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2019年5月

2019年5月31日星期五

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (12) 金門包丁

Dsc_0806  先月金門島を訪れた時のことで書き忘れていたのだが、土産に「金門包丁」を買ってきた。この金門包丁、嘗て中国人民解放軍が金門島に打ち込んだ砲弾を原料として造られているのだそうだ。

Dsc_0477_1 Dsc_0473_1  清金門鎮総兵署の隣、「金合利鋼刀」という店で手に入れた。店内には包丁やナイフの数々や、原料の砲弾が置かれている。私が入手したのは小さめの包丁だが、アーミーナイフのような小さなものからより大きな包丁までいろいろな種類が店内にある。
 砲弾が撃ち込まれるほどの戦いからは半世紀以上が経っている。「今でも砲弾を原料に作っているのか?」と尋ねたところ、その通りとのことだった。
 日本で放映された『呉さんの包丁』という映画で、金門島の砲弾から作られる包丁とそれを作る人にまつわるドキュメンタリーがあった。今はその砲弾を撃ち込んだ側の大陸の人達もこの包丁を買えるようになり、実際に買う人も多いのだとか。

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2019年5月30日星期四

タイ・ラノーンとミャンマー・コータウン (5) ラノーンとコータウンの犬猫たち

P5190883  今回訪れたラノーンとコータウン、犬や猫たちをよく見かけた。もっとも、元気よく走り回る、歩き回るものもいれば、暑さのあまり横になって休んでいるものもいるが…
 まずはラノーンの朝、コータウンに向かう船着場にて。まだ涼しいということもあり、川べりで犬が休んでいる。

P5190876  同じく朝の船着場、バイクの側車?の下で夜を過ごしたのだろうか。


P5190879 P5190871  魚市場が隣にあるということもあり、商店で飼われたり世話をしてもらったりしている犬もいるようだ。


P5190938  ミャンマー側に渡ってコータウン、やはり街で犬を多く見かける。


P5190951  日が昇って暑くなってきた。道路に伸びる木陰で横になる犬。

P5190977  この犬は店の入口の樋の下で休んでいる。

P5190981  商店街の軒先にて。朝から暑いので体力温存か。

P5190987  コータウンには犬ばかりでなく猫も。パンや弁当を売るテーブルの下で、猫が休んでいる。

P5191011  民家の入口で休む猫。気持ちよさそうだ。

P5190994 P5191029  こ暑い中活発に歩き回る猫も。

P5191067  タイ側のラノーンに戻り、ナ・ラノーン家の邸宅跡にて。13時頃といちばん暑い盛りなので、木陰を見つけて伸びてしまっている。
 ラノーンやコータウンの犬猫はこごえることはないのだろうが、暑さを凌ぐのが大変そうだ。これは犬猫に限らないが…

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タイ・ラノーンとミャンマー・コータウン (4) ラノーンの温泉

Dsc_0736  ラノーン市街地から東にむかった川沿いにある温泉。
 写真左手前の湯気が出ているところや右奥の足湯は無料で温まることができる。お湯は熱めなので注意が必要だ。
 他方、左奥に傘が並んでいるその奥にはプールのような湯船があり、ここに浸かるには40バーツが必要。ぬるいお湯から熱めのお湯まで4つくらいに分かれており、気に入った湯温のところに浸かることができる。水着の持参が必要だ。ガイドブックでは両者を近くにある別々の温泉と紹介しているものもあるが、写真の通り同じ場所にあり有料・無料で分かれていると言えよう。
 このあたりは公園になっていて、川の対岸と吊り橋でつながっていて渡ることができたり、川沿いの遊歩道を散策することができる。

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2019年5月28日星期二

タイ・ラノーンとミャンマー・コータウン (3) ラノーンのナ・ラノーン家

 前回の続き。19世紀にタイ南部で商人として名を上げ、後にこの地の統治者となったのが、許泗漳を祖とする許氏一族だ。中国福建省出身の華人である許泗漳は故郷を出てペナンに向かった後ラノーンの南隣にあるバンガー県に渡来し、錫の採掘で財を成してタイ王朝から認められて官位を授けられ、ラノーンの徴税請負人から昇進しラノーン国王に封じられた。この許氏一族が20世紀に入りタイ風の姓名を名乗ることにした際に、自らの出自を明らかにするために名付けた姓が「ナ・ラノーン」である。
P5191065  その許氏、ナ・ラノーン家にまつわる展示をしているところが、ラノーンで市場や商店が並び賑わうRuangrat通りの北、店などの並びが途絶えがちになったところにある。英語だと「Residence of the Governor of Ranong」と表現され、ラノーンを統治した許氏の家の跡だということがわかる。
 昔はもっと大きな屋敷があったようだが、今はシンプルな平屋建てが残り、その中でナ・ラノーン家にまつわる展示をしている。

