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一月 2010

2010年1月31日星期日

2009年・タイ旅行(29)バンコク・街歩きその他もろもろ

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 1月は先月のタイ旅行のことばかり書いてきたが、月が変わるのでここで一段落ということで、バンコクを歩いて目に留まった風景の写真をアップ。左はワット・アルンから渡し舟でチャオプラヤー川を渡り、船を下りたところの通り。






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 1階に並ぶ店舗では、海産物や川で獲れた魚を加工したと思われる乾物などが並んでいた。








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 ワット・ポーに面したマハラート通りに出る。
 王宮にも近いこのエリア、やはり王室ゆかりのThanon Phraeng Naraに建物の雰囲気が近い。高貴な雰囲気ながら近寄りがたいということはなくむしろ親しみやすく、今も建物が「生きている」ことを感じられるところも、である。




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 ワット・ポーを観た後で、王宮に向けて歩き入り口を目指して曲がった交差点にて。やはり青空の下で王室に近いエリアの威厳を残す建物の白壁が眩しいが、観光客を待つトゥクトゥクも並んでいる。






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 上写真の左側の通りを入ると、写真のような屋台が並ぶ。王宮や王室が市民を遠ざけることはなく、むしろ屋台や小商店などが並ぶ街並みは王室と市民の距離が近いことを表しているといえよう。前述のThanon Phraeng Naraのように、「長屋の大家が王室」というのが象徴的である。王室も街の一員である、ということもできよう。




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 王宮付近から北に向かって歩いた通りにて。小さな仏像の真贋やその価値を、虫眼鏡を使って測っているのだろうか。







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 王宮の北に広がる王宮前広場にて。凧を並べて売っている。








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 ワット・スラケッに向かう途中にて。白い建物はラーマ7世の功績を記念した博物館。そのことは知らず建物の外だけを見て通り過ぎてしまった。







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 上写真の博物館の前、運河にかかる橋。橋には趣があるのだが運河の水がきれいではないのが残念である。








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 王室ゆかりの建物が並びまた官庁街でもあるドゥシット地区の大通りには、役所に向かってアピールをしてすべく歩道を塞いでいる人たちがいた。詳細はわからないが、英語でのアピールを見ると地方で生活が豊かではない人たちの生活改善に向けて政府のアクションを求めるアピールのようだ。

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 アユタヤの写真も1枚。寺院の並ぶエリアから日本人村を目指すべくラチャーナー通りを自転車で走っていた中で見かけた建物。白壁にバルコニー、煉瓦色の低い三角屋根がやはり歴史を感じさせる、あるいは歴史を意識して建てられたことを窺わせる。

 3泊5日のタイ旅行であったが、初めて訪れる場所ということもあり見るものが新鮮で、また住んでいる東京や住んでいた上海、またよく訪れる台湾の街並みと比べることも多かった。旅行者として少し歩いただけでこれだけ印象に残ったのだから、また行って歩くと新しい出会いや発見があるに違いないし、今回見えなかったものも見えるだろう。またタイに行きたいものである。

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2009年・タイ旅行(28)ビニールに入っているのは…

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 アユタヤにて、日本人村を訪れた帰りに見かけた光景。
 日本だとビニールに入れられている魚は金魚なのかもしれないが、ここでは小魚がビニールから取り出されて次々と売れている。近くの川で獲れた小魚なのだろうが、こちらは食用だろう。「屋台に並ぶ魚」を見た感覚の違いや如何に。

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2009年・タイ旅行(27)バンコク・スカイトレインの広告

P1010876 バンコクの高架上を走る交通機関、BTS(Bangkok mass Transit System)。スカイトレインと呼ばれる。
 バスやタクシーなどで移動すると渋滞に巻き込まれて時間が読めないことがあるが、これが通っているところは時間を読んで移動することができる。ジム・トンプソンの家を訪れた後でショッピングエリアであるサヤーム・スクエアをぶらぶらした後でホテルに戻るときに、スカイトレインに乗った。



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 このスカイトレイン、車輌の側面全体に広告が描かれている。窓も広告で覆われていて、これでは折角地上を走っていても地下鉄のように外が見えないのではないか、景色で最寄駅に近づいたという気付き方ができないのではないか、と思った。が、実際に乗ってみると広告が窓にあたる部分は網状にペイントされていて、窓の外が結構見えるようになっていた。地上を走っているのに地下鉄のような車内、ということはなさそうだ。

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2009年・タイ旅行(26)路上の裁縫屋さん?

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 バンコクのとある通りの歩道で、足ふみ式のミシンを使って縫い物をしている人を見かけた。

 なぜに路上で?通り行く人をお客にすべく路上で営業がてらミシンを出しているのか、普段使っている場所が工事か何かで使えずにやむなく路上で作業をしているのか。

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2009年・タイ旅行(25)ペットボトルの日本語

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 バンコクの中華街、ヤオワラート通りで買ったペットボトル飲料。ラベルには「もぐ もぐ オレンジジュース」と書いてある。ナタデココ入りのオレンジジュースである。
 それ以外は殆どタイ語なのでその場ではわからなかったが、裏にURLが書いてあるので後で見てみたらSapanan General Food(音が出るので注意)というところから出ているようで、オレンジのほかにライチ・グレープ・パイナップル・マンゴーがあるようだ。ウェブサイトでは、同社初の飲料商品でヒット商品だと紹介している。
 タイのジュースの食感を「もぐ もぐ」という日本語で表現、タイの人には伝わっているのだろうか。

