中国

2009年12月24日星期四

2010年・中国の祝日

 少し話題にするのが遅くなったが、来年2010年の中国の祝日は以下のようになるとのことである。

元旦:1月1日(金)~3日(日)。
春節:2月13日(土)~19日(日)。但し2月20日(土)と21日(日)は平日扱い。
清明節:4月3日(土)~5日(月)。
労働節:5月1日(土)~3日(月)
端午節:6月14日(月)~16日(水)。但し12日(土)・13日(日)は平日扱い。
中秋節:9月22日(水)~24日(金)。但し19日(日)・25日(土)は平日扱い。
国慶節:10月1日(金)~7日(木)。但し9月26日(日)・10月9日(土)は平日扱い。

 来年は春節の後と端午節の前が7連投=7日連続の平日になっている。伝統的には春節の後は元宵節(旧暦1月15日=2010年は2月27日)まで春節気分ということもあろうが、カレンダー通りに働く人にとっては春節で羽根を休めた後にいきなり7連投というのは気分的にちょっと厳しいのでは…
 また、中秋節の振替平日に9月25日(土)が、国慶節の振替平日に9月26日(日)が含まれているので、異なる祝日の振替平日のために6連投になっているところがあるのが目を引く。昨年は中秋節と国慶節が重なったので8連休になったのだが、今年はこの谷間に長めの平日を挟むことになる。
 2009年に閏5月があったので、元旦と春節の間が離れているのも来年の中国の祝日の特徴といえよう。

国务院办公厅关于2010年部分节假日安排的通知 (中国国務院による2010年の祝日のアナウンス)

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2009年12月9日星期三

中国インディペンデント映画祭2009

 東中野のポレポレ東中野(先日『台湾人生』を観たところ)で、12月12日~29日に「中国インディペンデント映画祭2009」と銘打って8本の中国映画と短編映画集1篇が上映されるとのこと(映画祭のオフィシャルウェブサイト)。

 先日観たテレビ番組『NHKスペシャル チャイナパワー 第1回 "電影革命"の衝撃』、あらゆる方面で世界の重要な地位を中国が占めるようになっている一例として中国の映画産業にスポットを当てた番組であった。香港で活躍していた監督や俳優も北京に事務所を構えるなど中国を意識するのは当然のようになり「ハリウッドを凌ぐ」ことを目指して動いている中国映画界の話であり、この中で取り上げられていたのは「超大作」と言われる、巨額の資金を投じて中国のみならず世界中からキャストやスタッフを集めて作られる映画である。
 翻ってこの「中国インディペンデント映画祭」の作品紹介を見ると、中国の地方に題材を取り、あるいは市井の人や時にはアンダーグラウンドな環境をも題材にして撮影された映画が並んでいる。10年くらい前に「中国映画祭」と銘打って中国映画を並べると、「チャイナパワー」を誇示する映画ではなくこのような映画が並んでいたのではなかろうか。あるいは今でも日本で単館上映される映画にもこうしたものが多々見られる。「チャイナパワー」を感じる超大作も今日の中国映画であれば、この「中国インディペンデント映画祭」で上映される映画も今日の中国映画である。
 10年位前の中国映画、と言ったが、当時のそれらはエンディングで「あれ?」と思ってしまうような終わり方をした映画も少なからずあった。ストーリーが難しいというのではなく話が途中で終わってしまう感があったり「だから何?」と言いたくなるような終わり方だったりしたことがあった。「チャイナパワー」系によく見られるわかりやすいストーリーではないことも多いだろうが、今回上映される作品たちはどうであろうか。
 期間中の土曜・日曜は結構予定が入っているのだが、1つくらいは観たいものである。

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2009年11月26日星期四

GPSと中国の地図

P1010756 海外旅行に出る時は、日本で使っている携帯電話に加えて海外で使用できる(旅行先で売られている通話やデータ通信が出来るSIMカードを買い、そのSIMカードを挿して使える)携帯電話を持って行くことにしている。現在使っているのはNOKIAのE51という携帯電話なのだが、この携帯電話はいろいろなアプリケーションをインストールして使うことが出来る。その中の1つ、世界中の地図を表示できるGoogle Mapsを使い、携帯電話とGPS(写真右下)を連動させると現在位置を地図上で表示させることが出来る。


