上海

2009年6月22日星期一

「上海焼きそば」

 去年の北京オリンピック、天津で1次ラウンドを戦ったサッカー日本代表の選手の1人が「天津には天津丼がない」と知らされて落胆したそうだが、やはり日本の中華料理屋でよく見かける「上海焼きそば」、何をもって「上海焼きそば」と名乗るのだろうか。

20090622090 20090622092  まずは職場の近くにある中華料理店での「上海焼きそば」。しょうゆ味であることを売りにしているが、醤油だけでなくオイスターソースで味付けをしているようだ。



20090606080  続いて自宅の近くの中華料理店での「上海焼きそば」。こちらは上のに比べると味も色も濃いような感じだが、やはり味付けはしょうゆとオイスターソースのようだ。ここの上海焼きそばには肉が入っておらず、野菜のみを具に使っていた。




20090616088  やはり自宅近くの、別の中華料理店で出てきた「上海焼きそば」。ここの上海焼きそばはしょうゆと塩の味が濃かった。具の野菜が種類豊富であり、豚肉も入っている。






20090607081 20090607083  出先で中華料理店に入り、オーダーした「上海炒麺」。この店でも「上海炒麺」のことを「ショウユ味ヤキソバ」と説明している。


 こうしてみると、具財や麺の種類はあまり問わず、醤油味をベースに店によってはオイスターソースで味付けをしたものを「上海焼きそば」と称しているようである。
 「上海」という文字を使うことで、普通に焼きそばを出すよりもより「中華料理らしさ」をアピールする、というのもあるだろう。

20090505134  上海の食堂に入っても菜单(メニュー)に「上海炒面」の文字を見つけることはできないだろう。上海の通りに並ぶ食堂に入り、「炒面」をオーダーするとだいたい写真のような麺が出てくる。日本のちぢれ麺ではなくうどんに近いような麺に、酱油(醤油)をベースに味付けして少しばかりの野菜を加えて炒めたものが皿に盛られて出てくる。醤油だけの味ではないだろうから、やはり蚝油(オイスターソース)など他の調味料で味付けしているのだろう。麺類を売りにする値段の安い食堂では汁物の麺は具財に応じて何種類かメニューにそろえておくが、他方炒面はそれ1種類のみを用意しておく、という店が多いのではという印象を上海在住時に持ったものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年5月25日星期一

内藤大助の防衛戦・上海開催は中止

 以前拙ブログで触れた、ボクシングのWBC世界フライ級王者・内藤大助が上海で防衛戦をするという話は、手配に不備があり中止になったそうである。日刊スポーツ記事

内藤中国戦中止、相手変えず26日都内で

 プロボクシングWBC世界フライ級王者内藤大助(34=宮田)が、26日に中国・上海で予定していた5度目の防衛戦が、開催3日前の23日に急きょ日本国内に変更された。中国の現地プロモーターが、開催に必要な書類手続きをしていなかったことが発覚。26日までに準備が整わないため、内藤が所属する宮田ジム側が国内開催への変更を決断した。試合は同じ26日に都内で開催する予定で、挑戦者も同じ熊朝忠(26=中国)で調整している。
 5度目の防衛戦を3日後に控えた内藤に、前代未聞のトラブルが降り掛かった。中国入り前日の23日、急きょ開催地が中国から日本に変更された。アウェーでの防衛戦へ万全の準備を整え、25日には現地で調印式と前日計量に臨む予定だった王者にとって、まさに寝耳に水のことだった。
 内藤が所属する宮田ジムの説明によると、宮田博行会長らスタッフは試合に先駆け、21日に中国・上海入りした。その時点で、現地プロモーターに依頼していた事務的処理が滞っていることが発覚した。翌22日に同会長らが北京の国家体育総局に掛け合い、興行実現に必要な複数の手続きを完了させたものの、肝心の会場、盧湾体育館の使用許可などが間に合わなかった。土、日を挟むこともあり、試合が行われる26日までに書類をそろえるのが不可能になった。使用許可に同様の手間がかかる中国の他会場での開催も断念、ジム側がこの日になって国内での開催を決断した。現地入りしている日本ボクシングコミッションの安河内剛事務局長も「プロモーターの問題」と話した。
(以下略)

