中国

2019年6月4日星期二

あれから30年

 今日、2019年6月4日は中国で起こった「あの事件」から30周年の日だ。10年前にも『あれから20年』と称して似た書き出しの記事を書いたが、年を追うに従って「あの事件」を知らない若い人たちが増えている。私が高校生だった時にテレビの報道などで見て感じたのを、興味の有無どころか触れてさえいない世代が多くなっている、ということだ。例えば今の30代の人達にとっての天安門事件は、私にとっての「日本の学生運動」や文化大革命くらいの感じ方で、生まれる前あるいは物心つく前の「歴史」の一コマとして感じるのだろう。20代や、当時私が「あの事件」に触れたのと同年代の高校生世代なら尚更だ。
 10年前に書いた通り、30年前のこの年は東欧でも従来の世界観を覆す出来事があちこちで起こり、それが今日のヨーロッパに繋がっている。中東はじめ世界各地で体制が変わるということはその後も各地で数年おきに起こっているが、30年前のこの1年は特に強烈な変化だった。
 一時期中国語や中国事情を学んだこともあり、前述の通り高校時代の世界変化が強烈だったこともあるので、学生時代とは異なりそこに目を配らせる時間は大きく減っているが、今後も若いころのような世界への興味を失うことなく日々を過ごしたい。

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2019年4月27日星期六

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (7) 「小三通」で厦門から金門島へ

 前回の続き。今では中国と台湾の間を直接結ぶ飛行機も飛んでいるなど両者間の往来は簡単になったが、嘗ては「小三通」と呼ばれる、厦門とその沖合2キロ弱にある中華民国支配下にある金門島との間を結ぶ船(後に「小三通」には福州とやはり中華民国支配下にある馬祖島との往来が加わる)のみが両者を直接結ぶ線だった。「小三通」が解禁されたのが2001年、当時は中国と台湾の人しか利用できなかったがいつしかその一部航路は外国人も利用できるようになった。「小三通」より広範囲な通航、台湾各地と中国各地を結ぶ船や飛行機も、今でこそ直行しているがかつては船は石垣島経由(寄港せず沖合で入出国手続きだけする)で、飛行機は香港上空を飛ぶなどして「直航していない」の建前を維持している時期があった。
※中華民国側も金門島は「中華民国台湾省」ではなく「中華民国福建省」に属する、という建前にしているので表現が正確ではないが…
 一度は通りたいと長年思っていた「小三通」だが、開始以来18年越しに実現することができた。

P4160637  厦門から金門島へ向かう船のうち、外国人が利用可能な航路は厦門島の東側にある五通ターミナル(五通碼頭/五通码头)から出発する。厦門島の西側に宿を取っていたのでそこからタクシーで移動、朝だったので渋滞もあり40分くらいかかり運賃は約60元だった。
 五通ターミナルで金門島行きのチケットを購入、直後に出発する船のチケットを買うことができた。こちらの運賃は港湾利用料等込みで155元だった。

P4160643  30分~1時間おきに船は出航し、何隻かの船でこの航路をカバーしている。出航直後に、金門島から厦門へ向かい入港しようとする別の船とすれ違う。

P4160649  五通ターミナルを振り返る。赤い船には「和平之星」という名前が付けられている。

P4160654  陸地に見える灯台。その周りにある建物は、いかにも中国の各都市に昔からある建物という風情だ。

Dsc_0316  船室の様子。快適な座席だ。2階建てなのだが2階は商务舱(ビジネスクラス)で別料金、殆どの乗客は1階席に乗っていた。
 船内では大陸からの携帯電話の電波が台湾に着くまで通じている。金門島でも大陸の電波を拾うことが珍しくないとかで、金門島にいて台湾の電波を掴んでいるつもりで台湾に電話したつもりがうっかり国際電話、ということもありそうだ。

P4160659  金門島の隣にある「小金門」とを結ぶ小船だろうか。金門島と小金門の間では、現在橋を架ける工事を行っている。

P4160661 P4160663 P4160664  30分程乗ったところで金門島の水頭碼頭に到着。中国からの旅客に「金門歓迎您」という表現はそれこそ昔では考えられないことだっただろう。

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 厦門―金門を結ぶ小三通の時刻表は、台湾側の交通部航港局のウェブサイトにアップされている。