Screenshot00341  9月に旅行した煙台でGPSを作動させたときのスクリーンショット(携帯電話の画面)。朝陽街を歩き、北馬路との交差点を曲がって張裕酒文化博物館へ行こうとしているところである。
 道路も結構詳細に表示され、目印となる建物もそこそこに表示されるので、道に詳しくない街を歩くのにも結構使える。
 携帯電話そのものは第3世代(3G)に対応しているも中国移動のプリペイドSIMカードは第2世代のGSM/GPRSなのだが、地図の表示がストレスを感じるほど遅いということはなく、「どっちに曲がったらよいか」など道を確かめるには十分である。
 通信費については出国時にSIMカードを差し替えたら通信履歴が消えてしまったので正確なところはわからないが、青島~煙台とたまにこうしてGoogle Mapsを使って残高の減り方が滞在中約15元だったので、そうべらぼうに高いものでもないと思う(これは中国移動のSIMカードの話で、これを日本の携帯電話会社のローミングでやると通信費がとても高いので注意)。

P1010754  中国で観光地図を買うと、かつては通りやその名前はきちんと書いてあるが縦横がデフォルメされていて東西南北が不正確なものがよく見受けられた。写真はこの前青島で買った地図でこれは割と正確そうだが、'90年代初めに北京で買った地図は縦横が明らかに不自然になっていて、街歩きには使えるが明らかにデフォルメされた地図であった。おそらく国防上の理由からそうなっているのだろう、と当時同学たちと話したものである。
 そしてやはり学生時代、当時発行された『現代用語の基礎知識』にだったか『知恵蔵』か『イミダス』にだったか忘れたが世界の主要都市の地図が付録についていたことがあり、その中に北京の地図が掲載されていた。デフォルメされた地図を見慣れていただけに、当時「これが正確な地図だったら画期的だな」とやはり同学と話をした記憶がある。
 今やPCや携帯電話で世界中の地図が表示されるようになり、上記のように中国の地図も携帯電話で表示ができるようになった。当時のデフォルメされた派手な色使いの地図を片手に歩いていた頃とは、技術面でもそうであるが正確な地図が見られるという情報が丸見えになっているという面との双方で隔世の趣がある。
Screenshot00621  中国ではないが、こちらはソウル・明洞にてGPSを作動させた際のスクリーンショット。表示がハングルなので、韓国語を解さない私にとっては字を追うのに時間がかかり、これだけでは携帯電話やGPSの機能とは別の意味で「ストレスなく道を探す」のは難しい。それでも、ガイドブックや観光公社で貰った地図と見比べて、「今どこにいるか」を把握するには役に立つ。
(注:使ったSIMカードはプリペイドで国際ローミング可能な香港のものです)









Screenshot00551  やはり韓国にて、都羅山駅からDMZツアーに参加したときのもの。さすがにここでは今でも「国防上の理由」があるからか道路は表示されない。青丸とその説明である黄土色の囲み「40公尺以内的您的位置」との中間にある、梯子のような線路表示の先端である「도라산리」と書かれたあたりが都羅山駅(表示はおそらく「都羅山里」だろうから駅名を書いたものではなさそうだが)。
 ちなみに、ソウルの韓国観光公社で貰ったツアー案内にあった、ソウルから北朝鮮の開城(ケソン)を訪れるツアーには持ち物制限があり、ズームレンズなどに加えてGPSも持ち込み不可と書かれていた。街が丸見えになるのを避けたい、というところが未だにあるのだろう。

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2009年10月31日星期六

「英愛咖啡」

Imgp7929 煙台・大馬路を歩いて海岸に突き当たるところに、「英愛咖啡」の看板を掲げた2階建ての建物を見つけた。
 広仁路歩行街の南の端にあり、海をバックに建つこの「英愛咖啡」、韓国との交流が深い煙台にあって李英愛=イ・ヨンエにあやかってつけた名前だろう。アルファベット表記の「YOAI COFFEE」、「英愛」のピンイン表示とは異なるが、イ・ヨンエの名前とも異なる表記にしたのは遠慮したのか「そこまで一緒にするのはどうか」という後ろめたさがあったのか…
 最近イ・ヨンエは映画やドラマには出ていないようだし、チェリナーの消息もあまり聞かない。これからの注目は台湾に目を移して桂綸鎂ですかねぇ…

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崂山可乐(労山コーラ)

