上海

2012年6月30日星期六

上海往事-魯迅公園と多倫路 (2007年6月)

 先週のNHK-BS『世界ふれあい街歩き』で紹介された四川北路界隈、私も帰国直前の2007年6月に少しばかりであるが散策している。番組の映像と被る部分は前の記事でアップしたが、改めて魯迅公園や多倫路を中心にぼちぼちとアップ。

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 まずは魯迅公園。上海市民の憩いの場である。
 透明なボールの中に子供が入って、池の中で遊んでいる。








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 この魯迅公園、結婚写真の撮影スポットでもあるのだろうか、喧騒を離れたところでは何組かのカップルが結婚写真の撮影をしていた。








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 もっとも、公園は賑やかなところばかりである。
 目についたのが公園に機材やマイクを持ち込んでカラオケに興じたり歌を披露したりする人々。右写真の赤シャツの男性はかなりの熱唱であった。
 左写真は、さしずめ「屋外簡易カラオケ」というところか。

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 「魯迅公園」と言うくらいなので、園内には魯迅記念館もある。魯迅の生涯をたどることができ、出口付近には魯迅の作品が収められている本が壁の両側に張り付けられている場所があった。




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 魯迅公園を出たところ、山陰路の老房子。










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 これも確か山陰路だったと思うが、通りの壁に四川北路界隈の歴史建造物を紹介した絵がずらりと並んでいる一角があった。
 建物の紹介とともに地番も書かれているので、これを見て足を運ぶこともできよう。


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 このあたりも、様々な規模の老公寓があった。今はどうなのだろうか。









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 このあたりは旧日本租界ということもあり、文化人が住んでいたりかつての「革命拠点」であったりなどで史跡として指定されている住居もあった。








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 『世界ふれあい~』でも少し映っていた、長春路の長屋住宅。ところどころに小商店があるのが、人の訪れを絶やさないアクセントになっているのだろうか。








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 多倫路文化街の入り口。










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 この多倫路、通りのあちこちに写真のような銅像がある。この地に縁のある作家などの時にはユーモラスな姿をも見ることができ、当時ここに住んでいた人たちのことを今に伝えてくれる。







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 こうしたしゃれたつくりの建物は、1920年頃に立てられたものが多かっただろうか。








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 鴻徳堂。やはり1920年代、1928年にできたという教会。










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 文化街とは言うが、生活感があふれる古い長屋式の住居もここにあった。永安里という名前なのだとか。









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 番組でもアンティークショップが紹介されていたが、骨董品や古書を売る店が並ぶ。
 他にも、古い紙幣や貨幣を売る店もあり、店頭に兌換券や「一分札」が置かれているのを見て自分が見たことがあるものも少しずつ歴史上のものになっていっているのを感じた。





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 こちらは、「毛沢東像章蔵館」なる一角。










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 中には、毛沢東バッジや毛沢東の像がズラリと並ぶ。
 毛沢東バッチは、時代別・頒布場所など由来別に整理されて展示されていた。





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 再び老房子が通りに並ぶ。左写真の建物は中華民国の軍人、白崇禧がかつて住んだことがあるとか。今読んでいる本に彼の名前がちらりと登場するが、こうして振り返った写真の中に彼に縁のある建物を見つけると、活字の中にある歴史やエピソードがより身近に感じられる。

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 再び四川北路へと通じる門を出て、多倫路文化街は終わる。










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 ここに縁のある文化人らの紹介。残念ながら自転車やバイクがその前に遠慮なく停められている。









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 出口付近にある建物は、中華民国の政治家・実業家である孔祥熙がかつてここに住んでいたことに因み「孔公館」と名付けられている。








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 この界隈を紹介した絵にもあったこの老公寓、「拉摩斯公寓」(Ramous Apartment)という名前である。遠目に見ると風格がある一方で、一階には飲食チェーン店などが並び人々が足を運んでいた。







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 夕方ともなると多倫路にも露店が並び、人々の興味を引く。夕方の露店に惹かれるのは世の共通だろうか。

