日記・コラム・つぶやき

2009年10月6日星期二

台風に想う

 先日格闘技観戦のために後楽園ホールに行ったときに、通路に「台湾台風復興支援」と銘打たれた女子プロレスのポスターを見つけた。ポスターには「後援 台北駐日経済文化代表処」と書かれてあり、台湾の駐日機関のパックアップも得ているようである。帰って調べたところ、LLPWという団体の選手を中心に10月12日に後楽園ホールで行う興行にこの名が冠せられている。
 台湾でテレビをつけるとケーブルテレビにプロレスの専門チャンネルがあり、女子プロレスは見たことがないがプロレスの録画放送をやっているのを見たことがある。が、何故か日本のそれは古い試合の録画が多かった記憶がある。またプロレス団体の中には台湾興行を打つところもあり、台湾でも日本のプロレスは馴染みがあると言える。
 私はその時間に別のスポーツを見に行く予定があり「台湾復興」の名を冠した興行を見ることができないのだが、「台湾」の名を、「台湾復興」の名を興行に冠するプロレスに敬意を表したい。

 台風や地震など災害の直後には緊急性を要すること、まずは人命救助でありその後は食糧や仮住まいの確保といったことに重点が置かれるが、こうした段階では人々の注目が集まりやすくそれゆえに金銭的援助も集まりやすくこうした活動に供されるものである。問題は被災者のその後の長い人生に渡る部分であり、例えば被災した子どもが両親の生活基盤の復旧が不充分であったりそもそも親が災害で亡くなっていたりして学費の調達が難しく進学が困難になり、本人の希望以前の要因でそれが果たせなくなるということがある。災害から時間が経ってから生じる問題に取り組んでいる人たちもいるのだがなかなかこうした方面には注目が集まりにくい。それから、根幹ともいえる「災害に強い街づくり」というのも長い地道な活動が必要である。
 被災直後の支援は勿論必要だが、こうした長期間にわたる問題にも注目が集まり支援なり人々の想いが注がれることを願いたい。

 今年は台湾だけでなくベトナムやフィリピンでも台風による被災が深刻であり、また台風のみならず地震でサモア・米領サモアやトンガでも多くの人が被災した。台風や地震は避けることができないし自分が遭遇するかもしれないのだが、これらによる災害を防ぐこと、また不幸にして罹災した場合にその後の被害を最小限にしたり将来の生活への影響をなるべく少なくするようなことに出来るだけ注目したいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年7月12日星期日

投票日

20090712093 今日は都議会議員選挙の投票日だった。投票所に指定された小学校へは今まで行ったことがなく、また普段の通勤路とは逆なので普段あまり足を運ぶことがない方向だったので投票所への道程は目新しいものだった。そう遠くはないのだが近くでさえも足を運んだことがないところがまだまだある。
 通りには「For rent」と書かれた新しいマンションがいくつが建てられていた。長くこの街に住んでいる人からすると、こうしたマンションを見ると街の風景も変わったと思ってしまうのかもしれない。ただ街には新しい人が来るのが常であり、師匠が仰る「変わるものと変わらないもの」ではないが、新しい人と古くから住む人でこの街が作られていくのであろうし、それが住みやすい、過ごしやすいほうに向かって欲しいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年7月8日星期三

七夕

20090707  1日遅くなったが、近所で見た七夕飾りの写真。本来は旧暦の7月7日の夜が七夕と称されるようだが、物心ついてからずっとこの時期に七夕飾りを見ている。七夕にちなんだお祭りをするところに住んでいる人だと、その土地の七夕祭りの時期に応じて「七夕」を感じる時期は違うのかもしれない。
 家族の健康であるとか家族旅行の実現だとか、日々の生活の中での願いとりわけ家族の幸福祈願が多く短冊に託されている。

20090708  こちらは職場近くのビルの中でみつけた七夕飾り。こちらの短冊には、個人の健康維持だとか仕事上の目標実現とか、個人から出てくる願望が多く託されていた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年4月13日星期一

かつての通学路を歩く(2)

Imgp4494 前回の続き。母校の跡地がどうなっているか大体見ることができたので、かつて歩いた、母校から駅へと向かう道へと足を進めた。






Imgp4517  確か学生の頃は「Tea Room Z」だったはずだが、名前が変わっている。ひさしも昔は茶色っぽい色だったと記憶している。「Tea Room Z」はある有名な俳優の実家だという噂だったが、実のところは今に至るまでも不明である。当時そんな話を聞き、好奇心半分で1回入ったきりである。



