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2011年5月6日星期五

金木・旧津島家新座敷-太宰治疎開の家-

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 引き続き津軽鉄道沿線の話を。芦野公園から1駅戻った金木というところは、太宰治が生まれ育ちそして作家となってからも疎開先として過ごしたところである。
 左写真は金木ではなく、芦野公園にある太宰治の像。






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 金木駅を出ると、Y字型に道が分かれる。左へ行くと「太宰治通り」、右へ行くと「走れメロス通り」。走れメロス通りへと足を運ぶ。
 通りには、その名の通り『走れメロス』の文章が記されたレリーフが置かれている。通りを歩きながら、ダイジェストではあるが『走れメロス』を読み返したり、初めての人には『走れメロス』に触れたりすることができる。



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 程なく、「太宰治疎開の家 旧津島家新座敷」と看板が掲げられた建物が見える。外見は普通の比較的新しい建物で、ギフトショップの隣に入口がある。







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 中へ入ると、太宰が疎開した当時の間取りで部屋が残されている。写真の右側にも、洋間など部屋が並んでいる。
 現在の所有者の方が旧津島家新座敷にまつわる話をしてくださった。太宰は長年生家から疎外されてきたが、疎開前の昭和17年に病床の母を見舞うために金木に戻り、写真手前の部屋で母親と再開したそうである。そのときの様子や兄・親戚との距離感ややりとりが彼の作品『故郷』に収められており、その節々を交えながら案内していただいた。
 奥の部屋はその後疎開のため再び金木に戻り、執筆活動をした部屋だとか。
 長年やり取りのなかった兄との再会を期にその兄から小説のヒントを得るなど金木に滞在していた頃は精神的には落ち着いた時期だったこと、しかしながらその後愛人との生活の中で死に至ることなども、説明していただいた。
 この旧津島家新座敷、もともとはここにはなく、ここから90メートル程離れた、現在太宰治記念館「斜陽館」になっている彼の生家に隣接して建てられていた。彼の生家津島家は大地主で、この新座敷は彼の兄・津島文治氏が結婚するに際して建てられたものとかで、前述の母の見舞いや疎開も生家に隣接していた所での話である。第2次大戦後津島家が屋敷を手放す際にこの新座敷を現在地まで移設して同家の住まいとしたとのことで、数十日かけて移動させたことが屋敷の中の案内にあった。その後この新座敷も津島家の手を離れて何人かの手に渡りその間に周囲に新しい建物ができて今のような姿になったとのこと。呉服店の倉庫としてこの新座敷を使っていたがその呉服店を閉じるに際して新座敷が一般公開されたのは4年前、2007年のことである。

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 走れメロス通りから一本入った路地から、新座敷の外観。こちらは確かに往時の面影を残している。
 案内戴いた方が仰るには、太宰は『人間失格』が代表作とされているがそれがゆえに敬遠される向きがある、彼の短編には面白いものが多いので今一度太宰を読み直してみよう、とのこと。なるほど、一度手に取ってみようか、という気になった。



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 こちらが太宰治の生家「斜陽館」。一時期旅館としても使われていたのだとか。
 新座敷に長居をしたので、折角金木のガイドブックを新座敷で戴いたりここに来る前に列車の中で奥津軽トレインアテンダントの方から地図を戴いたりしたのだがあまり金木を見て回ることができなかった。もう一度、ゆっくりと歩いてみたいものである。
 金木で過ごした時間は僅かだったが、新座敷で拝聴した話がとてもよかった。



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 こちらは帰途新青森駅の食堂、太宰らうめんと津軽のめしや「めぇ」にて。太宰の生家ではひき割り納豆に醤油の代わりに筋子で味付けしたのだとかで、それが「太宰丼」として供されていたので一杯。太宰は柔らかい食べ物を好み、そのせいか30歳の頃には入れ歯になってしまったのだとか。

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