旅行・地域

2018年10月30日星期二

メーサイ・タチレイ国境の旅(7)タイ北部からミャンマーの山々を望む

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 駆け足だったメーサイ・タチレク、そしてドイトゥンパレスを巡った旅も終わりに近づいた。ドイトゥンパレスからメーサイへと向かう、北に上って国境沿いに走る道の途中にあるタイの軍事拠点近くからの眺めがとても良いと聞いたので、帰りに寄ることにした。
 足を踏み入れるに際してIDのチェックを経て、国境沿いのビューポイントへと進んで行った。

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 なるほど、目の前はミャンマーの山々だ。バンコクでは見ることのできない、まさに緑に囲まれた絶景だ。






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 国境を仕切るのは木製の簡素な柵、タイとミャンマーは歴史上覇を競ってきたこともあろうが、柵はあれども大地がどこまでも続いていくような感じを得ることができる。





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 国境の展望地にはコーヒーショップがある。緑を目に焼き付けながらのコーヒーの味や如何に。








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 おそらく見張り台であろう、立ち入り禁止の場所の上では、犬が気持ちよさそうに眠っていた。犬は人間が引いた国境を構うことはないのだろうが、この先は急な斜面が続くのでこの辺りで暮らしていくのだろう。





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メーサイ・タチレイ国境の旅(6)ドイトゥン・パレス

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 前回の続き。明けて翌日、メーサイの近くにあるドイトゥン・パレス Doi Tung Palaceというところへ行ってきた。ガイドブックではチェンライ近郊のスポットとして紹介されているものもあるが、メーサイから近いところにある離宮だ。
 道路から階段を下ったところにある庭園が、色とりどりの花で美しい




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 この日は入場無料とのことで、チェンライなど近くから来ているであろう多くの人たちで賑わっていた。








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 水鳥が並んで池を進んでいく。









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 ゴールデントライアングルの山並みにを遠くに見る、美しい花の広場だ。








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 この庭園を見下ろすように建っているのが、プミポン国王の母上であるシーナカリン王母の離宮だ。タイ北部のラーンナー文化に、王母がかつて住んでおられたスイスのの山小屋の雰囲気を混ぜて作られた離宮だ。
 離宮内はイヤホンでガイドを聞きながら見ることができる(日本語も選べる)。王母は晩年この地で過ごすのを楽しみしていたとかで、編み物用具や旅行鞄など生前使っていたものの展示を見たり、イヤホンから流れるガイドでこの地の人達に与えた配慮について聞いたりしながら中を見てまわった。

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 離宮のベランダから先程の庭園を下に見、さらにその先にあるミャンマーの山々を望む。








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 離宮を観た後、こちらはタイ側、チェンライを望む。









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 離宮の入口にはドイトゥンコーヒー Doi TUng Coffeeがある。
 ドイトゥンというのはこの山間の地名だが、その名を冠した「ドイトゥン・プロジェクト」というものがある。長らくこのゴールデントライアングルは麻薬の流通で名を馳せていた地域であり、またここを含むタイ北部は貧しい地域であった。シーナカリン王母の発案と伝わるドイトゥン・プロジェクトで、麻薬の原料であるケシの栽培に代わりコーヒーや野菜などの農作物への転換を促し、この地域をタイの健全な社会に取り込もうとするプロジェクトだ。庭園の花も、そうした過程で花卉農家に転じたこの地の人達が作り出したものが少なからずあるだろう。ドイトゥンコーヒーは、このプロジェクト
 スワンナプーム空港ではドイトゥン Doi Tungの名を冠した土産物店が出国審査後のエリアにあり、コーヒー・ナッツや布製品などを売っている。またドンムアン空港の制限区域外nにある同じ名前の店では、これらに加えて野菜も売っている。
 多くの人がここを訪れるのは、眺めの良さや庭園の美しさの他に、王母のプロジェクトなどによりタイの人達が王室に尊敬と親しみを持っている、ということにもよるだろう。

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2018年10月28日星期日

メーサイ・タチレイ国境の旅(5)国境上の物売り

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 夕方タチレイからメーサイへと国境を渡るときの橋上にて。おそらく揚げ物だろう、食べ物の屋台を構えている人がいる。







