スポーツ

2009年9月11日星期五

2009年・ポルトガル旅行(5)FC Porto VS CD Nacional

 ポルトを本拠地としているサッカーチームFCポルトは、ポルトガルの国内リーグLiga Sagresでここ4シーズン連覇を果たしている強豪である。国外においても、21世紀に入ってからUEFAチャンピオンズリーグとトヨタカップを制している。
 この日は既にあちこち歩き回ったのだが折角FCポルトの試合がある日にポルトにいるのだから見に行こうと思い、夕食もそこそこにスタジアムへと向かった。ホームスタジアムであるEstádio do Dragãoはメトロ(実際には新型の路面電車だが)のA・B・C・E線の終点になっていて交通の便も非常に良い。
 駅を出るとすぐ当日券売り場に並んでチケットを買う。sóciosファンクラブ会員とpúblico一般ではチケットの値段が違い、例えばいちばん良い席であるBancada Aでは前者が25ユーロに対して後者は40ユーロである。あと、いちばん良い席はメインスタンドやバックスタンドのグラウンドに近い場所ではなく、両者の中段くらいがいちばん良い席とされている。ピッチ全体を見渡すことができるから、ということであろうか。
 事前にuefa.comで時間を調べて1時間前に行ったつもりだったのだが、スタジアムに入ったら試合が始まろうとしているところであった。時間を見間違えたのか、uefa.comに表示されている時間は中央欧州標準時(フランスやスペインなど大陸各国の多くはGMT+1=中央欧州標準時を使っているが、ポルトガルはGMTを使っている)だったのだろうか。

Imgp5673  ホーム開幕戦ということからかサポーターが熱心で層が厚いからなのか、スタジアムは略満員だった。
 この日の相手はCD Nacional、マデイラ諸島のフンシャルを本拠地とするチームである。試合はポルトの猛攻にナシオナルが耐えつつ時折反撃を仕掛け前半は0-0という緊張感のある展開だったが、後半ポルトがPKを得た際にナシオナルの選手が一度に2人退場になってしまい、それ以降はポルトの一方的な展開になってしまった。試合は3-0でポルトの勝ち。
 FCポルトにはかつて東京ヴェルディ・コンサドーレ札幌や川崎フロンターレでプレーしたフッキが在籍しており(Hulk=ウルクと呼ばれているようだ)、FCポルトに移籍した昨シーズンに活躍して名を上げたようだが、前の試合で退場になってしまったとかでこの日は出場停止でベンチにも入っていなかった。

Imgp5677  スタジアムの通路の壁が、タイル張りの上に描かれたサッカーにまつわる絵になっているのはさすがポルトと言うべきか。

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2009年5月25日星期一

内藤大助の防衛戦・上海開催は中止

 以前拙ブログで触れた、ボクシングのWBC世界フライ級王者・内藤大助が上海で防衛戦をするという話は、手配に不備があり中止になったそうである。日刊スポーツ記事

内藤中国戦中止、相手変えず26日都内で

 プロボクシングWBC世界フライ級王者内藤大助(34=宮田)が、26日に中国・上海で予定していた5度目の防衛戦が、開催3日前の23日に急きょ日本国内に変更された。中国の現地プロモーターが、開催に必要な書類手続きをしていなかったことが発覚。26日までに準備が整わないため、内藤が所属する宮田ジム側が国内開催への変更を決断した。試合は同じ26日に都内で開催する予定で、挑戦者も同じ熊朝忠(26=中国)で調整している。
 5度目の防衛戦を3日後に控えた内藤に、前代未聞のトラブルが降り掛かった。中国入り前日の23日、急きょ開催地が中国から日本に変更された。アウェーでの防衛戦へ万全の準備を整え、25日には現地で調印式と前日計量に臨む予定だった王者にとって、まさに寝耳に水のことだった。
 内藤が所属する宮田ジムの説明によると、宮田博行会長らスタッフは試合に先駆け、21日に中国・上海入りした。その時点で、現地プロモーターに依頼していた事務的処理が滞っていることが発覚した。翌22日に同会長らが北京の国家体育総局に掛け合い、興行実現に必要な複数の手続きを完了させたものの、肝心の会場、盧湾体育館の使用許可などが間に合わなかった。土、日を挟むこともあり、試合が行われる26日までに書類をそろえるのが不可能になった。使用許可に同様の手間がかかる中国の他会場での開催も断念、ジム側がこの日になって国内での開催を決断した。現地入りしている日本ボクシングコミッションの安河内剛事務局長も「プロモーターの問題」と話した。
(以下略)

 試合3日前に上海での興行中止、代替地を探すというドタバタである。
 中国側のプロモーターがなすべきであった手配が滞っていたとかで、「中国ビジネス本」に「中方に仕事を任せていたら仕事が先に進まず失敗した」「よくある悪い例」として書かれてしまいそうな顛末である(もっとも、報道によると内藤選手の所属ジムは「監督不行き届き」を認めているようである。誰の主催興行だとか契約関係など権利義務関係が不明ですが…)。本来なら試合直前にこのような事態に陥れば試合は中止もしくは延期なのだろうが、テレビ局の都合で日程は変えられないとかで日本で同日開催の線で調整しているとのことである。かつてはそのテレビ局に「亀田大毅の引き立て役」として扱われ、今度はそのテレビ局のために中止することができないとは皮肉なものである。もし中止だったら「1ラウンドKO決着だった」と思って昔の映像、TBS系だと具志堅用高とか渡嘉敷勝男とか鬼塚勝也とかの映像でお茶を濁せばいいのに。
 この報道の後、何とか会場は都内のディファ有明に決まり対戦カードも変えずに行われるようだが、試合直前、本来ならば予備検診が行われたりするタイミングでこのトラブルでは両選手のコンディションや気持ちの持ち方に大きな影響を与えているだろう。もともと1ヶ月前に急遽決まったタイトルマッチ、開催直前によもやのドタバタである。
 ただ予定期日通りの開催と決まったからには、難しいだろうが与えられた条件の中で、選手のみならず関係者が皆ベストを尽くして欲しいと期待するのみである。

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2009年5月2日星期六

内藤大助、上海で防衛戦

 ボクシングのWBCフライ級王者・内藤大助が、5月26日に中国人の挑戦者を相手に上海で防衛戦を行うとか。スポーツ報知記事

内藤「暴れてやるぞ」…WBC世界フライ級

 プロボクシングWBC世界フライ級王者の内藤大助(34)=宮田=が5月26日に上海で、同級14位の熊朝忠(26)=中国=の挑戦を受けることが23日、所属ジムから発表された。
 記者会見した内藤は、5度目の防衛戦に向けて「敵地で思い切り暴れてやるぞ、という気持ち」と意気込みを語った。日本人世界王者が海外で防衛戦に臨むのは、1985年に韓国でWBC世界ジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)王座を防衛した渡辺二郎以来となる。
 所属ジムの宮田博行会長によると、熊朝忠は小柄ながら、強打が持ち味の右ボクサーファイター。実際に試合を見た同会長は「威圧感があって脅威を感じる」と警戒した。

