2009年10月6日星期二
先日格闘技観戦のために後楽園ホールに行ったときに、通路に「台湾台風復興支援」と銘打たれた女子プロレスのポスターを見つけた。ポスターには「後援 台北駐日経済文化代表処」と書かれてあり、台湾の駐日機関のパックアップも得ているようである。帰って調べたところ、LLPWという団体の選手を中心に10月12日に後楽園ホールで行う興行にこの名が冠せられている。
台湾でテレビをつけるとケーブルテレビにプロレスの専門チャンネルがあり、女子プロレスは見たことがないがプロレスの録画放送をやっているのを見たことがある。が、何故か日本のそれは古い試合の録画が多かった記憶がある。またプロレス団体の中には台湾興行を打つところもあり、台湾でも日本のプロレスは馴染みがあると言える。
私はその時間に別のスポーツを見に行く予定があり「台湾復興」の名を冠した興行を見ることができないのだが、「台湾」の名を、「台湾復興」の名を興行に冠するプロレスに敬意を表したい。
台風や地震など災害の直後には緊急性を要すること、まずは人命救助でありその後は食糧や仮住まいの確保といったことに重点が置かれるが、こうした段階では人々の注目が集まりやすくそれゆえに金銭的援助も集まりやすくこうした活動に供されるものである。問題は被災者のその後の長い人生に渡る部分であり、例えば被災した子どもが両親の生活基盤の復旧が不充分であったりそもそも親が災害で亡くなっていたりして学費の調達が難しく進学が困難になり、本人の希望以前の要因でそれが果たせなくなるということがある。災害から時間が経ってから生じる問題に取り組んでいる人たちもいるのだがなかなかこうした方面には注目が集まりにくい。それから、根幹ともいえる「災害に強い街づくり」というのも長い地道な活動が必要である。
被災直後の支援は勿論必要だが、こうした長期間にわたる問題にも注目が集まり支援なり人々の想いが注がれることを願いたい。
今年は台湾だけでなくベトナムやフィリピンでも台風による被災が深刻であり、また台風のみならず地震でサモア・米領サモアやトンガでも多くの人が被災した。台風や地震は避けることができないし自分が遭遇するかもしれないのだが、これらによる災害を防ぐこと、また不幸にして罹災した場合にその後の被害を最小限にしたり将来の生活への影響をなるべく少なくするようなことに出来るだけ注目したいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年7月12日星期日
今日は都議会議員選挙の投票日だった。投票所に指定された小学校へは今まで行ったことがなく、また普段の通勤路とは逆なので普段あまり足を運ぶことがない方向だったので投票所への道程は目新しいものだった。そう遠くはないのだが近くでさえも足を運んだことがないところがまだまだある。
通りには「For rent」と書かれた新しいマンションがいくつが建てられていた。長くこの街に住んでいる人からすると、こうしたマンションを見ると街の風景も変わったと思ってしまうのかもしれない。ただ街には新しい人が来るのが常であり、師匠が仰る「変わるものと変わらないもの」ではないが、新しい人と古くから住む人でこの街が作られていくのであろうし、それが住みやすい、過ごしやすいほうに向かって欲しいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年7月8日星期三
1日遅くなったが、近所で見た七夕飾りの写真。本来は旧暦の7月7日の夜が七夕と称されるようだが、物心ついてからずっとこの時期に七夕飾りを見ている。七夕にちなんだお祭りをするところに住んでいる人だと、その土地の七夕祭りの時期に応じて「七夕」を感じる時期は違うのかもしれない。
家族の健康であるとか家族旅行の実現だとか、日々の生活の中での願いとりわけ家族の幸福祈願が多く短冊に託されている。
こちらは職場近くのビルの中でみつけた七夕飾り。こちらの短冊には、個人の健康維持だとか仕事上の目標実現とか、個人から出てくる願望が多く託されていた。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年4月13日星期一
前回の続き。母校の跡地がどうなっているか大体見ることができたので、かつて歩いた、母校から駅へと向かう道へと足を進めた。
確か学生の頃は「Tea Room Z」だったはずだが、名前が変わっている。ひさしも昔は茶色っぽい色だったと記憶している。「Tea Room Z」はある有名な俳優の実家だという噂だったが、実のところは今に至るまでも不明である。当時そんな話を聞き、好奇心半分で1回入ったきりである。
駅へ向かうには、細い道を曲がっていかなければならない。途中で、豆腐売りのおじさんが休憩していた。
細い道を抜けて墓地に着いたとき、ここが桜の名所だということを思い出した。おそらく4回は見たのであろうが、すっかり忘れていた。時を経てこの日、快晴の空の下で、桜の木や花が今が盛りとばかりに咲き誇っている。
桜吹雪が舞っている、いちばん綺麗な頃である。
両側から進入禁止、という不思議な細い道を抜け…
この道を左に曲がり、国道へ抜けてアーケードを通り過ぎると最寄り駅に着く。
学生の頃に駅前で焼肉を食べることはあまりなかったが、地下の中華料理屋では稽古の後にラーメンや定食でお腹を満たしたのを覚えている。駅へ向かうアーケードには学生時代にはなかった店の名前が少なからずあったが、その中華料理屋はかつての名前を残していた。
駅のロータリーを囲む店も変わってしまったが、この饅頭屋には相変わらず行列ができていた。まぁこの写真を見るとここがどこか同学でなくてもわかる人にはわかってしまいそうですが…
前述の通り私の母校は今はこの地にはなく、同じことを学ぼうと志して母校で学んでいる今の学生は別の道を通学路にしており、この道を通学路として通ることはない。母校の卒業生の集まりに「その地名」を冠する名前を付けても「どこですかそこは?」と言われることが多くなるのかもしれない。それでもかつて4年間歩いた道は、師匠や同学と過ごした原風景の1つである。今後も縁ある土地として、この通学路界隈はこれからも遠くにいても気になるのだと思う。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年4月12日星期日
先日休みを取った際に、「かつての通学路を歩いてみよう」と思い立ち、かつての母校のある街へと行ってみた。(「かつての通学路」といっても、「H送大学の学習センターから最寄り駅へ向かい、そのまま居酒屋に吸い込まれる」という通学路ではありません)
たまに使った「町内会の名前を冠した駅」からだと私の母校までは一本道である。道路沿いにはかつてと同じ食堂が、今でも軒を連ねている。
この店も健在。授業や稽古のあとでよく行ったものである。
店内の椅子やテーブルも、お冷やの氷も、学生の頃と変わらないような気がした。
実は私の母校は9年前に別の場所に移転しており、もうこの地にはない。跡地はどうなっているかと思ったら再開発が進み、もはやかつての校舎は残っていない。まぁ学校自体は新しい土地でしっかりと活動しているわけであり、かつて母校があったこの地に建つ新しい建物なり施設がこの街に根付き、この街の人たちに親しみを持って迎えられることを期待したい。かつての我々がそうであったように。
写真の道路を右に行くとかつての正門に、左の坂を下るとかつての学食や生協の裏に出る。左側の坂沿いにはアパートが多く、このあたりには同学が多く住んでいた。
このあたりがかつての正門だろうか。今は賃貸マンションの建設中である。この賃貸マンションには「町内会の地名」が冠せられるようだ。
向かいの女子高校も白い壁の綺麗な建物になったな…と思ったら、校門から男子生徒も出てきた。今は共学になっているようだ。
学校の壁には卒業生が北京五輪に出たことを祝す垂れ幕が掛けられていた。「著名なレスラー」も、ここの学校出身だとか。
ここから普段の通学路を目指して歩くのだが、ちょっと道をそれて近くの商店街の方面へ向かう坂を下ってみる。かつて体育館があった場所には、高齢者福祉施設と障害者福祉施設を兼ねた建物が建てられている。
学校の裏手もかつてとは違い、歩道が広い綺麗な道路になっている。
かつての校庭付近は公園になるようで、いまのところ工事現場には母校の跡地であることを示す名前が冠してある。まぁ、名前は変わるのかもしれませんが。
写真が多くなりそうなので、肝心の「かつての通学路」については別にアップします。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年4月10日星期五
夜景を撮ってみようと思って先日三脚を買ったのだが、先々週訪れた六義園はライトアップ時は三脚禁止とのことで使うことはできなかった。もう桜の季節も終わりだが、それでも周りに比べてまだ花を残している近所の神社で、三脚デビュー(といってもフィルムカメラ時代には使ったこともあったが)を兼ねて夜桜を撮影してみた。カメラの腕はもともと拙いのだが、夜見た景色を思い出だけでなく映像として残せるようになった。
東京での今年の桜は見納めであろうが、また来年も桜を見て、そしてその周りの景色やその土地の歴史の中に新しい発見をしたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年4月8日星期三
2009年4月5日星期日
今日は二十四節気の1つ、清明であった。中国だと昨日から清明節として3連休で、墓参りに行く人も多いのだろうが、日本では普通の土日ながらこの週末は花見で桜を愛でた人も多いのではなかろうか。今日は特にどこかへという訳ではなく、近所の桜を写真に収めてみた。
ここではシートを敷いて酒を飲むという人はいなかったが、近くの公園にはそういう人がいたりあるいはベンチに腰掛けてちょっとしたものを食べながら桜を見ている人も多かったし、遊びに来ている子どもも春到来ということで楽しく遊んでいるように見えた。
見頃が短い桜であるが、今年は東京近辺では4月初旬に満開の姿を見せ、入園・入学などこの4月に新しい生活の節目を迎えた人を前向きな気持ちにさせてくれるのではなかろうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年3月29日星期日

そろそろ桜が咲くかなと言われるようになってからまた寒さが戻った感じで、都内ではこの週末もまだ満開とはいかないところもあるようだが、六義園のしだれ桜は満開とのことで、夜のライトアップを見に行ってきた。
園内のしだれ桜。去年行った小石川植物園と違って園内に何本も桜があるわけではないのだが、この1本だけで圧倒的な存在感である。大きく拡がった枝に満開の桜の花である。
園内はライトアップ時は三脚禁止とかで、折角三脚デビュー?しようとしたのに残念。写真が暗めになってしまった。来週の週末も桜の花を楽しむことができるかな?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年2月11日星期三
池袋駅北口付近には中国食材店や中国料理店が集まっており、またそうした場所に多くの中国人が集まっている。この界隈を「池袋チャイナタウン」と呼ぶ人もいる。筑波大学・山下清海教授のウェブサイトの中に、この界隈を紹介したページがありその中でこの名を冠している。
先月のことであるが、そんな池袋北口界隈を、そして西口界隈を歩いてみた。
池袋駅北口を出てすぐ、線路沿いに歩いて最初の交差点を折れると「陽光城」という名前の中国食材店がある。
その向かいのビルには、「知音」という看板を掲げたやはり中国食材店がある。品揃えはいろいろあり、スーパーマーケットといった感じである。店の中では中国語がデフォルトで、日本語が通じないときもある。店内には食堂もある。
先述の交差点を斜めに入ると、「富麗華」と書いてある看板が見える。1階・2階は楽楽屋という居酒屋や中国料理店なのだが、3階はカラオケボックスになっている。このカラオケボックス、中国語の歌をふんだんに収めたシステムが入っており、中国や台湾のカラオケボックス同様に中国語圏の歌を歌える。日本の普通のカラオケ(昨年4月に行ったときにはUGAだった)も入っているので日本語と中国語のカラオケを同時に楽しめ、中国語のわからない人でも楽しむことができよう。