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 こちらは路上に野菜を並べて売らんとしている。
 何もタイ・ミャンマーの国境、出国後入国までの間に歩く橋の上で商売しなくても…と思うのだが、現代国家の国境線を跨いで人の往来は昔から盛んで、今日の国境も通る人が多くそれなりに商売になるのだろう。

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メーサイ・タチレイ国境の旅(4)「タイ最北の地」

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 メーサイの国境検問の右側に並ぶ商店街を進んでいくと、国境の川を望むところに「THE NORTHEST MOST OF THAILAND」と書かれたゲートがある。英語の表現はさておき、本当にこの場所をくぐった先がタイ最北の地なのだろうか、国境の川はここまで北上しそしてここからは南下していくのだろうか。人が入りにくいところに本当の最北があるのかもしれないが、時間を見て調べてみたい。



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 国境は夜は閉鎖され、通ることができない。上のゲートをくぐったところから見る夜の国境。橋にはライトが当てられ、両国の旗がたなびいている。

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メーサイ・タチレイ国境の旅(3)タチレイのゴルフ場-Regina Hotel and Golf Club-

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 タチレイの国境からそう遠くないところ、トゥクトゥクで10分かからず走ったところににRegina Hotel and Golf Club レジーナ ゴルフクラブというゴルフ場がある。どうやってここを知るに至ったのかは忘れたが、今回タチレイに行くに際してゴルフクラブ7本と傘を持ってバンコクを発ちそして国境を越え、このゴルフ場でプレーをしてきた。前述の街の名所巡りは細いゴルフバッグをトゥクトゥクに積んで走ってまわった。
 ゴールデントライアングルの山々に囲まれてプレーするのは良いのだが、フェアウェイは葉っぱが幾分伸びたり縦に半分切られた葉が並んでいたりで、グリーンも砂が撒かれていてとても遅く、手入れは今一つという感じだ。タチレイでゴルフをすることに意義がある、という感じだ。池はあまり効いていないが、各ホール幅が狭いので気を付けないといけなかった。

 顔にタナカ「日焼け止め」を塗り、民族衣装を着た女性がゴルフ場の整備などの仕事に当たっていたのが印象的だ。

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 タチレイの街を遠くに見ながらショットを放つホールもある。

 このレジーナ ゴルフ、カジノリゾートに併設されたゴルフ場だ。ゴルフ場も含めてリゾートにしたいのだろうが、私がプレーした時は前後に人を見ることがなかった。もっともゴルフ場を離れるときにこれからプレーという風情の人がいたので、フレーする人はそこそこいるのだろう。

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2018年10月27日星期六

メーサイ・タチレイ国境の旅(2)国境越えとタチレイ街巡り

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 前回の続き。メーサイのバスターミナルから赤いソンテウに乗り、そのまた先にある国境へと走っていく。








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 タイ側の検問所。
 この10月から日本のパスポート所持者はノービザでミャンマーに入国することができるようになった。それまでは予めビザを取得するか、ノービザの場合はタイ出国後にミャンマー側でタチレイ限定の入境許可証を取得して入国する必要があったのだが、これらの扱いを必要とすることなくタチレイへと行くことができる。



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 国境周辺のタイ側、メーサイの街並み。朝早くから店を開けている。








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 タイ側の出国手続きを終え、国境にかかる橋を渡る。









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 以前国境越えをしたメーソート-ミャワディ同様、細い川を渡っての国境越えだ。
 ビルマ語の看板が目に入ってくる。







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 車はタイは左側通行、ミャンマーは右側通行なのだが、橋の上でX字状に交差して左側通行から右側通行に、あるいはその逆へと車は進路を変える。
 歩いて国境を越える場合も、タイからミャンマーへ向かう際は出国検査は橋の左側を通り、入国審査は橋の右側で受けるのでどこかで橋を渡る必要がある。
 バイクやトゥクトゥクが橋を渡って国境を越えていくところに、タイ側とミャンマー側との繋がりを感じる。