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 こちらのスポーツドリンクには、ラベルに「アミノ オーケー プラス」と小さく書いてある。
 日本では見たことがないペットボトル飲料だが、こちらの記事によると「オイシ」というタイの飲料メーカーの製品だそうだ。ラベルには「Oishi」と書いてあって日本語の「おいしい」に掛けているのかと思ったが、前述の記事によるとオイシ・グループは日本料理店も展開していたとかで、「おいしい」の語感がグループ名になっているのだろうか。

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 こちらはバンコクのワット・ポーにて。日傘に書かれているのは日本でもお馴染みの「生茶」である。

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2009年・タイ旅行(24)タイの犬と猫

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 タイで観光名所を巡ったり道を歩いたりしていると、犬が歩いたり休んだりしているのをあちこちで見かけた。写真はアユタヤの、寝釈迦仏があるワット・ローカヤースッターにて。
 1年中暑いタイで、暑さに負けたのか伸びているように休んでいる犬もいた。




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 こちらはバンコクのThanon Phraeng Naraにて。白壁の長屋の通りを、白い犬が歩き回っている。








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 一方、猫を見たのはここだけだった。アユタヤのワット・プーカオ・トーンにて。ここには鶏が多くいて、猫はやや遠慮しているようにも見えた。

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2009年・タイ旅行(23)セグウェイ@スワンナブーム空港

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 バンコク・スワンナブーム空港の出国エリアにて。警官だろうか警備担当だろうか、セグウェイに載ってショッピング街を巡回している。
 日本では中部国際空港でセグウェイを使った構内ツアーをやっているが、スワンナブーム空港では業務に導入されている。黒いボディー・車輪に黒い制服で緊張感がある。

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2010年1月30日星期六

2009年・タイ旅行(22)トゥクトゥク・タイバイクとタイで見た乗り物

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 タイ独特の乗り物といえる、トゥクトゥク。3輪自動車の後部に座席を設けて、タクシーのように利用することができる。







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 バンコクの街中にはかなりの数のトゥクトゥクが走っているようだ。左写真の乗客は外国人観光客のようだ。観光名所にトゥクトゥクを停めて客待ちしているのを多く見かけたし、乗ってもらおうとアピールしているところにも少なからず出くわした。
 観光客だけでなくタイの人たちの足にもなっているのだが、料金は交渉制とのこと。言葉も解さず妥当な相場もわからないので、今回の旅行では乗らなかった。

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 こちらはアユタヤ駅前で観光客を待つトゥクトゥク。バンコクのそれは前輪がむき出しでバイクさながらであったが、アユタヤのそれは前輪をボディーで覆う作りになっている。






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 もう1つ、タイといえばタイバイクである。タイをはじめ東南アジア諸国では日本のホンダが生産しているカブが現地仕様になって走っていたし、走っていると聞く。日本のカブより排気量が大きく、時には2人乗りも可能になっているものもある。またその地で生産されているバイクの型も、タイカブの影響を受けているものが多い。
 往年のタイカブのようなものは今回見ることがなかったが、その流れを受け継いだバイクがやはりタイホンダから「Wave」・「Dream」や「Click」の名で生産されている。「Dream」がカブに近いデザインだろうか。

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 こちらはヤマハのバイク。
 どちらも日本ではあまり見ないデザインである。








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 このタイバイク、当地では様々な使われ方をされている。写真はアユタヤにて、バイクの横に荷車を付けて商売道具一式を載せ、さらに屋根まで付けて走っている。







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 こちらのバイクは前輪を2つにして、その上に屋台を載せて飲食店を営んでいる。後ろの荷台にはガスボンベを載せているが、三輪だから転倒しにくいとはいえガスボンベを載せたバイクが走るのは…
 前が1輪なのではなく、2輪のほうが前なのが面白い。屋台が載っていて視界が悪そうだが…



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 こちらは箒を満載して走るバイク。後輪が3輪になっていて、商品を満載している。






 このトゥクトゥクもタイバイクも、日本の道路交通法に適合しているものならば輸入して、あるいは輸入して適合するように加工した上で日本の道路を走ることができる。トゥクトゥクは以前代々木公園のタイフェスティバルで展示されていたのを見たし、(株)ニューズで輸入販売を扱っているとのこと。トゥクトゥクでドライブ?を楽しむ会もあるようで、以前テレビで見たことがある。タイバイクについてはかつてはタイカブをホンダ本体で扱っていたこともあるが、現在タイホンダ製のバイクはエンデュランスで扱っている。前者のニューズのウェブサイトに「日本国内でトゥクトゥクでのタクシー営業はできません」と書いてあるのは、日本でもタイ同様にトゥクトゥクでタクシーをやろうという人がいるからなのだろうか。
 タイバイクについては、長らく乗ってみたいと思っているのだが…

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 それ以外の乗り物もぼちぼちと紹介。バスにしてもバンコクではいろいろな種類のものが走っているが、写真は日本だとコミュニティバスなどに使われているものと同じサイズのバス。ベンツのマークが付いているが、ドアは開けっ放しで相当くたびれた感じで走っている。




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 こちらはアユタヤにて、トラックの荷台に座席を設けてバスのように運行している。ソンテオ、というらしい。







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 再びバンコクにて。バンコクの街には運河がめぐらされていて、その水路を乗合ボートが走っている。ガイドブックではチャオプラヤー川のそれが目立って紹介されているが、ジム・トンプソンの家を訪れたときには裏の水路を走るボートのモーターの音が時折耳に入ったし、街を歩いていて運河を渡るときには写真のような船着場を見ることができる。