このカラオケボックスは3階にあるのだが、2階の料理店の厨房を通った先に3階に向かう階段がある。初めて入る時にはちょっと驚くというか入り難いかもしれない。店員は中国の人だが、精算したときのレシートは普通の(日本語の)明細だった。
ここからクランク状に北に向かってあるくと、へいわ通りという名前の通りがある。
この通りに、中国料理店が数多く並んでいる。夜になると店内には中国語の会話が飛び交っているが、休日の昼間ということもシャッターを閉じている店が多かった。
池袋に限らず、「中華料理」ではなく中国料理を掲げる店には、「東北菜」、中国東北部の料理を看板に掲げる店が多いような気がする。
例えば水煮魚を売りにする、あるいは水煮魚は川魚ベースだから厳しいにしても唐辛子だけの平板な辛さではない、山椒などもきっちり交えた四川菜の廉価な店があってもいいのに。
池袋には家電量販店もあるのだが、小さいビルの一角には小さなパソコンショップがあり、中国語の宣伝を掲げるとともに在日中国人向けの新聞を店頭に置いている。
北口界隈から、池袋西口界隈へ。池袋駅から行くと駅前の大通りを直進し、五差路を右に曲がる。北口同様に中国料理店の看板が見えるが、このあたりには韓国食材店の看板もたまに見える。
そんな路地に、「線條 手打餃子専門店」の看板を見かけた。看板の上には「本場台湾」の文字が見える。この界隈にある中国系の店とは違うようだ。
いろいろな餃子の写真やその紹介・メニューが店頭を飾っている。
店内は2人掛けのテーブルが3つという小さなものである。ここで店の人に勧められるままに「如意餃子」を頼んでみた。木の実が入った餃子など中の餡は6種それぞれ違い、皮にも野菜が練りこんであるものがあるとかで、違う味が楽しめる。餡の味が、台湾で食べる「何か」を思い起こさせた。
店番をしていた方はこの店が何冊かの雑誌で紹介されたことをしきりに紹介してくれたが、確かに普段外で食べる餃子にはあまりない味で、美味しく戴いた。と共に、この店番の方の話から、池袋の「中国系」とは違い、オーナーが台湾出身で台湾の味をアレンジしようとした店であるということを聞かせてくれた。
今回池袋を歩いていちばんの収穫は、この餃子店であった。
この池袋北口・西口界隈で「池袋チャイナタウン」を大々的に掲げて売り出そうという提案が、この地を拠点にする中国の人を中心に出されている。@niftyに掲載された内外タイムスの記事はこちら。横浜や神戸の中華街とは違う、最近中国から来た人たちによるチャイナタウン、ということであろうか。ここだけでなくても中国語がよく耳に入る池袋であるが、中国を感じさせる店が密集しているというわけではなく、街の中に多数点在している、という感じである。
私が学生だった頃(くどいようだがH送大学の、ではない)から既に池袋は中国の人が他所よりも多く行き来する街で、前述のようだったか定かではないが中国人が営む飲食店がちらほらとあったと記憶している。
例えば、上海の古北エリアは日本人が多く住み日本人がよく出入りする街として知られ、また龍柏新村あたりは韓国料理店が並び韓国人が多く住んでいる。しかしながらこれらの街は日本人や韓国人だけで担われているのではなく、もとから住んでいた、あるいはこれらに職を求める中国人によって街が成り立っているのだと思う。「古北には日本人が多く、日本食材店がたくさんある」「龍柏には韓国人向けのマンションや店が多い」という話は聴くしそれはそれで現状なのだが、「古北日本街」「龍柏韓国街」という言われ方をされるとそれはどうか、と思われるだろうし言うのは如何かとも思う。
「池袋チャイナタウン」構想はもとから住んだり商いを営んでいる人なしには成り立たないだろうし、それらを無視した構想は歓迎されないのではないだろうか。古北の日本人や龍柏の韓国人と逆の立場にあってどう街と関わっていくか、ということだと思う。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年1月7日星期三
年末の大理旅行の際、西湖のガイドをしていた若い女性が、自分は大理から外へ出たことがないのだと言っていた。さらに、大理では他所へ出稼ぎに行く人は少ないのだとも話をしてくれた。収入は他の街に比べて低いのかもしれないが、ここでみんなで米と野菜を作ってそれを食べていけばやっていけるのだ、と。
3年前に大理を訪れた際にも喜州の観光ガイドの女性が、大理から外へ出たことは殆どなく遠くへ行ったのは昆明くらいだと言っていた。
「経済発展が進んだ中国」の姿としてよくテレビで見たり関心を示されたりするのは上海や広州・深圳など沿海部のそれであり、私もかつてそんな街で仕事をしていたことがある。他方内陸と沿海部の経済格差の開きもよく語られ、こうした地域からの出稼ぎというのもよく話題に上る。
昨年末にNHK・BSで『中国・庶民の改革解放30年 第2回 革命の聖地 延安』という番組を観た。日中戦争期に中国共産党が長征の後にたどり着き本拠地を置いた「革命の聖地」とされる陝西省・延安もやはり今となっては「内陸の立ち遅れた地域」を体現しているのだが、そこで10年以上前に人民公社体制から生産請負制への変化に巻き込まれた人たちがその後どうなっているかを追った番組である。生産請負制に抵抗し、人民公社時代に割り当てられた比較的生産性の高い土地を引き続き耕そうとして高値でその土地の利用権を落札した人はその支払いのために出稼ぎを余儀なくされ、生産請負制に乗じて一旗挙げようとした人もその後の当局の農地政策の変化などでうまくいかず結局出稼ぎに行かざるを得なくなる、という内容であった。この2人がうまくいかないが他方で早くから農業を捨てた人がこの地ではうまくやっている様子が映ったが、延安全体としては「立ち遅れ」から脱することができていない、という印象を持った。
大理のガイドの女性の話を聞いて頭に浮かんだのは、1ヶ月あまり前に見た映画『小さな中国のお針子』である。こちらは長らく閉ざされた村で過ごしてきたお針子の女性が下放されてこの村にやってきた青年との交流や恋愛を通じて村の外には今まで触れたことがない新天地があるのだと思い、村を出ていくというストーリーである。
大理の観光地でガイドをしていると中国の都市部から来た人を見たり彼らと話をすることは多いだろうし、私のような外国人とも話をすることがあるだろう。また、今はテレビなどで中国の他都市の情報を見聞きすることがあるだろう。中国にいると、私のような外国人に対して「給料はいくらだ?」とか聞いてくる人が少なからずいるのも確かである。
そんな中でこの大理で生きていく、生きていけるという話を聞いたのは印象深かった。「出稼ぎには行かない」と言うからには出稼ぎという生き方を知っているということであり、それを踏まえての話である。
大理は観光地として著名でありまた気候的にも年中温暖で、中国全体からみると厳しくも雲南省の他の街や村、さらに前述の延安などに比べて経済的には良い状況にあるのかもしれないし、その中で観光ガイドの職に就いているのも比較的良いのかもしれない。大理古城で米线を食べているとお金を乞う人が店に入ってきたこともある。また、大理でも古城から離れたところには経済開発区があり必ずしも「経済発展から離れた幸せ」を求めているわけではない。それでも、大理に生きる人から「この街で生きていける」「金銭的にはさておき米と野菜を作っていれば生きていける」という話を聞き、大事にすべきは何かを感じたような気がする。
2年前には拙ブログで愛媛に関わる人を取り上げ「一生幸せに生きていける」という文章を書いた。私自身は勤め人として「儲かる場所」にターゲットを当てねばならずさらに住む場所も変えてきたので前述の大理に生きる人や愛媛に暮らす人とは暮らし方を異にするのであるが、他者をむやみに羨ましがるのは避け「自分はどう暮らしていくか」ということは意識していきたいと思う。
上写真は西湖から大理古城に戻る途中にて、下写真は西湖の中の島にある村落の写真。本文で触れた西湖のガイドの女性はこの島で生まれ育ち、今は毎日ボートで島から湖畔にある観光拠点に通っているのだとか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2009年1月1日星期四
1月1日、新しい年の幕開けの日である。学生だと新学年、勤めていると事業年度など他の区切りもあるのだが、日本の正月は普段とは違う時間の中でゆく年を振り返りまた新たな年に思いを巡らす良い区切りである。日本の正月が体に染みついているせいか、上海にいた頃の普通の休日に過ぎない1月1日は日本のそれとは違った感覚で過ごし、また春節も何か「区切り」という感覚ではなかった。また、シンガポール在住歴のある人に言わせると四季がない土地での暮らしもやはり節目を感じにくいのだそうだ。四季折々を感じる中、寒さの中で正月を迎えることが長年の習慣からか自然のように思えてくるし、節目を迎えていろいろと考える機会を与えてくれる。
寒さを感じる元旦の朝であったが、近くの神社の境内では梅の花が早くもぼちぼちと開いていた。もっとも開いている花はごくわずかで、ほとんどの花は硬いつぼみの姿で来たる春の訪れを待っている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年11月22日星期六
物心ついたころから「新幹線」といえばこの形だった。新幹線に乗ることは少なかったが、写真で見る、丸い形の先頭に丸いランプ、そして白と青の塗り分けが、私にとっての「新幹線」であった。
そのうちもっと尖った「鼻」を持った新幹線が登場し、その後に登場した新幹線の「鼻」はどんどん長くなっていった。さらに日本の新幹線の技術は台湾や中国にも輸出され、彼の地でも日本の新鋭車輌と同じ車輌を見ることができるようになった。しかし日本では、「鼻」が長い新幹線車輌が増えるにつれて、原型であるこの車輌を見ることは少なくなっていった。
1964年の新幹線開業当時から走り続けてきた0系電車は、今年限りで現役を退くそうだ。所用があり西に向かう際に移動ルートにこの0系電車への乗車を組み込んでみた。
写真は新岩国駅にて。私にとって「見慣れた」ものでも、歴史の中に入っていくのだろう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年8月31日星期日
今般、「ここ」の「こういう制度」を利用して「学士(社会科学)」の学位を戴き、一昨日学位記が郵送されてきた。2年前の「学士(商学)」に続いてのことである。
この制度で学士の学位を得る際には、大学などで単位を修得するだけでなくレポートを提出しなければならない。今回申請するに際し、孫文の政治思想を題材にしてレポートを書いた。
今までは「今起こっている事象」に興味を持ち、それを題材に学習や研究を行ってきた。その知識を深めるために過去の事象について調べたり本を読んだりはしたが、ある程度時間の経った過去の事象について、研究なり学習の対象として興味が湧くことは少なかった。が、今回孫文を題材にレポートを書き、昔の事柄に学ぶことも多いということを改めて感じた。今回提出したレポートは孫文の政治思想と(中国のみならず)現代国家に見られる一党支配体制を比較したものであり「今ある事柄」についてレポートを書いたとも言えるが、そのために孫文にまつわる書籍を読んで学ぶことで、過去のことを学び、研究する面白さを感じた。もう少しそのことに早く気付けばよかったのかもしれない。
私の師匠が「変化したものを知ると同時に変わらなかったものを知ることが重要」と仰っていたが、現代の事象を知る際に過去のことを知る必要性を示されたものだと言えようし、過去のことを知っていれば現代のことにも興味を持って接することができるだろう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年8月19日星期二
先日、私の部屋にひかりTVを導入した。ひかりTV、要はインターネット経由で見るテレビである。
スカパー!に入ろうかと思ったのだが、部屋に勝手に穴を開けてアンテナをつけたり線を引くことはできない。スカパー!にはやはりインターネット経由で見ることができるスカパー!光というのがあるのだが、これは光回線を独り占めしていなければならず、マンションで回線を共有している私は入ることができない。そこで、似たサービスであるひかりTVに申し込んだ次第である。
