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一月 2009

2009年1月22日星期四

千葉美加

 近所のCDショップに立ち寄って品揃えを眺めていたら、数少ないアジア音楽の商品の列に千葉美加の『Made in~別離選擇了我』が並んでいた。
 彼女は当初日本で芸能活動をしていたが、1990年代初めに台湾に活動拠点を移して中国語で歌ったCDを出したところこれがヒットして台湾で売れっ子歌手となった。当時は逆のケース、台湾の歌手や俳優が日本で芸能活動をすることはあったが(鄧麗君や翁倩玉や欧陽菲菲など…古いか)日本の歌手や俳優が台湾や香港などに進出するのは珍しく、またタレントの交流が盛んな東アジア・東南アジアにおいて日本は言葉の問題などからかやや孤立していた感があったので、日本人が台湾でしかも中国語で歌ってヒットするというのはとても珍しくまた新鮮に感じた。中国語(国語)も身につけて台湾の人たちにアピールしたのだろう。このCDショップに並んでいたのは台湾で出したCDに日本語の解説を付けて日本のレーベルで売り出したものであるが、CDのジャケットには「台湾音楽界で確固たる地位を築き、中国・新加坡・泰国・馬来西亜ツアーを敢行。」とあり、現地で流行ったことをアピールしている。
 私も学生時代(H送大学の、ではない)に台湾からの留学生から「台湾で中国語の歌を歌って流行っている日本人の歌手がいる」と聞き、彼女の曲を聴いたことがある。今回CDショップにあった『Made in~別離選擇了我』は1992年リリースとのことであるが、この中に『準時打開Radio』という曲があり、この題名がサビに入った曲に聞き覚えがあるので当時聴いたのはこのアルバムかもしれない。
 15年以上前に発売されたCDが今でも店頭に並んでいることはあまりないのだろうが、思わぬところで昔聴いた中国語のCDを目にし、昔聴いた歌声を思い出しまた当時を思い起こした。

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2009年1月17日星期六

インターネット統制の転換?

 少し前のニュースだが、中国でMSN等のウェブサイトが「低俗」だと当局から批判されているのだとか。そのMSNに(日本のだが)配信された共同通信の記事

中国、「MSN中国」も低俗と批判

 9日付の中国各紙によると、中国政府は8日、社会道徳にそぐわない「低俗な内容」が多数含まれているとして、ソフトウエア最大手の米マイクロソフトが運営するインターネットの中国語版ポータルサイト「MSN中国」など14サイトを新たに「低俗サイト」として公表した。
 中国政府が今週着手したネット上のわいせつ情報などの取り締まり強化対策の一環で、リスト公表は2回目。1回目の「低俗サイト」リストでは、米ネット検索大手グーグルなど19のサイトが名指しで批判を受けた。
 MSN中国については、一部に「大量の低俗な絵や写真が含まれている」と指摘している。(共同)

 中国共産党の機関紙『人民日報』のウェブサイト版である人民網その記事があった。

全国整治互联网低俗之风第二批曝光网站名单
MSN中国、TOM等榜上有名

  人民网1月8日电  中国互联网协会互联网违法和不良信息举报中心今日公布了全国整治互联网低俗之风第二批曝光网站名单。
    互联网违法和不良信息举报中心根据公众举报核查,下列网站存在大量违背社会公德、损害青少年身心健康的低俗内容,且在全国整治互联网低俗之风专项行动开展之后未采取有效措施,现予公布。

  1、“MSN中国”网站的“电影”频道、社区的“精品贴图”版块存在大量低俗图片;
  2、“TOM网”的“娱乐”频道、“体育”频道、“汽车”频道存在大量色情和低俗图片;
  3、“空中网”的“娱乐”频道“写真”栏目存在大量低俗视频;
  4、“西部网”的“体育图片”栏目存在大量低俗图片;
  5、“聚友网”社区的“精品贴图”版块存在大量低俗图片;
  6、“易车会”网站的“相册”、“汽车图库”版块存在大量低俗图片;
  7、“游民星空”的“游戏mm”频道存在大量低俗图片;
  8、“52PK网”的“美女写真”栏目存在大量低俗图片;
  9、“POCO”网的“图片”频道存在大量低俗图片;
  10、“17173游戏”的“美眉”频道存在大量低俗图片;
  11、“合众网”的“美女视频”栏目存在大量低俗视频;
  12、“小虎在线”WAP网站“视频搜索”栏目存在大量低俗视频;