Imgp4518  駅へ向かうには、細い道を曲がっていかなければならない。途中で、豆腐売りのおじさんが休憩していた。






Imgp4520 Imgp4529  細い道を抜けて墓地に着いたとき、ここが桜の名所だということを思い出した。おそらく4回は見たのであろうが、すっかり忘れていた。時を経てこの日、快晴の空の下で、桜の木や花が今が盛りとばかりに咲き誇っている。



Imgp4540  桜吹雪が舞っている、いちばん綺麗な頃である。







P1000688 P1000689  両側から進入禁止、という不思議な細い道を抜け…

P1000691  この道を左に曲がり、国道へ抜けてアーケードを通り過ぎると最寄り駅に着く。







P1000692  学生の頃に駅前で焼肉を食べることはあまりなかったが、地下の中華料理屋では稽古の後にラーメンや定食でお腹を満たしたのを覚えている。駅へ向かうアーケードには学生時代にはなかった店の名前が少なからずあったが、その中華料理屋はかつての名前を残していた。





P1000697  駅のロータリーを囲む店も変わってしまったが、この饅頭屋には相変わらず行列ができていた。まぁこの写真を見るとここがどこか同学でなくてもわかる人にはわかってしまいそうですが…
 前述の通り私の母校は今はこの地にはなく、同じことを学ぼうと志して母校で学んでいる今の学生は別の道を通学路にしており、この道を通学路として通ることはない。母校の卒業生の集まりに「その地名」を冠する名前を付けても「どこですかそこは?」と言われることが多くなるのかもしれない。それでもかつて4年間歩いた道は、師匠や同学と過ごした原風景の1つである。今後も縁ある土地として、この通学路界隈はこれからも遠くにいても気になるのだと思う。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2009年4月12日星期日

かつての通学路を歩く(1)

 先日休みを取った際に、「かつての通学路を歩いてみよう」と思い立ち、かつての母校のある街へと行ってみた。(「かつての通学路」といっても、「H送大学の学習センターから最寄り駅へ向かい、そのまま居酒屋に吸い込まれる」という通学路ではありません

Imgp4509 Imgp4510  たまに使った「町内会の名前を冠した駅」からだと私の母校までは一本道である。道路沿いにはかつてと同じ食堂が、今でも軒を連ねている。


Imgp4513  この店も健在。授業や稽古のあとでよく行ったものである。






P1000682  店内の椅子やテーブルも、お冷やの氷も、学生の頃と変わらないような気がした。







Imgp4507  実は私の母校は9年前に別の場所に移転しており、もうこの地にはない。跡地はどうなっているかと思ったら再開発が進み、もはやかつての校舎は残っていない。まぁ学校自体は新しい土地でしっかりと活動しているわけであり、かつて母校があったこの地に建つ新しい建物なり施設がこの街に根付き、この街の人たちに親しみを持って迎えられることを期待したい。かつての我々がそうであったように。
 写真の道路を右に行くとかつての正門に、左の坂を下るとかつての学食や生協の裏に出る。左側の坂沿いにはアパートが多く、このあたりには同学が多く住んでいた。
Imgp4506  このあたりがかつての正門だろうか。今は賃貸マンションの建設中である。この賃貸マンションには「町内会の地名」が冠せられるようだ。





Imgp4503  向かいの女子高校も白い壁の綺麗な建物になったな…と思ったら、校門から男子生徒も出てきた。今は共学になっているようだ。
 学校の壁には卒業生が北京五輪に出たことを祝す垂れ幕が掛けられていた。「著名なレスラー」も、ここの学校出身だとか。


Imgp4494  ここから普段の通学路を目指して歩くのだが、ちょっと道をそれて近くの商店街の方面へ向かう坂を下ってみる。かつて体育館があった場所には、高齢者福祉施設と障害者福祉施設を兼ねた建物が建てられている。




Imgp4497  学校の裏手もかつてとは違い、歩道が広い綺麗な道路になっている。
 かつての校庭付近は公園になるようで、いまのところ工事現場には母校の跡地であることを示す名前が冠してある。まぁ、名前は変わるのかもしれませんが。
 写真が多くなりそうなので、肝心の「かつての通学路」については別にアップします。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年4月10日星期五

夜桜を撮ってみた

Imgp4561 夜景を撮ってみようと思って先日三脚を買ったのだが、先々週訪れた六義園はライトアップ時は三脚禁止とのことで使うことはできなかった。もう桜の季節も終わりだが、それでも周りに比べてまだ花を残している近所の神社で、三脚デビュー(といってもフィルムカメラ時代には使ったこともあったが)を兼ねて夜桜を撮影してみた。カメラの腕はもともと拙いのだが、夜見た景色を思い出だけでなく映像として残せるようになった。
Imgp4544  東京での今年の桜は見納めであろうが、また来年も桜を見て、そしてその周りの景色やその土地の歴史の中に新しい発見をしたいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年4月8日星期三

