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十一月 2008

2008年11月29日星期六

映画『小さな中国のお針子』

 「中国映画の全貌2008」と題して中国映画69本の上映を新宿の映画館でやっている。過去に上映されたものや過去の「中国映画の全貌」で何度か上映されたものも少なからずあるが、今まで観たことのない映画の中で何か、と思い『小さな中国のお針子』を観に行った。
 文革期を題材にした映画であるが、2002年の作品であり「文革期を振り返る」作品としてはそう古くはない。文革期に四川省の山奥、文字を読める人が殆どいない農村に「再教育」のために下放された二人の青年と彼らが出会った村のお針子の話である。「外の世界を知る」下放青年に影響を受けて心の中の世界を広げていくお針子、そんなお針子が取った人生の選択、時は流れかつての青年がその村が三峡ダム工事で沈もうとしている頃に昔のことを振り返り…、と続いていく。
 実はこの映画、登場人物も俳優も監督も中国の人であり、舞台も中国であるが、原作はフランス語で書かれたフランス製作の映画である。中国映画の中には観終ったあとで「?」となる映画が少なからずあり、フランス映画はあまり見ないがやはり難しい映画があるようだが、この映画はストーリーが明確であり、観た後で心にオリが残ることのないわかりやすい映画であったといえよう。映画ではかつて懸命に生きた場所は川底に沈み、若き日に恋した人に思いを寄せるのだが、我が身を振り返り歩んできた道程はあとで懐かしむことができるようであって欲しいし、昔を懐かしむだけでなくかつで出会った人たちに誇れる歩みを記したいものである。

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2008年11月26日星期三

『甘苦上海』

 この9月末から、日本経済新聞の連載小説が高樹のぶ子著『甘苦上海』になった。と言っても、私は日経新聞は読んでいるが連載小説は普段読んでおらず、この小説に連動したウェブサイトができたとNIKKEI NETに書かれていたのを見て初めてこの小説の存在を知った。
 過去の分から読み返してみた。上海でエステサロンを経営する51歳の日本人女性と、新聞記者の職を辞して上海で大学院生をやっている39歳の男性との奇妙ともいえる逢瀬がここまでは描かれている。「逢瀬」と書くと、日経新聞の連載小説では過去の話題作というか問題作、『失楽園』や『愛の流刑地』を思い浮かべるが、それらほどのしつこい表現はなくむしろ「その場面」はあっさり過ぎる程に軽く描かれ、ここまでは心理的駆け引きに重きを置いて描かれていると言えよう。

 この小説、第1章のタイトルが「長楽路五二弄三号楼」、第1話で主人公・紅子が運転手に対して発する台詞が「新楽路まで行かないのよ、長楽路で右に折れてね」である。このほかにも上海の地名や建物の名前が小説に現れそして重要なシーンで登場し、かつて上海に住んでいた者としては当時の光景が目に浮かぶし地名が出たりすると懐かしくも思える。旧フランス租界がよく出てくるが、やはり小説の題材として相応しいのだろうか。
 かつて拙ブログで上海を舞台にしたテレビドラマに見られたかの地の光景をアップしたことがあるが(1)(2)、小説では映像が直接出てこない。テレビドラマと違いその光景を見ることはできないが、むしろ映像がない分だけ上海への想像が掻き立てられることもあるだろう。
 第1話を読むと、延安中路から陝西南路に入り、そこから長楽路へ入るようだ。「長楽路で右に折れてね」と指示すると、番地が大きいほうに向かい「五二弄」には着かないようなな気がするのですが、長楽路の番地の付け方ってそうでしたっけ?まぁ小説なので突っ込むのは野暮なのかもしれませんが…

Img_2365  第30話に、紅子がその男性・京に東湖路にある「エル・ウイリー」で食事をしないかと誘われる場面がある。この店は実在するようだ(店のウェブサイト)が、私がいた頃は別の店が古い洋館を改装してオープンしたばかりであった。店の入れ替わりが激しいようだ。