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2010年1月28日星期四

2009年・タイ旅行(21)センレクヘン~言葉のわからない国で料理をオーダー~

P1010861 バンコクにて、中華街からジム・トンプソンの家へ向かう途中のルアン通りにある、ビルの1階に椅子とテーブルを並べて営業している麺の店。

P1010859 タイで麺を頼むときには、「麺の種類」と「汁の有無」を組み合わせてオーダーする。麺はセンミー(細麺)・センレク(太麺)・センヤイ(平たい麺)、汁は有りがナーム、無しがヘンである。日本でも最近タイ料理店があちこちにありそこで昼食を食べることもあり前記した麺の頼み方は知っていたので、今回は汁無しの太麺、センレクヘンをオーダーした。

P1010858 壁に貼られているメニュー。何がいくらなのかわからないし、数字が書いてあるがそもそもこれが値段なのか、値段だとしたらバーツなのだろうが米ドルだったりしたら…と思うとキリがない。だいたい店が丸見えで皆麺を食べていたからここが麺を出す店だとわかったが、建物の中にあるドアが閉まっている店だったら何の店かもわからない。旅行会話の本と見比べてみたが、一番上に書いてあるのが基本のセンミー・センレクなどの麺であろうか。文字を本と見比べたら、中華麺もありそうである。
 ここで「センレクヘン」と口に出したら店の人が何か聞き返してきた。わからないといった表情をすると、何かトッピングするかという意味だったようで確かもやしを示してくれたと記憶している。
 値段は仕上がりで38バーツだった。これにしても言葉がわからないと悪意のある店で高額な請求をされてもわからない。ここでは普通にメニューに書いてあるであろう値段だったが・・・
 せめて文字がわかって適当にでも口に出すことや目で追うことができればそれが理解の一助になるのだろうが、事前に勉強はしなかったのでそうすることはできなかった。日本に来る外国の人が日本語を見て思うであろう感覚が少しわかったような気がした。いや、漢字・ひらがな・カタカナと規則性のない多くの文字を使う日本語はもっと取り掛かりにくいのかもしれない。

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2010年1月24日星期日

2009年・タイ旅行(20)バンコク・Thanon Phraeng Nara

Imgp9537  ラク・ムアンからワット・スタットに向けて歩いていた途中、ロート運河の向こうに白い壁と緑色の窓枠が目に映え、煉瓦の屋根も特徴的な建物が見えた。もう少し南で運河を渡る予定だったのだが、方角も一緒ということでここで運河を渡ってこの建物の間の通りに入ってみることにした。




Imgp9542 Thanon Phraeng Naraという名前の通りらしい。Thanonが「通り」という意味なので、Phraeng Nara通り、というところか。
 白い壁と緑の窓枠やシャッターが良いコントラストである。台湾だとこうしたところでは2階部分が突き出ていてその突き出た部分の下が歩道になっているが、ここでは2階と1階は同じ面になっていて、雨よけ・日よけだろうかひさしが付けられている。

Imgp9547  通りには食堂も並ぶ。私はタイ語を解さないので、ここでもやはりどのような料理が出てくるのか、そしてそれはいくらなのかがわからないのが残念である。






Imgp9548 Imgp9557  通りの中程に、Talaphat Suksa Schoolという名前の建物の紹介がある。英語でも説明があり、ラーマ5世の時代に建てられ、Narathip Praphanphong王子の居室の一部であったと紹介されている。その後私学になったようだが今は使われていないようで、建物の状態はよくなく修繕のための資金が必要だとも書いてある。

Imgp9558  門前にある、天秤の紋章。「公正」を意味するのだろうか。







Imgp9545 この通りにある長屋状の建物であるが、『カトマンズ・バンコク慕情~アジアの旅の徒然に』:「バンコクを歩く-4 ラーマ4世の王子の屋敷跡」によると今でも王室の所有で、店子は王室に家賃を払って店を構えているのだとのことである。上のTalaphat Suksa Schoolの紹介にも「owned by the Office of the Royal Treasury in Phaeng Nara Community」と書かれていてその建物は王室の財団が所有していると書いてあるが、細い通りの小さな商店や飲食店の大家が王室とは驚きである。
 タイの小さな通りにあって、スペインのアンダルシアやポルトガルのエヴォラなどの街並みを彷彿とさせる白壁である。日差しが強い青空の下、ということでは共通している。
 ガイドブックにはもう1本南にあるプレーン・プートン通りPhraeng Phuthonがやはりラーマ5世時代の雰囲気を残す通りとして紹介されていたが、それに気付かず思いがけず通った通りが印象に残る、そんな街歩きの1つだった。

大きな地図で見る

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2010年1月23日星期六

2009年・タイ旅行(19)バンコク・警察所轄の境界線?

Imgp9541 バンコクの街を歩いていると、タイ語の表示とともに英語で矢印のように「~Police Area」と書かれているのをよく見かけた。「ここからはこの警察署の所轄」と、警察署の所轄の境界線を示しているのだろうか。
 責任範囲を明確にするという意味ならともかく、「ここは他の警察署の管轄地域だから関係ない」ということにならないようにお願いしたいものである。

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2010年1月21日星期四

2009年・タイ旅行(18)バンコク・フアラムポーン駅を望む

Imgp9882 「ミルクパン」の店からジム・トンプソンの家に向かって歩く途中、ラーマ1世通りが線路を跨ぐところでの一枚。機関車や客車がたくさん停まっているところを上から眺めることは日本ではあまりないと思う。
 何となくであるが大陸的でもあり、またやはり何となくであるがいかにもタイ、アジアといった感じの眺めである。

