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三月 2009

2009年3月31日星期二

2009年春・台湾(6)宜蘭・新月広場付近の旧跡

 前回の続き。宜蘭酒廠を後にし、舊城路を扇形に歩く。
Imgp4222  しばらく歩くと前方に円形の建物と新しいショッピングセンターが見えてくる。新月広場というショッピングセンターで、カルフールやダイソーの看板が見える。中の一部はホテルになっているそうである。円形の建物は、多目的ホールのようである。



Imgp4223  その新月広場の手前に小さな広場と木製の建物がある。日本時代の建物で、旧宜蘭廳庶務課長官舎。戦後は宜蘭県県庁主任秘書の宿舎となり今は多目的スペースとのことだが、建物の脇ではコーヒーかお茶を飲んでくつろいでいる人がいたので喫茶店もあるのだろう。



Imgp4225 Imgp4226  足許には、各時代の宜蘭の地図が埋め込まれている。





Imgp4231  かつてはこのあたりは日本人官僚の宿舎になっていて、戻るように少し歩き路地を入ると宜蘭設治紀念館(記念館)という建物がある。こちらはかつての宜蘭廳長の宿舎を復元したもので、畳張りの部屋では宜蘭の歴史を写真で紹介している。




Imgp4235 Imgp4241  その隣には旧宜蘭農林学校校長官舎がある。今は「音楽館」と称して音楽にまつわる展示をしているようだが、内部は当時の日本式の畳張りの部屋が復元されており、宜蘭設治紀念館とあわせて往時を偲ばせる。

Imgp4247  このあたりは日本統治期は官僚宿舎として使われ、また戦後はやはり官舎など公共施設として使われたようである。その後このあたりは前述のショッピングモールのように再開発されているが、煉瓦の壁なども往時の姿をとどめるべく保存されている。



Imgp4254  新月広場へ。「Happy 牛 Year」というのは、丑年の「牛」とハッピーニューイヤーの発音を引っ掛けたのだろうが、中国語圏のあちこちにありそうである。





Imgp4261  実はこのあたりは日本統治期から戦後を経て1990年代前半まで監獄があった場所である。
 写真は監獄の見張り台。建物の手前で草を食べているヤギは、よくできたハリボテである。




Imgp4260  かつての防空壕の跡。日本統治期・戦後通して使われたのだろうか。






Imgp4256  こちらは宜蘭が国民党政権下で「宜蘭県」として地方自治を回復したことを記念する石碑。地方自治回復10年を記念して建てられた。





Imgp4264 Imgp4269  舊城南路となった舊城路を新月広場に沿って折れると、青色が鮮やかな建物がある。これは旧宜蘭監獄事務室で、監獄跡の再開発でも解体を免れ、修繕の上ギャラリーになっている。
 おそらく宜蘭の主要なショッピングモールであろう新月広場やその周りに、かつてのいきさつもあり往時の姿をとどめ、残されていたり復元されていたりして宜蘭の歴史を語っている。
 また写真が多くなったので、続きは後程。

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2009年3月30日星期一

2009年春・台湾(5)宜蘭・朝の風景と宜蘭酒廠

 前回の続き。「サヨンの鐘」の故事を伝える武塔を後にし、蘇澳で列車を乗り換えて宜蘭に着いた。終日外へ出ていたせいか疲れてしまい駅前のホテルにチェックインしたらそのまま寝てしまい、夜市に繰り出すことができなかった。残念。
 翌朝から、宜蘭市内をぼちぼちと散歩。
Imgp4142  朝から買出しをする人たちで賑わっている。







Imgp4144  市街地の中心部にある教会。椰子の木や隣の商店のパラソルが南国の雰囲気を醸し出し、ヨーロッパで見る教会とは雰囲気が異なる。














Imgp4139  日本では、沖縄や鹿児島に「石敢當」という魔除けの石碑があるらしいが、ここ宜蘭では2箇所に現存している。これは上述の教会の近くの路地にある石敢當。