 この前後に成都でWBCの総会が開かれるとかで、中国でのタイトルマッチはこれにあわせた開催とのことである。
 内藤選手が所属する宮田ジムプレスリリースによると、このタイトルマッチに加えて女子の東洋タイトルマッチ2試合に日本人選手が出場するようである。場所は「源深体育中心」だとか。浦東にある体育館である。
 このプレスリリースでは上海での世界戦は初めてと触れている。もっとも戦前には上海でボクシングが行われていたと史料にはあるが、中国での世界戦自体少ないのだが北京で行われた「中国で久々のタイトルマッチ」を1993年に旅行中にテレビで観たしその後も何度か中国でのボクシング興行は報じられてはいるが、上海では初めてというのは意外である。
 開催1ヶ月前の決定、敵地しかも中国での試合、無名かつランキング下位の挑戦者、で番狂わせを心配してしまうが、しっかりと調整してそんな心配を吹き飛ばす試合を、そして内藤選手自身がキャッチフレーズとして使う「国民の期待」に相応しい試合を期待したい。

(追記:5月25日)残念ながらこの興行は現地の手配が整わず中止、防衛戦は東京で開催だとか。

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2008年8月26日星期二

足球決賽@鳥の巣

Imgp1615
Imgp1561  先述の通り、北京五輪男子サッカー決勝、アルゼンチンv.s.ナイジェリアを観戦してきた。そのときの様子をぼちぼちとアップ。






Img_0121

 入場するにはセキュリティーチェックを受けないといけない。地下鉄の駅や天安門広場のような主要な場所に入るにはどこでもセキュリティーチェックを受けなければならなかったので慣れていたのだが、鞄の中に入れていたカメラを指差して、「写真を撮る目的で持ち込むのであれば持ち込んでよろしい」と言われたのには驚いた。それ以外にカメラを持ち込む目的はないだろう。撮影禁止とか言われるのかと思ったところそうではなかったのだが、カメラ型の爆弾かバズーカ砲が世の中にあるのだろうか。
Imgp1589  植え込みの灯かりも「鳥の巣」仕様である。








Imgp1676_2  試合開始30分前に場内に入った。
 飲み物を買おうと思って売り場に並んだ。さほど行列も長くなかったのですぐ買えるだろうと思ったのだが、売り場の人たちの動きが悪いのか随分と時間がかかり、席に着いたのは試合開始間際だった。もっとも、時間がかかった要因の1つとして、前に並んでいた日本人が一旦注文を済ませた後で、「やっぱりコーラ追加」とか連れに「飲み物いくつ頼めばいい?」と聞くとかやっていたのが挙げられることも付記しておく。日本サッカーと同様に、「決定力」が大切であり、「決定力不足」はトラブルのもとである。
 会場に掲げられている国旗は、開会式の入場順=中国語表記の1文字目の画数順であった。

Imgp1650  キックオフ時には空席も目立ち、入場券を手にしても来ない人が多いのかと思ったが、前半のあいだに続々と入場してきて、9割くらいの入りであったといえよう。入場者は8万9千人余りとのアナウンスがあった。
 ナイジェリアの応援団が民族音楽と思しき音楽がずっと打ち鳴らす中、中立な立場の観客が多い会場では時には好プレーに沸いたり唸ったり、遅延行為にブーイングをしたりといった感じで時間が流れていった。

Imgp1640  ハーフタイム時に、北京五輪のキャラクターとチアガールが場内一周してパフォーマンスを披露していた。






Imgp1668  試合は後半にアルゼンチンが決めた1点を守りきり、金メダル獲得。アルゼンチンの選手はよほど嬉しかったのか、試合終了後は手をつなぎ輪になってのダンスだったし、しばらくベンチ前で歓喜のジャンプをしていた。さらに表彰式でも銅メダル授与の直前までジャンプを繰り返していた。
 ナイジェリアは前半は「そんなトラップあり?」というほどの躍動感のある動きを見せていたのだが、後半疲れからかそういった動きが少なくなったと思った。とは言え両チームとも良い守備を見せ、それを打ち破ろうと攻撃をするという試合運びで、ゴールキーパーによるファインセーブも含めて引き締まった良い試合であったといえよう。

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2008年8月24日星期日

北京五輪・最終日に想う

Imgp1577_2  北京五輪も今日が閉会式、テレビでは閉会式の様子を中継している。

 日本選手の活躍ということで言えば、女子球技の躍進が目立つ。ソフトボールの金メダル、そして女子サッカーのベスト4である。
 私が中学1年生の時の担任の先生はソフトボール部の顧問で、クラスにも入学後ソフトボール部を選んだ同級生がいた。出身中学の
ソフトボール部は女子部しかなかったが部員もそこそこいたし、少なからぬ中学にソフトボール部があったと思う。当時はソフトボールは五輪種目ではなかったが、みんな日々夢中になれるものは何かと思ってソフトボール部を選んだのだろう。
 ソフトボールが五輪種目になったのは1996年のアトランタオリンピックから、ソフトボールを選んだ同級生が20代も半ばの頃である。ソフトボールは次回2012年のロンドン五輪からは開催されなくなることから、今回の金メダルを「有終の美」と報道する向きもあった。しかし他方で、「ソフトボールは終わらない」と配信する記事を見つけた。五輪種目であろうがなかろうが、日本のあちこちでソフトボールを頑張る人たちがいるのだ。今回ソフトボールのメンバーに入った坂井選手は一度引退しながら、「私の夢は五輪に出ること」と話した中学生の話に刺激を受けて現役復帰をしたと聞く。さらに、ソフトボールには男子選手もいる。
 一時五輪種目ではなくなっても、「ソフトボールは続く」のである。
 女子サッカー、私の知人にはサッカーをたしなんだ女性はいないし私の生徒・学生時代には「女子サッカー部」というのを見たことがなかったのだが、今や私の母校(H送大学ではない、出身高校にも)にも女子サッカー部があると聞く。先駆者の努力の賜だろう。今回の五輪メンバーやバックアップメンバーは、先駆者と言える人たちや先駆者に薫陶を受けて北京の舞台に立った選手なのだろう。

*****

 北京へ行き、「鳥の巣」こと国家体育場で男子サッカー決勝を見てきました。その際に見た北京の様子は別途。
 今回の五輪、日本選手団ということで言えば前述の女子球技の活躍とともに、2連覇を果たした選手の活躍が目立った。他方、今大会がピークという選手は少なかったように思うが、次回五輪までに五輪のみならずスポーツ界で活躍しそうな新しい選手の活躍も目にできたと思う。
 あと、長らくその世界で第一人者として活躍してきて、ここでメダルを獲ってもらいたいと思う人がメダルを獲ることができたのが良かったと思う。レスリングの浜口選手とか、陸上の朝原選手とか。
 実力からして出場枠を得るのがやっとという種目でも、やはり4年に一度最高峰と目され注目される舞台に立った人たちはいい経験をしただろうし、羨ましくも思う。やはり五輪は4年に一度の「世界一のスポーツのイベント」だと思うし、我々も楽しむことができるスポーツイベントだと思う。

