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十二月 2012

2012年12月31日星期一

陶芸かんけい丸(旧・観慶丸陶器店)@石巻

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 石巻の商店街を歩いていると、趣のある建物が目に入ってくる。









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 陶芸かんけい丸というこの建物、表には「観慶丸商店」の屋号が掲げられている。この建物自体は1930年にできたものだそうだが、もとは江戸時代に廻船問屋を営んでいたところ、観慶丸が明治初期に台風で遭難したのを機に陶器を扱う商いに転じたと、通りに面した案内に書かれている。
 表面がタイル張りになっていることから来る、籐のような独特の色合いと、丸みのかかったデザインが印象的である。

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2012年12月30日星期日

石巻マンガロードと石ノ森萬画館

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Dsc_1158 石巻の近く、登米市出身の漫画家・石ノ森章太郎にちなむミュージアム「石ノ森萬画館」がここ石巻にあることもあり、石巻駅界隈は石ノ森章太郎ワールドがあふれている。
 駅の階段から『仮面ライダー』である。目のなかの描画も細かい。

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 やはり石巻駅の階段には、石ノ森章太郎本人を描いた絵が描かれている。









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 駅の上にも、『サイボーグ009』に出てくるサイボーグの人形とステンドグラス。









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 石巻駅から石ノ森萬画館へ向かう通りと商店街は「石巻マンガロード」として彼の作品に因んだ人形が並んでいる。石ノ森章太郎の代表作は『仮面ライダー』と『サイボーグ009』という位置づけなのか、『サイボーグ009』に出てくるサイボーグの人形が目立つ。
 街中に特定の漫画家の作品があふれているのは、3年前に訪れた境港で水木しげるの作品である妖怪をあちこちで見たのと同じである。

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 アカレンジャー。世代的にはこちらのほうが馴染みに残っている。









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 ロボコンは、人形だけでなく通りのマンホールにも描かれている。








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 石ノ森萬画館。旧北上川の中州に建っているのだが、それゆえに先の震災と津波では甚大な被害を蒙り、しばらく閉館の後最近ようやく再オープンにこぎつけた。








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 再オープンを告げる横断幕。私が訪れたときには、特別展として震災後の石巻そして萬画館の歩みに関する展示を行っていた。震災当日のコミュニティラジオの音声が流れていて、今地震が起きたのかと聞き間違うほどの感覚だった。その時は情報がない中で、限られた情報の中で呼びかけを行ったのだろう。





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 入り口で我々を出迎えてくれるロボコンとガンツ先生。石ノ森萬画館のブログ記事によると、やはり津波でダメージを蒙ったのだが職人さんの手により修復され、再オープンを迎えたのだとか。







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 入り口の前には、著名なマンガ家の手形が。小さな女の子が手を当てているのは、かわぐちかいじの手形。
 常設展では、というか常設展に向かうスロープの壁が『龍神沼』の各コマを使った「マンガストーリーの作り方」の説明になっていたのに見入った。






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 再び商店街へ。確か銀行の脇だったと思うが、やはり著名なマンガ家の自画像?と紹介が。このウィンドーもプラスチックの覆いが割れたまま、外れたままになっているものもあった。
 まだまだ震災の爪痕があちこちにのこり生活面での影響は大きかろうが、心の中はマンガの力で明るく持てるようになってほしいものである。

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SL石巻線100周年号

Pc231741 石巻に来たのは、この日石巻線を走る、蒸気機関車が牽く「SL石巻線100周年号」を見るためである。動く蒸気機関車を見るのは初めてだ。

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 まずは柳津から気仙沼線の列車で、石巻への乗換駅である前谷地へ。着いてすぐ、石巻へ向かう「SL石巻線100周年号」が駅に入ってきた。








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 小牛田から石巻へは、蒸気機関車は後ろ向きに客車を引っ張って進んでいく。








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 客車も昔の客車である。「SL石巻線100周年号」と書かれた行先表示板。









