« 六月 2013 | Main | 八月 2013 »

七月 2013

2013年7月21日星期日

映画『台湾アイデンティティ』

 この週末に、東中野で上映されている映画『台湾アイデンティティ』を観に行った。
 4年前にやはり東中野で観た『台湾人生』、そして3月に見た『空を拓く 建築家・郭茂林という男』に続く酒井充子監督の作品。『台湾人生』が日本統治下の台湾で育った日本語世代の台湾人の中の「日本」に焦点を当てていたのに対して、今回の『台湾アイデンティティ』は同じ日本語世代の台湾人の中の「台湾」をクローズアップした作品と言えよう。

Dsc_2357

 映画とは離れるが、1949年に国民党が台湾に逃れてからの台湾では「台湾は中国の一部」という建前で台湾の統治がなされ、例えば学校教育において地理では中国各省のことについて学び台湾のこともその一部として学ぶ、というやり方だった。「自分たちは台湾である」ということを公には言えない時代が長く続き、それが解き放たれたのは李登輝時代になった1990年頃のことである。
 日本語世代にとっての台湾アイデンティティ、それより時代が下ったところで台湾で生まれ育った人の台湾アイデンティティ、子どもの頃に戒厳令が終わった人、そして今20代の人、それぞれの台湾アイデンティティの育まれ方は違っているだろうし、同じ世代でも所謂本省人と外省人でこれが大きく違うこともあるだろう。制度や環境、そしてそれらに従うか抗うか、あるいは生まれたときから当たり前に「自分たちは台湾である」と言える人達とで違いがあるだろう。
 この映画『台湾アイデンティティ』を観て、日本語世代の台湾観とともに、この映画で取り上げられた世代より後の人達のことにも想いが及んだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月17日星期三

江差・函館旅行(13)函館・その他もろもろ

 今回の江差・函館旅行、ここまで書かなかったが目に留まったものをぼちぼちとアップ。

・函館空港

Imgp8982

 今回の旅の始まりは函館空港。東京を早朝便で発ち、朝のうち普段なら通勤時間であろう時間に函館に到着。
 乗った飛行機は、東京ディズニーリゾート30周年とのコラボレーションである、「JALハピネスエクスプレス」。機体にディズニーのキャラクターが描かれている。





Imgp8983

Imgp8987

 北海道の空港ならではの飛行機も。左は北海道エアシステムの飛行機、機体にクマの絵が描かれた右の飛行機はAIR DOのもの。




・函館朝市

Imgp8993

Imgp8994

 朝便で函館に着いたので、9時前には函館駅前の朝市に到着。朝6時から開いているとかで、海産物を売る店を中心に果物を売る店なども。
 台湾からの観光客が多いのだろう、繁体字で歓迎の表示が。

Imgp9003

 この日食べたのは、「いかの三升漬丼」。函館朝市の周りの食堂はだいたい午前中か昼までの営業だ。
 いいお値段の店が多い中で、市場の2階の駅ニ食堂では500円で丼を食すことができる。






Imgp9255

Imgp9718

 結局函館での朝食はずっとこの駅ニ食堂で。海鮮丼と鮭親子丼。







Imgp8997

 食堂の入口には漁船の模型がいくつか飾ってあるが、この船は牛乳パックで作ったのだとか。







・函館駅にて

Imgp9642

 北海道の観光キャラクターは「キュンちゃん」。ウサギがモチーフなのだそうだが、その上にトナカイやイカを被っている。
 あまり表情が豊かではなさそうなのが印象的だ。






Imgp9648

 夕刻には、寝台列車「トワイライトエクスプレス」のマークをつけた機関車だけが函館駅に。本州へ向かう「トワイライトエクスプレス」には江差からの帰りに五稜郭ですれ違ったのだが、ディーゼル機関車は札幌から五稜郭までの担当とかでこれは一仕事終えた後の様子のようだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月14日星期日