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 国境を越えてすぐのところにあるロータリーには、「CITY OF THE GOLDEN TRIANGLE」の文字が。タイ・ミャンマー・ラオスの3か国が接するゴールデン・トライアングル、かつては裏社会の暗躍で名を馳せたが今ではその名前を街に掲げてさえもいる。
 ミャンマー側は、2~3階建ての建物がめいめいに建てられた、統一感のない感じだ。


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 タチレイの見どころは寺院が多いようで、トゥクトゥクで見てまわった。まずはワット・タイ・ヤイ。この地の少数民族、シャン族にまつわる寺院だそうだ。







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 シュエダゴン・パゴダ。金色の塔に青い空と緑の山並みは、似たような名前の寺院ややはり金色の仏塔をヤンゴンで観るのとは違う眺めだ。







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 エレファント・テンプルと呼ばれる緑色の寺院。門前で象の像が出迎える。
 3寺院それぞれに違う雰囲気や文化を感じるし、タイの寺院とも異なる感じだ。






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 街中で見た、瓜を載せた3輪トラック。かつて中国の地方都市で見たそれを思い出させる。同じ内陸部ということで言えば、今の昆明や大理でもこうしたトラックは幅を利かせているのだろうか。
 続きは後程。

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2018年10月26日星期五

メーサイ・タチレイ国境の旅(1)バンコクからバスでメーサイへ

 週末を使ってタイの最北端の街、メーサイとそこから橋を渡って行くことができるミャンマーのタチレイへ行ってきた。
 メーサイはチェンライから車で1時間程のところなので、チェンライまで飛行機で飛んでそこからバスでもいいのだが、今回は週末の朝一番でメーサイへ着くべく金曜日夜にバンコクを発つバスでメーサイへと向かった、バンコクからタイの北端を目指すバスはバンコク発のバスでは、そしてタイを走るバスではとても長い距離を走るバスの一つだろう。

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 メーサイへ行くバスは、バンコク北部にあるモーチットのバスターミナルから出発する。バスのグレードは何種類かあるが、いちばん運賃の高いVIPバスを選択。
 バスは19時45分に出発、一路メーサイを目指す。






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 モーチットのバスターミナルを出発した時には座席は半分ほどの埋まり具合だったのだが、出発してすぐに停車したランシットのバスターミナルでかなりの乗客が乗ってきて、略満席で北を目指す。






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 バスの座席は2列+1列の3列で並ぶ。運転席との間には仕切りがあり、走っている間はドアが閉まるので列車で走っているような雰囲気だ。
 出発してすぐ軽食(所謂ぶっかけご飯)と水のサービスがあり、また翌朝用だろうかマドレーヌのような菓子も夜のうちに配られた。
 バスには車掌が乗っていて、上述した軽食の配布などのサービスをしてくれるとともに、乗客1人1人に行き先を尋ねていた。このバスはメーサイ行きだから全員メーサイに行くのだろうと思ったがそういう訳ではなく、途中の希望するところで降ろしてくれるようで、翌朝起きた時には乗客の半分が既に降りていなくなっていた。
 乗り心地は快適で意外とよく眠れたのだが、夜が明ける前の5時ごろに急に道が悪くなりその揺れで目が覚めた。

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 1人掛けの座席はこのような感じ。









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 リクライニングを倒すとこのようになる。足元もリモコンで上がるので、狭いとはいえ横になるのに近い感じで寝ることができる。







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 座席前に貼ってある、椅子を操作するリモコンの説明。椅子にはマッサージ機能も付いている。








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 途中に小さな停留所があり、こうしたところで降りていく人もいる。ここから自宅なり出先なりを目指すのもまた一手間だろう。
 停留所には漢字で「巴士停車処」の記載も。「巴士」なんですね。





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 チェンライのバスターミナルにも停車。チェンライ行きの役目も担っているのだろう、ここで降りる人も多い。
 写真左側のバス、ナコンチャイエアのバスも行先が「MAE SAI」と書いてある。






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 メーサイまではあと少し。夜の間は何もないところを走っている時間が長かったのだろうが、チェンライからメーサイまでは建物があまり途切れることがなく進んでいく。







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 メーサイのバスターミナルに到着。朝7時45分到着予定だったが、1時間余り遅れての到着だった。所々雨が降ったりしたせいだろう。