 試合3日前に上海での興行中止、代替地を探すというドタバタである。
 中国側のプロモーターがなすべきであった手配が滞っていたとかで、「中国ビジネス本」に「中方に仕事を任せていたら仕事が先に進まず失敗した」「よくある悪い例」として書かれてしまいそうな顛末である(もっとも、報道によると内藤選手の所属ジムは「監督不行き届き」を認めているようである。誰の主催興行だとか契約関係など権利義務関係が不明ですが…)。本来なら試合直前にこのような事態に陥れば試合は中止もしくは延期なのだろうが、テレビ局の都合で日程は変えられないとかで日本で同日開催の線で調整しているとのことである。かつてはそのテレビ局に「亀田大毅の引き立て役」として扱われ、今度はそのテレビ局のために中止することができないとは皮肉なものである。もし中止だったら「1ラウンドKO決着だった」と思って昔の映像、TBS系だと具志堅用高とか渡嘉敷勝男とか鬼塚勝也とかの映像でお茶を濁せばいいのに。
 この報道の後、何とか会場は都内のディファ有明に決まり対戦カードも変えずに行われるようだが、試合直前、本来ならば予備検診が行われたりするタイミングでこのトラブルでは両選手のコンディションや気持ちの持ち方に大きな影響を与えているだろう。もともと1ヶ月前に急遽決まったタイトルマッチ、開催直前によもやのドタバタである。
 ただ予定期日通りの開催と決まったからには、難しいだろうが与えられた条件の中で、選手のみならず関係者が皆ベストを尽くして欲しいと期待するのみである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年5月2日星期六

内藤大助、上海で防衛戦

 ボクシングのWBCフライ級王者・内藤大助が、5月26日に中国人の挑戦者を相手に上海で防衛戦を行うとか。スポーツ報知記事

内藤「暴れてやるぞ」…WBC世界フライ級

 プロボクシングWBC世界フライ級王者の内藤大助(34)=宮田=が5月26日に上海で、同級14位の熊朝忠(26)=中国=の挑戦を受けることが23日、所属ジムから発表された。
 記者会見した内藤は、5度目の防衛戦に向けて「敵地で思い切り暴れてやるぞ、という気持ち」と意気込みを語った。日本人世界王者が海外で防衛戦に臨むのは、1985年に韓国でWBC世界ジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)王座を防衛した渡辺二郎以来となる。
 所属ジムの宮田博行会長によると、熊朝忠は小柄ながら、強打が持ち味の右ボクサーファイター。実際に試合を見た同会長は「威圧感があって脅威を感じる」と警戒した。

 この前後に成都でWBCの総会が開かれるとかで、中国でのタイトルマッチはこれにあわせた開催とのことである。
 内藤選手が所属する宮田ジムプレスリリースによると、このタイトルマッチに加えて女子の東洋タイトルマッチ2試合に日本人選手が出場するようである。場所は「源深体育中心」だとか。浦東にある体育館である。
 このプレスリリースでは上海での世界戦は初めてと触れている。もっとも戦前には上海でボクシングが行われていたと史料にはあるが、中国での世界戦自体少ないのだが北京で行われた「中国で久々のタイトルマッチ」を1993年に旅行中にテレビで観たしその後も何度か中国でのボクシング興行は報じられてはいるが、上海では初めてというのは意外である。
 開催1ヶ月前の決定、敵地しかも中国での試合、無名かつランキング下位の挑戦者、で番狂わせを心配してしまうが、しっかりと調整してそんな心配を吹き飛ばす試合を、そして内藤選手自身がキャッチフレーズとして使う「国民の期待」に相応しい試合を期待したい。

(追記:5月25日)残念ながらこの興行は現地の手配が整わず中止、防衛戦は東京で開催だとか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2009年3月1日星期日

