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五月 2008

2008年5月31日星期六

おうちで魯肉飯

Imgp1382 台湾でお気に入りの食べ物である魯肉飯であるが、その魯肉飯の缶詰を通信販売で見つけ、入手した。


Imgp1371  上から見たところ。豚の絵がかわいい。



Imgp1387  缶を開けたところ。細かいそぼろ肉と汁が入っている。焼き鳥の缶詰のようなにおいだったので、味はどうなのかなとこのときは思った。白く見えるのは油が固まったところ。

Imgp1390  ご飯に盛り付けて食べたところ、確かに台湾で食べる魯肉飯の味がする。勿論台湾の食堂で食べるほうが美味しいには違いないのであるが、缶詰であること、そして台湾を離れ日本で食べる味であることを考えると充分満足である。
 この魯肉飯の缶詰、日本アジア航空の機内誌『アジアエコー』で紹介されていた。現に台湾のスーパーでも売っていたのだが、厳密には動物検疫が必要であろうことから日本への持込はしなかった(現地で缶詰だけで食べてしまった)。
 以前拙ブログで紹介した、台湾物産館には置いていなかった。置いていないか訪ねたときに、台湾物産館の方はやはり肉を輸入するのは何かと難しいということを仰っていた。受け答えに慣れておられる様子だったので、私同様に「魯肉飯の缶詰を欲しがる人」は結構いるのだろう。

 缶に書かれた原材料を見ると、「豬肉、香菇、蔥、蒜、糖、天然調味料」と書かれていた。香菇=シイタケ、蔥=ネギ、蒜=ニンニクといった、肉と調味料以外の野菜が味に影響しているのだと知った。上海で魯肉飯を食べても物足りないと感じたのは、こうした味付けが足りないところなのだろう。

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2008年5月30日星期五

『NNNドキュメント'08 中国が日本を捨てる日』

 約1ヶ月前に放送された『NNNドキュメント'08 中国が日本を捨てる日』、暫く経ってから見たのだがいろいろ他のことをブログに書いていたので触れるのが遅くなった。
 先の餃子中毒事件を起こした日本生活協同組合連合会(生協)の傘下にあるコープさっぽろが具も皮に使う小麦粉も「北海道産」にこだわった餃子を作ろうとしたが、コストが中国産の5倍になってしまい試食会では値段の面で不評だったこと、食料自給率が39%にもかかかわらず折角日本で生産した野菜が価格競争に負けて出荷前に「生産調整」の名のもとに廃棄されることをまず番組は伝えていた。さらに中国・山東省の食品加工工場では日本人経営者でさえ馬鹿馬鹿しいと言う「同じ形、同じ大きさ」への加工をしていることを伝え、山東省の農家での取材では日本人好みの「きれいな野菜」を作るべく今まで使っていなかった虫食いをなくすように農薬を使い、その農薬を使うということは日本側からの要求であると述べていた。そしてある農家は厳しい要求に疲れて「日本向けの野菜の生産はやめたい」とさえ言い実際に国内向けの生産に切り替えたことが画面から伝えられてきた。

 以前、都内の農産物直売店で、千葉県産の低農薬の野菜に虫食いがあったり味噌にカビが生えやすいのを「中国産じゃないの」と言っていた人のことを拙ブログに書いた。こういうことを言う人にとって、「品質の良さ」というのは「安全性」なのか、「見た目のよさ」なのか。勿論これらは両立すべきではあろうが、低農薬を売り物にしている店に来て低農薬の象徴である虫食いを、その人にとって「品質の悪さ」の象徴である「中国産」と言うのは・・・さらにその中国では日本にあわせて農薬を使っている人もいる、と言う。

 9年前に、『NHKスペシャル 豊かさの限界』という番組があった。日本マクドナルドの創業者が「12歳までに覚えた味を『おふくろの味』」と感じて将来に渡って食べ続けるようになる」というようなことを言っていたので覚えていたのであるが、この中で中国の畜産農家が初めて米国産の飼料を見せられ、アメリカの穀物会社の説明を受けて試しに使ってみましょうと言っていたのを覚えている。何でも牛肉は普通は硬くてあまり美味しくないのだが、飼料を使うことで食べやすくなるのだそうである。当時中国の都市部では外食産業が発達し、外で牛肉を食べる人が増えていた頃だそうで、中国の食生活の変化をそれより少し前の日本における変化とダブらせて伝えていた。
 それから9年が経ち、日本では中国産の食物が多く出回りそれゆえに問題が起こった一方で、他方その中国は食料輸入国に転じているという現実がある。我々が思う「安く供給してくれる中国」はこと食料の分野に関してはなくなってしまうかもしれない。


 『中国が日本を捨てる日』では、日本の食料自給率を39%と伝えていた。この数字は農林水産省説明によるとカロリーベース自給率とのことである。放送大学のテキスト『市民と社会を考えるために』では日本の国土には本来3~4千万人しか住めないと述べていたが、確かに「いまの自給率での食料」と「本来住める人口」は略均衡し、よく言われる「自給率アップ」では到底追いつかず足りない分を貿易で補う、という算段になる。私自身も食物の生産能力はなく、国内外の他の人が作ったものをいただく立場である。
 いろいろと話が飛んだが、結局その原因自体はうやむやになりつつある餃子中毒の影にはいろいろな問題が内包されており考えさせられる、ということである。生産できない私にせいぜいできることは、食べ物を食べられる程度に健康である限りにおいては食べ残しをしない、食べ物の大切さを感じつつ食べ物を戴くというごく当たり前のことと、「食の安全」とは何かを考えることであろう。人体に害を及ぼすのは論外であるが、農薬を使うことの意味、減らしたり使わないことの意味はわきまえて勘違いしたことを言わないことが大切だと思う。
 そして、いつも思うことながら中国という国が刻々と変化し、さらにいろいろな顔を見せていることも意識したい。いつまでも「食料を輸出する国」だとそれこそステレオタイプで思っていると見誤ることもあろうし、沿海部で見える外食産業の豊かさが中国全土を代表しているわけでもない。