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2012年6月19日星期二

『世界ふれあい街歩き 上海 四川北路界わい』

 NHK-BSの『世界ふれあい街歩き』、先週に続いて上海の街歩きだった。今回は四川北路界隈ということで、蘇州河の北側の街歩きだった。
 私が上海にいた頃は日本人エリアといえば古北地区であり、日本食の店や日本食材店、さらには日本人向けの価格設定の美容室などがあった。日本人学校もかつては古北にしかなかったので、子ども連れだとこのあたりが便利なのだろう。
 他方、戦前の日本租界が蘇州河の北側、今回の街歩きのエリアであり、番組の中でも当時のお寺だという建物が紹介されていた。今となっては日本から家族連れで行って住むには難しいエリアだろうが、早くから上海に進出していた日本企業がこのあたりのビルにオフィスを構えていた。

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 この四川北路エリアであるが、当時は地下鉄だと魯迅公園や虹口足球場の近くに行くことができるのみで、バスを使ったりそこそこ歩くと四川北路界隈に行くことができた。私がこの付近を歩いて写真に収めたのは帰国直前の2007年6月、ちょうど5年前のことである。
 写真は番組でも紹介されいていた魯迅公園。週末は人が多いが上海の人が気軽に楽しむ、そして楽しんでいるのを見ることができる公園である。

 




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 番組で見たように自慢のノドを披露している人も多かった。
 私が行ったときには父親と子どもだろうか、お絵かきに興じる微笑ましい光景にも出会った。




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 番組では通りに露店を構える人たちも映っていた。細道から車道に抜けるところは私も通ったことがあるのを覚えている。
 写真はちょっと場所は違うが、魯迅公園へ向かう山陰路にて。やはり個人が営む小さな店で、小吃を食することができる。





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 上海の人が租界の紹介をするときに映っていた老公寓は、写真の場所だろうか。
 番組のラストシーンでは、「イギリス人が建て日本人が住み、その後上海の人が住んだ老公寓」を当時住んでいた日本人が66年ぶりに訪ね、その部屋に今住んでいる上海の人が「できるだけのことをしたい」と言って歓待した人の部屋が紹介されていた。こうしたエピソード、そして上海の人の声を聴くことができるのも番組ならではと言えよう。
 こうした老公寓や老房子が、現役であることを見ることができたのがこの四川北路界隈、魯迅公園付近であった。その後どうなったのかと思ったが、番組を見ると今でも少なからず当時と変わらないようだ。

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 多倫路文化名人街。古い建物を残したり往時の雰囲気にあわせた通りに、アンティークショップやレストランが並ぶ。
 他方、物干し竿が見えるように人々の生活も感じる場所でもある、名人街はまた別途紹介したい。


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 番組で紹介されていたのは、写真中央のアンティークショップだろうか。









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 このほか、番組に出てきた風景をぼちぼちと紹介。番組の冒頭で渡った鉄橋は、右写真の場所にある。やはり2007年6月の撮影。
 番組ではこの写真より右側、ロシア大使館側に寄って朝の陽ざしを浴びながら歩いていた。今はこの鉄橋も姿はそのままに架け替えられていると聞く。
 この鉄橋を渡ると、浦江飯店がある。



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 やはり番組冒頭に出てきた、鉄橋を渡って蘇州河沿いに歩いたところにある、上海郵政博物館。「博物館」とは名が付くが郵便局も併設されており、国際返信切手券が必要なときはここに買いに行っており現役の「中央郵便局」という趣である。タクシーに乗って「上海郵政局」と告げるとたいていのタクシーはここに連れて行ってくれる。
 4年前のNHKドラマ『上海タイフーン』で、上海にやって来たヒロインが家賃の高さを聞いても虚勢を張った場面や、ヒロインが新しい店を開くことを男朋友に電話で知らせたときにはこの上海郵政博物館付近でロケがあったようだ。

 5年前であるが四川北路や魯迅公園付近を歩いた時のことは、また改めてアップしたい。
 2週続けて上海のことに触れた『世界ふれあい街歩き』を見て、かつて住みそして働いた上海の街のことが改めて目に浮かぶ。思い出に浸るのみなのはどうかと思うが、この頃のことを糧にして、そして時折思い起こしつつ今の日々を送りたい。

