芸能・アイドル

2020年5月10日星期日

『テレサ・テン名曲熱唱~没後25年目の真実~』

 テレサ・テンが亡くなったのは25年前の5月8日。その5月8日にBS-TBSで放送された『テレサ・テン名曲熱唱~没後25年目の真実~』を観た。
 先日NHKで放送された『ザ・プロファイラー テレサ・テン』はターニングポイントとなった出来事に注目して彼女の人生を振り返るものだったが、この『テレサ・テン名曲熱唱~』はテレビで流された彼女の歌をふんだんに流し、売れるまでの裏話を挟みつつ足跡を振り返るものだった。映像の中に『8時だョ!全員集合』で演じたコントもあったのは、TBSの番組所以だろう(図らずも、先日亡くなった志村けんや先に亡くなったいかりや長介の姿も見ることができる)。
 彼女の代表曲の多く、『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』などは私の少年時代ながらリアルタイムで聞いており、テレビでも観ていたので新鮮というよりはむしろなじみがあった歌を久々に聴いたような感じになった。『襟裳岬』や『二人でお酒を』といった他の歌手の歌のカバーも難なく歌うのはその歌唱力ゆえであり、中国や台湾の老歌『高山青』『何日君再来』を聴いてもそれが感じられた。いろいろな番組の映像からであり、彼女が活躍した'80年代は歌番組が盛んな時代だったことを思い出す。
 『ザ・プロファイラー』同様に天安門事件時に香港での支援コンサートに参加したこと、ルーツの中国大陸でのコンサートが叶わなくなったこと、そして香港や中国への思いを日本のテレビ番組で吐露したことに触れて番組は終了へと向かう。番組のナレーションにもあったが、この頃彼女が歌った『悲しい自由』や『香港~Hong Kong~』には、テレサ・テンの香港への思いが込められていただろうことが想起される。

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2020年3月29日星期日

『ザ・プロファイラー テレサ・テン』

 1か月以上前に録画したNHK-BSの番組『ザ・プロファイラー テレサ・テン』を改めて観た。
 彼女の生涯については番組でも参考にされていた書籍『テレサ・テン 十年目の真実 私の家は山の向こう』を2年前に彼女の終焉の地であるチェンマイのThe Imperial Mae Ping Hotelを訪れた時に読んでおり、司会の谷原章介氏が「彼女の歌は知っているけれど、人生はよく知らない)と言っていた通りで彼女の人生を改めて映像でたどることができた。
 番組では、『~十年目の真実~』でページを割いた人生後半のフランス人との恋愛やチェンマイでの日々は短く触れるに止め、日本でのデビュー、その日本での活動時に偽造パスポートを使ったことで国外退去になること、処分中に滞在したアメリカでの婚約とその解消、そして日本で再度成功を収めることに時間を割いていた。そして中国でのコンサート打診、天安門事件で学生を支援する歌を歌ったことにも触れていた。
 上記した参考文献ではテレサ・テンの心情を代弁する歌として『私の家は山の向こう』を取り上げていたが、番組ではそれに加えて中国を離れて住む華僑や華人たちが聞くと故郷を思うという『梅花』を取り上げていたのが印象的だった。書籍ではテレビでは触れられていないことを知ることができ、テレビでは書籍では印象に残らなかったところにフォーカスを当てていてそこが印象に残り、番組を観て彼女の人生をより深く知ることができた。
 また本で触れていた『私の家は山の向こう』、現代は『我的家在山的那一邊』も映像や音で聞くとこういうことだったのかと印象に刻まれる番組だった。『梅花』同様に故郷を思うこの歌の歌詞の一部を変えて歌い、集会には「民主萬歳」と書かれたハチマキをして参加していたのも分かった。その年の日本のコンサートで「私はチャイニーズ」と言っている姿に触れており、中国で起こった出来事に心を痛めている姿が伝わったが、彼女のアイデンティティはどこにあったのか気になるところだ。番組では「中国を愛していたのでは」としていたが、台湾で外省人の家庭に育ちアメリカで『梅花』を歌ったテレサ・テンにしてみれば番組の短い言葉ではまとめられない思いがあったのではと思う。
 テレサ・テンが亡くなった1995年から25年、彼女のお兄さんは存命で思い出を語っていた。彼女も生きていたらまだ60代なのだが、彼女自身から思いを聞くことができないのは残念だ。

