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四月 2007

2007年4月28日星期六

おたく@中国時報

 少し前の話だが、4月10日付の『中国時報』に、『我很「宅」, 但很「優」』というタイトルの記事が載っていた。
 記事の内容は、まず「おたく」とされる人達の生活は引きこもりになりがちで幸せとは無縁だとされているが、本当にそうか?と疑問を呈し、「otaku學之父」(文中の表現より)とされ岡田斗司夫氏の名前を挙げつつ「おたく」は映像や情報が氾濫している21世紀の世界に適応できる人達であるのだが世間のイメージは『電車男』や『ケロロ軍曹』であるとし、他人を「おたく」呼ばわりする人も実は「おたく」なのでは?と結んでいる。
 記事の下には、台湾で働いている女性が職場では気付かれていないが漫画やコスプレにはまっているのを隠れた「御宅」の例だとして示している。
 しかし、この文中の表現、例えば「おたく」の人の一般的イメージとして「胖到滴汗」だの「走出封閉的生活」だのと表現してみたり、ずいぶんな表現である。ちなみにこの記事によると、「一般的御宅族」の定義は「御宅族指得是在秋葉原一帶出沒, 對於動畫漫畫電腦遊戲等次文化熱中而且鑽研很深的人」なのだそうだ。「秋葉原」という単語が「在日本的」の枕詞なしで出てくるのが興味深い。

 さらに、この語源である2人称で相手を「おたく」と呼ぶときの中国語訳は、「貴府」なのだそうだ。なるほど。

 という訳で、連戦の度重なる大陸訪問に対抗するわけではないが、この労働節休暇はまた台湾に行ってきます。

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2007年4月22日星期日

中国からココログへのアクセス制限?-その後-

 以前「中国からココログへのアクセスが制限されているようだ」と書いたが、その絡みで。

 このアクセス制限、中国の専売特許ではない。ちょっと古い話だが、YouTubeに掲載された動画の中にタイのプミポン国王を愚弄したものがあるとかで、タイ政府が国内からYouTubeへのアクセスを全面禁止にしたのだとか。ロイターの4月4日付配信より、記事はこちら

タイ政府、「ユーチューブ」への国内からのアクセスを禁止  

軍部主導のタイ政府は4日、米グーグル傘下の動画投稿サイト「ユーチューブ」への国内からのアクセスを禁止した。タイ王室を冷やかす内容の動画を削除するよう要求したのに対しグーグルが応じなかったことが背景。
 シティチャイ情報通信技術相はロイターの取材に対し「グーグルは度重なる動画削除の要求を拒否しており、タイ国内からの(ユーチューブ)サイト全体へのアクセスを禁止せざるを得ない」と述べた。動画が削除された段階で、今回のアクセス制限を解除するとしている。
 ユーチューブ上には、タイのプミポン国王を「愚弄(ぐろう)する内容」とされる44秒の動画が掲載されている。
 シティチャイ情報通信技術相によると、ユーチューブ側はタイ当局に対し、当該動画が「侮辱的」な内容には当たらないと回答し、削除要求を拒否しているという。
 ユーチューブおよびグーグル関係者からのコメントは今のところ得られていない。

 遮断したいページだけでなくサイト全部にアクセス禁止、というのは中国のアクセス制限に似ている。
 さて、中国からのココログへの接続状況であるが、ここ1週間ぐらいで少しはまともになった気がする。前回の記事前後からもともと少なかった拙ブログへのアクセス件数が更に減ったのだが、中国からと思われるアクセスは特定のIPアドレス以外はみられなくなったことが気になっていた。しかしながらここ1週間ぐらいで、中国国内からと思われる複数のIPアドレスによるアクセスをまた戴けるようになり、アクセス数も以前と同じくらいになった。
 ただ、前回の記事でアクセスできなかったと書いた場所からは、少なくとも一昨日の時点では相変わらずココログにアクセスできない。私の住んでいるところや複数の出張先からはアクセス可能だったのだが、相変わらず一部でアクセス不能というのは気分が良くないものである。あるいは別の原因なのだろうか。

