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三月 2017

2017年3月22日星期三

バンコクで運転免許

 もう1年近く前のことになるが、タイの運転免許を日本の運転免許からの切替で取得した。バンコクで自動車やオートバイの運転をすることはないのだが、日本同様に身分証明代わりに使うことができるとのことで持っておくと便利かと思い取得した次第だ。
 必要な書類は在タイ日本国大使館のウェブサイトに説明されているが、そこから引用すると、

  1. 申請用紙 1部(陸運支局にあり)
  2. 旅券(原本及び写し 1部)
  3. 日本の免許証と日本大使館領事部発行の英文の翻訳証明書
    ※国際免許証(有効期限内)を持っていれば翻訳証明は必要ないが、国際免許証及び写し1部が必要
  4. 健康診断書
  5. 日本大使館領事部発行の在留届出済証明
    ※永住許可証を持っている場合は在留届出済証明は必要ないが、永住許可証・居住証明書(入国管理局発行のもの)原本及び写し1部が必要
    ※労働許可証(ワークパーミット)を持っていて、許可証内の住所欄に現住所の記載がある場合は在留届出済証明は必要ないが、労働許可証原本及び写し1部が必要
  6. 写真 1インチ×1インチ 2枚
  7. 手数料

 国際運転免許証は持っていなかったので、日本大使館で3.の運転免許証の翻訳証明と5.の在留届出済証明を取得し、最寄のクリニックで4.の健康診断書を取得しておけばよい。
 留意すべきは、タイでは4輪の免許と2輪の免許は別々に交付され、日本の免許からの切替でも別々に申請が必要で、両方欲しい場合は上記書類が2セット必要だということ。私はそのことを知らず、2度取得のために足を運ぶ羽目になってしまった。もっとも身分証明に使うためだけだったらどちらか1枚だけでもよかったかとも思うが、折角だから取れるものは取っておきたいものだ。

 書類を揃え、バンコクの陸運局に出向いて切替を行う。私はBTSバンチャーク駅近くにある陸運局で取得した。
 入口で紙を渡され、名前だけ書いて窓口で渡すと係員が他の書類を見て申請書類に書き込んでくれる。旅券のようにコピーが必要な書類のコピーを忘れた場合は、建物内でお金を払ってコピーをすることができる。
 申請が終わると、同じフロアの別のエリアに移って適性検査を待つ。
 適性検査はいろいろな種類があるようでウェブサイトで様々な内容があることがアップされているが、私が受けたのは、

・反射神経検査…アクセルを踏み、少し離れた前方でランプが点灯したら一定時間内にブレーキに踏みかえる
・深視力検査…上の反射神経検査と同じ機械で検査。遠方に立っている2本の棒のうち1本がリモコンで前後に動くようになっており、自身から同じ距離になるようにリモコンで操作する
・視界検査…上2つとは別の機械。台の上に顎を乗せた状態で、左右に点灯するランプの色を答える

の3つだった。最初に4輪を取得した時は反射神経と深視力の検査だけだったが、2輪を取得しに行ったときは視界検査も受検した。
 検査が終わると受付近くに戻り、受付番号の呼出しに応じて中で写真を撮り、その場で運転免許が出来上がるので手数料(確か4輪205バーツ・2輪155バーツだったと思う)を払い免許証を受け取って終了だ。ペーパーテストはない。
 日本の運転免許を翻訳してそれをもとに取得、というやり方は、かつて上海で中国の運転免許を取得したときと同様だ。
 

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 免許証の表と裏。「Temporary」と書いてある通り仮免許の扱いのようだ。2年間の有効期間を経て更新後に本免許になるようだ。
 裏面の塗りつぶし部分にはタイ語で住所が記してある。これが身分証明になる所以だろう。
 裏面右下に免許の種類が車やバイクの絵で表されている。ヨーロッパ各国の入国スタンプみたいな絵柄だ。
 なお、タイで取得した免許証でASEAN各国で運転可能なのだとか。

 この運転免許証、いろいろな所で身分証明書として使える。今まで経験したところでは、

・ホテル宿泊時
・国内線の飛行機に乗る時(すべての航空会社で可能か、はわからない)
・サッカーの試合入場時
・在外投票のために日本大使館への入館時
・駅の窓口で列車の切符を買う時
・セキュリティの厳しいビルに入館する時
・郵便局でEMSを受け取る時
・病院での提示

にタイ人がIDカードを提示するが如く使うことができた。もっとも、旅行の時は全ての航空会社で運転免許証でO.K.かはわからないので結局はパスポートを持ち歩いてしまうのだが、普段の生活で使える場面が多いのは役に立つ。顔写真と名前とパスポート番号がある免許証はID代わりに使える、と言ってよいだろう。

