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五月 2007

2007年5月28日星期一

Las Tapasその後

以前紹介した、虹梅休閑街にあるスペインtapasの店「Las Tapas」。

20070527183  前回行ったときは平日の遅くだったせいか客が少なく「大丈夫か?」と思えるくらいだったが、昨日は外のテーブルまで人が溢れており大繁盛である。Tapas=つまみを少しずついくつか頼みながらビールやワインを楽しむことができるので、いろいろな味を一度に楽しめるのが良いのだと思う。
 フィリピン人の店員が相変わらず陽気である。

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2007年5月27日星期日

華山路散策(2)

前回の続き。
Img_1212 Img_1214  華山医院を過ぎてさらに西に向かって歩く。「眞鍋咖啡」や上海戯劇学院がある。そういえば、日本式中華を食べさせてくれる「薬味」という店がこの付近にあったのだが、建物が工事中になってしまった。工事が終わったら復活するのだろうか。本当に上海の街は店の入れ替わりや建物の建て替えが多い。
Img_1218 Img_1221  更に進むと、写真右の飲茶・点心・広東料理の店「申粤轩」や西洋料理の店「夏朵」がある。以前も紹介したと思うが、前者は李鴻章の息子が住んでいたのだとか。


Img_1222  「夏朵」の向かいにある建物。アメリカ系企業の看板がかかっている。




Img_1231  江蘇路との交差点付近にあった、「待ち人の像」。




Img_1227  やはり江蘇路との交差点付近にて。こちらは「上海信息協会」の看板がかかっている。これだけ広い庭と昔の建物を使っているのもうらやましいものである。


Img_1238  江蘇路との交差点に建つ、興国賓館。ラディソンホテルの名前でおなじみの5つ星ホテル。この興国賓館付近で華山路は南へと進路を変える。


Img_1239Img_1242 Img_1243  敷地内には民国期からの建物など、いい雰囲気の建物が並んでいる。また、欧米人をターゲットにした一軒家がやはり敷地内に並んでいる。

Img_1264 Img_1267 Img_1274  再び華山路に戻る。写真左・中央は復旦中学、右は上海交通大学の入り口。華山路に名門学校が並んでいるのも、民国期からの流れであろう。

Img_1269 Img_1271  淮海中路・淮海西路との交差点付近にて、右の「非常越」は別名「Temple Saigon」の名が付いているベトナム料理店。


Img_1293  虹橋路・肇嘉浜路・漕渓北路との交差点、いわゆる「徐家汇」と言われるエリアで華山路は終わる。写真右側の太平洋数碼広場にはPCやデジタル製品を扱う店が並んでおり、写真左側のドーム状の建物「美羅城」にはそれに加えてレストラン街がある。撮影場所の左右両側は通りを隔ててデパートとショッピングモールが建っており、ここまでの華山路の雰囲気から一気に「今の上海」へと引き戻される場所である。

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2007年5月24日星期四

華山路散策(1)

Img_1168  再び上海に舞台を戻し、旧フランス租界の淵を走る華山路を散策。



Img_1170  南京西路との交差点には、名刹・静安寺がある。静安寺自体は三国時代にルーツを持つが、この地に移ってきたのは1216年、更に建物自体は消失し今日の姿になったのは1998年のこと。
 隣には久光デパートがある。

Img_1171  延安中路・延安西路との交差点。ヒルトン・上海国際貴都大飯店(Equatorial)の2つのホテルが見える。


Img_1176 Img_1178 Img_1179  延安路を越えてすぐのところ、上述のヒルトンの向かいには、外国人とりわけ欧米系向けのバーやレストランが並んでいる。


Img_1180  その並びに、辛亥革命後の中国における教育に尽くしたとされている蔡元培の故居がある。工事中にて外観はよくわからず。



Img_1184  上の蔡元培故居付近から華山路は南北から東西へと90度向きを変える。ここからは西へ向かって歩くことになる。



Img_1187Img_1185Img_1186 曲がってすぐのところにある4つ星ホテル、静安賓館。1925年できのスペイン風建築とのことだが、昔の名前は海格大厦とかで華山路が昔は海格路と呼ばれていたことを伝えている。庭がとても広いが現在工事中なのが残念。

Img_1190  少し歩くと、烏魯木斉路との交差点に華山医院が見える。上海では有名な総合病院で、外国人向けのクリニックがあり私もお世話になったことがある。もっとも、あまり病院には世話にならずに越したことはないのだが。


Img_1202 Img_1205  院内に煉瓦色のしゃれた建物があるが、1910年できの中国紅十字病院(赤十字病院)の建物。今でも現役で使われている。無機質な建物が多い病院にあって歴史を感じさせてくれる場所である。

 この間僅か1㎞程なのだが写真が多くなったので、続きは後程。

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2007年5月22日星期二

中国・台湾 高速鉄道乗り比べ

 今回の台湾滞在中、今年1月に開業した台湾高速鉄道に乗って台北から高雄へ行く機会があった。
 他方、4月には台湾高速鉄道同様に日本の新幹線がベースになっている中国の高速列車「子弾頭」(弾丸列車、の意)にも乗った。短い間に中国・台湾双方の「新幹線」に乗ることができたので、その比較を。
 まずは中国側から。

【子弹头】(子弾頭)