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2008年8月16日星期六

北京五輪・折り返しに想う

 北京五輪、開会式から8日が経った。閉会式までの残り日数もあと8日なので、日程も折り返しと言えるだろう。

 開会式で、中国の各民族の民族衣装を着て中国国旗を持って場内に入ってきた子どもたちの多くが漢族の子どもであったことが伝えられている。その画面を生中継で見たときに、少数民族だと一目でわかる顔立ちの子どもが少ないような気がしたのだがそのときは遠目からだったし厳密にやってはいないのかもしれないと思ったが、1週間経ってその中身が明らかになり問題視されている。
 この北京五輪の開会式は、中国の国家体制や最近の中国を巡る状況からすると国威発揚色が強くなるのではと言われていたし私もそう思った。更に中国の体制に批判的に考える人たちの中にはこのオリンピックを1936年のベルリン五輪(当時のドイツの政治体制は…)に擬える向きもあった。しかし、実際に蓋を開けてみると言われるほどには国威発揚色が少ない開会式だったと思う。その中で数少ない「中華人民共和国」のアピールである国旗入場と掲揚に、フェイクがあったということである。逆に言えばフェイクをしてでも「五星紅旗と中国の各民族を結びつける」、ひいては「五星紅旗の下での民族共存」をアピールしたい」ということになる。だとすれば、こだわりどころを間違えており、やはりそういうやり方は如何なものか、ということになる。
 ロイター記事では、「中国の56の民族グループから56人の子どもが中国国旗を取り囲み、56の民族を表す」とプレスに示されていたという。原文がわからないが、「『各民族の子ども』とは言っていないでしょ」と開き直る余地があるということだろうか。
 こだわりを持つのであれば各民族から1人ずつ子どもを集めてくることは可能だっただろうが、国内各民族の存在とその「五星紅旗下での共存」をお手軽にアピールしたかった、ということか。もっとも、我々が思うほどには開会式にメッセージ性を込めようとはおもっておらず、単なる手抜きなのかもしれないが…
 選手入場の直前に、フィールドで各民族の民族音楽の演奏や民族舞踊が展開されていたが、あれはどうだったのだろうか。

「中国の56の民族グループから56人の子どもが中国国旗を取り囲み、56の民族を表す」五輪=開会式でまた問題、民族衣装の子供も「やらせ」
2008年 08月 15日 17:19 JST

 [北京 15日 ロイター] 北京五輪組織委員会(BOCOG)は15日、8日の開会式で中国各地のさまざまな民族衣装を着た子どもたちが行ったパフォーマンスについて、実際には民族衣装と子どもの出身地に関係がなかったことを認めた。
 同開会式ではこれまで、花火などの映像の一部が事前に制作された合成だったほか、歌の場面に登場した少女が本当の歌い手でなく「口パク」だったことも明らかになっている。
 BOCOGの王偉副会長は「中国の演者が異なる民族の異なる衣装を着るのはよくあること。特別なことではない」とコメント。「彼らは人々が友好的で共に幸せであることを象徴するために違う衣装を着るだろう」と釈明した。
 民族衣装を着ていた子どもたちは、子役の少年少女などが所属する銀河少年電視芸術団の団員と伝えられている。しかし、開会式に関するメディア向け資料では「中国の56の民族グループから56人の子どもが中国国旗を取り囲み、56の民族を表す」と説明されていた。

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2008年8月9日星期六

北京五輪・開会式

 北京五輪、開会式の日になった。サッカーなどもう始まっている種目もあるが、開会式を見るとやはりオリンピックが始まったという気分になる。
 紙の発明など中国による「歴史的偉業」にちなんだパフォーマンスが進んでいったが、いちばん最初の打楽器のパフォーマンスが「朋遠方より来たるあり 亦楽しからずや」という孔子の言葉をテーマにしているとかで、まず来客に敬意を表してからお国自慢、順番を間違えていない。
 始まって短い時間で五星紅旗が入場してきて、国歌とともに国旗掲揚になったのを見たときには「やはり国威発揚色が強い開会式になるのか」と思ったが、その後のお国自慢のパフォーマンスはそうでもなく、ショーとして楽しめるものだったと思う。活字の発明や紙の発明を織り込んだパフォーマンスは見応えがあったと思う。
 フィールド内にびっしりと人が集まってのパフォーマンス、この開会式の演出を担当した張芸謀が撮影した映画『黄色い大地』だったと思うが大勢の人が太鼓を叩きながら迫り来る場面を思い出した。

 選手入場、今回は中国語の表記で1文字目の画数順に入場であり、いつも最初に入場するギリシャの次は几内亚=ギニアだった。次にどの国が入場するのか予想がつかない。
 香港は「中国香港」の名前で入場。澳门=マカオは?と思ったが、マカオオリンピック委員会はIOC非公認とかで、オリンピックには独自の名前では参加できないのだそうである。「中華台北」の名前で入場してきた台湾選手団にも盛大な拍手が送られていた。
 毎回のことながら、普段はあまり名前を聞くことがない国の代表に目が行く。テレビでの放送で彼らを見ることは少ないのだが頑張って欲しいと思うとともに、これらの国や地域のことを知りたくなってくる。
 ニカラグアのアレクシス・アルゲリョ、フィリピンのマニー・パッキャオと、何故にプロボクサー・元プロボクサーが旗手なのだろう。いずれも世界王者経験者であり「国の英雄」ということなのだろうが、ちょっと違和感があった。

 聖火リレーの最終走者(というか点火者)は李寧。数日前に拙ブログで触れたばかりなのでちょっと驚いた。かつてのオリンピックのヒーローとしての名前はやはり健在ということか。

 中国は「和諧社会」を唱えるもなかなかうまくいっていないなど国を治めるに難しい局面にあり、さらに四川大地震の後ということもあり、この開会式は国威発揚が前面に出るのではないかと思ったが、そうした色は少なく「普通の」開会式だったと思う。「スポーツの祭典の開会式」であるというところは、はずしていなかったと感じた。

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2008年8月2日星期六

李寧

 いよいよ北京五輪まで1週間を切った。
 昨日の日本経済新聞に、ロスアンゼルス五輪体操金メダリスト・李寧が興したスポーツ用品メーカーのことが書いてあった。
 李寧、前述の通りロスアンゼルス五輪で3つの金メダルを獲得した、中国では有名人である。引退後、その知名度を活かし自分の名前をブランドにしたスポーツ用品店、李寧(LI-NING)を立ち上げた。私も学生時代、中国旅行中に李寧の店を北京で見つけ、物珍しさからスウェットを買ってしばらく着ていたことがあった。
 日経の記事では、売上高がここ4年で3.4倍に成長し、北京だけで50店、中国全土に5,600店舗があること、1日に3店舗出店するベースで増えていることが触れられていた。学生時代は北京の王府井だったと思うが店を出し始めたばかりの頃で、まだスポーツ用品の市場も小さかった頃であったがそれに比べると格段の違いである。
 私が上海にいた頃に何かで李寧に触れた記事を読んだことがあるのだが、それには李寧は外資のアディダスやナイキとの競争や差別化に失敗し苦戦していると書かれていたと記憶している。確かに当時デパートの中には外国系のスポーツ用品は置いてあったが「李寧牌」(李寧ブランド)のものはなく、量販店に行くとそれこそブランドのついていないものか無名のブランドのものばかりで李寧牌の商品はその店舗以外では見かけなかった。さらにその店もあまり人が入っているようには見えなかったが、北京五輪を機に流れが変わったのだろうか、あるいは取材に対して景気のいいことを広報担当者が言っているのだろうか。
Img_2142 写真は上海・四川北路にて、李寧ブランドの店。見かけるのはこのような小規模の店舗だったが、似たような店が前述の通り「1日3店舗のペースで」増えているのだろうか。
 日経の記事にも触れられていた、ナイキに似たロゴマークと、アディダスの「Impossible is nothing(没有不可能)」の向こうを張った?「Anything is possible(一切皆都可能)」のキャッチフレーズが店頭に見える。淮海中路にも店があるのを見たことがあるが、中国全土で5,600店舗とのことなので上海だけでももっとあちこちにあるのだろう。