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2019年4月26日星期五

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (6) 厦門・コロンス島(鼓浪嶼)散策

P4150448  前回の続き。厦門・コロンス島(鼓浪嶼)で遊覧船を下りたところには、ガイドの客引きが待っている。身分証明書を持つ組織されたガイドのようで、3時間程案内してもらい100元(とガイドへのチップが50元)とのことで、折角なので案内してもらうことにした。ガイドさん曰く繁忙期は個人旅行者1人につくことはなく、閑散期で訪問客が少ないときは個人を案内することもできるとのことだった。4月なので良い季節なのだが、繁忙期というのはいつなのだろうか。

P4150457  厦門はアヘン戦争の結果外国に開かれた都市であり、コロニアルな建物や洋館様の建物が並ぶ通りが見どころだ。当時の各国の領事館が残っているが、写真の元ドイツ領事館は今ではアイスクリームなどを売る休憩スペースだ。

P4150460 P4150461  日本もここ厦門に領事館を構えていた。煉瓦造りの立派な建物だが、中に入ることはできなかった。

P4150466  意外だったのはここコロンス島に少数民族の博物館を見つけたこと。シェ族(畲族)なる少数民族の博物館で、厦門が属する福建省をはじめ浙江省、そして広東省など華南各地にも住む少数民族とのことだ。案内の女性が来ていた民族衣装は華南や西南でよく見るようなものに見え、このあたりの民族である程度似たものになるのだろう。
 シェ族がコロンス島にどれくらいいるのかは不明だが、厦門はじめ福建省各地にそれなりの数が住んでいて、コロンス島を訪れる観光客にシェ族のことを知ってもらうべくここに展示を構えているのだろう。

P4150467 P4150462  ヨーロッパ各国が進出してきたということで、日本領事館跡の近くには教会や聖堂が建てられている。

P4150470_1  こちらは1844年からある書店の流れを汲む建物。かつて聖書を売っていた店は、今では喫茶店になっている。

P4150480 P4150478  「洋人球铺旧址」と名付けられた運動場。1970年代に当時のイギリス領事が軍事教練のために用いた広場だとか、中華人民共和国になって「人民体育場」の名が冠せられており中にはサッカーゴールも見える。現代の運動場としての整備状況は今一つだが、荒れ放題という訳ではないので定期的に整備されているのだろう。

P4150472  通りは狭く、観光用のカートもあるようだが島内観光は基本的に歩きだ。

P4150483  洋館が数多く並ぶ。上海の旧租界に近いだろうか。

P4150543  こうした街並みで、婚纱を撮っている人をあちこちで見かける。欧風の街並みはやはり結婚写真にふさわしいのだろう。

P4150488 P4150506  洋風の建物が並ぶ街並みに会って茶を売る店は例外、福建の昔ながらの建物を残している。

P4150572  遊覧船からも観た、鄭成功像。

P4150585  日が暮れてから、対岸の厦門島を望む。偶々冒頭の写真とほぼ同じアングルでの撮影だが、昼と夜では見せる顔が全く違う。水面にわずかに跳ね返る光が、街の美しさを引き出すように見える。

P4150581  世茂海峡大厦と海岸線を通る高速道路を見る。人工的な直線曲線は、現代の発展した都市らしい光線だ。

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2019年4月・台湾海峡 船の旅 (5) 厦門・コロンス島(鼓浪嶼)への渡し船

P4150343  前回の続き。厦門島で胡里山砲台を見て、厦門大学等には入ることができなかった後で、東渡ターミナル(東渡碼頭/东渡码头、厦门东渡国际邮轮中心)に戻って今度はコロンス島(鼓浪嶼 / 鼓浪屿)へ渡る船に乗る。

P4150344  50元・158元・258元と船の運賃が様々だ、158元と258元の船は島を一周してからコロンス島に到着するようだ。窓口の人が158元のでよかろうと勧めてくれたので、それに乗ることにした。
 コロンス島へはこの東渡ターミナル以外に輪渡碼頭(轮渡码头)から渡ることができるが、後者は昼間は中国人のみだけのようだ。コロンス島から厦門島への戻りはこの船が着いた三田丘碼頭(三田丘码头)発東渡ターミナル行きが18時30分発が最終、それ以降は24時間運航している輪渡碼頭行きの船に外国人も乗ることができる。往路のチケットを持っていると、そのまま復路無料で(東渡ターミナル発のチケットで輪渡碼頭へ行く場合でも)乗ることができる。