中国語のインターネットラジオ

 上海に住んでいた頃、タクシーに乗るとラジオがかかっていることが多く、街でよく聞く歌が聞こえてきてその歌の題名が気になったり、時には日本の歌が流れてきたりした。また、所謂「大本営発表」ではあるがニュースを聞いて考えることもあったり、天気予報を聞いたりもした。
 そうした上海のラジオのみならず、中国語のインターネットラジオについて、国学院大学の針谷壮一先生がご自身のウェブサイトに各ラジオ局のアドレスをまとめてくださっている。そのページではそれぞれのラジオ局のストリーミングに直接リンクしていて、クリックすると対応している様式に応じてWindows Media PlayerやRealplayerが立ち上がり、あるいはそのラジオ局のウェブサイト経由で聴くようになっているものではそのウェブサイトが立ち上がり、各局のインターネットラジオ放送を聴くことができる。上海のタクシーで「Love Radio 103.7」とアナウンスとともに音楽が流れてきた上海東方広播電台 Love Radio (103.7MHz)も、その他の上海のラジオ局、さらには中国や台湾、シンガポール始め世界各地の中国語インターネットラジオを聴くことができる。
 いくつか聴いた中で興味を引いたのがシンガポールのRadio1003。もとがAM放送なので音質はそれなりだが、土・日曜には日本の音楽を流す番組もあり、シンガポール在住の日本人が座談会形式のトークをし、それをDJが中国語で説明したりもしていた。他の番組では中国語の音楽も楽しんで聴くことができる。
 実際に台湾なり中国なりに住んでいるわけではなく、ラジオ以外に商店の店頭で流れている音楽を聴いているわけではなく、インターネット経由で聴くことができるとはいえ現地のラジオを聴く時間は少ない。従って「どんな曲が、どんな歌手が流行っているか」を現地の人たちと同様に感じるのは難しいと思う。それでも、Love Radioを聴いていると上海にいた時の雰囲気を少しではあるが味わうことができるし、他の中国語ラジオ局を聴くことで台湾気分・中国気分・シンガポール気分などに少しは浸ることができるのではなかろうか。
 また、中国語のヒアリング学習という点でもこれらインターネットラジオは役に立つのではないだろうか。私が(くどいがH送大学の、ではない)学生だった頃に「中国語のラジオを聞いて文章に起こす」という課題を課せられたことがあったが、当時は短波放送を録音してそうした課題に当たらねばならなかった。その先生が「短波放送を聴くことの難しさ」をわかっておられたのか定かではなくもなぜか皆その課題には対応していたが、今はこうしたインターネットラジオで容易に中国語のラジオを聴くことができる。

 前述のように短波放送で中国語のラジオ(のみならず世界各国のラジオ)を聞いていた頃からすると、インターネットで中国・中国語のみならず世界各地のラジオ放送をインターネット経由で聴くことができるようになるとは本当に便利になったものである。もっとも、インターネットに定額で繋ぐことができる環境が必須であり、そうでないと「バケ死」、通信料金が高額になってしまう。
 これら中国語インターネットラジオを携帯電話のようなモバイル環境で聴くことを画策しているが、それはそのうち。

(追記)中国から、台湾やシンガポールなどのインターネットラジオを聴くことができるのだろうか?昔は大陸から台湾の行政機関やマスコミのウェブサイトには接続できなかったが、最近は規制の向きを変えているかもしれないがどうだろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008年12月15日星期一

『中国・庶民の改革開放30年 第3回 失意からの出発~上海~』

 NHKで放映された『BS特集 中国・庶民の改革開放30年 第3回 失意からの出発~上海~』を見た。1978年に鄧小平体制下で「改革・開放」が唱えられてから今年で30年、各地の庶民にとっての「改革・開放」の一面を捉えたシリーズである。『中国・庶民の改革開放30年』シリーズは過去の番組で取材した人たちのその後を追う形で展開され、この第3回は1993年に『はるばると世界旅 上海・横丁物語』で上海の社区を取材したときに出会った人たちのその後の姿を追った番組である。取り上げられた社区は「呉淞路里弄」と言っていたから、上海北部の話であろう。
 番組では1993年に取材した3人の男性にハイライトを当てている。一人は当時結婚式を挙げたばかりで、その後勤めていた国営企業を辞めてはるさめ工場を開くもトラブルから閉じざるを得なくなり今はかつて住んでいた社区の近くで麺店を営んでいる。もう1人は当時はバス会社に勤めながら弟が経営する精肉店を手伝っていたが、その後自らも念願の自営の精肉店を営むも社区の取り壊しで閉店を余儀なくされ、今度は再開発で取り壊す場所での立ち退きを説得する会社に転じていた。さらにもう1人は早くから商品ブローカーをやって儲け、1993年当時は社区で飲食店を経営していたが、その後ギャンブルなどで身を持ち崩し今は近所の人の援助で暮らしている、といった具合であった。
 「改革・開放」の影響はまず華南で見られ、上海ではこの流れは少し遅れてやってきた。1993年当時は上海にも改革・開放の影響が行き渡り、チャンスを求める人が新たなことを始めようという頃だだったのだろう。この3人もそんな時代の中でチャンスを求め、今に至るという感じなのだろう。