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2008年5月29日星期四

セブンイレブンはなかった

 セブンイレブンが近々上海にお目見えするかも。NIKKEI NETによる記事

(5/29)セブンイレブン、中国で本格展開

 セブン―イレブン・ジャパンは中国でのコンビニエンスストアの出店を本格化する。台湾食品・流通大手の統一企業グループと、同グループが上海市内で「セブンイレブン」をフランチャイズチェーン(FC)展開する契約を結ぶことで合意。これまで日本の本社が直営店を展開してきた北京では、今秋をメドにFC方式の出店を始める。国内市場が飽和に近づく中、高い成長が期待できる中国市場を開拓する。
 中国での本格出店に向け、「セブンイレブン」の商標などを管理する100%子会社、セブン―イレブン中国有限公司(セブン中国、北京市)を設立した。セブン中国は、台湾で「セブンイレブン」約4700店を運営する統一企業グループ傘下の「統一超商」に対し、上海市内で店舗を展開できるフランチャイズ権を与える。統一超商はまず年内をメドに直営店を出し、運営が軌道に乗り次第、FC店の出店を始めるとみられる。

 持株会社であるセブン&アイ・ホールディングスプレスリリース(PDF)によると、台湾系の統一超商なる企業(台湾の統一グループの傘下のようですね)に上海におけるセブンイレブンの商標使用権を認めるということなので、当面は統一超商が上海でセブンイレブンのブランドでコンビニエンスストアを展開すべく準備するのだろう。
 私が上海にいた頃は日系ではローソン(罗森)の店舗があちこちにあり、後にファミリーマート(全家)がぼちぼちとできだした、という感じであったが、セブンイレブンはなかった。北京では別の合弁法人で店舗展開しており、新たなパートナーを探して上海でもセブンイレブンを、ということだろう。

Img_2924  もっとも、日系のコンビニエンスストアがあちこちで見られる台北と違い、上海では日系の店は少数で、地場のコンビニエンスストアが多数を占めていた。「可的」「好得」「良友」「快客」・・・思い出せるのはこんなところか。あと台湾系だったと思うが、「喜士多(C-STORE)」というのもあった。
 地場のコンビニエンスストアの多くは狭い店舗で、昔の雑貨屋の延長という感じであった。品揃えもそれなりであったし、パンは油っこいものや甘いものが多かったりと日本のパンを食べている人には違和感があろう感じのものだった。所謂「コンビニ弁当」、現地では「盒饭」だったか、も油っこい弁当が多く、ローカル飯が食べられない人は駄目だろうというものだった。
 日系の罗森や全家になると店構えは日本のそれにやや近くなり、そのチェーン独自の菓子類が置いてあったりと店舗イメージを確立しようとしていたのが窺えた。弁当については地場のコンビニエンスストアに置いてあるそれと大差ないときもあれば、キャンペーンなどで店独自のものを出していたりというときもあったと思う。ただ、おにぎりは米の種類のせいもあろうが日本のそれには及ばない感じであった。
 上海のコンビニエンスストアの中では、個人的にはC-STOREが好みに合っていた。もっともわざわざ遠くのC-STOREまで買い物に行く、というものでもないので、飲み物などは部屋や出先の近くの地場の店で買っていたし、夜食事を作るのが面倒だったときはやはり部屋の近くの地場の店で弁当を買うこともあった。
 地場・外資系問わず煮卵を炊飯器?で茹でて売っていたり、白酒を置いていたり(「しろざけ」ではなく「bai2jiu3」です)するのも上海らしいというか中国らしいところだろう。
 もっとも、上海では地場・外資含めてコンビニエンスストアが乱立していたが、上海でも市街地を離れるとそれほどでもなかろうし(崇明島ではあまり見なかった)、他の街に行くと上海には遠く及ばない状況だろう。
 上海を離れてもうすぐ1年になるが、少しは違ってきているのだろうか。そして、セブンイレブンは上海のコンビニエンスストア戦線に割って入ることができるのだろうか。

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2008年5月25日星期日

東京港の船たち

Imgp1348  先週の横浜港に引き続き、今週は東京港で船を見てきた。「東京みなと祭」というイベントの中で普段あまり見ることのない船の中を一般公開していた。
Imgp1249  東京みなと祭の会場である晴海埠頭公園には水上バスで向かったのだが、日の出桟橋から対岸を見ると対岸に航海訓練所の練習船である銀河丸が停泊していた。この銀河丸、高松で見た青雲丸と略同様の訓練が可能であり、大学の商船系学科や高専・海技大学校などで学ぶ訓練生がディーゼル機関の訓練と航海の訓練に励んでいる。
Imgp1259  水上バスに乗り、出発を待っている間に船尾から東京みなと祭の会場を見る。一般公開されているであろう東京海洋大学の練習船「海鷹丸」が泊まっている。こちらも泊まっている水上バスから見ているのだが結構揺れており、足許が定まらない。

Imgp1279  会場に着いて最初に見たのが海上保安庁の測量船「海洋」。この船に積んだ設備で海図(海の地図)のもとになるデータを取ったり、海底の地形・地質を調べたり沈んでいる船を見つけたりするのだとか。航行できる範囲が世界中ではなく近海区域(東アジアや東南アジア域内…正確には「東経175°・東経94°・北緯63°・南緯11°の線で囲まれた水域」)に限定されているせいか、コンパクトな作りである。
Imgp1349Imgp1357  先程対岸からも見た、東京海洋大学の練習船「海鷹丸」。


Imgp1288  海鷹丸の所有者である東京海洋大学、商船系・工学系の大学である東京商船大学と水産系の大学である東京水産大学が合併してできた大学である。東京商船大学をルーツとする商船系学科で学ぶ学生はこの船ではなく近海では別の船で、遠洋や日本各地での訓練は銀河丸のような航海訓練所の船で訓練をするのだが、東京水産大学をルーツとする水産系学科で学ぶ学生が遠洋航海に臨むときにはこの船に乗り、漁業や水産学などに関して学ぶ。(正確なことは東京海洋大学海洋科学部やその水産専攻科、商船系学科については海洋工学部やその乗船実習科のウェブサイトをご覧ください)
 ということでこの海鷹丸は漁業や水産学に関して学ぶ船であり「漁船」の仲間とも言え、船内にはこの船のために贈られたであろう大漁旗が飾ってあった。

