(内容はよく読まなかった)、5日は宇多田光の離婚と飯島愛の芸能界引退の記事がトップだった。宇多田光の写真が掲載されていたが、非常にふくよかになっていたのが印象的であった。いつごろの写真を使ったのだろうか、あるいは写真が横に伸びていたのだろうか。

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2007年3月4日星期日

2007年春節@西班牙(5)-サラゴサ-

 前回の続き。
 2月19日(月)。ソリアから外へ出ようとすると東にサラゴサ、西はマドリッド方面となる。前日教えてもらったバスの出発時刻をもとに、早朝7時半発のバスでサラゴサに向かい、日中サラゴサ観光をした後にバルセロナかどこかへ行くことにした。
Img_0190  ソリアからサラゴサに向かうバスの車窓。風力発電のプロペラの向こうに雪山が見える。


 約2時間でサラゴサ着。ビルの1階を利用したバスターミナルでバスを降りたが、現在位置がわからないのでタクシーで鉄道の駅に連れて行ってもらい、鉄道の時間を確認。14時50分発のバルセロナ行きが約3時間でバルセロナ着となるが、その後の列車は何れも5時間くらいかかるので、この列車に間に合うように駅に戻ることにして再び51番のバスに乗り市街地に戻る。サラゴサ観光は4時間コースになりそうだ。

Imgp0203  まずは市街地に向かう途中にあるアルハフェリア宮殿で途中下車。



Imgp0206 Imgp0207 Imgp0208  この宮殿は11世紀にイスラム支配下にあるときに建てられたものとかで、こうやって中庭だけ見ると、アーチ型の装飾と中庭の作りがアルハンブラ宮殿のようにも見える。

Imgp0204  この宮殿は2001年に「アラゴンのムデハル様式の建築物」(ムデハル様式とは、スペインにおけるイスラム教建築とキリスト教建築が融合した様式)としてユネスコの世界遺産に指定され、またアラゴン州議会としても使われている。小学生の社会科見学と思しき団体が複数いたのは、どちらを目当てにしてであろうか。

Imgp0218 Imgp0220 Imgp0221  再びバスに乗って、Paseo Independenciaの終点にあるスペイン広場の近くで下車。写真左がそのAvenue、写真中はスペイン広場のロータリー、右は広場に面して立つ建物Diptacion de Zaragoza。

Imgp0223 Imgp0224  ここサラゴサでは、2008年に万博が開かれる。広場に面したところにそれを宣伝する事務所があった。右側はそのマスコットと思しきキャラクター。この万博のテーマは「水と持続可能な開発」とのことで、それを意識したマスコットか。
Imgp0229  先のスペイン広場のT字路を左に行き、すぐ右に曲がるとAlfonsoの名の付いた通りである。いい雰囲気の通りの向こうにピラール聖母教会のドームが見える。この通りを抜けるとピラール広場であり、ここにサラゴサの見所が集まっている。

Img_0214  ピラール広場に面して建っている、奥がピラール聖母教会、手前が市庁舎。


Img_0210  市庁舎の入り口。






Img_0208 Img_0209Img_0209_1  市庁舎のさらに西側には、ラ・ロンハと呼ばれるかつての交易所が建っている。壁面に商人と思われる人の顔が埋め込まれているのがおわかりだろうか。埋め込まれている顔がいい味を出している。


Img_0200  さらに西側にはカテドラルが。



Img_0203 Img_0206 ラ・ロンハの横を抜けてこれら建物の裏に回るととピエトラ橋がエブロ川に架かっており、新市街へ行くことができる。橋を渡ったところでピラール聖母教会を振り返る。


Img_0216 Img_0217  再びピラール広場に戻り今度は広場の東側を眺めると、何故か地球儀と中東・北アフリカのモニュメントがあり、その向こうに教会とスーダの塔がある。かつてイスラムの影響下にあった歴史をモニュメントで示そうとしているのか。
Img_0221 Img_0223  スーダの塔からスペイン広場に戻る道を歩いていると、立派な門構えの市場があった。肉・野菜・変わったところではニンニク専門の店もあった。