テレビの基本料金で見ることができるチャンネルが40チャンネルもある。こんなにたくさんの番組は見ることができないし、番組表を見ると同じ番組を繰り返し放送している場合もありコンテンツの少なさが否めない場合が少なからずあり、見ることがあるのかと思った。しかし実際に加入してみると、旅チャンネルを見て日本中や世界中を旅した気分になったり、『機動戦士ガンダム』や『キン肉マン』を見て懐かしい気分になったりと結構見てしまうものだ。今後ヨーロッパのサッカーを見たりできそうだし、なかなか楽しめそうである。
ひかりTVが開通してすぐ、有料のオプションサービスである鳳凰衛視・CCTV大富そしてTVB大富に申し込んだ。それぞれ中国語の番組のチャンネルであり、日本語の字幕はここまで見たことがない。コマーシャルも現地のそれである。部屋でも台湾・中国気分をというのもあるし、放送時間は少なそうだが台湾や香港の歌のプロモーションビデオを視るのに憧れていたのである。中国語のヒアリング能力向上のため、というのもある。
五輪期間中ということもあり、CCTV大富では姚明とその彼女(結婚相手)のストーリーを特集したりと五輪関係の番組が多い。他のチャンネルも含め、それぞれぼちぼちと見ようと思う。
もっとも、これらのチャンネルを見て中国や台湾と同じだと思うわけにはいかない。CCTV大富は中国のCCTV(中国中央电视台)の番組を放映しているが、当の中国ではCCTVだけで10チャンネル以上あり、さらに各地の放送局を衛星放送やケーブルテレビへの配信で見ることができる。台湾では、地上波ベースの放送局のほかにそれこそスカパー!やひかりTV同様に様々なジャンルの番組を見ることができ、台湾でホテルに泊まってテレビをつけると、100くらいのチャンネルがある。他方TVB大富は香港のテレビ局「TVB」のダイジェストであり、台湾で見ることができる番組のごく一部ということになる。
そのあたりを勘違いしないようにしつつ、それぞれのチャンネルで放送される番組を見て楽しんだり中国語能力の向上に役立てたりしたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年5月15日星期四
また話題に乗り遅れた感があるが、先週の胡錦濤・中国国家主席訪日について。
来日して首脳会談をしてサッサと帰るのかと思ったらそうではなく、4泊5日も滞在したようである。来日後松本楼で晩餐会をしたと伝えられてから3日後、蕎麦をすすっていたら彼が川崎のリサイクル施設を訪問したり横浜中華学校を訪問したりしたということがラジオで流れていた。
気になったのは学校を訪れたということ。ニュースでは1国のトップが学校に来てくれた喜びを伝える生徒のコメントが流れていた。
日本の首相・閣僚や政治家が外国を訪問した際に、ついでに学校に立ち寄ったという話はあまり聞かない。もし既にやっていればいいのだが、海外訪問のついでに日本人学校に立ち寄って、(自分や所属する政党への支持を訴えるばかりでは困るが)日本人として、あるいは「市民」としてのあり方を説くような話をしたりあるいはもっと身近に「私の少年・少女時代」lくらいでいいから話をしに行くといいのではないかと思う。
日本では、日本サッカー協会の旗振りで「ユメセン」=夢先生、ということでサッカー界のみならず幅広く有名人を講師として学校に派遣してトークをしたり一緒にサッカーをしたり給食を食べたりして子どもたちに親しみをもってもらい、考える機会を設けている。内外を問わず、そういうことを政治家がやって(繰り返すが、自党の主張ではダメだが)政治家の存在を身近に感じてもらったり彼らが体験したことを伝えてもいいのではないかと思う。そして、それに値する人が出てくることも。
ところで初日の晩餐会の会場だったという松本楼、毎年9月25日にチャリティーで「10円カレー」を振舞うことで知られている。硬い晩餐会ではなくカレーを食べながらざっくばらんに、というのでも面白かったのではないかと思うが…
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年4月29日星期二
初夏の陽気を思わせる祝日の午後、日本武道館へ行ってきた。


今回は飯田橋駅から目白通りを南に下って九段下にある日本武道館を目指したのだが、目白通りの歩道にはかつて何があったかを示す石碑が建っていた。歩いていて見つけた順番に左から東京農業大学開校の地、徽章業発祥の地、北辰社牧場跡、東京女子医科大学発祥の地。明治時代この地に牧場があったとは驚きである。
靖国通りとの交差点には、第2次大戦中・戦後から昭和30年頃までの暮らしぶりを伝える昭和館が建っている。今日は「昭和の日」だったからか、入場料が無料になっていた。館内には寄贈を受けた、当時の様子を伝える家具や身の回りの品、ポスターや手紙が展示されている。
昭和館の下に、「蕃書調所跡」の碑を見つけることができた。江戸時代末期の1854年に海外事情を調査するために設立された蕃書調所、某「町内会」関係者にとってはかつての学舎のルーツともいえる。
この日、日本武道館では柔道の全日本選手権が行われていた。日本武道館に近づくといかにもという感じの体格をした、学生服やブレザー姿の学生と思しき人達がたくさん歩いていたし、観戦に向かう学生以外の人達の中にも腕が太い人や体格のいい人が目に付いた(勿論皆がそうだというわけではないが)。
爆風スランプの1989年のヒット曲に『大きな玉ねぎの下で』(作詞:サンプラザ中野)という歌がある。この「大きな玉ねぎ」、武道館の建物の全景を「玉ねぎ」に例えたのかとずっと思っていたが、「玉ねぎ」は武道館の屋根に乗っている飾り、擬宝珠(きぼし)を意味するらしいですね。
この歌はペンフレンドと「大きな玉ねぎの下で」会おうと彼女を武道館でのコンサートに誘ったけれども結局会うことができなかった男性の気持ちを歌った歌である。もっとも、私には武道館にはそんな思い出はなく、柔道の試合(しかも全日本選手権のような大きな試合ではなく、いろいろな大会の東京都予選)の思い出ばかりである・・・何しろ、ここは「武道館」である。
その「大きな玉ねぎの下で」柔道日本一を決める戦いが行われ、100キロ超級の五輪代表が決まった。当たり前だが、重量級でも皆技や動きが素早いですね。決勝戦で残り2秒で寝技を返した鈴木選手、負けはしたが決して諦めない精神を感じた。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年4月13日星期日
先日柄にもなく?恵比寿ガーデンプレイスに行ったのは、恩師お二人の定年をお祝いする会に参加するためである。「定年のお祝い」というのは先生のみならず一般的にこの表現はどうかと思うが、定年がめでたいというよりは多くの学生にご指導を戴き、社会に働きかけ続けて定年を迎えられたことに対する感謝の宴ということになる。お二人とも長らく中国や台湾など東アジア方面を研究され、その方面への造詣は深い。
(ちなみに、「恩師」は「某町内会」関係ではありません-って、わかる人にしかわからないか)
お二人とも「知的好奇心を維持すること」を今後の課題としておられた。私は学究を生業としているわけではないが、こと仕事に関して言えば大したことをしていなくても表計算やワープロを弄していたり仕事のためのソフトウェアを弄っていたり、あるいは人と話をしたりして時間を過ごすことで仕事をした気になりがちである。あるいはそうしたことで時間をとられることを「忙しい」と表現したりもする。しかし、そういうことで己は知識を身に着けているだろうか、世の中が見えているだろうか、自分の知的好奇心は満足しているだろうか。
そうは言っても「表計算やワープロを弄ぶ」ことで組織は動きひいては組織が社会に働きかける訳であるし、「人と話をして時間を過ごす」ことが組織のためになるのだしそうすることで自身も社会とのつながりを維持できるのだが、日々「どう手を動かすか」というのとは別に「知的好奇心」のアンテナは常に張っていたいものだ。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年3月30日星期日
台湾の話は一回休みで、日本の話を。週末に桜が満開だと聞き、昨日早起きして小石川植物園に足を運んでみた。
入り口を入ると、いきなり桜の大木の出迎えを受けることができる。
坂を上ったところにある広場にある、たくさんの桜の木。よく「桜色」というが、こうやって目にするととりわけ近づいたときに純白ではないものの思ったより白色に近いように見える。つぼみとか花弁とか、他のものの色とあわさって「桜色」を作っていくのだろうか。
園内にある、とりわけ大きな桜の木。
園内の日本庭園にて。ここには去年の晩秋に一度来たのだが、今回は桜の花が日本庭園に彩を添えている。
一気に桜の開花が進んだ今週であるが、近づいてみるとまだつぼみもいくらか残っている。来週くらいまでは桜を見ることができそうか。
圧倒的な桜の花であるが、他の花も園内で彩りを主張している。写真はゲンカイツツジ。
キリシマミズキ。
シナミズキ。
花の写真を撮るのは難しい。カメラを手にあれこれ試行錯誤したが、あまり写真を撮るのに夢中になると肝心の花見なり散歩が楽しめないので、適当なところでカメラはほどほどにすることにした。
11時頃になると園内で花見を楽しむ人たちで賑わってきた。英語や中国語の声も聞こえてきた。
なお、園内は飲酒禁止。
小石川植物園を離れ、植物園に続く播磨坂の桜並木。こちらは道の中央を走る遊歩道で花見を楽しむことができる。ここではアルコールはOKなのだろう、朝8時ころからビールと焼酎を楽しんでいる人もいた。ヨーロッパの広場に面したカフェでビールやワインを昼から飲んでいる人を見たときにも思ったのだが、酒に強いというのはこういうときにうらやましい。私などは朝から酒を飲んだらその日1日使い物にならないだろう。
酒は楽しんで飲み、トラブルは起こさないようにしたいものだし、してもらいたいものだ。
某大学の某学習センター(伏せ字になってないか)の隣の公園にて。写真左側は小学校である。校庭や通学路の桜というのは何年たっても記憶に残っているのではなかろうか。有名なところでなくても心の中に「桜の名所」を持っている人は少なからずいることだろう。
上海では限られたところでしか桜をみることができず、東京のように街のあちこちで桜を見ることはなかった。久々に日本で花見を堪能した。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年3月13日星期四
先日、休暇を取ってとあるセミナーに足を運んだ。ぼかした書き方をすると、私が上海でしていた仕事分野が東アジア・東南アジアで現状どのような状況にあるか、というのがそのセミナーのテーマであり、大学教授や研究所の研究員による高説を承ってきた。上海にいた頃は目先の仕事をこなしつつ中国における「その分野」について理解を深める、という感じであったが、改めて学問的な立場から「その分野」について話を聞くのも良いと感じた。
「実践無き理論は空虚であり、理論無き実践は無謀である」とか似たような言い回しがある。仕事では目先の事象に対応するために手足を動かし頭を働かすことが多かろうが、とかく根本的な部分は忘れがちなので気をつけないといけない。自分がどんな環境の下で仕事をしているのかは常に意識していたいし、仕事に時間を取られて周囲や世の中のことが見えなくなるということは避けたい。実践と理論のどちらかを軽視したりどちらかに過度に重きを置くことなく、バランスの取れた考え方を持ちたいと思う。
写真は近所にて。そろそろ桜の開花予報が話題になる頃であるが、このあたりでは梅の花が満開で、良い香りが漂ってくる。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年2月29日星期五
中国製冷凍餃子の中毒事件から1ヶ月が経った。
まず事件そのものについては、当たり前だが再発防止のため原因究明が求められる。今のところ日本側・中国側がそれぞれ自国での混入可能性は低いと主張しているが、原因は科学的に解明されるべきであり、対策も構築されるべきである。
と同時に気になるのは、この事件により本件に限らず「中国製の食品から薬物検出=中国に原因」とのステレオタイプが確立されてしまったことである。他の同様な中毒事件があったときに原因の有力候補として可能性を指摘するのであればまだ良いが、「薬物混入=中国(での発生)」と決め付けて他の可能性を一考だにしないのは考え方として拙いと思う。先日徳島県で中国製食品から薬品が検出され、後に店で防虫作業にこの薬品を使っておりこれが付着した可能性が強いとされているが、これもニュースとしては「中国製食品の問題」で括られてしまうし、報道を見た人は何も考えずに「また中国製か」という感想を持つだろう。
