2009年・環黄海旅行記(19)仁川の中華街
今回乗った船「香雪蘭」号の船内には仁川(Incheon、인천、インチョン)の観光案内や地図が置いてあったのだが、その中に「チャイナタウン ときめきの旅」と日本語で書かれた地図が置いてあるのを見つけた。韓国語と日本語で仁川の中華街のことを紹介したこの地図を見ると、仁川駅のすぐ前が中華街になっているようである。下船したらまっすぐソウルに向かうつもりだったが、予定を変えて仁川のチャイナタウンに行ってみることにした。
仁川港の旅客ターミナルから市内へは、バスかタクシーで向かうことになる。止まっていたバスの表示は当然ハングルなのだが、その中に「동인천역」とあるのを見つけた。「역」は駅のことであり、口に出してみると「ドンインチョンニョク」…「ドン」は「東」だろうから「東仁川駅」ではないかと思った。「東仁川駅」がどんなところかはわからないがとにかく鉄道の駅に近づきそうなので、このバスに乗って「동인천역」を目指すことにした。
かつて韓国のバスに乗った記憶から車内アナウンスがないのではと思ったがこのバスではあり、さらに主な停留所では英語のアナウンスもあったので無事目的の「동인천역」-やはり鉄道の駅「東仁川駅」だった-で降りることができた。
この東仁川駅はソウルと仁川を結ぶ1号線(京仁線)の終点1つ前の駅で、ここから電車で1駅乗ると仁川駅である。
仁川駅。
仁川駅の目の前に、中華街の入り口であることを示す大きな門が建っている。
横にある道路案内の漢字表記は、おそらく中国語話者向けであろうが「華僑街」となっていた。
門をくぐると、中国料理店や中国物産店が軒を連ねている。坂が多いのが横浜の中華街とは異なるところか。

店頭では布製品や陶磁器といった土産物にもなる実用品のほか、青島ビールや白酒(しろざけ、ではない)など飲食品も売られていた。

中華街にある仁川華僑中山学校の壁には三国志演義の名場面が壁に描かれており、三国志の物語をたどることができる。坂の上から下へと物語が進んでいくので、仁川駅から中華街に入ってこの三国志壁画通りを目指すと物語の最後「死せる孔明生ける仲達を走らす」の壁画から逆に見ていくことになるが…
船の中で手に入れた地図によると、ここ仁川には中国の清朝期、韓国の李氏朝鮮期に中国領事館が建てられ、それを期に今日中華街がある北城洞・善隣洞の一帯が華僑が住むエリアになり、中国から輸入したモノを売ったり韓国の砂金を手に入れたりと交易の場ともしていたとのことである。しかしながら中華人民共和国成立後に中国当局が中国人の外国への移動を制限したことによりこの地域は急速に衰退していったとのことである。地図にあるかつての料理店があった建物の紹介の言葉を借りると「韓国華僑の悲哀」の時代となるのだろう。それから50年の時を経て、これまた地図に書いてあった言葉を借りると「韓中修交を契機に長い眠りから覚め」、2007年の地域特化発展特区指定など中華街復興計画とともにこの一帯も再整備され、中華街としての趣を取り戻しているということになろう。
この中華街付近には意外な街並みがあるのだが、それは後程。


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