Img_1537 Img_1539  登場した3人のうち2人は、社区の取り壊しが人生のターゲットになっている。精肉店を営んでいた彼は社区の取り壊しで精肉店を閉じざるを得なくなり、商品ブローカーから転じて飲食店を営んでいた彼は立ち退き時の補償金をギャンブルに注ぎ込んでしまい人生が変わってしまったといえる。
 番組とは関係ないが、写真は復興路で見た取り壊された住宅群。上海の街のあちこちでビルやマンション建設や再開発のために古い家が壊されるのを見た。この番組のように、再開発やそれに伴う立ち退き・取り壊しに巻き込まれてしまった人はそれで人生が変わってしまうのである。
 また取り壊しではなくても、かつて拙ブログで紹介した餃子屋のように上海の街の変化のために商売を続けられなくなることもある。

 この番組は「BS特集」なのだが、私の部屋では衛星放送を見ることはできない。実はひかりTVのサービスの1つである「NHKオンデマンド」というサービスを利用して視聴した。NHKで放送した番組、過去の番組のうちいくつかをインターネット経由で配信してくれるサービスである。
 ひかりTVに加入していなくても、ブロードバンド環境があればPCで見ることができる。ただ残念ながら、国外からの視聴は「提供先を日本国内に限ることを条件に番組の権利者からの許諾を得ている」とかで(よくある質問より)不可のようである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008年12月6日星期六

上海往事-長楽路を歩く(下)

 前回の続き(2007年5月撮影)。長楽路を、襄陽路との交差点から東に向かって歩く。

Img_1663  襄陽路との交差点付近は。リアカーや自転車で野菜や日用雑貨などを持ってきて売っている人がたくさんいて、青空市場の様相を呈していた。






Img_1662  リアカーに載せられた、たくさんの日用雑貨。1日でいくつくらい売れるのだろうか。







Img_1668 Img_1669  襄陽路との交差点を過ぎると、欧米人好みの店が多数姿を現す。左はオープンスペースを擁するスペイン料理店、右はギリシャ料理店。



Img_1671  ギリシャ料理店と入り口を共有する、広東料理店。








Img_1673 Img_1674  その先、陝西南路との交差点までは、この付近に産婦人科の医院があるせいかマタニティウェアの店が並んでいる。




Img_1675  「電磁波防止専売店」とあるが。








Img_1679 陝西南路との交差点を過ぎると、衣料品店や小さな食堂が並んでいる。ここには「ラーメンの美味しい焼鳥屋」があって日本人としては心をくすぐられたのだが、台湾菜を出す店もあったりしてここにはよく来たものだ。





Img_1681  そんな商店街の上には、上海の著名ホテルが並ぶ。手前が花園飯店、その奥に見える少し低い建物は錦江飯店、そのまた奥にある円柱のてっぺんを持つ現代的なビルは新錦江飯店。これらホテルについては別途触れたい。





Img_1685  茂名南路との交差点にある、蘭心大戯院。1930年できの建物。







Img_1707 Img_1709  茂名南路との交差点を過ぎてしばらくはちょっと高めのレストランなどが並ぶが、瑞金一路との交差点を過ぎると一気に雰囲気が変わり、小さな商店に囲まれた社区が並ぶ。
 左の写真には「長楽路65弄」を示す地番表示が見える。『甘苦上海』のタイトルに見えた「長楽路52弄」はこのあたりという設定だろうか。