Imgp4162 Imgp4160  もう1ヶ所、市街地の北側、聖後街というところにある石敢當。キリスト教の施設(教会と幼稚園)の隣にあるのが面白い。



Imgp4167  宜蘭の仏閣は、日本のそれに比べると派手である。先述の花蓮にある吉安慶修院とは対照的である。






Imgp4166 Imgp4169  宜蘭の街並み。







Imgp4176  古い城壁の跡である舊城路を歩き、舊城西路に入ると「宜蘭酒廠」、要は酒の醸造所・工場がある。内部を公開していて、建物や展示を見ることができる。





Imgp4221  宜蘭酒廠の壁には、酒を入れる甕が並んでいる。







Imgp4181 Imgp4183  敷地内には実際に稼動している作業エリアと展示エリアがあり、前者は中を見ることはできないが酒造りの各工程を紹介する案内板があり、そこで何をしているか紹介している。写真は包装のエリアだそうだ。

Imgp4193 Imgp4197  この宜蘭酒廠は日本統治期に宜蘭製酒公司として建てられたもので、敷地内には当時から残る建物もある。写真左は講堂、右はかつては容器置き場、今は包装資材置き場。

Imgp4187  敷地内にあった台湾ビールのオブジェ。前を歩く人と比べて大きさがわかるだろうか。






Imgp4201  展示エリアへと移る。入り口には小学生が社会見学?の際に甕入れをした酒壷が置かれている。宜蘭酒廠は確かに当地の重要企業なのだろうが、小学生が酒造りのお手伝い、というのもなかなかである。
 私が小学生の頃は清涼飲料メーカーに行った記憶があるが、宜蘭の小学生は酒造メーカーへ行くチャンスがあるようだ。

Imgp4219  宜蘭酒廠の歴史を紹介する展示。初期の経営者に、日本人の名前が並ぶ。






Imgp4216  そのほか、酒にまつわるクイズや史料・資料など様々な展示がある。ちょっと見難いが、「酔翁八態」という説明。訳してみると猿酔=大声で歌って飛び跳ねる、獅酔=大声で吼え回る、豚酔(猪酔)=ろれつが回らず言語不明瞭に成る、羊酔=自分が偉いと思い込み大言壮語を吐く、狼酔=異性への関心が高くなり皆美男美女に見えてくる、狐酔=酔ったフリをして相手を酔わせて意図を遂げる、哭酔=要は泣き上戸、そして真酔=本当に酔っ払って睡眠に落ちてしまう、ということです。

Imgp4214  さらに、「飲酒十戒」というのもある。ハイペースで飲まずにゆっくり飲め、飲みたいときに飲むべきで無理に飲むな、飲みたいように飲むべきで人に無理強いはするな…等々。
 写真が多くなったので、続きは後程。

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2009年3月29日星期日

2009年春・台湾(4)サヨンの鐘~映画『練習曲』の舞台~

 また台湾旅行の話に戻る。映画『練習曲』の一場面となったローカル駅・漢本駅を訪れたが、映画ではその後、青年が訪れた別の場所で原住民と思しきお年寄りが日本語の歌を歌っている場面があった。
 この歌は『サヨンの鐘』という歌である。日本統治時代、台湾・宜蘭県にあるタイヤル族の村に勤めていた日本人巡査に召集令状が届き、学校の教師をするなどその村の人たちに慕われていたその巡査の出征に際して村の人たちは彼の荷物を運んで見送ることにした。当時17歳だったサヨンという少女も荷物運びの手伝いに加わったが、折からの暴風雨の中サヨンは足を滑らせて水かさが増した川の激流に呑み込まれそのまま命を落としてしまう。そしてその話を聞いた当時の台湾総督がこれを「少女が命を落としてまで出征する巡査に尽くした」という「愛国美談」とし、遭難場所付近に「遭難碑」を建てさらにその村に鐘を贈った…という話である。
 この話をもとに日本では西条八十作詞・古賀政男作曲による『サヨンの鐘』という歌が作られ、渡辺はま子がこれを歌い日本・台湾でともに流行ったそうで、お年寄りが歌っていたのはこの歌である。さらにこの話は後に李香蘭主演で映画にもなったそうである。

Imgp4057  その後蒋介石時代になりこの鐘は撤去されてしまったが、今日また復元されている。漢本駅から区間車で北へ1駅、武塔駅で降り、駅前の道路を下ると蘇花公路に面した大きなサービスエリアがある。そのサービスエリアの奥が公園となっていて、ここに当時の鐘とともに新しい碑が建っている。