 1ヶ所「色情和低俗图片」という記載があるが、他は「低俗」の一言で片付けられており、どう「低俗」なのかわからない。日本の報道だと「内容が低俗」と報じられているが、中国側の記事を見ると画像が「低俗」だと言っているように捉えられる。“汽车图库”に「低俗」な写真、というのはレースクィーンの写真を指して言っているのか、高価な外車の写真を指しているのか。“精品”の写真も「低俗」だ、としているのは何だろうか。特定のサイトの「追い落とし」にも見えなくもない。
 私が上海にいた頃は、拙ブログにも何度か書いたが外国のウェブサイトのうち特定のものを見ることができず、「遮断」という方法がインターネット統制の中心だったと思う。最近では拙ブログに戴いたコメントなどによるとそうした制限は緩和された節が窺えるが、そのかわりウェブサイトを見せ、「このウェブサイトは低俗だ」と「教育」するのをインターネット統制の手段に加えた、ということだろうか。

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2009年1月13日星期二

『世界ふれあい街歩き~台北~』

 毎週日曜日の深夜に、NHK総合テレビで『世界ふれあい街歩き』という番組をやっている。世界各地の街の様子やそこで暮らす人を紹介する番組なのだが、よくある旅番組とは違って「その街を散歩する」目線で時には細い路地に入り込み、あるいは観光名所ではない商店街や住宅街にもカメラが入っていく。ナレーターの1人語りや街の人たちへの語りかけも良く、略毎回視ている。
 先週末は台北の街歩きで、朝の龍山寺界隈から昼どきの台北駅前の予備校街、さらに北へと歩き大同区の町工場が並ぶ通りを見つつ夜にはその付近の夜市へ、という流れだった。
 町工場で鍛冶屋を営む人は御年75歳、流暢な日本語で話をしてくれた。75歳であれば終戦時には今で言う小学校高学年、当時の国民学校高学年でありこの世代がかつて学んだ日本語を覚えている最後の世代であろう。彼はこの街で一貫して台北を、台湾を見続けてきたのだろうが、「台北も変わった」と仰っていた。日本統治期から今日までの台湾・台北を見続けてきた生き証人とも言えるし、いい顔をされていた。
 もっとも、私に親しみがあるのは台北駅前の予備校街である。自助餐や麺の店などが並ぶ路地には私も足を踏み入れたことがあるし、ここで自助餐を食べたこともある。
 この番組で伝わる以上に台湾、そして台北はは面白い場所だと思うし、見ていたらまた台湾に行きたくなった。最後に映った夜市は知らないので、探して行って味わってみたい。

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2009年1月7日星期三

大理を旅して考えたこと

Imgp3332  年末の大理旅行の際、西湖のガイドをしていた若い女性が、自分は大理から外へ出たことがないのだと言っていた。さらに、大理では他所へ出稼ぎに行く人は少ないのだとも話をしてくれた。収入は他の街に比べて低いのかもしれないが、ここでみんなで米と野菜を作ってそれを食べていけばやっていけるのだ、と。