江差・函館旅行(12)函館の街の彫像たち

Imgp9372

 函館の街を歩いていると、あちこちで彫像にお目にかかる。歴史上の人物の像は別にして、芸術作品は函館市都市デザイン課のウェブサイトにて「パブリックアート」として紹介している。
 彫像が多かったのは元町の基坂。イギリス領事館へ上る途中にある、少年と舵に乗ったフクロウの像は「異国への夢」。少年がフクロウとともにまっすぐ見据える先は、未知の期待に膨らむ世界ということだろうか。


Imgp9377

Imgp9378

 イギリス大使館の向かいにも彫像が。
 左は「ハイカラさん」、右は「旅を続ける男」。






Imgp9398

 やはり基坂にある広場には、ペリー提督の像が函館山をバックに立っている。








Imgp9406

 基坂を上ったところにある元町公園には、犬と遊ぶ子どもや海のほうを向いて座る子ども、その横に寝そべっているクマの姿が。「大地と海と僕たちと」と名が冠せられている。







Imgp9722

 こちらは市電の五稜郭公園駅から五稜郭へ向かう行啓通りにて、「ぼくたちの旅」。上を見上げて、こちらもやはりまだ見ぬ世界へと思いを馳せているのだろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(11)青函連絡船と津軽海峡フェリー

 青森と北海道の間に通る津軽海峡、かつては国鉄が運航する青函連絡船が青森と函館を結び、人や貨物を運んでいた。本州と北海道の往来には飛行機やフェリーが使われるようになったこと、そして青函トンネルの開通もあり青函連絡船は1988年にその役割を終え廃止になったが、函館と青森にそれぞれ1隻かつての青函連絡船が姿をとどめている。
 廃止になって25年が経つので、生まれたときには既に青函連絡船はなかった、という人も多くなっているし、私自身も青函連絡船には縁がなく乗ることはなかった。

Imgp9628

Imgp9630

 函館駅近くに停まっているのは摩周丸。青がシンボルカラーである。
 後部にある船名「MASHU MARU」の後ろ、「TOKYO」の文字が塗りつぶされている。国鉄時代は東京港を船籍港にしていたが、廃止前年の1987年に国鉄の分割・民営化でJR北海道になったときに船籍を函館に変えた名残である。

Imgp9586

 入口に掲げられているかつてのポスター。保存状態が良く、今の旅行案内と言われても通じそうである。
 船内では船の青函連絡船の歴史を船の模型などで示したり、洞爺丸事故の様子を伝えたりしている。かつての座席なども船内に残っている。





Imgp9600

 煙突に残る、JNR(日本国有鉄道)のマーク。









Imgp9609

Imgp9603

 船の前方には函館山を望むことができる。
 元町を歩いた時には八幡坂から港越しにこの船を見たのだが、逆に摩周丸から八幡坂を見る。




Imgp9613

 連絡船のマスコットはイルカ。摩周丸のそれは摩周湖をデザインしたもの。







********

 さて現在、青函連絡船はなくなってしまったが津軽海峡を走るフェリーがある。今回の旅の帰りはそんなフェリーの1つである津軽海峡フェリーに乗って青森へ行き、そこから飛行機で帰ることにした。

Dsc_2263

 昔の青函連絡船は函館駅に直結した港で乗り降りできたようだが、今のフェリーは函館駅からは離れた、五稜郭に近い乗り場から乗船。
 今回乗った船の名前は「びるご」。船の前方が開き、乗用車やトラックが入っていく。車を持たない旅客も、車の流れが途切れたところでやはりここから乗船し、自動車用スペースの脇から階段を上って旅客用スペースに入っていく。



Dsc_2273

 4時間かからず青森に到着。もっとも、地図で見ると回り道をしているように見える鉄道は函館と青森の間を2時間で結んでいて、時間的には列車のほうが早いと言える。
 2等船室はカーペット敷きの大広間なので、横になったり足を延ばしたりすることができるのでそこは楽である。小学生の団体が3校乗っていたようで、彼らの貸切になっている船室もあった。青森の子どもが函館へ行った帰り、そして函館の子どもが青森へ行くようだ。修学旅行や小旅行にはお互い行きやすい場所なのだろう。