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2008年4月29日星期二

大きな玉ねぎの下で

Img_4560 初夏の陽気を思わせる祝日の午後、日本武道館へ行ってきた。
Img_4549 Img_4551Img_4552Img_4553  今回は飯田橋駅から目白通りを南に下って九段下にある日本武道館を目指したのだが、目白通りの歩道にはかつて何があったかを示す石碑が建っていた。歩いていて見つけた順番に左から東京農業大学開校の地、徽章業発祥の地、北辰社牧場跡、東京女子医科大学発祥の地。明治時代この地に牧場があったとは驚きである。

Img_4555  靖国通りとの交差点には、第2次大戦中・戦後から昭和30年頃までの暮らしぶりを伝える昭和館が建っている。今日は「昭和の日」だったからか、入場料が無料になっていた。館内には寄贈を受けた、当時の様子を伝える家具や身の回りの品、ポスターや手紙が展示されている。

Img_4556  昭和館の下に、「蕃書調所跡」の碑を見つけることができた。江戸時代末期の1854年に海外事情を調査するために設立された蕃書調所、某「町内会」関係者にとってはかつての学舎のルーツともいえる。

 この日、日本武道館では柔道の全日本選手権が行われていた。日本武道館に近づくといかにもという感じの体格をした、学生服やブレザー姿の学生と思しき人達がたくさん歩いていたし、観戦に向かう学生以外の人達の中にも腕が太い人や体格のいい人が目に付いた(勿論皆がそうだというわけではないが)。

Img_4557  爆風スランプの1989年のヒット曲に『大きな玉ねぎの下で』(作詞:サンプラザ中野)という歌がある。この「大きな玉ねぎ」、武道館の建物の全景を「玉ねぎ」に例えたのかとずっと思っていたが、「玉ねぎ」は武道館の屋根に乗っている飾り、擬宝珠(きぼし)を意味するらしいですね。
 この歌はペンフレンドと「大きな玉ねぎの下で」会おうと彼女を武道館でのコンサートに誘ったけれども結局会うことができなかった男性の気持ちを歌った歌である。もっとも、私には武道館にはそんな思い出はなく、柔道の試合(しかも全日本選手権のような大きな試合ではなく、いろいろな大会の東京都予選)の思い出ばかりである・・・何しろ、ここは「武道館」である。

 その「大きな玉ねぎの下で」柔道日本一を決める戦いが行われ、100キロ超級の五輪代表が決まった。当たり前だが、重量級でも皆技や動きが素早いですね。決勝戦で残り2秒で寝技を返した鈴木選手、負けはしたが決して諦めない精神を感じた。

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2008年2月12日星期二

「満足できる人生」

 前回『情熱大陸』で取り上げられた福田健二選手のことについて書いたが、彼と小学校・中学校・高校とずっとチームメイトで、やはり彼と同様に世界各地のリーグでプレーしてきたサッカー選手がいる。現在東京ヴェルディに所属する廣山望選手がその人である。ここ3年余りはJリーグでプレーしているが、その前はパラグアイ-ブラジル-ポルトガル-フランスと海外にプレーの場を求めていた。
 彼が約3年前、日本に戻って暫くしてから応じたインタビューが、Jリーグ選手協会のウェブサイトに載っている(1)(2)(3)。その中で彼が海外移籍の動機を述べたくだりが気になった。

 中田英寿の成功以来、日本の多くのサッカー選手が海外でのプレーを希望する。「職業として成功し、多額の年俸を得る」廣山にもそういった選手たちと同様に、サッカーで成功したいという夢があった。ただ彼には「島国的な日本から飛び出して日々を暮らしてみたい」という、生活としてのシンプルな希望もあったという。

「もちろん、サッカーで成功したいという気持ちはありました。サッカー選手ですからね。だけど、それと同じくらい日本という鎖国的なところから飛び出して、世界で生活してみたいという欲求が僕にはあったんです。世界で起こっている出来事に――例えばイスラエルとパレスチナの問題とか――非常に興味があったんです。でも、日本にいるとそういう問題がニュースで流れていても、テレビの中だけの話のように感じてしまう。そんな非現実的な感覚がありますよね。どんな大きなニュースでも他人事みたいに思えてしまう。これはまずいなと思った」

 ずっと前に、彼が海外移籍をした頃にどこかの新聞でもやはり同じことが書かれていたのを目にした記憶がある。別にどこかのチームのコアなサポーターでもなく、Jリーグの試合をスタジアムで見たことがない私でも、この言葉がとても気になった。私はある時期中東研究をしている師匠に師事していた時期があり、だから目に留まったのかもしれない。
 日本にいても意識すれば彼が言う「イスラエルやパレスチナの問題」に代表される「世の中の出来事」を「他人事」ではなく我が事として捉えることは可能だと思う。しかし、前回も書いたがプロサッカーの世界はシビアであり、結果が出ないと戦力外通告が待っている。そうした中では、サッカーにより力を注ぎ生き残っていくという選択をとる人も多かろう。しかし、世界で起こっている出来事を他人事として捕らえている自分に危機感を抱いたことを海外移籍の動機として挙げたことが、とても驚きを持って目に入ってきた。

 彼が海外リーグを渡り歩いていた頃に密着した本『此処ではない、何処かへ―広山望の挑戦』にはこういうくだりがある。

「有能な日本人選手は世界中に散らばっていく。(中略)そうした意味で、広山は特別な存在ではない。
 ただ、広山が少し違うのは、国外のクラブに移って良質なサッカーをすることに加えて、自分が満足できる人生を送ることにこだわったことだ。日本代表や年俸よりもそれを優先し、迂回することさえも厭わなかった。そこに同時代の一人の人間の姿を僕は見るようになっていた。」(p.241-242)

 実際にはチャンスがあれば日本代表に選ばれたほうがいいだろうし、年俸は高いほうがいいだろう。大事なのはそれに加えてそうした条件を取捨選択し惑わされることなく「自分が満足できる人生を送ること」であり、そしてこれはなかなか難しいことだと思う。

 私も「イスラエルとパレスチナ」に示されているような社会とのつながりなり世の中や街への視点なりをなくすことなく、満足できる人生を生きられるように日々励みたいものだ。