P4150345  今回乗った遊覧船。

P4150349  東渡ターミナルを離れて振り返ると、今朝基隆から乗って来た「中遠之星」が停泊しているのが見えた。

P4150350  東渡ターミナルを出発。コロンス島を1周して90分程の船旅と言われた。

P4150373  この船は反時計回りに島をまわる。まず見えるのは島の西側だ。

P4150380  更に進むと、厦門島で見たような砂浜がある。まだ海水浴には寒いくらいだが結構人がいる。

P4150389  コロンス島を巡る、という話だったが、船は島を離れていく。

P4150395 P4150417  朝は胡里山砲台から見た世茂海峡大厦を今度は海から見て、さらにその先まさに先程訪れた胡里山砲台まで船は進み、ここで折り返してコロンス島の東岸を目指し海峡を進んで行く。

P4150424  世茂海峡大厦に最接近のルート。
 海岸沿いを通る高速道路は、昔『鉄腕アトム』で見た未来の都市のようだ。もっとも、海岸から離れたところでは狭い道が入り組んでいるところもあり、それがまた街並みを残す良いところでもある。

P4150436  船は再びコロンス島を視界にとらえ、島の東側を北上する。南端では鄭成功の像が行き交う船に目を光らせている。

P4150443 P4150446  小高い丘の建築群を見て、船は三田丘碼頭に到着。ここがコロンス島散策の拠点だ。

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2019年4月25日星期四

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (4) 厦門・行けなかった華僑博物館と厦門大学

P4150305  今回厦門で行こうと思った場所の1つは華僑博物館。今住んでいるタイは華人の影響が小さくなくまた彼らの多くが厦門から程近い現在の広東省潮州に由来する所謂潮州出身が多いとされていることから、ここを訪れればタイの華人のことを筆頭に世界各地の華僑・華人のことがわかるかと思ったのだが、月曜日は休館とのことで見ることができなかった。
P4150337 P4150338  さらに胡里山砲台から路線バスに乗り厦門大学に向かったのだが、敷地内には大学関係者しか入ることができないとのことだった。セキュリティを考えるとその通りである一方、大学もその土地の文化を担う一端であり見てみたいところでありまた過去中国に限らず各地で大学を訪れており、また厦門大学は歴史がありそれを感じる校舎等があるのだろうがそれを見ることができないのは残念だ。この後訪れたコロンス島でガイドが「厦門大学には事前予約すれば中に入ることができる」と言っていたが…この日は門から中を眺めるのみ。
 どちらも日を改めて訪れたいところだ。

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2019年4月・台湾海峡 船の旅 (3) 厦門・胡里山砲台

 P4150306  厦門に上陸して向かったのは、厦門島の南にある胡里山砲台。
 アヘン戦争の結果外国に開港された厦門にあって、1891年から5年かけて沿岸の防衛のために造られた砲台だ。

P4150312  敷地に入って坂を上ると、年月を経たであろう大砲が海に向かって並んでいる。

P4150322P4150323  さらに海へ向かって進むと、ドイツ製の巨大な大砲が保存されている。昔日は2台あったが、今はそのうち1台のみがここに残り整備され公開されているのだとか。
 この大砲はその製作工場の名にちなんで日本語では「クルップ砲台」と訳され、その由来が日本語も含めてここで紹介されている。

P4150319 P4150320  その大砲の先、胡里山砲台の先端。
 その先には厦門の海が見え、中国の海難救助船と思しき船を始め小さな商船などが眼下に見える。

P4150324  公園の中程には、大砲が置かれた中庭がある。その先には展示館になっている古い建物が。

P4150316 高台にある胡里山砲台からは、厦門のランドマークと言って良いのだろうか世茂海峡大厦を海岸の向こうに美しいアングルで見ることができる。砲台を訪れた人たちがしきりと写真撮影をしている。

P4150334  砲台のある公園を出たところから、街の西側に向かって伸びる海岸の砂浜。海に浸かるには少し寒い時期だが、海岸で水遊びをする人たちで賑わっている。月曜日なので、学校にまだ行かない子どもを連れた親子かアベックかというところだろう。

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2019年4月23日星期二

2019年4月・台湾海峡 船の旅 (2) 続・「中遠之星」に乗って基隆から厦門へ

 前回の続き。基隆港を出発した「中遠之星」は、一路厦門を目指す。

P4140275 サービスカウンターの横には、この「中遠之星」が中国を代表する海運会社であるCOSCOの系列会社の運航であることからか同社のコンテナ船の模型が置かれている。
 その上には免税品の価格一覧。ビールはRMB10、あまり安くはない。