P5191073 P5191069  ナ・ラノーン家の末裔の方が館内におられ、流暢な英語と少しの日本語を交えて説明をしてもらった。中にはナ・ラノーン家代々の人の肖像や、昔の建物の写真などが並ぶ。写真中央の碑の如く書いて「ラノーン総督」と読むようだ。

Dsc_0724  ナ・ラノーン家は中国名の名付け方に世代でルールを設けているようだ。初代が許泗漳、二世代目は名前に「心」、三世代目は「如」…というように、世代ごとに付けるべき文字を定めている。案内してくださった方は五世代目とかで、今は八世代目「寶」(宝)の名前の人までいるとのことだ。2代目の許心美はタイ南部のゴム栽培やその行政能力で名を上げ、ラノーンの近隣各地で行政のトップを務めた。

P5191116 P5191115  前述のRuangrat通り。2階がせり出してその下が歩道になっているのは、やはり福建由来の人が多い台湾の街並みを彷彿とさせる。店の入口の上にタイ文字に加えて漢字で屋号が書いてあるのは、バンコクのヤワラートなど華人の多いエリアと共通だ。
 その街の歴史や故事を少しなりとも知ってから訪れると、見たり聞いたりしたことに対する気付きが多く得られるものだ。

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2019年5月23日星期四

タイ・ラノーンとミャンマー・コータウン (2) コータウン散策

Dsc_0674  前回の続き。入国手続を済ませ、コータウンの街をしばし散策。
 イミグレーションから延びる道の突き当たりにて。緑と青の建物や塔がが青空の下で鮮やかだ。

P5190943  海岸に程近い高台から、港や海(河口)を見下ろす。

P5190955 P5190957  コータウンの南端、この先は海というところには、海の守り神の伝説だろうか人形を祀った祠がある。

Dsc_0680 Dsc_0685  海岸から一歩裏に入った通りを歩く。文房具店には見慣れたボールの他に、セパタクローのボールが軒先に吊るされている。このコータウンでは見なかったがバンコクでも通りでセパタクローをしている人を見たので、東南アジアで盛んなスポーツとしてここコータウンでもプレイヤーが多いのだろう。

P5190984  食堂の店頭。朝からぶっかけご飯やモヒンガー等、昼や夜でも良いのでは?というくらいの食事を見ることができる。この店のメニューはタイに近いだろうか。

P5191004  長い石段を登って、ピィ・ダウ・エー・パヤー。ミャンマーの寺院は金色の外観、曲線を描く尖塔の下に仏像や仏間がありこれは先に訪れたミャンマー各地と共通であり、他方タイの寺院とは趣を全く異にしている。

P5191005  ピィ・ダウ・エー・パヤーから街並みやアンダマン海を見下ろす。

P5191009  給水車。ボンネット型の先頭が、時代を感じさせる。中国でかつてよく見たボンネット型のトラックのようだ。

P5191033 P5191034  このコータウンにはカジノがあり、そこを訪れる外国人が多いと聞く。カジノへ行く人は長居をするのだろうが、そうでなければコンパクトな街を歩くのは3時間程で充分、雨季に入りつつあるとは言えかなり暑いコータウンを後にしてラノーンへ戻る。

P5191043  戻りも40分程のボートの旅。横に見た船にがは船首に傘をさす人が乗っていて、古の中国や日本で優雅な佇まいで小舟に乗る人を彷彿とさせる。

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タイ・ラノーンとミャンマー・コータウン (1) ラノーンからコータウンへ

 タイ南部、タイ湾とアンダマン海に挟まれたマレー半島の付け根は半島の幅が狭くなっている場所であり、さらのその狭い陸地にタイとミャンマーの国境が縦に通っている。その中でもマレー半島が最も狭くなる場所の1つであるラノーン、さらに川を隔ててその対岸にあるミャンマーのコータウンを駆け足で訪れてきた。

Dsc_0622 Dsc_0623  バンコクからラノーンへは1日3便飛んでいる飛行機のほか、バスでも行くことができる。夜行バスは南ターミナル(サイタイマイ)から20時~21時の間に何便かあるようで、今回は20時30分発の1st Classのバスを予約。VIPバスが3列座席なのに対してこのバスは4列、座席のリクライニングも10°少ないのだが、意外とよく眠ることができた。
 1st classのバスは431バーツだった。