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 出発直前の「SL石巻線100周年号」。









 前谷地を出発する「SL石巻線100周年号」を動画に収めた。 蒸気機関車の汽笛、走り始める時の蒸気の音、自分の耳で直に聞くのは初めてである。機関車が重いせいか、動き出してスピードが出始めるまで時間がかかるのも初めて見ることだ。

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 他方、こちらは石巻駅にて、折り返しで小牛田を目指して進む蒸気機関車。今度は、記念のヘッドマークが飾られている正面を見せて走り出す。



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 石巻を出発する蒸気機関車と旧型客車。石巻線100周年というのはこの時だけのことであり、見に来たかいがあった。

 

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気仙沼線BRTで気仙沼~志津川を通って柳津へ

Pc231606 気仙沼を発ち、石巻方面を目指して先に紹介したBRTに乗った。石巻へ行くにはこのバスで柳津まで行き、そこから先は鉄道が走っているので乗り換えて石巻へと向かう。
 バスの正面には、本格運行開始を記念するヘッドマークが付けられている。


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 この日は本格運行開始記念のイベントで、気仙沼市内を循環するバスも運行されていた。そのためのバスだろうか、駅前には出番を待つバスが続々とやって来ていた。バスの側面には沿線の観光キャラクターが描かれており、このバスには気仙沼の「ホヤぼーや」が描かれている。






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 前回書いたが、BRTとは言いつつもバス専用道になっているのは限られた区間のみである。陸前港から鉄道で使っていた長いトンネルをくぐり、鉄道駅の手前で曲がって坂を下ったところに、BRTの歌津駅がある。



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 バスが南三陸町へと入り、志津川の近くになると建物が津波で流されて何もなくなっている光景が車窓に広がっている。そんな中、切り絵調の絵やメッセージが掲げられているのが目に入ってきた。「ご先祖様も裸一貫からやり直した わたしも一から事業再開」、これだけの大災害に遭いながらもたくましいメッセージである。




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 BRT志津川駅。12月の本格運行に際し、仮設商店街の近くに駅を移したのだとか。







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 駅の窓にはソーラーパネルが。










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 先程の切り絵調のメッセージを見るべく、バス停の近くを歩いてみた。何もなくなってしまった土地を見るのは何とも言葉が出ないが、力強いメッセージとともに歩みを進めてほしいと願わずにはいられない。







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 仮設商店街「さんさん商店街」。クリスマスが近いこともあり、イベントが行われている商店街には小さなサンタさんがたくさん。






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 開店祝い。










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 商店街に隣接した広場では、BRT本格運行開始にちなんだイベントが開かれ、BRTの展示と紹介がされていた。このバスはハイブリットバスで環境にやさしいシステムであるのだとか。車体には「むすび丸」など各地のキャラクターが描かれている。
 広場には大きなアンパンマンが。中で遊ぶこともできるようだ。

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 志津川から再びバスに乗り、海岸沿いの道を走る。時折線路を車窓に見ることがあり、また今は静かな海を横に見ながらバスは進んでいく。





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 柳津に到着。気仙沼から柳津までは途中下車しなければ約2時間、今回は途中下車したので3時間の旅程だった。

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気仙沼線BRT

Pc221524 気仙沼から石巻方面に向かって海岸沿いに走っていたJR気仙沼線は先の震災の影響で不通になっていたが、バスによる代行輸送が始まっている。
 JRによる代行バスは8月から走っており前回訪れたときにも乗ったのだが、12月22日から本格運行開始という位置づけのようで、駅や沿線に「気仙沼線BRT運行開始」の幟がかかっていたり、本格運行開始を記念したイベントをやったりしていた。写真は気仙沼駅にて、本格運行開始を祝したクリスマスツリー。