 3年前に大理を訪れた際にも喜州の観光ガイドの女性が、大理から外へ出たことは殆どなく遠くへ行ったのは昆明くらいだと言っていた。
 「経済発展が進んだ中国」の姿としてよくテレビで見たり関心を示されたりするのは上海や広州・深圳など沿海部のそれであり、私もかつてそんな街で仕事をしていたことがある。他方内陸と沿海部の経済格差の開きもよく語られ、こうした地域からの出稼ぎというのもよく話題に上る。
 昨年末にNHK・BSで『中国・庶民の改革解放30年 第2回 革命の聖地 延安』という番組を観た。日中戦争期に中国共産党が長征の後にたどり着き本拠地を置いた「革命の聖地」とされる陝西省・延安もやはり今となっては「内陸の立ち遅れた地域」を体現しているのだが、そこで10年以上前に人民公社体制から生産請負制への変化に巻き込まれた人たちがその後どうなっているかを追った番組である。生産請負制に抵抗し、人民公社時代に割り当てられた比較的生産性の高い土地を引き続き耕そうとして高値でその土地の利用権を落札した人はその支払いのために出稼ぎを余儀なくされ、生産請負制に乗じて一旗挙げようとした人もその後の当局の農地政策の変化などでうまくいかず結局出稼ぎに行かざるを得なくなる、という内容であった。この2人がうまくいかないが他方で早くから農業を捨てた人がこの地ではうまくやっている様子が映ったが、延安全体としては「立ち遅れ」から脱することができていない、という印象を持った。

 大理のガイドの女性の話を聞いて頭に浮かんだのは、1ヶ月あまり前に見た映画『小さな中国のお針子』である。こちらは長らく閉ざされた村で過ごしてきたお針子の女性が下放されてこの村にやってきた青年との交流や恋愛を通じて村の外には今まで触れたことがない新天地があるのだと思い、村を出ていくというストーリーである。
 大理の観光地でガイドをしていると中国の都市部から来た人を見たり彼らと話をすることは多いだろうし、私のような外国人とも話をすることがあるだろう。また、今はテレビなどで中国の他都市の情報を見聞きすることがあるだろう。中国にいると、私のような外国人に対して「給料はいくらだ?」とか聞いてくる人が少なからずいるのも確かである。
 そんな中でこの大理で生きていく、生きていけるという話を聞いたのは印象深かった。「出稼ぎには行かない」と言うからには出稼ぎという生き方を知っているということであり、それを踏まえての話である。
Imgp3299  大理は観光地として著名でありまた気候的にも年中温暖で、中国全体からみると厳しくも雲南省の他の街や村、さらに前述の延安などに比べて経済的には良い状況にあるのかもしれないし、その中で観光ガイドの職に就いているのも比較的良いのかもしれない。大理古城で米线を食べているとお金を乞う人が店に入ってきたこともある。また、大理でも古城から離れたところには経済開発区があり必ずしも「経済発展から離れた幸せ」を求めているわけではない。それでも、大理に生きる人から「この街で生きていける」「金銭的にはさておき米と野菜を作っていれば生きていける」という話を聞き、大事にすべきは何かを感じたような気がする。

 2年前には拙ブログで愛媛に関わる人を取り上げ「一生幸せに生きていける」という文章を書いた。私自身は勤め人として「儲かる場所」にターゲットを当てねばならずさらに住む場所も変えてきたので前述の大理に生きる人や愛媛に暮らす人とは暮らし方を異にするのであるが、他者をむやみに羨ましがるのは避け「自分はどう暮らしていくか」ということは意識していきたいと思う。

 上写真は西湖から大理古城に戻る途中にて、下写真は西湖の中の島にある村落の写真。本文で触れた西湖のガイドの女性はこの島で生まれ育ち、今は毎日ボートで島から湖畔にある観光拠点に通っているのだとか。

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2009年1月4日星期日

2008年12月・大理旅行(3)-日本四僧塔-

 大理古城から程近いところに、「天龍八部影視城」というところがある。「影視城」というのは映画村の意味であり、中国の小説『天龍八部』をテレビドラマ化した際のセットをテーマパークとして公開しているところである。
Imgp3402  この影視城の中に、「日本四僧塔」という名前の塔がある。明朝期に内乱に連座して当時明に渡っていた日本人僧侶4人がこの地に流されてそのまま没し、それを悼んだ大理の人たちがここに塔を建て、21世紀の今に至るまで供養を続けてきたとのことである。そしてその話を映画『単騎、千里を走る』のロケで雲南省を訪れていた主演の高倉健と監督の張芸謀が聞き、感銘を受けて寄付をしてこの塔を整備せしめて現在の姿になったとのことである。2人による碑文も塔の下にある(下写真、なおロケ地は大理と並ぶ風光明媚な観光地である麗江やその近郊などとのこと)。