Img_1710  「調髪3元」の看板。かなり安い。私も上海在住時は調髪5元の床屋に行っていたが、それよりも安い。







Img_1711 Img_1719  写真左の社区を過ぎ、南北高架橋を渡るとすぐに長楽路の起点に到着し、ここで長楽路は終わる。
 長楽路の起点は、郊外バスの停留所となっている。
 長楽路、旧フランス租界に共通して見られる老房子や古い社区が見られる。そうした光景が『甘苦上海』の作者である高樹のぶ子の心に感じるものがあったのだろうか。
 他方でそう長くはない距離で、白壁の家なり青空市場なり社区が並ぶなりといろいろな姿を見ることができる。並行して走る淮海路が「現代の商業都市・上海の中に孫文の上海なり民国期の上海なりを探す」であれば、長楽路は「現代の商業都市・上海に、かつての上海を残しつつ根を張って生きている人たちの景色」というところであろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008年12月5日星期五

上海往事-長楽路を歩く(上)

 日本経済新聞で連載中の小説『甘苦上海』、第1章には上海・長楽路に因んだタイトルが付けられていた。その長楽路をかつて地番の大きいほうから小さいほうへ、西から東へ歩いたときの写真をぼちぼちとアップ。(2007年5月撮影)

Img_1618  華山路・鎮寧路と交わる四叉路から長楽路が始まる。








Img_1622  確か烏魯木斉路との交差点だったと思う。








Img_1626 Img_1625  烏魯木斉路との交差点を過ぎたあたりにて。白い壁の家の軒先に鮮やかな色の花、という光景は、ここだけ切り取るとスペイン・アンダルシアを彷彿とさせる。



Img_1627 Img_1630  さらに進み、常熟路との交差点。







Img_1640 1930年代に建てられた「劉氏住宅」という名前の老房子。








Img_1642 Img_1646  やはり1930年代に建てられた「杜美新村」という名前の老公寓。




Img_1652  富民路との交差点付近にあるおもちゃ屋のショーウインドー。おもちゃに混じって、何故か日本の甲冑が店頭を飾っている。






Img_1656  長楽路に面して建つ、上海郵電医院の裏側の広場を囲む病院の建物。老房子や老公寓は確かに風情があるのだが、こと病院となるとどんな用途で使われているのか気になる。最新の医療設備が使えるのかとか、患者が通ったり入院していたりするのであれば、もし建物の中が高い天井だったり暗い室内だったりしたら如何なものかとか考えてしまう。



Img_1655  その上海郵電医院を囲む広場の一角に、上海厚誠口控医院という名前の歯科医院がある。この歯科医院の建物は、清末~民国期に生きた潘宗周という人がここに住み、宋~元代の書物を保存していたのだと入り口に説明が書いてあった。
 今は日中合弁の歯科医院になっており、入り口には設立当時の厚木市長の筆による「健康は全ての人に」と書かれた揮毫が飾られている。

Img_1660  上海郵電医院の近く、襄陽路との交差点付近のマンション。1階には「にんにくや」という名前の日本料理店?があったが閉店し、タイ料理店になっていた。回転が早い上海の飲食店のこと、今はどうなっているだろうか。

 写真が多くなったので、続きは後程。


*『甘苦上海』のウェブサイトはこちら。また、小説内に登場した建物に触れた拙ブログの記事はこちら

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008年11月27日星期四

『甘苦上海』

 この9月末から、日本経済新聞の連載小説が高樹のぶ子著『甘苦上海』になった。と言っても、私は日経新聞は読んでいるが連載小説は普段読んでおらず、この小説に連動したウェブサイトができたとNIKKEI NETに書かれていたのを見て初めてこの小説の存在を知った。
 過去の分から読み返してみた。上海でエステサロンを経営する51歳の日本人女性と、新聞記者の職を辞して上海で大学院生をやっている39歳の男性との奇妙ともいえる逢瀬がここまでは描かれている。「逢瀬」と書くと、日経新聞の連載小説では過去の話題作というか問題作、『失楽園』や『愛の流刑地』を思い浮かべるが、それらほどのしつこい表現はなくむしろ「その場面」はあっさり過ぎる程に軽く描かれ、ここまでは心理的駆け引きに重きを置いて描かれていると言えよう。