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2008年2月11日星期一

その街を好きになること

 日付では昨日になってしまうが、夜TBSの『情熱大陸』においてスペインのリーガ・エスパニョーラ2部でプレーするサッカー選手・福田健二選手を取り上げていた。
 去年スペインを旅行したときに彼が出た試合を見た。そのとき彼はヌマンシアに所属しており、年間10ゴールを決めその年に地元メディアが選ぶチーム最優秀選手に選ばれた。私が見た試合でもゴールを決めていた。よく報道される日本人選手の海外移籍に隠れてこそいるがいつも自らの実力で契約を勝ち取り、今シーズンはカナリア諸島のUDラス・パルマスに移籍したが、怪我もあり思うような結果が出せていないようだ。番組では結果を出せないことに対する周囲の厳しさと本人が感じているもどかしさを主に取り上げているようであった。
  番組でも少し触れられていた幼少期の生い立ち、そして彼に遺された「好きなサッカーで/世界に胸を張れる/選手になって下さい」という3行の言葉についてはNumberで取り上げられ(ここで見ることができる)、またそれにヌマンシア在籍時の生き方を主に家族とともにスペインを渡り歩く様子を書き加えた本が最近出ている。

 そんな福田選手が2年前(前々所属チーム・カステリョンを退団した頃)に応じたインタビューがある(1)(2)(3)。その中で「日本人選手が海外で活躍するために必要なこと」という問いに対して彼はこう答えている。

「そこの街を好きになることでしょうね。例えば、その街の1つの建物を見て、良い建物だなと思えばそう見えてくると思うんです。1つを悲観的に見てしまうと、そこからすべてを悲観するようなことにもなりかねない。その街の人や文化を含めて好きになることが必要なんだと思います」

 海外に限らずまたサッカーに限らず、我々はある街に身を置きつつ仕事なり学問なりと生活を営むわけである。リタイアした人だとより街を意識することが多いかもしれない。
 他方、仕事でうまくいかないこともあろう。今の福田選手もそうした感覚を持っているかもしれない。また転勤などの際に、その街に身を置くこと自体が本位ではない、と感じる人もいるだろう。
 良いことも悪いこともある、愉快なときもそうでないときもある日常において、周りの暗部に目を向けるのか良いところに目を向けるのかでは心の持ち方が明らかに違ってくる。うまくいかないときに酒を飲みながら愚痴るだけで終わるのか(前も書いたかもしれないが、前任地の日本飯屋ではそういう人を少なからず見かけた)あるいは気に入った風景を見つけて気分を新たに挑むのとではその後の結果も違ってくるだろうし、日々の心の持ち方も違ってくるだろう。

 前述の『情熱大陸』ではむしろサッカー一筋という取り上げられ方をしていた福田選手だが、そんな彼が活躍するために必要なこととして「その街を好きになること」としているのは含蓄に富んだことだと思う。「その街を好きになる」というのは、そこにずっと住み続ける場合だけのことではないのだ。

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2007年9月25日星期二

おすもう

 ヨーロッパの話題から一転、相撲の話題に。先日、20年以上振りに大相撲を見に行った。

Img_3651  思い出してみれば昔見に行ったときは蔵前国技館だったので、両国国技館に入るのは初めてである。日本武道館には何度も足を運んだのだが(あそこは「武道」館なので)、両国国技館には意外にもこれまで入ったことがなかったのである。

Img_3704  この日は晴天。青空の下、幟が美しくたなびいている。




Img_3705  幟の中には話題の東国原英夫知事から式守伊之助に贈ったものもある。現・式守伊之助は宮崎県出身。



Img_3671  国技館内には相撲教習所がある。普段はここで新弟子が相撲の基礎や歴史・書道などを一定期間学ぶのだが、本場所中はここでちゃんこを振舞っている。1日2回、先着順でのサービスである。


Img_3675  この日は塩ちゃんこ。1杯200円である。




 ちゃんこを戴いた相撲教習所は前述の通り相撲に関する教育施設であり、所内には土俵があったり(入れないが)、「力士修業心得」が貼られたりしている。それとともに相撲協会に属する全親方の写真が並んでいて私もそれを見ていたのだが、前にいた女性が角界の松平健(または「角界の暴れん坊将軍」)の写真を見て「うわぁ~、やっぱりかっこいい~」と連れの男性に言っていたり、佐ノ山親方と西岩親方の写真が(要は闘牙隆の鶴の写真が)隣あわせに並んでいるのを見て「引退しても一緒でよかったね」と言ったりしたのには思わずウケてしまった。

Img_3757 Img_3758  ちゃんこだけでは足りず、弁当を買うことに。「高見盛弁当」「栃東弁当」(もう引退しているが)など力士の名前がついた「力士弁当」7種類があるのだが、今回は休場中ながら「魁皇弁当」を選択。高菜ごはんや焼き明太子、明太子ポテトサラダなど魁皇の出身地である福岡県にちなんだものだとか。カド番を乗り越えてこの弁当が長い間供されることを願いたい。
 この「力士弁当」、「白鵬弁当」や「琴欧州弁当」もあるのだが、モンゴル料理やブルガリア料理というわけではなく普通の?弁当のようだ。。あと「朝青龍弁当」がなくおしながきにもなかったが、もともとなかったのかあるいは今回の一件でなくなってしまったのか。

 土俵の写真はアップして良いのかわからないので(できれば「写真は真実を伝えるか?」のようなネタをやってみたかったのだが)アップせず。三段目・幕下では知っている力士の取組があまりなく、幕内でも北桜や普天王や栃煌山や千代大海や琴欧州は負けてしまったのだが、取組を見て以下気付いたことを。

・三段目の取組。250キロあるといわれる大露羅の取組を見たが、立ち合いというよりただ立ち上がるだけで踏み込みが全くなし。小錦はもっと前に出ていたと思う。
・同じく三段目。勝った力士がその瞬間「うしっ!!」と声を上げてガッツポーズ。勝ち越しだったのだろうかよほど嬉しかったようで3度「うしっ!!」と言っていた。
・幕下以下の取的でも、部屋のブログを書いていたりして名が知れている力士には割と大きな声援が飛んでいた。(追記:この力士、東桜山はこの一番を最後に引退したのだとか)
・十両の力士が国技館入りするときに周りでファンが声を掛けたりするのだが、関取が通る度に「あいつは北桜の弟」「あいつは欧州勢で一番若い」と親切に解説してくれるおじさんがいた。
・この日は高見盛は「しょんぼり」の日。その後出てきた豊真将の勝ちっぷりに高見盛並みの声援。やはり勝利で声援を掴まないと。

 館内にいた親方のほうにもかつてテレビで見た顔が多く、「うゎ、有名人多いな~」という気になる(本場所だから当たり前か)。前述の「角界の松平健」こと立浪親方や音羽山親方(元貴ノ浪)を館内で見たし、審判委員の名前にもかつて活躍した親方が見え、土俵の外にむしろ馴染みを感じてしまう。現役力士は皆若いからなぁ(当たり前か)。
 この日は皇太子殿下ご一家もご来場。もっとも、幕内後半だけのご観戦だった。愛子さまのお目にとまるためには幕内後半で取れるように頑張らないと。

 今場所は白鵬が優勝し、隆乃若が引退。そんな場所のある1日。

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2007年9月11日星期二

FIFA2007中国女足世界杯

20070424113_6



 昨日(10日)から、女子サッカーのワールドカップ(FIFA2007中国女足世界杯)が中国で開かれており、天津・上海・成都・武漢・杭州の5都市で試合が行われる。日本は今日初戦を戦い、イングランドと2-2のドローだったとのことである。