Imgp1297  こちらは東京都が保有する、港の底などに溜まった土砂を吸い上げる浚渫船「雲取」。他の船はエンジンルームを見るとプラントであることを思い起こさせるが、こちらは見るからに「プラント」という感じである。

Imgp1302  東京みなと祭に際して、日本丸も会場である晴海埠頭に停泊していた。名前はよく知られているこの日本丸も航海訓練所の練習船であり、乗っている人の多くは学生である。
 写真の日本丸は二代目であり、初代は引退後横浜に停泊して観光客を受け入れている。




Imgp1340  さらに、この日は日本丸によるセイルドリル、帆を広げる様子も披露された。帆を拡げるためにはマストに登らなければならないが、相当な高さである。
 セイルドリルを披露してくれた日本丸の訓練生や乗組員の方々、そして海鷹丸や海洋や雲取の一般公開に関わられた訓練生や乗組員の方々に感謝である。


Imgp1331  セイルドリルに際しては、目的はよくわからないがタグボートが横に控えていた。その後ろを観光船が通り過ぎていった。
 この日は午前中は雨が降っていたが、午後はどうにか天気も持ち直した。来場者にとっても東京みなと祭や船の一般公開に関わった方々にとっても、やはり天気が良いほうがいいだろう。

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2008年5月24日星期六

台湾と中国との「距離感」

 やはりMSN産経ニュース記事

4時間で募金7億円 台湾で高まる「同胞意識」

 中国・四川大地震の発生以来、台湾では中国に進出する企業などが相次いで義援金の提供を発表、市民レベルの募金も活発化するなど中国への「同胞意識」が高まっている。地元テレビが18日夜、放送したチャリティー番組には台湾の人気歌手らとともに馬英九次期総統も参加、市民らから4時間で約2億2000万台湾元(約7億4000万円)が集まった。
 国民党関係者は、こうした動きについて「関係改善を目指して新政権が進める対中政策に有利だ」と指摘。馬氏は地震発生後、「人道的観点と中華民族の1人として」20万台湾元を寄付すると公表、台湾の人々に支援を呼び掛けていた。台湾の行政院(内閣)大陸委員会には19日現在、約2700万台湾元の寄付金が寄せられたほか、台湾メディアによると、台湾企業の寄付は既に約30億台湾元に達した。(共同)

 馬英九総統(記事の時点では総統予定者)が言う「人道的観点と中華民族の1人として」、また某国の都知事からツッコミを受けそうな言い回しであるが・・・
 前回台湾の中国との距離のとり方は難しいものがあると書いた。もはや政治的には「中華民国が今でも全中国を支配している」という建前は絶対視されなくなり、社会的にも台湾アイデンティティは進んでいる。他方、歴史的に台湾の人たちのルーツをたどると大陸から渡ってきた人たちが少なからずというか多数になる訳であるし、かつて清王朝の統治下にあったこともある。身近なところでは中国の歴史に基づいた時代劇がテレビで流れているし、台湾・香港・中国の間では歌手や俳優が行き来しており台湾の歌手で大陸でも有名な人は多い。
 かつて台湾では中国史を「自国の歴史」として教え、中国の地理を「自国の地理」として教えてきたことがある。その後台湾アイデンティティが高まった1990年代後半から『認識台湾』課程という、台湾を郷土と認識する課程が設けられ、その後21世紀になりこの課程が社会科に吸収されたときにやはり建前は薄れ中国を相対化して見ることができるような学習の仕方になったと理解している。
 都知事の言葉にあった「台湾は台湾なんだ」と思いつつ、歴史なり社会なりに中国とのつながりが意識されあるいは無意識のうちに周りに転がっている中で、「中国」という存在を踏まえて「自分たちは(中国ではない)台湾なんだ」となるのであろう。そして逆に、「中国」というものにある種の特別な、日本や他の国とは違う意識を持つのだと思う。
 私は台湾人ではないので本当に根付いている意識を身をもって感じることはできず、この手のことを書くのには限界があるのだが、記事中の「同胞意識」という言葉に違和感を感じつつ数年前に学んだことを思い出してみた。

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2008年5月23日星期五

台湾総統と都知事

MSN産経ニュースによる記事

「台湾、第2の香港にするな」 石原知事、陳水扁総統と会談

【台北=山本雄史】東京都の石原慎太郎知事は19日、台湾の馬英九新総統の就任式出席のため、台北入りした。同日は陳水扁総統と都と台湾の関係強化について会談。石原知事は「台湾を第2の香港にしてはならない。(陳総統からは)とにかく台湾は台湾なんだ、決して中国ではないという強い意志を感じた」と会談後に述べた。石原知事は20日、馬新総統の就任式に出席する。
 会談で、陳総統は「石原知事は台湾の観光振興に大きく貢献してくれた。中国からの(政治的な)圧力に関係なく、台湾の縁の下の力持ちの役割を果たしてくれた」と感謝の意を示した。その後、陳総統から日台友好促進の功績で外国人に贈られる最高勲章「特種大綬景星勲章」を授与された。

 都知事が台湾を訪問し、退任直前の陳水扁総統(この時点では彼が総統)と会談したとのこと。ついでに馬英九・新総統には就任演説後に「苦言を呈した」のだとか。
 都知事をよく知らない台湾の人が見たら「日本のいち地方自治体の首長が台湾の政治や台湾のあり方に口を出しおって」と思われるかもしれない。都知事は大の中国共産党嫌いのようだから、中国共産党との対抗軸には共感を感じるのであろう都知事ならさもありなん、という記事である。
 会談後のコメントが記事の殆どを占めるので都知事と新旧総統との間で本当のところどんな話があったかははっきりしないが、「台湾は台湾なんだ」というのは都知事に言われずとも台湾の人達の多くが既に認識していることであるし、もはやタブーでもない。
 台湾や台湾の人達にとって「中国との距離」は難しいところであるが、繰り返しになるが譲れない部分を守りつつうまく渡り合っていく、ということになるのだろう。