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2012年6月12日星期二

『世界ふれあい街歩き 上海 南京路界わい』を観て上海を懐かしむ

 今日のNHK-BS『世界ふれあい街歩き』、上海の南京路界隈とりわけ南京東路の歩行者天国(南京路歩行街)とその南北を中心にした街歩きだった。
 高層ビルのすぐ下や繁華街のすぐ脇に、歴史を感じるのみならず今も使われており生活感あふれる古い家、里弄が建ち並んでいるのが見られるところが上海の街を歩く魅力の1つであったが、それを思い出させてくれる番組だった。高所からの映像や普段は入ることのできない時計塔の中からの映像、さらには街の人々の話などは番組ならではと言えよう。

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 上海に住んでいた頃に南京東路に足を運んだことは何度かあるのだが、どういうわけか写真を撮ったことがなかった。その付近の通りも通ったことがあるのだが、やはり南京路の北側以外はあまり写真がない。かつて四川路から福州路へと散策したときの写真くらいだろうか。
 写真の南京東路の夜景も上海に住んでいた頃の写真ではなく、2009年に撮った写真である。建物の姿や見える広告や商標は、番組でも変わっていなかったと思う。

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 番組内でかつての競馬場クラブハウスと紹介されていた上海美術館。やはり住んでいた頃ではなく、後日2009年の写真。







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 これは私が住んでいた頃の写真。番組で紹介されていた時計塔が奥に見える。2005年の写真。








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 番組では、南京東路の奥にマリオットホテル(万豪酒店)が映っていた。中層部か下層部より太くなっているデザインが印象的である。
 隣の仙楽斯広場にも高層部に出っ張りがあり、高いところに支えのないフロアを作るのがはやりだったのだろうか。写真は2007年。





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 外灘から黄埔江を隔てた対岸の夜景を臨むところで番組は終わる。写真は2006年に私が歩いた際のもの。
 他にも広東路にある白い壁とバルコニーが印象的な建物など、番組の映像の中にかつて住んでいた頃の記憶に残っているものがあるのだが、写真を撮らなかったのか整理が悪いのか写真を見つけることができなかった。
 今までブログには書かなかったが、帰国した後も3回だろうか、上海の街を歩きに行ったことがあった。それも帰国直後せいぜい2年足らずの間の話であり、その後上海から足は遠ざかっている。
 番組の中でも長年住んでいた家が取り壊される予定だという人がいるなど、万博が終わった後も上海の街は変わり続けるのだろう。思い出を懐かしみつつ、変わるのであれば上海の人達がより住みやすいように、暮らしやすいように変わっていくことを願いたい。

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2011年7月23日星期六

『アナザースカイ』-台湾-を観て想う

 先週録画しておいた『アナザースカイ』を、1週間遅れで観た。石田ゆり子が、小学生~中学生の3年間を過ごした台北を26年ぶりに訪れる、という番組であった。昔乗った日本アジア航空の機内誌に石田ゆり子のインタビュー記事が載っていたのを覚えているが、台湾には26年間行ったことがなかったとのことだ。
 かつて住んだマンションを訪れ、かつての通学路を歩き、かつて学んだ日本人学校で手にすることのなかった卒業アルバムをめくったり同級生に再会したり、かつての自分と同じ年頃の生徒と話をする、という感じで番組は進んでいく。マンションではかつての同級生とその飼い犬の思い出を話しながら「今はどうしているかわからないけど」と言い、日本人学校では親の都合で転校せざるを得ない境遇を想い「刹那的」と言う。
 私は子どもの頃ではなく30代になって初めて住んだ海外が上海であり、そしてそこが今までで住んだ唯一の海外である。番組で彼女が言うには父親が「この国の文化を味わおうではないか」と言っていたとのことだが、私も海外に住むからにはその土地の市民であるべきではないかと思っていた。海外に行って働く本人はそうでも、子どもは親とはまた違う思いを持ちながら海外で暮らす、ということか。かつて通った柔道場の小学生たちも、そんな思いを持っていたのだろうか。
 そして、子どものみならず大人にとっても、「かつて出会った人たちはどうしているだろう」と思いを馳せることがあるだろう。やはり、今となってはどこに住んでいるのかわからない人が、かつて出会った人の中には少なからずいる。これは海外のみならず日本でもそうであるが…
 「アナザースカイ」とは言うが、かつて一緒に仕事をした人達や、一緒に週末を過ごした人達や、かつて通った食堂や商店の老板や老板娘が、同じ空の下のどこかで元気にやっていることを願いつつ、日々の暮らしを送りたい。