 それから写真はないが、新楽路x襄陽路にある「首席公館酒店」というホテルが登場する。やはり洋館を改装したホテルであるが、宿泊料を聞いたところとても高くて「出張者の宿泊先」には使えない値段だった記憶があるし、小説のようにラブホテル代わりに使える値段ではなかったと思う。
 「エル・ウイリー」の近くで私は「ひとり火鍋」を食していたし、首席公館酒店から歩いて1分の新楽路では「冷面」や一皿2元の餃子を食していた。「ひとり火鍋」もかの地にしてはいいお値段だと思うが、何れにせよこの小説の登場人物とは住む世界が違うのだろう。

 今後も見どころ(突っ込みどころ?)があればぼちぼちと。

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2008年11月23日星期日

「アジア民族造形の旅 暮らしの多様性」@旧新橋停車場

 電車の吊り広告の中に「アジア民族造形の旅 暮らしの多様性」という展示の宣伝を見つけたので、会場である旧新橋停車場・鉄道歴史展示室に足を運んだ。
 民族学者である金子量重氏が集めたアジア各地(イランなど西アジアまてカバーしていた)の生活用具を、衣・食・住・祈・芸・学・遊の7分野に分けて展示している。「衣」であれば各地で着られている服や衣類を収める箱、「芸」であれば祭りで被られる仮面である。中国の子どもを模した泥人形はどこかの写真で見たものそのままでかわいらしくも子どもが着ているものを正確に表していたし、昔の朝鮮で作られた日本地図は日本への関心を示しつつも「北が下・南が上」であるところに当時の朝鮮から見た日本観がわかる展示だった。展示品自体はさほど多くないのだが、前言にあった「民族」の定義も含めて知的好奇心をくすぐる展示だった。
P1000044  この展示があった鉄道歴史展示室、新橋・汐留の新しいビルの谷間に建つ建物である。昭和後期までここには鉄道貨物を扱う駅として汐留駅があったが、その汐留駅が廃止され跡地を再開発する際に埋蔵文化物の調査をしたところ明治時代の鉄道開通期のプラットフォームや駅舎の礎石が発見されたとかで、その地に明治時代の駅舎を復元した建物を建て、「旧新橋停車場」の名を冠してかつての姿を現している。
 新橋・汐留の新しいビルに囲まれているこの旧新橋停車場であるが、建物内にビアホールが入っているし、隣の高層ビルには展望レストラン(私には似合わないが…)やレストラン街が入っている。展示室は夕方18時までやっているし、短い時間で展示を見ることができるだろうから、夕方に来て展示を見たり建物を眺めた後で夕食を、というのも良いのではないだろうか。

P1000049  隣のビルの1階のレストラン街を見て何か食べたくなったが、しっかり食べるというほどでもないので「じぱん家」できんぴら味噌が乗ったパンを食した。ちょっとした街歩きでも新しい食べ物を見つけることができる。

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2008年11月22日星期六

新幹線

Imgp3058 物心ついたころから「新幹線」といえばこの形だった。新幹線に乗ることは少なかったが、写真で見る、丸い形の先頭に丸いランプ、そして白と青の塗り分けが、私にとっての「新幹線」であった。
 そのうちもっと尖った「鼻」を持った新幹線が登場し、その後に登場した新幹線の「鼻」はどんどん長くなっていった。さらに日本の新幹線の技術は台湾や中国にも輸出され、彼の地でも日本の新鋭車輌と同じ車輌を見ることができるようになった。しかし日本では、「鼻」が長い新幹線車輌が増えるにつれて、原型であるこの車輌を見ることは少なくなっていった。
 1964年の新幹線開業当時から走り続けてきた0系電車は、今年限りで現役を退くそうだ。所用があり西に向かう際に移動ルートにこの0系電車への乗車を組み込んでみた。