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2008年5月20日星期二

馬英九総統就任

 先の台湾総統選挙で当選した馬英九氏の就任式典が今日開かれ、今日から正式に総統となった。CNN.co..jpによる記事

国民党の馬氏、台湾総統に就任

台北──今年3月の台湾総統選挙で当選した国民党の馬英九氏(57)が20日、台北市内の総統府で宣誓就任した。副総統には元行政院長(首相)の蕭万長氏(69)が就任した。
台湾独立志向が強かった陳水扁前総統の民進党から政権を奪取した馬氏は、再選され2期目を務めた場合を想定し、2016年までは中国との統一交渉を行わないと明言。AP通信に対しては、「生きている間に」交渉する可能性は極めて低いと述べた。
馬氏は中国本土との経済協力関係強化に重点を置き、実力はあるものの行き詰っている台湾のハイテク産業と、高度成長を続ける中国経済を緊密に連携させていく方針。馬氏はまた、中国政府との和平協定締結に努める意向だが、詳細は明らかにしていない。

 総統選挙の時にも書いたが、総統の出身政党と議会の多数政党が同じになり、これから台湾はある方向に「動き出す」のではないかと思う。前政権時は少数与党で政権の意向をを実現することができず、また台湾ナショナリズムor台湾アイデンティティを過度に経済に持ち込み過ぎたこともあり「動き出す」ということは少なかったような感がある。
 勿論、この体制が市民の利益より国民党の党利実現を優先させるようなことが頻発した暁には、次の総統選挙なり立法院議員選挙なりで相当の審判が下されることになろう。また、中台融和とは言いつつも相手に過度に譲歩することがあっても台湾の人達の反感を買うこと必定である。台湾の人達の幸福と台湾の発展をまず考えた政権運営が望まれる。

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2008年5月18日星期日

横浜港の船たち

Imgp1197
Imgp1186  アフリカン・フェスタ2008の会場である赤レンガ倉庫から対岸を見ると、航海訓練所の練習船である大成丸が停泊していた。先週高松に行ったときにやはり航海訓練所の練習船である青雲丸を見たが、青雲丸がディーゼル機関を積んでいるのに対してこの大成丸は蒸気タービン(蒸気機関)で動く練習船である。エンジンを学ぶ学生にとっては、ディーゼル機関も蒸気機関も学ばなければならない、ということであろうか。
 今回は一般公開はなく、停泊しているのみである。訓練生の方々はつかの間の休息なのか、あるいは停泊中も訓練があるのだろうか。
 左の大成丸の写真の奥が丘のようになっていて、芝生やその中を行き来する人達の姿が見える。気になったのでそちら側に渡ってみて、丘の上から赤レンガ倉庫を望んだのが冒頭の大きな写真である。
Imgp1201 Imgp1198  大成丸が停泊していた、赤レンガ倉庫の対岸の埠頭は大さん橋国際旅客ターミナルといい、大きな客船が横浜に来たときはたいていここに停泊するのだが、その建物の上を公園のようにして一般に開放しており、その形から「くじらのせなか」という愛称がついている。

Imgp1212 「くじらのせなか」から反対側、山下公園側を見ると横浜港のシンボルともいえる氷川丸の姿を見ることができる。1年あまりの改装の後に今年4月から再び一般公開されている。

Imgp1214  山下公園から見た氷川丸。船尾からのアングルは、左右逆だったかもしれませんが何かのコマーシャルに使われていましたね。崎陽軒のシウマイのコマーシャルだったかな?

Imgp1237 Imgp1235  同じ船でも、違う場所から見ると違う姿を見ることができる。水上バスに乗って海側から見た氷川丸と大成丸。


Imgp1211  「くじらのせなか」から山下公園に向かう途中にあった家電ショップ。外国から来た船員が上陸の楽しみの1つとして買い物に出かけて日本の家電製品などを買うのだろうが、近くにあった家電ショップはここだけだったことからすると「日本での買い物」を楽しみにする向きは今ではあまりないのかもしれない。
Imgp1227 Imgp1232 Imgp1233  赤レンガ倉庫なり山下公園なりで海をぼんやりと眺めていると、いろいろな船を見ることができる。写真左は横浜市の消防艇「よこはま」、中央は何の船かわからないが船体にロシア語と思しき文字が入っている船、右は海上保安庁の巡視船「しきしま」。色使いが違うさまざまな船を眺めるのも面白い。白い船体に青い文字が入っている海上保安庁の巡視船は引き締まったイメージがある。
 巡視船や練習船、あるいは保存されている船など、港町・横浜に相応しくいろいろな船を見ることができる。

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2008年5月17日星期六

アフリカン・フェスタ2008

Img_0006 今月末にアフリカ開発会議が横浜で開かれるのを機に、横浜では5月を「アフリカ月間」と銘打って様々なイベントが催される。その1つ、「アフリカン・フェスタ2008」が赤レンガ倉庫で開かれたので行ってみた。
 横浜の古い倉庫を修復し、その景観を活かしてショッピングモールにしている赤レンガ倉庫、行くのは初めてである。

Img_0005  午後早い時間までは好天に恵まれ、多くの人が赤レンガ倉庫に来ていた。



Img_0009  アフリカ各国の大使館がテントを出し、自国のPRをしたり民芸品を売っている。



Img_0007  アフリカに関する活動をしているNPOも、やはりアフリカのことを紹介したり、活動のアピールや民芸品の販売を行っている。
 ハッキリした色を使った布製品や原石の色を活かしたアクセサリーが目を引く。

 メインステージでは中田宏・横浜市長が挨拶をしていたが、その中で野口英世が横浜の検疫所で検疫官として勤めていたときにペストの日本上陸を防ぎ、その後の医学への功績をもとにガーナに渡って黄熱病の研究をし、そしてかの地で生涯を終えたことをアフリカと来年開港150周年を迎える横浜との繋がりとして紹介していた。野口英世の肖像は普段千円札の肖像画として目にするので、我々はアフリカに関わろうとした先人の肖像を毎日のように見ていることになる。
 続けてメインステージでは「鶴田真由さん&アドゴニーさん『アフリカン・トークショー』」があった。アドゴニーさんが日本に出会ったように日本人もアフリカのことをもっと知って欲しいと言ったこと、アフリカに対して「何かしてあげる対象」であるという先入観を捨てたほうがいいという話が耳に残っている。
 我々がアフリカについて耳にすることはダルフール紛争であったり貧困であったりすることが多く、会場でも援助を唱えるNPOが多かったことからもやはりアフリカは「援助の対象=何かしてあげる対象」として見られることが多いと思う。しかしながらアフリカといってもいろいろな顔を見せており「アフリカ」と一括りにしてしまうのは良くないのだろうし、携帯電話に欠かせない希少金属など資源の産出国として日本と関わっている一面もあり今後その重要性は増していくのだろう。
 そうは言ってもアフリカの中には援助なり外部の人間の関与が期待されている地域があるのも確かであるし、同じ国の中でも資源で潤う人とそうでない人がいるのも現実である。同学の中には援助や関与が求められる分野で現在アフリカに行っている人がいるし、前述のトークショーでもJICAの青年海外協力隊やシニアボランティアなどに触れ、アドゴニーさんがこうした人達への謝意を述べていた。
 芸術分野でアフリカに関わる人もいるし、研究対象としてアフリカに関わる人もいる。そしてこうしたイベントではなく継続的にアフリカを紹介している人もいる。商売の対象として関わることも増えていくだろうし、アフリカへの関わり方は1つではない。
 拙ブログにも、アフリカと関わっている同学のウェブサイトにリンクさせていただいている。