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2011年5月4日星期三

AFCチャンピオンズリーグ 鹿島アントラーズ v.s.上海申花

 ここ数年仕事の都合でぎりぎりまでゴールデンウィークに休めるかどうか決まらないのだが、この3連休は休みとなったので国立競技場にサッカーの試合を観に行った。カードはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)、鹿島アントラーズと上海申花の試合である。
 上海にいた頃に上海申花とJリーグのチームの試合はなかったかと記録を調べてみたが、私がいた3年間の間に上海申花は2回ACLに出場しておりそのうち2007年3月には浦和レッズと試合をしている。当時そんなことを聞いてはいたが、平日の試合だかで観ることはなかったと記憶している。中国のサッカーリーグの試合も観に行く機会はなかった。
 当時上海には上海聯城というチームがあったが、その後上海申花と合併している。さらに上海永大というチームもあったが、こちらは西安に移ったとかであまり記憶には残っていない。

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 ACLの試合ということで、電光掲示板の表示は英語である。場内アナウンスも、入場者数を知らせ観客に感謝を示すアナウンスに日本語があった以外は選手交代のお知らせなど全て英語であった。
 本来であれば鹿島で行われる筈であったこの試合、鹿島スタジアムが使用不可ということで国立競技場での開催となった。サポーターの中にも鹿島から来た人たちも多いことだろう。私自身は東京で開催されたおかげでこの試合を気軽に観に行くことができたので、何とも複雑である。スタジアムの外では茨城県復興に向けての募金呼びかけを行っていた。

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 こちらはアウェイ側。サッカー1試合のためにわざわざ日本に来るのは難しいのか、ゴール裏の端に少ない人数が集まって試合を見守る。東京付近に在住の中国人の中には上海に縁のある人も少なからずいるだろうが、関心が薄いのか。
 「VIVA SHENHUA」「藍魔無敵」の文字が見える。



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 ピッチの広告もACL仕様、エミレーツ航空やトヨタ、ヤンマーなど英語で企業名が並ぶ。
 試合は前半は鹿島ペース、上海申花の選手はファールでしか相手を止められない場面が多い。その中で32分に鹿島が小笠原のフリーキックから興梠のゴールで1点を先制。
 後半は雨がやや強くなったせいか鹿島の連携がうまくいかない場面が多く上海申花ペースの時間が長く、上海申花にあわやの場面が何度かあったがゴールキーパー曽ヶ端の好セーブで得点を許さない。後半34分に再び興梠のゴールで鹿島に追加点が生まれ、そのまま2-0で鹿島が勝利。

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2011年3月22日星期二

久しぶりの献血

 2007年に上海から帰国した後に献血に行ったところ「上海はマラリア感染地域なので3年間献血不可」と言われたことはかつて拙ブログに書いた。3年あまりが経ち献血不可の時期は終わったと思ったので、先週の土曜日に久々に献血をするべく献血ルームを訪れた。
 前回献血を断られるも作成してもらったプラスチックの献血カードを係員の方に渡し、やはり使わないまま登録した暗証番号を今回初めて入力。献血前の問診がタッチパネル式になっていた。
 問診を終えて渡された書類には「B地域滞在 2007年7月まで」という記載が見え、「マラリア感染地域の滞在記録」はきちんと記録されているようだ。よしんば3年以内に滞在歴を偽って献血をしようとしても、ここでスクリーニングができる訳である。後程日本赤十字社のウェブサイトにある「献血をご遠慮いただく場合」→「海外旅行者及び海外で生活した方」のページを見たところ、「マラリアは、原虫がハマダラカに媒介されてヒトの赤血球に寄生します。そのため、マラリア流行地を旅行したことのある方は原則として帰国後1年間、マラリア流行地に居住したことがある方は帰国後3年間、献血をご遠慮いただいています。」とあり、さらにマラリア流行地域の一覧(PDFファイル)によると上海市は「マラリアの感染が起こりうる流行地域」になっており、確かにこの基準だと上海を離れてから3年間は献血禁止である。もっとも上海にいたときにはマラリアの話は聞かなかったのだが、改めて厚生労働省検疫所中国に関するページを見ると、記載にこそ上海の名前はないが地図があって上海もマラリア感染のリスクが「中」になっている。
 医師との問診では献血が6年数ヶ月ぶりである事情が上海在住歴ゆえであることを説明し、献血自体は特段のことはなく終了。先の大地震ゆえに私も含め献血希望者が増えているとのことであるが、血液や血清の保存期限が短い一方で一度献血すると次の献血までに一定期間の感覚が必要になることから、一過性ではない「継続的な協力」が求められているとのことである。前回書いたときには献血者数が減っているとのことであったが、これを期に必要量を常に充足できるような体制になっていくと良いと思うし、私も健康が許す範囲で協力を続けたいと思う。