Imgp4061  サヨンの故事を記した碑板。中国語・台湾国語では「莎韻之鐘」と書く。
















Imgp4064  上述の通り、復元された「サヨンの鐘」は蘇花公路のサービスエリアの隣にあり、休憩のため停まる長距離バスからたくさんの人がここに降り立つのだが、「サヨンの鐘」に足を運ぶ人は少ないようで、殆どの人はそのままサービスエリアにだけ寄って行ってしまうようである。



Imgp4068  駅のほうへ戻り今度はサービスエリアとは逆の方向に歩き、小学校の前で線路をくぐると「武塔社区」という小さな集落がある。2分くらいで家が並ぶ道を抜けてしまう、小さな集落である。




Imgp4114  この道をまっすぐ行くと、突き当たりで道がかつて堤防だったと思われる場所を巻くように登っていく。この堤防らしいところの端に古い石碑が立っている。これが当時建てられた「遭難碑」である。






Imgp4073  日本の普通のお墓と同じくらいの大きさである。碑文は相当削り取られているが、「愛国乙女サヨン遭難之碑」と刻んであったのがわかる。削られた「サヨン」の時の横に誰かがその文字を書いているが、誰が書いたのだろうか。
 碑そのものも、相当削られている。



Imgp4078  「年九月二十七日遭難」だけが辛うじて読み取れる。







Imgp4067 Imgp4118  集落の様子もぼちぼちと紹介。線路をくぐる際の壁には「国旗や国歌に敬意を払おう」というスローガンを記した古い絵が描いてある。他方、くぐって線路を持ち上げる壁には原住民のかつての暮らしを描いた現代的な絵が埋め込まれている。

Imgp4094  別の線路をまたぐ道では、社区の人たちが井戸端会議をしている。






Imgp4095 Imgp4089  堤防の上から見た社区の様子。山に囲まれた本当に小さな集落である。
 広場の石像、正面から見ると本当に射られてしまいそうである。


Imgp4106  集落の隣を流れる川、サヨンが流された川もこの川かあるいはその支流なのか。貨物列車が通り過ぎていく。






Imgp4070  戸数が少ない社区ゆえスーパーマーケットというのは成り立たないのだろう。野菜や果物を載せたトラックが社区の中を走り回り、住民の頼りになっているようだ。
 社区には乾物や缶飲料を売る店があった。そこの店主としばし話をしたが、日本語で「当時とは道も川の流れ方も変わった」と仰っていた。年齢的に、「当地の言葉と日本語が身についた」世代なのだろう。

 『サヨンの鐘』の話は、『練習曲』を観てあれこれ調べるまで知らなかった。現代の台湾映画を見てその場面を訪ねることで、かつての台湾の物語やそれを題材にした日本の歌を知った次第である。またそのおかげで、今日の台湾の小さな社区を訪れるという縁ができたのである。

*参考:国立民族学博物館みんぱく映画会「サヨンの鐘」上映会
シネマファクトリーチェン・ホァイエン監督&イーストン・ドン インタビュー

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六義園の夜桜

P1000650Imgp4406  そろそろ桜が咲くかなと言われるようになってからまた寒さが戻った感じで、都内ではこの週末もまだ満開とはいかないところもあるようだが、六義園のしだれ桜は満開とのことで、夜のライトアップを見に行ってきた。

Imgp4390 Imgp4370 園内のしだれ桜。去年行った小石川植物園と違って園内に何本も桜があるわけではないのだが、この1本だけで圧倒的な存在感である。大きく拡がった枝に満開の桜の花である。

Imgp4358   園内はライトアップ時は三脚禁止とかで、折角三脚デビュー?しようとしたのに残念。写真が暗めになってしまった。来週の週末も桜の花を楽しむことができるかな?