P1010382 今回の旅行中、青島で見つけた崂山可乐(労山コーラ)。









P1010387  裏返してラベルを見ると、原料欄に「乌枣(ナツメ)」「砂仁(シュクシャミツ)」「白芷(ビャクシ)」「良姜(コウリョウキョウ)」「丁香(チョウジ)」と、漢方薬の材料になりそうな薬草・植物の名前が並ぶ。実際飲んでみると、漢方薬のような香りがかすかに鼻に抜ける感じがする。
 変わり種の味がするコーラといえば日本でもあずき味のペプシコーラが最近売り出されたが、薄い漢方薬のような味のコーラが味わえるのはこの崂山可乐だけではなかろうか。健康に良さそうな雰囲気が売りなのだろう。

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2009年10月30日星期五

2009年・環黄海旅行記(23)釜山~博多・フェリー「ニューかめりあ」

 下関を起点に中国・韓国を駆け足で回った今回の旅行も終わりが近づいてきた。釜山港から船に乗って日本に戻らねばならない。
Imgp8489  まずソウルから釜山へ高速電車KTXで移動。やはり折角の乗車機会なので1等車に乗車。3列シートのゆったりとした座席である。運賃は週末料金の71,700ウォン、これに自動券売機購入による700ウォンの割引がある。券売機での購入は英語の画面が選べるので割と簡単である。
 釜山までの2時間45分は殆ど寝ていたのだが、9月末ということで沿線に実る稲穂が黄金色で美しかった。
 釜山駅に着き、フェリーが出る国際旅客ターミナルへの行き方を尋ねたところ時間は決まっていないが連絡バスが出ているとのことであった。教えてもらった出口へ行くと、タクシー乗り場の隣にそれとわかるバスが停まっていた。他のバスの停留所と離れておりそもそも停留所の案内もなかったような記憶があり、バスが停まっていないとわかりにくいだろう。
P1010582  釜山からは下関行きと博多行きのフェリーが出ている。略同時刻に出るのだが、今回は博多行きのフェリーに乗ることにした。2等運賃の90,000ウォンはクレジットカードで支払ができたが、港湾使用料3,200ウォンは現金で支払う必要がある。





Imgp8506  ターミナルの屋上から見た、今回乗るカメリアライン運航の「ニューかめりあ」号(韓国側代理店のウェブサイトはこちら)。昼間に博多から釜山へと運航し、夜に釜山を出て翌朝博多に着くというスケジュールであり、この航路に入っている1隻が1日で1往復するという運航形態である。釜山と下関を結んでいる関釜フェリーが2隻の船で釜山→下関・下関→釜山を夜行便で結ぶ(それぞれの船は1日で1片道航海、2日で1往復することになる)のと比べると船にとっては密度の高いスケジュールになっている。
 夕方釜山に着いた「ニューかめりあ」。国際仕様のサイズのコンテナだけでなく、船尾から小さいJRの貨物コンテナが下ろされているのが見える。

Imgp8505  こちらは下関へ向かう関釜フェリーの韓国側投入船「SEONG HEE」号。







P1010600  時刻表では20時出港となっているが、この日は19時から出国審査がありその後すぐにフェリーに乗り込んだ。
 「ニューかめりあ」の船体全体を写真に収める機会はないが、船内にある案内のテレビ画面による本船の紹介から。




Imgp8523 Imgp8525  船内のロビー。








Imgp8564  客室へ向かう通路。今回乗った3隻の船の中で、この「ニューかめりあ」がいちばん船内がきれいに整備されていたと思う。前述の通り1日で博多と釜山を往復する、他の日中・日韓フェリーに比べると厳しいスケジュールの中でよくやっていると感心する。




P1010607  船内には浴場もあり、こちらも清潔に整備されている。朝は5時半から利用可能で、博多ポートタワーを目の前に見ながら入浴することができる。







P1010596  船内にはカラオケボックスも確か3室用意されている。夜だと船内で寝るだけなのだが昼間の航海だと時間をもてあます人もいるだろうからその間にカラオケを、という客も少なからずいるだろう。
 他にはゲームセンターもあった。





P1010592  食堂は食券式。食堂に限らず船内では日本円のみが使用可である。
 自動販売機に「ジョジャックッ定食」という名前を見付けたので、何かわからないままに注文したところ、出てきたのは蜆の澄まし汁定食であった。
 小皿の数やその中身も含めた定食の「韓国らしさ」という点では、煙台から乗った「香雪蘭」のほうに軍配があがると感じた。


P1010591  今回利用した2等船室。所謂雑魚寝スタイルだが寝るときの頭の部分に仕切りがあり、周囲を気にせず眠ることができるようになっている。
 19時過ぎに乗船して20時出港ということであったが、釜山~博多間は実質6時間くらいの距離ということで実際に船が動き出したのは22時過ぎである。翌朝5時半に目が覚めたときには既に船は博多港に着岸しており、人によっては「釜山出港前に寝て博多到着後に起きて、航海中はずっと寝ている」ということもあるかもしれない。