 ところで、帰国後3年経過してからも暫く献血に行かなかったのは高血圧気味ゆえであった。一時は投薬治療も必要かと言われる値だったがその後水泳などをして運動に心掛けて血圧も少しずつ下がっていたのだが、今回の検診前の測定ではまたやや高めの値だった。
 (私はこの範疇の外だが)高血圧に限らず、被災地で避難生活を送っておられる方や影響を大きく受けている方、さらに被災地から離れていても仕事や生活での影響が大きい方に対する健康状態への負荷は大きくなっているだろう。多大なストレスがかかる、普段使っている薬が手に入らない、等々。あるいは、生活上でのストレスが少しず積み重なることもあるかもしれない。直接の被災のみならず、その後の生活における健康への影響ができるだけ少なく済むようにあって欲しいものである。

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2009年6月22日星期一

「上海焼きそば」

 去年の北京オリンピック、天津で1次ラウンドを戦ったサッカー日本代表の選手の1人が「天津には天津丼がない」と知らされて落胆したそうだが、やはり日本の中華料理屋でよく見かける「上海焼きそば」、何をもって「上海焼きそば」と名乗るのだろうか。

20090622090 20090622092  まずは職場の近くにある中華料理店での「上海焼きそば」。しょうゆ味であることを売りにしているが、醤油だけでなくオイスターソースで味付けをしているようだ。



20090606080  続いて自宅の近くの中華料理店での「上海焼きそば」。こちらは上のに比べると味も色も濃いような感じだが、やはり味付けはしょうゆとオイスターソースのようだ。ここの上海焼きそばには肉が入っておらず、野菜のみを具に使っていた。




20090616088  やはり自宅近くの、別の中華料理店で出てきた「上海焼きそば」。ここの上海焼きそばはしょうゆと塩の味が濃かった。具の野菜が種類豊富であり、豚肉も入っている。






20090607081 20090607083  出先で中華料理店に入り、オーダーした「上海炒麺」。この店でも「上海炒麺」のことを「ショウユ味ヤキソバ」と説明している。


 こうしてみると、具財や麺の種類はあまり問わず、醤油味をベースに店によってはオイスターソースで味付けをしたものを「上海焼きそば」と称しているようである。
 「上海」という文字を使うことで、普通に焼きそばを出すよりもより「中華料理らしさ」をアピールする、というのもあるだろう。

20090505134  上海の食堂に入っても菜单(メニュー)に「上海炒面」の文字を見つけることはできないだろう。上海の通りに並ぶ食堂に入り、「炒面」をオーダーするとだいたい写真のような麺が出てくる。日本のちぢれ麺ではなくうどんに近いような麺に、酱油(醤油)をベースに味付けして少しばかりの野菜を加えて炒めたものが皿に盛られて出てくる。醤油だけの味ではないだろうから、やはり蚝油(オイスターソース)など他の調味料で味付けしているのだろう。麺類を売りにする値段の安い食堂では汁物の麺は具財に応じて何種類かメニューにそろえておくが、他方炒面はそれ1種類のみを用意しておく、という店が多いのではという印象を上海在住時に持ったものである。