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2009年3月26日星期四

2009年春・台湾(3)漢本駅~映画『練習曲』の舞台~

 一回別の記事を挟んだが、再び台湾訪問記をアップ。
 今回台湾東岸に足を運んだのは、昨年8月に観た台湾映画『練習曲』の中に映った風景のうちいくつかを訪ねてみようと思ったからである。翌9月にそのうち一ヶ所を訪ねたのだが、自転車で台湾一周をする青年と台湾各地の人たちとの触れあいを描いたこの作品の中にあった台湾各地の風景を訪れてみようと思った次第である。
 この映画の中に、台湾東部の小さな駅で青年とリトアニアから来た女性がしばし交流をする場面がある。聴覚にハンディキャップがある青年とリトアニア人の女性は言葉が通じないのだが、ローカル駅の裏にある海岸で次の列車を待つ間に絵を描いたり海岸を歩いて時間を過ごす、そんな場面だったと記憶している。
 このシーンの舞台は台湾・東部幹線の漢本駅という、宜蘭と花蓮の間にある小さな駅とその裏にある海岸である。東部幹線は台北~花蓮間は結構列車の本数が多いのだが、この漢本駅に停まるのは区間車(各駅停車)のみであり、1日7本しか列車が停まらない。特に南下(台北から花蓮へ向かう方向)する列車は11時前の後は夕方17時まで列車がない。なので今回は一旦花蓮まで行き、北へ向かって走る列車に乗った次第である。映画の中でも、女性が次の目的地(確か花蓮だったと思う)に行くには一旦逆の方向へ向かう列車に乗り途中で折り返すのがいちばん早い、と駅員に教えられる場面があった。

Imgp4040  漢本駅。







Imgp4046  ホームは結構長いのだが、区間車は4輌程度しかないのでその一部しか使われない。






Imgp4043  線路脇の電信柱に咲いた花の横を、犬が走っていく。







Imgp4036  漢本駅を出たところ。駅前にはトラックなどの運転手が対象と思われる自助餐の店しかない。
 花蓮から北上すると線路はずっと海岸沿いを走っているのだが、道路は途中から海岸線より少し高いところを走っている。そんな道路が標高を下げ、海岸線に近づくのがこの漢本駅のあたりである。
 漢本駅を降りて北へ(写真手前に)歩き、速度制限の標識のある分かれ道があるのでそこで車道と別れて下っていくとすぐ線路をくぐる道があるので、そこをくぐると海岸に出ることができる。
Imgp4000  海岸の砂浜。流木が流れ着いている。波打ち際から離れたところにある流木は打ち上げられてから相当日数が経っているのか、小さいものは手に取ると簡単に崩れてしまう。
 映画では、この流木の間を女性が歩きながら独白を話していた。



Imgp4026  波の音だけが耳に響く。







Imgp4024  海岸では、車で来た人が釣りを楽しんでいる。
 沖合には小さな漁船が浮かんでいる。






Imgp4032  映画では、駅員が「鉄道ファンがよく写真を撮りに来るよ」というようなことを言っていたと思う。が、(私の写真の拙さはさておき)海岸側からだと列車が防風壁にもぐってしまうので、ここでうまく鉄道写真を撮るのは難しいと思う。あるいは、駅付近の他の場所が撮影スポットになっているのだろうか。


Imgp4021  駅の真裏あたり。映画では、駅員が海岸にいた女性に「もうすぐ列車が来るよ」と教えていた。





 ここ漢本駅から北へ向かうと、線路は引き続き低いところを走りトンネルに入っていくのだが、道路は再び海岸線に切り立った崖を上って海を見下ろしていく。自転車で走っていた青年はこの漢本駅付近で線路に近づき、列車でその海岸線を違う路=線路で旅していた女性とこの駅で交錯し、再び女性がたどってきた線路と別れて道をのぼっていく、ということになる。現実には本当に何もない、寂しいとも言える景色が、スクリーン上では違う道をたどってきた人が触れあう場所となるのである。

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2009年3月25日星期三

中国から見られない動画サイトと、見られない中国の動画サイト

 YouTubeが、中国から見ることができなくなっているのだとか。ロイターに載った記事

中国でユーチューブへのアクセス不可に、当局は関知否定

 [北京 24日 ロイター] 中国では23日遅くから米グーグル(GOOG.O: 株価, 企業情報, レポート)傘下の動画共有サイト「ユーチューブ」へのアクセスがブロックされているとみられるが、同国外務省の秦剛報道官は24日、その事実を認識していないと述べた。
 同報道官は記者団に対し「多くの人は中国政府がインターネットを恐れていると誤解している。実際にはそれは逆だ」とも語った。
 一方、グーグルの広報担当スコット・ルービン氏は、中国国内ではユーチューブへのアクセスが過去24時間ブロックされていることを確認。アクセス制限の理由を確認するためユーチューブが当局側と接触しているかどうかについては言及を差し控えた。
 同社によると、グーグルとユーチューブが過去にも、中国で短い期間アクセスがブロックされたことがあるという。