Imgp8560 Imgp8559  早朝の博多港。おそらく近所の方であろうか、朝早くから岸壁で体操をしたり釣りをしたりしていた。また、博多ポートタワーの前を、朝早くから小さな旅客船が横切っていった。
 朝7時半から下船開始だったが、混雑することもなくスムーズに降りることができた。

 今回の旅では日本・中国・韓国をそれぞれ船内1泊で移動し、福岡や下関エリアと中国・韓国との「距離の近さ」を改めて感じた。それぞれ(混雑期でなければ)切符も窓口で簡単に購入することができるのも旅への敷居を低くさせてくれ、中国・韓国へ行くには飛行機に乗る必要がある東京では感じることが出来ない距離感である。
 青島・煙台・仁川それぞれに訪れる前には思いもよらなかった街並みを歩くことができ、当初はフェリーや貨物船で日・中・韓を移動するのが主目的だったが訪れた街での新鮮な体験と新しい発見もまた、そしてそのほうが印象に残る旅であった。

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2009年10月29日星期四

2009年・環黄海旅行記(22)韓国放送通信大学校

Imgp8405 韓国滞在3日目。この日の午後にはソウルから釜山に移動し、釜山から船に乗って日本に戻らなければならない。
 韓国観光公社で貰ったソウルの市内地図の上の隅に「韓国放送通信大学」の名を見つけたので、午前中にそこ=韓国放送通信大学校、日本の放送大学と似たシステムでテレビやラジオを通じて大学教育を行っている大学に行ってみることにした。


Imgp8404  地下鉄4号線の恵化駅で下車し、駅前の広い道(大学路-通りの名前は近くにあるソウル大学に由来。放送通信大学校もソウル大学の付属機関だったことがある)を東大門広場の方向に戻るように歩くと、5分ほどで上写真の案内板が見えてくる。
 左写真は構内の案内。




Imgp8387  中にはいくつか建物があり、それぞれに守衛の方がいたので中に入っていいか聞いてみたが、明らかに部外者とわかるからか断られた。かつて放送大学で学んだ韓国語を使って韓国放送通信大学校への訪問を試みたが、たかだか45分x15週の学習では歯が立たず一蹴された、というところだろうか。一昨年、台湾の国立空中大学の学習センターを訪れた時のようにはいかなかった。もう少し言葉ができれば中を見ることができたのか、あるいは守衛の方ではなくて学校関係者の方とどこかで接することができれば入ることが出来たのか。もっとも、よしんば入ることが出来たとしても言葉を解さないので意味もわからずただ見てまわるだけになりそうではある。
 建物の上には「한국방송통신대학교」の文字が見える。「방송」-「バンソン」-「放送」、「통신」-「トンシン」-「通信」、と、中国語の音に近い言葉だと漢字表記が類推できる。
Imgp8403  大学で行われるイベントの告知だろうか、大学のURLが書かれたものなど横断幕がいくつも掲げられていた。








Imgp8407  こちらは「学生会館」か。









Imgp8389  図書館。









Imgp8394  敷地内で唯一古そうな、欧風建築の建物を見かけた。白く塗られているこの建物は今では講堂のようであるが、前に植えられている記念植樹には「一九〇七年(高宗四四年)三月工業傳習所本舘(史跡第二七九号)竣工紀念」と書かれていた。





Imgp8410 Imgp8384  日本の放送大学の本部の周りはやや閑散としているが、この韓国放送通信大学校は大通りに面していることもあり学校の前や脇の通りには店が並んでおり、学校へ来た際に食事に困ることはなさそうだ。


Imgp8418 Imgp8420  大学校を後にして、東大門広場を目指す。途中に教会に見える立派な建物があったが、どうも結婚式場のようである。教会風の建物にしては通りの向こうからも教会のものとは違う、韓国の文化を描いた絵が壁に描かれているのが見えたので違和感があったが、結婚式場なら合点がいく。

Imgp8437  東大門市場。衣類や布に関連した店が並ぶマーケットである。夜遅くまで賑わうようであるが、午前中ということで人通りは多くなく閑散としていた。







Imgp8443  市場内を流れる清渓川。ソウルの中心部を流れており、市内の散歩道になっている。








Imgp8467  東大門。








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 日本の放送大学のテキストは大きな書店で見ることができるが、韓国の韓国放送通信大学校のテキストを邦訳した『現代韓国社会を知るためのハンドブック』という本がある。韓国の現代社会における諸問題に焦点を当てて解説した本のようである。放送大学のテキストのような雰囲気なのだろうか。