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2009年5月25日星期一

内藤大助の防衛戦・上海開催は中止

 以前拙ブログで触れた、ボクシングのWBC世界フライ級王者・内藤大助が上海で防衛戦をするという話は、手配に不備があり中止になったそうである。日刊スポーツ記事

内藤中国戦中止、相手変えず26日都内で

 プロボクシングWBC世界フライ級王者内藤大助(34=宮田)が、26日に中国・上海で予定していた5度目の防衛戦が、開催3日前の23日に急きょ日本国内に変更された。中国の現地プロモーターが、開催に必要な書類手続きをしていなかったことが発覚。26日までに準備が整わないため、内藤が所属する宮田ジム側が国内開催への変更を決断した。試合は同じ26日に都内で開催する予定で、挑戦者も同じ熊朝忠(26=中国)で調整している。
 5度目の防衛戦を3日後に控えた内藤に、前代未聞のトラブルが降り掛かった。中国入り前日の23日、急きょ開催地が中国から日本に変更された。アウェーでの防衛戦へ万全の準備を整え、25日には現地で調印式と前日計量に臨む予定だった王者にとって、まさに寝耳に水のことだった。
 内藤が所属する宮田ジムの説明によると、宮田博行会長らスタッフは試合に先駆け、21日に中国・上海入りした。その時点で、現地プロモーターに依頼していた事務的処理が滞っていることが発覚した。翌22日に同会長らが北京の国家体育総局に掛け合い、興行実現に必要な複数の手続きを完了させたものの、肝心の会場、盧湾体育館の使用許可などが間に合わなかった。土、日を挟むこともあり、試合が行われる26日までに書類をそろえるのが不可能になった。使用許可に同様の手間がかかる中国の他会場での開催も断念、ジム側がこの日になって国内での開催を決断した。現地入りしている日本ボクシングコミッションの安河内剛事務局長も「プロモーターの問題」と話した。
(以下略)

 試合3日前に上海での興行中止、代替地を探すというドタバタである。
 中国側のプロモーターがなすべきであった手配が滞っていたとかで、「中国ビジネス本」に「中方に仕事を任せていたら仕事が先に進まず失敗した」「よくある悪い例」として書かれてしまいそうな顛末である(もっとも、報道によると内藤選手の所属ジムは「監督不行き届き」を認めているようである。誰の主催興行だとか契約関係など権利義務関係が不明ですが…)。本来なら試合直前にこのような事態に陥れば試合は中止もしくは延期なのだろうが、テレビ局の都合で日程は変えられないとかで日本で同日開催の線で調整しているとのことである。かつてはそのテレビ局に「亀田大毅の引き立て役」として扱われ、今度はそのテレビ局のために中止することができないとは皮肉なものである。もし中止だったら「1ラウンドKO決着だった」と思って昔の映像、TBS系だと具志堅用高とか渡嘉敷勝男とか鬼塚勝也とかの映像でお茶を濁せばいいのに。
 この報道の後、何とか会場は都内のディファ有明に決まり対戦カードも変えずに行われるようだが、試合直前、本来ならば予備検診が行われたりするタイミングでこのトラブルでは両選手のコンディションや気持ちの持ち方に大きな影響を与えているだろう。もともと1ヶ月前に急遽決まったタイトルマッチ、開催直前によもやのドタバタである。
 ただ予定期日通りの開催と決まったからには、難しいだろうが与えられた条件の中で、選手のみならず関係者が皆ベストを尽くして欲しいと期待するのみである。

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2009年5月2日星期六

内藤大助、上海で防衛戦

 ボクシングのWBCフライ級王者・内藤大助が、5月26日に中国人の挑戦者を相手に上海で防衛戦を行うとか。スポーツ報知記事

内藤「暴れてやるぞ」…WBC世界フライ級

 プロボクシングWBC世界フライ級王者の内藤大助(34)=宮田=が5月26日に上海で、同級14位の熊朝忠(26)=中国=の挑戦を受けることが23日、所属ジムから発表された。
 記者会見した内藤は、5度目の防衛戦に向けて「敵地で思い切り暴れてやるぞ、という気持ち」と意気込みを語った。日本人世界王者が海外で防衛戦に臨むのは、1985年に韓国でWBC世界ジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)王座を防衛した渡辺二郎以来となる。
 所属ジムの宮田博行会長によると、熊朝忠は小柄ながら、強打が持ち味の右ボクサーファイター。実際に試合を見た同会長は「威圧感があって脅威を感じる」と警戒した。