 ITmedia Newsにも同じことに触れた記事がある。擬似的に「中国のインターネット環境」を作って(要は中国のプロキシを噛ませる)YouTubeにアクセスすると、Firefoxでは「接続が遮断されました」と表示されて確かに接続できない。
 過去に何度も書いたが、中国では特定のウェブサイトにアクセスできないように当局がコントロールすることが可能だとされており、その際は特定のページだけでなくそのウェブサイトが属するサービスやサーバーもろとも接続できなくなることが多い。私が上海に住んでいた頃もそうした「万里の長城」に悩まされた。今回もその一環なのだろうか。
 2ヶ月前に、中国当局が特定のウェブサイトを指して「低俗」だと非難したことについて節ブログで触れたが、その際に中国当局はインターネット統制の手段について好ましくないとされるウェブサイトを「遮断」することに加え、ウェブサイトを見せて「低俗」などど価値判断を示す「教育」という手段も使い出したのでは、と述べた。しかしながら、やはり「遮断」による統制がまだまだ重用されている、ということだろうか。私が上海にいた頃は、中国に都合の悪い記事がアップされる可能性のあるウェブサイト(台湾の新聞や政府機関)に加え「無料で自分の主張をアップロードできるサービス」、例えば無料のホームページサービスがこうした遮断のターゲットになっていたと考えるが、YouTubeもまさにその一例であろう。

 前述のYouTubeとは逆に、中国の動画サイトが日本からのアクセスを遮断している、と報じられている。少し古いが、ITmedia News記事

  中国の動画共有サイト「Tudou(土豆)」と「Youku(優酷)」が日本からのアクセスを遮断している。トップページや動画ページは表示できるが、動 画再生画面には「あなたの地域では動画を見られない」という内容の英語メッセージが表示され、再生できなくなっている。
 YoukuやTodouには、日本のアニメなどが数多くアップロードされており、日本からのアクセスも増えていた(中国の動画サイト「Youku」日本で人気 ニコニコ動画並みの伸び)。
 中国の報道などによると、Todouは今年に入って日本のIPアドレスからのアクセスを遮断、Youkuも数カ月前から同様の措置を取っているという。
 両サイトには日本のテレビ局から、著作権を侵害した動画の削除要請が寄せられているという。今回の措置は、著作権侵害に関するクレームを回避する狙いや、サーバ・ネットワークコストを削減する狙いがあるとみられている。

 試しに文中に紹介されているYouku(忧酷)にアクセスしたところ、動画が出てくるべきところに「The clip has been blocked in your region」と表示される。
  「日本のアニメなどが数多くアップロードされており」とかで、要は著作権に問題のある動画が数多くアップロードされているということであろう。ブログの中 にも、このYoukuにアップされたアニメなどにリンクしている記事を見かける(そして、それらのリンクには「The clip has been blocked~」の表示がされている)。

 自国の外への接続は遮断し、他方では国内の業者は海外からのクレームを逃れるために海外からの接続を遮断する、という有様は、我々が標準と思っているインターネット接続の基準と大きくかけ離れているといえよう。

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2009年3月24日星期二

2009年春・台湾(2)花蓮・吉安慶修院

 前回の続き。翌日、目的地に向かうには一旦花蓮へ行ってから東部幹線を折り返したほうが便利なので、まず列車で花蓮に向かった。4年前に太魯閣を訪れたことがあるが今回は花蓮は素通りと思いつつも折り返しの列車まで2時間以上あるのでさてどうしようかとバス停のあたりをうろうろしていたら、こちらが日本人だと気付いた年配のタクシーの運転手が「日本時代の『農業移民村』がある」と教えてくれたので、その運転手に紹介されるがままにタクシーに乗ってそこを目指すことにした。
Imgp3987  メーターでNT$200くらい走って着いたのは、日本の様式のお寺、「吉安慶修院」というところであった。日本統治期にこのあたりに四国出身者が多く移住し農業に従事したとかで、運転手が言った「農業移民村」(日本語です)はその頃の農業に従事した移住者の集落のことを指していっているのだろう。この吉安慶修院は、そうした移住者のために建てられた寺院であり、弘法大師が祀られていた。

Imgp3981  四国からの移住者が多い地域のお寺らしく、境内には四国八十八箇所の御本尊が置かれ、このお寺に詣でることで四国八十八箇所を巡る遍路をしたのと同じご利益が得られるとされているのだとか。