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2010年1月20日星期三

2009年・タイ旅行(17)バンコクの中華街

Imgp9824 バンコク・フアラムポーン駅に程近いロータリーから西へ伸びる通り、ヤオワラート通りはバンコクの中華街として知られている。
 横浜の中華街、さらには旅先で訪れた韓国・仁川の中華街だと大きな門をくぐるとその奥は別世界という雰囲気なのだが、ここバンコクでは中華街の象徴である門が道をまたぐ場所ではなくロータリーの真ん中に建っているのが特徴的である。タイ様式の寺院の金色屋根が奥に見えるのも、バンコクならではと言えよう。
 それにしても、このロータリーからヤオワラート通りは車の渋滞が激しく、昼間は車列が途切れない。
Imgp9826  ロータリーからすぐのところにて。「天華醫院」と門には書かれているが、寺院のような雰囲気でもある。







Imgp9835  ヤオワラート通り。漢字の看板が並び、日本から来てさらに中国語を解する身としては些かホッとするところもあるが、他のバンコクの通りとは趣を異にしている。






Imgp9830  通りの商店の多くは、タイ語と中国語で店名を掲げている。もっとも店内はタイ語のみの店も多く、何代にもわたってバンコクに住むうちに、タイ語のみで商いをするようになった店も多いのだろう。





Imgp9846  こちらの乾物店では、干し肉の名前が漢字で記されている。
 通りを歩いていると食堂などで中国語の呼び込みをしていたり、中国語で話しかけると通じることがある。代々住んでいる人で中国語を留めている人だけでなく、台湾や中国から来ている若い人も多そうである。



Imgp9840  中国映画「建国大業」の宣伝ポスター。ポスターこそタイ語であるがこうした映画が宣伝されるのも中華街ならではである。





Imgp9865  ヤオワラート通りの中程で細い路地に入り込む。イサラーヌパープ通りと呼ばれるこの細い路地には、乾物屋を中心とした食料品店が軒を連ねている。
 「泥棒に注意、鞄に気をつけよう」と中国語でも書いてあるのは中華街ならではと言えよう。




Imgp9868  イサラーヌパープ通りを抜け、チャルン・クルン通りを渡ったところにあるやはり細い路地では、正月さらには春節が近いせいか「恭喜發財」と書かれた赤い提灯など飾り道具が並び、店頭に並ぶ赤色が眩しかった。

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2010年1月19日星期二

2009年・タイ旅行(16)バンコク~ジム・トンプソンの家で「外国語を話すこと」について考える~

Imgp9891 バンコク・フアラムポーン駅の北東、サヤーム・スクエアなどのショッピング街の近くにある細い道の奥に、タイシルクのブランド名にその名を残すジム・トンプソンがかつて住んでいた家があり、仏像や古美術品など彼のコレクションが展示されている。
 建物の中はガイドと一緒に回る必要がある。訪れたときに案内していただいた日本語のガイドは若い女性だったが、流暢な日本語の案内もさることながら冗談も交えたウィットに富んだ話し方が印象に残った。中国から来た陶磁器製の椅子はその中で薪を焚いて暖をとるようなものなのだが、「中国ではそうやって暖をとります。暑いタイでは逆に椅子の中に氷を入れます…ということはありません」という具合である。流暢なるも完璧な日本語というわけではないのだが、聞き手を引き込ませ観光客が楽しく中を見てまわることができる話し方である。おそらく母語でも聞く人を楽しくさせる話し方をするのだろう。
 外国語を学び流暢に話すと言われることはあるかもしれないが、その言葉を母語として使う人のようにはなかなかなれないだろう。それでも、完璧ではない中でも聞く人を引きつけあるいは楽しく会話が進むように外国語を使いたいものである。

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 バンコク・アユタヤの観光地を巡ったときのことをここまで書いてきたが、こうした観光名所を巡って歩くときにその途中で目にした、あるいは偶々通りがかった街並みにも印象に残るものがあり、個人旅行ならではの楽しみと言えよう。このあたりは後程・・・

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2009年・タイ旅行(15)バンコク~ウィマーンメーク宮殿とアナンタ・サマーコム宮殿~

Imgp9792 ラジャナムダン・スタジアムに程近いバンコクのドゥシット地区には、タイ王室にまつわる宮殿がいくつかある。その中の1つ、ウィマーンメーク宮殿。






Imgp9794  肝心の宮殿はその中庭に入る前にカメラを預けなければならず外壁も含めて写真撮影禁止なのだが、タイにありながらヨーロッパの宮殿を思わせるような数多くの部屋とそれぞれに備えられているやはり豪華な調度品を見ることができる。
 宮殿の広い敷地内には白壁の建物が点在し、国王や王女が撮った写真の展示館や王室のコレクションを保存している建物など王室にまつわるさまざまな展示が、それぞれの建物でなされている。

Imgp9795  スアン・ホン・レジデンシャル・ホール。中ではタイのワチラーロンコーン王子の活動にまつわる写真が展示されていた。






Imgp9797 Imgp9798  そのスアン・ホン・レジデンシャル・ホールを囲むように、王室が利用する車(御料車、というのだろうか)の歴代が展示されていた。馬に牽かれるであろう車や、オールドカーが展示されている。

Imgp9799  タイの三輪自動車、トゥクトゥクはタイの各地で庶民の足として活躍しているが、こちらはさしずめ「御料トゥクトゥク」というところであろうか。






Imgp9801  芝生や木々が拡がる広い庭園は格好の校外授業の場所なのだろうか、小学生と思しき子ども達が先生に連れられてこの地を訪れ、写生をしていた。






Imgp9810  ウィマーンメーク宮殿の隣にある、アナンタ・サマーコム宮殿。外観がやはりヨーロッパの宮殿を彷彿とさせる。
 かつては国会議事堂として使われたそうだが、今はタイの伝統様式に基づいた、彫刻など現代美術の作品が中で展示されている。




Imgp9821  こちらは宮殿前の大通りにて。騎馬像の前には献花台や香を焚く場所があり、敬虔なバンコクの人たちが花を捧げたり香を焚いたりして祈りを捧げていた。

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2009年・タイ旅行(14)バンコク~ラク・ムアンとワット・スタット~