Img_0231 Img_0234  スペイン広場に戻る道すがら。






Img_0235 Img_0236Img_0241  スペイン広場から、再びPaseo Independenciaを鉄道駅方面に向かって歩く。写真中央はIgnacia de Santa Engracia、右は確か電話会社だったと思う。この通りも新旧歩いて楽しい通りである。
Img_0251 Img_0253 Img_0259  スペイン広場のもう片方の終点、アラゴン広場のトーテムポールとそれに面して建つ建物。写真中央の建物入口には"CAPITANIA GENERAL"と、写真右の建物には"FACULTADES DE MEDICINA Y CIENCIAS DE ZARAGOZA"と書かれていた。後者は地図で見ると病院になっていたので、その一部か。
Img_0264 Img_0262  アラゴン広場を右に折れ先の"FACULTADES~"の前を通ってさらに進むと病院らしき建物が見え、その前に古い門の跡がロータリーの中央に建っていた。


20070219080  さらに先に進むと路地の奥に闘牛場が見えた。近づいて、全景を望める交差点まで歩いて一枚。

 ここで14時前になったので、やや早足で先のアルハフェリア宮殿の近くまで歩き、鉄道駅へ向かうバスに乗った。サラゴサはバス路線が充実しており、私も最初こそタクシーに乗ったがあとはバスか徒歩で観光が可能であろう。鉄道駅の中に市内へ向かうバスの案内が掲示されているので、これで中心地に戻れるのだということがわかって助かった。
 わずか4時間のサラゴサ観光だったが、写真の通り快晴の空の下でまた素晴らしい街並みを堪能することが出来た。

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2007年3月3日星期六

2007年春節@西班牙(4)-サッカー観戦 ヌマンシアv.s.マラガ-

 前回の続き。
 私のソリア滞在日(2月18日)にスペインサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの2部(セグンダ・ディビシオン)の試合がここで行われた。実はソリア行きの目当ての1つがこれであり、チケットがどこでどうやって手に入れられるのかわからなかったが先述の観光事務所で聞くと「スタジアムに行って試合前に買ったらいい」とのこと。満員札止め、ということはないのだろうか。
 試合開始が17時からとのことで、ソリアの街をあちこち巡った後16時頃に再び鉄道の駅の方角に向かって歩き、スタジアムを目指した。途中で進路を左にとると、スタジアムへ着くことができる。
 (ゴール裏ではない)メインスタンドかバックスタンドの席が欲しかったが言葉がわからないので、スタジアムの絵を描いて「ここ」というようにアピールしたら、26ユーロの席とのこと。チケットに書いてある入り口へ行き中に入ると、そこはバックスタンドだった。ちなみにVIP席というのが50ユーロ、「Tributa Preferente」という席が32ユーロ、そして「Tributa General」26ユーロ、それより廉価な席として「Fontos」と「Aficion Visitante」がそれぞれ21ユーロであった。

 ここソリアをホームとするチームはClub Deportivo Numancia de Soria、ヌマンシアと呼ばれるチームである。郊外にある遺跡の名前と同じである。数年前には1部(プリメーラ・ディビシオン)に昇格したこともある。
 そしてこのヌマンシアには日本人選手が在籍している。福田健二選手、日本では名古屋グランパスエイト・FC東京・ベガルタ仙台でプレーした後活躍の場を海外に求め、2004年からパラグアイ・メキシコでプレーした後2005年末からスペインでプレー。ヌマンシアはスペインの2チーム目で、今シーズンから在籍している。
 今日のヌマンシアの対戦相手はMálaga Club de Fútbol、マラガである。アンダルシアにあるマラガを本拠地とするチームであり、昨年まで1部にいたチームである。マラガには2003年末に行ったことがありこちらもいいところであるが、今日はアウェーに乗り込んでのプレーである。