Dsc_2275

Dsc_2276

 船の中にはテレホンカードでかける船舶電話が。
 他方、携帯電話も航行中のかなりの時間は電波が入って使えるとかで、携帯電話の充電スペースもあったのは時代の流れか。




Dsc_2278

Dsc_2277

 青森では船の後部から下船。
 自動車も坂道を下るように下船。船内の自動車スペースは立体駐車場のようになっている。

 青森側も青森駅とは少し離れたところにあり、青森駅までは定額タクシーで1,200円で行くことができる。3キロ程の距離だろうか。

********

Dsc_2318

 青森でもかつての青函連絡船を見学。青森駅に程近いところに停まっている八甲田丸、こちらは黄色の船体である。
 船の隣には石川さゆりのヒット曲『津軽海峡冬景色』の歌碑が。







Dsc_2287

 こちらは八甲田山系をデザインしたシンボルマーク。










Dsc_2289

Dsc_2291

 八甲田丸の船内には、かつて連絡船が青森~函館間、そして本州と北海道を結ぶ主要な交通機関だった頃の駅前市場や街の様子を伝える展示「青函ワールド」がある。この展示はかつて東京のお台場に保存されていた連絡船・羊蹄丸が、その展示を終える際に引き継いだものとのこと。左写真は仕入れの目が利かず変な魚を仕入れてきた夫を叱る妻の図、右は焼き芋屋での子どもと大人のやり取り。人情や息遣いまで伝わってきそうな展示である。

Dsc_2307

 八甲田丸では、連絡船の役割の1つである列車を運ぶスペースも見せてくれる。往事の様子そのままとはいかないが、連絡船が本当に列車も運んでいたことがわかる。
 展示されているディーゼルカー、実際には安全上の理由で載せる機会はなかったのだとか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月10日星期三

江差・函館旅行(10)函館の路面電車

 前回の続き。函館には路面電車、函館市電が走っていて、湯の川温泉から五稜郭の近くや函館駅を通って函館どっく前を結び、また途中から分かれて谷地頭へと向かっている。函館の見どころの近くをあちこち通るので、観光客にとっては路面電車をメインの足にしていいほど便利である。
 私が函館にいたときには路面電車を乗りこなしている台湾からの観光客を少なからず見かけたし、ハングルの観光ガイドブックと思しき本を手に電車の路線図や時間案内とにらめっこしている人もいた。海外からの観光客も利用する函館市電、もっとも外国語のやりとりが気になってしまう函館の人もいるかもしれない。

Imgp9359

 基坂のふもと、大正時代の建築である相馬株式会社の前を通る路面電車。








Imgp9560

 前面に目玉がついているユニークなラッピングの路面電車は、人権擁護を訴える函館地方法務局による宣伝。
 電車の形や顔ぶれは、母の故郷である愛媛・松山のそれに近いように感じた。





Imgp9556

 こちらはNHK函館放送局のラッピング。目立つどーも君の横には、イカを被ったななみちゃんが。








Imgp9724

 世界のあちこちの街で見られるコカコーラのラッピング、ここ函館にも。








Imgp9565

 この函館市電には、「箱館ハイカラ號」という、明治生まれで大正から戦前にかけて函館を走った電車を復元した電車が走っている。運転手が昔のいでたちの制服を着て運転していて、車内では女性の車掌が切符を売ったり案内をしたりしていた。プリペイドカードが使えないとかで、地元の人でこの電車に当たった人には不便か。




Imgp9725

 滞在中の6月29日は函館の路面電車100周年ということで、運賃が100円均一に。そして前述の箱館ハイカラ號も、花電車に衣替え。
 五稜郭公園前駅近くの道路にて。






Imgp9726

Imgp9727

 この花電車を先頭に、珍しい路面電車が続けてやって来た。タイミングを合わせての運行なのだろうか。
 花電車になった箱館ハイカラ號の後ろには、雪をかき分ける「ササラ電車」が。



Imgp9729

Imgp9730

 ササラ電車のあとには、戦後すぐから走り続けている車輛やラッピングのないオリジナルな塗り分けの路面電車も通った。



Imgp9728

 古い車輛ばかりでなく、2連式の新しい電車も。
 100周年もしらず花電車のことも知らず訪れた函館だったが、思わぬところで函館の路面電車のメモリアルデーを堪能した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月9日星期二