Img_0002 Img_0003_2  再び大使館ブース。同学各位が関わっている国が気になった。



Img_0035 Imgp1221  キャラバンバス。右の写真でシャボン玉が出ているが、シャボン玉がたくさん舞う光景は久しぶりに見た。



Img_0002_1 Img_0026  会場には飲食ブースもあり、各国の料理を出していた。左はハーブブレッドとインジャラ(酸味のあるパンのようなもの)、右はモロッコの料理であるクスクス。


Img_0032  私がアフリカに足を踏み入れたのは、10年前にスペインを旅したときにジブラルタル海峡を渡って対岸のタンジェや(スペイン領の)セウタに行ったことがあるのみである。
 このほかにもメインステージではアフリカ・ファッションショーや音楽やダンスの披露などがあり、堪能することができた。距離が遠いこともありアジアやヨーロッパ・北米に比べて普段の生活では目にしたり耳にしたりする機会がまだまだ少ないのが現状だと思うし、私自身もアフリカ地図を見てどんな国がどこにあるか言い当てることができるかは怪しいのであるが、これを機にもっとアフリカのことを知りたいものである。

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2008年5月16日星期五

台湾・遠東航空が営業停止

 フジサンケイビジネスアイ記事から。

台湾の遠東航空が資金難で営業停止

 経営危機に陥っていた台湾の遠東航空は13日、資金調達が困難になったとして、営業を停止した。同社は中台直行便に先行投資していたが、実現の遅れからなど財務危機に陥り、今年2月に会社更生の手続きに入っていた。約半世紀の歴史を持つ同社は、ローカル線を中心に近・中距離の国際線も運航していた。台湾の航空当局は、中華航空などの航空5社に経営引き継ぎを打診したが、交渉は不調に終わった。13日は帰台便6便とローカル便3便を暫定運航したが、今後は段階的に停止し、同社発行の航空券も無効となる。(台北 長谷川周人)

 まもなく馬英九政権になり、中台直航便の話も具現化するであろう時期にその中台直航便を目指していた航空会社が営業停止に追い込まれるとは、何とも厳しい話である。遠東航空自身は政府など関係各方面に援助を求め、運航継続を模索しているようである。
 私は台湾に度々足を運んでいるが、国内線の飛行機には2回しか乗ったことがない。その2回は金門島を訪れたときに高雄->金門そして金門->台北と飛行機に乗ったときであり、台湾本島から遠く離れアモイの沖合数キロメートルのところにある島を旅するためである。台北と高雄の間の行き来でもバスや鉄道を使い、飛行機のお世話にはならなかった。
 記事にもあるが所謂台湾新幹線=台灣高速鐵路ができたこともあり、台湾の国内線は運営が厳しくなるのではなかろうか。日本だと東京-大阪間にも飛行機のニーズはあるが(これも新幹線との運賃競争があるのだが)、空港から先の足を考えると台北-高雄は台湾新幹線のバックアップになってしまうのではなかろうか。
 中華航空(チャイナエアライン)や長榮航空(エバー航空)の2社はドル箱の日台線を飛ばすなどしてやっていけるのだろうしその傘下にある会社は親会社との棲み分けで何とかやっていけるのかもしれないが、中華や長榮にしても航空燃料油価格も高騰している折に客への転嫁で持ちこたえられるのかわからないし、台湾の航空会社にとっては厳しい時代になったといえよう。

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2008年5月14日星期三

胡錦濤訪日に思うこと

 また話題に乗り遅れた感があるが、先週の胡錦濤・中国国家主席訪日について。
 来日して首脳会談をしてサッサと帰るのかと思ったらそうではなく、4泊5日も滞在したようである。来日後松本楼で晩餐会をしたと伝えられてから3日後、蕎麦をすすっていたら彼が川崎のリサイクル施設を訪問したり横浜中華学校を訪問したりしたということがラジオで流れていた。
 気になったのは学校を訪れたということ。ニュースでは1国のトップが学校に来てくれた喜びを伝える生徒のコメントが流れていた。

 日本の首相・閣僚や政治家が外国を訪問した際に、ついでに学校に立ち寄ったという話はあまり聞かない。もし既にやっていればいいのだが、海外訪問のついでに日本人学校に立ち寄って、(自分や所属する政党への支持を訴えるばかりでは困るが)日本人として、あるいは「市民」としてのあり方を説くような話をしたりあるいはもっと身近に「私の少年・少女時代」lくらいでいいから話をしに行くといいのではないかと思う。
 日本では、日本サッカー協会の旗振りで「ユメセン」=夢先生、ということでサッカー界のみならず幅広く有名人を講師として学校に派遣してトークをしたり一緒にサッカーをしたり給食を食べたりして子どもたちに親しみをもってもらい、考える機会を設けている。内外を問わず、そういうことを政治家がやって(繰り返すが、自党の主張ではダメだが)政治家の存在を身近に感じてもらったり彼らが体験したことを伝えてもいいのではないかと思う。そして、それに値する人が出てくることも。

 ところで初日の晩餐会の会場だったという松本楼、毎年9月25日にチャリティーで「10円カレー」を振舞うことで知られている。硬い晩餐会ではなくカレーを食べながらざっくばらんに、というのでも面白かったのではないかと思うが…