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2018年4月25日星期三

The Imperial Mae Ping Hotel - テレサ・テン終焉の地

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 チェンマイの中心部、ターペー門を出て少し東へ行ったところにある、The Imperial Mae Ping Hotel ジ インペルアル メーピン ホテル。夜土産物屋や食堂で賑わうAnusarn Marketに程近いところにある大きなホテルだ。








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 このホテル、数多くのヒット曲を発しその歌声が日本・台湾・香港そして中国で親しまれたテレサ・テンが最晩年を過ごしたホテルだ。彼女は1994年8月にチェンマイを訪れ、初めは他のホテルに滞在していたのだがこのメーピンホテルが気に入ったようですぐにここに移り、亡くなるまでの間に3回に渡ってこのホテルに宿泊している。
 そして1995年5月8日、彼女はこのホテルで容体が急変し、部屋を出て助けを求めるも搬送先の病院で死亡が確認された。
 そんな彼女が最晩年を過ごした部屋が一般公開されている。入場料は宿泊客だと500バーツと結構な値段だ。


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 15階のスイートルームが、彼女が過ごした部屋だ。2部屋を繋いだところで過ごしていたようだ。
 15階に上ると、まずチェンマイでのテレサ・テンの暮らしぶりを知る人の証言や彼女の業績を紹介するビデオを見る。当時からこのホテルのこのフロアで担当していたホテルマンが、今でも15階で案内をしてくれる。
 室内にはいくらかのテレサ・テンの写真が飾ってあるのと彼女が生前日本を、台湾を、そして中国や香港を席巻した歌が流れている他は、特に物珍しい展示はない。

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 スイートルームからの眺め。かつての眺めとはかなり変わっているだろう。
 テレサ・テンは中国で有名だったこともあり、この日も多くの中国人観光客がこの部屋を訪れていた。

 日本でも成功を収めたテレサ・テンは、その歌声が広く知れ渡っていた中国でのコンサートを夢見ていたが、その夢は1989年の天安門事件で果たせぬものになってしまった。その後活動を減らしつつあったテレサ・テンは一時フランスのパリに居を構えたが、避寒地としてであろう訪れたここチェンマイを気に入って、突然の死までの日々の多くをここで過ごした。
 当時はこのホテルの前にクイッティアオ屋があり、テレサ・テンは好んでこの店を訪れて「クイッティアオガイ」(鶏肉入りの米麺)を食べたそうだ。その店のことはインターネットで調べると写真とともに見つかるのだが、今メーピンホテルの向かいを見ると長期滞在者用の洗濯屋がそのクイッティアオ屋と同じ屋根、同じひさしだ。飲み物も売っているのでクイッティアオ屋のことを聞いたところ、「ここがその店だ。クイッティアオ屋はもう閉じた」との話だった。同じ人が商売替えしたのか、話したのは当時とは関係ない人でよくこのことを聞かれるので答えたのか、は聞かなかった。テレサ・テンが寄せた「恭禧發財」のサインが店に飾ってあったそうだが、それももうないとの話だった。

 テレサ・テンの生涯、とりわけ台湾と中国の狭間で揺れ動き翻弄された日々や、天安門事件に関わった民主化勢力にシンパシーを寄せそして大陸でのコンサートが叶わぬこととなりパリやチェンマイで過ごした日々のことは、今回参考にした有田芳生著『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫 2007年、単行本は文藝春秋2005年)で知ることができる。