 この前後に成都でWBCの総会が開かれるとかで、中国でのタイトルマッチはこれにあわせた開催とのことである。
 内藤選手が所属する宮田ジムプレスリリースによると、このタイトルマッチに加えて女子の東洋タイトルマッチ2試合に日本人選手が出場するようである。場所は「源深体育中心」だとか。浦東にある体育館である。
 このプレスリリースでは上海での世界戦は初めてと触れている。もっとも戦前には上海でボクシングが行われていたと史料にはあるが、中国での世界戦自体少ないのだが北京で行われた「中国で久々のタイトルマッチ」を1993年に旅行中にテレビで観たしその後も何度か中国でのボクシング興行は報じられてはいるが、上海では初めてというのは意外である。
 開催1ヶ月前の決定、敵地しかも中国での試合、無名かつランキング下位の挑戦者、で番狂わせを心配してしまうが、しっかりと調整してそんな心配を吹き飛ばす試合を、そして内藤選手自身がキャッチフレーズとして使う「国民の期待」に相応しい試合を期待したい。

(追記:5月25日)残念ながらこの興行は現地の手配が整わず中止、防衛戦は東京で開催だとか。

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2009年3月1日星期日

中国語のインターネットラジオ

 上海に住んでいた頃、タクシーに乗るとラジオがかかっていることが多く、街でよく聞く歌が聞こえてきてその歌の題名が気になったり、時には日本の歌が流れてきたりした。また、所謂「大本営発表」ではあるがニュースを聞いて考えることもあったり、天気予報を聞いたりもした。
 そうした上海のラジオのみならず、中国語のインターネットラジオについて、国学院大学の針谷壮一先生がご自身のウェブサイトに各ラジオ局のアドレスをまとめてくださっている。そのページではそれぞれのラジオ局のストリーミングに直接リンクしていて、クリックすると対応している様式に応じてWindows Media PlayerやRealplayerが立ち上がり、あるいはそのラジオ局のウェブサイト経由で聴くようになっているものではそのウェブサイトが立ち上がり、各局のインターネットラジオ放送を聴くことができる。上海のタクシーで「Love Radio 103.7」とアナウンスとともに音楽が流れてきた上海東方広播電台 Love Radio (103.7MHz)も、その他の上海のラジオ局、さらには中国や台湾、シンガポール始め世界各地の中国語インターネットラジオを聴くことができる。
 いくつか聴いた中で興味を引いたのがシンガポールのRadio1003。もとがAM放送なので音質はそれなりだが、土・日曜には日本の音楽を流す番組もあり、シンガポール在住の日本人が座談会形式のトークをし、それをDJが中国語で説明したりもしていた。他の番組では中国語の音楽も楽しんで聴くことができる。
 実際に台湾なり中国なりに住んでいるわけではなく、ラジオ以外に商店の店頭で流れている音楽を聴いているわけではなく、インターネット経由で聴くことができるとはいえ現地のラジオを聴く時間は少ない。従って「どんな曲が、どんな歌手が流行っているか」を現地の人たちと同様に感じるのは難しいと思う。それでも、Love Radioを聴いていると上海にいた時の雰囲気を少しではあるが味わうことができるし、他の中国語ラジオ局を聴くことで台湾気分・中国気分・シンガポール気分などに少しは浸ることができるのではなかろうか。
 また、中国語のヒアリング学習という点でもこれらインターネットラジオは役に立つのではないだろうか。私が(くどいがH送大学の、ではない)学生だった頃に「中国語のラジオを聞いて文章に起こす」という課題を課せられたことがあったが、当時は短波放送を録音してそうした課題に当たらねばならなかった。その先生が「短波放送を聴くことの難しさ」をわかっておられたのか定かではなくもなぜか皆その課題には対応していたが、今はこうしたインターネットラジオで容易に中国語のラジオを聴くことができる。

 前述のように短波放送で中国語のラジオ(のみならず世界各国のラジオ)を聞いていた頃からすると、インターネットで中国・中国語のみならず世界各地のラジオ放送をインターネット経由で聴くことができるようになるとは本当に便利になったものである。もっとも、インターネットに定額で繋ぐことができる環境が必須であり、そうでないと「バケ死」、通信料金が高額になってしまう。
 これら中国語インターネットラジオを携帯電話のようなモバイル環境で聴くことを画策しているが、それはそのうち。

(追記)中国から、台湾やシンガポールなどのインターネットラジオを聴くことができるのだろうか?昔は大陸から台湾の行政機関やマスコミのウェブサイトには接続できなかったが、最近は規制の向きを変えているかもしれないがどうだろうか。

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