Imgp3397  600年以上前に明に渡るのも容易ではないし、その後さらに流刑に遭いさらに当時の明朝の海禁政策により帰国の路を絶たれ大理で生涯を終えた僧侶、そしてその話が今に伝えられていることに思いを馳せる。交通が発達した今日、日本から大理に行くのは1日かそれ以上かかるのだが、それでも今日の我々は自由に行き来することができる。そうではない、渡るにも覚悟が必要で、渡った後に戻れなくなってしまった4人の日本人僧侶の心中、とりわけ故郷を思う気持ちはいかばかりだっただろうか。

Imgp3405  この日本四僧塔に参るためには、先の「天龍八部影視城」に入場料(52元!)を払って入らないといけない。参拝するためにテーマパークに入場料を払わないといけないの何だか…という感があるし、日本四僧塔の故事とテーマパークというのがあまり馴染まないのだが、何にせよこの故事は語り継いで欲しいものである。


Imgp3407  テーマパークでのワンカット。600年前の大理も、鮮やかな花が街や村を彩っていたのだろうか。

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2009年1月3日星期六

2008年12月・大理旅行(2)-大理郊外-

Imgp3252 前回の続き。今回の大理旅行でも、乗用車をチャーターして大理郊外へ出た。
 旧市街である大理古城から30分ほど走ると、前回もそして16年前にも訪れた喜州という小さな街がある。この街では白壁の家が並んでおり、そのうちの1軒を白族民居として観光スポットにし、中でペー族の風習である舞踊や三道茶を披露している。今は絶え間なく観光客が訪れるようだが、16年前に現地で参加したツアーでここを気に入って翌日路線バスに乗ってもう一度訪ねた時には訪問客が私一人だけだったのだが、一人の客のために民族舞踊を披露してくれた。今では中国の人も当時に比べていろいろな面で自由に旅行ができるようになり「客が一人だけ」ということはないのだろうし観光地としての色彩はより強くなっているが、時が流れてもペー族の風習を観光客に伝えてくれる。
 写真のように三方が住居なり倉庫なり、残る一方が壁である「三房一照壁」がペー族の家の特徴だそうだ。前回の訪問時には壁が高いのが財力の証だと教えてもらったが、今回は壁の前の花壇が子孫繁栄を願って(実がたくさんなるように)のことだと教えてもらった。
Imgp3216  ペー族の家の玄関の上の飾り。







Imgp3218  前回も聞いたが、ペー族の女性が被る髪飾りは、白い紐が風を、飾りつけで花を、上の白い部分で雪を、髪飾りの曲線が月を表していて、「風・花・雪・月」とのことである。





Imgp3273  喜州を離れ、大理に面した湖・洱海のさらに上流にある西湖という湖を目指すことにした。西湖の観光チケットは食事付きなのだが、川魚と野菜が出てきた。この魚は「草魚」(艸魚?)というらしいが、味付けがタイカレーのようであり、煮汁をご飯にかけるとタイカレーの味そのものであった。


Imgp3282  食事を済ませ、西湖へボートで漕ぎ出す。







Imgp3289  西湖の中には島があり、その島と湖岸は橋で結ばれている。その狭い橋をボートがくぐる。






Imgp3296 Imgp3311  西湖の中にある島には少なからずペー族の人が住んでいて、やはり白壁の家がある。湖では魚や貝を獲る人がボートで漁をしたいたが、この島では農業が営まれており、12月とは思えないほど青々とした作物が育っていた。
Imgp3292  農作業が終わったところだろうか、橋につながる土手を歩く人たち。