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2011年1月11日星期二

鄧麗君@台北花博

 遅くなりましたが、今年も宜しくお願いいたします。
Imgp9526 間が空いてしまったが、昨年行った台北花博の話の続きを。「名人館」というところでは、鄧麗君=テレサ・テンに関する展示をしており、私が行った日は半日券(午後1時から入場できる)で入場したのだがそのときには既にその日の整理券は配り終えていた。
 それだけ人気がある「名人館」、どんなものだろうと思い翌日も名人館目当てに午前9時の開門の時間に会場に行ったのだが、受け取った整理券は11時45分から入館のものだった。
 前日あらかた見ているので適当に会場内を再訪しながら11時半頃に名人館へ。その時には既にその日の整理券の配布は終わっていた。
 館内ではテレサ・テンが生前に発した言葉を並べた映像や、壁に香港・日本そして世界での活躍ぶりが描かれていて手を触れると次々と紹介が続いていく部屋があったりした。そして別の部屋には生前の写真やゆかりの品々が並んでいて、全日本有線放送大賞のトロフィーも目立つところに展示されていた。日本での活躍や人気ぶりも紹介されている。
 正直これだけなら…と思ったら、最後の部屋ではテレサ・テンの足跡をDVDで放映していて、訪れた多くの人が足を止めてDVDに見入っていた。バラエティも含めて出演したテレビ番組、コンサート、軍隊での慰問活動等、見ていると大歌手でも若い頃にはお笑い系のネタをやっているのを見て微笑ましく思ったり、当たり前だが歌声に改めて感心したりで、放映が終わるとどこからともなく拍手が起こり、彼女が今でも台湾の人たちに親しみを持って迎えられていることがわかる。
 前半の「正直これだけなら…」という展示も台湾の人にとっては私が見る以上に価値を感じるものなのだろう、花博でテレサ・テンに思いを巡らすというのは特別なことでありそれゆえに整理券がすぐなくなる程の人気ということである。

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2009年1月22日星期四

千葉美加

 近所のCDショップに立ち寄って品揃えを眺めていたら、数少ないアジア音楽の商品の列に千葉美加の『Made in~別離選擇了我』が並んでいた。
 彼女は当初日本で芸能活動をしていたが、1990年代初めに台湾に活動拠点を移して中国語で歌ったCDを出したところこれがヒットして台湾で売れっ子歌手となった。当時は逆のケース、台湾の歌手や俳優が日本で芸能活動をすることはあったが(鄧麗君や翁倩玉や欧陽菲菲など…古いか)日本の歌手や俳優が台湾や香港などに進出するのは珍しく、またタレントの交流が盛んな東アジア・東南アジアにおいて日本は言葉の問題などからかやや孤立していた感があったので、日本人が台湾でしかも中国語で歌ってヒットするというのはとても珍しくまた新鮮に感じた。中国語(国語)も身につけて台湾の人たちにアピールしたのだろう。このCDショップに並んでいたのは台湾で出したCDに日本語の解説を付けて日本のレーベルで売り出したものであるが、CDのジャケットには「台湾音楽界で確固たる地位を築き、中国・新加坡・泰国・馬来西亜ツアーを敢行。」とあり、現地で流行ったことをアピールしている。
 私も学生時代(H送大学の、ではない)に台湾からの留学生から「台湾で中国語の歌を歌って流行っている日本人の歌手がいる」と聞き、彼女の曲を聴いたことがある。今回CDショップにあった『Made in~別離選擇了我』は1992年リリースとのことであるが、この中に『準時打開Radio』という曲があり、この題名がサビに入った曲に聞き覚えがあるので当時聴いたのはこのアルバムかもしれない。
 15年以上前に発売されたCDが今でも店頭に並んでいることはあまりないのだろうが、思わぬところで昔聴いた中国語のCDを目にし、昔聴いた歌声を思い出しまた当時を思い起こした。