 ところで前回の記事以降、アクセス制限が長引くようであれば他のブログサービスへ移転しようかとも考えていた。新しい記事だけ新しいところで始めるというのもいいのだが、途中からになってしまうのも何なので以前の記事もインポートできるほうが良かろうと思って調べてみた。大したアクセスもないのだがアクセスできない方用にミラーブログを作ろうか、ということである。
 『【無料ブログ比較なら】まあ待て、ブログを借りる前にここを読め。』の「ブログのお引越し - ブログサービスごとのインポート/エクスポート機能のまとめ」及びそこに書かれたコメントによると、Seesaaブログ・Livedoorブログ(PRO)・ブログ人がココログ同様のスタイルでインポート・エクスポート可能であり、FC2ブログ・はてなダイアリー・JUGEM ・ウェブリブログ・忍者ブログなどがココログからのインポートが可能なようである。しかし、Seesaaは中国からアクセス制限がかかっているのでここに移るというのは選択肢にはなかろう。それにしてもいつまで続くのか。
 変わったところではOperaブラウザを作っているOpera SoftwareによるOpera Communityや、GoogleによるBloggerなどというのもある。Opera Communityは写真を貼るページもあって良さそうであるがいまのところインポートには対応していないようであるし、Googleは中国のインターネット規制の手助けをしているとも言われているからなぁ…あと、台湾ネタを書くことが多いので台湾の蕃薯藤などどうかと思ったが、ブログ-台湾では「部落客」と言うらしい、コミュニティの意である「部落」の発音に引っ掛けたネーミングか-のトップページにはアクセスできなかった(のみならず、プロキシ経由だと接続が遮断されその後しばらく他のウェブサイトも見ることができなくなった)ので駄目か。
 結局アクセス規制も緩くなったようなので、慣れているココログでこのまま続けるつもりだが、中国でブログを書いたりウェブサイトを見たりと何かと中国独特の規制に気付かされることが多い。

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2007年4月18日星期三

あれから2年

 日が経ってしまったが、一昨日はあれから2周年だった。
 去年の今日も似たような出だしで書き始めたのだが、上海の街は本当にあのことを忘れてしまったかのようである。日本ではどうだろうか、日経ではそれらしい記事は見あたらなかった気がする。この件はもう落とし前がついている、ということか。温家宝首相の訪日や国会演説が大々的に取り上げられているが、2年前の「あれ」を思い出した人は少なかろう。
 「去年の今日」と違うのは、まさに温家宝訪日に見られるようにお互いが相手へのアプローチを変えようとしており、中国では日本に対するネガティブキャンペーンが少なくなり対日観が変わっている(変えさせようとしている)というところか。彼の訪日が「融氷之旅」なのであればそれはそれでいいのであるし、「あれ」で被害を被らなかった私がしつこくこだわる必要はないのであるが、「あれ」があったということ自体は心に留めておく必要はあるだろう。
 「変わったもの」と「変わらないもの」を把握しておくべき、というのは某所の師匠から戴いた言葉であるが、変わる前はどうだったか、ということも忘れずに留めておきたいものだ。

 今台湾から連戦・国民党名誉主席が大陸に来ているが、これはまた去年の4月と同じである(更に言えば「あれ」のあった一昨年4月に彼は初めて大陸に来ている)。何でも今回は鄭州で「黄帝」を祀る式典に参加するためだとか(中国情報局による記事)。あまり足繁く来ると新鮮味はないのだが、それでも当地のテレビニュースではそれなりの扱いを受けている。

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開店!ウイグル料理店

Img_0262_1 襄陽市場跡の裏、南昌路に最近オープンしたウイグル料理店。「蘭州正宗牛肉拉面」の看板が見える。この看板、上海市内のあちこちで見ることができる。


Img_0263  店の紹介とメニュー。「名在蘭州 食在上海」とのことで、やはり上海で広く展開されているようだ。チェーン店、にしてはローカル色が色濃く出ている。


Img_0266 このウイグル料理店、何と24時間営業である。この日は夜23時に訪れたのだが、襄陽市場跡の工事現場で働く人などが結構入っていて、深夜でもそこそこ席が埋まっている。
 店の若い人が、深夜でもせっせと麺を打っている。

Img_0267 この夜食したのは青椒土豆絲麺、7元で量・味ともに満足である。
 ここから100メートル程行ったところには以前紹介したウイグル料理店があるが、そこよりは店構えが質素である。前述の以前紹介した店に向かう途中の交差点にもウイグル料理店があるし、さらに逆側に10分程歩いたところにももう1件ある。この付近はウイグル料理激戦区である。

Img_0270 (追記)昼間の様子。食堂の外にもテーブルを出しており、なかなかの繁盛ぶりである。

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2007年4月15日星期日

藤棚@長楽路

Img_0255 長楽路x常熟路付近の一軒家。門前には「優秀歴史建築」と書かれたプレートがあり、1930年頃に建てられたとの記載がある。今はある会社のオフィスになっている。