 メキシコまで行って激闘の末出場権を勝ち取ったのは聞いていたが、その割には日本では本戦のメディアでの扱いが今ひとつな気がする。
 これは私が上海にいた頃でも同様で、来年の北京五輪はさておき来月やはり上海で開かれるスペシャルオリンピック(世界夏季特殊奥林匹克运动会)は街のあちこちで宣伝しており、バス・タクシーの中やバス停で宣伝していたり学校にもそれを意識した啓蒙が書かれていたりしたのだが、女子W杯が中国で開かれることは今年になって街を歩いているときに宣伝を見て初めて知った。
 写真は今年4月、上海・虹口地区の四平路にて。上海での会場が虹口足球場だから虹口で宣伝を見かけたのだろうか、上海の他のところでは気がつかなかった。
20070424111  やはり四平路にて。上海で市民のマナーを向上させるのに「办特奥,迎世博,做可爱的上海人」などと上海で開かれるイベントに絡めてそれらのホストとして相応しい上海人になろうと呼びかけるスローガンが掲げられるが、ここでも女子サッカーW杯をマナー向上の呼びかけに結び付けていた。

 この後日本代表は14日にやはり上海・虹口足球場でアルゼンチンと、17日に杭州でドイツと試合を行うとのこと。上海・杭州での健闘を期待したい。

*FIFAによる女子W杯のウェブサイト 英語/中国語
*日本サッカー協会による女子W杯のウェブサイト

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2007年3月3日星期六

2007年春節@西班牙(4)-サッカー観戦 ヌマンシアv.s.マラガ-

 前回の続き。
 私のソリア滞在日(2月18日)にスペインサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの2部(セグンダ・ディビシオン)の試合がここで行われた。実はソリア行きの目当ての1つがこれであり、チケットがどこでどうやって手に入れられるのかわからなかったが先述の観光事務所で聞くと「スタジアムに行って試合前に買ったらいい」とのこと。満員札止め、ということはないのだろうか。
 試合開始が17時からとのことで、ソリアの街をあちこち巡った後16時頃に再び鉄道の駅の方角に向かって歩き、スタジアムを目指した。途中で進路を左にとると、スタジアムへ着くことができる。
 (ゴール裏ではない)メインスタンドかバックスタンドの席が欲しかったが言葉がわからないので、スタジアムの絵を描いて「ここ」というようにアピールしたら、26ユーロの席とのこと。チケットに書いてある入り口へ行き中に入ると、そこはバックスタンドだった。ちなみにVIP席というのが50ユーロ、「Tributa Preferente」という席が32ユーロ、そして「Tributa General」26ユーロ、それより廉価な席として「Fontos」と「Aficion Visitante」がそれぞれ21ユーロであった。

 ここソリアをホームとするチームはClub Deportivo Numancia de Soria、ヌマンシアと呼ばれるチームである。郊外にある遺跡の名前と同じである。数年前には1部(プリメーラ・ディビシオン)に昇格したこともある。
 そしてこのヌマンシアには日本人選手が在籍している。福田健二選手、日本では名古屋グランパスエイト・FC東京・ベガルタ仙台でプレーした後活躍の場を海外に求め、2004年からパラグアイ・メキシコでプレーした後2005年末からスペインでプレー。ヌマンシアはスペインの2チーム目で、今シーズンから在籍している。
 今日のヌマンシアの対戦相手はMálaga Club de Fútbol、マラガである。アンダルシアにあるマラガを本拠地とするチームであり、昨年まで1部にいたチームである。マラガには2003年末に行ったことがありこちらもいいところであるが、今日はアウェーに乗り込んでのプレーである。

Imgp0151 Imgp0157  スタジアムにあったヌマンシアのエンブレムと、試合開始前のゴール裏の様子。試合開始までにもっと人は入り、9,500人収容のスタジアムでメーンスタンド・バックスタンドは7割の入り(屋根のあるところは満席だったが直前まで雨がぱらついていたためグラウンドに近い席は売らなかったようだ)、ゴール裏はもっと入っていただろうか。私が座っていたバックスタンドの周りを見ると、結構客の年齢層が高い。街のおじさん、おばさんといった風情の人がたくさんいるし、観戦している中でユニフォームを着て応援している人はわずかである。特にメインスタンド・バックスタンドは殆どが普段着の人達であった。これが、「街に自然にサッカーチームがある」ということであろうか。Wikipediaの記事によるとソリアは人口約37,200人とのことだから、9,500人収容のスタジアムに7割の入りとしても街のかなりの人がサッカーを見に来ていることになる。
 で、試合であるが、何と福田選手がゴール!!  開始20分過ぎであっただろうか、相手選手が数人いる場所から福田選手が右足でシュートを放つと、そのままボールはゴールへ(ん~、『龍時』の野沢先生とは表現力が月とスッポンだな)。それまではヌマンシアのシュートは枠の外に飛んでおり、むしろマラガのシュートの方が枠を捉えていた感があっただけに、点が入るときはあっけなく入るものである。これが味方のゴールであれば嬉しく、敵のゴールであれば落胆ものなのである。スタジアムは大歓声で、周りの観客の何人かが何故か私に握手を求めてきた。
 スタジアムの9割以上がヌマンシアの応援である。『龍時』に書かれていた、ゴールを惜しくも外したときの「ウィー」という声援も実際にスタジアムで聞いてみてわかった。あとバックスタンド側の線審が、マラガボールがラインを割っている(ように見えた)にもかかわらず流したり、ヌマンシアボールがラインを割っていない(ように見えた)にもかかわらずプレーを止めたりとマラガ寄りの判定が多く、その度にバックスタンドの人達は立ち上がってブーイングであった。
 福田選手、後半にもヘディングでゴールを割ったが惜しくも直前にファールだかオフサイドだかでゴールならず。とても調子が良さそうであった。イエローカードを受けたこともあり、後半途中で交代であったがこの日の試合の立役者であろう。

Img_0151  試合はヌマンシアが後半終了間際にもPKを決め、2-0でヌマンシア勝利。スタジアムで勝利の余韻を味わうことなく皆さっさと帰るのはちょっと意外である。スタジアムから街中へ戻る道は大混雑であるが、これから家で、あるいはパルで試合の話をするのだろうか。
 やはり福田選手のゴールを見ることが出来たのはとても大きい。見に行った日にゴールが決まるというのはとても嬉しいことだ。
 あと、スタンドが普通の街の人といった風情の人で埋まり、チームに声援を送っているのも印象的であった。前述の通り3万7千人の街で9,500人収容のスタジアムがそこそこ埋まるのだし、街の人が週末の楽しみでスタンドに足を運び、わが街のチームを応援しているという感じである。街にサッカーが、チームが根付いているのを感じる。更に、人口3万7千人の街にリーガ・エスパニョーラ2部のチーム、しかもかつては1部にもいたことがあるチームがあるところに、スペインサッカーの底力も感じた。
 他方、環境の厳しさも感じた。スタジアムに向かって歩いていっても直前までその雰囲気は感じられず。そのスタジアムは収容人数9,500人の小さなスタジアムであり、某国のチェアマンなら「Jリーグ加盟は認められん」と言い出しそうな規模である(リーグ名を書いてしまったが)。世界最高峰にあるサッカーリーグの2部のチームが、しかも1部在籍歴があるチームがこのグラウンドをホームとして戦い、しかも今季は上位を窺っているのである。
 これはアウェーのチームにとっても厳しさは同様であり、ソリアまで試合に来てアウェーで勝ち点(勝ちか引き分け)を得られなかった時の帰路たるや・・・今回のマラガも同様であろう。あるいは、気持ちの切り替えが早かったりするのか?
 何はともあれ、福田選手のゴールが見られて良かった。風情のある街並みを抱えるソリアでの、ヌマンシアでの今季の更なる活躍を願うばかりである。