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2006年11月24日星期五

中華年記念音楽祭

 先週土曜日(18日)深夜のことであるが、何気なくテレビのチャンネルをあちこちつけていたら、鳳凰電視台に日本のNHKで見たことがあるアナウンサーが映っているのが目に停まった。気になったのでそのまま見たところ、横浜で行われた『中華年記念音楽祭』の番組だった。
 なぜに「中華年」?と思ったが、調べてみると2007年は日本で「第九回世界華商大会」なるイベントが開かれるとかで、それにあわせて来年を「日本中華年」にして様々なイベントを開くのだとか(第九回世界華商大会の公式ウェブサイトはこちら)。この『中華年記念音楽祭』は、そのキックオフとしてのイベントだそうだ。
 ちょうど番組が始まるところだった。前述のNHKのアナウンサーは佐藤充彦アナウンサー。その他に中国中央電視台(CCTV)の男女アナウンサー(このうち女性が流暢な日本語で進行役を勤めていた)と鳳凰電視台の女性アナウンサーの4人が司会を務めていた。「中華」なのに台湾はナシか、と思ったが、台湾の元行政院長である蕭萬長が、世界華商大会組織委員会の名誉主席とかでコメントを寄せていた。
 このイベントには日本と中華圏の歌手が参加していた。日本からは元ちとせ・ゴスペラーズ・中孝介・w-inds、中国からは阿宝・吉祥三宝・韓雪、台湾からは王心凌・S.H.E・周華建が参加。歌手は台湾からも来ていたし、結構大物も参加しているのである。
 中国の3人のうち阿宝・吉祥三宝は「いかにも中国」という感じの歌。どちらも初めて見た。後者は内モンゴルの夫婦とその姪の3人組で、家族をモンゴルの自然に喩えた掛け合いの歌がヒットしているそうだ。王心凌が披露した『睫毛弯弯』も中華テイストな曲だし。韓雪は中島美嘉の『雪の華』のカバーが知られているが、この日は中孝介とのデュエットを披露していた。そういえば王心凌も『亜麻色の髪の乙女』をカバーしている(番組では放映されてなかったが、このカバー曲『月光』も歌ったようだ)。
 元千歳=元ちとせは中国語でトークをしていたが、会場には中国語ネイティブの人はどれだけいたのだろうか。
 聖堂教父=ゴスペラーズの参加は事前には知らされていなかったようで、スペシャルゲストとしての扱いのようだ。去年上海でコンサートをしている。
 番組ではw-indsと周華建がメインの扱いのようで、この2組は2曲、他は1曲ずつ放映されていた。w-inds、「女性に大人気」とアナウンサーに紹介されていたが、中国語の字幕が「少女殺手」=少女キラーになっていた。3人が大人になっていて、真ん中の人の背が高くなっていたのが印象的である。会場には彼らのファンが多かったようで、この場面は黄色い声援(死語?)が飛んでいた。

 この『中華年記念音楽祭』、日本ではNHK-BS2で今年12月30日に放映するとのことである。

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2006年9月16日星期六

イ・ヨンエ@茶葉飲料

Img_2651 中国には「 农夫山泉」(農夫山泉)なる飲料メーカーがあり、ミネラルウォーターやら茶葉飲料などを売っている。で、同社の烏龍茶や緑茶といったペットボトル入り茶葉飲料には、イメージキャラクターとして李英愛=イ・ヨンエが採用されている。同社の茶葉飲料専用のウェブサイトもあり、イ・ヨンエが登場するほか壁紙のページもある。不必要にFlashが使われている気がしないでもないが・・・
 写真の通り、同社の茶葉飲料のペットボトルにもイ・ヨンエが使われており、紅茶・緑茶・大麦茶・砂糖入り烏龍茶・砂糖なし烏龍茶で異なる写真が使われている。写真は大麦茶。
 ところで日本では『大長今』が地上波で放映されているようですが、イ・ヨンエは日本ではまだ人気があるのでしょうか?