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2008年5月13日星期二

汶川大地震

 12日に四川省で起こった大地震、帰りが遅くあまりテレビを見る時間はないがその少ない時間でも大きく取り上げられている。13日の日経夕刊では死者が四川省だけで1万人に上ったことが伝えられているが、今後被害の状況が判明するに連れて残念ながら人数は増える可能性が大きい。
 まず被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

 成都へは仕事で行ったことがあるし、プライベートでも成都にある大熊猫繁育研究基地や郊外の平楽古鎮に行ったことは以前拙ブログでも触れたことがある(1)(2)。やはりかつて訪れた都江堰の名前が度々出てくるが、被害が大きかったのであろうか。どこがどのくらい揺れたのかわからないが、平楽古鎮が気がかりである。
 農村部であまり頑丈ではなかったであろう建物ゆえに被害が大きいのであろうか、あるいは都市部でもさほどの耐震性のある設計にはなっていないのであろうか。このあたりは今回の地震とは余り関係ない沿岸部の大都市でも耐震構造なり建物の「持ち」には留意しなければならないだろう。中国では地震があまりないと言うが、中国ではよく語られる唐山大地震もあったし、1998年には同じ河北省でやはり大地震が起こっている。ごく稀であるとはいえ、どこに居ても「中国でも地震はあるのだ」ということを肝に銘じて生活なり街づくりなりに取り組む必要があると思う。
 四川省にゆかりのある日本企業が支援に乗り出しているということも伝わっている。中国側の対応についてその政治的思惑を類推する向きもあるし実際当局もそのへんは意識しているのだろうし、更に震源地付近がチベット族の居住地ということもいろいろ言われるもととなっているが、まずは人命であるしそこで生活する人のライフラインである。

 以下はNIKKEI NET記事

四川大地震、日本企業が相次ぎ支援活動  

 四川大地震を受け日本企業が支援活動に乗り出している。流通大手が飲料水などを無償提供し、建機各社は被災地の復旧に役立つ建機を寄贈する。多くの企業が義援金の寄付を決めた。
 イトーヨーカ堂は成都市の3店でペットボトル入りの飲料水500本を提供。ローソンはカップめん、懐中電灯など約1000万円分を中国政府に寄付した。日清食品などで構成する世界ラーメン協会は即席めん20万食を被災地に送る。
 機械業界は崩壊した建物の撤去やライフラインの復旧に向け建機を提供。神戸製鋼所と子会社のコベルコ建機が成都市への油圧ショベル6台の寄贈を決めた。

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2008年5月11日星期日

タイフェスティバル2008@代々木公園

Img_4561 この週末は肌寒い日が続いたが、日曜日の午後には雨も上がった。
 この日は代々木公園でタイフェスティバルが開かれていたので、足を運んでみた。


Img_4583 Img_4563  会場には東京はじめ日本各地のタイ料理店がテントを出し、自慢の料理を振舞っている。この料理店が会場の半分くらいを占めるだろうか、「料理店がメインイベントの1つである」というのはどこかの大学の学園祭のようである。

Img_4578 Img_4581  どのテントでも行列しないと料理にありつけないのだが、今回食してみたのはタイ式そぼろご飯(名前は忘れた)とバッタイ(タイ式焼きビーフン)。東京にはタイ料理店も多いのだろうが職場の近くや通勤路にはないので久しぶりに食して目新しかったし、美味しかった。

Img_4577 Img_4565  料理店に隠れて目立たないところで文化的な展示をしているのもどこかの大学に通じるものがあるが、日本とタイの交流にまつわる展示もしていた。皇室レベルの交流から「料理店の多い学園祭の大学」や神田外語大学がやっているタイ研究や日タイ交流、さらにはタイ出身で日本に在住しながらパラリンピックの陸上競技で金メダルをとった人やタイのセパタクローリーグで活躍する日本人の紹介まで幅広く紹介されていた。あと、テントの前ではタイ音楽を学んでいるサークルの方々が演奏を披露していた。
 タイにはまだ足を踏み入れたことがない。学生時代にタイには見どころがたくさんありそうだし前述のようなタイ料理もおいしそうだと思ったこともあり、ムエタイにも関心があったので一度は行ってみたいと思うのだが、いまだに行ったことがない。仕事でタイ関係のことをしたこともあったし、そのうち訪れる機会があることだろう。
Img_4571 Img_4574  会場内に展示されていたタイの三輪タクシー、トゥクトゥク。これらのトゥクトゥク、何と販売用で日本の普通自動車運転免許があれば日本の公道を走ることができるのだとか。値段は確か約130万円+乗り出し費用だったと思う。
 日本の道路で見かけたら、とても目立つと思う。今まで日本でも中国でも見たことがない。
 タイではタイ・ホンダが製造した「タイカブ」、日本で新聞配達やビジネスでよく見かけるスーパーカブをベースにしたバイクが走っているそうだ。これにも関心があり日本にも輸入されているそうだが、今の生活ではどうしても欲しいということもないので買うには至っていない。
 ちなみに、会場にはタイ・ホンダの親会社である本田技研工業もブースを出してタイでの活動をアピールしていた。
Img_4575  タイ名産のフルーツを売る店もあったが、その店頭に貼ってあった「ドリアンとアルコールの多量摂取に気をつけましょう」という貼り紙。東南アジアで有名な果物と言えばドリアンだし、タイで有名なビールと言えばシンハービール。ドリアンとアルコールを同時に摂ると胃の中で発酵が進んで苦しくなるのだとか。

Img_4605  このタイフェスティバル、主催はタイ王国大使館である。大使館自らタイのことを深く知ってもらおうと思い、あるいは在日タイ人の交流の機会としてこのイベントを主催するのである。
 そのタイ大使館もテントを出し、民芸品を売ったりタイ料理を出したりしている。

Img_4607 Img_4609  タイ大使館だけでなくタイの各省庁も出店を出していたが、写真は駐在武官事務所のテント。名前は忘れたが、トムヤムスープのモツ煮込みを売っていた。駐在武官の名が持つ堅苦しさとモツ煮込みの味とのコントラストである。