 中国の高速列車「子弾頭」は、日本の東北・長野新幹線で使われている列車がベースになっている。日本の川崎重工業の車輌を導入したのだが、日本から輸入したのはそのうち少数で、残りは中国の工場でライセンス生産されたものだそうだ。この点をもとに、中国では「日本の技術導入」という点はアピールされておらず、むしろ「中国の技術により実現された高速鉄道」ということがアピールされている。何だかなぁ。
Img_0481 Img_0482  この子弾頭、2007年1月から営業運転を開始したが当初は従来からあった特快(特急)の代替だったのでスピードもそれなりに抑えられていた。2007年4月のダイヤ改正で全国の鉄道のスピードアップが行われたとされているが、その際に今までの特快・快速・普快などに加えて新しく「动车组」(動車組)という列車区分ができ、それらにはそのピンインDongchezuの頭文字である「D」で始まる列車番号が付けられている。写真はスピードアップを謳ったダイヤ改正の広告。
 上海~南京を、ノンストップの動車組は2時間弱で結ぶ。特快もスピードアップしたようだがそれでも2時間50分かかる。
Img_0483  今回は蘇州→上海の乗車。もっとも、対面に停まった子弾頭の写真ばかり撮っていて肝心の自分が乗った列車の写真はあまりない。写真は蘇州駅にて、上海から蘇州に来てこれから南京方面に向かおうかという子弾頭。

Img_0485  列車に付けられた愛称は「和詣号」。中国で最近よく見聞きするスローガン「和詣社会」=「調和の取れた社会」といわれるときのあの「和詣」である。いかにもというネーミングである。


Img_0487 子弾頭の運行開始にあわせて、プラットフォームの高さを高くしている。もっとも、今まででも列車とホームの間には段差があったのだが。


Img_0490  二等車(普通車)の車内の様子。日本の新幹線と殆ど同じである。乗り心地も快適であった。



Img_0488  座席の前に格納されているテーブルの裏に車内案内がある。




Img_0492  従来の鉄道では「軟座」「硬座」という区分であったが、新しくできた「動車組」では「一等座車」「二等座車」という区分になっている。車輌の側面に記載されている表示も、今までは「硬座车YINGZUOCHE」などと外国人が見てもわからんだろという表示だったのだが、この動車組では側面に「二等座车 Second Class Coach」と記載されている。
 運賃であるが、時刻表を見ると上海~南京の動車組の2等料金が97元、同じ区間の特快の軟座料金が79元である。今回は蘇州→上海の乗車であったが、動車組の2等料金と特快の軟座料金は略等しかった記憶がある。気をつけたいのは、今回2等に乗った際の蘇州駅での待合室は硬座の扱いだった(軟座待合室には入れてもらえなかった)ので、待合室は硬座扱いになる可能性が大きい。待合室が汚かったり物騒だったりする駅から乗るときは注意したほうがいいだろう。
 これに1回乗ると、もう「普快の硬座には戻れない」という感じである。今までの特快と比べても乗り心地は優れていると思う。

 続いて台湾側を。

【台灣高速鐵道】(台湾高速鉄道)


 台湾高速鉄道は2007年1月に台北郊外の板橋から高雄郊外の左営までで営業開始。その後3月に台北駅の使用が開始されている。「高鐵」(高鉄)の略称が使われている。
 従来の特急「自強号」で台北~高雄間は4時間かかっているが、台湾高速鉄道は台北~左営間を最短1時間40分で結んでいる。こちらは東海道・山陽新幹線に使われている列車の技術導入とのことで、中国側がJR東日本、台湾側はJR東海の車輌がベースになっているというのも面白い。

 台湾高速鉄道のウェブサイトはこちら日本語のページもある。

Img_0773Img_0775 切符は駅で購入するほかに電話予約が可能。この電話予約だが身分証明書番号(外国人の場合はパスポート番号)を告げ、駅の自動券売機でその番号の下4桁と予約番号を入力して切符を購入するという仕組みなので、外国からも電話予約が可能である。ただ、今回台北→左営間を電話予約で申し込んだが、中国語を選択したがなかなか繋がらず、繋がっても10分待たされてようやくオペレーターに繋がったのでパフォーマンスは今ひとつである。近々インターネット予約も始めるそうなのでそちらに期待したい。
 台北→左営間の運賃はNT$1,490だったのだが、NT$2,000を入れたところ釣り銭がNT$50硬貨10枚で出てきたのには驚いた。この運賃、在来線の特急「自強号」の2倍弱、バスの約3倍である。

Img_0781  乗車当日、台北駅にて。乗り場は在来線の隣で、ホームも在来線に平行している。



Img_0783 Img_0785  駅のホームにて。まだ目新しいのか写真を撮ろうという人が多い。
 ドアの横には、この列車が開通時の1番列車に使われた旨を示すマークが付いている。
 当たり前だが、「三民主義号」などというスローガン性の高い名前は付いていない。

Img_0787  普通車の様子。乗り心地も含め、中国の「子弾頭」と大差ない。
 列車は台北を出ると板橋・桃園・新竹・台中・嘉義・台南を経て左営へと向かう。各駅に停まる列車だと台北~左営間は2時間10分、板橋・台中のみに停まる列車だと1時間40分。
 台北出発時には90%以上の乗車率だったが、気が付いたのは短距離でも高速鉄道を利用している人が結構多く、客の入れ替わりが多いことであった。高速鉄道の駅は在来線から離れているのだが、場所によってはそれでも、更に高い運賃を払ってでもということか。

Img_0807  写真は台南駅付近の車窓だが、上述の通り高速鉄道の駅は在来線の駅から離れているところが多く、駅前はまだまだ更地のままのところが多い。これから駅を基点に建物が並ぶのだろうか。