Dsc_0633Dsc_0634 およそ9時間程の道程を経て朝5時20分頃にラノーンのバスターミナルに到着。暫しベンチで休憩した後で待っているソンテウに「コータウン行きの船が出る港に行くか」どうか聞き、行くという答えだったのでこのソンテウに乗ってバスターミナルを離れる。

P5190870  10分程でコータウン行きの船が出るパクナム港 Paknam Municiple Pierに到着。朝6時に着いたのだが、出国手続きは朝7時30分からとのことにて、辺りをぶらぶらしながら待つ。

P5190865  隣は海産物市場になっていて、水揚げされた魚やエビなどが売りさばかれている。

P5190885 先にメーサイ・タチレイを訪れた時と同様、日本人であればビザなしでコータウンだけでなくその先のミャンマーに行くことができる。ただどういう訳かパスポートのコピーが2枚必要だとか、近くの商店で10バーツでコピーした。
 写真のような小さなボートに乗って、コータウンを目指す。船賃は乗合で100バーツ、1人貸切だともっと高いようだ。

P5190889 まずは狭い水路を通っていく。

P5190900 途中入管や税関と思しき施設が小島や海岸に2ヵ所あり、これらを経由していく。ここで先のパスポートコピーのうち1枚を提出する。
 施設の後ろに大きな金色の仏像があるのが印象的だ。参拝したいと言えばできるのだろうか。

P5190903  海を渡っているように見えるが、ここはアンダマン海に注ぐクラブリー川の河口付近だ。タイとミャンマーを分けるこの川の河口を、ボートは進んで行く。

P5190918  目の前にコータウンの街が見えてきた。

P5190936  小さなボートとは言え一応「国際航路」、入国手続きが必要なのだが周囲との仕切りがないところで船を降りる。入国手続き前・出国手続き後の人は自由に街を歩けず居られるエリアは限られているというのが我々が普通に考え付くところであり、例えば飛行機の国際便だと入国手続きをしなければ街に出ることはできないのだが、入国手続き前の人とコータウンの街の人達が一緒の通りを歩くというのは緩さを感じて面白い。

P5190968  その緩さに甘えず、入国手続きはきちんと行わなければならない。上写真のボートを降りたところから左に向かって歩く。入国手続き前なのに街の人と一緒の通りを歩き、普通に商店に寄り道して買い物ができてしまうのは不思議な感じだ。
 奥の緑色の建物にコータウンの人達が出国のために群がっているのだがそこではなく、さもこれからラノーンに戻るように白い建物に入って行き、その先を出たところで入国手続きだ。ここでもパスポートコピーを渡す必要がある。
 長くなったので続きは後程。

 

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2019年5月20日星期一

ワチラロンコン国王戴冠

Dsc_0566 Dsc_0569  この5月4日にワチラロンコン国王戴冠の儀式があり、その週末と1日加えて月曜日とあわせ3連休だった。タイのテレビでは5月4日はどのチャンネルも儀式の様子を切れ目なく生中継で伝えていた。期間中に王宮近くで行われたパレードには多くの市民が沿道に詰めかけたようだ。
 戴冠当日の屋外ビジョンも、テレビ同様に式典の様子を伝えていた。
 ワチラロンコン国王も父君のプミポン国王と同じく月曜日生まれということで黄色がシンボルカラー、国王にまつわる色が黄色である時代は暫く続きそうだ。戴冠を祝うように黄色の服を着ることが推奨されておりプミポン国王時代に手に入れた服を着ていた人も多いが、国王の紋章はワチラロンコン国王になり新しくなっているのでそうした人の中には紋章のバッチを新たに買い求める人も多くいたとか。
 プミポン国王の戴冠式は5月5日だったとかでこの日は2016年までタイの祝日だった。このワチラロンコン国王の戴冠日も、今年のみならず将来に渡って祝日になるのだろうか。

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2019年5月2日星期四

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (11) テレサ・テンの墓と野柳地質公園

 前回の続き。今回の旅では台湾海峡を船で渡ったが、基隆から厦門へ向かう船は日曜日の18時発。その日の午前中を使って、台北の北にあるテレサ・テンの墓(筠園)と自然が作り出した奇岩がならぶ野柳地質公園を観てきた。
 旅の始まりのことを最後に書くことになったが、その時のこともぼちぼちと。