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 この気仙沼線の代行バス、上記の通りBRT(Bus Rapid Transit)の名が冠せられている。線路が走っていたところをこのバス専用の道路にして、鉄道と遜色ない高速・定時運行を確保しようというものである。もっとも、今のところ専用道になっているのは最知-陸前階上と陸前港-歌津の間だけ、それぞれ1駅間が専用道になっているのみで、あとは一般道を走っている。
 写真は陸前階上に程近いところで専用道と一般道が交差するところ。線路が走っている頃は踏切だったところで、このときは交通整理のための係員がいたが将来的には踏切のような運用をするのだろうか。

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 最知-陸前階上間を走るBRTバス。










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Dsc_0836 前回訪れたときの写真だが、陸前階上駅のようす。鉄道ホームの横にバス停を設けている。
 停留所も含めて道幅はバス一台分しかないのだが、駅の前後に道幅が広くなっているところがありそこで往復のバスが行き交うことができるようになっている。単線の鉄道同様にバスが行き交う場所を考えながらダイヤを組まなければならない。

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 駅の中には運行情報を表示するモニターがあり、定時で走っているかどうかわかる仕組みになっている。









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 バスの運行情報を表示するスマートフォンアプリ「BRTネット」も用意されている。BRTだけでなく沿線の観光案内や生活情報、この地域にまつわるニュースも見ることができる。

 BRTに乗って気仙沼から志津川を経て柳津に向かったときの様子は、また別途。

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2012年12月26日星期三

再び気仙沼へ

 

3連休と1日休暇で、再び気仙沼へ行ってきた。
 気仙沼では1日ボランティア活動、今回は前回と違って現場作業だったが、1年9か月経った今でも震災当時から片付け切っていない場所があることに、震災と津波の影響の深刻さを感じる。もっとも、報道で見る震災直後の写真などから想起するにこれでも片付いたほうなのかもしれないし、それ以前にどちらも「本来の気仙沼の姿」ではないのだろう。

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 本来は罹災した場所の写真をアップするのは良くないのかもしれないがあえて2枚。今回宿を取った、港近くは建物が殆ど流されてしまって今は土台しか残っていないのだが、その中に壁に写真を貼ってあるプレハブ小屋を見つけた。ここにあったであろう酒屋さんが、当時の状況を伝える写真や報道の切り抜きと移転先の案内を貼っていた。まだ2年も経っていないのだが震災直後にテレビや写真で目にした光景の記憶というものは日々薄れていくもので、この写真を見て思いを新たにした。
 写真の横にはこのような文章が書いてある。「被災地の人間の務めとして、『絶対に風化させない』という意気込みがございます。決して、憐みや支援が欲し いからではなく、別の土地で同じような災害が起きた際に、気仙沼の人間が防げなかった被害を少しでも、少なくしてもらいたいという『願い』でございます。 被災地で何か感じていただけたなら そのことを身近な人に話してください お願いします」この前大きな地震があったが、遠方の津波警報に対する周りの人の反応や地震直後の行動に鑑みるに、書いた方の思いは今のところ遠方の人にもとどめられているのではなかろうか。これからもこの方が書かれた思いを、遠方にあっても受け継いでいくことを心掛けたい。
 写真は、気仙沼を発つ日の朝同じ場所を再訪した際の写真。

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 この酒屋さん「すがとよ酒店」は、程近い大通り沿いで商いを再開している。









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前回気仙沼を訪れたときには復幸マルシェと復興屋台村という2か所の仮設店舗を訪れたが、これらばかりでなく気仙沼のあちこちに仮設店舗ができていて、もう一度店を開こうという人ともう一度店に行こうという人を結んでいる
写真は「気仙沼復興商店街」の写真。ここの「一福」なる店で、ビールとつまみでしばし時間を過ごした。

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 復興屋台村にあっただるま。多数のメッセージが書かれている。









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 仮設店舗
とともに、建物が残った店は同じ場所、同じ建物で営業している。写真は港付近にある「たいわ食堂」とそこで堪能した定食。さんま、気仙沼ホルモン、付け合せも海産物と当地の名物を楽しむことができる。
 この店の周りの震災直後の写真を見る機会があったが、今訪れると普通に営業しているがここに至るまでの道程が険しかったことが思い起こされる。