Img_0788 Img_0789Img_0794 Img_0795  興味を引かれたのはこの一連の広告。「高鐵前」「高鐵後」と2つの写真を並べたシリーズの宣伝である。「高鐵後」のほうが常にHappyということか。しかし、「高鐵前」にはベランダで風呂につかっていたのか。

Img_0799  左営駅。太陽光を取り入れる造りになっている駅である。




Img_0803

 帰りも高速鉄道で台北へ。この日は朝台北を出て昼前に高雄に着き、同学と昼食を食べて暫し歓談してまた台北へ戻る、という行程であった。本当に便利になったし、台北~高雄間は飛行機を使わずとも完全に日帰り圏になった。これで高速鉄道の駅から各地にバスが出れば周りの街も日帰り圏に入るだろう。こうなると、台湾東部の交通の便の向上が課題になろう。

 ところで、中国の「子弾頭」であるが、備品を持ち去る輩が多く、車内が早くも傷んでいるのだとか。Record Chinaによる記事

 2007年5月17日、鉄道高速化計画の目玉として登場した弾丸列車が走行を開始して1か月、定期点検のため河南省鄭州市の鉄道局検査場に戻ってきた。約100人の技術者が車体を検査したところ、無残なほどボロボロにされていることがわかった。 ボロボロになった原因は乗客による備品の持ち去り。被害が最も多かったのは手洗い場のセンサー式蛇口。多数取り外されてなくなっていた。さらに緊急脱出用のハンマー。また密室であるトイレも被害が大きかった。便座の温度調節つまみやペーパーホルダーの軸さえ取りはずされ消え失せている実態には、ただもうむなしさが募るばかりだと技術者たちはこぼす。 鳴り物入りで走り出した夢の高速列車だが、わずか1か月で満身創痍になって戻ってくるとはおそらく想定外だったはずだ。同局は今後、備品持ち去り禁止を表示するのか、乗客の資質向上を待つのか、判断を迫られることだろう。

 運賃は高いのだが、それでも乗客のモラルは・・・というところか。

 一方の台湾高速鉄道、全くの余談だが、「高鐵」と書いてあると(「鐵」が繁体字なのがツボ)後ろに「山」を付けたくなるのはある世代以上の相撲ファンだけか。最近相撲界も何かと騒がしいようだが…と、また「わかる人にしかわからない」ことを書いてしまった。

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2007年5月19日星期六

国立空中大学

 日本では少なからぬ大学が通信教育課程を持っており、あるいは通信制のみの大学もあったりする。これら通信制の大学では、働きながら学びたい人やもう1度学びたくなった人、あるいは生涯学習の場として多くの人が学んでいる。1990年代末からは通信制大学院もあり、大学院レベルの研究もできるようになっている。
 かく言う私も放送大学で学んだことがあり、ここで学士(教養)と修士(学術)を戴いている。
 台湾にも放送大学と同様のコンセプトの大学、国立空中大学があり、台湾で同様の活動を行っている。日本で放送大学がテレビ・ラジオを通じて授業を行っているが、この空中大学も同様に放送メディアを用いた大学教育がスタートである。この「空中大学」という名称、日本の放送大学の英文名が「The University of the Air」なのだがそれに似た概念を導入しているのだろうか。日本語の「放送」を意味する「廣播」を名称に用いていないのが興味深い。なお、空中大学の英文名は「National Open University」であり、中国語名とは異なり「Open University」であることをアピールしている。
 なお、放送大学と空中大学は交流協定を結んでおり、学術交流や遠隔教育機関としての交流をしている(参考:台北駐日経済文化代表処日台両国各種学校締盟や学術協定一覧表)。放送大学は1985年に授業を開始、空中大学はそれに遅れること1年、1986年設立である。
Img_0834  空中大学の本部は台北の郊外、台北県蘆州市にある。台北市内からだと台北駅前や民権西路駅前からバスで行くことができる。交通案内はこちら


Img_0838  門をくぐると、蒋介石の像が出迎えてくれる。




Img_0839 Img_0840  空中大学の入り口に掲げられていたトレードマーク。やはり「放送」をアピールしているように見える。


Img_0843  大学本部の建物。土曜日で人がいなかったこともあるが、本部に土曜日に行くと活気が感じられないのは放送大学と同じか。
 この日は土曜日ということで人がいない。実はここに2000年に訪問したことがあり、その時は飛び込みだったにもかかわらず応接室で大学の歴史や学習システムを紹介していただいたのだが、今回は人がおらず残念である。
 しかしながら入り口近くのインフォメーションには人がおり、台北市内にある「学習指導中心」(放送大学の学習センターのようなもの、日本語に訳すとやはりそうなるし)を紹介していただいた。謝謝。

Img_0855  台北学習指導中心(台北学習指導センター)は地下鉄国父記念館駅近くにあるテレビ局、中華電視公司(華視)の13階にある。この「華視」は日本のTBSと姉妹局だそうで、さしずめ日本ならTBSの社屋に学習センターがあるようなものか。