Img_0254  中庭に見える藤棚。桜の季節は終わったが、色とりどりの花が見られる春はやはりいいものである。すぐに暑い夏が来そうであるが、それまでの間がいい季節である。

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2007年4月10日星期二

凧揚げ@外灘

Img_0244 先日淮海路から外灘に歩いたときのひとコマ。
 外灘の和平飯店の屋根の上に見える点のようなもの、写真のシミでも未確認飛行物体でもなく、凧である。相当高いところまで揚がっている。


Img_0248  揚げているのはこの人。外灘の遊歩道で特に走り回るでもなく悠然と構え、凧は風に乗っているようで糸がピンと張っている。


Img_0231_1  この遊歩道ではこの人だけでなく、凧揚げを楽しんでいる人がいる。写真の女性は奥の椅子に座っているおじさんから凧を借りて凧揚げを楽しんでいる。


Img_0240 こちらはこれから凧を空に挙げようとして頑張っているおじさん。



Img_0241_1  上のおじさんが走っているところからもわかるが、彼らが凧揚げを楽しんでいる遊歩道は実はあまり幅がなく、しかもここは左写真のような遊歩道の行き詰まりである。子供の頃に「電柱の近くで凧揚げをしてはいけません」「凧揚げは広いところでやりましょう」と言われていたが、上海では狭い場所でも皆器用に凧揚げを楽しんでいるのである。

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2007年4月7日星期六

淮海路から人民路、そして外灘へ

前回の続き。
 淮海東路の東端まで歩き淮海路散策は終えたのだが、折角なのでその先の道を外灘まで歩くことにした。
Img_0196 Img_0202  淮海東路の先にあるのは、「人民路」という名前の通りである。この名前、いかにもという感じであるがその出だしは名前に相応しくない?普通の通りである。人民路という名前はいつ頃つけられたのか、おそらく中華人民共和国建国後だろうし文革期についたのかもしれない。
 淮海東路から入ってすぐのところには、小さな結婚写真の店や貸衣装屋が並んでいる。角が丸くある程度の時代を感じさせる建物も、下のテナントはコンビニなり銀行にこそなっているが健在である。
 ちなみにこの真北あたりが以前紹介した福州路になる。外灘に程近いところでは、似たような建物を見ることができる。
Img_0206_1 Img_0209_2  右上の写真に見える交差点を過ぎたところから、突然歩道が広くなる。上海の有名な観光スポットである豫園が近く、後から整備したのだろうが広い歩道を設けて人々が散策しやすいようにしている。歩道ではゆっくり休む人やバドミントンをする人などがいて、思い思いに楽しんでいる。

Img_0212  豫園の門前街の入り口。欧米人を乗せたタクシーが次々と入っていっていた。



Img_0216_1 Img_0219  豫園の先はまた歩道が狭くなるのだが、しばらく歩くと芝生が敷き詰められた公園を見ることができる。古城公園という名前のこの公園、芝生と遊歩道があるだけのさほど広くない公園なのだが、結構賑わっている。蘇州を訪れたときに昔の人は街中にあって自然を堪能するために庭園を作ったのだと書いたが、今でも緑がさほど多くない上海にあって緑の芝生は映えている。
 門前にある公園の名前は、長らく中台交渉の大陸側の窓口役だった汪道涵の筆である。
Img_0220 Img_0223_1  この公園から東側を見ると、そこがもう外灘である。今日の視界は今ひとつ、といったところであろうか。


Img_0250  金茂大厦と、その隣に工事中の上海環球金融中心をバックに黄浦江を走るケミカルタンカー。この工事中のビルは日本の森ビル主体よるものなのだが、ビルの名前を「上海ヒルズ」=上海秀仕にしようとしたところ当局に不快感を表明され、この名前は断念したのだとか(日経ビジネスオンラインによる記事)。

Img_0225  「上海万博まであと何日」のモニュメントがある。3年後の上海万博を盛り上げるべく、最近の上海市内ではあちこちでこうしたこうしたモニュメントや上海万博を強調したスローガンを見ることができる。

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淮海路を歩く(2)

前回の「淮海路を歩く」から半年空いてしまったが、季節の良いうちに残りを歩くことにした。
Img_0153  前回の淮海路散策の終着点、上海婦女用品商店から街歩きを再開。



