« 『海角七号 君想う、国境の南』 | Main | 2009年・タイ旅行(7)アユタヤ~ワット・プラ・シー・サンペット~ »

2010年1月4日星期一

2009年・タイ旅行(6)アユタヤ・日本人町の跡

 間が空いてしまった上に年末年始を跨いでしまったが、また昨年末のタイ旅行の話を。

 アユタヤといえば、日本史で「山田長政がアユタヤに渡って活躍した」と教わったのを思い起こさせる。かつてのアユタヤ王朝の首都であったアユタヤ、商人を中心とした日本人もかの地に渡り、貿易に従事したり王朝の傭兵になったりした。特に江戸時代初期にアユタヤに渡った山田長政は武巧により頭角を現し、王朝の爵位を得て活躍したとされる。
Imgp9326  その山田長政も戦いの中で毒殺されたとされ、また日本人町も衰退しまたアユタヤの街自体も王朝の滅亡とともに勢いを失ったとされる。
 1930年代に、文献をもとにかつての日本人町とされる跡地が探し出され、現在ではアユタヤ歴史研究センターなる建物がありそこでかつてのアユタヤの、そして日本人町や日本人社会の研究をしており、また敷地は公園になっている。

Imgp9328  このかつての日本人町は、寺院が多いアユタヤの観光地とは離れた所にあり、自転車だと橋を渡って東側に抜けてさらに4キロメートルくらい走らないとならない。着いたときには午後5時前で前述の歴史研究センターは閉まっており敷地も閉門寸前だったが、入ってすぐのところにある記念の石碑を見ることができた。
 石碑の裏の文言は風化して読むことが困難だったが、「昭和38年に建立された」旨が記されている。1963年だから、47年前で建てられたようだ。かつての日本人町も石碑にその跡を遺すのみであり、むしろよく発見されてかつての場所を今に知らしめているといえよう。
 今ならバンコクと成田は飛行機で5~6時間のフライトである。タイやアユタヤがどのようなところかはいろいろと情報を得ることができるし、タイ語も日本で学ぶことが出来る。翻って山田長政始め当時の日本人は、未知の土地ともいえさらに一度渡ったら日本に戻るのは困難を伴うアユタヤに、どのような気持ちで渡り、どのような気概を持ってこの地に暮らしていたのだろうか。

|

« 『海角七号 君想う、国境の南』 | Main | 2009年・タイ旅行(7)アユタヤ~ワット・プラ・シー・サンペット~ »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73410/47208504

Listed below are links to weblogs that reference 2009年・タイ旅行(6)アユタヤ・日本人町の跡:

« 『海角七号 君想う、国境の南』 | Main | 2009年・タイ旅行(7)アユタヤ~ワット・プラ・シー・サンペット~ »