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2017年3月10日星期五

『牯嶺街少年殺人事件』~A Brighter Summer Day~

 1991年の東京国際映画祭で披露され、翌年日本の映画館でも公開された台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』、25年近くの時を経てデジタルリマスター版のDVDやBlu-rayがアメリカで『A Brighter Summer Day』のタイトルで発売されたので、Blu-rayをAmazon.comで購入した。日本でも今週からこのデジタルリマスター版が公開されるとか。
 1992年の上映当時私も映画館で観ておりクライマックスシーンはよく覚えているが、25年振りに観ることになる。実は去年のうちに買っていたのだが、この長作をいつ観ようかと思っているうちに時間が経ってしまい、ようやく観た次第だ。今回観たのは236分、約4時間に渡るバージョンだ。当時観たのもこの長さだったか、あるいは約3時間の短い版だったか。
 Blu-rayは中国語(台湾国語)の台詞に英語の字幕。長時間ということもあり観るのにエネルギーが必要だった。
 同時期のセンセーショナルだった侯孝賢の台湾映画『悲情城市』は2・28事件の時代に本省人が面した悲哀を描いていたが、『
牯嶺街少年殺人事件』の主人公である小四少年(スー)の一家は大陸から渡って来た外省人の設定。大陸から来た家庭の少年たちによる2つのグループの対立と抗争、気怠さが漂う学校生活、小四の父親に対する秘密警察の取り調べ、そしてこの映画のメインストーリーである小四と小明(ミン)との交流と悲劇的な結末、とこちらは外省人が過ごした厳しい時が描かれる。「本省人」「外省人」と書くと二極対立的になってしまうが、作中ではその点の強調はなく登場人物の人間模様を通じて1960年代の抑圧感を描いていると言える。
 ただわからないのが大学合格者をアナウンスするラジオ放送での終幕。ここに監督のエドワード・ヤンが込めたものは何なのだろうか。やり場のない感情を持ちつつ過ごした時代から、扉を開いていく期待が大学合格者のアナウンスに秘められているのか。

 この『牯嶺街少年殺人事件』、版権の都合でソフト化が困難と聞いていたが、アメリカでDVD化されたり日本で再度上映されたりと、事情はわからないがここ1~2年で再び陽の目を見ることになった感がある。

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11年前に訪れた牯嶺街。台北の国家図書館や中正記念堂の近くだ。






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 「牯嶺街」の名が冠せられたバス停と、ここにある「牯嶺街小劇場」。後者は昔の警察署を利用した劇場だ。






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 この『牯嶺街少年殺人事件』=『A Brighter Summer Day』、小生はアメリカのAmazon.comから購入。一番安い輸送料で購入して到着まで1か月以上かかると言われたが、実際にはバンコクまで2週間で到着した。
 下画像は日本のAmazon.co.jpから(商品の紹介へのリンクです)。そのうち日本では日本語版も発売されるのだろうか。

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2017年3月6日星期一

サッカー AFCチャンピオンズリーグ2017 ムアントン・ユナイテッドv.s.鹿島アントラーズ

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 鹿島アントラーズの試合を観るのは6年振りだ。6年前に観たのもやはりAFCチャンピオンズリーグの試合、ホームの鹿島は東日本大震災の影響でカシマスタジアムでの試合ができず、東京の国立競技場に上海申花を迎えての試合だった。今回は鹿島にとってはアウェーの試合、ホームのムアントン・ユナイテッドはムアントンタニにあるホームスタジアムがガンズ・アンド・ローゼズのコンサートで使えず、バンコクの国立競技場(スパチャラサイ・スタジアム)にアウェーの鹿島を迎えての試合だ。いきさつはかなり違うが「ホームチームがホームグラウンドを使えず、国立競技場に会場を移してのACLの試合」というのが6年前に観た試合と共通しているところだ。

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 アウェー席。タイの人達の応援は後半まで続かないのか、後半の応援はホームのムアントンに引けを取らない感じだった。
 試合は2-1でムアントンの勝利。開始早々ムアントンの攻勢が続き、鹿島のファウルが多い時間が続く。ファウルでないとムアントンの勢いを止められないのかと思ったところ、そのファウルで得たフリーキックからムアントンに先制点が生まれた。
 鹿島は後半開始早々に速攻から得点し同点とするがその後PKのチャンスを外し、そして後半ロスタイムにムアントンにゴールを許し万事休す。試合全体を通してムアントンは鋭いパスを出してボールを繋いでいたのに対し鹿島は連携がまだ熟してないのかパスが緩かったり選手が走っていないところにパスが出ることが少なからずあり、それをカットされて攻守逆転という場面が多かったように見えた。また連戦の疲れか移動の疲れかで鹿島は4番のレオ・シルバ選手のところでボールが収まらず、逆にムアントンは9番のスペイン人・シスコ選手が決勝ゴールも含めよく機能しているように感じ、それぞれの外国人選手が機能したかどうかが試合を分けた感がある。

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 試合開始直前のムアントンのビッグフラッグ。後半ロスタイムの時もこのフラッグが出てきて、喜びを爆発させていた。








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 バンコクの国立競技場はバンコク中心部にありアクセスが良い。
 入口の様子と、ボディチェックに掲げられた表示。一眼デジタルカメラは持込禁止だそうだ。おそらくACLのレギュレーションなのだろう。


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 ムアントンには日本人選手が在籍している。清水・横浜Fマリノスや甲府でプレーした青山直晃選手がその人で、この日も90分フル出場。日本人としてタイのチームに身を置き、日本のチームを撃破するのに貢献である。
 BTS国立競技場駅で青山選手のユニフォームを着て会場に向かうサポーターと、試合後に青山選手のゲートフラッグを掲げる人と。

 試合のチケットは当地のチケットガイドであるTicket Majorで購入した。日本人とみるとアウェー席のみ購入可と言われたが、メインスタンド席は駄目なのかと聞いたところ電話で確認してくれて、「鹿島のユニフォームやグッズを身につけなければO.K.」とのことだった。「ムアントンを応援するのか?鹿島を応援するのか?」と繰り返し聞かれたが、これは日本もそうだがどちらかを応援せずとも気軽にサッカーを観に行けばよいのでは、と思う。

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