福田健二選手オフィシャルblog "kenji fukuda BLOG"
Club Deportivo Numancia de Soria オフィシャルウェブサイト 右側の"FUTBOL 2d DIVISION"→"La Plantilla"に選手紹介があり、顔写真をクリックするとプロフィールが表示される。Operaではダメかも。

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2006年6月30日星期五

世界足球杯@ウイグル料理店

Img_2343 スポーツバーで見た世界足球杯を以前紹介したが、ウイグル料理屋でも「我们的世界杯」と手書きのポスターをささやかに店先に貼って、客引きに役立てようとしている。別にテレビ観戦できることを売りにしているわけではなく、ビールのコップ=「杯子」と「世界杯」を引っ掛けたつもりのようである。しかしながら確かに店内では予選リーグの時は試合そのものが、決勝リーグに入ってからは関連番組を見ることができる。もっとも世界足球杯はこの店の売上にはあまり関係なさそうである。それでも、こうしたローカル料理店のあちこちで世界足球杯の放映をしている。この店には大型液晶テレビが備え付けてあり、なかなか儲かっているようである。
Img_2348_1 今日食したのは「砕肉拌面」。羊肉とセロリなどを炒めたものが、麺の上に乗っている。10元なり。

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2006年6月24日星期六

世界足球杯@上海 ―Guinness Beerとスペインサッカーと―

 日本にとっての世界足球杯は終わってしまったが、世界足球杯はまだまだ続く。
 何といっても日本はまだ出場3回目。しかも8年ぶりの他国での世界足球杯なのだから、まだまだこれから。若手が出てこないと今後アジアでも苦しかろうから、若い選手の台頭とベテランになるであろう選手との調和に期待したい。

Img_2289 というわけで、まだまだ続く世界足球杯を見に、烏魯木斉路x桃江路にある「O'malley's」というスポーツバーに行ってきた。このスポーツバー、大型テレビが備え付けてあり、テレビでスポーツ観戦しながら一杯やることができる。この店オリジナルのラグビージャージを売っているなどユニークなところもあるのだが、さすが世界足球杯中ということでこれを見ながら、ということである。
 今日この店で放映していたのは西班牙v.s.沙伯(スペインv.s.サウジアラビア戦)。同時刻に突尼斯v.s.烏克蘭(チュニジアv.s.ウクライナ)もやっていたのでどちらを見るのかは行ってみないとわからなかったのだが、前者を見ることができた。
Img_2298 この店ではギネスビールを出してくれる。ギネスビールを飲みながらスペインサッカーを見るとは、誠に恐縮な組み合わせである。もっとも、この「ギネスビールとスペインサッカー」というのは前述の通り狙った組み合わせではなく、どっちの試合でも見られればいい、と思ってこのスポーツバーに行った次第である。日付では昨日になってしまったが23日が予選最終日、しかも金曜日の北京時間夜10時キックオフというのは一杯やりながらスポーツ観戦するには程良いタイミングだったのである。決勝トーナメントになると3位決定戦までは北京時間の夜11時か早朝3時のキックオフ、これは仕事に響きそうなので昨日がラストタイミングなのであった。
 このギネスビール、大杯で1杯60元。今日の昼飯が冷面と水餃子2両(12個)を2人でシェアして13元だったから、その約5倍である。その店では水餃子6個が2.5元だったから、餃子144個とギネスビール1杯が同じ値段である。まぁどうでもいい比較ではあるが、欧米人行きつけのスポーツバーが高嶺の花であることがわかる。1杯60元=約900円というのは日本でも高い部類だろう。
Img_2304 常設されているテレビに見入る人たち。手前の男性はスペインがシュートを外すたびに喜んでいたが、サウジアラビアに賭けていたのだろうか。
 私の後ろにも常設屋内テレビに見入る人たちがたくさんいた。客層は8割方が中国人、2割弱が欧米・アフリカ・中近東系といったところで、日本人・韓国人はごくわずか、という印象である。こうした店で消費できる中国人が増えていることもわかる。

Img_2299 世界足球杯ということで、屋外にも特設スクリーンとテントを設けてサッカー観戦。特設スクリーンの最前列には試合を見守るスペインサポーターが5人くらいおり、前半のゴールシーンでは大はしゃぎで国旗を振り回していた。
 このスペインサポーターも含め皆礼儀正しく観戦しており、暴れたり暴言を吐いたりするような人は皆無だった。もっとも、サッカーに限らず中国が出る試合だとどうなるかわからないが・・・最近は私の周りでも「加納」やら「巴拉圭」やら「英格蘭」とか、普段そんな単語使わんだろという言葉が飛び交っている。
 試合はスペインの順当勝ちだったが、海外に身を置いて純粋に世界のサッカーを堪能するのも良いものである。

*trackback for 上海より世界へ-上海とW杯サッカー熱

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2005年11月8日星期二

柔道の演武@久光百貨店

先月のことであるが、10月30日(日)に静安寺の久光百貨店前で柔道の演武があった。
この百貨店で「日本節(日本ウィーク)」と銘打って催し物をやっていて、ウルトラマンや和太鼓の催しもやっていたようだ。柔道の紹介もその1つである。

025_13演武開始前の打ち込み。これでかなり観衆を引きつけていた。




020_18投の型を披露。浮落しの場面。




014_24続いて乱取り形式での技の実演。体落しが炸裂。




010_28やはり乱取りの一場面。内股である。




上海人にとって柔道を生で見る機会はなかなかないだろうから、観衆にとってはかなり強く印象に残ったに違いない。
実は私もこの4月から壇上の人たちと同じ道場に通い、一緒に稽古をして汗を流している。上海にいる間に少しでも上達したいものである。

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2005年10月17日星期一

世界第一方程式汽車賽と北京国際馬拉松比賽、さらに全国運動会

以前このブログでも書いたように、タイトルの「世界第一方程式汽車賽」は「フォーミュラ・ワン」のことである。同事の中には「1級方程式」と呼ぶ人もいたが、口語では日本同様に単に「F1」と呼ぶ人が多いようだ。もっとも、読み方は「エフワン」ではなく「えふいー」である。
この時期になると世界各地から関係者や観光客が来ることもあり、上海のホテルはたいへん取りづらくなり、値段も高くなる。この時期に仕事で上海に来なければならない人は気の毒だ。
レース時間には出掛けていたこともあり、レースの様子は見ていない。ただ、その出先から帰るバスで流れていたラジオで、「F1はオリンピック種目ではないが世界が注目するスポーツであり・・・」と、オリンピックを意識したコメントを言っていたのが耳に入った。F1とオリンピックを結びつける発想は意外であった。