Imgp3977  その簡略な「八十八箇所参拝」について触れた説明書き。






Imgp3982  やはり境内にある百度石。願掛けをするときはこの周りを100周して祈願し、成就したらお礼参りとして1000回この百度石の周りを回るのだとか。




 もっとも、これらは1990年代に入ってからの復元が殆どである。第2次大戦後にここに建てられた、観音を祭る寺院が1980年代に焼失したが、その後ここが1997年に花蓮県の旧跡に指定されたのを機に日本統治期の様子がここに復元され、当時の建物を復元したり弘法大師像や仏像を日本から呼び戻したり新たに建てたりしてかつての姿を取り戻したのだそうである。
 運転手が言っていた「農業移民村」の名残だろうか、境内でキャベツが売られており地元の人が買っていた。日本にゆかりがあるとは言え、日本に持ち帰るのは植物検疫の絡みもあり難しいでしょうね。
 日本式の寺院や弘法大師像、四国八十八箇所に関連する御本尊や遍路の説明を花蓮で見ることができる。この運転手は花蓮駅への帰り道で「日本統治期があったおかげで、蒋介石は何もせずに台湾を発展させることができた」と言っていた。日本人相手のリップサービスもあるだろうし事はそう単純ではなく、更に日本統治期に当地の原住民が起こした反乱「七脚川事件」に関して触れた案内も境内にある。それでも、蒋介石・蒋経国時代を経て今日またかつての姿を花蓮に復元し、台湾の人たちが足を運ぶ場にしようとしているのが印象深い。太魯閣観光の拠点として前回訪れ、今回は2時間あまりの滞在であった花蓮であるが、まだまだ見るべきところがありそうである。

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2009年3月23日星期一

2009年春・台湾(1)台北・寧夏路夜市

 昨年同様、今年も3月に3連休プラス1日を使って台湾に行ってきました。成田空港での飛行機事故の影響で帰りの飛行機が遅れましたが、何とか今日のうちに部屋に戻ることができました。今春は選挙があるわけではないので、台湾をぶらりぶらりと。

 先日観た『世界ふれあい街歩き』の台北編は、賑わう夜市の場面で番組が終わった。台北の大同区にある町工場を歩いた後に歩き着いた夜市なのでこの夜市も大同区にあるのだろうと思って調べたところ、台北駅から地下鉄で北へ2駅行った雙連駅の近くに寧夏路という通りがあり、そこで夜市が開かれているようだ。台湾に到着した日の夜、寧夏路へ行ってみた。
P1000516  雙連駅で地下鉄を降りて、民生西路を西に向かって歩く。民生西路にも食堂や衣料品店などが並び、結構賑わっている。






P1000515  店頭に魚介類を並べる、海鮮料理の店。








P1000514  台北にも多い、日式ラーメンの店。「東京豚骨拉麺」の表示が、今ひとつ馴染まない。







P1000518  寧夏路に到着。民生西路を雙連駅から歩いてくると左側の通り、台北駅方面に向かう通りが夜市で賑わっている。







P1000538  夜市で振り返って撮った写真なので並びが逆になっているが、夜市の上に輝いているネオンが『世界ふれあい街歩き』の映像と同じである。番組で紹介された夜市はここ寧夏路の夜市だったのである。





P1000522  この寧夏路夜市、小学校の門前に並んでいる。小学校の前の通りが夜になると夜市になる、というのも大きな変わりようである。そういえば、番組では母親がやっている屋台のそばで勉強する姉弟の映像があった。二人にとって、夜市が子ども時代の原風景になるのだろうか。




P1000521 P1000519  「台南米糕」という、あまり見かけない文字を屋台で見かけたので何だろうと思って食べてみることにした。
 炊いたもち米の上に、肉鬆(細かい干し肉に甘い味をつけたもの)や魯肉などをのせたものであり、これらを混ぜていただくのが望ましい食べ方だそうだ。
P1000533 P1000530  こちらは、台湾のあちこちの屋台でおなじみの食べもの。店頭の表示にある通り、「甜不辣」(中国語でてんぷら、と読む)・「関東煮」・「黒輪」(台湾語で「おでん」と読む)といろいろな名前で呼ばれるが、魚の練り物などいろいろな具を日本のおでんと同様に出汁で煮る。出汁の味が日本のおでんよりも薄く、甘辛いソースにつけて食べるのが一般的である。
P1000529  「これとこれとこれ」という感じで頼むと、食べやすい大きさに切って出してくれる。