中国製品の安全性に対する疑問が高まったのは、玩具に鉛など有害物質を含んでいた事件が多数報じられたことが寄与していると思う。これにしてもそうした有害物質を含むことは厳しく戒められるべきであるのは当然だが、やはり「粗悪品=中国」のステレオタイプで括られがちである。
数日前にNHKのニュースで、こうした事件を期に食の安全への関心が高まっている例として、都内の地下鉄駅構内にある農産物産直売店の様子を取り上げていた。この直売店では千葉県産で身元や生産履歴がしっかりした、農薬や化学肥料の使用を抑えた野菜やそうした大豆を使った味噌などを売っていて、食品の安全性を意識する人の増加で注目が高まっているとのことである。私も時々この直販店の前を通る。
このうち野菜は農薬使用量が少ないためか、葉っぱに虫食いが見られるものもある。また、味噌は保存料が使われていないため一般の味噌に比べてカビが早く生える。野菜の大きさが不揃いであることも含めて苦情を言う人がいるとの話であったが、寄せられた苦情の中に「本当は中国産じゃないの?」というコメントを見つけた。典型的な「粗悪品=中国」のステレオタイプである。
勿論これら野菜や味噌は粗悪品ではなく、虫食いは低農薬の証であるし味噌のカビは保存方法を工夫する(表面にラップを貼る)ことで防ぐことができる。販売店でも生産者から話を聞いて、お客に対応できるようにしているとのことであった。
中国製食品の事故を機に「食の安全」を心配したにもかかわらず、「粗悪品=中国」のステレオタイプにはまって本質を見抜くことができないというのは、皮肉な話である。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2008年1月1日星期二
花火や爆竹の音でうるさいくらいである上海の春節と比べ、日本で久々に過ごす正月はとても静かな気がする。昔と違い1月1日から初売りをする店も少なくないが、それでも街を歩くと静けさを感じる。
今住んでいるところの近くに、学問の神様を祀る京都の神社と同じ名前を冠し、同じ御祭神を祀る神社がある。この神社も近所の人達で賑やかだった昨晩とはうって変わり、朝の静けさの中で参拝に来る人達を待っている。
学問の神様ということで受験合格を祈願する絵馬が多いが、この近くには中学校と養護学校と盲学校があるのでそこに通う子ども達も見守って欲しいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年11月21日星期三
丸ノ内線の茗荷谷駅から歩いて15分ほどのところに、小石川植物園という植物園がある。正式名称は「東京大学大学院理学系研究科付属植物園」といいその名の通り東京大学の研究施設なのだが、一般にも開放されており入園料を払えば誰でも入園できる。
東京の都心で、このような広い緑地で紅葉を眺めることができる、というのが良い。
もっとも、冬が近づいているということもあり、落葉舞う園内はちょっと寂しい。それでも散歩を楽しむ人が少なからずいたし、ガイドブックに載っているのが外国人の姿も多く、英語や台湾語や韓国語が聞こえた。
そんな寒い中で咲いていた、コダチダリアの花。
小石川植物園は江戸時代の小石川御薬園が前身であり、8代将軍徳川吉宗の頃には「小石川養生所」として庶民の診療所となった。写真は当時の井戸。
小石川養生所といえば山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』やそれをもとにした黒澤明の映画『赤ひげ』の舞台なのであるが、私としては「養生所」と聞くと『大岡越前』で養生所の医師・榊原伊織を演じていた竹脇無我の顔が浮かぶのである。
さらに、大正時代になると関東大震災で罹災した人の避難所になったとのことで、園内の石碑がその歴史を伝えている。
園内の日本庭園の向こうには、1876年(明治9年)できの旧東京医学校の建物が見える。もともとは本郷にある現・東大キャンパスにあった建物を解体し、1970年(昭和45年)に移築したものである。
この小石川植物園には、「メンデルの葡萄」と呼ばれるブドウの木がある。メンデルが遺伝子研究用にチェコ・ブルノの教会で栽培していたブドウの木の分株を、大正時代に当地を訪問した研究者が持ち帰ってここに植えたのだそうである。このブルノの教会、今はメンデル記念館となっており私もこの夏休みに行ってきたのであるが、遠くブルノでメンデルが行った遺伝子研究のゆかりの木がこの植物園にあるのである。
さらに、園内には「ニュートンのリンゴ」というのもある。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したとされるが、そのリンゴの木を接ぎ木によって分けてもらったものだそうだ。
冬間近の今頃は冒頭写真の紅葉以外は寂しさを感じる園内だったが、またいい季節に再訪してみたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年11月4日星期日
所用があり、横浜へ行ってきた。横浜市は上海市と友好都市であり、横浜港は上海港と友好港である。日本が開国した頃から第2次大戦前までに建てられた建物が横浜の街に影響を残しているのは、上海が同時代の建物を残しているのと同じである。
写真は初代・日本丸、背景には大観覧車。日本丸は1930年に竣工、船員を目指す若者の練習船として、途中第2次大戦に伴うそれ以外の用途、緊急物資の輸送や帰還輸送などにも従事したこともあったが長きに渡り多くの若者を乗せ練習航海に従事してきた。1984年に引退し、桜木町にある日本丸メモリアルパークに係留されている。今は2代目・日本丸が練習航海の任に当たっている。
また機会を設けて、同時代の横浜や上海に思いを馳せまた今の上海と比較しつつ横浜の街並みを歩いてみたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年8月15日星期三
今日8月15日までが所謂「お盆休み」である。もっとも、特にメーカーなどこの時期に会社もろとも休業にしてしまうところも多い一方、普段通りに営業しているところも多く、日本中が休みになってしまうわけではない。街の商店でも同様であるが、それでもお盆休みを告げる張り紙が目立ち、他に比べてこの時期を休みにするところが多いことを窺わせる。
このブログでも書いてきたし私もその恩恵を受けてきたが、中国では旧正月(春節)・労働節・国慶節と年に3回の長い休みがある。昔はこの時期は商店なども休みであったようだが私がいた頃はそうでもなくスーパーマーケットなどは開いており買い物に不自由することはなく、また観光地はそれこそこの時期がかきいれ時であり、サービス業を中心に休暇を楽しむ人相手に仕事をしているところは休んでいなかった。それでも、企業の大多数はこの時期を休暇にしており、日本のお盆休みよりも「国を挙げて休む」という色合いは強いだろう。
なお、中国ではお盆だからどうということはなく普段通りの日々であった。あえて言えば、この時期には抗日戦争を称える番組が多くなるくらいか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年8月4日星期六
物心ついた時から日本を離れるまで、住んでいた場所はすべて「電車一本で新宿に行くことができる」ところだった。新宿の大書店や家電量販店には足繁く通ったし、新しい本屋がオープンしたりデパートの暖簾が変わったり南口がひらけていくのを見続けてきた。特に今ではいくつもある大きな本屋の中を、今日はこの店次はあの店と歩き回るのは飽きない。
今回東京に住むに当たり新宿付近に住むことも考え、同学にこのあたりの家賃相場や住環境を教えてもらい実際に部屋を見てみたりもしたのだが、他の場所に気に入った物件を見つけたため結局また「電車一本で新宿に行くことができる」場所に住むことになった。私にとって新宿は、「わざわざ電車に乗っていくところ」なのかもしれない。
写真は7月末の新宿にて、「新宿エイサー」。沖縄にゆかりのある人や東京に住みながら沖縄の芸能に魅せられた人が、炎天下の新宿大通りで稽古の成果を披露している。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年7月28日星期六
日本へ向かうフライトで隣の席に同学が座っていたという偶然を経て成田に降り立ってから、3週間が経った。帰国の翌々日から日本での勤務が始まり、昔やったことを思い出しながら仕事をする毎日を過ごしている。職場では以前日本にいた頃からお世話になった人もいれば新しくお目にかかる人もおり、新しい環境を形成している。職場の外ではこれからぼちぼちと以前お世話になった人にまたお目にかかりたいものである。
上海にいた頃に思いを馳せることがもっとあるかと思ったのだが、やはり仕事はどこにいてもやるものだということもあり、また日本に「戻ってきた」ということもあり、特にそうしたこともなくここまで過ごしている。ただ間違いなく上海での3年間は私にとって印象深いものであったし、今後の私にも気付かぬうちに影響をもたらすのだろう。今後しばらくは上海なり中国なりに無意識のうちに繋がりが持てるわけではないので、台湾も含めてこれらとどう付き合っていくか、考えないといけない。
何となく流されるように日々を過ごすのではなく、自分がいかにあるべきか、どうありたいかを考えながら生きたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年7月7日星期六
何かと慌しく帰国前の日々を過ごし、また6月末で住んでいた部屋のADSL契約を打ち切ったこともあり、ブログを更新しないまま帰国日を迎えた。今日、2007年7月7日に上海を離れ、日本に帰国する。
上海に来る前、日本でとある勉強会に参加させていただき、台湾事情について文章を書いていたことがあった。ある時その勉強会に遅れてこられた方が私のレジュメを貰おうとして「今月の雑文は?」と仰った。
「雑文」、『中日辞典』で引くと「雑文.漫筆.エッセイ.」とある。意味はさておき、このブログはここまで中国なり上海なり台湾なりのことに特化して、見たこと聞いたこと考えたことをここまで書いてきた。
他方この「雑文」、中国では「雑文」の名前で書かれた文章が反右派闘争期や文革期に批判の対象とされてきたことがあった。書いた本人はそのつもりはなくても、権力側が何かと因縁をつけてまたある時には過去の文章を掘り返してでも批判し、筆者を吊し上げる、という具合である。恥ずかしながらどんな「雑文」を学生時代に読んだのか覚えていないが、現代中国を学んでいるとこの「雑文」という言葉によく接する。
上海でブログを書き始めるに際し、知識人のようには書けないがこの「雑文」という言葉をブログのタイトルの中に入れることにした。
そして、実際にブログを書いていてよく接したのが中国当局によるウェブサイトへのアクセス禁止措置である。ブログでも特定のプロバイダーのブログがアクセス禁止になっていたりするし、ココログも一時アクセスできないことがあった。大袈裟に言うとこれこそが現代版「雑文に対する当局の批判」ということになるのだろうか。
上海に住む前、上海には学生時代に1回旅行で来たことがあるだけだった。北京のほうがあちこち見どころがあるような気がしたし、その後も中国を旅行する際には常に北京経由にしていた。上海は今の中国の発展を象徴する都市でこそあるが、街自体にはあまり面白みがないのでは、と思っていた。
しかし実際に住んでみると、ここまでブログが続いた通り心惹かれる場所や考えさせられる光景を街のあちこちに見ることができ、今回日本に帰国するに際しても「もう少しいたかった」と思わせるような街であった。もっともこれは街並みばかりではなく、出身や関係を問わず上海で出会った人たちのおかげ、ということも大きいのだと思う。
「住めば都」ではないが、街の変化を目の当たりにしあるいは細い路地の奥まで目が行ったりというのは、やはりその街に腰を落ち着けて住んでこそできることなのでは、と思う。上海の全てを目にすることができたわけではないが、その中でも上海の街の気に入ったところを心に留めることができたと思う。いいことばかりではなく反日デモに出くわすなどということもあったが、それはそれで上海に身を置いてこそ現代中国の一大トピックの現場に遭遇したものだ、と思いたい。