江差・函館旅行(9)五稜郭と箱館奉行所

 前回の続き。函館山からの夜景や元町の夜景を見た次の日、この日で函館を離れ帰途に就くので、最後に五稜郭を観る。

Imgp9723

 五稜郭タワーから見た五稜郭。歴史の教科書などでおなじみの風景である。
 緑が美しい季節なのだが、もやが少しかかっている。






Imgp9733

 城内を散策。石垣などが残っている。
 石垣の角が反り返っているのは、侵入を防ぐためだとのこと。
 横にある現代の水飲み場も、この地に因んで五画形になっている。





Imgp9734

 五稜郭の中心にある、箱館奉行所。五稜郭を上から見た写真でも真ん中にあるのが見える。
 要塞である五稜郭の中に、平時の城郭の役割である政治組織としての奉行所がある。昔の図面をもとになるべく当時の技法で奉行所を再現すべく復元工事を行い、2010年に完成なった奉行所、まだ木や畳の香りがする新しい奉行所である。



Imgp9736

 奉行所の大広間。
 釘隠しの飾りも当時のものを再現するなどこだわっている。







Imgp9737

 奉行の執務室である表座敷。









Imgp9738

 再現なった箱館奉行所、幕末から明治にかけての歴史を現代に伝え、そして当時の建物を現代の技術でやはり今に伝える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(8)元町の夜

 前回の続き。函館山を降りるバスを最初の停留所、「登山口」と名のついたところで降りて先程歩いた元町界隈を再び歩く。

Imgp9686

Imgp9684

 左がハリストス正教会、右がカトリック元町教会。函館山の賑わいから離れ、ガイドブックで紹介もされているがこの日は人も少なく静かであった。



Imgp9699

 昼間来た道を、今度は教会群から反対に歩く。
 八幡坂。まっすぐ抜ける道とその先に広がる港、という風景の美しさは昼も夜も変わらない。









Imgp9703

Imgp9710

 函館市公会堂と、元町公園の旧北海道庁函館支庁。








Imgp9716

Imgp9717

 イギリス領事館と相馬株式会社。
 ガイドブックにも載り、上写真の旧北海道庁函館支庁にある観光案内所でも夜景巡りを勧めていたのだが人は少なく、静かな元町の夜であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(7)函館山

 前回の続き。元町の教会を観た後は、ロープウェーで函館山へ。

Imgp9494

 函館山から市内を見下ろす。









Imgp9506

Imgp9519

 港に停まる船や、行き交う船も眼下に。








Imgp9524

Imgp9526

 今観てきた教会群、そして趣のある街を通る路面電車。







Imgp9666

 夜、改めて函館山へ。昼間はロープウェーで登ったが、夜は駅前からバスに乗り、夜は一般の車は入れずバスなどの専用になる山道をくねりながら函館山に登る。
 夜景が有名な函館山、日が暮れた頃にあわせて大勢の観光客が登ってきて、夜景に歓声を上げていた。台湾からの観光客も多く、函館の夜景を満喫しているようであった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月7日星期日

江差・函館旅行(6)函館・元町あたり

Imgp9353

 前回の続き。市電で来た道をあちこち見ながら末広町まで戻ってきたので、函館山を臨む坂道を上り下りしながら元町界隈の建物を眺めて歩く。
 基坂のふもとにある、相馬株式会社の建物。大正時代の建物は、今でも現役の社屋として使われているのだとか。





Imgp9354

Imgp9356

 函館山を仰ぎ見ながら、坂道を上っていく。








Imgp9380

 基坂の中程にあるのは、旧イギリス領事館。往事の領事夫妻の暮らしや函館との関わりを伝える展示がある。明治時代当時授業料が必要だった小学校に通えない子どものために学校も作ったのだとか。