Imgp9526 ワット・プラケオや王宮から東側に歩いたところにある、ラク・ムアン。







Imgp9529  バラモン教の教えに従って、街を作るときにはまず基準の位置になる柱を立てるのだとかで、バンコクではこのラク・ムアンの中にある柱がそうなのだとか。ここでも柱を囲むように、またこの外でも祈りを捧げる人がいる。





Imgp9586  さらに東に歩いたところにある寺院は、ワット・スタット。








Imgp9585  この寺院は「修行の場」という位置づけなのか、境内では少年僧が作業に勤しんだり仲間同士でおしゃべりをしたりしていた。中には境内に出ている露店に関心を示す少年もいた。





Imgp9576  ワット・スタットの前のロータリーには、写真のような構築物が建っている。日本の神社にある鳥居のように見え、バンコクで何故鳥居がとも思ってしまうが、これはバラモン教の祭祀に使われるもので、かつては司祭がこの鳥居状の構築物でブランコのように揺られる祭祀があったのだとか。

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2010年1月18日星期一

2009年・タイ旅行(13)バンコク~ワット・プラケオと王宮~

Imgp9442 Imgp9446 また間があいてしまったが、昨年末にタイを旅行した時のようすをアップ。ワット・アルンから渡し舟で対岸に渡り、ワット・ポーから川沿いに北に歩いていくと、白い壁に囲まれたワット・プラケオと王宮の敷地に着くことができる。
 ワット・プラケオは18世紀に王朝の守護寺として建てられたとのこと。金色の塔や、煉瓦色・青色・茶色など敷地内の建物は色とりどりであり、しかしながら落ち着きを感じさせる眺めである。さらに樹木の緑色が目に留まる。
 建物だけでなく、その入り口や四隅に立つ仏像や象の像も、寺院を巡っていて印象に残る。
Imgp9478  翡翠でできた本尊、所謂エメラルド仏が安置されている、ワット・プラケオの本堂。
 写真には人が写っていないが、境内はタイの人や外国人が混じって大変な混みようである。そのような中でも、本堂の中や本堂の外にある祈りの場所で祈りを捧げるタイの人たちの姿があった。



Imgp9469  境内を囲む回廊には仏画が連なっているが、これら仏画もバンコクの専門家による修復や維持のおかげで我々は見ることができる。






Imgp9481  ワット・プラケオを出て、同じ敷地の中にある王宮へ。出てすぐ見えるのはボロマビアン宮殿。年に1日公開日があるほかは非公開だとかで、門柵の間から写真撮影。






Imgp9484  宮殿の護衛や管理を担っているのであろうか、銃を担いだ兵士が宮殿から出てきて、門前で一旦停止して号令を掛けた後去って行った。白い服を着た兵士が整然と行進するさまは、台北の忠烈祠を彷彿とさせる。




Imgp9488 王宮のメインとなる建物、チャクリー・マハ・プラサート宮殿。内部はやはり非公開である。
 「王宮」とは言うが、現在の王室はここには住んでいないとのことである。それでも儀式や晩餐でこの王宮を使うことがあるとのことで、中でタイの王室や海外からの来賓がどのような部屋で晩餐をしたりするのかに想いが巡る。

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2010年1月15日星期五

Great Firewallに穴は開くか?~中国のインターネット~

 中国でネットサーフィン(死語?)をすると、当局に都合の悪いウェブサイトには接続できなかったりそんなウェブサイトがあると疑わしきサーバーへの接続は一律に遮断されたりと、上海にいた頃は言論統制を身近に感じたものである。さらに、中国でGoogleやYahoo!などの検索サイトで「天安门事件」や「西藏」と検索を掛けても1989年の天安門事件やチベット事情に関するウェブサイトは表示されず、ひどいときには接続が遮断されて暫くインターネットに接続できなかったりもした。
 そんな中国のインターネット事情に叛旗を翻し、Googleがこうした統制に従う「自主検閲」は続けないと表明し、さらには検索結果に天安門事件やダライ・ラマを登場させるようになったとか。CNN.co.jpによる配信記事を2つ下記する。

グーグル、中国から撤退も サイバー攻撃と検閲に反発

ワシントン(CNN) ネット検索大手の米グーグルは12日、中国で何者かが人権活動家の電子メールに不正アクセスしようとした痕跡があると発表し、ネット検閲をこれ以上続けなければならないのであれば、中国サイトの閉鎖や同国からの撤退も辞さないとの姿勢を示した。
グーグルによると、12月半ばに何者かが同社など20社あまりを狙って巧妙なサイバー攻撃を仕掛けた。(中略)
しかし、今回のような攻撃や監視を受けている実態に加え、中国ではこれまでにもウェブ上の言論統制を強める動きがあったとグーグルは説明。中国で運営している検索サイト「Google.cn」で中国政府が問題視するサイトが表示されないなど結果が操作されている実態についても、「検索の検閲をこれ以上続けたくないとの判断に至った」と述べた。
(中略)交渉次第では、Google.cnのサイト閉鎖や同社の中国からの撤退を余儀なくされる可能性もあると言明した。


中国のグーグル検索に「天安門事件」登場、オフィスは厳戒

北京(CNN) 「ネットの検閲はもう続けない」と宣言した米検索大手のグーグルが13日、中国の検索サイト「Google.cn」に天安門事件やダライラマ、法輪功など従来は出て来なかった検索結果を表示するようになった。