Img_0856  台北学習指導中心の入り口。




Img_0862  学習指導中心でお勤めの方に内部を紹介していただいた。謝謝。
 説明戴いた中で驚いたのは、空中大学の授業はインターネット経由でオンデマンドで提供されていることである。案内していただいた方に実演していただいたのだが、空中大学のトップページ→「教學入口網站」から「數位學習(網路教材)」の項目をクリックし、IDとパスワードを入力すると本人が登録している科目の授業をインターネットで受講できるという優れものである。この職員の方が登録していた日本語の授業を見せていただいたが、空港での税関検査時の会話が授業で提供されていた。「認識空大」のページを見ると、2005年からこのような方法になったようである。テレビ・ラジオの授業も残っているようだが、あくまでオンデマンド授業が主な役割でありテレビではこれらのうちの新規開講科目や受講者の多い科目に絞って放送しているようである。
 センター内にPCが複数並んでいたが、これはPCを持っていない(使える環境にない)人がセンターに来て授業を視聴するためのものだと説明戴いた。放送大学の学習センターにある再視聴用ビデオブースのようなものか。

 日本の放送大学はこうしたインターネット経由での授業を提供していない。「広く社会人に大学教育の機会を提供すること」という放送大学の目的からすると容易にアクセス可能な(UHFやラジオ聴取可能な地域に住んだり、さもなくばスカパーに入る必要があるが)方法を選択するのは自然なことだと考える。また、私も含めて特定時期以前に高校を卒業、もしくはそれ相当の資格を得た人はPCの操作が必須知識でなかったこともあり、PCを不要とする授業で「広く社会人に大学教育の機会を提供する」ことには全く異論はない。
 他方、社会人としてあるいは大学に入る前段階でPCの基本的な知識や操作を会得している人は多い。こうした人がインターネットを通じて大学教育を受ける、というのもありだと思う。それに、インターネットやPCを活用することで更なる遠隔教育や遠隔学習の機会が得られるのである。空中大学が放送授業を残しつつインターネット経由のオンデマンド授業を主にしているのはこの立場に立ってのものと言えよう。
(追記:日本の放送大学でも、2007年以降新規開設のラジオ科目はインターネット配信されています)

 このほか、空中大学の特徴を、ウェブサイトや募集要項から気付いた範囲で挙げてみる。

・卒業時には、台湾の他大学同様「学士」の学位が得られる。
・1年2学期制。1学期は9月に、2学期は2月に始まる。
・人文学系、社会科学系、商学系、公共行政学系、生活科学系、管理与信息学系の6つの学科がある。
・毎学期全ての授業が開講されるわけではなく、ある学期に開講される科目は決まっておりそのスケジュールに沿って受講する。
・単位を取得するには放送授業(オンデマンド授業)・面接授業・試験の3過程を経ることが必要。放送授業と試験だけで単位を得ることはできなさそうである。面接授業は週末に開講される(学期毎の開講科目が決められているのはこのためか)。
・澎湖・金門島を含め台湾各地に学習指導中心が設置されている。
・台湾には徴兵制度があり、大学在学中は入隊を延期することができるが空中大学ではそれは不可。
・全修生(学士取得を目指す学生)は20歳以上であることが求められ、他の大学より年齢制限(下限)が高い。
・在籍年数の制限はない。
・付属校に「空中大學附設空中專科進修學校」がある。「副学士」が得られるとのことでこちらは短大・専門学校相当。なお、修士課程はない。
・高雄には、高雄市立空中大学という別の遠隔教育を行う大学がある。

 空中大学のテキストは市内の書店で購入することができる(放送大学のテキストも日本の本屋で買うことができる)。これら書籍は放送大学にいるときに活用させてもらったし、論文の参考文献として挙げたこともある。台湾の遠隔高等教育機関として、また良書を数多く出している空中大学の更なる発展を期待したい。

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2007年5月14日星期一

マカオ散策(5)-その他もろもろ-

 今回マカオに2泊3日したのだが、他にも気付いたことを書いてみる。

・人民元使用大歓迎

Img_0981  携帯電話ショップの店先にて。繁体字を使っているはずのマカオで「欢迎使用人民币」の看板である。マカオの通貨はマカオ・パタカであるも以前から香港ドルがマカオでも流通していたが、人民元もマカオで通用しているようだ。私も今回タクシーに3回乗ったが何れも人民元を受け付けてくれた。最近は人民元と香港ドルの換算レートが略1対1であることもあり、額面をそのまま人民元に置き換えた額で受け取っている。
 マカオ2日目に両替商の店頭に書いてあった換算レートは「100.5人民元=100香港ドル」、翌日には「100人民元=100香港ドル」であった。

・マカオの道路標示

Img_0984 Img_1116  マカオの道路標示であるが、写真のようにタイルの上にポルトガル語と漢字で通りの名前を書いている。漢字はさておきタイルの上に通りの名前を記すスタイルはポルトガルでの表示方法と同じである。

・ポルトガル語も公用語

Img_1123  上の道路標示からもわかる通り、マカオの公用語は中国語とポルトガル語である。
 従って、中国銀行もここマカオでは「BANKO DA CHINA」である。


・「自動ドア」

Img_1144  マカオの自動車は日本や香港と同じで「右ハンドル・左側通行」である。そのせいか写真のような黒色の日本車タクシーをよく見かける。


Img_1143  その日本車タクシーのドアには「自動ドア」と日本語表記が。このタクシーばかりでなく少なからず日本車タクシーのドアにこの表示がある。日本でタクシーとして使われた中古車がそのままマカオに入ってきているのか。
 中国本土はマカオとは逆で車は右側通行であるのだが、学生時代に北京を旅行した際に「那覇交通」だか沖縄の地名が側面に記されている観光バスを見かけたことがある。沖縄は返還前、そして返還後も1978年までは日本の他地域とは逆の「車は右側通行」であった。その頃のバスが北京に流れてきていたということである。
 あと、マカオで見てみるとマカオと本土の両方のナンバーを持った車がこれまた少なからずいるが、マカオは左側通行・本土は右側通行と異なる環境を右ハンドルでよくこなしているなと感じる。