Imgp9401

 基坂を上り切ったところにある元町公園。左側の白い建物は今は観光案内所、昔の北海道庁函館支庁庁舎。写真資料館でもあるが、昔のカメラを展示しているのみ。観光案内所でモデルコースなどを見ながらこの先の歩き方を考えるのも良いかもしれない。
 奥は旧函館市公会堂。
 この公園はもともと箱館奉行所があったところで、海から近く砲撃の危険があるということで移された先が五稜郭なのだとのこと。
 手前に咲く花はスーブニール・ド・アンネ・フランクなるバラの花。平和を願うべくアンネ・フランクの名を冠したオランダ原産種なのだとか。

Imgp9415

 函館市公会堂。観光客や修学旅行と思われる小学生で賑やかな中、ホールではピアノコンサートをやっていてしばしのくつろぎ。







Imgp9424

Imgp9432

 公会堂から教会群へ向かう、丘の上を海岸線と水平に走る道。







Imgp9436

 坂の下に港が、かつての青函連絡船が見渡せる八幡坂。かつて洗剤「チャーミーグリーン」のCMでご年配の夫婦が手を繋いでスキップするシーンもこの坂なのだとか。






Imgp9447

Imgp9464

 函館聖ヨハネ教会。江戸時代末期からあるこの教会、白い教会とその足元に広がるタンポポや緑とのコントラストが美しい。






Imgp9474

 そのすぐ近くにはカトリック元町協会。幼稚園の看板が掲げられていたが今でもその用途なのだろうか。


















Imgp9478

 函館聖ヨハネ教会。明治初期から活動しているイギリスのプロテスタント系の教会で、建物は今風だが、正面の十字架のほかにも側面の柱が十字架の形をしているなどで四方どこから見ても十字架が見えるのが特徴。

 近くのロープウェー乗り場から函館山に登るが、それはまた次に。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(5)函館・外国人墓地あたり

 前回の続き。江差から戻り、翌日は1日中函館市内をあちこちと巡った。まずは市電で終点の函館どっく前に向かい、そこから外国人墓地を目指す。

Imgp9266

 市電の駅からすぐの公園に、「新撰組最後の地」の碑がある。碑の裏面には、ここにあった弁天台場を守っていた新撰組が新政府軍の攻撃を受けて降伏したことが書かれている。






Imgp9268

 外国人墓地への道からちょっと外れたところには、古い洋館のような作りの銭湯「大正湯」がある。大正3年創業、建物は昭和3年に改築とのこと、来年で創業100年になる。
 もともと午後3時からの営業でしかも私が訪れた金曜日は休業日とのことで、中に入ることはできなかった。





Imgp9269

 高龍寺。日本における写真術のパイオニアである横山松三郎の墓があることが門前に記されている。








Imgp9279_2

 魚見坂を上り切ったところにある外国人墓地から見た海の眺め。
 外国人墓地とは言うが、ロシア人墓地や中国人墓地、そして海外からやって来て日本に足跡を残した人たちの墓のほかにも普通の寺や墓地もあり、そこにはかつてこのあたりが遊郭であり引き取り手がなかった遊女を供養する「有無両縁塔」や、函館で戦った南部藩士の墓もある。
 出身の内外を問わず、この地に縁があった人が多く眠る外国人墓地である。

Imgp9292

 隣の幸坂にある旧ロシア領事館。坂道の厳しいところに建っているのがわかる。







Imgp9314

 坂道を下って市電が走る通りに戻り、少し歩いた弁天町にある旧家「太刀川家住宅」。今はカフェになっている。
 このあたりにはやはり旧家を用いた雑貨屋や、古い建物が残っているところもある。






Imgp9326

 

旧小林写真館。明治35年創業、明治40年に改築し昭和37年までこの地で営業をしていたのだとか。








Imgp9337

Imgp9335

 ここ函館は、今年の大河ドラマ『八重の桜』に出てくる新島襄がアメリカに向けて出発した地であり、ここから船に乗ったとする碑が建っている。今はボートやヨットの係留所になっているが、「船に乗る」「外国へ行く」ことに対する決意は、今するよりも重い決断に違いない。
 そのすぐ近くにはその名も『JOE』という、明治時代の建物を使っているカフェダイニングが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(4)江差追分と江差線