P4140279 船内の食堂。この日はまず団体客を出航前から案内しており、個人客は出航後の19時30分から食事が可能とのことだった。
 食堂の赤いスローガンからわかるように、乗組員は中国の人達。乗船時は大勢の客が一度に押し寄せるせいか船室の案内も大声を張り上げながらだったが、出航後余裕ができてからは皆「熱烈服務」だったと思う。

Dsc_0215Dsc_0216   食堂のメニュー。あまり種類は多くない。
 RMB100=NTD480に換算して支払いが可能だった。
 「闽南海鲜面」を頼んでみたが、コシのない伸びたような麺で今一つだった。ビールとあわせてNTD216だった。


P4150283  翌朝、船は既に厦門に近づいている。

Dsc_0217  朝食は無料だ。やはり団体客を朝6時から案内し、彼らがひと段落してから個人客を案内していた。朝食が気に入らない人の中には、予め基隆で買ったものを食べている人もいた。

P4150285  行き交う小船の向こうには厦門のビル群がうっすらと見える。

P4150294  厦門のコンテナターミナルの横を通り過ぎ、厦門島の高層ビルを横に見ながら進む。

P4150293  この「中遠之星」は、厦門島の西岸にある東渡ターミナル(東渡碼頭/东渡码头、厦门东渡国际邮轮中心)に到着する。ここを目指し、厦門島沖合の観光地であるコロンス島(鼓浪嶼)の横を通り過ぎていく。

P4150298  ターミナルには朝8時過ぎに到着したのだが、税関の人達の勤務時間の関係とかで下船できたのは9時30分。下船する時もやはり貨物用の出入口から下船だ。

P4150296 P4150299  「国際郵輪中心」の名にふさわしく、この日は大型客船が停まっていた。
 この船に乗ろうという人達でターミナルは大混雑だった。のみならず、キャッシュディスペンサー等下船してから利用したいエリアが乗船客だけ立ち入り可のエリアになってしまい、警備員に告げて入れてもらうことができた。


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2019年4月・台湾海峡 船の旅 (1) 「中遠之星」に乗って基隆から厦門へ

 このソンクラン休暇を利用して、台湾と中国の間を船で行き来する旅をしてきた。台湾・基隆(キールン)から船に乗り大陸側の厦門(アモイ)に行き、さらに厦門からはいわゆる「小三通」、厦門と金門島を結ぶショートトリップの船で金門島へと向かう旅をしてきた。まずは基隆―厦門の船旅の様子から。
 基隆と厦門を結ぶ旅客航路に予約を入れようと思って台湾側の窓口に電話したところ、インターネットでの購入はできないので直接基隆のターミナルで切符を購入してほしいとの回答だった。中国側のウェブサイトやctrip(中国の旅行予約サイト)では空席状況がわかり予約もできそうなのだが、支払の段階になって海外のクレジットカードが使えない。中国や台湾に住んでいなければ事前の購入はできなさそうだ。席が埋まっていたらと些か不安だったが、現地購入しか手段がないのであれば仕方がないので予約は諦めて台湾へ向かい、基隆港へ。

P4140160  基隆での乗り場は「西岸旅客中心」(West Passenger Terminal)。台湾海峡の東側なのに「西岸」、という訳ではなく基隆港の西岸、という意味だ。台鉄基隆駅からだと、駅を出て左を向くとターミナルが見え、歩いてすぐの距離だ。

P4140172  ターミナル手前が広場になっていて、そこから今回乗る船を見る。「中遠之星」(COSCO STAR)という船だが、ターミナルからは遠く離れた貨物用の埠頭に停まっている。
 基隆発が日曜日夕方、厦門着が月曜日朝の航海だ。

Dsc_0151 Dsc_0152  ターミナルの窓口で切符を買おうとしたところ、「今日は『豪華B』クラスしか空いていない」との返事。情報によっては船内はガラガラとの話もあったが、かなりのベッドが埋まっているようだ。運賃NTD3,140プラス燃料代・施設使用料計NTD550のあわせてNTD3,690を払う。クレジットカードは不可だった。ターミナル内にキャッシュディスペンサーがあるので、いざとなればそこでキャッシングはできる。
 出国手続きの際にまず「散客」(個人客)が集められたが、全部で10人程だった。つまりは満席近い船客の殆どは団体客のようだ。見たところ厦門近辺の福建省各地からのツアー客の帰りなようだ。
Dsc_0159  ターミナルから船が停まっている岸壁へはバスで移動。バスが10台くらい連なって待っていた。岸壁までは1km以上走って到着。