Imgp0151 Imgp0157  スタジアムにあったヌマンシアのエンブレムと、試合開始前のゴール裏の様子。試合開始までにもっと人は入り、9,500人収容のスタジアムでメーンスタンド・バックスタンドは7割の入り(屋根のあるところは満席だったが直前まで雨がぱらついていたためグラウンドに近い席は売らなかったようだ)、ゴール裏はもっと入っていただろうか。私が座っていたバックスタンドの周りを見ると、結構客の年齢層が高い。街のおじさん、おばさんといった風情の人がたくさんいるし、観戦している中でユニフォームを着て応援している人はわずかである。特にメインスタンド・バックスタンドは殆どが普段着の人達であった。これが、「街に自然にサッカーチームがある」ということであろうか。Wikipediaの記事によるとソリアは人口約37,200人とのことだから、9,500人収容のスタジアムに7割の入りとしても街のかなりの人がサッカーを見に来ていることになる。
 で、試合であるが、何と福田選手がゴール!!  開始20分過ぎであっただろうか、相手選手が数人いる場所から福田選手が右足でシュートを放つと、そのままボールはゴールへ(ん~、『龍時』の野沢先生とは表現力が月とスッポンだな)。それまではヌマンシアのシュートは枠の外に飛んでおり、むしろマラガのシュートの方が枠を捉えていた感があっただけに、点が入るときはあっけなく入るものである。これが味方のゴールであれば嬉しく、敵のゴールであれば落胆ものなのである。スタジアムは大歓声で、周りの観客の何人かが何故か私に握手を求めてきた。
 スタジアムの9割以上がヌマンシアの応援である。『龍時』に書かれていた、ゴールを惜しくも外したときの「ウィー」という声援も実際にスタジアムで聞いてみてわかった。あとバックスタンド側の線審が、マラガボールがラインを割っている(ように見えた)にもかかわらず流したり、ヌマンシアボールがラインを割っていない(ように見えた)にもかかわらずプレーを止めたりとマラガ寄りの判定が多く、その度にバックスタンドの人達は立ち上がってブーイングであった。
 福田選手、後半にもヘディングでゴールを割ったが惜しくも直前にファールだかオフサイドだかでゴールならず。とても調子が良さそうであった。イエローカードを受けたこともあり、後半途中で交代であったがこの日の試合の立役者であろう。

Img_0151  試合はヌマンシアが後半終了間際にもPKを決め、2-0でヌマンシア勝利。スタジアムで勝利の余韻を味わうことなく皆さっさと帰るのはちょっと意外である。スタジアムから街中へ戻る道は大混雑であるが、これから家で、あるいはパルで試合の話をするのだろうか。
 やはり福田選手のゴールを見ることが出来たのはとても大きい。見に行った日にゴールが決まるというのはとても嬉しいことだ。
 あと、スタンドが普通の街の人といった風情の人で埋まり、チームに声援を送っているのも印象的であった。前述の通り3万7千人の街で9,500人収容のスタジアムがそこそこ埋まるのだし、街の人が週末の楽しみでスタンドに足を運び、わが街のチームを応援しているという感じである。街にサッカーが、チームが根付いているのを感じる。更に、人口3万7千人の街にリーガ・エスパニョーラ2部のチーム、しかもかつては1部にもいたことがあるチームがあるところに、スペインサッカーの底力も感じた。
 他方、環境の厳しさも感じた。スタジアムに向かって歩いていっても直前までその雰囲気は感じられず。そのスタジアムは収容人数9,500人の小さなスタジアムであり、某国のチェアマンなら「Jリーグ加盟は認められん」と言い出しそうな規模である(リーグ名を書いてしまったが)。世界最高峰にあるサッカーリーグの2部のチームが、しかも1部在籍歴があるチームがこのグラウンドをホームとして戦い、しかも今季は上位を窺っているのである。
 これはアウェーのチームにとっても厳しさは同様であり、ソリアまで試合に来てアウェーで勝ち点(勝ちか引き分け)を得られなかった時の帰路たるや・・・今回のマラガも同様であろう。あるいは、気持ちの切り替えが早かったりするのか?
 何はともあれ、福田選手のゴールが見られて良かった。風情のある街並みを抱えるソリアでの、ヌマンシアでの今季の更なる活躍を願うばかりである。

福田健二選手オフィシャルblog "kenji fukuda BLOG"
Club Deportivo Numancia de Soria オフィシャルウェブサイト 右側の"FUTBOL 2d DIVISION"→"La Plantilla"に選手紹介があり、顔写真をクリックするとプロフィールが表示される。Operaではダメかも。