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 バンコク発着の主要な長距離バスの切符は、タイの映画やコンサート等娯楽チケットを売るサービスであるTHAI TICKET MAJORで買うことができる。トップページから「TRANSPORTATION」のタブを選ぶと、バスの切符を購入するページに行くことができる。
 ウェブサイトからの購入には会員登録が必要だが、TICKET MAJORは実店舗もある。バンコク中心部ではCENTRAL CHITROM(デパート)にカウンターがあり、カウンターでは会員登録をしなくてもIDを持参した上で購入することができる。ウェブサイトで時間を調べ、窓口で購入するのも良いと思うし、実際今回はそのようにして購入した。
 今回のバンコク~メーサイのVIPバスは904バーツ(TICKET MAJORで買うと手数料が20バーツかかる。更に窓口でクレジットカードを使おうとしたら手数料3%と言われた)。1ランク下の1ST CLASSは581バーツだそうだ。バスの運賃はLCCが飛んでいる都市であればそちらのほうが安いこともあろうが、飛行機が飛んでいない街へ行くとか夜行バスで時間を有効に使おうとかの意図で、長距離バスもまだまだ有用と言えよう。

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2018年7月30日星期一

パスポート更新

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 前回パスポートを更新したのが2009年12月、有効期限まではまだ1年以上あるが、余白のページが少なくなったのでパスポートを更新した。前回の更新後最初に旅行に出たのがタイ、そしてその後時を経てタイに住み今回は在タイ日本大使館で更新、パスポートの発行官庁欄には「EMBASSY OF JAPAN IN THAILAND」の記載がある。タイ旅行で使い始めたパスポートがタイで役割を終えたことになる。
 そして前のパスポートでは(太平洋を中心にした世界観だが)東はパナマまで、そして西はカナリア諸島まで旅行し、このパスポートで地図の右から左まで旅したとも言える。新しいパスポートで頻繁に旅行ができるのかはわからないし、バンコク以外の外国に住むことがあるのかはわからないが、海外にいる日本人にとって自らを証明するために重要なパスポート、なくすことがないように万全の注意を払いたい。
 今回パスポートを更新するに際していろいろ調べてみたが、台湾で日本のパスポートを作成・更新する際も在タイ日本大使館発行のパスポートになり、パスポートがバンコクから台湾に送られて申請者に交付されるそうだ。後述のICパスポート発行機械がない在外公館だと日本の外務省発行のようだが、台湾についてはそうしてはおらずタイ発行なのは地理的にはそこそこ近いとはいえ何らかの建て付けがあるのだろうか。
 そしてパスポートを申請してから受領するまでの日数だが、日本で申請すると例えば東京都だと申請から受領まで6営業日かかるようだ。他方在タイ日本大使館(バンコク)だと3営業日後の受領、これが最速な訳ではなく例えば在重慶日本国総領事館だと午前中受付で午後受取の即日受領が可能なようだ。他方ICパスポート発行のための機械がない在外公館で申請すると1ヶ月以上かかるとの案内を出しているところもある。
 また、在外公館でのパスポート申請に限り、ウェブサイトで申請書を作成することができる(作成フォームは外務省のウェブサイトにあり、こちら)。ウェブサイトで申請とはいかないものの、申請書を予め作成しておくことができて便利だ。

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2018年6月19日星期二

プノンペン・その他もろもろ

 2か月前のことになってしまったが、ソンクランの時期に駆け足で訪れたプノンペンのことを、空港鉄道と日本人の慰霊碑のことに続いてぼちぼちとアップ。

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 プノンペンのトゥクトゥクはバイクの後ろに座席と屋根を付けた古いタイプの他に、それ専用に作られたような小さくて新しそうなタイプのものが走っている。





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 タクシーはまだ台数が少なく、ましてメーターで走るタクシーは最近登場したばかりだそうで、街を移動する足はまだトゥクトゥクに頼ることになりそうだ。







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 ワット・プノンからアメリカ大使館や高級ホテル(「ラッフルズ・ホテル」の名を冠している)へ伸びる通りにもトゥクトゥクが走っている。