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 気仙沼の街をあるいていると、あちこちに人の顔写真が貼ってあるのを見ることができる。復幸マルシェでこのような顔写真がたくさん並んでいるのを見たのだが、これも同じ一連のアートなのだろうか。



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 気仙沼の港付近は夜ライトアップされている。近くの電器店で見た、冬のライトアップ。

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2012年12月16日星期日

2013年・中国の祝日

 来年2013年の中国の祝日は、以下の通りとのことである。

元旦:1月1日(火)~3日(木)。但し1月5日(土)・6日(日)は平日扱い。
春節:2月9日(土)~15日(金)。但し2月16日(土)と17日(日)は平日扱い。
清明節:4月4日(木)~6日(土)。但し4月7日(日)は平日扱い。
労働節:4月29日(月)~5月1日(水)。但し4月27日(土)・28日(日)は平日扱い。
端午節:6月10日(月)~12日(水)。但し6月8日(土)・9日(日)は平日扱い。
中秋節:9月19日(木)~21日(土)。但し9月22日(日)は平日扱い。
国慶節:10月1日(土)~10月7日(金)。但し9月29日(日)・10月8日(土)は平日扱い。

国务院办公厅关于2013年部分节假日安排的通知


 年明け早々に元旦の3連休のあと8連投である、7連投も春節後・労働節の前・端午節の前・国慶節後にそれぞれある。来年の中国の休みは、休みの前後に出勤日が長く続く。去年の中国祝日のことを書いた時にも触れたが、3連休のために出勤日が長く続くのはリフレッシュになっているのかどうか。
 あと毎年のことながら、12月になってからの発表というのはどうなのだろうか?

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2012年12月9日星期日

原ノ町屋台村

Dsc_0979 電車で原ノ町に着き、福島へ行くバスまで1時間余りあるので駅前で何か食べようかと思ったが、駅に通じる商店街は日曜日ということもあってかシャッターの降りている店がほとんどであった。たまに開いている飲食店も弁当屋や喫茶店で、ふらりと来た人が昼食を食べるという感じではなかった。
 そんな中、「ラーメン」とか「親子丼」とか幟が掲げられているのを見つけた。近づいてみると、「屋台村」の名前が冠されているようで、屋台とは言いながら常設の小さな店が何件か並んでいた。


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 ラーメンでもよかったのだが、その奥にある「伊達鶏の親子丼」の幟を掲げている店に入ってみた。
 この屋台村の店はそれぞれがとても小さく、カウンターと小さな調理場という感じなである。この店「歩々」も、カウンターに確か8席という小さな店である。
 幟には親子丼と書いてあったが、メニューを見ると「伊達鶏の味噌にんにく丼」というのがあったのでそれを食することにした。野菜の小鉢2つと味噌汁がついて680円。
 カウンターにはにんにく味噌やにんにくチップ、あとはいろいろなふりかけもあり、ご飯だけでもこうした付け合せを楽しめそうである。
 店には仕事でこの地域に来ているであろう人が2人連れで、あと地元の人であろう老夫婦が席を埋めていた。
 この屋台村、震災のあとでできたのかと思いきやそうではないようで、4年くらいこの場所にあるのだとか。8席と狭い調理場というこのスペースを卒業して、シャッター通りになっている商店街に進出するのが目標だと店主は仰っていた。

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 屋台村前のクリスマスイルミネーション。福島の外から来たボランティアが設置してくれたと説明してもらった。
 小さな屋台村で料理をふるう人たちが街から名声を得て、目標である「シャッター通りへの進出」、それがひいてはこの街の商店街に再び活気をもたらすことを願いたい。

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新地~相馬~原ノ町

 先週気仙沼へ行った帰り、思い立って去年何度か行った新地町を通って帰ろうと思い、さらに足を延ばして相馬と原ノ町の間を折り返し運転をしている常磐線を通って帰ることにした。