・ホテルリスボア

Img_1078 Img_1082  マカオといえばカジノが有名。日が暮れるとカジノを目指す観光客で通りは賑わい、カジノのみならず彼らをあてにした食堂や両替商、貴金属店などの店が夜遅くまで店を開けている。

Img_1084  マカオのカジノでその名を知られているのは沢木耕太郎『深夜特急』にその名が出てくるホテルリスボア=葡京酒店である。
 冷やかしで中へ入ってみる。入り口に外貨を香港ドルやパタカに換える両替商があり、その奥に賭場がある。
 中に入ってみると熱気というのはさほど感じられず、皆スマートに賭けている、という感じである。以前テレビで中国人がマカオに押しかけてカジノに興じている、とした番組を見たことがあるが、あれは街のネオンなどでカジノの賭博性を過剰に表現しているのか。
 館内では『深夜特急』にも出てくる「大小」(さいころの出目を当てるゲーム)やルーレットなど各種ゲームをやっていたが、ディーラーも大声で煽るわけでもなくスマートに粛々とゲームを進めている、という感じであった。ここでカジノにのめりこむ人は煽られて賭けに入るのではなく粛々とした進行の中でどんどん賭けにいってはまってしまう、ということか。
 チェリナーのようなディーラーは、いなかった(って、わかる人にしかわからない表現か)。

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2007年5月13日星期日

マカオ散策(4)

 前回の続き。5月7日に上海に戻ってきたのだが、午前中を使って再びマカオ市内散策。
Img_1098 Img_1102  マカオ半島南部の丘に建つ、ペンニャ教会。教会は17世紀からあり、建物は19世紀に改築されたものだとか。



Img_1097  前庭からは写真の通り、マカオタワーとタイパ島へ向かう橋が一望できる。昔も今もこの教会はマカオの海を見守り続けている。



Img_1118 Img_1091  ペンニャ教会の下、やはり海を臨む見晴らしのいいところにはポルトガル領事官邸がある(ポルトガル領事館は別のところ、大砲台のふもとにある)。かつての統治者の館は、今何を思って海を見ているのか。

Img_1114  写真の左側に見える煉瓦色の建物は特区政府の迎賓館とのこと。知らずに中に入ろうとしたら守衛さんに断られた。



Img_1121  ポルトガル領事官邸から北に少し戻ると、今度は「特区政府総部」、つまり現代の統治者のオフィスがある。中国の国旗が高々とたなびいている。


Img_1130 陸軍倶楽部。




Img_1127  その並びにあるあずまや。中にはやはり新聞や雑誌が置いてあり、街の人達が読みに来ている。
 1日半の駆け足行脚だったが天候に恵まれ、自分の足で歩き回ることでマカオの雰囲気を直に感じることができた。マカオの歴史的歩みが作り出したこの街並みや雰囲気が今後続いていくのか変わっていくのか引き続き注目していきたいし、また訪ねてみたいものである。

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マカオ散策(3)

前回の続き。
Img_1002 Img_1006  マカオにはポルトガル風建築ばかりでなく、昔の中国式民家も保存されている。写真は盧家大屋。


Img_1011 Img_1014  しかしながらここから歩いて2分くらいのところに、マカオの街を描いたタイル画が壁に飾られている。1800年代の作とのことだが、これなどはやはりポルトガルの影響だろう。街の見どころはやはりポルトガル様式のものが多い。

Img_1018  この壁から程なくして、カテドラルとそれを臨む広場がある。カテドラルがあるところはやはりカトリックの影響だろう。



Img_1030 Img_1032  この広場から後ろを振り返って歩くと先の記事に出た郵政局の横を通る。そこを更に直進し、写真左の急な坂を上って狭い路地をしばし歩く。



Img_1033 Img_1035Img_1036 Img_1038 Img_1040  緑色の聖ヨセフ修道院を始めとした、キリスト教建築に囲まれた広場。




Img_1047  更に商楼街・媽閣斜巷とマカオ半島の南端を目指して歩くと、媽閣廟に到着。この寺院が祀る女神「阿媽」のいる湾、という意味でポルトガル人がこの地を「アマカウ」と呼ぶようになり、それがマカオの名の由来と言われている。

Img_1054  その媽閣廟の隣には、やはりヨーロッパ風の建物が建っている。
 北から南へと世界遺産をはしごしながら見どころを見てまわった。もっとも観光地図を頼りに歩いたのであちこち迷ったし、飛ばしてしまったところもあった。場所がよくわからなかったので国父記念館へはタクシーで移動。

Img_1057 国父記念館。「国父」とは孫文のことであり、台湾にも「国父記念館」がありやはり孫文を記念して建てられている。
 マカオの孫文記念館、孫文はマカオで医師として働いていたことがあるが、この建物は後年孫文の家族が建てたものである。中では孫文の写真や愛用品が展示されているほか、台湾の新聞や雑誌が置いてあり当地の人達が読みに来ている。

Img_1066  さらに今度は半島の中ほどにある丘を目指す。
 先述したセント・ポール天主堂跡とともにマカオを紹介するときによく登場する建物、ギア要塞にある灯台。礼拝堂も一緒である。
 この周りはジョギングコースとして親しまれているようで、マカオの人達が走ったり歩いたりトレーニングをしたりと思い思いに汗を流していた。
 好天に恵まれたこともあり、東アジアにあってポルトガルと中国が混ざり合っているマカオの街を堪能することができた。