 この小説、第1章のタイトルが「長楽路五二弄三号楼」、第1話で主人公・紅子が運転手に対して発する台詞が「新楽路まで行かないのよ、長楽路で右に折れてね」である。このほかにも上海の地名や建物の名前が小説に現れそして重要なシーンで登場し、かつて上海に住んでいた者としては当時の光景が目に浮かぶし地名が出たりすると懐かしくも思える。旧フランス租界がよく出てくるが、やはり小説の題材として相応しいのだろうか。
 かつて拙ブログで上海を舞台にしたテレビドラマに見られたかの地の光景をアップしたことがあるが(1)(2)、小説では映像が直接出てこない。テレビドラマと違いその光景を見ることはできないが、むしろ映像がない分だけ上海への想像が掻き立てられることもあるだろう。
 第1話を読むと、延安中路から陝西南路に入り、そこから長楽路へ入るようだ。「長楽路で右に折れてね」と指示すると、番地が大きいほうに向かい「五二弄」には着かないようなな気がするのですが、長楽路の番地の付け方ってそうでしたっけ?まぁ小説なので突っ込むのは野暮なのかもしれませんが…

Img_2365  第30話に、紅子がその男性・京に東湖路にある「エル・ウイリー」で食事をしないかと誘われる場面がある。この店は実在するようだ(店のウェブサイト)が、私がいた頃は別の店が古い洋館を改装してオープンしたばかりであった。店の入れ替わりが激しいようだ。




 それから写真はないが、新楽路x襄陽路にある「首席公館酒店」というホテルが登場する。やはり洋館を改装したホテルであるが、宿泊料を聞いたところとても高くて「出張者の宿泊先」には使えない値段だった記憶があるし、小説のようにラブホテル代わりに使える値段ではなかったと思う。
 「エル・ウイリー」の近くで私は「ひとり火鍋」を食していたし、首席公館酒店から歩いて1分の新楽路では「冷面」や一皿2元の餃子を食していた。「ひとり火鍋」もかの地にしてはいいお値段だと思うが、何れにせよこの小説の登場人物とは住む世界が違うのだろう。

 今後も見どころ(突っ込みどころ?)があればぼちぼちと。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008年10月18日星期六

『上海タイフーン』~続・見たことのある景色~

 NHKで放映しているドラマ『上海タイフーン』、今日が最終回だった。
 それぞれの事情を抱えた登場人物が、やはり最初はワケありで上海に来たヒロイン・美鈴と絡まりあい、6話の中で頑なだった内面なり過去の失敗の影響なりを克服して幸せを掴む、あるいは取り戻していく、という気分の良い話であったと思う。古谷一行扮する父親が「客が来なくてもめげるな。諦めさえしなければきっと何かが起こる。そういう街だ上海は」と言っていたが、上海のみならず世界のどこでも通じる言葉だと言えよう。この古谷一行や母親役の原日出子がいい味を出していたといえよう。
 ヒロインらが行きつけの居酒屋が「相撲系」だったのはウケ狙いとはいえどうか、と思った。もっとも、「忍者屋敷風」の居酒屋は上海にあったが…

 第1話で上海在住時に見た眺めが出てきたことは先に拙ブログに書いた。その後第2話~最終話でも、上海に住んでいた頃に見たことのある眺めや「ここだ」とわかる建物が画面に流れてきたので、写真をぼちぼちとアップ。

Img_1208  ドラマに直接出てきたわけではないが、ヒロインが住んでいる里弄の場面の前に上空からの映像が出てくる。その映像に映っているエリアの右手前を地上から撮るとこんな感じであった。長治路・大名路付近に広がる里弄である。先に紹介した浦江飯店の少し北、蘇州河の北側である。




Img_1214  ドラマの里弄はセットのようだが、当時の長治路付近にはこういった建物が並んでいた。ドラマ中の花屋ではないが、蘇州河の北側は再開発の話があると聞いたが、今も同じ風景なのだろうか。





Img_2774  ヒロインが「自分が本当にやりたいこと」を見つけようと歩いていたのは淮海中路。背景に国泰電影院が映っていた。淮海中路X茂名南路、花園飯店(ガーデンホテル)の近く。ドラマでは夜歩いていたが、昼間だとまた雰囲気が異なる。淮海中路のショッピング街の西の端、といったところか。
 広告が流れるディスプレイが映像の背景にあったが、私がいた頃はiPod shuffleや化粧品の宣伝ばかりだった。今は違うのだろうか。