P4140185  「中遠之星」はRORO船(車輪の付いた荷台に載せた貨物や、車を運ぶ船)。旅客も貨物の積込口から船に乗る。

Dsc_0168  船内には急な傾斜が。たくさん荷物を持った旅行客は乗りにくそうだ。

Dsc_0173_1  船内の貨物用スペースには「安全第一」「禁煙」等の文字が。漢字とは言え中国語にはない表現だが、この船は元「さんふらわあ みと」。かつては日本の苫小牧と大洗を結ぶ航路を走っていたようだ。その後韓国系のパンスターフェリーに売船され大阪―釜山間を結ぶ「PANSTAR SUNNY」になり、更に中国のCOSCO(中国遠洋運輸)系の会社に売船され今の「中遠之星」になったのは2009年、それ以来台湾と中国を結ぶ各航路に入っている。

P4140193 P4140194  旅客スペースに入り、フロントと免税店。

P4140190  今回乗った「豪華B」船室。6人掛け2段ベッドで1部屋だ。一番廉価な「標準房」は船の中央部の窓がない船室、「豪華C」は窓があるへや、「豪華B」は室内にシャワーとトイレがあり(標準房と豪華Cは共用のシャワースペースとトイレ)…という感じでグレードがアップしていく。「標準房」~「豪華B」まではベッドは同じと見え別に部屋にシャワーがなくてもよかったのだが、空いていないので仕方がない。
 この日同室だったのは仕事で厦門・香港・台湾を行き来しているという香港の人と、やはり仕事で台湾と厦門を行き来している台湾の人だった。

Dsc_0181 Dsc_0182  共用の浴室。もっとも湯船は使えずシャワーのみだ。「さんふらわあ みと」時代からのコインロッカーも残っているが使えない。
Dsc_0180  旅客スペースにも、日本のフェリーだった頃の名残で日本語の注意書きが。

P4140202  18時の出発予定まで甲板で港を見ながら過ごす。

P4140203P4140200  小さなコンテナ船が横を通り過ぎていく。20世紀や21世紀ごく初めは中国よりも台湾のほうが荷量が多かったのだが、いつしか台湾と中国の荷量は逆転し船会社の戦略もあり台湾の港による船は大きい船への接続に使う船(フィーダー船)等小さな船が多くなってしまった。

P4140240  基隆と馬祖島を結ぶ船「台馬之星」も暗くなる前に横を通り過ぎていった。

P4140253   18時出発予定だったのが30分以上遅れて19時前に出航。港の内側に向いて停まっていたのだが、まず180度旋回して港の出口へと船首を向けて出港する。写真はその半分、90度旋回し岸壁と直角になったあたり。
 長くなったので、続きは後程。

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 台湾と中国を結ぶ旅客航路については、ウェブサイト「フェリーで海外旅行へ行こう!」の台湾―中国航路のページが詳しい。中台航路のみならず、日中・中韓航路の情報も載っている。
 「中通之星」台湾側窓口である中国遠洋企業(台湾)=COSCO SHIPPING (TAIWAN)の関連ページ、中国側の厦门闽台轮渡有限公司 XIAMEN MINTAI FERRYのウェブサイトに元の情報がある。「中遠之星」はこの基隆―厦門間だけでなく台中―厦門、基隆―台州(大麦嶼)を日替わりで航路や停まる港を変えて往来している。

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2018年4月25日星期三

The Imperial Mae Ping Hotel - テレサ・テン終焉の地

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 チェンマイの中心部、ターペー門を出て少し東へ行ったところにある、The Imperial Mae Ping Hotel ジ インペルアル メーピン ホテル。夜土産物屋や食堂で賑わうAnusarn Marketに程近いところにある大きなホテルだ。








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 このホテル、数多くのヒット曲を発しその歌声が日本・台湾・香港そして中国で親しまれたテレサ・テンが最晩年を過ごしたホテルだ。彼女は1994年8月にチェンマイを訪れ、初めは他のホテルに滞在していたのだがこのメーピンホテルが気に入ったようですぐにここに移り、亡くなるまでの間に3回に渡ってこのホテルに宿泊している。
 そして1995年5月8日、彼女はこのホテルで容体が急変し、部屋を出て助けを求めるも搬送先の病院で死亡が確認された。
 そんな彼女が最晩年を過ごした部屋が一般公開されている。入場料は宿泊客だと500バーツと結構な値段だ。