上海に来る前はどちらかというと台湾のほうに目が向いていたし台湾によく足を運んでいたのだが、折角上海に3年住んだのだからこれを縁に今後は中国・台湾の両方に注意を払って見ていくことにしたいし、機会があればまた上海にも来てみて、住んでいた頃のような感じ方は難しいだろうがまた歩き回って上海の空気に触れてみたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年6月1日星期五
来月、7月初旬をもって上海を離れることになった。7月9日から東京勤務なので、その前に上海を離れる必要がある。上海に来てから3年、ブログを書き始めてからは2年半である。
仕事はどこに行ってもやるべきなのでさておき、もう少し上海にいたかったというのが率直なところである。北京五輪を前にした中国の、上海の様子を身近に感じていたかったのだが、勤め人なのでいつまでいられるのかは選べない訳であり仕方がない。
次に住む街を東京(もしくはその隣県)のどこにするのかはまだ決めていないが、そこでの生活を楽しみにしたい。
さて、このブログをどうするか、である。
『上海からの雑文』、上海に住む者の視点からこのブログを書いてきた。しかし、上海を離れる今後は在住者の視点から、生活者の視点からはモノを書けないわけである。
例えば、日本のニュースで中国が「調和の取れた社会」を目指していると報じられているが、上海ではそのスローガンが街に溢れていたり列車の名前に使われていたりといった「空気」を、今後は感じ取ることができないわけである。よしんば旅行で上海に来たとしてもそこで感じるのは旅行者としてのものであり、今まで感じたものとは温度差があろう。
が、『上海からの~』と言いながら、台湾在住でないにもかかわらず結構台湾のことについてもいろいろと書いてきた。住んでいないなら住んでいないなりに書けることがあるのかもしれない。この記事も含めてここまで350個の記事を書いてきたので、ここでやめてしまうのはもったいない、という気がする。まぁ、所詮は自己満足なのだが…
日本に居を構えた後は、日本から中国なり台湾について考えたことを書いてみることにしたい。最近は中国や上海で「見たこと聞いたこと」を主に書いてきたので「考えたこと」を書くことも考えてみたい。
もっとも、ネタ切れになると「あさおきて ひるねして よるねた」(藤子不二雄『ドラえもん』より)のような日々のことが多くなるのかもしれない。
(追記)ところで、東京近辺で上海の喫茶店同様に台湾の新聞を気楽に読めるところってあるのでしょうか?大学図書館や研究機関しか知らないのですが、どうなのでしょうか?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年4月18日星期三
日が経ってしまったが、一昨日はあれから2周年だった。
去年の今日も似たような出だしで書き始めたのだが、上海の街は本当にあのことを忘れてしまったかのようである。日本ではどうだろうか、日経ではそれらしい記事は見あたらなかった気がする。この件はもう落とし前がついている、ということか。温家宝首相の訪日や国会演説が大々的に取り上げられているが、2年前の「あれ」を思い出した人は少なかろう。
「去年の今日」と違うのは、まさに温家宝訪日に見られるようにお互いが相手へのアプローチを変えようとしており、中国では日本に対するネガティブキャンペーンが少なくなり対日観が変わっている(変えさせようとしている)というところか。彼の訪日が「融氷之旅」なのであればそれはそれでいいのであるし、「あれ」で被害を被らなかった私がしつこくこだわる必要はないのであるが、「あれ」があったということ自体は心に留めておく必要はあるだろう。
「変わったもの」と「変わらないもの」を把握しておくべき、というのは某所の師匠から戴いた言葉であるが、変わる前はどうだったか、ということも忘れずに留めておきたいものだ。
今台湾から連戦・国民党名誉主席が大陸に来ているが、これはまた去年の4月と同じである(更に言えば「あれ」のあった一昨年4月に彼は初めて大陸に来ている)。何でも今回は鄭州で「黄帝」を祀る式典に参加するためだとか(中国情報局による記事)。あまり足繁く来ると新鮮味はないのだが、それでも当地のテレビニュースではそれなりの扱いを受けている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2007年1月25日星期四
先週の後半は、日本に行っていた。今回は仕事関係と健康診断、週末土曜日は法要で日曜日朝に上海戻りと予め決めておいたスケジュールが慌しかったこともあり、正直なところあまりゆっくりとはいかなかった。
今回の滞在前半は暖かく、何でも3月並みの気温だったとか。翻って週末はとても寒かった気がする。
以前書いたことがあるかもしれないが、上海は夏と冬が長く、1年の8割以上は夏か冬なのではと感じるくらいである。桜を見たことはあったが、綺麗な紅葉に出会うことは難しい。緑色の葉を茂らせていた街路樹は、いつの間にかその葉を落として寒々とした街並みを演出するが、その過程で秋を感じることはあまりない。他にも日本だとお盆などの行事やスポーツイベントに季節の訪れをかんじることもあるだろう。
上海のほうが季節感を感じる場面があるとすれば、それは「新春」という言葉であろう。日本だと新暦の正月に「春」といわれてもこれからが冬本番であり、雪がこれから積もっていくくらいである。翻って上海では旧暦の正月を「春節」として祝う。新暦に換算すると毎年日は異なるが新暦の元旦より後、ひとしきり寒さに耐えた後「そろそろ暖かくならないか」と思った頃に春節はやってくる。今年の春節は新暦2月18日。去年(旧暦では今年だが)は閏7月があり、7月が2回あったので今回は春節が遅くなっており、その字の通り春の息吹を感じることができるかもしれない。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年12月31日星期日
今日は大晦日。当地では格闘技にチャンネルを合わせるという選択肢はないので、紅白歌合戦を見る。時差が1時間あるので夕方6時20分に始まるのだが、普通の1日だった仕事を終えて買い物をしてから部屋へ戻ったら、もうBoAが歌い終わるところだった。
クリスマスまでのカウントダウンをしていたツリーが、Happy New Yearまでのカウントダウンをしている。
この年末の土日、30日と31日は突然平日扱いになったのだが、29日・30日と休みの会社も多いようだ。道はすいているし、電話しても出ないところも少なくない。中国企業でも、国の通達にかかわらずこの土日に休んでいるところが少なからずあるようだ。
上海にいて日本の歌番組はあまり見ないので、出てくる歌手もだんだん知らない歌手が多くなってくる。事前に出場歌手をチェックしたが、平原綾香と絢香は別人なのか?DJ OZMAは去年までは氣志團だったのか?それは言ってはいけないのか?いわゆる「常連」の歌手のほうがなじみがあったりする。歌手だと堀内孝雄、審査員だと瀬戸内寂聴の姿に年月の流れを感じた。
中国にいると年末は「この1年を振り返る」という雰囲気ではなく、代わりの機会があるかといったらそういうわけではないので、1年を振り返り次の年への志を立てる、という区切りがなくだらだらと時が過ぎていく感じがする。中国の会社は12月決算が殆どなので、仕事で年度の区切り、来年の目標を立てる、というのはあるが。
今BONNIE PINKが歌っています。今年はそば焼酎だけではなく、年越し蕎麦も茹でることにします。
来年が良い年でありますように。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年11月17日星期五
今週はインターネット関係のことばかり。
私は、ブラウザーはOperaとFirefoxを併用して使っている。Operaはプロキシなしで、Firefoxにはプロキシを噛ませてネットサーフィン(死語?)をしている。
今日はFirefoxを使ってウェブサイトやブログを見ていたのだが、あるブログを見ようと思ってリンクを押したところ・・・
このような画面が表示された。アラビア語の下に「Access to the requeted URL is not allowed!」と書かれている。アクセス禁止を示す画面である。
どこのプロキシを指定したかチェックしたところ・・・'~.sa'、サウジアラビアのプロキシだった。サウジアラビア、よく考えたら「インターネットの敵」の一員であった。Cybersyndromeのプロキシサーバー一覧で上のほうにランクされたプロキシを選んだのだが、「インターネットの敵」中国のアクセス制限をかいくぐろうとして別の「インターネットの敵」のプロキシサーバーを指定したら意味がなかろう。
しかし、この一件が起こるまでそんなことには全然気がつかなかった。このプロキシ経由でWikipediaも含めて(アラビア語のWikipediaも)ここまで問題なく見ることができた。第一、ブロックされたブログは全然政治色もないものだし、同じ会社が提供するほかのブログは問題なく読めたのだが・・・
サウジアラビア、そのWikipedia日本語版の「サウジアラビア」のページを見ると、「内閣も国会も存在せず、国王の命令が法律の公布と同意義になっている」とされており、イスラム教の戒律も厳しいとのことでこれが「インターネットの敵」といわれる振る舞いにつながるのだろうか。本当のところは今回以外体験していないのでわからないが。
中国とは直接関係ないが、「インターネットの敵」つながり、ということで。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年11月12日星期日
最近、部屋まで敷いているADSLの調子が良くない。
まずこの前の木曜日夜に突然インターネットに繋がらなくなった。ルーター(路由機)を見ると、ADSLの信号を示すランプが点灯していなかった。そして、翌日金曜日になると何事もなく繋がるようになった。
そして今日。午前中は繋がっていたのに、夕方になるとやはりADSL経由では繋がらず、ルーターのランプは消えていた。今は16300番経由(パスワードも16300)のダイヤルアップ接続である。
ずっと前にも似たようなことがあったので中国電信に電話をして人に来てもらったのだが、そのときは電源を抜き差ししているうちに繋がるようになり、「使わないときはコンセントを抜くように」との訳のわからないコメントを貰った。今回も電源の抜き差しをやってみたが、不調の間はずっと不調で復旧せず、一晩寝たら直った、という具合である。明日になればまた繋がるのだろうか。
ADSLといっても公称下り512kbps、実力はそれ以下なのでGyaOのような動画ダウンロードは夢のまた夢なのである。それにしてもこういうお国柄ゆえに突然繋がらなくなったり繋がったりというところに何か「神の手」もしくは「お上の手」が働いているのかと思わず疑ってしまうが、単なる故障か局地的な不具合だといいのだが(個人的には良くないが)。
上海でネット接続をしている皆さん、如何ですか?あとついでに、接続スピードを早くするサービスもあるようですが、使い心地は如何ですか?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年10月7日星期六
恒例の国慶節休暇、今年は10月1日~7日が連休である。
今年も昨年同様、国慶節休暇を利用して日本に一時帰国していた。早めに休みを貰って9月29日に日本に帰り、昨日(10月6日)に上海に戻ってきた。天候があまりよくなく、日本の秋を満喫とは必ずしもいかなかったのが残念である。海難事故や遭難がよく報じられており、とても心配である。
今回日本でしたことは・・・
・同学・友人と飲食x3
・出身大学で柔道の稽古
・日本の書籍・CD・DVDをまとめ買い
・某所での研究ネタ仕入れ 完成にこぎつけるのは難しいか・・・
等々。これでは昨年と大して変わらないか。あと、
・iPod nanoを購入
・滞在中、TVや駅のポスター、雑誌の表紙で釈由美子をたくさん見かけた。タイミングのせいか?流行っているのか?