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2007年春節@西班牙(3)-ソリア-

 前回の続き。
 スペイン2日目である2月18日(日)、マドリッドから列車で北東へ3時間ほどのところにあるSoriaソリアという街へ向かった。
 早起きしてマドリッド・アトーチャ駅に向かい、8時15分発のRegional(レギオナル、快速列車くらいの意味か)でソリアまで3時間の道程である。列車の時間は、予めスペイン国鉄のウェブサイトで調べておいた。英語のページもあるし、スペイン語のページでも右上にあるプルダウンが出発地・到着地・日付に違いないということで検索すると検索可能である。
Img_0091 Img_0095  マドリッドを過ぎて30分くらいすると、その後は殆どが左写真のような大地が延々と続く。出発して約1時間、 Jadraque駅の手前だったと思うが右写真の通り山の上に城壁を見つけることができた。ここのみならずスペインで鉄道に乗っていると、同じような風景を何度か見かけた。

20070218054 20070218056  途中マドリッド->サラゴサの本線からソリアへ向かう支線に枝分かれし、途中トンネルを抜けたりするがあまり大きな街には巡り会うこともなく、11時過ぎにソリアの駅(左写真)に到着。
 駅には観光案内の類は全くなく、駅前もとても寂しいところである。手持ちのガイドブックにはソリアのことは紹介されていないので、右写真のような看板を頼りに、写真中のOficina de Turismoが観光案内所に違いないと信じてそちらに向かう。
 駅前が寂しかった上、道すがらの商店は日曜日なので軒並み閉店。雨も降ってきたので本当に見るところがあるのか不安になる。

20070218068  駅を背に上の看板を頼りに15分ほど歩くと、観光案内所が見つかった。ここで地図を入手。この観光案内所の窓口にいた女性はとても親切で、明日ソリアを発つ時のバスの出発時刻をわざわざ電話して調べてくれた。
 ホテルの空部屋がなかなか見つからなかったが、4件目でようやく部屋を確保。荷物を置いて残り半日を観光に充てる。

Img_0109 Img_0112 Img_0123  まずはタクシーを呼んでもらい、ソリア郊外にあるヌマンシアの遺跡へ。ローマ帝国の侵略に対して住民が抵抗し、紀元前153年~133年に渡って「ヌマンシア戦争」を繰り広げ籠城した末に住民が皆自決した場所の遺跡なのだそうだ。

Img_0129 Img_0134  ヌマンシアの遺跡から戻ってくると、鼓笛隊?の演奏とともに巨大な人形が登場。何かのお祭りだったのだろうか。


Imgp0095  戻ってきたところで今度はソリアの街中を散策。写真は観光案内所の近くのロータリー、Plaza Mariano Granadosに面した公園の入り口。


Imgp0098  街の中心にあるPlaza Mayolマヨール広場にて。



Imgp0100  街の北側の車道にある、昔の建物の跡。"San Nicolas"なる建物の跡らしい。


Imgp0107 Imgp0108 Imgp0109  ソリアの街も坂が多い。上述のマヨール広場から坂と階段を登ったところにある建物たち。左はIgnasia de Nuestra Senora del Espino、中央と右はParque Santa Qlaraサンタクララ公園を囲むように建つ建物。右の建物の入り口には"INSTITUTO DE ESTUDIOS DE CTENCLAS DE LA SALUD DE CASTILLA Y LEON"と書いてある。お役所か研究所か。

Imgp0112 Imgp0117 Imgp0115  上記"INSTITUTO~"から少し戻り、上述のロータリーに向かって歩くと写真のような建物に囲まれた三叉路にぶつかる、写真左と中央は"Diptation Provincial"、建物の前に聖人?だか昔の偉い人?の像が並んでいる。写真右に見えるのはIglecia de San Juan de Rabanera"。

Imgp0120  この日は日曜日ということもあり、殆どの商店が店じまい。開いているのは飲食店くらいで、食事時の商店街も静かである。






Imgp0123 Imgp0125 Imgp0141  左から"Palacio de los Condes de Gomera"、道すがら見つけた教会、"Banco de Espana"。


Imgp0131  "Iglesia de Santo Domingo"。中のステンドグラスがとても美しかった。



Imgp0124Imgp0138  建物の入り口には様々な紋章があしらってあるのが見える。何を表す紋章なのだろうか。







Imgp0142 Imgp0143 "Iglesia del Salvador"。十字架に鳥が巣を作っているのはご愛嬌か。






 ソリアという街、持参したガイドブックには紹介されておらず観光案内所で貰った地図を頼りに歩いた。雨がぱらつく中駅に降り立ったときには失敗したかもと思ったが、街を歩いてみると狭いエリアに風情のある建物や通りを見ることができ、ガイドブック頼りでは見つけられない新しい発見となった。惜しむらくはスペイン語が読めずまた予備知識もないため、街並みや建築物の歴史的背景がわからないことである。