Img_4600  ステージでは、タイのアーティストによるコンサートが開かれていた。出演していたのはAof・Ya Ya Ying・POTATOの3組とのことで、このアーティストたちの知名度はよくわからないが、Aofが主に出ていたステージの前列は写真のように盛り上がっていた。
 やはり今週行った世界麺フェスティバルでは、料理の容器は再資源化可能なものを使っていたがここではプラスチック製が多かったので、そのあたり環境にアピールできるようなイベントにできれば良いのでは、と思う。あと、料理店主体なるも座って食べる場所が少なかったのが気になった。昨日は雨だったので訪ねた人は大変だっただろう。
Img_4614 Img_4615  そうは言ってもタイに親しむことができるこのイベント、人疲れはしたが行った甲斐はあったと言えよう。
 写真はそれぞれタイのビールで、左はチャーン・ビール、右はプーケット・ビール。後者はジュースや清涼飲料水のような缶ですね。暑い国のビールだからか、あまり重くない飲みやすさ重視のビールだと思う。これは台湾ビールにも共通した特徴だと思う。

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2008年5月6日星期二

青雲丸@高松

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Imgp1010  高松では世界の麺の食べ比べをしてきたのだが、その「世界麺フェスタ2008inさぬき」の会場近くの岸壁で練習船「青雲丸」の一般公開が行われていたので、見学させていただくことにした。
 東京海洋大学や神戸大学の商船系学部・商船高専・海技大学校・海上技術短期大学校や海上技術学校の学生が、航海訓練所の練習船に一定期間乗船して乗船訓練を積むと大型船の船舶職員(航海士や機関士)の免状を取得する近道となる(口述試験受験に必要な乗船履歴がこの乗船訓練で充足できる。海技免状取得については、詳しくは航海訓練所ウェブサイト当該ページをご参照ください。また、これら学校以外にも船舶職員の免状を取得できるルートはあります)が、この青雲丸はその練習船5隻の中の1隻である。練習船というと日本丸や海王丸といった帆船が有名だがこうした普通の(帆船ではない)船も活躍しており、特に機関士を目指す学生にとってはエンジンの実務を習得するのに大事な役割を担っている。また、商船高専の海技系学科の学生にとっては1年間の訓練航海が卒業に必須となっている。
Imgp0961  入り口には練習船を紹介したパンフレットの他に、中国・四国地方の商船高専(弓削商船高専・広島商船高専。大島商船高専の分があったかどうかは定かでない)、さらには波方・清水の両海上技術短期大学校の入学案内が置いてあった。本船見学は子どもや生徒に「海の仕事」への道程を紹介する良い機会でもある。また商船高専は今は商船系以外の学科(電子機械工学科や情報工学科など)の学生が過半を占めるが、これらも含めて「高専への進学」という選択肢を訪れた人にアピールする良い機会ともなる。

Imgp0966 Imgp0975  船の操縦を司る船橋(ブリッジ)。舵の向きやエンジンの回転数など操船に関わる指示はここから出され、また他の船がどこにいるかといった見張りもここで行われる。
 本船の航海士と思しき人が、気軽に写真撮影に応じていたり記念写真を頼まれてシャッターを切っていたのが印象的であった。船務多忙の折、お疲れ様です。

Imgp0979 と思ったらもう1つ下の階にも同じくレーダーや操舵設備を置いた大きな部屋があった。尋ねたところ、上の船橋は士官(本船の船長や航海士)が操船するところで、ここは学生が操船するところだとのこと。ここで学生が操船してしくじったりしたら上の部屋にいる船長や航海士からお叱りが来るのだろうか。そうだとしたら自動車教習所の教習車を彷彿とさせるシステムである。
 本船見学に際してはあちこちに学生が配備されており、警備や説明に当たっていた。また、日本の学生のみならず東南アジアや南アジア系と思しき学生を多数見かけたが、航海訓練所ではODAの一環としてこれら地域の船舶職員候補生の訓練も行っているとかでそうした人達なのだろう。東南アジアや南アジアの学生からも「おはようございます」と挨拶をいただいた。
 厳しいであろう訓練の途中、本来であれば休めるかもしれない着岸の折に一般市民に本船案内をしていただき、ありがたいことである。

Imgp0986  六分儀。今は船の世界でもGPSがあり広い大海原でも自船の位置がわかるが、これを手にして天体を見上げて自船の位置を割り出すことができる。


Imgp0988  無線室。



Imgp0989  万一船が遭難して脱出を余儀なくされたときには、このテント状のボートに乗って脱出しなければならない。写真では子どもが中で遊んでいるが・・・


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 階段教室。学生が座学を受ける場所である。練習船が「教育機関」であることを感じさせる場所である。



Imgp0997  食堂。確か学生用だったと思う。



Imgp0999  青雲丸のエンジンルーム。船が「巨大なプラント」であることを感じる。



Imgp1012  青雲丸の船尾。岸壁に座っている人と比べると船の大きさがわかる。



Imgp1016  対岸の岸壁から見た、青雲丸の全景。



Imgp1013  青雲丸の前を、フェリーが通り過ぎていく。かつて瀬戸大橋ができる前は宇高連絡船というのがあり、国鉄が宇野と高松の間に鉄道代わりに連絡線を運航させていた。瀬戸大橋が開通したので連絡船はなくなったが、今でも同じ区間をフェリーが走っていて乗用車や旅客を運んでいる。
 この岸壁近くの高松サンポートの3階に宇高連絡船記念展示場というのがあり、かつての宇高連絡船にまつわる展示を見ることができる。

Imgp1157  帰りはそのフェリーに乗って宇野->岡山経由で帰ったのだが、その船上から岸壁に停泊中の青雲丸を見る。望遠レンズを持ってくればよかったなと後悔。

Imgp1139  これからも青雲丸は多くの「海の仕事」を志す若者を乗せて航海することだろう。本船の安全航海と乗り組んだ学生の活躍を祈念したい。




Imgp1239 (追記:2008年5月25日)高松では望遠レンズを持っていなかったので青雲丸の右舷斜め前からの写真が撮れなかったのですが、後日横浜に寄港した際に写真に収めてきました。