 写真は新岩国駅にて。私にとって「見慣れた」ものでも、歴史の中に入っていくのだろう。

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2008年11月13日星期四

『世界の車窓から DVDブック No.24 中国ベトナム』

 近所の本屋で見かけたのでついつい購入。出版元による紹介はこちら
 5分間のミニ番組『世界の車窓から』をまとめて1枚のDVDに収めている。シリーズの中で中国を対象にしたものはこの巻だけのようだ。上海から張家界を経て昆明へ、そこから中国では珍しい狭軌鉄道に乗ってベトナムとの国境へ行き、さらに国境を越えてハノイ・ホーチミンへと乗り継いだ中での車内の様子や車窓の様子が収められている。拙ブログでもかつて紹介した「和諧号」に代表されるように中国の鉄道も大きく様変わりしているが、このDVDではまだまだ多数を占める客車列車からの車窓や車内を見ることができる。紹介される列車は決して豪華列車というわけではなく、中国だと硬座車、ベトナムだと板張りの座席の客車というように庶民の足、あるいは贅沢をせずに遠くへ行こうという人が乗っている車内からの眺めである。上海在住時は、出張でも(さすがに寝台列車でということは少なかったが)こうした客車に乗って目的地へ向かうことが多かった。昆明からベトナムとの国境を目指す河口という街を目指す狭軌列車が走る、常春の地と言われる明るい車窓が印象深い。
 こうした車窓やその間に紹介される街の小道を目指して気の向くままに旅をするということは難しいのだが、住んでいる街を離れて旅をするときには目に入る眺めを味わい、何かを感じることができれば良いと思う。

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2008年11月1日星期六

ドイツの中国人

 先週末、都内の家電量販店に行ったのだが、店の客の中に中国人や台湾人が多いようで、店内のあちこちで中国語が聞こえてきた。デジタルカメラ売り場でディスプレイを前にして「どうする?買う?」といった会話が繰り返されていた。
 先月のドイツ旅行でも、各地で中国人がとても多いのが気になった。東洋系の顔立ちでどこの人かと思っていると、いつも中国語の会話が聞こえてくるのだった。ドイツで東洋系の顔立ちだと、日本で他の東洋系の人をみるよりも目立つ。
 そして、中国人が観光シーンの様々な場面で登場してくる。中国人を目にするのは、世界のどこにでもある中国料理店だけではない。土産物屋の売り子にも中国人が多かったし、ハイデルベルクでは博物館の切符売り場に中国人がいた。話を聞いてみると上海出身で、私が住んでいたところの近くに住んでいたと言っていた。

 以下、放送大学の教材でもある、梶田孝道著『国際社会学』(放送大学教育振興会、1995)を参考にした。ドイツでは「ドイツ市民」であるためには血統主義や文化的・民族的・宗教的な価値観を一にすることが重んじられる傾向があり(この市民観は「フォルク」と呼ばれ、政治的理念の共有を重んじるフランスの「ナシオン」と対比される)、外国人労働者は「ガストアルバイター」、客員労働者と捉えられる傾向がある。ドイツの状態とフランスの状態がそれぞれ「フォルクのみ」「ナシオンのみ」というわけではなかろうが、ドイツでは前者が優勢とされている。

 ドイツでは各地の中央駅の駅前に中国人・トルコ人といった移民向けの店や移民通りと呼べる通りがあったが、「フォルク」の市民観がある中で「自分らしい生活」を維持しようとしているのを具現しているかのように見えた。

Imgp1940  ケルン駅前にて、「大可以」という名前のレストラン。







Imgp2952  フランクフルト中央駅から市電沿いに伸びる通りの朝。トルコ系や中国系と思しき店が並んでいる。昼や夜には賑わうのだろう。







Img_4675  ハイデルベルク、ネッカー川河岸にある中国料理店で食べた「担担麺」。具の挽き肉や汁が甘辛い味だった。







Imgp2468  ドイツではないが、フランス・ストラスブールにて。中国料理の惣菜が店頭に並ぶ。「ナシオン」の中での中国惣菜。

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