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 来月(11月)14日~15日、放送大学によるシンポジウム「世界公開大学シンポジウムinさいたま」というイベントがあり、放送大学と同様のシステムで遠隔教育を行っている世界各地の大学による講演があるようだ。遠隔教育に関する専門的なイベントであり学術的に教育に携わっている人あるいは遠隔教育に携わっている人が主対象のようであるが、世界各地で遠隔教育を行っている大学、そしてその方法で社会人に大学教育を行っている大学の存在に興味があり、またそれぞれの大学がどのような取り組みをしているのかに関心があるので後日その内容を知ることができればよいのだが、と思う。

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2009年10月28日星期三

2009年・環黄海旅行記(21)DMZ・都羅山駅へ鉄道の旅

 韓国滞在二日目。特に予めツアーに申し込んでいた訳ではなく何をしようかと考えたが、韓国と北朝鮮の軍事境界線地域、所謂DMZまで列車で行けるようになったとのことなので、ソウル駅から列車に乗ってDMZを目指すことにした。
P1010530  境界線の駅である都羅山駅へ行くには、ソウル駅から京義線の電車に乗って汶山(1文字目はさんずいに文)駅へ行き、そこでディーゼル列車に乗り換えて行くことになる。もともと京義線はその名が表すようにソウルから北側の新義州を結ぶ路線だったのだが、南北分断で京義線も分断されてしまい、韓国側の京義線は長らくソウルと汶山を結ぶ近郊路線であった。近年南北の合意で再び京義線が南北間で結ばれ、直通列車を走らせることも可能になり2007年からは境界線を越えて貨物列車が走っていたがそれも1年で中断となった。
 ソウルから乗る京義線は最近電車化され、それに伴いソウル駅の他のホームへの入り口とは離れたところから乗車する。朝8時50分発の電車に乗り、汶山駅まで約1時間の乗車である。
Imgp8321  汶山駅でディーゼルカーに乗り換える。ソウルでは汶山駅までの切符しか買うことができないので、ここで改めて都羅山までの切符を購入する。乗り換え時間が5分しかないので慌しく切符を買って乗車。





Imgp8265  切符は都羅山駅までなのだが、続けて乗ることができるのは2駅隣の臨津江駅までである。10時に汶山駅を出発したディーゼルカーは10時10分に臨津江駅に到着。
 ここで下車し、隣の都羅山駅からDMZツアーに参加する人はそのチケットを買うことになる。あまりいないのだろうが都羅山駅までの単純往復の人は別途手続きをする。
 いずれを選んでも、都羅山駅へは1時間後に再びやってくるディーゼルカーに乗って行くことになる。
 ホームは柵で区切られており、汶山から来た人は柵の向こうで下車し、1時間後に柵の手前から再び乗車する。
P1010513  DMZツアーのチケット売り場。ツアーに参加したい人はここでチケットを買う。17,000ウォンであった。








Imgp8284  駅前の通りの先には臨津閣公園がある。ソウルからDMZツアーに参加すると途中でこの公園に立ち寄る。歩いて行けそうだったが、下手に駅を離れるのも拙そうなので今回は行かなかった。





Imgp8286  駅前に広がる水田。稲を用いて文字が描かれている。横書きで上段は臨津江が属する地名である「パジュ(坡州)」だとはわかったが…






Imgp8313Imgp8267  臨津江駅の駅舎。ここから都羅山駅に向かう際に、帰りの切符を持っていることが求められるようでそのことを駅にいる兵士に聞かれた。帰りの切符は都羅山からの切符をここで買うことができる。
 ホームには、「ソウルまで52キロ、ピョンヤンまで209キロ」と書かれた案内板が建っている。
Imgp8316  1時間後に再びディーゼルカーがやってきた。乗客を入れ替え、柵の手前まで移動したディーゼルカーに乗って都羅山駅を目指す。






Imgp8328 臨津江=イムジン川を渡り、5分程で都羅山駅へ。
 ホームの先には境界線を越えて北を目指す線路が見えるが、南北直通が中断され今のところ列車がこの先を走ることはない。