・小西真奈美って流行ってる?同様に中吊りや駅の広告でよく見かけた。
・『ヨンエの誓い』なる本を発見。NHK出版からだが、タイトルが安易だなぁ。でも購入。
・久々に発泡酒を飲んだ。すっかり中国でビールを飲み慣れていたので、久しぶりに飲んだ味は・・・あと、「その他の雑酒」を初めて見た。
・いつものことだが日本にいるとインターネット接続が早く、繋がらないウェブサイトもないし、快適。
ある若いサッカー選手がオランダのチームを退団して帰国したときのコメントが、ホームシックを吐露して「6月に日本に帰った時に、日本が恋しいと思った。」とか(スポニチアネックスより)。飛行機で成田まで3時間足らず、九州だと1時間と少しでちょいちょい帰れる上海と10時間以上かかるオランダとでは条件が違うだろうし、いち勤め人とプロスポーツ選手とでも条件は違うのだが、まとめて日本に滞在していると特にこれというわけではなくても日本にいて「ほっとする」ことがあるのは確かであるし、私もそう思うことがある。やはり今までの人生の大半を過ごした場所への愛着がわくのは当然だろう。(もっとも私の場合「ネットが快適」だの「日本の民放が見られる」など俗物的なことが多いのだが・・・)
しかしながら、移り住んだ先で楽しみを見つける、というのもこれまた一側面だと思う。私はもうしばらく上海か中国のどこかにいるのだろうが、このことを心に銘じておきたいと思う。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年8月29日星期二
今般「ここ」の「こういう制度」を利用して、「学士(商学)」の学位を戴くことができた。
だいたい学士というのは大学を卒業して戴くものなのだが、学校教育法改正により同法第68条の2を根拠に1991年に「ここ」が開設され、学位を授与することができるようになった。これにより、高専・短大・専門学校を卒業した人や大学で一定の学修を行った人がその後専攻科や大学等で学修を重ねることにより、「こういう制度」を利用して「ここ」から学士の学位を戴くことが可能になったのである。
去年10月の「とある試験」は積み上げ単位の修得試験、今年3月に在留証明を取った「とある事情」はこの試験のため(海外在住なので日本には住民票がない)、6月に受けた「とある試験」はこの試験本番である。海外から取得にチャレンジする人は少ないと思うが、「ここ」のQ&Aに「外国からの申請」について質問が出ているから、私の他にもいることはいるのだろう。
ところでこの「『ここ』の『こういう制度』」、繰り返すが日本の制度である。私はこれまで海外の学校で学んだことはない。比較的留学生が(行く人も来る人も)多いところに身を置いていたことがあるので留学自体は身近に存在していたが、そうした路を選ばずにここまで来ている。
上海にいると中国に留学していた・いる人に多数お目にかかる。一旦日本で働いてその後一念発起して留学した人、日本の学校を休学して留学した人、進学先として中国の学校を選んだ人など、経緯は人それぞれである。日本人ばかりでなく留学経験のある欧州人にもお目にかかることがあるし、HSKの会場では日本人並みにあるいはそれ以上に韓国人留学生を見かける。中国語を中国語で学ぶ、経済なり歴史を中国語で学ぶ・・・母国語でない言葉で新しいことを学ぶというのは簡単ではないと思う。
留学後母国に戻り学んだことを活かし、あるいは心の糧にしてキャリアを積む人、中国に残りキャリアを積む人、一旦母国へ戻りまた中国へやってくる人など、その後の生き方も様々である。留学しただけでその先が開けるということでは必ずしもないと思うが、「海外で学ぶ」という選択をしたということは多くの場合「自ら図り」「一歩踏み出す選択をした」といえるのではなかろうかと思う。それに、留学するということは独特の経験を積み、視野を広げる良い機会なのではとも思う。
私自身は前述の通り海外で学舎に身を置いたことはないのだが、その代わりというわけではないが住む先々で楽しみを見つけ、経験を積み視野を広げ、ささやかながらもユニークな生き方をしたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年4月30日星期日
昨日(29日)・今日(30日)が平日扱いだったので、長かった1週間が終わり明日から労働節休暇。7連休である。
それにしてもこの土日で気温が急に上がった。先週はバス備え付けのテレビで見た天気予報で「最高温度16度、最低温度8度」などと言っていた日もあったくらいで、今年はなかなか暖かくならないなぁと思っていたのだが、今日は「最高温度32度、最低温度16度」だった。上海は本当に春と秋が短く、夏と冬が長い気がする。前にも書いたかもしれないが1年の8割が夏か冬で、残り2割が春と秋、という感じか。しかし、4月で最高気温32度というのも・・・
いい気候の下で街歩きをしたくなる時期というのが、本当に短い。このブログを振り返っても去年はあちこちと街歩きをしたのだが、今年は諸般の事情で3月は引きこもりがちだったこともあり、あまり街歩きをしていない。時期を逃さないうちにあちこち行っておきたいものだ。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年4月18日星期二
日が経ってしまったが、一昨日はあれから1周年だった。
上海の街はそんなことがあったのを忘れたかのようである。歩いていてもどうということはなく、日本人が多く住むエリアでは日本語の看板が以前同様に、いや以前以上に並んでいる。日本からの反応にしても去年は「この件が商売に与える影響について」などと質問があちこちから跳んできたが、今そうした質問をする人はいないだろう。
が、1年経ってもその現場は傷ついたままだったことは先日書いたとおり。上海の中でその痕跡を留める数少ない場所である。
去年の4月といえば台湾から連戦も来ていたのだが、1年後の今月も彼は中国大陸に来ていて、連日テレビやラジオで動静が報じられたり演説の様子が流れたりしている。その扱いを見るにつけ、まさに1年前に戻ったかのようだ。
連戦の演説のあと、明らかに編集のあとがうががえる間のあと「鼓掌」(拍手)。この件に限らずよく聞く報道の仕方である。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年1月18日星期三
今年に入ってからの上海であるが、年明けの先々週は激しく寒く、先週は比較的暖かかった。で、今週は寒さは厳しくないが、雨の日が続いている。部屋の暖房はエアコンがついているのだが、これではなかなか部屋が暖まらない。
というわけで、私の部屋にはオイルヒーターが置いてある。オイルヒーターといってもコンセントにつないで暖めるものだが、結構強力で重宝している。
実はこのオイルヒーター、去年は私の部屋にはなかった。今住んでいる部屋は1年毎の更改なのだが、去年7月に最初の更改を迎えたときに置いてくれと家主にお願いして置いてもらったものだ。夏に上海に来たので傍観のことまでは考えていなかったのである。
日本ではこうした暖房器具を使ったことがなかったのだが、上海ではとても重宝して使っている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2006年1月1日星期日
新暦元旦。今年もよろしくお願い致します。
ところで、昨年1月1日にブログを書き始めたのだから、今日で1周年ということになる。
1年間経ったということで、季節ネタも一巡したことになり、なかなか新しいものは出てこずネタに窮するかもしれないし、去年と同じことを書いてしまうかもしれない。とはいえ、身の回りにもまだまだ私の知らない世界があり、新しい発見があるかもしれない。今年も新たなコト・モノに出会うことができれば、と思っている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年12月31日星期六
こちらでは春節を大々的に祝うわけだから、「大晦日」と呼ぶのが相応しいのかどうかわからないが、2005年ももうすぐ終わりである。
といっても年内は相変わらずクリスマス仕様。写真は来福士広場の入口にて。去年(及び今年の始め)はこんな感じだったが、今年は人形の飾りつけはなかった。
今日は平日扱いになったこともあり、普通の1日。昼間は普通に仕事をしたが早々に引き揚げた。新暦元旦も1日休みになるから、祝日の少ない中国ではそれでも少なくとも「特別な日」には違いない。
帰ってからそばを食べ、そば焼酎を飲みながら紅白歌合戦を見たが・・・感想は別のところで。でもなんだかなぁ。
何はともあれご覧いただいた方々、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年11月19日星期六
今週は11月14日(月)〜16日(水)まで仕事で東京へ行ってきた。もっとも、
14日−午前中は上海勤務、午後上海を発ち夜7時半に成田着、そのまま宿泊先へ
15日−終日仕事
16日−朝10時の便で成田発、12時半に上海に到着しそのまま勤務先へ
というスケジュールだったので、「長井秀和やテツandトモは活躍しているのか」とかは確認できなかったし、訪日外国人よろしく秋葉原や家電量販店へ行ったり、本屋へ行ったりする時間はなかった。もっとも、仕事で訪日しているわけであり不必要な離路は慎んだほうがよかろう。収穫はテレビのニュースで紀宮殿下の御声を拝聴したくらいか。
あ、あと「新銀行東京」のATMを見つけたのだが、一瞬「新加勢大周」が頭をよぎった。10月に帰国したときは「日本振興銀行」のATMを見つけたのだが、10年前の名前がそのまま残っている銀行って都銀だとどのくらいあるのだろう、と思ったりした。
東京も14日から寒くなったらしいが、上海もやはり14日から寒くなりだした。13日までは運動するとすぐ汗が出るくらいだったのだが、急に冬が近づいた、という感じである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年11月13日星期日
以前コンビニの前でロケに出くわしたということを書いたが、またドラマのロケと思しき場所に出くわした。
場所は片道2車線ずつの結構広い道路。高いところにマイクを掲げているので気づいた。マイクの下で抱き合っている2人がいるので、おそらくこの2人が俳優であろう。女性が何か叫んで道端に倒れ、そこに男性が駆け寄ってきてしばし言葉を交わした後抱きあう、という流れであった(抱き合うまでに何度かカット→スタートがあった)。さしずめ、
女「私のことなんか放っといてよ!!!」
男「違うんだ違うんだ!!うにゃうにゃうにゃ・・・」
女「うぇーん」
という場面であろう、と勝手に推測した(こんな推測なら誰でもできるか)。道路の反対側から見ていたので全く声は聞こえなかったが。
このロケ、通行止めにすることなく行ったので車が行き交い放題であった。リアリズムを求める、ということであろうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
明日(11月14日)は、世界糖尿病デーとのことである。
写真は、襄陽公園にて、世界糖尿病デーのキャンペーン。横断幕に書かれている最初の8文字は大体リンク先のスローガンと意味は同じ。
『エクスプロア上海・蘇州便利帳』(山と渓谷社)でも、「糖尿病大国になりつつある中国」と題して、2000年現在で中国全土でわかっているだけでも2,100万人の糖尿病患者がおり、上海には30万人の患者がいると述べている。油っこい中華料理だけではなく、食事時にペットボトルで炭酸飲料を出してもらったりしているし、パンもこちらのものは甘いものが多い。また、小さな店で珍珠【女+乃】茶やエッグタルトを売っていたりするなど、甘いものを上海の市街地ではよく見かける。糖分だけでなく、油や塩分や化学調味料の摂りすぎにも気をつけないといけない。
とはいいながら、食べたいものはやっぱり食べたいわけであり、「食べながら健康増進」の道を考えたいものである。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年11月5日星期六
前回油っこいものばかり食べず自炊も、と書いたが、今週は今日も含め4回が自分に選択肢のない食事(つまり会食だった)であった。会食だと往々にして油っこいものになるので、これは油が体にたまるなぁ、と思いながら食べないといけない。
生命の危険があるので危険手当の支給を・・・というのではなく、それ以外の食事や運動で健康を維持するしかない。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年10月30日星期日
中国料理には必ずといっていいほど油が使ってあり、油炒めになっているものが多い。家庭料理ではそうでなくても、外食や会食が多くなると油っこいものばかり食べることになる。
『エクスプロア上海便利帳』(山と渓谷社)にも「上海での飲食は頭の痛い問題で、多くの人が、上海駐在後に太るという現実がある。対策としてはやはり一番よいのは自炊であろう。長期滞在になればなるほど自炊をお勧めする。」とある。
というわけで、至極簡単な自炊、カレー作りを今週末にしてみた。といってもカレーはよく作っているのだが、今回は日本から持ってきた無印良品ブランドの「グリーンカレー」を作ることにした。このカレーキット、ナンプラーやココナッツミルクの粉末なども入っていて、平板な辛さだけではなくこれらの味も混ざってなかなか好みである。
これだけだと上海とは何も関係ないので、上海の市場を紹介。