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2007年5月12日星期六

マカオ散策(2)

 前回の続き。
Img_0960  大砲台から階段を下ると、セント・ポール天主堂跡=大三巴牌坊が見える。マカオといえば思い浮かぶ風景の1つである。1835年の火事でこのように建物正面の壁を残すのみになってしまったのだとか。天主堂跡正面に花の彫刻があり、牡丹は中国の、菊の彫刻は日本のキリスト教徒がこの天主堂の建築に貢献したことを示していると言われている。
Img_0951  セント・ポール天主堂正面の広場。




Img_0971  この広場から続くセント・ポール通り=大三巴街。日曜の昼前とあって人が増えてきた。




Img_0969  大三巴街でお菓子を売る店。本場のエッグタルトに人々が列をなしている。



Img_0975Img_0980   大三巴街を抜けると、セナド広場に続く聖ドミニコ通りに出る。写真右が聖ドミニコ教会。



Img_0978 聖ドミニコ通りからセナド広場に抜ける通り。




Img_0998  セナド広場=議事亭前地に着き、来た道を振り返る。まさにポルトガルの大通りのような街並みである。



Img_0994Img_0992Img_0991   セナド広場を囲むように建つ建物。左から仁慈堂・郵政局・民政総署。仁慈堂は16世紀できの慈善施設である。



Img_0987  仁慈堂脇の小道。



 ゆっくり歩いても15分ほどの道程だが、これほどに目を奪われる光景が広がっている。日本や上海に住んでいるからこうした光景が新鮮なものに感じるのかもしれないが、かつての植民地期の文化を色濃く残す建物が、今でも政府機関として使われたり市民のショッピングの場となっている。他方前回の記事で書いた通り華南であることが人目でわかる商店街もあり、こうした街並みの対比と混在がマカオをマカオたらしめているといえよう。
 また写真が多くなったので、続きは後程。

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2007年5月10日星期四

マカオ散策(1)

 今回の台湾旅行、帰りにマカオにワンタッチし、街中をうろうろしてみた。
Img_0898 Img_0902 Img_0908  マカオへは台北からも上海からもフライトがあるので、台北からマカオへ飛び観光をしてから再びマカオ空港から上海へ飛べばいいのだが、今回は台北から香港へ飛び、香港空港からマカオへ高速船で行くことにした。飛行機で香港空港に到着すると、検疫の手前に「Ferry Transfer」と書かれた緑色の看板を見ることができる。ここで香港空港発マカオ行きの船のチケットを購入することができる。香港空港では香港の入国審査を受ける必要はなく、乗り継ぎと同じ要領で高速船に乗ることができる。待合室は飛行機と共用で、空港の出国エリアにある免税ショップや食堂街にも自由に出入りできる。
 空港内をバスで走り抜け、展示場付近にある船乗り場から乗船。マカオへはわずか45分である。この方法、台北や上海からはマカオに直行便があるのでわざわざこうすることもなく、むしろ日本からマカオに行く人にとって使い甲斐があるであろう。但し香港空港からの高速船は1日5便なので時間によっては待たされるかもしれない。
*Turbojetのウェブサイト。このほかにも香港空港~シンセンの便を運航しているようだ。

Img_0920  翌朝、マカオ市内散策を開始。マカオといえばカジノがまず思い浮かぶが、域内の植民地時代の建物や街並みがマカオ歴史地区として世界遺産に指定されており、写真の案内のように街のあちこちが世界遺産になっている。歴史的経緯から、中国の南にあってポルトガルのような街並みを見ることができるのが良い。

Img_0915  マカオ歴史地区を北から南へ下っていく。まずは澳門基督教堂。この裏が墓地になっていて、植民地期以来各国から遠くマカオにやって来てこの地で活躍しまた生活した人が眠っている。


Img_0925 Img_0924  上の写真の通りどちらに進んでも歴史的な街並みを見ることができるのだが、關前正街へ入ってみた。個人商店が並ぶ静かな道であり、タイルの道がやはりポルトガル風を感じさせてくれる。

Img_0928 Img_0930Img_0929  關前正街を進むと、昼間はそこよりは賑やかになるであろう商店街にたどり着く。右写真は乾物の店。


Img_0940 ポルトガル領事館の前の急な坂道を登ると、市内を一望できる大砲台(モンテの砦)にたどり着く。ここには澳門返還前にマカオ博物館ができ、かつてのマカオの人達の生活様式などを伝えている。


Img_0939  この大砲台で中国拳法?の練習をする女性たち。孫と思われる子供が横で遊んでいる。
 写真が多くなったので、続きは後程。

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2007年5月9日星期三

「賞味期限 96年5月14日」

Img_0894 5月5日に台北空港内のコンビニで買った乳飲料。ボトルの上に書いてある賞味期限を見ると・・・



Img_0896  「有效日期 96 05 14」と書いてある。96年製?生産されてから11年経っても売られているのか?そんな乳飲料を飲んだら間違いなく調子を崩しそうである。