Imgp8337  ここでバスに乗ってDMZツアーへ。このルートでDMZを目指すツアーは韓国人も参加することができる。ソウル発のツアーは外国人向けで韓国人は参加できないので、韓国人はこの「都羅山まで鉄道で行く」ことで統制区域内に足を踏み入れ、「都羅山駅からDMZツアーに参加する」ということで境界線付近を見ることになる。
 今回のツアー参加者は少なく、韓国人とドイツ人?のアベックと韓国人女性3人連れ、それに私と近しい年頃と見える韓国人男性とその母親と思しき女性、それと私という顔ぶれであった。


Imgp8333  まずは第3南侵トンネルへ。北側が韓国への侵入ルート確保のために掘ったとかで、1978年に発見されている。
 日本語の音声も聞くことが出来る映像紹介を見た後でトロッコに乗ってトンネルを下り、さらにトンネル内を歩いて発見時のエピソードや当時の偽装の様子の説明を見ることができる。映像ではトンネル発見時の様子や時代背景を述べる一方で、他方トンネルの存在を「南北分断の悲哀」と紹介していたのが印象的であった。16年前に板門店ツアーに参加したときには北批判の強いガイドだったのだが、時代の流れだろうか。

Imgp8334  そんな時代の流れか?敷地内にあった兵士の人形は「ゆるキャラ」系であった。







Imgp8339  続いて都羅展望台へ。ここから望遠鏡で北側の様子を見ることが出来る。北側へカメラを向けることはできず、また北側が見える場所から離れたところでないとカメラを構えてはいけない。
 素気ない施設だが、北に思いを持つ韓国の人は特別な思いでこの地に立ち双眼鏡を覗くのだろう。
 このあと「統一村」なる、統制区域内にある集落にある食堂で食事をして(ツアー料金には含まれない)、都羅山駅に戻ってツアーは終わり。
 韓国語を解さずいちいち旅程や集合時間の確認をする日本人(私)が目に留まったのか、ツアー参加者の韓国人男性とその母親と思しき女性に身振り手振りでいろいろと親切にしていただいた。「写真を撮ってあげようか?」と身振りで示してもらったり、食堂では向かいに座ってキムチなどの小皿をシェアしたりした。カタコトの韓国語でどこに住んでいるか聞いたところ「汶山」との答えが返ってきた。境界線近くに住んで長いこと何かの思いを持っていた母親をDMZツアーに連れてきた息子、ということなのだろうか、詳細はわからないが…
Imgp8362  ツアーから戻り、帰りの列車までは1時間弱あるので駅の周りを散策する。写真は都羅山駅の駅舎。統制区域内なので、生活感は全くない。







Imgp8347  南北ともに統一を目指しつつ異なる政府が存在するという現実を踏まえ、「異なる関税区域」という建前で税関の検査場がある。これも南北の列車運行が中断されている現在は使われることがない。





Imgp8355 Imgp8356  南北を繋ぐ線路も、いまのところ柵で閉じられている。







Imgp8349  踏切を渡った向こうには公園があった。駅や踏切の係員がこの公園を勧めるが、今のところ見るべきものはない。それでもDMZにある公園は韓国人にとって意義があり、それゆえに係員も勧めるのだろうか。





Imgp8366 Imgp8370  都羅山駅の駅舎の中には、朝鮮戦争時に砲弾を受けた蒸気機関車の絵が飾られている。朝鮮戦争の象徴ともいえるこの機関車は今は先述の臨津閣公園にあり、車窓からもその姿を見ることができる。
 他方、右写真は南北直通列車の運行を期待した絵である。

Imgp8377 Imgp8378  駅のホームから見た駅舎。「Transit office」の名に、境界線の最前線という位置づけを見ることができる。
 臨津江駅と同様に、ソウルまでの距離とピョンヤンまでの距離が案内板に書かれている。

Imgp8375  再び途絶えてしまった京義線の直通であるが、都羅山駅の隣は開城(ケソン)となっている。







Imgp8374 Imgp8380  都羅山駅からのDMZツアーは北を望む展望台での滞在時間も短く、他のみどころは南侵トンネルくらいなのでツアー自体には魅力が少ないといえる。ツアーの料金が安いことくらいがメリットだろうか。帰りもそのまま帰ると汶山からソウルを目指す路線で途中駅止まりになりそこでまた待たされて結局略1日がかりになるので、ソウルから板門店ツアーなりに参加したほうが見応えはあるかもしれないし効率的かもしれない。
 それでも、自分で切符を買って交通機関を乗り継いで境界線へ、DMZへ行くということにおいてこのルートは意義深いものだといえる。用意されたツアーではなく(都羅山駅から先はツアーに頼らざるを得ないのだが)、普通に交通機関を利用してDMZへ行くことで違った感慨を持つのではないだろうか。韓国人がDMZへ足を踏み入れるための経路としても、この京義線経由のルートは意味があるものと言えよう。