部屋の裏、徒歩5分のところにある肉や野菜を売っている市場。
野菜売り場の店先。いろいろな野菜が並んでいる。今回は(今回も)カレーキットに書いてある説明は無視して材料を購入。だいたいいつもたまねぎ・にんじん・じゃがいもを入れている。今回はそれぞれ1個ずつ(じゃがいもはかなり大きかった)購入。すべてひとまとめで秤に載せ、合計3元1角だったが「3元でいいよ」と気前良く1角まけてくれた。
隣には肉売り場もあるのだが、塊になっているのを見るとうーん・・・ということで肉はスーパーで購入。豚肉150グラムで5.5元なり。カレーキット(210円)以外は破格の安さである。
出来上がりはこんな感じ。やはり米は1合以上炊かないとうまく炊けませんね。具が大きいのが特徴。
「誰でもこんなのは簡単に作れる」という声が聞こえてきそうだ。私もそう思う。さらに、「自炊しても体型は・・・」という声も聞こえてきそうである。
さらに難点は、1度作ると2日間同じものを食べ続けなければならないことである。
この応用編として材料は同じでシチューも作れるのだが(但しルーは高い)、何か自炊に適した「これは!」という料理はないでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年10月7日星期五

国慶節休暇も終わり、明日から通常勤務。前に書いた通り、8日(土)・9日(日)が平日扱いになるので出だしは7連投である。
上海に戻ってからの2日間は部屋でウダウダしたりPCをいじったりしているうちに終わってしまったが、7日休みがあると「動」と「静」を使い分けることができる。次の休み−来年の春節を楽しみにしつつ(かなり気が早いか)、普通の日々に戻ることにしよう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年10月6日星期四
日付では昨日になったが、10月5日に日本から上海に戻ってきた。5泊6日の滞在であった。
今回の一時帰国でしたことは・・・
・仕事(中国では休暇なのだが・・・)
・飲み会 x 3
・とある試験を受験
・出身大学で柔道の稽古
久しぶりに出身校に行って柔道の稽古をしたのだが、なかなかの活況であった。私の出身校は小さな学校で、当時から今に至るまで女子学生が多いのだが、女子部員だけでも稽古が成り立つほどの人数で、男子部員も加えると道場が手狭に感じるくらいであった。それでも柔道での著名大学に比べると小規模ではあり、部を維持するのだけでも大変なことであるが、皆卒業まで続けてもらいたいものである。
・新宿にて中古PC・メモリ・ノートンSystemworksを購入
今使っているPCはこれなのだが、3年使ってそろそろ・・・というところであった。サイズの割にキーボードが撃ちやすかったのであるが、持ち歩き時に発熱が厳しいところに不満があった。3年経ったのだから・・・と自分に言い訳をしつつ、IBMのThinkpadの中古にスペックが良くて値段もそこそこのものがあったので購入。このPC、IBMのPC事業がLENOVO(聯想)に買収される直前のモデルであり、「IBM最後のモデル」と言える。過去IBMのPCを2台(これとこれ)を使っており、黒い筐体とトラックポイントには親しみがあるのである。
とは言いながら今使っているPCの延命も図り、メモリとSystemworksを購入。デフラグやらレジストリ整理で延命を目指す。
・CDを購入
買ったのは柴田淳のベストアルバム。わざわざ日本のCD SHOPで買ったのは特典狙い。CDにせよ書籍にせよ今では上海にいてもインターネットショップで購入可能なのだが(PCや周辺機器・ソフトもそうであるが)、やはり本屋やCDショップへ行って買うのがいい。インターネットショップだと予めお目当てにしていたもの以外に手が伸びるということが少なく、どうしても予定調和的な買い物になってしまう。本屋やCDショップの棚から思いがけない本を見つける、という経験がインターネットショップではできない。
ちなみに上海にも日本書籍店はあるのだが、品揃えは限られている上に高い(1,000円=150元で換算されてしまうので、1,000円の本に2,000円くらい払っていることになる)。なので、本はいつもインターネットショップでまとめ買いをしている。
・その他もろもろ
あと、レイザーラモンHGはわかったが、『恋のマイアヒ』はよくわからなかった。ところで、「いつもここから」や「鉄拳」は今でもいるのでしょうか?
| Permalink
|
| TrackBack (1)
2005年9月30日星期五
10月1日から7日まで、恒例の国慶節休暇である。
今年の国慶節休暇であるが、10月1日(土)〜7日(金)まで7連休、その代わり8日・9日の土日が平日扱いになり8日(土)〜14日(金)まで7連投であえる。まぁ連休前後の連投としてはましなほうだろう。
実は今日の午前に仕事を終えてから出国し、既に日本に来ている。この国慶節休暇は5日まで日本滞在である。休み前は何かとすることが多くてブログの更新もできないまま日本に来てしまった。日本で見たこと聞いたこと考えたことは、書くことがあればぼちぼちと、と思っている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年9月16日星期五
このブログの左側に、FC2提供のカウンターを設置した。
@nifty提供のカウンターは「別のところ」で使っているのでそちらのを移植してもよかったのだが、やはり「別のところ」にもカウンターがないと寂しい。しかしながらCGIがちっともわからない。CGIに関する本を持ってきてはいるのだが、スクリプトだのトーナメント表のようなディレクトリ康生例もとい構成例というのが理解できず、なかなか勉強できない。
広告が出ない(出さなくても良い)既製のカウンターを見つけたので、結局これを付けることにした。
FC2から提供されたHTMLソースを、@niftyお問い合わせ窓口に予め問い合わせて教えてもらった方法で必要箇所に貼り付け、カウンターを作成した。うーん他力本願。
ちなみに、カウンターを付ける前からこのブログにはアクセス解析機能が付いている。カウンターを設置する直前までのアクセス数は4,238。もっとも本人が踏んづけたのも数多く含まれているので・・・
このアクセス解析で面白いのは、どんな検索ワードからこのブログに飛んできたのかがわかることである。どういう仕組みなのかはそれこそCGIを勉強すればわかるのだろうが、既製のもので堪能している。
やはり「上海」で検索してたどり着く方が多い。あとは時々に応じて「在外投票」やら「愛ちゃん」やらでたどり着く方もおられるようだ。面白いのは、台風が日本に接近する頃には「台風」で検索して来られる方が増えることである。
あと、「HSK」で検索される方も多い。このブログ、勉強の役にはあまり立たないでしょうが・・・
変わったところでは、「日本の常任理事国入り絶対反対」の検索結果でたどり着いた方がおられた。そんなこと書いたっけ、と思いましたが・・・書いてましたね。そういう趣旨ではなかったけれど。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年9月2日星期五
このブログの日付表示を中国語にしてみた。
実は最初ポルトガル語を試みたのだが、作者本人もわからなくなってしまったので(1月から始めたので大体推測はつくが)やめてやっぱり中国語にした。
記事やバックナンバーについている月・日付・時間の説明はいいだろう。カレンダーの曜日であるが、「星期一」が月曜日、「星期二」が火曜日・・・という感じで「星期六」まで続き、日曜日だけが「星期日」となる。
簡単な操作でこういうこともできるので、結構面白いですね。また戯れでほかの1日だけほかの言語に、なんてこともするかもしれませんが・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年8月30日星期二
先週から今週にかけて、過ごしやすい日が続いている。
それまでは昼間は35度超えが当たり前だったのだが、最近は昼間でもそんなに暑くないし、夜蒸し暑いということもない。
去年の経験や周りの人の話からすると、上海は1年の8割が夏と冬で、残りの2割が春と秋くらいの印象があったのだが、今年は秋の訪れが早いのだろうか、あるいはもう一度残暑が来るのだろうか。
あれだけ暑くて辛かった夏もいざ去ろうとしてみると、あれもすればよかったこれもすればよかったと一抹の寂しさがある。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年8月7日星期日
今日は台風一過で雲ひとつない青空・・・とはいかず、終日どんよりした空模様。一旦雲の切れ目が見えかかったがそれもつかの間で、夕方まで時折雨が降ったりとすっきりしない一日であった。
また、今日は立秋。カルフールに行ってみると、半袖シャツなど夏物に混じってジャケットや革ジャンなど秋物衣料が並び始めていた。
しかし、上海は1年の8割が夏と冬で、春と秋のいい季節はあわせて2割くらいか、というのが個人的な感覚である。なかなかいい季節が続かないような気がする。日本では暑さ寒さも彼岸まで、と言うが、10月あたまの国慶節休みには涼しくなっていると良いのであるが、さて。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年7月7日星期四
一昨日がそうだったらしいが、いろいろあって何もここに書かずに終わってしまった。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月28日星期四
連戦の大陸訪問に刺激されたわけではないが、先週末に台湾から「あるもの」を取り寄せた。
写真はそれが入っていた封筒であるが、繁体字の文字といい、書体といい、台湾テイストがそこはかとなく漂ってくる。って、全然わからない?ちなみに発送から3日で届いた模様で、日本発のEMSやOCSとスピード的には大差ない。
何を取り寄せたかは、ここに書こうか、別のところに書こうか・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
今日は最高気温が30度以上だそうな。まだ4月だというのに、このまま真夏日が続くのだろうか。
夜はまだ過ごしやすいのが救いではある。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月27日星期三
昨日(26日)台湾の中国国民党の連戦主席ら一行が南京空港に降り立った。かつて大陸反抗を唱えていた国民党が今や「台独反対」の中国共産党に歓迎の横断幕まで掲げてもらっての大陸訪問である。


昨日22時に放映されたCCTVのニュースでは、「中国国民党主席 連戦一行大陸訪問特別報道」と銘打って(それでも10分足らずだが)空港に降り立ったところ、連戦のスピーチ、江蘇省党幹部の歓迎の様子などを放映していた。冒頭で空港にいる記者が「歴史的な一瞬です!!」と言っていたが、今や共産党の敵は国民党ではなく民進党など台独を主張する勢力であり、取り立てて何かという感慨は、見ていて感じなかった。とにかく中台関係の年表に残るであろう点からすると「歴史的な一瞬」なのかもしれない。
余談だが、勇利アルバチャコフというロシアから日本に来たプロボクサーが世界チャンピォンを獲得したときもアナウンサーはCIS=旧ソ連出身初の王者を「歴史的な一瞬です!!」と言っていた。この言葉、「初物」くらいに聞いたほうがいいようだ。本当に歴史的な一瞬かは後世が判断するだろう。
それにしても連戦、総統選に2連敗し、連戦連敗というシャレにならない有様ですっかり過去の人になるかと思ったが、その後の立法委員選挙で野党連合が過半数を維持したことで辛うじて踏みとどまり、今回の大陸訪問につなげて名を残したといえる。
北京で胡錦濤総書記・国家主席と会うらしいが、そこで驚くべき話が出てくるのか、あるいはJust say helloで終わるのかが注目される。

ところで、連戦一行の訪問日程を示す地図が映ったが、台湾のみならず南沙諸島もしっかりと領有を主張した地図であった。別に連戦一行は南沙諸島の上を通るわけではないのだが、隙を見せないように、ということか。
このニュースの後に国際ニュース(当然中台関係のニュースは国内扱い)があったが、その中で日本の福知山線の事故が取り上げられていた。最後に救出された人が病院に搬送される際に父親らしき人が「がんばれよ、がんばれよ!!」と声をかける場面、遺体安置場であろう体育館から沈痛な表情で出てくる人、そして事故現場が放映され、この時点で死者が73人であること、スピードが出すぎていたようであることが述べられていた。この手の事故は私より若く将来のある人、私と同世代の人、私より年上の人、私よりずっと年上で人生まだまだこれからという人の命を奪ってしまう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月23日星期六
南京西路にて。
銀色のスウェットスーツに身を固め、液晶モニターと再生用具一式を背負い、(後ろからはわからないが)サングラスを掛けて歩道を並んでゆっくり歩く2人の男性。
実はこの2人、依頼された企業の宣伝のためにこんな格好で歩いているのである。テレビモニターには宣伝の映像が映し出され、背負っている機材には宣伝している企業の名前が入っている。日本だと「サンドウィッチマン」として体の前後に看板をぶら下げて立っている人をたまに見かけたが、それと似たようなものなるもこちらのほうが格好が良い。日本でもあるのか?