Imgp9128

 前回の続き。
 江差の地名は、江差追分にその名を聞くことができる。江差追分会館では、信越地方から伝わってきたとされる江差追分の歴史や、現代の名人たちの業績を紹介している。
 江差山車会館も併設されていて、夏の祭りで披露される山車が展示されていた。




Imgp9178

 町内の小学校や道路に掲げてある、交通安全を呼びかける旗。交通安全の標語の横に尺八を吹く男性と楽譜が描かれているが、江差追分に由来してのことだろう。







Imgp9189

 帰りは江差線で函館に戻るべく、駅へ向かって歩く。
 駅へ向かう道は途中まで海岸線沿いで、カモメが飛んでいるのをカメラに収めることができた。







Imgp9202

 江差駅。ここ江差から木古内を経て函館へと向かうのだが、木古内から函館までは青森と函館を結ぶ列車が通ることもありそれなりの利用者がいるのだが、江差と木古内の間は利用者が少ないとかで、この区間は来年には廃止になってしまうのだとか。
 江差まで来ないのなら江差線とは呼べないし、役割も青森と函館を結ぶ路線になるのだろうから名前もそれ相応のものになるのだろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江差・函館旅行(3)江差の海辺と開陽丸

Imgp9140

 前回の続き。江差では幕末の船である開陽丸を復元しているというので、開陽丸のある海辺を目指していにしえ街道を西に歩く。
 途中にあった、「アネロイド気圧計」。80年以上前に、気圧から来る天気予報を針で示してくれて、当地の漁師たちの役に立ったのだとか。
 気圧計の周りで、ここでも初夏を楽しむかのような花が賑わいを見せている。


Imgp9152

 江差の本土側とは狭い幅の砂州で結ばれているかもめ島。切り立っている、というわけではないが、江差の街でもこのかもめ島でも海岸からなだらかな坂で高台へと続き、その斜面が美しい緑を見せている。






Imgp9164

Imgp9159

 砂州に姿を見せている開陽丸。幕末にオランダで建造され幕府の戦艦となるも2年も経たない間に戊辰戦争のさなかに沈没し、今ある開陽丸は1990年に復元されたもの。
 幕末の道南での戦いの様子を伝え、船内には大砲も保存されている。
 今年の大河ドラマ『八重の桜』が幕末の戦いを取り上げていること、そしてその会津に縁のある西郷頼母もこの江差にいたことがあるということもあり、船内には『八重の桜』の宣伝ポスターも貼ってあった。この開陽丸では幕末の戦いを、先に述べた旧檜山町役場では明治時代の話を伝えていて、街を歩くと江差の近現代史がわかるようになっている。

Imgp9147

 開陽丸の後ろを振り返ると、砂浜に海鳥が佇んでいる。









Imgp9174

 江差の港から、漁船が漁に向かって出航していく。

 開陽丸も、ニシン漁から今に至る漁船も、海産物を商う問屋やその周りに発展していった街並みも、今の江差を形作る歴史や現代の一部になっているのだと感じる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月6日星期六

江差・函館旅行(2)江差・旧中村家住宅

Imgp9119

 前回の続き。江差の「いにしえ街道」にある、旧中村家住宅。住宅と名が付いているが、幕末に近江商人が開いた問屋の跡である。
 ここに限らず江差の見どころそれぞれで、案内の方が丁寧に説明してくださるのでその歴史や注目してみるべきところがよくわかる。




Imgp9105

 入ってすぐのところが帳場。写真右側には手代が、奥には番頭が座って商いを取り仕切る。写真左側が玄関なので、玄関から見ると番頭が脇に座っているようにも見えるので奇異にも感じるが、この建物の2階は秘密の商談をするときに使う部屋になっていて番頭が座る場所の後ろには2階に上る階段が隠れており、やはり商いを取り仕切る人が重要な位置に座るということなのだろう。



Imgp9113

 手前側にも階段が。今は固定されているが、かつては上に格納できるようになっていたのだとか。








Imgp9102

 奥にある倉庫は四重の扉になっていて、大事な商品などを厳重に保管するようになっている。
 重い扉の下にはコロがついていて、あまり力をかけずに動かせるようになっている。