これまでは同サイトで「天安門」を検索しても、天安門の写真が出てくるだけだったが、13日以降は1989年の天安門事件について解説したサイトへのリンクが表示されるようになった。ただし部分的に検閲された状態と検閲されていない状態が入れ替わるなど、不安定な表示が続いている。
(中略)
オフィス前にはグーグルのユーザーやファンが集まって言論の自由を守る姿勢に支持を表明。同社には大量の花がひっきりなし届けられており、現地のブログはこれについて、グーグルの中国撤退を見越して哀悼の意を表するものだと伝えている。
(後略)

 後者の記事の続きには、中国市場からの撤退はGoogleにとって痛手となる旨が記されている。
 今(15日の深夜)現在、擬似的に中国のインターネット環境を作って(中国のプロキシを噛ませて)Google.cnで「六四天安门事件」や「西藏」を検索すると、接続が遮断されてその後そのプロキシ経由でのインターネット接続ができなくなる。やはり擬似中国環境でGoogle.co.jpで「天安門」検索すると検索結果がプロキシを噛まさない時とは異なる結果になり天安門の光景の紹介ばかりになり、「他のキーワード」と称して出てきた「天安門事件20周年」をクリックすると接続が遮断される。中国からインターネットに接続するときに通る「great Firewall」での検閲に引っかかってしまうのだろう。
 なお、プロキシを噛まさずに(日本の環境で)Google.cnに簡体字で「天安门事件」と入れると1976年の天安門事件にまつわるウェブサイトが表示される。日本語で「天安門事件」と入れると検閲をかいくぐってかWikipedia中文版の天安門事件「曖昧さ回避のためのページ」が出てくる。
 中華人民共和国成立後、国内の紙媒体やテレビ・ラジオでは一貫して当局の見解に従う報道なり番組なり記事なりしか許容されず、国内に言論統制を強いてきた。インターネットはそうした従来のメディアとは異なり国境をあっという間に越えてしまうものなのだが、そこはファイアーウォールを形成してここまで同様に統制を続けてきた。そして、今世紀に入り中国が経済的地位を高めるとそのことを盾に外国企業にも「中国の検閲」に協力するように迫っていたといえる。
 中国がそうしたインターネット統制を解く時があるとすれば、そうした検閲が浸透して中国の市民が外国のメディアにも動ぜず皆が「中国の論理」を迷わず主張するようになったときだと思っていた。今回のGoogleの対応は、それよりも早くそして中国にとっては言論統制を困難にする方向で「Great Firewall破り」を引き起こすことができるのだろうか。
 いまや先述の経済力向上をバネに多くの中国人が海外に出ている。その海外ではインターネットへの接続は中国よりは自由で、ネット以外の世界も含めて中国当局に都合の良くない情報や言論に当たることもあるだろう。また中国国内でもあれこれ策を弄して「見ている人は見ている」のである。そうした人たちによってではなく「外圧」が中国のFirewallに挑戦する、ということになったが結果はどう出るだろうか。

(かつて書いた関連記事)
  中国、パソコンに検閲ソフト義務付け
 接続できないウェブサイトにつなげよう
 アクセスできないウェブサイト
 書き込み制限
 アクセスできないウェブサイト その後
 Wikipediaに接続できない
 Seesaaブログに接続できない
 インターネットの敵
 続・インターネットの敵
 北京・東莞からはアクセス可能?
 中国からココログへのアクセス制限?
 中国からココログへのアクセス制限?-その後-
 中国西南部-久々に中国のインターネット環境が気になった-  
 Yahoo!JAPANに接続できない?
 インターネット統制の転換?
 中国から見られない動画サイトと、見られない中国の動画サイト

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2010年1月10日星期日

2009年・タイ旅行(12)バンコク~ワット・アルン~

Imgp9373 バンコクの名刹や観光名所もぼちぼちと紹介。チャオプラヤー川のほとりに建つ、ワット・アルン。写真のような白い仏塔が境内にいくつかそびえ立っている。
 青空の朝、白い仏塔に囲まれて聞く鈴の音が耳に心地良い。













Imgp9366  途中まで登ることのできる仏塔からは、チャオプラヤー川とその向こうに建つ王宮やその付近の寺院を望むことができる。
 ここは三島由紀夫の『暁の寺』なる小説の舞台でもあるのだとか。読んだことはないのだが、彼がここを舞台にどんなことを書いたのか、ワット・アルンをどう描いたのか興味がある。

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2010年1月8日星期五

2009年・タイ旅行(11)バンコクで「ミルクパン」?

Imgp9880 バンコク・フアラムポーン駅の西側の通りを歩いていたら、「ミルクパン」と店頭に書かれた店を見つけた。何故にミルクパン?






Imgp9881  カタカナで「ミルクパン」と書かれており、その下にはアルファベットで「MILK RUKU PANG」と書かれている。カタカナが書いてある割には、店頭のイラストが中国風である。






Imgp9879  ミルクとパンが出てくるのか、ミルクパンが出てくるのか。店頭のイラストには飲み物や軽食、お菓子が書かれているのでこれらを食することができそうだが、ミルクパンはないのだろうか。昼食後だったし入ってもタイ語を解さないので注文が難しかっただろうが、店の中では男子中学生か高校生と思しき人があんかけご飯のようなものを食べていた。本当に「ミルクパン」が供されるのか、さもなければ「ミルクパン」の由来は何なのかとても気になる。この店をさらに深く知るためにもう一度バンコクに行きたい気にさえなったりする。

P1010865  その「ミルクパン」の前の通りには、クレープのように小麦粉を溶いたものであろう生地を薄く延ばして焼くお菓子を売っている屋台があり、セルフサービスなのか客が自ら焼いているときもあった。カメラを向けたら女の子がピースをして笑顔を見せてくれた。ขอบคุณ ครับコックンクラッ。