**********
 私が訪れた2009年9月現在、この都羅山からのDMZツアーは1日3回催行されるようだ。臨津江駅が11時10分・12時10分・14時10分発とかでその1時間前に臨津江駅に到着する列車に乗り、臨津江駅で乗り換えてツアーに参加ということになる。その3回のチャンスは、時刻表なりパンフレットで調べると下記のようになるだろうか。

・ソウル駅発08:50→汶山で乗り換え10:00発→臨津江着10:10で1時間後の列車を待ち11:10に同駅を出発
・ソウル駅発09:50→汶山で乗り換え11:00発→臨津江着11:10で1時間後の列車を待ち12:10に同駅を出発
・ソウル駅発11:50→汶山で乗り換え13:00発→臨津江着13:10で1時間後の列車を待ち14:10に同駅を出発

 出発時間によって見ることができる場所も違うようで、最新の情報はソウルの韓国観光公社に電話するなり訪れるなりして調べるのが良いと思う(日本語O.K.、私も電話してソウルを何時に出ればよいか教えていただいた)。韓国観光公社の案内電話番号は、今いる場所の案内が欲しければ「1330」をダイヤルすればよく、他の地域の場合は市外局番+1330、日本など海外からは国際電話識別番号+韓国国番号               82+市外局番から0を除いた数字+1330である。

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2009年10月26日星期一

2009年・環黄海旅行記(20)仁川・中華街の横に日本の街並みを見る

Imgp8193 前回の続き。三国志の壁画が並ぶ通りを登ると、右に曲がる下り階段がある。この階段は「清日租界地境界階段」、かつての清国と日本の租界の境目となる階段で、階段の右側が清の租界、左側が日本の租界で現存する建物もその違いを残している。
 背を向けている孔子像は、21世紀に入ってから青島市から寄贈されたもの。


Imgp8197  階段の左側。ここだけ見ると日本のどこかの町のようである。







Imgp8198  階段の途中で唐辛子を干しているのは、やはり韓国というべきか。







Imgp8199  階段を下りたところで振り返る。階段に並んでいる燈籠は、振り返ったので左側が清の、右側が日本の様式になっているのだとか。






Imgp8203 Imgp8205  階段を下りて左に曲がった通りが「歴史文化通り」と名づけられているとかで、やはり日本のどこかで見られそうな真家並みである。左写真手前に写る提灯が中華街の近くであることを表しているといえようか。


Imgp8207  中区役所の前の交差点にて。日本の温泉宿のようである。







Imgp8223  中区役所。かつてはここに日本領事館があったそうだが、建物は壊されて新しくなっている。







Imgp8209  歴史文化通りを中区役所の前で曲がり、さらにクランク状に左に曲がるとやはり歴史を感じさせる白い建築物が姿を現す。
 手前の平屋建ての建物は旧・第十八銀行。現在の十八銀行は長崎に基盤を置く銀行だが、かつて仁川開港前には対馬藩の関係者が住んでいた関係でその後も長崎出身の人がこの地には多くなったとかで、当時から長崎に基盤を置いていた十八銀行がこの地に店を開いたのだろうか。
 今は仁川の近代建築博物館になっていて、このあたりの変遷を紹介している。

Imgp8212  上写真奥の2階建ての建物は旧・五十八銀行。現存する流れを汲む銀行名より「その後の富士銀行」といったほうが我々にはなじみが深いだろう。現在は当地の飲食業組合の名前を地図に見ることができる。





Imgp8213 Imgp8214  旧・十八銀行と旧・五十八銀行の間には小さな公園があり、かつての街並みの写真が飾られている。





Imgp8225 Imgp8227  旧・十八銀行のある交差点を今度は十八銀行を背にするように逆に進むと、やはり古い趣がある旧・第一銀行がある。この第一銀行は日本の銀行ながら大韓帝国時代には同国の中央銀行のような役割も行っていたが、その中央銀行機能は後に韓国銀行に移された。門前にはその韓国銀行の改称後の名前である「朝鮮銀行」の文字が見える。
 第一銀行は上述の五十八銀行と同じく今ではみずほ銀行・みずほコーポレート銀行であるが、その前の「第一勧業銀行」まで「第一」の名を伝えていた。
 これらの銀行は日本統治期に仁川にやってきた訳ではなく、仁川が開港された1880年代前後に相次いで仁川に店を構えており、それぞれの建物は1890年前後に建てられたものである。日本の銀行が大韓帝国の中央銀行の役割を担ったことなど、この地にこれらの銀行が店を構えたことはそれぞれに歴史や背景があってのことでそのうち詳しく調べてみたいと思う。