Img_0161_1  南北高架路(重慶路)を越えると、レンガ造りの建物が見える。中環広場というこの建物は民国期には中学校だったとのこと。今ではこの建物の後ろに同名の高層オフィスビルが建っており、この建物はショッピングモールになっている。


Img_0163_1  中環広場の手前で淮海中路と交差するのは淡水路。「淡水」というのは台北郊外の地名。



Img_0164 その向かいにはやはり年代ものと思われる低層アパートが頑張っている。



Img_0177 Img_0179  中環広場のすぐ先に、香港広場というところがある。ここはパソコンやデジタルカメラなどを扱う電気街である。家電量販店と違い小さな店がたくさん集まっており、日本ならさしずめ秋葉原電気デパートというところか。


Img_0182  香港広場を越えたところにある交差点にて。手前の人は何を急ぐか。



Img_0186 Img_0187  またしばらく行くと「淮海中路1号」と番地表記のあるビルがあり、ここで淮海中路は終わり。その先は淮海東路である。
 写真右は淮海中路と淮海東路を隔てる交差点にて。左側のビルと真ん中の建物は中学校である。


Img_0190_1  淮海東路に入ると、店構えもグッと庶民的になる。淮海中路のショッピングモールやちょっと高いレストラン、デパートとは趣を異にしている。
 歩道も狭くなり、普通の道という感じである。


Img_0192  長かった淮海中路とは違い、淮海東路は数百メートルの短い通り。程なく人民路との交差点に突き当たり、淮海路はここが東端となる。

 

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2007年4月5日星期四

また『中国時報』斜め読み

 また喫茶店で読んだ台湾の新聞『中国時報』から気になる記事を。
 まず昨日(4月4日)の同紙に、日本のフジテレビが持つ台湾テレビ(台視)の株式売却に対して圧力をかけたとかで、行政院の鄭文燦・新聞局長が辞任させられたとのこと。
 内容を時事通信の配信から引用。Yahoo!ニュースによる記事はこちら

 【台北3日時事】台湾行政院(内閣)の鄭文燦新聞局長(閣僚)が3日、辞任した。鄭氏は日本のフジテレビが所有する台湾テレビの株式売却に介入したとして野党から批判されており、2日に辞表を提出していた。

 これだけだとよくわからないが、その『中国時報』では新聞局長が台湾の老舗地上波テレビ局である「台視」とやはり台湾の新聞である『自由時報』の関係者とフジテレビの人を招いた会食の席を設け、フジテレビが所有する「台視」の株式を『自由時報』に売却するよう「意見した」とのことであった。この会食に出たフジテレビの長谷川氏という人が記者会見を行って告発し、新聞局長もこの会食の存在を認めざるを得ず辞職に至ったということである。
 台湾のラジオ局、中央広播電台Radio taiwan Internationalのウェブサイトにある記事だとわかりやすいか。

台湾テレビの株式譲渡問題、波紋広がる

台湾の地上波テレビ局四局の一つである、台湾テレビの株式譲渡問題で頼国洲・前会長が更迭されたが台湾で大きな波紋を呼んでいる。台湾テレビの日本側の株主である富士テレビを代表して台湾テレビと交渉した長谷川澄男氏は25日、記者会見を開き、鄭文燦・新聞局張と陳瑞隆・経済部長ら中華民国の政府要人がメディアの株式の譲渡に関与したことと、両氏が富士テレビ局に対してその持ち株を民進党よりとされる、大手日刊紙『自由時報』に譲渡するよう要求したことを批判した。
新聞局の鄭文燦・局長は26日、このことについて声明を発表し、当時の状況を説明した。鄭・新聞局長によると、日本側の代表が台湾に来たとき、資本の撤収に同意しなかった。その後、頼国洲・前董事長が日本に行って日本側の関係者と交渉した結果、日本側の株式を買収することになった。日本側の株式は頼国洲・前董事長に譲渡されたもので、大手日刊紙『自由時報』の代表者は日本側の株式を購入する意欲を示していなかったという。鄭文燦・新聞局長は、中華民国政府は行政手段を使ってこの株式譲渡案に影響を与え、またはそれを干渉しようとすることはないと強調した。