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2010年1月7日星期四

2009年・タイ旅行(10)バンコクで見た日本の客車

Imgp9347 アユタヤからバンコク・フアラムポーン駅に戻ってきたときに、かつて日本で寝台特急、ブルートレインとして活躍した客車が別のホームに停まっているのを見つけた。






Imgp9352  もとの14系か24系かわからないが他の客車にはさまれて連結されており、他の客車とは違うかつてのブルートレインの色は夜でも目立っている。タイでは青色の塗装に加え、黄色の線が窓の下と連結部分に塗られている。





Imgp9354  車内の寝台も、日本で走っていたときのものを遺しているようである。窓と窓との間に「2」と書いてあるのは、2等車であることを意味しているのだろう。






Imgp9348  こちらはホーム脇の留置線に停まっていた14系客車。前面こそ黄色に塗られているが、側面は日本時代の塗装がそのままになっている。

 日本ではブルートレインは本数が激減し風前の灯になっているが、使われていた客車は日本での役目を終えた後もタイに活躍の場を求め走り続けているようだ。

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2010年1月6日星期三

2009年・タイ旅行(9)バンコクの学校と幼稚園

Imgp9395 バンコクにあるワット・ポー、巨大な寝釈迦仏があることで知られているが、その境内に幼稚園と思しき小さな建物があった。






Imgp9398  中では子ども達が先生の話に耳を傾け、問いかけに答えようと手を挙げていた。私が通っていた幼稚園も(日本の)やはり仏教系だったのでお寺の中に幼稚園というのは懐かしくもある。1年間を通じて子ども達はここでどのように過ごしているのだろうか。
 もっとも、私が通っていた町の小さなお寺と違い、ここは一大観光名所。子ども達にとっては騒々しくもあろうが・・・


Imgp9648  こちらはラジャダムナン・スタジアムのあるドゥシット地区を歩いていた際に通りがかった学校。おそらく小学校だろう。
 門前には、子どもが出てくるのを待っている親がちらほらと立っている。




Imgp9650  学校の真向かいにある文房具屋兼お菓子屋という感じの店。この学校の子ども達には馴染みなのだろう。







Imgp9646  門前に子ども達を当て込んだ?おもちゃや食べ物を載せたリアカーが並ぶ風景は日本ではあまり見ないだろうか。
 私が通っていた小学校や中学校は家から歩いて5分ほどのところだったし通学路には店もなかったので、学校帰りにお店に寄ったりという記憶はない。そもそも「学校帰りの買い食いはダメ」と言われていたっけ。
 バンコクの街歩きをしていて、自分の子どもの頃を思い出す風景を図らずも目のあたりにした。

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2010年1月5日星期二

2009年・タイ旅行(8)ムエタイ観戦

 学生の頃(H送大学の、ではない)に『格闘技通信』なる雑誌で報じられるムエタイの記事を読むに連れ、いつかムエタイを生で見てみたいと想っていた。ムエタイが毎日行われるバンコクはバックパッカーの集う所と言われていたが私はそこを訪れることはなく、そのまま約20年(年がわかりますな)が経ってしまった。今回タイを旅行するに当たって楽しみにしていたのがムエタイ観戦である。タイ滞在の2日目にアユタヤに行ったのは、滞在2日目より3日目のほうが良いムエタイの試合が組まれているという格闘技好きな知人のアドバイスゆえである。
Imgp9658  バンコクでは、ラジャナムダンとルンピニーという2つのスタジアムでの試合が権威があるとされ、毎日交互にどちらかのスタジアムで試合を行っている。この日はラジャナムダンで試合がある日なので、そこに向かった。
 リングサイド席2,000バーツの切符を買い、場内へ入った。



Imgp9676  18時30分にこの日の第1試合が開始。この試合が、私が初めてr見るムエタイの試合である
 派手な入場テーマもなく選手が入場し、まずワイクルー(ワイクー)と呼ばれる舞いを披露する。この2人は似たような動きをしているが、時には対戦する2人が全く違うワイクルーを見せる試合もあった。
 殆どの選手が、リング中央で四方に向けて舞いさらにその前後にリングの四隅か四辺に向かって舞う、という感じであった。

Imgp9678  これから戦う2人がリングで交錯し、ワイクルーを舞う。








Imgp9679  試合開始前、セコンドが選手を前に合掌しているのは勝利を祈っているのか、無事を祈っているのか。







Imgp9690  1試合は3分x5ラウンド、ラウンド間は2分の休みである。
 ラウンドの間に跪いてセコンドのアドバイスを聞く選手の姿が印象的である。






Imgp9693  1階席・2階席はラウンドが進むにつれて賑やかになっていく。試合が賭けの対象になっていて、どういう賭け方なのかはわからないがその賭けの声が次第に大きくなり、さらに1~2ラウンドまでは選手の蹴りやパンチにもあまり声が上がらなかったのが3ラウンドあたりからパンチや蹴りの度に「オー」「オー」と大きな声援が沸き起こる。



Imgp9695  ムエタイの試合はパンチやキックの連打は少なく、一発一発重いパンチや蹴りを放ち、そして首相撲からやはり重い膝蹴りを出す試合展開である。
 またノックアウトは割と少なく、この日あった10試合のうち倒されて決着が着いたのは2試合、レフェリーストップだったのは1試合(後述)であり、あとは5ラウンド戦っての判定勝負である。
 写真は選手にとっては最もつらい、そして観客の盛り上がりは最高潮に達する第5ラウンドの攻防。

Imgp9696  結果は引き分け。予想外だったのか「引き分け」という結果が賭けの対象になっていたからか場内がしばし騒然となった。
 この試合も含め、勝敗が明らかになると特に喜んだり悔しがったりせず淡々とリングを下りるのが印象的であった。