Dsc_0095  台北からバスを乗り継ぎ、金宝山という墓地の一番ふもとにテレサ・テンの墓がある。晩年(といっても40代なのだが)に歌っている様を表した像の奥にテレサ・テンは眠っている。墓に近づくとテレサ・テンの歌が流れる仕組みになっている。私が訪れた時に流れたのは日本では歌われていなかった台湾での歌なので、没後20年以上の時を経ているにもかかわらず新鮮な気持ちで聞いた。
 昨年の4月にはテレサ・テン終焉の地となったThe Imperial Mae Ping hotelを訪れ、そして今年の4月には彼女の墓を、とここ2年の4月にはテレサ・テンに縁の地を訪れたことになる。

P4140058 P4140051  続けて訪れたのは程近いところにある野柳地質公園。地殻変動や風食などで形作られた不思議な形をした岩が並ぶ。

P4140082 P4140064 P4140089  岩だけでなく、この公園の地形を見ても長い間の自然の営みでこの野柳が形作られたのがわかる。

P4140091  木やキノコのようなものばかりでなく、亀の甲羅の形をした岩も。

P4140074  野柳地質公園あたりの海の水は、澄んでいてきれいだ。
 週末に来ている台湾の人や遠路はるばるやって来る中国や韓国の人が多かったが、中には「ヌーン・ソーン・サーン」の掛け声で写真を撮るタイの人達も。それから、園内では台湾で働いているであろうインドネシアの人達が通りの脇やベンチでシートを広げて、故郷の食事を持ち寄って歓談しているのを見かけたのも印象的だった。

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 テレサ・テンの墓(筠園)や野柳地質公園へは、台北からバスで行くことができる。台北駅北にある国光客運のバスターミナル(桃園空港行きのバス乗り場と同じところ)から、1815路のバスが金山方面へと向かう。頻度は朝昼で15~20分間隔のようだ。
 この1815路バスは空港バス同様の長距離バス仕様なので、快適に移動することができる。
 1815路バスは野柳を経由して金山、さらにその先の金山青年活動中心もしくは法鼓山行きなのだが、野柳で降りてバス停後方の道を折れ5分程歩くと、野柳地質公園に行くことができる。筠園を目指す場合は更にバスに乗り「金山」で降りるのだが、この「金山」のバス停は他のバスの「金山郵局」という名前のバス停であり、他のバスが「金山」として名乗っているバス停へは前方500メートルくらい進む必要がある。
 後者の「金山」バス停から「台湾好行」バスの「皇冠北海岸線」と名付けられている862路のマイクロバス(淡水行き)が1時間に1本出ているのでそれに乗ると筠園ぶ行くことができる。ややこしいのはやはり淡水を目指す「862路」の大型バスがあり、このバスは筠園を通らない。マイクロバスの862路に乗る必要がある。
 862路マイクロバスは頻度が多くないので、時間が合わなければ付近で客待ちしているタクシーで往復するのも良いだろう。

 金山から野柳へは、前述両方の「金山」バス停(前者は金山郵局とも)からいくつかの路線が野柳に向かっている。
 台北から金山まで1時間20分程。野柳と金山の間は15分程だ。

・交通部による「台湾好行」ウェブサイトの「皇冠北海岸線」のページ。バスの動静案内も。この路線に限らず、スマートフォンを持っていればバス停のQRコーから最新の到着・出発予定やバスがどこを走っているかわかるので便利だ。
・国光客運による1815路バスの紹介ページ。こちらにも動静案内がある。

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2019年5月1日星期三

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (番外編) エバー航空・Hello Kitty Jet

P4170860  台湾・厦門・金門島を駆け足で巡る旅を終えてバンコクへ戻る際、桃園空港の待合室の窓から見えたエバー航空のハローキティジェット(Hello Kitty Jet)。
 エバー航空は前から「キティちゃん」始めサンリオのキャラクターを機体にあしらった飛行機を飛ばしてきたが、その後種類は増えて7機が飛んでいるそうだ。キティちゃんが主役のものばかりでなく、今は「ぐでたまジェット」などというものもあるそうで、写真の飛行機も「バッドばつ丸」というキャラクターが主役の飛行機だ。

P4170861  さらにその後すぐ、別のハローキティジェットが目の前を離陸していった。短い待ち時間の間に2機も見ることができたのは面白い。

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 エバー航空による、Hello Kitty Jetのページ

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2019年4月・台湾海峡 船の旅 (10) 金門島・金城老街

 前回の続き。莒光楼から歩いて金門島の中心地である金城の街に戻り、しばし散策する。
P4160818  途中で見かけた、許允選洋楼なる建物。金城の中にもこのように歴史を感じる建物が所々にある。

 金城の街を斜めに走る、金城老街。
P4160822  老街の入口に立つ門は、邱良功母親孝坊。この地で生まれ生後すぐ父親を亡くし、母親の手で育てられた邱良功が長じて将軍となり武功を立てた後、その母親を顕彰するために建てた牌坊。