 「新聞局張」は原文のまま。 さらに辞任を報じる記事

鄭文燦・新聞局長、台湾テレビ株式売却案で引責辞任

蘇貞昌・行政院長が3日、日本のフジテレビジョングループが所有する台湾テレビの株式売却問題に関与しているとされる、行政院新聞局の鄭文燦・局長の辞表を批准した。中華民国政府が進めるメディアと、政府・政党・軍の分離政策の一環で、台湾テレビの外国人株主であるフジテレビジョングループは株式の売却を求められている。フジテレビ側では3月25日に台湾で記者会見を開き、今年1月17日に鄭文燦・局長の招待で食事した際、台湾テレビの株式を、同席した大手日刊紙『自由時報』に売却するよう求められたと明らかにした。鄭・局長はそれは事実と異なっているとし、あくまで中立の立場を主張したが、混乱を招いた責任を取って辞意を表明した。これに対し、蘇貞昌・行政院長は3日、鄭・局長は株式の売却に干渉していないが、食事招待のタイミングは適切ではなく、これ以上の争いを避けるために辞任に同意したと述べた。

 『自由時報』が民進党寄りとされており、そこへの株式売却を民進党内閣の人が求めている、というのが他の報道機関による批判の対象となっているようである。そういえば、上海では『自由時報』はあまりというか殆ど見かけない。
 そうは言いながら90年代までの台湾は国民党による「党営企業」「国営企業」が跋扈しており、地上波テレビのうち「中視」(中国電視公司)は国民党営だったし(今は違う)、「台視」(台湾電視公司)は台湾省政府と日本企業の共同出資、「華視」(中華電視公司)は中華民国政府とのつながりが強いとされていた。地上波では「民視」(民間全民電視公司)のみが民間出自のテレビ局である。東京外国語大学の小笠原欣幸先生によると2000年の総統選挙で国民党陣営が旧党営・公営の前3局を使ってネガティブ・キャンペーンを行ったとのことで(小笠原先生のウェブサイトにある記事)、来年に総統選挙を控えてテレビ局に政党の色がつくというのは相手にとって許し難いことであり、スキャンダルになるのだろう。
 それにしても「台視」に関するWikipedia記事(例によって中国からはそのままでは見られない)によるとかなりの日本企業が今でも出資しているのですね。あと、「堀A夢」も世が世なら台湾のメディアにも投資、ということになったかもしれないわけか。

 もう1つ、かなり毛色の違う話。3月27日付同紙の台北面に、インターネット上で嘘の身の上話と他人の写真で他人からお金を騙し取ったとして25歳の女性が逮捕されたという記事が目を引いた。
 この女性、ネットゲームで知り合った人に「両親はアメリカで交通事故で死に、私は台湾に帰って来たが親戚も相手にしてくれない」などと言葉巧みにMSNチャットで誘いをかけ、その際に自分のではない美人の顔写真を使って相手を騙していたとのことである。
 記事中では体型や容姿についても随分な言われ方をされていたが、それのみならずネットばかりやっている様子を「平日無所過事, 除了吃飯睡覺外, 都在租住處上網自娛, 是一名標準的『宅女』」と書かれていた。また相手を騙す様も「剪貼網路上的美女的照片, (中略)給交了許多『宅男』網友」と記されていた。
 「宅女」「宅男」などどいう中国語、学校では習うまい。というか一般に使われているのか?「宅」の持つニュアンスや由来を台湾の人はわかっているのかな。
 この女、文書偽造や詐欺・窃盗の前科があるとかで、コンプレックスもあっただろうが改心せずやってしまったのだろう。

 台湾の新聞を読んでいると、また台湾に行きたくなってきたが、さて。

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2007年4月4日星期三

車内誌@軟座

Img_0002 先週の蘇州日帰り旅行ではないが、やはり蘇州へ行く機会があった。
 そのときは軟座に座ったのだが、テーブルの上に『上海鉄道』なる雑誌が置いてあった。
 持ち帰り禁止とのことで残念ながら持ち帰れなかったが、記事は春節時の切符の発券がスムーズにいったとか、硬座車の修繕で輸送環境が改善したなどの類が多い。飛行機の機内誌同様、自社=鉄道局の宣伝が多い。あとは春節を列車の中で迎えた乗務員、運転手や車掌や食堂車のコックの随筆があり、これまたいかにもという感じである。
 その中で目を引いたのは、ダフ屋や偽の切符を売る輩を大量摘発したという記事。警官に両脇を抱えられた犯人が文革時の吊し上げよろしくうなだれている写真とともに誇らしげな記事であったが、切符にもニセモノがあるとは要注意である。
 あと、日本の新幹線「はやて」をモデルに技術導入した「子弾頭」(リンクはNIKKEI NETの記事)の紹介もあった。車内でインターネットが使えるとか「人性化服務」=心の通った車内サービスが売り物など車内は快適だという記事であった。「人性化」、長続きすると良いのだが・・・いずれ乗ってみたいものである。
 このほかにもボストンの地下鉄の紹介もあったし、上海の古い街並みの紹介もあった。中国語がわかる人が暇つぶしに読むのにはいいかもしれない。英文の記事もあった。