もう1つ、今日は北京国際マラソンがあったのだが、こちらは「近道をした選手が優勝し、しかもタイム発表に際してはショートカットした距離を走ったと見なしたタイムを追加して発表した」という、誠にお粗末な事態になっているようである。共同通信の配信だが、産経新聞による報道はこちら。何でも先導車が入れなかったからということであるが、事前に調べるなり最悪の場合係員がコース案内するとかで容易に解決できように、北京五輪に結びつけるのは短絡的だと思うが五輪ではこんなことがないようにしてもらいたいものだ。
スポーツといえば、今江蘇省で第10回全国運動会(日本の国民体育大会みたいなものか、但し4年に1回)が開かれているのだが、柔道女子78キロ超級で片方の選手がコーチの指示で故意に投げられたと取り上げられている(人民日報の記事はこちら(中国語GB))。このニュースは私もテレビで見ており、片方の選手が故意に後ろ受身を取っている様子が写っていた。この試合は再試合になったようであるが、オリンピック種目での相次ぐ不手際はいかがなものか、と思う。まぁ柔道の件は批判の的になっているしきっちり報道されているので、この辺はまともだと言えようが。

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2005年9月3日星期六

卓球愛ちゃん@NHK-BS

今日のNHK-BS『ドキュメント スポーツ大陸』で、卓球の福原愛選手が特集で取り上げられていた。
内容は遼寧省チームでプレースタイルの改造に取り組んでいること、スーパーリーグではその結果がなかなか出ないこと、チーム事情からシングルスへの出場機会がなかなかないこと、日本で開かれたスーパーリーグ最終戦で漸く手応えをつかんたこと、といった感じであった。

で、お目当て?の「愛ちゃんの中国語」であるが、6月にCCTV新聞台のインタビュー番組『面対面』に出演したところだけであった。この番組は放映時に日本でも結構話題になったようで、アナウンサーが福原選手に意地悪な質問をしたことがとりわけ議論をかもしていた。中国情報局による報道はこちら。見ていても確かに「あなたがいるからチームは勝てないかもしれないですよ」なんてキツすぎるんじゃないの、通り一遍おざなりのインタビューも困るけどこれはひどいんじゃないか、という感じであった。
それはともかく、やはり愛ちゃんの中国語は流暢で、表現も豊かであった。遼寧省チームに入ってから勉強したのかと思っていたが、番組によると小学生の頃から中国合宿をしていて、そこで中国語を覚えたとのこと。なるほど。やはり一朝一夕ではなく時間をかけてマスターしたわけですね。しかし、おそらく中国語を専門に勉強した時間はほとんどないであろうに、上達が早いというのはうらやましい。やはり実践が大事、ということでしょうか。
期待が大きいだけに道のりは厳しいであろうが、頑張って欲しいものである。

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2005年6月13日星期一

卓球愛ちゃん、中国語でインタビュー

日付変わって6月13日午前0時のNHK-BSニュースで、卓球の福原愛選手が中国リーグにダブルスで出場し、3−2で勝ったことが報道されていた。
試合後のインタビューの様子もちらりと写っていたが、中国語でインタビューに応じているのにはびっくりした。
海外で活躍するスポーツ選手でも、例えば大リーグだとインタビューは大体日本語である。中国の卓球リーグにそうした配慮がないのかもしれないが、あっという間にインタビューに応じていたのは大したものだ(見えないところで質問を訳していたり、ということがあるのかどうかはわからない)。

でもこのニュース、おととい(11日)の出来事っぽいが・・・BSニュースって毎時流しているからずっと取り上げているのか?

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2005年5月20日星期五

これって本当?〜中国初ボクシング世界王者誕生?〜

中国情報局 サーチナから提供されているニュース。元情報はこちら

<引用はじめ>
中国初!プロボクシング世界チャンピオンが誕生
発信:2005/05/19(木) 19:24:30
  広東(カントン)省・広州(こうしゅう)市内の天河体育センターで17日、WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチの7回戦が行われ、PABAスーパーフェザー級王者で、96年アトランタ五輪の銅メダリストのポンシット・ウィエンウィセット(タイ)と、中国の徐叢良(写真左)が対戦。徐が6R、ドクターストップによってTKO勝ちし、プロボクサーとして中国で初のチャンピオン誕生となった。

  徐叢良は雲南(うんなん)省出身の27歳。プロとしてこれまで3戦を戦い、全勝している。中国新聞社が伝えた。(編集担当:恩田有紀)
<引用終わり>

 WBA(World Boxing Association)は実在するボクシング統括団体であるし、WBC・IBFなどとともに権威のある団体とされている(日本のボクシング界ではIBFは認められていないが)。文中に出てくるPABA(Pan Asian Boxing Association)というのは、WBAの下部組織とされ、アジアにおけるボクシング統括団体の1つである。
 この記事、まず疑問に思ったのは、「WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチの7回戦」というところである。普通ボクシングの世界タイトルマッチって、12回戦(12ラウンド戦う)ではなかったっけ?
 さらに、戦ったボンシット・徐の両選手とも記事の肩書きはWBAの正規王者ではないのに、何で勝ったほうがチャンピオンになっているんだ?王者決定戦?
 WBAのウェブサイトを見ると、スーパーフェザー級の王者はタイのYODSANAN NANTHACHAI選手(5月19日現在)。3月のランキングが載っているのでダウンロードすると、確かにスーパーフェザー級10位に"PONGSITH WIANWISET"の名前があり、おそらくこの選手のことだろう。だが、徐選手らしい人は、前後の階級も含めて見つけることができなかった。
 目を転じてPABAのウェブサイト(音がするので注意)を見ると、

<引用はじめ>
May 17
Site China
Contender
Light Heavyweight Paul Murdoch vs. Juarne Dowling
Super Middleweight Peter Kariuki vs. Sakeasi Dakua
Super Featherweight Pongsith Wiangwiset vs. Xu Chong Liang
Super Bantamweight) Pedrito Laurente vs Xi Mu Xiang
<引用終わり>

と記載があり、Xu Chong Liang=徐叢良だからこの2人はどうやら戦ったようだ。PABAの2005年4月のランキング(アジアランキング、とご理解いただきたい)ではボンシット選手がスーパーフェザー級王者・徐選手が10位にランキングされている。この2人がタイトル戦をしたというのか。しかし、どう見ても世界戦とは言えまい。タイトルを賭けていたとしても「東洋タイトル(*)」くらいが妥当な呼び方だろうが、しかも7回戦とはどういうことだ。
 どなたか詳しい方、教えていただけませんか?

 ちなみに1993年に中国を旅行したとき、「中国で久しぶりに行われたプロボクシングの試合」をホテルのテレビで見た記憶がある。確かWBOのタイトルマッチも含めて数試合だったと思う。中国の選手はおらず皆欧米の選手だったと思うが、中にリングに上がる際に「北京」と書かれた鉢巻をした選手がいたりして少し違和感があったのを覚えている。
 中国では民国期に上海租界等でボクシングが行われ、「上海王者」を名乗った日本人?がいたと聞くが、こうしたことをすぐに調べられないのが日本を離れているもどかしさである・・・おっ、某所での研究ネタになりそうか?

 ボクシングに興味のない方にはよくわからないネタだったと思うが、ご容赦いただきたい。
(*)日本で言う「東洋太平洋王者」はWBC傘下のアジア統括団体であるOPBFの王者であり、日本はPABAの試合を認めていません。

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