P1000524  日本の縁日と同様に、ここ寧夏路の夜市にもゲームで楽しませてくれるところがある。
 民生西路から寧夏路へ入ったあとはずっと食べ物の屋台が並び、このゲームは通りの南にある、さらに南には衣料品の屋台があり、食べ物の屋台とそれ以外の屋台がすみ分けているのが特徴であろうか。


 この寧夏路夜市、私は『世界ふれあい街歩き』で見て気になって調べて見つけたのだが、台北の中心部にある夜市ということで賑わっているようだ。テレビで見た風景を探し当てるというのも、台北に新しい風景を見つけるというのも面白い。そして、台北に新しい夜市を見つけて嬉しいものがある。台湾各地にはまだまだ私の知らない夜市があり、それぞれその街の人たちやそこを贔屓にする人たちで賑わっているのだろう。

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2009年3月15日星期日

孔子学院

 今日の日本経済新聞に、世界の言語についての特集記事が載っていた。内容は自国語の擁護に動く各国の様子について主に触れ、インターネット上での言語状況や「絶滅する言語」にも話が及んでいた。アラブ首長国連合のドバイでは英語に席巻される状況に危機感を抱き公用語がアラビア語であることを閣議で確認し、さらに街の飲食店に英語のメニューだけでなくアラビア語のメニューも備えるよう警告を出したとか、金融用語は英語が当たり前の中でフランスでは政府がフランス語を使うよう通達を出したり、最後の話者が死亡して言語が絶滅したり話者が減少して絶滅の危機にある言語があることを紹介していた。
 その記事の中で、中国語の学習機関「孔子学院」について述べていた。孔子学院は中国政府が中国語の普及を目的として世界各地に設けた中国語教育機関で、中国政府が一定割合の運営費を負担するのだそうだ。記事によると世界81カ国に孔子学院はあるそうで、中国政府の肝入りで中国語の普及に当たっていると言えよう。
 既に中国語学習機関がかなりある日本でも、立命館孔子学院桜美林大学孔子学院など、大学との提携の形で孔子学院が開設されている。桜美林大学孔子学院では1年間集中して中国語を学び、修了すると桜美林大学や上海にある同済大学への編入ができる中国語特別課程を設けている。その他、普通の語学学校やカルチャースクールのように週1回ずつ短期間通う講座が設けられている。
 かつてのスペイン語・ポルトガル語のように植民地にその言語を広めてその地域の公用語としてしまう状況とは違い、学習者が増えたからといって国の公用語が簡単に変わる状況ではない。それでも、その国を理解する人を増やすという意味でその言語の学習者を増やそうとする試みは意味を持つ。中国も、「自分の国に注目してくれる外国人」を増やすことが国益に繋がると考えて「孔子学院」を展開しているのだろう。

 他方、中国の少数民族が使っている言語の中には「絶滅の危機に瀕している」ものもあるだろう。このサイトで「絶滅の危機に瀕する言語」を紹介しているが、台湾の原住民の言語については触れているも中国の少数民族の諸言語は名前が挙がっていない。
 中国の少数民族の言語については、Record China記事で「大半の言語が絶滅の危機」との研究結果があったことが述べられている。モンゴル語のように他国で使われているものは残るだろうし、ウイグル語のように自治区の名に冠せられている民族の言語は話者が多いこともあり残るだろう。しかしながら人口が少ない民族の言語で、記述法が確立されていなかったものなどは中国語の波に呑まれていくのかもしれない。