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2007年4月1日星期日

蘇州日帰行(2)

前回の続き。
Img_0108  拙政園・獅子園近くのバス停からバスに乗り、やはり庭園の1つである滄浪亭を訪ねた。前2つと比べるとこじんまりとしたところであるが、ここが蘇州に残された中で最も古い庭園であるとのこと。



Img_0109_1  園内にある「滄浪亭」は、写真の通りの小さなあずまやである。




Img_0101  滄浪亭を囲む堀に釣り糸を垂れる人達、釣果はいかに。




Img_0115 Img_0138  蘇州の中心地の特徴は建物の壁が白いことである。今日でも意識して中心地にはこうした規制を敷いているのかどうか知らないが、白壁で統一されることにより街の景観を落ち着いたものにさせているような気がする。この日は曇り空だったせいか、街の白色が余計に印象に残っている。Img_0141
Img_0118 Img_0126  もう1つ蘇州の中心地の特徴として町に運河や水路が走っていることがあり、これがやはり街の景観にインパクトを与えている。写真左の外城河が街を取り囲み、街中には細い水路が縦横に走っている。

Img_0121 Img_0136  水路のほとりに咲く花が、春の訪れを象徴している。青空の下だったら、白壁の建物とあわせてより映えたことだろう。



Img_0042 Img_0114  今回の蘇州行での移動は全て市内バスだったのだが、上海では最近あまり見かけなくなった大きなギアボックスのバスが蘇州では健在である。
 また、蘇州のバス停は景観を意識したのが写真右のような凝ったものであり、またバス停の名前が端に書いてありバスの中からよく見えるようになっている。

Img_0147Img_0148 Img_0150  蘇州駅で配られていたパンフレットで知ったのだが、今回利用した列車は往復共に墓参客・観光客対応の臨時増発便だったようである。その帰りの列車は軟座を確保したのだが、ホームに行ってみると2階建て客車の最後部に緑色の古い客車がくっついており、これが軟座車だった。
 車内は清潔ではあったものの、座席は硬座に毛の生えたような感じでやはりそれなりであった。

 蘇州には普段仕事で行くことが多いのだが、今回初めて観光をしてみた。普段仕事で訪ねている場所も、視点を変えてみると新しい発見があるものである。やはり仕事のために住んでいる上海でも、同様の新しい発見に出会えることを期待したい。
 今回は限られた時間で限られた場所にしか行っていないのだが、また観光で蘇州を訪ねたいものだ。

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蘇州日帰行(1)

 蘇州の清明節について昨日少し触れたのだが、昨日は思い立って蘇州へ行ってみた。

Img_0015  朝7時だというのに、上海駅はこの混みようである。




Img_0031_1  思い立って、と言いながら列車の切符は予め買っていたのだが、往路は硬座、しかも2階建客車の車内は写真のような混雑振りであった。週末の観光客に加え、前述の記事の通りこの時期は墓参客も多いのでとりわけ混雑が激しい。蘇州駅を降りるときはなかなかホームの階段にたどり着けず、線路を横切って別のホームへ行こうとする乗客も少なからずいて駅員に笛を吹かれていた。

Img_0050 まず向かったのは駅からバスでいくつか行ったところにある拙政園。明代に王献臣という役人が退官後に隠居した際に作った庭園である。


Img_0051 Img_0059  こうした庭園の類は、池の水があまりきれいでないこともありあまり好きではなかったのだが、実際に足を運んでみると園内の緑の多さに癒される感じである。実際に庭園が造られた目的も、街中にあって山や川といった自然を再現するためなのだとかで、現在でもこうしてたくさんの観光客が緑を求めて訪れるのだろう。

Img_0056  園内で女性が写生をしている。



Img_0062 Img_0067  園内の池にいた水鳥たちと、籠の中に飼われていた鳥。その自由度は雲泥の差であろう。


Img_0080  近くの道路にて、宮廷庭園の傑作が北京の頤和園ならば、個人庭園の傑作が拙政園なのだそうだ。


Img_0081 Img_0093  続いては、その近くにある獅子林。



Img_0084 Img_0087 Img_0088  園内には奇岩が配されており、さながら迷路のようになっている。

 写真が多くなったので、続きは別途。

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