P4160825  金城老街は観光客向けばかりでなく、果物屋・八百屋・飲食店や洋服店などここに住む人にとっての商店街でもある。夕方は少し寂しめだったが、夜になるとあちこちの飲食店には人が多くやって来ていた。

Dsc_0476  老街の中程にある、清金門鎮総兵署。明代に金門島から進士になった人が勉強していた場所に、清代に軍事関係の役所を建ててその後民国期も行政の中心として使われていたそうだ。
 展示館の類としては珍しく、夜22時まで門を開けているそうだ。

Dsc_0479  総兵署の門前にある小さな飲食店で食べた広東粥。味付きのスープに具を入れて煮る広東粥が金門島の名物の1つなのだそうだ。

P4160831  総兵署を過ぎてさらに北へ。飲食店以外は寂しい感じだ。

Dsc_0485  そんな中で見つけたのが駄菓子屋。日本のそれと同じく瓶に入ったり箱詰め・袋詰めになったりした駄菓子が所狭しと並べられていた。


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2019年4月・台湾海峡 船の旅 (9) 金門島・戦跡巡り

Dsc_0441  前回の続き。金門島には島内を巡るバスツアーが4ルートあり、金城ターミナルからは午前にAルート・午後にBルート、山外ターミナルからは午前にCルート・午後にDルートというように時間と出発ターミナルで周るルートが異なってくる。今回は金城ターミナルから午後に出発するBルート、島の北西部を中心に中国との戦いの戦跡を巡るバスに参加した。写真は金城バスターミナルにあった、昔の様子を描いた絵画。

Dsc_0388 Dsc_0393  13時30分出発予定だったが、バスに乗ったと思ったら人数確認だけでその場ですぐ降りてバスターミナルの2階へ。金門島には軍事用や避難用に地下トンネルが張り巡らされており、その展示を観た後で実際に地下トンネルを歩く。地下トンネルはバスターミナルから500メートルほどのところにある金門県政府で地上に出るのだが、今でも灯りは最小限になっているところもあり暗闇に近いところを歩く場所もある。

P4160760 P4160755 P4160759  改めてバスに乗り、まず向かったのは金門和平記念公園。台湾海峡の戦いに功績があった胡璉将軍を記念して作られた公園で、到着するとまず胡璉の生涯と戦績に関するビデオを見る。園内には防空壕の跡や平和を祈念する碑文があるほか、変わったところでは金門島名産の牡蠣にまつわる展示をする建物もあり、牡蠣が美味であるのみならず殻も産業用に役立っていることなどのプレゼンテーションがある。

P4160765 P4160768  公園からすぐのところにある「北山洋楼」という建物の壁には当時の銃弾の穴がそのまま残っていて、戦闘の様子を今に伝えている。

P4160790 P4160784 P4160781  島の北西の海岸に近いところにある、古寧頭戦史館。ここで見たビデオは古寧頭の戦いで当時軍民一体となって共産党軍の金門島占領を阻止した様を紹介するとともに、この戦いのおかげで今日の台湾の発展があるのであり今後このような戦いなく平和な時代への願いを老人と子供の対話で伝えるものだった。
 ビデオと館内の展示を観た後は海岸に近づき、嘗ての最前線を眺める。

P4160803  慈湖三角堡。かつての海岸線の守りを表す戦車の向こうには、小金門島と金門島を結ぶ橋の建設現場が見える。
 国民党政権が台湾に移転したのが1949年、その年に共産党の金門島占領を防いだ古寧頭の戦いとその指揮を執った胡璉を紹介する場面が多かったのが印象的だった。

P4160811 バスツアーを終えたのは17時頃。ツアーに含まれていなかった莒光楼にも足を運んだ。金城バスターミナルから15分程のこの中国風の建築物は、見た目に比べて新しく1953年に「大陸反攻」のシンボルとして建てられたもの。台湾の列車種別にも使われている「莒光」の名は、蒋介石が唱えたという「毋忘在莒,光復大陸」のスローガンに因むものだ。
 ここでも胡璉が紹介されていて、金門島の現代史において共産党を撃退したことを重要視しているのがわかる。
 今でこそ小三通があり、嘗て行われていたという相互の挑発放送もなく平穏に過ごすことができる金門島だが、最近まで「敵」と対峙する最前線であったことを午後に周った各地は伝えてくれる。

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 金門島内のバスツアーの案内は、「台湾好行」なる交通部観光局による観光案内ウェブサイト内のこちらのページ。上述した4ルートに加え、期日限定のバスツアーもあるようだ。

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