 実はこの賞味期限、「中華民国暦」での表示である。辛亥革命後孫文が中華民国臨時大総統に就任した西暦1912年を民国元年とするこの暦だと、今年2007年は民国96年になる(「西暦マイナス1911」が「民国x年」である)。11年前の西暦の下2桁と一致するので、頭の中にも「何かの間違い」としてではなく「本当に96年出来」として入ってきてしまうので事情がわからなければとても驚いてしまうことだろう。
 もっとも、台湾の新聞だと「民国96年」と表記してくれるので間違うことは少ない。さらに、この暦は「中華民国」由来のものであり「台湾に由来するのものではないのでこれを使うべきではない」と考える人達もいる。そのせいかあるいは西暦が世界標準とみなされるようになったせいかわからないが、台北のコンビニでいろいろと見たところ以前に比べて賞味期限を西暦表示にしている商品が多くなり、民国暦表示のものは少なかった。この他、鉄道の切符に民国暦の表示が見られる。
 さすがに乳飲料や弁当に「96年」と書いてあると何か事情があってのことだと気がつくだろうが、これがスナック菓子や缶飲料だと「1996年か!」と真に受けてしまうかもしれない。もっとも、前述の通り西暦表示が多くなっており、このほかには台湾啤酒の缶の底に民国暦の賞味期限が書いてあるのが目に付いたが他の缶飲料は西暦で賞味期限を記していた。

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2007年5月7日星期一

平渓線沿線散策(2)

 前回の続き。
Img_0717 十分駅から再び平渓線に乗車。皆車窓の風景に目をやっている。




Img_0724 終点の1つ手前、平渓駅で降りて、終点・菁桐駅まで1駅間歩くことにした。



Img_0720 Img_0722 平渓駅前の街並み。




Img_0721 店頭に虫の紙細工を置いている店があった。




Img_0730 Img_0733 Img_0735  ここ平渓はランタン祭り(旧暦1月15日にランタン-燈籠-を空高く揚げて願い事の成就を祈る)で知られているところなのだが、そのせいかどうか知らないが平渓駅から隣の終点・菁桐駅まで歩いていると写真のような張り子が置いてあるところを何ヶ所か見かけた。

Img_0747 菁桐鉱業館という展示館の中に置いてあった手作りのランタン。これがお祭りになると気球のように空を舞う。実際のお祭りの時には職人さんが作った綺麗なものも舞うらしい。


Img_0760

Img_0751

 菁桐駅とその駅前。




Img_0755 Img_0756

 菁桐鉱業館というものがあることでも分かるとおり、ここ菁桐を始め平渓線沿線ではかつて石炭の採掘が行われており、写真左の通り駅前には当時使われていたトロッコが保存されている。  写真右は駅付近の車道にあった鉱夫の像。

Img_0759 今回ほぼ1日かけて平渓線沿線を散策したが、好天に恵まれ緑が映えるいい時にここを訪れることができた。以前もどこかで書いたと思うが、「緑の山に囲まれた景色」というのは日本人として馴染み深いものであり、心が落ち着くいい風景である。

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2007年5月6日星期日

平渓線沿線散策(1)

 今回の台湾滞在中に、台湾北東部を走るローカル線、平渓線沿線に行ってきた。
 台北から台東方面に向かう特急列車・自強号に乗ると約40分で瑞芳という駅に着く。この瑞芳という街は映画『非情城市』の撮影地として有名になった九份への玄関口であるが、ここから内陸に向かって走っているローカル線が平渓線である。実はこの平渓線に乗るのは今回が3度目である。以前の2回は途中の十分付近の散策はしたもののあとは終点まで行ってただ折り返すだけだったので、今回は沿線を少し歩いてみることにした。
 瑞芳から2駅は東部幹線に沿って進んでいくが、三貂嶺という駅で幹線と別れ、内陸へと入っていく。
Img_0642Img_0645  三貂嶺から1駅目の大華駅。ここも『非情城市』の撮影地である。以前訪れたときは駅のホームも古びたものだったが、今回行ってみると無人駅でこそあるがホームは新しくなっていた。

Img_0652  大華駅と十分駅の間、線路の真横に「十分瀑布」という名前の滝がある。以前行ったので今回は入らず。



Img_0656  やはり以前は線路の横にある細い側道を歩いて川を越えなければならなかったのだが、横に人が渡る橋ができていた。



Img_0657 吊り橋から見た川の様子。




Img_0658  線路沿いから分かれて一般道と合流するところも、きれいに整備されていた。




Img_0668 Img_0669  十分駅へ向かう道の途中。案内に従って線路を横切ろうとすると、「入るべからず」という表示がある。いったい…



Img_0671  十分駅に向かう途中の街並み。




Img_0685 Img_0707  十分駅近くには、線路沿いに食堂などが並んでいる十分老街がある。




Pdvd_000 Pdvd_001  軒先をかすめるように走っていく列車。道端で寝そべっていた犬が、列車が来るとそそくさと店の中に入っていったのが面白かった。


Img_0698 Img_0703  駅前を流れる川に架かっている吊り橋と、その吊り橋の上から見た十分駅。緑に囲まれたいい環境である。


Img_0710 Img_0713  十分駅から再び列車に乗り、終点・菁桐駅を目指す。写真が多くなったので続きは後程。

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2007年5月5日星期六

台北市内に見える「台北故事」

 先の記事で台湾故事館のことを紹介したが、ビルの地下ではなく台北の街中で生きている建物を2つ紹介。
Img_0879 Img_0880  まずは台湾の公的機関の1つ、監察院。日本だと立法・行政・司法の三権分立が謳われているが、台湾で施行されている中華民国憲法ではこれに加えて「考試」(公務員の任免など。日本だと人事院の機能)・「監察」(公務員の弾劾)の2権を加えた「五権分立」となっており、このうちの「監察」を司る組織がこの建物に入っている。ここは1915年できの建物で、かつては台湾北部を統治する「台北州廳舍」であった。台北駅から東に少し歩き、忠孝路と中山路の交差点にある。