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2009年3月10日星期二

日本アジア航空 ボーイング747の模型

P1000497 羽田空港の売店で、日本アジア航空の塗装をしたボーイング747(747-300)の模型を見つけたので買ってしまった。日本アジア航空は昨年3月で運航を取り止め、日本-台湾路線は日本航空運航となったので、今となっては思い出のデザインということになってしまうのだろうか。
 今でこそ日系航空会社の割引運賃もかなりお手ごろになっているが、学生時代は海外で航空券を買うのでなければ旅行で日系キャリアの国際線に乗ることはままならず、私が台湾に興味を持ち始めた'90年代後半もまだお値段はそれなりだったと記憶しており中華航空などに乗っていたと思う。その後JAAの割引航空券の値段に手が届くようになったしウェブサイトで簡単に買えるようになり格安航空券を買いに旅行会社に行くよりは便利になったこともあり、この模型の塗装の1世代前(JALのウェブサイト「さよなら鶴丸」のページにあるいちばん右端の写真、のJAA版)の塗りわけのJAA機に乗ったことがあるのは覚えているが、この塗装のものには乗ったことがないと思う。最近JAA便に乗った際もたまたまかもしれないがJALご本体の飛行機だったのか統合を前提にご本社のロゴに塗り替えたのかJALの塗装の飛行機だった、と記憶している。

 この模型を始めとする日本アジア航空の飛行機の模型、JALショッピングのウェブサイトでも取り扱いがありますね。日本アジア航空も「JALの歴史の一部」にはなっているようである。

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2009年3月1日星期日

中国語のインターネットラジオ

 上海に住んでいた頃、タクシーに乗るとラジオがかかっていることが多く、街でよく聞く歌が聞こえてきてその歌の題名が気になったり、時には日本の歌が流れてきたりした。また、所謂「大本営発表」ではあるがニュースを聞いて考えることもあったり、天気予報を聞いたりもした。
 そうした上海のラジオのみならず、中国語のインターネットラジオについて、国学院大学の針谷壮一先生がご自身のウェブサイトに各ラジオ局のアドレスをまとめてくださっている。そのページではそれぞれのラジオ局のストリーミングに直接リンクしていて、クリックすると対応している様式に応じてWindows Media PlayerやRealplayerが立ち上がり、あるいはそのラジオ局のウェブサイト経由で聴くようになっているものではそのウェブサイトが立ち上がり、各局のインターネットラジオ放送を聴くことができる。上海のタクシーで「Love Radio 103.7」とアナウンスとともに音楽が流れてきた上海東方広播電台 Love Radio (103.7MHz)も、その他の上海のラジオ局、さらには中国や台湾、シンガポール始め世界各地の中国語インターネットラジオを聴くことができる。
 いくつか聴いた中で興味を引いたのがシンガポールのRadio1003。もとがAM放送なので音質はそれなりだが、土・日曜には日本の音楽を流す番組もあり、シンガポール在住の日本人が座談会形式のトークをし、それをDJが中国語で説明したりもしていた。他の番組では中国語の音楽も楽しんで聴くことができる。
 実際に台湾なり中国なりに住んでいるわけではなく、ラジオ以外に商店の店頭で流れている音楽を聴いているわけではなく、インターネット経由で聴くことができるとはいえ現地のラジオを聴く時間は少ない。従って「どんな曲が、どんな歌手が流行っているか」を現地の人たちと同様に感じるのは難しいと思う。それでも、Love Radioを聴いていると上海にいた時の雰囲気を少しではあるが味わうことができるし、他の中国語ラジオ局を聴くことで台湾気分・中国気分・シンガポール気分などに少しは浸ることができるのではなかろうか。
 また、中国語のヒアリング学習という点でもこれらインターネットラジオは役に立つのではないだろうか。私が(くどいがH送大学の、ではない)学生だった頃に「中国語のラジオを聞いて文章に起こす」という課題を課せられたことがあったが、当時は短波放送を録音してそうした課題に当たらねばならなかった。その先生が「短波放送を聴くことの難しさ」をわかっておられたのか定かではなくもなぜか皆その課題には対応していたが、今はこうしたインターネットラジオで容易に中国語のラジオを聴くことができる。

 前述のように短波放送で中国語のラジオ(のみならず世界各国のラジオ)を聞いていた頃からすると、インターネットで中国・中国語のみならず世界各地のラジオ放送をインターネット経由で聴くことができるようになるとは本当に便利になったものである。もっとも、インターネットに定額で繋ぐことができる環境が必須であり、そうでないと「バケ死」、通信料金が高額になってしまう。
 これら中国語インターネットラジオを携帯電話のようなモバイル環境で聴くことを画策しているが、それはそのうち。

(追記)中国から、台湾やシンガポールなどのインターネットラジオを聴くことができるのだろうか?昔は大陸から台湾の行政機関やマスコミのウェブサイトには接続できなかったが、最近は規制の向きを変えているかもしれないがどうだろうか。

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