旧古河庭園

Imgp4465_2 Imgp4450  勤めを半日休むことができたのでどこかへ足を運んでみようと考え、今年はまだ桜も見ることができるかと思い、都内の桜の名所でもある旧古河庭園へ行くことにした。





Imgp4451Imgp4457  旧古河庭園は、かつて陸奥宗光の屋敷だったのがその後古河財閥の当主の所有となり、その頃に洋館が建てられまた庭園が整備されたのだそうである。
 洋館の中を案内するツアーも時間を決めて開かれており、また今は喫茶店になっていて中でコーヒー・紅茶やスイーツを楽しむことができる。
 ちなみに、PASMOで入館料を支払うことができた。

Imgp4464 Imgp4467  園内の桜は満開との情報だった。いざ来てみるとそろそろ花びらが舞う頃になっていて、心なしか桜の花の枝にも隙間が目立つように見えた。もっとも、庭園のウェブサイトにあった桜の木の写真もそうした感じであり、枝にたわわに花を咲かせるというよりはもともとそういった樹なのかもしれない。
 園内の池には、散った桜の花びらがたくさん浮いていた。

Imgp4475  近くの小学校はそろそろ帰宅の時間だったようだ。今は入学式や始業式が終わってさあ新年度・新学期だ、という頃だと思うが、奥に写っている校庭の桜を毎年見ながら育っていくのだろう。
 通りの交差点や横断歩道にはボランティアと思しき方が立っていて、子ども達の安全確保に努めていた。時勢柄もあるのかもしれないが、街全体で子どもの成長を見守り楽しく過ごせるように心を尽くす、という心意気を感じた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年4月5日星期日

清明節の桜

Imgp4422 今日は二十四節気の1つ、清明であった。中国だと昨日から清明節として3連休で、墓参りに行く人も多いのだろうが、日本では普通の土日ながらこの週末は花見で桜を愛でた人も多いのではなかろうか。今日は特にどこかへという訳ではなく、近所の桜を写真に収めてみた。
Imgp4414 ここではシートを敷いて酒を飲むという人はいなかったが、近くの公園にはそういう人がいたりあるいはベンチに腰掛けてちょっとしたものを食べながら桜を見ている人も多かったし、遊びに来ている子どもも春到来ということで楽しく遊んでいるように見えた。
 見頃が短い桜であるが、今年は東京近辺では4月初旬に満開の姿を見せ、入園・入学などこの4月に新しい生活の節目を迎えた人を前向きな気持ちにさせてくれるのではなかろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年3月29日星期日

六義園の夜桜

P1000650Imgp4406  そろそろ桜が咲くかなと言われるようになってからまた寒さが戻った感じで、都内ではこの週末もまだ満開とはいかないところもあるようだが、六義園のしだれ桜は満開とのことで、夜のライトアップを見に行ってきた。

Imgp4390 Imgp4370 園内のしだれ桜。去年行った小石川植物園と違って園内に何本も桜があるわけではないのだが、この1本だけで圧倒的な存在感である。大きく拡がった枝に満開の桜の花である。

Imgp4358   園内はライトアップ時は三脚禁止とかで、折角三脚デビュー?しようとしたのに残念。写真が暗めになってしまった。来週の週末も桜の花を楽しむことができるかな?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年2月11日星期三

池袋北口・西口界隈

 池袋駅北口付近には中国食材店や中国料理店が集まっており、またそうした場所に多くの中国人が集まっている。この界隈を「池袋チャイナタウン」と呼ぶ人もいる。筑波大学・山下清海教授のウェブサイトの中に、この界隈を紹介したページがありその中でこの名を冠している。
 先月のことであるが、そんな池袋北口界隈を、そして西口界隈を歩いてみた。
20090110051  池袋駅北口を出てすぐ、線路沿いに歩いて最初の交差点を折れると「陽光城」という名前の中国食材店がある。







20090110052  その向かいのビルには、「知音」という看板を掲げたやはり中国食材店がある。品揃えはいろいろあり、スーパーマーケットといった感じである。店の中では中国語がデフォルトで、日本語が通じないときもある。店内には食堂もある。