Img_0889  このときは大雨になったのだが、監査院から中山路を北に少し歩くとやはり写真のような時代を感じさせる建物がある。時代を感じさせる建物の前に、「林田桶店」の看板が見える。今でも現役で桶を作っている店のようで、店内の桶が外からも見える。

(参考)『旅々台北』「監察院(旧台北州廳舍)」「職人魂が光るヒノキ桶 林田桶店

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台湾故事館

 台北駅前にはかつて新光三越・大亜百貨という2つのデパートが並び立っていた。そのうち新光三越は今でもあるのだが、大亜百貨のほうは店じまいしてしまい、今は地上部分はパソコンやデジタルカメラ、携帯電話やゲームソフトを売る小さい店が入っており、そのほかレストランや日本の無印良品も店を構えている。
 そのビルの地下2階に、「台湾故事館」という日本統治期や蒋介石時代の台湾の街並みをビルの地下に再現したテーマパークができていた。去年高雄で同じコンセプトのレストランに連れて行ってもらったが、台北にも同じコンセプトのものができたということか。
Img_0628 Img_0613  これが日本統治期や1950~60年代の街並み、ということか。館内においてあるおもちゃの中には、北原照久氏が寄贈したものもあるらしい。


Img_0600 Img_0620  当時のスローガンや張り紙も再現している。




Img_0604  かつての旅館を模したこの一角、実は従業員用トイレであり入ろうと思ったら断られた。



Img_0608Img_0623  入場料はNT$250だが、館内で同額の飲食や買い物ができる。



Img_0624  この少年の像を館内のあちこちで見かけたのだが、ポピュラーなものなのだろうか。日本の「サトー製薬」の象さんのようなものか。
 パンフレットには館長の話、というのが載っており、1964年生まれの館長は「歴史の真実、人間性の善、生活の美、台湾の純粋な元の味わい」を体験してもらいたい、と語っている。
 日本でも『Always~三丁目の夕日』がヒットしたようだが、かつて当たり前だと思っていた風景がいつの間にかなくなってしまい、こうして再現されたときに懐かしさを感じてしまうことがある。もっとも、こうした「囲われた空間」に保存されているものよりは実際に街の中で現役の建物として使われていたり街の中に残っていたりするほうがより親しみを感じるとは思う。
 それにしても台北駅の目の前にこのようなものを作ってしまうというのも斬新な思い付きである。

台湾故事館ウェブサイト: http://www.taiwanstoryland.com/

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2007年5月4日星期五

タクシーの中@台北

Img_0640 台北市内で乗ったタクシーの車内にて。運転席の隣にユリの花が生けられている。
 今回だけではなく、今年1月に台湾に行ったときも同様に花が生けてあるタクシーに乗ったことがある。車内のちょっとしたアクセントである。

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2007年5月3日星期四

消えた「青天白日」

 5月1日~5日の予定で、台湾に来ている。今回は「ここ」というお目当ての観光地があるわけではなく街を気の向くままに歩くことだろう。

Img_0567  今回台北駅前を歩いていて気がついたのだが、凱達格蘭大道に総統府と向かい合うように建っていた国民党本部の建物から、中華民国の国旗に使われている「青天白日」のマークが外されていた。
 それもそのはず、国民党は長い間居を構えていたこのビルを売却し、別の場所に移ったのである。今は台湾の大手海運会社・エバーグリーンの総帥である張栄發の名を冠した「財団法人張栄發基金会」の名前がビルの入り口に見える。

Img_00411  写真左は2004年の総統選挙後に陳水扁の当選に抗議する人たちだが、写真奥のビルはまだ国民党本部であり、「青天白日」のマークがつけられている。台北の人達にとってここに国民党本部があるということは疑うべくもなかったことであろうが、不変だと思わないものでも変わっていくものである、ということを示す典型的な例である。
 ところで、台湾では国民党陣営をこの「青天白日」から取って「泛藍」と呼び、対する民進党陣営は「泛綠」と呼ばれる。党本部売却には事情があるのだろうが、企業名に「緑」を含んだ名が付くエバーグリーンが売却先というのも何とも皮肉な話である。

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2007年5月1日星期二

Tapas@上海

 今日から労働節休みを利用して台湾に来ているのだが、その前に上海の話を。
 以前紹介した小南国湯河源の向かいに、「虹梅休閑街」という飲食店街がある。延安西路と並行して虹梅路と虹許路を結ぶこの通りはレストラン街になっている。日本料理や韓国料理、インド料理やカウンターバーなどと外国人向けの店が多く、ちょっと高めの感じである。
Img_0499  その虹梅休閑街の虹許路側に近いところに、「Las Tapas」という店が最近オープンした。「Tapas」というのはスペイン語で酒のつまみのことであり、その名の通りスペインのBar=パル同様に小皿のつまみを食べながらワインを戴くことのできる店である。この記事でGuinnessさんからコメント戴いた通り、スペインの夜はBarでTapasをつまみながらワイン=Vinoを飲むのが楽しみである。

Img_0501  店内の様子。店に入ると陽気なフィリピン人店員が出迎えてくれる。そういえばフィリピンは(今日の領土の全てということではないが)かつてはスペインの影響下にあったか。


Img_0509  TapasとVinoを戴く。スペインだとカウンターにTapasが並んでいて見て選ぶことができるのだが、ここではメニューから選ぶ。Tapasは一皿30元から、Vino=ワインはグラスで50元、ボトルで250元というところである。やはりそれなりの値段であるが、それでもスペインのBar(パル)を彷彿とさせるつまみの出方が良いものである。

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