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 カンボジアは中国の影響が強いようで、ここプノンペンでも中国語の看板や広告をよく見かける。簡体字は古くからいる華人の影響ではなく今日の中国人の影響の所以だ。





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 タイだとソンテウと呼ばれる、トゥクトゥクより人数が乗れる乗り物も、引っ張るのは中国のバイクの前部だ。







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 後ろに荷台を付けてたくさんの商品を並べて売り、そして走っていくオートバイがいるのはタイと同じだ。







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 街の北にある、日本の援助で架けられたカンボジア日本友好橋。今またJICAの支援を得て工事中で、たもとから橋を見ることはできなかった。







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 カンボジアの正月、クメール正月もタイのソンクランと同じ。市場は門を閉ざして休みになっていて、周りに衣類を机や路面に並べて売る人がちらほらといるだけだ。







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 かつてフランスの植民地であった頃の名残を感じさせる建物もちらほらと見ることができる。嘗て住んでいた時に見た上海の旧租界のようだが、今はどうなっているだろうか。




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 王宮。今も国王の居所であり執務も行っているが、中に入って前庭から即位殿などの歴史ある建物を見ることができる。







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 その隣にある、王室の菩提寺であるシルバー・パゴダ。敷地を囲む塀に描かれた、昔を記す壁画絵巻も状態よく観ることができ美しい。






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 東南アジアの暑期ということで暑い。王宮の入口のベンチの下は、涼を求めた猫の休憩場所になっていた。







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 前述のカンボジア・日本友好橋を王宮近くから望む。夕方になると遊覧船が夕陽のプノンペンを走るのだろう。







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 このトンレサップ川、シェムリアップの南にあるトンレサップ湖と繋がっていて、両都市間をスピードボートで行き来することができる。
 その後川は名前を変え、ベトナムのメコンデルタへと注いでいく。






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 プノンペンを発つ前にワット・プノンを再訪したら、人多くこの地の人達が奏でる音楽や踊りで賑やかだった。クメール正月のお祭りだろうか。






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 クメール正月に訪れたこともあり、市場が閉まっているなど観ることができなかったところもあるので、そのあたりはまた来てみたいものだ。

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2018年5月30日星期三

プノンペン・2人の日本人の慰霊碑

 カンボジアでは1975年からクメール・ルージュが国内を掌握していたが、当時都市住民を強制的に農村に移住させて生産活動に従事させる、宗教の禁止、貨幣を廃止するなどの極端な原始共産主義を追求して国内を支配していた。
 そしてその間、国内で酷い虐殺行為を行った。彼らに反対する者のみならず医者や技術者など知識教育のある人々の抹殺を試み、甚だしきは「眼鏡をかけている」から知識人に見える等の些細な理由で虐殺を行った。彼らが統治した4年の間に、200万人が虐殺の犠牲になったと言われている。そしてベトナムに後押しされた勢力がクメール・ルージュを追い払った後もタイ国境近くに逃れて戦いを続け、そしてその政権を押すベトナムやそれを良しとしない中国の介入もあり1980年代の大半はカンボジアは内戦の時期となった。1980年代末から和平の機運が高まり、1991年の4派合意による内戦終結、そして1993年の議会選挙へと進んでいくが、この選挙にはクメール・ルージュは参加しなかった。
 今日、虐殺の舞台となった場所は訪れることができ、プノンペン近辺ではキリング・フィールド(必ずしもこの場所のみを指す言葉ではないが)やかつての学校跡で収容や虐殺が行われたトゥール・スレンなどを見ることができる。

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 他方、このクメール・ルージュが国内を掌握する前に彼らを取材に訪れ、その際に現地で病により命を落とした石山幸基・共同通信社支局長の慰霊碑と、内戦終了後の上述選挙のために国連ボランティアとして活動中に殺害された中田厚仁氏の慰霊碑が、トンレサップ側沿い、王宮に程近いワット・ウナロムという寺に並んで建っている。
 クメール・ルージュの支配そして内戦期へと続く時系列の始まりと最終盤に命を落とした日本人2人の追悼碑の前に立つと、前述のキリング・フィールドなどとは違った意味でカンボジア苦難の時期に思いが至る。

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