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2006年9月3日星期日

典型的対日観

 ある日、タクシーに乗ったときのことである。
 行き先を告げると、運転手に「日本人か?」と聞かれた。「そうだよ」と答えたところ、その運転手の返事は「俺は日本の俳優をたくさん知っている。Gao1cang1Jian4・Zhong1ye3Liang2zi3・Shan1kou3Bai3hui4。中でも大好きなのはShan1kou3Bai3hui4だね・・・」

 この運転手が挙げた3人であるが・・・

Gao1cang1Jian4-高倉健
Zhong1ye3Liang2zi3-中野良子
Shan1kou3Bai3hui4-山口百恵

である。高倉健と中野良子は出演した映画『君よ憤怒の河を渉れ』が1978年に中国で上映されたことで有名になり、とりわけ高倉健はこの映画で中国国内に広くその名が知れ渡ることとなった。山口百恵はやはり中国で放映された「赤い」シリーズへの出演で有名である。共演者かつ現在の配偶者であるSan1pu3You3he2=三浦友和の名前もよく耳にする。
 高倉健・山口百恵・中野良子・三浦友和、これに加えてLi4yuan2Xiao3juan3=栗原小巻あたりが、1970年代末~80年代にかけて中国で有名になった日本人俳優であり、確かに学生時代に中国を旅行したときにも「俺の知っている日本人」として彼らの名前がよく出てきていた。
 しかし今は2006年、もっと新しい日本の歌手や俳優もたくさんいるだろうに、それにもかかわらずかつての典型的な「俺が知っている日本人」の話をする人が未だにいるのである。この運転手に限らず、上に挙げた俳優の名前を今でも口にする人は多い。

 この運転手、何と山口百恵のCDを車内に持っていておもむろにかけ始め、車内に『秋桜』『さよならの向う側』が流れた。本当に好きなのか、日本人が乗ったときのサービス用として常備しているのか。

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2006年2月25日星期六

イ・ヨンエ@上海

 イ・ヨンエが登場するチャリティーコンサートのタダ券を入手したので、見に行ってきた。
 このコンサート、「正官庄之夜 真愛演唱会−李英愛上海慈善之旅」と銘打たれている。「李英愛」がイ・ヨンエのことである。イ・ヨンエは韓国人参公社の「正官庄」ブランドのCMモデルをしており、今回韓国人参公社とタイアップでチャリティーイベントを行った由である。今日が上海だったのだが21日には台北でも同様のイベントをやっており、その前には広州でもやったようである。
 ちなみに、「正官庄」のウェブサイトはこちら(中国語)。壁紙ダウンロードのコーナーもある。この「正官庄」ブランドの製品は古北家楽福(カルフール)の2階にあるサプリメントショップ?で売っており、店内にはイ・ヨンエのポスターが貼ってある。