Imgp3336  西湖を後にし、大理古城方面に戻る途中の風景。やはり12月とは思えない一面の菜の花である。






Imgp3348  この日は月曜日、途中にある沙坪という街で週に1回の野外市場が開かれるとかで足を運んでみた。






Imgp3358 Imgp3369  生活必需品といえばやはり食糧。大理や近郊で採れた野菜、さらに豆腐を干した豆腐干などが売られていた。じゃがいもの値段を聞いたら1斤が6角とのこと、かなりお買い得である。
 そのほかには、上写真のような香辛料や乾物を売る人たちも多かった。

Imgp3353 Imgp3362  食糧のみならずその他の生活用品も売られている。衣類や靴は昔からあるのだろうが、ポリ容器やバケツなどを売っているのは今日のマーケットならではといえよう。

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2009年1月2日星期五

2008年12月・大理旅行(1)-大理古城-

 年末の休みを利用して、中国・大理に旅行に行ってきた。
Imgp3075  大理には3年前に行っており、また1993年にも行っている。日本からだと往復それぞれに1日あるいはそれ以上かかるのでそう簡単に行くことができる場所ではないのだが、美しい眺めが気に入っている。
 写真は大理でもう一度見たかった景色、池に映る三塔寺。三塔寺から少し離れた、三塔倒影公園にて。昔は普通の公園だったのだが、最近は三塔寺と一体の観光ポイントとなり、入るには三塔寺と共通の入場券が必要である。









Imgp3181  大理の旧市街、大理古城を囲む城壁の前にて。中国の人たちは観光地でカメラを向けられるとポーズをとったり「モデル立ち」をしたりする人が多い。





Imgp3069  旧市街のメインストリートである復興路。







Imgp3195  旧市街では主な通りに水路が設けられたりと、街並みに手入れをして景観の整備が図られている。





Imgp3208  交差点にて。







Imgp3200  夕暮れ時になると、食堂のかきいれ時である。店頭にその日取れた野菜やきのこを並べ、選んで調理してもらう。






P1000175  12月だというのに、復興路から1本外れた通りでは花を見ることができる。夜こそ寒いが昼間は暖かく、常春の地と言える。






P1000174  夕方、学校帰りの生徒が屋台で小吃を選んでいる。








P1000164 P1000165  こちらは米线(米線、米で作った麺)の店にて。多くの生徒がこうした麺なり炒飯なりを食べていく。もうすぐ日が沈むのだが、学校帰りにしてはしっかり食べている。家では食べないのか、あるいは遠くから学校に通っていて寄宿舎暮らしなのか。

P1000232  朝の旧市街、メインストリートから離れたところにて蒼山を望む。ここ大理は標高が1900メートルあまりあるにもかかわらず温暖なのだが、前日山には雲がかかっていたせいか蒼山の上にはうっすらと雪がかかっている。白壁の家と緑の山、そして雪のコントラストがいい風景となっている。
 郊外の様子は、また次に。

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2009年1月1日星期四

2009年・元旦

Imgp3418 1月1日、新しい年の幕開けの日である。学生だと新学年、勤めていると事業年度など他の区切りもあるのだが、日本の正月は普段とは違う時間の中でゆく年を振り返りまた新たな年に思いを巡らす良い区切りである。日本の正月が体に染みついているせいか、上海にいた頃の普通の休日に過ぎない1月1日は日本のそれとは違った感覚で過ごし、また春節も何か「区切り」という感覚ではなかった。また、シンガポール在住歴のある人に言わせると四季がない土地での暮らしもやはり節目を感じにくいのだそうだ。四季折々を感じる中、寒さの中で正月を迎えることが長年の習慣からか自然のように思えてくるし、節目を迎えていろいろと考える機会を与えてくれる。

 寒さを感じる元旦の朝であったが、近くの神社の境内では梅の花が早くもぼちぼちと開いていた。もっとも開いている花はごくわずかで、ほとんどの花は硬いつぼみの姿で来たる春の訪れを待っている。

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