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 一ノ関から新幹線で仙台まで行き、常磐線に乗り換える。
 仙台側から線路伝いに行くことができるのは亘理まで。駅の方向案内板は、しばらく不通になることを覚悟してか終点駅のようなものになっていた。
 ここから、相馬行きの代行バスに乗る。

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 1駅目の浜吉田駅に、浜吉田と亘理間の鉄道が来春運行再開になると書かれていた。1駅だけだが、延伸なるのだろうか。
 鉄道に比べると代行バスはやはり時間がかかるので、1駅でも先に延びるのは良いことだと思う。もっとも、この先は線路や駅が流されており延伸の目処は立っていない。鉄道をどこに通すのか、という問題もあろう。




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 新地駅は先の津波で跡形もなくなっており、去年もそうだったが新地町役場の前に代行バスの停留所がある。
 図書館の前、昔の倉庫を臨む入り口には来る衆議院議員選挙の案内が掲げられている。震災後初の総選挙、新地町の人達の思いは如何に。





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 かつてボランティア活動の拠点であり、集合場所であったボランティアセンターの跡はバスの折返場となっており、その手前には3件の仮設店舗が並んでいた。
 その向かい、昼飯時の腹を満たしてくれたとんかつ屋さんは残念ながら日曜日はお休みのようだ。
 ここから海岸線の方向を向くと、さすがに瓦礫は片付いていたが何もない荒涼とした更地が広がっている。こうした光景は、新地町の本来の姿ではないのだろう。震災後に訪れた私はこんな風景、もっと荒れた残景を見ることがあったのだが、これが本来の姿ではないことは心に留めておきたい。

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 次のバスまで1時間程あるので、国道の反対側を歩いてみた。
 反対側は街並みも無事であり、日曜日のせいかこの日は人通りも少なく静かであった。
 田んぼには稲刈りの跡が残っていた。紅葉には遅い時期だったのか遠くの森や山に紅葉を見ることは少なく、通り沿いにはすすきが伸びていた。

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 再びバスに乗り、代行バスの終点である相馬駅へ。去年はまだ鉄道が復旧していなく代行バスも原ノ町まで運行していたが、今は相馬~原ノ町の折り返しで電車が走っている。
 瓦屋根に植木で重厚な感じの駅舎である。






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 駅の中の様子。駅の中だけ見ると、臨時体制であることは感じられない。改札口上のモニターでは、原ノ町へいく列車の発車時間と亘理へ行く代行バスの出発時間が案内されている。




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 相馬駅の案内板。本来は仙台方面に行く列車のためのホームを、逆方向の原ノ町行き電車の乗り降りに使っている。両側の次の駅が書かれている案内板である。








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 電車はロングシートの2両編成。










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 15分ほどで原ノ町に到着。
 ここの改札口では、相馬へ行く電車の時刻とともに、ここから南へは列車が走っていないことがモニターで案内されている。







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 原ノ町駅。









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 駅の脇には、この駅に停まっている間に震災に遭遇して行先をなくしてしまったであろう特急列車が留置されていた。しばらくはこの先に進むことはできない。
 ここからはバスで福島に行き、新幹線に乗り換えて東京に戻った。

 途切れた線路はしばらくは繋がらないのだろう。それでも、人々の求めに応じて鉄道なりバスなりを走らせている人たちに敬意を表しつつ、人々が狭い世界に閉じ込められてしまうことがないように願いたい。

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2012年12月6日星期四

気仙沼

 先週のことだが、宮城・気仙沼に行ってきた。
 1日だけだが気仙沼復興協会のボランティアに参加してきた。その時の活動は、活動は漁業支援としてワカメの苗に付着した海藻の除去。他のボランティア団体が継続して地元漁師のサポートをしているところに行ってお手伝いする次第である。
 震災直後の緊急性のある作業-瓦礫除去や側溝掃除など-から、ボランティアのニーズは生活基盤確立のサポートに移っているようで、本来は漁師がするであろうこうした作業の手伝いをボランティアがする意義も生活基盤確立のサポートなのだろう。漁師やボランティアセンターの方の話からも、生活基盤を確立することのニーズとそこへの道のりが長く険しいことが聞いて取れた。
 小生自身、これからニーズが高まるであろう日々の生活支援や子どもの学習支援とかでは全く役に立てなさそうだが、体一つでできることがあればまた参加したいと思う。