Imgp8230  旧・第一銀行の前の通り。往時の景観を残しつつ、牛乳屋や民家として今でも使われている。







Imgp8244  仁川駅前界隈では、写真の露店に並べられている土産物のように韓国・中国・日本のものが混ざり合って姿を現しており、それはまた韓国が中国そして日本と関わってきた、関らざるを得なかった歴史を表しているともいえる。韓国の近現代史の一端をこの仁川の中華街付近では感じることができ、そしてそんな韓国の近現代史の上に仁川の街が成り立っているのだということも感じることができる。

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2009年10月21日星期三

2009年・環黄海旅行記(19)仁川の中華街

 今回乗った船「香雪蘭」号の船内には仁川(Incheon、인천、インチョン)の観光案内や地図が置いてあったのだが、その中に「チャイナタウン ときめきの旅」と日本語で書かれた地図が置いてあるのを見つけた。韓国語と日本語で仁川の中華街のことを紹介したこの地図を見ると、仁川駅のすぐ前が中華街になっているようである。下船したらまっすぐソウルに向かうつもりだったが、予定を変えて仁川のチャイナタウンに行ってみることにした。
P1010466  仁川港の旅客ターミナルから市内へは、バスかタクシーで向かうことになる。止まっていたバスの表示は当然ハングルなのだが、その中に「동인천역」とあるのを見つけた。「역」は駅のことであり、口に出してみると「ドンインチョンニョク」…「ドン」は「東」だろうから「東仁川駅」ではないかと思った。「東仁川駅」がどんなところかはわからないがとにかく鉄道の駅に近づきそうなので、このバスに乗って「동인천역」を目指すことにした。
 かつて韓国のバスに乗った記憶から車内アナウンスがないのではと思ったがこのバスではあり、さらに主な停留所では英語のアナウンスもあったので無事目的の
「동인천역」-やはり鉄道の駅「東仁川駅」だった-で降りることができた。
 この東仁川駅はソウルと仁川を結ぶ1号線(京仁線)の終点1つ前の駅で、ここから電車で1駅乗ると仁川駅である。
Imgp8253  仁川駅。









Imgp8161  仁川駅の目の前に、中華街の入り口であることを示す大きな門が建っている。
 横にある道路案内の漢字表記は、おそらく中国語話者向けであろうが「華僑街」となっていた。






Imgp8164 Imgp8168  門をくぐると、中国料理店や中国物産店が軒を連ねている。坂が多いのが横浜の中華街とは異なるところか。


Imgp8175Imgp8174  店頭では布製品や陶磁器といった土産物にもなる実用品のほか、青島ビールや白酒(しろざけ、ではない)など飲食品も売られていた。





Imgp8191Imgp8182 Imgp8181Imgp8176 中華街にある仁川華僑中山学校の壁には三国志演義の名場面が壁に描かれており、三国志の物語をたどることができる。坂の上から下へと物語が進んでいくので、仁川駅から中華街に入ってこの三国志壁画通りを目指すと物語の最後「死せる孔明生ける仲達を走らす」の壁画から逆に見ていくことになるが…  

 船の中で手に入れた地図によると、ここ仁川には中国の清朝期、韓国の李氏朝鮮期に中国領事館が建てられ、それを期に今日中華街がある北城洞・善隣洞の一帯が華僑が住むエリアになり、中国から輸入したモノを売ったり韓国の砂金を手に入れたりと交易の場ともしていたとのことである。しかしながら中華人民共和国成立後に中国当局が中国人の外国への移動を制限したことによりこの地域は急速に衰退していったとのことである。地図にあるかつての料理店があった建物の紹介の言葉を借りると「韓国華僑の悲哀」の時代となるのだろう。それから50年の時を経て、これまた地図に書いてあった言葉を借りると「韓中修交を契機に長い眠りから覚め」、2007年の地域特化発展特区指定など中華街復興計画とともにこの一帯も再整備され、中華街としての趣を取り戻しているということになろう。

 この中華街付近には意外な街並みがあるのだが、それは後程。

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