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2007年春節@西班牙(2)-トレド-

 前回紹介した『龍時』の主人公、リュウジが所属する『アトランティコ』はマドリッド近郊のアランフェスという街にあることになっている。チームの会長はやはりマドリッド近郊にあるトレドで採れたブドウで作ったワインで財を成したにも関わらずトレドのサッカーチームには投資せず、隣町のアランフェスにある『アトランティコ』に入れ込んでいる。そのためトレドの人達の『アトランティコ』に対する感情は芳しいものではなく、リュウジの所属するユースチームがトレドに乗り込んで試合をするとアウェーの洗礼を受け、試合も激しいものになるのだとか。

 現実にはそんなことはないのだろうが、今回降り立って最初に向かったのはスペインの古都、トレドである。
 経由便でマドリッド空港に降り立ち、荷物が出てくるまで随分待たされた後地下鉄でバスターミナルの最寄り駅に向かった。そこからトレドまでバスで約1時間の距離である。
 このトレドという街は、西ゴート王国の下で6世紀に首都と定められ、そののちウマイヤ朝に征服されるもそれを引き継いだ後ウマイヤ朝やその後のカスティーリャ王国・スペイン王国の下でも繁栄し、1561年にスペイン王国の首都がここからマドリッドに移るまでスペインの中心都市であったとされる。スペインの古都という性格からか、日本の奈良市と姉妹都市である。

Imgp0001  トレドのバスターミナルから突き当たりを右に曲がり城壁に沿って坂を上っていくと、Puerta Nueva Bisagraビサクラ門に面したロータリーに着く。


Imgp0005  ロータリーの近くにある公園から見た遠景。



Imgp0010  城門をくぐる前に城外をぶらぶらと散策。写真はHospital de Taveraタベーラ病院。16世紀できの建造物。


Imgp0013  城外にあるマンション。ガーデニング?が印象的である。



Imgp0014  闘牛場。




Imgp0022Imgp0023 城門をくぐり、坂道を登ってトレドの町へ入っていく。右写真はPuerta del Sol太陽の門。


Imgp0025Imgp0026

 トレドの街は車一台どうにか通れるような狭い路地が迷路のように複雑に入り組んでおり、ちょっと道を見失うと迷子になってしまう。観光案内所で渡された地図がA4版の小さな地図だったこともあり、常に地図とにらめっこしながらの散策になった。




Imgp0027  ようやく広場にたどり着いた。Plaza de Zocodoverゾコトベール広場。




Imgp0033  アルカサル。かつての要塞。



Imgp0032 Imgp0035 Imgp0036  アルカサルの裏にある駐車場から、河の向こう側を臨む。


Imgp0045 Imgp0040Imgp0042 カテドラル。




Imgp0048 Imgp0060 Imgp0062  この他にもトレドには趣と歴史のある建築物が並んでいる。左から教会(名前は忘れた)、シナゴーグ、サン・ファン・デ・ロイエス教会。

Imgp0073  城門を出てタクシーを拾い、Parador de Toredoのテラスからトレドの街を一望。街中は狭い路地の両脇に建物が並んでいてなかなか街全体を眺めることができないのだが、こうして街全体を眺めるとやはり美しい街である。
 マドリッド郊外にはトレドのほかにもアルカラ・デ・エナーレス、セゴビアなどで歴史ある街並みを見ることができる。後2者には2003年に行ったことがあるのだが、今回のトレドもまた歩いているだけで街並みを堪能できるいいところであった。

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2007年3月2日星期五

2007年春節@西班牙(1)-『龍時』-

 先月の春節休みは、西班牙を旅していた。その時の様子をぼちぼちと更新する前に本の紹介を1つ。
 今回はフライト4時間前まで仕事、フライト3時間前まで部屋でメールを打ったりしていて旅行気分が今ひとつ盛り上がらなかったので、機内でこの本を読んで気分を盛り上げることにした。