Imgp9664  それ以外の試合の様子。第1試合の前には、国際式(所謂普通のボクシング)のアマチュアボクシングの試合が2試合行われた。赤コーナーの選手のシャツには「BANGKOK UNIVERSITY」と書いてあったが大学生なのか、あるいはタイのサッカーリーグにも同名のチームがあったように大学を母体にしたジムの選手なのか。



Imgp9753  ワイクルーを舞う際に頭につけていたモンコン(ヘッドリング)と首にかけていた飾りは、試合時にはリングサイドにかけられていた。






Imgp9771  10試合あるうちのメインイベントは7試合目。プログラムでは対戦カードが太字になっている。
 メインの試合でも入場テーマなくリングに上がり、試合を終えると勝利者インタビューもなく粛々とリングを下りる。試合前に儀式性のあるワイクルーがあるし、選手の体格は真逆だが日本の大相撲に近いものがあるのでは、と感じた。

 メインイベントが終わったあとは再び前座級の試合になるが、第9試合と第10試合に出てきた選手は明らかに少年といえる年頃であった。さすがに体ができていないからか、第9試合では片方の選手が防戦一方になったところでレフェリーが試合を止めた。第10試合が終わった頃には夜11時になっていた。
 一発一発に力を込めるムエタイの試合スタイルは日本で見るボクシングなどとは異なり、ワイクルーや場内の雰囲気なども独特なものがあった。この2日後が実はさらに大きなイベントだったとかで試合中なのにスクリーンでは2日後の宣伝をしていたが、大きな試合でなくともムエタイとは、というところに触れた感のある夜であった。

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2009年・タイ旅行(7)アユタヤ~ワット・プラ・シー・サンペット~

Imgp9263 アユタヤの古刹、ワット・プラ・シー・サンペット。








Imgp9256  ここもアユタヤの他の寺院同様にビルマ軍により破壊されたとかで、上の3つの塔以外は破壊された跡を残すのみである。






Imgp9271  ワット・プラ・シー・サンペットの隣にあった王宮も破壊され、今は新しい寺院が建っている。
 自分の生まれた日の曜日ごとに祈りを捧げる仏様が違い、さらに木曜日は午前生まれか午後生まれかでも違うのだとかで、寺院にはその生まれた曜日なり時間なり毎に祈るべき仏像が並んでいる。タイの人は殆ど皆自分の生年月日が何曜日だったか知っていると聞いたのは機内での観光案内だったか、私が土曜日生まれと知ったのはその話を聞いたあとでホテルで調べてみてわかった次第である。

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2010年1月4日星期一

2009年・タイ旅行(6)アユタヤ・日本人町の跡

 間が空いてしまった上に年末年始を跨いでしまったが、また昨年末のタイ旅行の話を。

 アユタヤといえば、日本史で「山田長政がアユタヤに渡って活躍した」と教わったのを思い起こさせる。かつてのアユタヤ王朝の首都であったアユタヤ、商人を中心とした日本人もかの地に渡り、貿易に従事したり王朝の傭兵になったりした。特に江戸時代初期にアユタヤに渡った山田長政は武巧により頭角を現し、王朝の爵位を得て活躍したとされる。
Imgp9326  その山田長政も戦いの中で毒殺されたとされ、また日本人町も衰退しまたアユタヤの街自体も王朝の滅亡とともに勢いを失ったとされる。
 1930年代に、文献をもとにかつての日本人町とされる跡地が探し出され、現在ではアユタヤ歴史研究センターなる建物がありそこでかつてのアユタヤの、そして日本人町や日本人社会の研究をしており、また敷地は公園になっている。

Imgp9328  このかつての日本人町は、寺院が多いアユタヤの観光地とは離れた所にあり、自転車だと橋を渡って東側に抜けてさらに4キロメートルくらい走らないとならない。着いたときには午後5時前で前述の歴史研究センターは閉まっており敷地も閉門寸前だったが、入ってすぐのところにある記念の石碑を見ることができた。
 石碑の裏の文言は風化して読むことが困難だったが、「昭和38年に建立された」旨が記されている。1963年だから、47年前で建てられたようだ。かつての日本人町も石碑にその跡を遺すのみであり、むしろよく発見されてかつての場所を今に知らしめているといえよう。
 今ならバンコクと成田は飛行機で5~6時間のフライトである。タイやアユタヤがどのようなところかはいろいろと情報を得ることができるし、タイ語も日本で学ぶことが出来る。翻って山田長政始め当時の日本人は、未知の土地ともいえさらに一度渡ったら日本に戻るのは困難を伴うアユタヤに、どのような気持ちで渡り、どのような気概を持ってこの地に暮らしていたのだろうか。

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『海角七号 君想う、国境の南』

 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

 正月休みの間に、以前から気になっていた台湾映画『海角七号』を観に行った。台湾で一昨年に大ヒットしたこと、そして日本人である田中千絵が台湾映画の主役を演じるということで気になっていたのだが、この年末から日本でも公開されたのでこれを機会に観に行くことにした。邦題は『海角七号 君想う、国境の南』、日本のオフィシャルウェブサイトはこちら(音が出るので注意)。
 映画館(銀座シネスイッチ)の作品紹介には、 台湾語による作品だと記されていた。といっても全編台湾語による台詞ではなく、多くの台詞は台湾語だが彼らが田中千絵演じる友子と話すときや友子の台詞などは台湾国語(中国語)、さらには手紙の朗読や友子の独り言などには日本語が使われ、これらの言葉が組み合わさって話が展開していく。今回の上映時には、台湾語の台詞の ときは字幕の前に「・」の記号が付けられ、台湾語や中国語を解さない観客にもその使い分けがわかるようになっていた。

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