で、何の宣伝をしているかというと、「婚紗」つまり結婚写真屋の宣伝である。中国では結婚するときに写真館で結婚記念のアルバムを作る人たちが多い。写真はいわば撮りおろしで、このアルバムのために1日、あるいはそれ以上かけて写真を撮るのだが、結構わざとらしいポーズをとらされたり、芝居がかった写真になるようだ。公園で堂々とこうした写真を撮っている2人を見掛けることもあるし、以前韓国を旅行したときもソウル市内の観光スポットでやはり寝そべったりポーズを取ったりしている人がいるのを見掛けたことがある。私も台湾で結紗を見せてもらったことがあるが、ポーズを取ったり緊張しているのがわかるなぁ、とその時は思った。
結婚写真専門の写真屋の宣伝は結構見かけるが、こんな形で宣伝して効き目があるのかなぁ、と思う。いざ結婚するときに、「そうそう、あの時南京西路でモニターを背負って宣伝していた写真屋にしようよ!」ということになるのかな?後になっては連絡先とかもわからないだろうし。街を歩いている人の中で「婚約中で結婚写真屋を探している人」の割合は少ないと思うから、宣伝効率はあまり良くないと思う。名前を覚えてもらうことに意義があるのかもしれないが。
意外と、街を歩いているアベックの中でこの2人を見て「ねぇ、今の2人見た?僕たち(私たち)もあそこで結婚写真を撮ろうよ!どう?」とプロポーズする人が出てきたりして・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月19日星期二
パンが買いたくなって部屋から少し離れたところにあるコンビニエンスストアに行ったら、ドラマだろうか、ロケをやっていた。写真中店の中にいる2人が演技者のようだ。どこの国のドラマか、どんなドラマか、そもそもドラマの撮影なのか(店の中では食い散らかさないようにしましょう、というCMだったりして)全く不明である。スタッフらしき人に聞けばよかったのだが、私が聞いたのは「買い物していいですか?」。駄目、と断られた。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月9日星期六
ついこの間「寒い」と言ったばかりなのに、今週は昼間は汗ばむ陽気だった。欧米系の人がTシャツ1枚で歩いているのをよく見かけた。私ももうジャンパーは要らないし、確かに半袖でもいいなというときもある。
知人が「上海は夏4割・冬4割・春秋1割ずつ」と言っていたが、本当にそうなのだろうか。
その割には街路樹に緑を見ることが少ないが、ひょっとしたら枯れているのか?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年4月2日星期六
先月はトウ建華辞任・反国家分裂法成立・国民党上層部の大陸訪問と、中国政治に関するニュースが目白押しであった。ところが、これらについてブログに書くことなくここまで来てしまった。
これらについて語る能力がない、と言われればそれまでであるが、どうもニュースに対するアンテナが鈍くなっているようだ。考えてみれば、朝こそラジオで目を覚ますものの、それを聞くのはごく僅かの時間であり、そのあと勤めに出て、帰ってきてテレビもつけずに寝ることが多くなっている。ニュースを見るにしてもNHK-BSで毎正時に流れているやつぐらいである。
仕事をしに来ているわけであってそういう意味では中国は「特別な場所」ではないのだが、今一度世の中の動きに対して何事か考えるように、考えられるようにしたいと思う。但し、伝えられる内容を無条件に受け入れることのないように注意しながら。
とはいいながらお気楽なネタを、たらたらと書いていくかもしれない。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年3月29日星期二
日本では、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われることが多い。
ここ上海、3月初旬に突然最高気温が22度まで上がったことがあったが、その後再び気温が下がり、なかなか暖かくならない。昼間は少し過ごしやすくなったが、まだ朝晩が寒い。
夏になると35度以上の日が長々と続くのであるが、四季のうち冬と夏が大方を占め、春と秋は短いのではと感じている(春はまだ経験したことがないが)。電気カーペットもなかなか御用済みにならない。
この前成都で菜の花畑を見たときには草花の息吹を感じたのだが、上海で緑を見ることが少ないことも、春が遠いと感じる一因かもしれない。
もっとも、上海のこの程度で寒いなどと言うのは贅沢なほうで、東北部や華北ではそれこそ春を待ち遠しくしている人たちが多いのであろう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年3月17日星期四
「好ましくない」書籍などを持ち込もうとすると税関で没収されるということは、以前書いた。このとき触れたのは政治的な方面のことで、例えば中国の現体制を批判するような書籍があったら即没収であろう。
もう1つ、「風俗的に」好ましくない書籍も没収である。輸入貨物の中にその類の本があったらこれも没収であろう。「こちらに引っ越すときに本を没収された」などと人に話そうものなら、「どんな本を持ってきたんだ」と言われかねない。
(注:日本でも関税定率法第21条の4に、「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」は輸入禁止である旨定められています)
ところで、現在日本経済新聞に渡辺淳一の小説『愛の流刑地』が連載されている。
この小説、私が見るタイミングが悪いのか、ひたすら「その場面」か「その後の余韻に浸っている場面」か「もう一回」の描写が続いているような気がする。今日は「その場面」でbはなかったが。この小説が「風俗を害すべき連載」と中国で認定され、日本経済新聞は中国で「ご禁制」になってしまい、「日本人の間で密かに読まれていた」・・・なんてことにはならない、か。日本語ならいいのだろうか。
渡辺淳一&日本経済新聞と言えば『失楽園』がすぐ思い浮かぶが、今回の『愛の流刑地』は私の周りでは『失楽園』ほどの話題になっていない。『失楽園』は台湾で中国語訳本を見かけたが、大陸にはあるのだろうか。今度本屋で探してみよう。
もう1つ、以前朝日新聞で連載していた柳美里の『8月の果て』が「作者の構想がふくらみ、新聞連載による完結が不可能になった」との理由で打ち切りになった。『愛の流刑地』も、作者の妄想もとい構想が膨らみすぎて打ち切り、なんてことはないだろうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年2月9日星期三
明けて今日は春節。
といっても終日雨なので特に出歩くわけでもなく、春節休みの前が9連投だったこともあり、終日部屋でのんびりと過ごす。
昨晩からの『2005春節晩会』であるが、00:00目指したカウントダウンで盛り上がった。日付が変わった後、また曲芸やら漫才やら歌があったが、軍服の女性が出てきて歌ったり、「民歌」中心のメドレーがあったりと、やはり中国ならではのところがある。
『2005春節晩会』が終わってしばらくすると、その延長のような感じで太鼓のアトラクションが放映されていたが、アテネ五輪のメダリストがたくさん登場していた。日本の『紅白歌合戦』でもメダリストが登場していたが、ノリは同じなのだろう。
昨日からこの番組を『紅白歌合戦』に例えていたが、それとは違い男女対抗ではない。歌手は女性のほうが多いようだ。
この旧正月休みは一番下っ端なので会社保安の理由で上海で留守番。天気が良ければ上海の街を新発見を探して歩きたいものだが、ここ数日雨模様なので残念。天気が良くなれば、街歩きをしたいものだが。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年2月4日星期五
2005年1月23日星期日

以前紹介した、新暦正月用もかねた大きなクリスマスツリー。
今日訪ねてみたら、骨組みはそのままに提灯がたくさんぶら下がった春節用の飾り付けに転用されていた。
奥にいたサンタクロースも、福の神?に変身。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年1月9日星期日
地下鉄1号線と2号線が交差する、人民広場駅近くのビル「来福士広場」で見つけた飾りつけ。
場所によっては、もう旧正月=春節用の提灯が飾られているのだが。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年1月3日星期一

南京西路で見かけた、5階まで届こうかというクリスマスツリー。
後ろのほうにサンタクロースが座っているのが見えるので近付いてみると・・・
ちょっと恐い。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年1月2日星期日

中国・韓国・台湾では旧暦正月、即ち春節を新暦正月より盛大に祝うのはご存知の方も多かろう。
当地でも今年は1月1日〜3日は休みなのであるが、新暦正月をいかにに盛り上げるかというと、クリスマスと合わせ技で盛り上げるのである。
というわけで、私の住処でもクリスマスツリーが飾られている。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
2005年1月1日星期六
2005年になったのを機に、ブログを始めることにしました。
上海に住んで半年、上海で見たこと聞いたこと考えたことを書いていこうと思います。どうぞよろしく。
ウェブサイトでも雑感のようなものを書いていたので、そちらとの棲み分けを考えないといけませんね。
それはそうと、今日はとても寒い! 昼なのにテレビをつけると画面の隅に黒い下向きの矢印が出ていて、「-5℃」と書いてある。本当にそこまで冷えているのかどうかは???だが、とにかく寒い。一昨日雪が降ったのだが、その雪が屋根の上に融けることなく残っているのが見える。
ちなみにこの矢印、夏になると上向きの矢印になる。35度を超えると赤い上向きの矢印が出て、38度を超えると矢印が黒くなり、ドラマの放映中でも「外出には気をつけましょう」というテロップが出る。日本の朝のニュースでも画面の隅に天気予報が出るものがあるが、ああいう感じで警報が出るのである。
私は寒さには強いほうだと思っているが、それでも寒い!ということで、正月早々から電器屋に行き、電気カーペットを買ってしまった。これも電気代は食うのだろうが、空調の暖房だとなかなか暖まらないのだよ。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
Recent Comments