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世界麺フェスタ2008inさぬき

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 上海にいたときは5月1日から労働節休暇で7連休を楽しめた(今年は3連休らしいが)のだが、その前日本にいた数年間は仕事の都合でゴールデンウィークに休むことはできなかった。今年もそうだろうと思っていたところ思いがけずGW後半は休むことができたので、思い立って高松で開催されている「世界麺フェスタ2008inさぬき」に行くことにした。
 香川県は讃岐うどんで有名なところで、当地のサッカーチームは釜玉うどんをもじった「カマタマーレ讃岐」という名を冠しているほどである。そんな香川県の中心都市である高松で、「シルクロードは麺ロード」をキャッチフレーズにした世界麺フェスタが開かれた。
 かつて『雷波少年』というバラエティ番組の中でお笑いタレントが「究極の麺」を目指してあちこち旅していたが、その際も今回出展している地域を含めいわゆる「シルクロード」を旅していた記憶がある。「シルクロードは麺ロード」というのは共通の認識なのだろうか。

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Imgp1038 高松駅近くの高松サンポートエリアの屋外で各国の麺が振舞われているのだが、どこも長蛇の列でなかなかありつくことができない。


 

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 まず食べたのがウイグルから来た「ラグメン」。ウイグル料理の麺はうどんに近い食感で、上海滞在時にもウイグル料理店で「新疆拌面」や「烩面」の名前でよく食していた。


Imgp1075  中国・陝西からの「岐山麺」。やや辛い味付けの汁に麺を加えたものである。


Imgp1052  韓国にも冷麺やカムジャミョン(じゃがいものでんぷんで作った麺)など特色のある麺があるが、今日披露されていたのは「チャンチグクス」。そうめんのような麺に割とあっさりとした味付けの汁である。

Imgp1048  トルコの「クイマル・マカルナ」。「マカルナ」は「マカロニ」と語源を同じにするのだろうか、こちらは短い麺にトマトなどで味付けをした、汁のない麺である。
 このほか中国からは刀削麺も来ていたが、長い行列ができていたり仕込みのための中断があったりでありつくことはできず。もっとも職場の近くでいつも食しているからまぁいいか、という気がした。他にはイタリアのボロネーゼも振舞われていたが、これも普段食することがあるからいいだろう。

Imgp1057 Imgp1058  外国からの麺料理ばかりではなく、ご当地讃岐うどんやそれを使った創作料理、あるいはラーメンやうどんなど日本各地の麺料理も振舞われていた。写真は「お茶漬けうどん」。普通のお茶漬けだとご飯とお茶の味が絡むのだが、麺だとこのあたりが欠けているので濃いお茶を使うといいのかもしれない。
Imgp1084  こちらは岡山のぶっかけうどん。



Imgp1056  他に、チキンラーメンのブースも設けられていた。



Imgp1033Imgp1059  「シルクロードは麺ロード」のキャッチフレーズに沿って、シルクロード各地の民族芸能も披露されていた。左はウズベキスタン、右はウイグルの舞踊である。

Imgp1094 Imgp1097  食べ過ぎたので、散歩がてら街をぶらぶらと歩く。写真は高松城跡。先日の東京での昭和館に続いて無料開放づいているのか、この日も無料で公園内を散策することができた。

Imgp1095  「大願成就」ならぬ「鯛願成就」とかで、園内に泳いでいるタイに餌をあげることができる場所がある。今は飼っているのだろうが、昔は海水を城内に取り込んでいたとかで、タイも含めて瀬戸内海の魚が自然におよいでいたのであろうか。

Imgp1126  「ことでん」こと高松琴平電鉄の高松築港駅。駅のすぐ隣は城壁の跡である。


Imgp1123 Imgp1105  栗林公園。麺フェスタの喧騒を避けて落ち着いた時間を過ごすことができる。


Imgp1121  首を伸ばして、何を見ているのだろう。



Imgp1128  肝心の讃岐うどんは、本当は街のうどん屋に行きたかったが会場で食べたのみであった。他にも時間があれば瀬戸内の島々を訪ねてみたいので、それらはまたの楽しみに取っておくことにしたい。
 テーマパークなりこうした行事というのは本物の一部を切り取った感じがありありだったり、あるいは本物の「再現」であったりして時には今ひとつの感触を持つことがあるのだが、この日は「再現」ではあったが楽しむことができたといえよう。
 個人的には、台湾の担仔麺もこれらの麺に匹敵すると思うし、それこそ小さな器で出すには相応しいと思うのだが…

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2008年5月3日星期六

做可愛的上海人

 先日拙ブログで触れた『ソトコト』の中に、「2010年に向けて、『かわいい人計画』進行中。」というコラムがあった。
 このコラムを見たとき、「『做可愛的上海人(做可爱的上海人)』のことか」とすぐに思い浮かんだ。
 写真が見当たらないが、私が上海にいた頃から街のあちこちで「做可愛的上海人」というスローガンを見かけた。「可愛的」は日本人的には字面から思い浮かべる「かわいい」ではなく「愛すべき」、ひいては「愛されるべき」と訳されるべきだと思う。前述の『ソトコト』の記事でも見出しこそ「かわいい」にしていたがコラムの中で「"好感をもたれる、みんなに好かれる上海人"ということで、日本語のような"愛くるしい"という意味とは少しズレがありますね」とその意味について触れている。
 この『做可愛的上海人』、上海の人たちに上海万博を控えてマナーの向上を呼びかけるキャンペーンであり、万博を迎えるに際して粗相のないようにという当局が始めたことである。マナーや衛生面といった点で当局が諸外国との差異を感じて始めたのだろうが、本来は強力な指導力で物事を徹底させることが可能な中国で今更のような感がするし、あるいはスローガン自体がそうした「上からの指導」が盛んな中国ならではという気がする。とは言え、万博と関係なくとも多くの外国人が触れるであろうしそれがその外国人の第一印象になるであろう上海でマナー向上が呼びかけられているのは良いことだと思う。尤も、上海語はまかりならんという掲示がバス停に掲げられていたのはやり過ぎだと思うし、そうした上海独自の文化とマナーの両立が求められているだと思うが…

20070424111(追記)去年9月に開かれたFIFA2007女子サッカー大会のことに触れたこの記事の中で、「做可爱的上海人」のキャッチフレーズに触れていました。やはり何かとイベントが多く、「見られる」ことが多くなった上海でのマナー向上は繰り返し呼びかけられるようだ。

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