IMG_1871 本日の会場である上海大舞台。上海八万人体育館などスポーツ施設が集まっている上海体育館エリア内にある。もともとは上海体育館と呼ばれていたが、改装してイベント専門の上海大舞台になった。
 席は2階席。舞台からはかなり遠く、出演者の表情は舞台横にある大型画面で確認できるのみである。タダ券だから仕方ないか。
 チャリティーイベントではあるが、「演唱会」と銘打っている通りコンサートがメインである。陳慧琳(ケリー・チャン)・李泉・王傑の名前が出演者に並んでおりなかなか豪華メンバーと言える。もっとも、この中では陳慧琳以外の歌手の歌はよくわからないのだが。
 19:30にコンサート開始。司会の男女がステージを進めていくので、コンサートとは言いながらNHKの公開録画のようなものか。最初に新人と思しき女性歌手が一曲歌った後、陳慧琳が『大長今』の中国でのテーマソング『希望』を歌いながら登場。この曲、聴いたことのある人はご存知だろうがあの「オナラ・オナラ・・・」に中国語の歌詞をつけたものである。イ・ヨンエのイベントだけに最初の一曲はやはり『大長今』のテーマである。その後名曲の『記事本』を歌った後、「スローテンポの曲が続いたから次はアップテンポの曲をいきましょう!」と言って最後に『不如跳舞』を歌っておしまい。
 その後は李泉・安又?Lといった名前の売れている歌手がやはり数曲歌い、その合間に若手歌手が1曲ずつ披露するという感じで続いていった。
 観客であるが、アップテンポな曲を歌っても、総立ちになるということはなく皆おとなしく座って歌を聴いている。好みの歌手が登場したときに応援グッズを振って声援を飛ばすことはあるが、皆総じておとなしい。特定の歌手のコンサートだとまた違うのであろうが、複数の歌手が登場するチャリティーイベントということで観衆全員の好みが分かれているのだろうからノリがいまひとつなのだろう。
 この日一番声援を浴びていたのは王傑。『安尼』『一場遊戯一場夢』などを歌ったが、『一場遊戯一場夢』の時は声援に感極まったようであった。
 若手男女歌手が『神話』(ジャッキー・チェンとキム・ヒソンが共演した映画の主題歌。歌詞に韓国語あり)をカバーして歌ったあと、いよいよイ・ヨンエが白いドレスで登場。モニターでしか表情を見ることができないが、美人だー。
 司会の2人がイ・ヨンエに質問コーナー。「愛と仕事とどっちを取りますか」という質問に対しては「愛がうまくいっていれば仕事もうまくいくでしょう」、「中国人の男性俳優で誰が好みですか」という質問には「誰と言うわけではなく、中国人の男性俳優と友達になって中国語を教えてもらいたい」、「行った都市の中でどこが一番よかったですか」に対しては「皆さんも韓国にいらしてください」と、うまく受け答えしていた(勿論通訳つきで)。好きな料理は「炸醤麺」と「排骨」だそうで、得意な料理は・・・忘れた。
 で、質問コーナー終了後にチャリティーイベントなので寄付の贈呈があるのだが、韓国人参公社の人がステージに上がった途端に観客がゾロゾロと帰り始めた。おいおい、まだイベントは終わっていないし、イ・ヨンエはまだ壇上にいるんですよ。それでいいの?帰っていく人の姿は当然イ・ヨンエの目にも入るだろうし、この様子を見て内心どう思うかな。いくらコンサート目当てとはいえ、そのタイミングで帰るのはあまりに礼を失していないか?しかしながら、2階席の観衆の2分の1くらいは寄付の贈呈式の最中に帰ってしまった。何だかなぁ。
 最後にイ・ヨンエを子供たちで囲んで『希望』を歌ってイベントは終了。大長今ではないイ・ヨンエも、やはり美人でした。陳慧琳のナマ歌も聴くことができ、なかなか有意義なイベントだったと言えましょう。
 しかしこのイベント、開始前はモニターに『大長今』出演時のイ・ヨンエの写真が映っており、イ・ヨンエの登場前にはやはり『大長今』の映像が流れ、出だしが『大長今』主題歌の中国語カバーだったりとすっかり「イ・ヨンエ=『大長今』」になってしまっている。最新出演映画でのイメージチェンジは全く反映されていないようである。

 関連記事。イ・ヨンエが「正官庄」イメージキャラクターになった記事はこちらこちら。上海でのチャリティーイベント予告(1)(2)

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2005年11月9日星期三

小長今

帰宅時に乗ったバスの中のテレビで芸能ニュースをやっていたのだが、その中で「崔尚官と小長今が中国にやって来てイベントに参加した」様子を放映していた。要は、『大長今』=『チャングムの誓い』に「崔尚官」=チェ尚官役で出ていた女優と「小長今」=チャングムの子供時代を演じた子役(小チャングム?)が来中してイベントに出た、ということである。
で、紹介されていたイベントではテコンドーの演武をやっていた。なぜにテコンドーなんだ?その後小長今がどこかに移動する場面が映っていたが、このときもテコンドーの道着を着た人が後ろについていた。ひょっとして護衛か?だとしたら、見るからにテコンドーができますという感じの護衛だが。
あまり『チャングムの誓い』は見なかったのだが、主役の子供時代&悪役、の組み合わせでイベントというのがおもしろい。

中央日報(韓国の新聞)の日本語版ウェブサイトによると、2人は11月5日に広州でイベントに参加したそうなので、おそらくその続きでどこかでイベントをやったのだろう。

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