龍時 01-02 文春文庫 野沢尚著 (写真・リンクをクリックするとAmazon.co.jpの当該サイトに飛びます)

 16歳の高校生・志野リュウジがリーガ・エスパニョールのチームに入るべく単身スペインに渡り、下部チームで揉まれながら成長しトップチームで出場の機会をつかむまでのストーリーである。プレーに対する細かい描写や、スペインに旅立つときに殴りあいまでした母親そして別れて暮らす父親との葛藤、さらに外国人としての厳しいプレー環境や「スペインに帰化するか、日本サッカーを選ぶか」の悩みにも読ませるものがあるが、作中には彼が所属する『アトランティコ』(架空のチームですね)のメンバー、宿舎となっているパルのマスターやその孫娘との交流がスペインを舞台に展開されている。
 この『龍時』を書くに際して、作者は実際にスペインに足を運び、当時スペインにサッカー留学していた玉乃淳選手(その後東京ヴェルディ1969→徳島ヴォルティスを経て今年から横浜FC)に取材をするなどして下部チームも含めたスペインサッカーを研究し、さらに記述には中西哲生氏のアドバイスを仰ぐなど徹底したこだわりを見せている。そのためかサッカーのプレイの場面にも、彼が描くスペインの街並みや人間模様にものめりこむことができた。ちなみに玉乃選手が当時所属していたのは1部リーグに所属する『アトレティコ・マドリード』の下部チーム、『アトランティコ』の名前はここからだろう。

 この続刊『龍時 02-03』はリュウジがべティス(これは実在のチーム)に移籍してホアキンとチームメートになったりロナウドに削られたり(すごい選手だ)フラメンコダンサーと恋に落ちたりライバルチーム・セビーリャに所属する韓国人選手と交流するうちに成長しまた「国を愛する」ことに思いを巡らし、『龍時 03-04』ではアテネ五輪に出場し曽ヶ端・大久保・明神といった大物とプレーする、というようにリュウジは成長していく。3冊とも読んだが、やはりスペインを舞台にした『01-02』『02-03』が面白いと思う。
 作者の野沢尚氏が亡くなったので、続きを読んでまたスペインにそしてリュウジに思いを馳せることができないのが残念である。
龍時02‐03 野沢尚著 文春文庫

龍時 03‐04 野沢尚著 文春文庫

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2007年3月1日星期四

Sparkling Water "Cerah Bulle"

Img_0017  私の同学が、スパークリングウォーター(炭酸水)の販売を始めた。
 日本だと普段炭酸水を飲むのは一般的ではなくお酒を割るのに使われることが多いと思うが、ヨーロッパなどでは炭酸ガス入りのミネラルウォーターが街でよく売られている。炭酸入りを「コンガス」、炭酸なしを「センガス」と呼ぶのは、確かポルトガルだっただろうか。この前行ったスペインではメニューが読めなかったのでよくわからなかったが、これでワインを割ったりサングリアを作ったりするのだとか。ワインの炭酸割りは今度これで試してみたい。
 話戻ってこのスパークリングウォーター『Cerah Bulle』であるが、ボトル裏の
記述によると、「中国唯一の火山性鉱泉 ユネスコ"世界生物圏保護区"の五大連池を水源とし、悠久の時間をかけて生成された、希少な冷泉ミネラルウォーター」とのことである。ちなみに五大連池とは黒龍江省にある火山地域で、上の説明の通り冷泉がここから湧き出ているとのことである。
 こと上海では水を美味しいと感じることは少ないし、水道水でなくてもタンクの水で水割りを作ったりしても今ひとつのことがある。水に敏感な人と昼食を食べに行くと、「ここのお茶は飲めない」と言う人もいる。本当に人によっては「水が合わない」のである。
 そんな上海で、この『Cerah Bulle』を飲んで「水を得た魚」のようになれるだろうか。
 当面は箱詰めで配達販売とのことだが、店頭で見かける日を待ちたいものである。

(追記)連絡先を紹介(ボトルの後ろにも書いてあるが)。
経銷商:上海佳若喜貿易有限公司
電話番号:021-5155-3355
ファクシミリ:021-5155-3337
ウェブサイト:http://www.cerahs.com.cn/

今のところ、浦東・蘇州にあるMarche(マルシェ)という日本食材店で取り扱っているとのことである。

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