Imgp9111

 海へ向かって4棟からなっているのを通路で結んでおり、棟と棟の間に石積みが見える。








Imgp9124

 外に出て、車道から旧中村家住宅を見る。
 ニシン漁など海産物の商いをする問屋ということで、船から商品を引き上げた場所がこの「はねだし」と呼ばれる棟。つまりこのあたりはかつては船が着く海岸で、海に突き出たこの「はねだし」で海産物や商品の揚げ積みをしていたということである。今はかつての海は車道になっていて、高床になっている「はねだし」とかつて出し入れに使ったであろう小窓がかつて船を横づけしていたであろうことを伝える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月5日星期五

江差・函館旅行(1)江差・いにしえ街道

Imgp9120

 先月末のことになるが、休暇を取って北海道の南部、いわゆる道南エリアを旅行してきた。
 まずは函館からバスで2時間、江差町の様子をぼちぼちと紹介。


Imgp9047

 高台から見た江差町。手前に走っている太い道が「いにしえ街道」と名付けられた古い家が集まっているところである。
 奥にある島とを結ぶあたりには、幕末の帆船「開洋丸」の姿も。





Imgp9116

 江差は北海道の中でも早くから開けた町であり、江戸時代からニシン漁で栄えていたとか。もっとも「開けた」というのは所謂和人の価値観かもしれないが…
 いにしえ街道には、そんな幕末からの歴史を伝える建物が並び、歴史を感じる雰囲気と景観の美しさを醸し出している。
 左側は江差町会所別館。1845年に建てられた町会所が町役場別館としての役目を終えた1993年まで約150年使われた後も街の景観として残っている。

Imgp9012

Imgp9015

 今回はバスで江差に行ったのだが列車の駅に近いほうから歩く。西側にはいきなり歴史を感じる建物が見える。パン屋の看板を掲げていて営業案内も見えるが、江戸時代の問屋の土蔵である。大切に使い、おそらく改修も経て今に姿をのこしている。

Imgp9028

 現代に建てられた家やオフィスもあるのだが、それぞれが街並みに溶け込むようなものになっている。中央の白い建物は北海道新聞の支社。






Imgp9132

 この通りには何故か自転車屋が複数あり、中には古い看板と古い自転車・オートバイを展示している店もあった。
 左の建物が自転車店。







Imgp9038

 「竹籠屋」の提灯を掲げた店。竹籠だけではなく器や雑貨も売っているようだ。








Imgp9064

 いにしえ街道から外れて高いところを歩く。
 道端にも家々の庭先にも、通りの鉢植えにも美しい花々を見ることができる。厳しい冬を経て訪れた初夏を、花も人も街も満喫しているかのようだ。






Imgp9088

 高台からいにしえ街道に戻るところにある、旧檜山爾志郡役所。郡役所と警察署の役目を担う役場として1887年に建てられ、その後地方自治制度の変遷とともに役割を変えつつここもやはり町役場の分庁舎として1990年代まで機能した後、郷土資料館として綺麗に修復されて今に至っているとのこと。
 展示は北海道の地方自治の変遷、そして江差の文化も伝える。内部にある明治時代の布クロスも美しい。
 この隣に古いままの建物があり、それが往事の監獄。留置場としての役割であろうことが思われる。再現した部屋は綺麗だったが昔のままの部屋は床がはがれて往時の劣悪さを再現したのかと思いきや、ここ数年の湿気で床の木板がはがれてしまったのだとか。

Imgp9099

 上述した会所別館。好天に恵まれて街並みも映える。









Imgp9007

 ほのぼのとした街の案内。
 幕末の北海道で早くから開けた町の姿、その後明治時代から現代まで続く街の歴史を、この街道は伝えている。
 いにしえ街道の由緒ある建物や通りを離れた江差の様子は、また後程。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月3日星期三

