2012年3月・続・塩釜あちらこちら
前回の続き。本塩釜駅から、鹽竈神社への参道とは逆の方向に出て港を目指した時の様子をぼちぼちとアップ。
貞山埠頭を目指す途中で巡視船を見かけた橋は、かつて鉄道が通っていて、列車の通行にあわせて橋が上下する可動橋がつい20年ほど前まであったのだとか。この先にある工場向けの貨物や資材を運ぶ貨物列車が通っていたのだろうか。
こちらは、対岸から船を見た帰りにボート停泊所の沖に見えた、籬島(曲木島、まがきしま)。岩肌と木が盆栽のようであり、島の中に見える神社も含めて趣があるのだが、文化財保護ということで島に入ることはできない。
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貞山埠頭から本塩釜駅に戻るとき、行きは国道を歩いて行ったのだが帰りは松島への遊覧船が出る岸壁を通って戻ったところ、「しおがま・みなと復興市場」という幟に出会った。
塩釜の別の場所で商売を営んでいたが被災してしまった店が、駅に程近い仮設の店舗で営業を再開している。写真のような海産物を扱う店だけでなく、洋服店やマッサージ店もあった。
「わかめを買ってくれるのが一番うれしい」とある店の方が仰っていたが、食べきれないのでここではふりかけと缶詰を購入。
こちらは埠頭に向かう前に昼食を食べた、駅前の食堂にて。店頭には震災当日の写真が貼ってあり、その日に来た津波の高さが記してあった。
街を歩いていると、海に近いところでも建物が根こそぎ流されるというところは見られないように思えたが、やはり人の背丈ほどの津波が町を襲い被害をもたらしたようだ。場所によってはそれよりももっと高い津波に襲われたところもあるだろう。
埠頭の周辺には、流されてグシャグシャになった自動車が積み上げられ、今も解体されずに残っているのを見ることがあった。
ちょっと通りがかっただけだと落ち着きを取り戻したように見える街でも、そこに住む人々にとってはまだまだ安穏な日々を取り戻すには至っていない、ということだ。まだまだ長きに渡り関心を注ぎ続ける必要があることを感じる。
本塩釜駅にて、大漁旗に似せて復興やこれからの願いを託したメッセージが、構内に張られている。
本当は一泊してほかにあちこち見るとかお手伝いをするとかできればよかったのだが、どういう訳かこの土曜日は仙台でもここ塩釜付近でも全くホテルの予約が取れず、土曜日は雨ということもあり結局日曜日に日帰りの旅になってしまった。ここ塩釜からも松島へ行くことができるとか、浦戸諸島なる島々も沖合にあるのだとかで、またこの辺りを観て歩きたいものだ。
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