Img_2034  ピーター・ホー扮するヒロインの敵、そして後に距離を縮めていく曹飛が再開発を巡るトラブルからオフィスを引き払い、拠点にしていた自宅は、武康路X淮海中路(X興国路)にある武康大厦。拙ブログでも開始直後からこの建物の写真をトップに貼っている。上海の名所巡りをしていると、宋慶齢故居の近くにこのビルを見ることができる。



Img_1929  ヒロインが曹飛に出店の相談をしたのは、第1話で彼女が家賃の高さに驚きつつ虚勢を張った橋を渡り、蘇州河を川下に少し歩いたところ。植え込みが写っていないせいか、ドラマとは随分雰囲気が違う。





Img_1922  出店が決まったことをヒロインが携帯電話で知らせていたときに、橋の上から川下を見た映像が映ったが、このアングルに近いだろうか。正面に上海大厦が見えるが、この先には浦江飯店も「ヒロインの住処である里弄の上空写真の風景」もある。




Img_2786  洋服店の開店前にビラ配りをしていたのはこのあたりか。淮海中路を前述の国泰電影院から東側に歩き、確か淮海中路X思南路だったと思う。
 このほかにも、ヒロインが車で移動する時の車窓はここだ、等、写真は手許にないが場所がわかる風景があった。
 この記事を書くときに過去に撮った写真を見返してみたのだが、僅か1年前のことであるがかつて住んだ街の眺めを見て懐かしくなった。ドラマのストーリーの中に「再開発」の話があったし、事実瓦礫の山を見たり通っていた料理店が再開発で閉店してしまった、ということがあった。上海の人たちが便利になるための再開発だと良いのだが、次に見る上海は変わっているのだろう。

 ドラマのサクセスストーリーはさておき、かつて住んでいた上海に、上海で知り合った方々に恥ずかしくないように日々の生活を送りたい。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008年9月13日星期六

『上海タイフーン』~見たことのある景色~

 前述の通り飛行機が欠航になったが、たまに旅行記で見かけるような「航空会社がホテルを用意してくれた」ということはなかったので、電車に乗って自分の部屋に戻った。
 台風つながり、というわけではないが、今晩NHKで放送していた『上海タイフーン』という連続ドラマを観た。どこか中国を見下した感のあるヒロイン・美鈴が、仕事を辞めざるを得なくなり恋人にも別れを切り出され、八方塞がりになったところで「世界で一番嫌いな街」といってはばからない上海に渡って再起、本人の言では「リベンジ」を期す、という話である。
 港滙広場の前で決意を新たに気合いを入れるヒロインって、というのはさておき、今日のところは最後のほうだけだったが上海の街が映し出され、歩いたことがある通りや眺めたことのある景色が度々出てきた。
Img_1294  ヒロインが上海に来て、スーツケースを両手に気合を入れていた港滙広場。







Imgp0553 Imgp0548  ヒロインが会社を辞める遠因となった上海出張で、泊まっていた場所は浦江飯店のようですね。ロビーのエンブレムに見覚えがあります。


Imgp0554  日本と電話する前に一瞬映ったカットが、この写真に近いのではないでしょうか。ドラマではホテルの名前が「黄浦飯店」に書き換えられていました。
  かつてドミトリーがありバックパッカーに有名だった浦江飯店、今泊まるといいお値段のようです。




Img_1926  不動産屋に老房子を見せてもらったあと、家賃の高さに驚いたヒロインが虚勢を張ったセリフを吐いたのは蘇州河にかかるこの橋の上。郵政局の建物に見覚えあり。

 こうやって見ると、初回はドラマとしても導入部なのだろうが、ショッピングモール・オールドホテル・旧租界と上海の紹介も兼ねたような映像だったと思う。第1回のヒロインや登場人物を反面教師に?中国はこうとか中国で働く日本人はこうとかいうステレオタイプを排しつつ、逆に「上海で働く日本人をこんなふうに描くな」などとあまり神経質にはならずに、上海の景色とともに気楽に見るのが良さそうである。
 このドラマ、本来は昨年(2007年)放映の予定だったのだがヒロインを演じる女優・木村多江の妊娠・出産のため撮影が延期され、ようやく陽の目を見たのだとか。映像の中には、「私と同時期の上海」もあるのかもしれない。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