『世界ふれあい街歩き 台北市南部 永康街界わい』

 日付では一昨日になってしまったがNHK-BS『世界ふれあい街歩き』、台北・永康街界隈の街歩きだった。庭師ならぬ家の周囲を草花で飾ってくれる人やや猫カフェ、家の屋上を庭園にしている人などこの街でこだわりを持って暮らす人にスポットを当てているように見えた。

Img_4440

 振り返ってみると永康街へは行ったことがなく、さらに番組で紹介されたり映ったりした場所そのものの写真はないのだが、近くの写真をぼちぼちとアップ。いずれも2008年3月の写真。
 永康街は小籠包で有名な鼎泰豊があるばかりでなく、文化的でおしゃれな街と言われている。大学がこの周りにいくつかあるのもその所以だろう。写真は永安街の南にある和平東路に面している台北師範大学、私が放送大学大学院に籍を置いていた頃にここに留学していた方に教えを請いに行ったことがあったがそれは写真の5年前、今から10年前の話。
 2008年3月といえば馬英九氏が総統に初当選した総統選挙の時であり投開票日にあわせて台湾を訪れたのだが、この日は投票会場になっていた。

Img_4442

 番組を観ると和平東路も歩いていたように見えたが、その通りには「防空への備え」が。当時の拙ブログ記事はこちら








Img_4457

 学校といえばそうであるが、番組の最後に映った大安森林公園の東側にある國立台北教育大學附設實驗國民小學。公園の東側は街歩きのコースから外れていたが、煉瓦色の建物が美しい。







Img_4448

 大安森林公園の西側、新生南路にある台北清真寺、モスクである。このあたりには清真寺や蒙蔵文化会館といった国共内戦期に由来する異文化を尊重する建物もあれば、フィリピンやインドネシアといった現代台湾にやってきた人たちのための店もあったりと、台北に生きるマイノリティが足を運ぶところに見受けられた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013年7月1日星期一

福島ユナイテッド

Imgp9783

Imgp9807 福島に本拠地を置くJFLのサッカーチーム、福島ユナイテッドが平塚で試合をするということで、Shonan BMWスタジアム(平塚競技場)にて観戦。対戦相手は佐川印刷。
 福島のチームが平塚でホームゲームというのも異例だが、福島ユナイテッドが湘南ベルマーレと業務提携をしている縁でこの平塚でのゲームが実現したそうだ。試合は前半風下に立った福島が早々に退場者を出し、佐川印刷に何度もシュートを打たれるが決定力不足に助けられる形で得点を許さず。後半は風上から攻め、コーナーキックが風に乗ってゴールへ直接入りそうになるなど福島にも何度もチャンスが生まれるが得点できず、スコアレスで引き分け。
 試合会場の外では福島の物産店や除染活動の展示ブースが出ていた。先の震災から2年が経ち関心が薄れつつある中で、福島をアピールするためにホームタウンを飛び出しての試合というのもありなのでは、とも思う。JFLの公式サイトに記載された、試合会場変更理由は、

本来であれば、福島県内でホームゲームを行うことが原則とされていますが、神奈川県を活動地域とするJFLチームと関係各位のご理解の下実施することになりました。
福島県からは未だ多くの県民が県外へと避難している状況にあり、そのような県外避難者の皆様をホームゲームにお招きし交流を図ることと、県内の観光、深刻な風評被害の払拭のために福島県の物産等のPR等を実施します。
JFLという舞台で戦う姿を県外避難者、湘南地域の皆様にご覧いただくことで「元気な福島」をPRすることを目的とします。

となっている。JFLの2チームが神奈川県を本拠地としており、それらの理解も得てのことのようだ。
 スポーツのみならずまだまだ各方面で以前のような状況を取り戻せていない人達が多々いるに違いない中、去年の天皇杯ではJリーグのチームに二回勝って名を上げた福島ユナイテッド、まずはJFLで全国転戦する中でさらに名を上げてほしいものだ。

 写真は試合前の煽り映像(サポーターのテンションを上げるための映像)の一コマと、ハーフタイムに流れた相馬野馬追の映像。このスタジアムのオーロラビジョンはとても美しく、まるで映画を観ているかのように美しい映像を見ることができる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« 六月 2013 | Main | 八月 2013 »