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 写真は作業現場近くにて。この漁船は先の震災後の津波でもこの漁港唯一生き残った船なのだとか。









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 集合場所は気仙沼線の陸前階上駅近くにある。
 気仙沼線は震災と津波で不通になっており、気仙沼駅から代行バスが走っている。まだごく一部の区間であるが、線路跡を舗装して代行バスの専用道にしてバスを走らせている。陸前階上駅の近くもこの方式で、かつての鉄道駅の横にバス専用道とバス用のプラットフォームができていた。こうしたバス専用道を作ってそこにバスを走らせるのはバス・ラビット・トランジット=BRTと呼ばれるとのことで、先日グアテマラシティで見た専用道を走るバスも同じ部類になるのだろう。
 一旦舗装されると再び線路を通す際の妨げになり、鉄道が廃止になる可能性が高まるのではと思ったが、ボランティアセンターの方が仰るには同じルートに交通網を走らせておくことが大事なのであり、線路を戻すのは容易にできるのだとか。

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 気仙沼に着いたのはボランティアをする前日の昼。まずは駅前の「ますや食堂」で「気仙沼らぁめん」を食した。魚のダシにつみれが入ったラーメンである。





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 翌朝気仙沼駅からバスに乗る必要があることもあり、宿は気仙沼駅近くの「寶屋旅館」に。宿の予約は最近はインターネットが主流だが、ここは旅館に直接電話して予約をした。
 素泊まりだったが、過不足ないおもてなしを戴き、また気仙沼に行くことがあれば泊まりたいと思った。

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 午後はレンタサイクルを借り、気仙沼を自転車であちこち巡ってみた。
 気仙沼は漁業の街ということもあり、街の中心部は海岸線に近い低地にあったそうだ、その低地は津波でダメージを受け、フェリーの船着場でも桟橋が折れたり近くの立体駐車場は使えなくなるなどのダメージを蒙った。
 船着場に来たのでフェリーで気仙沼大橋へ。フェリーの甲板に掲げられた横断幕には多くの激励の言葉が書かれていた。フェリーに乗っている車は、やはり工事用の車輛や土砂を運ぶであろうトラックやタンクローリーが多かった。
 気仙沼大島は折り返しの30分足らず港の近くを走っただけだったが、本来の岸壁が陥没していたり道路がへこんでいたりとここでも震災のダメージを目にすることになった。

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 気仙沼の街に賑わいとかつての味や店を取り戻そうとうする仮設商店街もいくつかある。フェリー発着場近くにあるのは「復興屋台村 気仙沼横丁」。飲食店や土産物店が多く、旅行者が訪れやすい感じである。



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 他方、駅から離れた鹿折にあるのは「復幸マルシェ」。こちらは飲食店のほかに食料品店や鮮魚店などもあり、地元の人々のための商店街という感じである。
 ここの食堂「塩田」で食事をしたのだが、私が入ったときは客は私一人だったのだが時間が経つにつれて気仙沼の人達が続々と店に入ってきた。

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 翌日の活動後、ボランティアを一緒した方の誘いに乗って市内を一望できる安波山へ。
 階段の入り口では2匹の龍がお出迎え。
 街の眺めだが、建物が流されてしまったところと残ったところとがくっきりと分かれており、眺めていてとても切ない。気仙沼には陸地に乗り上げた船として知られる第十八共徳丸もあり、震災そして津波の痕跡があちこちに残る。




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 さらにその方のお勧めの店ということで、大船渡線沿いの千厩にある「大松」へ。









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 どんこの味噌焼と、五目釜飯。美味しいものを教えていただいた。

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