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 15階のスイートルームが、彼女が過ごした部屋だ。2部屋を繋いだところで過ごしていたようだ。
 15階に上ると、まずチェンマイでのテレサ・テンの暮らしぶりを知る人の証言や彼女の業績を紹介するビデオを見る。当時からこのホテルのこのフロアで担当していたホテルマンが、今でも15階で案内をしてくれる。
 室内にはいくらかのテレサ・テンの写真が飾ってあるのと彼女が生前日本を、台湾を、そして中国や香港を席巻した歌が流れている他は、特に物珍しい展示はない。

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 スイートルームからの眺め。かつての眺めとはかなり変わっているだろう。
 テレサ・テンは中国で有名だったこともあり、この日も多くの中国人観光客がこの部屋を訪れていた。

 日本でも成功を収めたテレサ・テンは、その歌声が広く知れ渡っていた中国でのコンサートを夢見ていたが、その夢は1989年の天安門事件で果たせぬものになってしまった。その後活動を減らしつつあったテレサ・テンは一時フランスのパリに居を構えたが、避寒地としてであろう訪れたここチェンマイを気に入って、突然の死までの日々の多くをここで過ごした。
 当時はこのホテルの前にクイッティアオ屋があり、テレサ・テンは好んでこの店を訪れて「クイッティアオガイ」(鶏肉入りの米麺)を食べたそうだ。その店のことはインターネットで調べると写真とともに見つかるのだが、今メーピンホテルの向かいを見ると長期滞在者用の洗濯屋がそのクイッティアオ屋と同じ屋根、同じひさしだ。飲み物も売っているのでクイッティアオ屋のことを聞いたところ、「ここがその店だ。クイッティアオ屋はもう閉じた」との話だった。同じ人が商売替えしたのか、話したのは当時とは関係ない人でよくこのことを聞かれるので答えたのか、は聞かなかった。テレサ・テンが寄せた「恭禧發財」のサインが店に飾ってあったそうだが、それももうないとの話だった。

 テレサ・テンの生涯、とりわけ台湾と中国の狭間で揺れ動き翻弄された日々や、天安門事件に関わった民主化勢力にシンパシーを寄せそして大陸でのコンサートが叶わぬこととなりパリやチェンマイで過ごした日々のことは、今回参考にした有田芳生著『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫 2007年、単行本は文藝春秋2005年)で知ることができる。

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2014年3月7日星期五

2014年・成都(4)その他もろもろ

 前回の続き。今回訪れた中で紹介していなかったところ、書き忘れたことなどをぼちぼちと。

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 成都郊外にある、いにしえから水利を担う都江堰。先の四川大地震で甚大なダメージを蒙ったそうだが、今は普通に訪れることができる。




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 過去にここを訪れた中国の指導者。








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 その都江堰へのバスが出る、成都の茶店子客運站(バスターミナル)。窓口への割り込み(サイドアタック?)ができないように、窓口の前に回転柵が設けられている。中国で列車やバスの切符を買おうとすると残念ながらこうした割り込みをしばしば見かけたものだが、この回転柵は有効だと思う。




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 成都と言えば辛い料理、「麻」=山椒の痺れる辛さが効いた料理である。その代表的なものは麻婆豆腐、そしてその元祖と言われる「陳麻婆豆腐」へも行った。山椒が効いて美味しい麻婆豆腐を廉価で食べられるのだが、服務態度がいまひとつだったのが残念。

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 陳麻婆豆腐の隣には電動自転車屋が。日本の電気自転車は電動アシストだが、中国では自走する電気自転車が普通に走っている。上海に住んでいた頃に拙ブログに書いたが、音を立てずにかなりのスピードで走ってくるので用心である。





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 昆明などのように「常春の地」とはいかずそれなりに寒かったが、移動する車窓からは菜の花畑が見えることが多く、目を和ませてくれる。写真は楽山から峨眉山に向かう途中、食事のため一時停車したところにて。






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 峨眉山の万年寺には梅の花が。









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 成都はパンダが売りになっているが、峨眉山は猿が出没するところとかで、土産物にも猿の人形が。








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 成都といえば、三国時代の蜀の国の都としても知られている。『三国志』でもおなじみの張飛にちなんだと思われる「張飛包子」の名を掲げた店。
 何故か隣には消火器がたくさん。





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 成都の夜景。
 如何せん日本からだと行くだけでも1日がかりで遠く感じるのだが、見るべきところ、味わうべきところの多い場所だと思う。

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