20090110056  先述の交差点を斜めに入ると、「富麗華」と書いてある看板が見える。1階・2階は楽楽屋という居酒屋や中国料理店なのだが、3階はカラオケボックスになっている。このカラオケボックス、中国語の歌をふんだんに収めたシステムが入っており、中国や台湾のカラオケボックス同様に中国語圏の歌を歌える。日本の普通のカラオケ(昨年4月に行ったときにはUGAだった)も入っているので日本語と中国語のカラオケを同時に楽しめ、中国語のわからない人でも楽しむことができよう。
 このカラオケボックスは3階にあるのだが、2階の料理店の厨房を通った先に3階に向かう階段がある。初めて入る時にはちょっと驚くというか入り難いかもしれない。店員は中国の人だが、精算したときのレシートは普通の(日本語の)明細だった。
20090110058  ここからクランク状に北に向かってあるくと、へいわ通りという名前の通りがある。







20090110059 20090110062  この通りに、中国料理店が数多く並んでいる。夜になると店内には中国語の会話が飛び交っているが、休日の昼間ということもシャッターを閉じている店が多かった。
 池袋に限らず、「中華料理」ではなく中国料理を掲げる店には、「東北菜」、中国東北部の料理を看板に掲げる店が多いような気がする。
 例えば水煮魚を売りにする、あるいは水煮魚は川魚ベースだから厳しいにしても唐辛子だけの平板な辛さではない、山椒などもきっちり交えた四川菜の廉価な店があってもいいのに。

20090110063  池袋には家電量販店もあるのだが、小さいビルの一角には小さなパソコンショップがあり、中国語の宣伝を掲げるとともに在日中国人向けの新聞を店頭に置いている。






20090110065  北口界隈から、池袋西口界隈へ。池袋駅から行くと駅前の大通りを直進し、五差路を右に曲がる。北口同様に中国料理店の看板が見えるが、このあたりには韓国食材店の看板もたまに見える。





20090110066  そんな路地に、「線條 手打餃子専門店」の看板を見かけた。看板の上には「本場台湾」の文字が見える。この界隈にある中国系の店とは違うようだ。
 いろいろな餃子の写真やその紹介・メニューが店頭を飾っている。




20090110067  店内は2人掛けのテーブルが3つという小さなものである。ここで店の人に勧められるままに「如意餃子」を頼んでみた。木の実が入った餃子など中の餡は6種それぞれ違い、皮にも野菜が練りこんであるものがあるとかで、違う味が楽しめる。餡の味が、台湾で食べる「何か」を思い起こさせた。
 店番をしていた方はこの店が何冊かの雑誌で紹介されたことをしきりに紹介してくれたが、確かに普段外で食べる餃子にはあまりない味で、美味しく戴いた。と共に、この店番の方の話から、池袋の「中国系」とは違い、オーナーが台湾出身で台湾の味をアレンジしようとした店であるということを聞かせてくれた。
 今回池袋を歩いていちばんの収穫は、この餃子店であった。

 この池袋北口・西口界隈で「池袋チャイナタウン」を大々的に掲げて売り出そうという提案が、この地を拠点にする中国の人を中心に出されている。@niftyに掲載された内外タイムスの記事はこちら。横浜や神戸の中華街とは違う、最近中国から来た人たちによるチャイナタウン、ということであろうか。ここだけでなくても中国語がよく耳に入る池袋であるが、中国を感じさせる店が密集しているというわけではなく、街の中に多数点在している、という感じである。
 私が学生だった頃(くどいようだがH送大学の、ではない)から既に池袋は中国の人が他所よりも多く行き来する街で、前述のようだったか定かではないが中国人が営む飲食店がちらほらとあったと記憶している。

 例えば、上海の古北エリアは日本人が多く住み日本人がよく出入りする街として知られ、また龍柏新村あたりは韓国料理店が並び韓国人が多く住んでいる。しかしながらこれらの街は日本人や韓国人だけで担われているのではなく、もとから住んでいた、あるいはこれらに職を求める中国人によって街が成り立っているのだと思う。「古北には日本人が多く、日本食材店がたくさんある」「龍柏には韓国人向けのマンションや店が多い」という話は聴くしそれはそれで現状なのだが、「古北日本街」「龍柏韓国街」という言われ方をされるとそれはどうか、と思われるだろうし言うのは如何かとも思う。
 「池袋チャイナタウン」構想はもとから住んだり商いを営んでいる人なしには成り立たないだろうし、それらを無視した構想は歓迎されないのではないだろうか。古北の日本人や龍柏の韓国人と逆の立場にあってどう街と関わっていくか、ということだと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