街並み

2009年2月11日星期三

池袋北口・西口界隈

 池袋駅北口付近には中国食材店や中国料理店が集まっており、またそうした場所に多くの中国人が集まっている。この界隈を「池袋チャイナタウン」と呼ぶ人もいる。筑波大学・山下清海教授のウェブサイトの中に、この界隈を紹介したページがありその中でこの名を冠している。
 先月のことであるが、そんな池袋北口界隈を、そして西口界隈を歩いてみた。
20090110051  池袋駅北口を出てすぐ、線路沿いに歩いて最初の交差点を折れると「陽光城」という名前の中国食材店がある。







20090110052  その向かいのビルには、「知音」という看板を掲げたやはり中国食材店がある。品揃えはいろいろあり、スーパーマーケットといった感じである。店の中では中国語がデフォルトで、日本語が通じないときもある。店内には食堂もある。





20090110056  先述の交差点を斜めに入ると、「富麗華」と書いてある看板が見える。1階・2階は楽楽屋という居酒屋や中国料理店なのだが、3階はカラオケボックスになっている。このカラオケボックス、中国語の歌をふんだんに収めたシステムが入っており、中国や台湾のカラオケボックス同様に中国語圏の歌を歌える。日本の普通のカラオケ(昨年4月に行ったときにはUGAだった)も入っているので日本語と中国語のカラオケを同時に楽しめ、中国語のわからない人でも楽しむことができよう。
 このカラオケボックスは3階にあるのだが、2階の料理店の厨房を通った先に3階に向かう階段がある。初めて入る時にはちょっと驚くというか入り難いかもしれない。店員は中国の人だが、精算したときのレシートは普通の(日本語の)明細だった。
20090110058  ここからクランク状に北に向かってあるくと、へいわ通りという名前の通りがある。







20090110059 20090110062  この通りに、中国料理店が数多く並んでいる。夜になると店内には中国語の会話が飛び交っているが、休日の昼間ということもシャッターを閉じている店が多かった。
 池袋に限らず、「中華料理」ではなく中国料理を掲げる店には、「東北菜」、中国東北部の料理を看板に掲げる店が多いような気がする。
 例えば水煮魚を売りにする、あるいは水煮魚は川魚ベースだから厳しいにしても唐辛子だけの平板な辛さではない、山椒などもきっちり交えた四川菜の廉価な店があってもいいのに。

20090110063  池袋には家電量販店もあるのだが、小さいビルの一角には小さなパソコンショップがあり、中国語の宣伝を掲げるとともに在日中国人向けの新聞を店頭に置いている。






20090110065  北口界隈から、池袋西口界隈へ。池袋駅から行くと駅前の大通りを直進し、五差路を右に曲がる。北口同様に中国料理店の看板が見えるが、このあたりには韓国食材店の看板もたまに見える。





20090110066  そんな路地に、「線條 手打餃子専門店」の看板を見かけた。看板の上には「本場台湾」の文字が見える。この界隈にある中国系の店とは違うようだ。
 いろいろな餃子の写真やその紹介・メニューが店頭を飾っている。




20090110067  店内は2人掛けのテーブルが3つという小さなものである。ここで店の人に勧められるままに「如意餃子」を頼んでみた。木の実が入った餃子など中の餡は6種それぞれ違い、皮にも野菜が練りこんであるものがあるとかで、違う味が楽しめる。餡の味が、台湾で食べる「何か」を思い起こさせた。
 店番をしていた方はこの店が何冊かの雑誌で紹介されたことをしきりに紹介してくれたが、確かに普段外で食べる餃子にはあまりない味で、美味しく戴いた。と共に、この店番の方の話から、池袋の「中国系」とは違い、オーナーが台湾出身で台湾の味をアレンジしようとした店であるということを聞かせてくれた。
 今回池袋を歩いていちばんの収穫は、この餃子店であった。

 この池袋北口・西口界隈で「池袋チャイナタウン」を大々的に掲げて売り出そうという提案が、この地を拠点にする中国の人を中心に出されている。@niftyに掲載された内外タイムスの記事はこちら。横浜や神戸の中華街とは違う、最近中国から来た人たちによるチャイナタウン、ということであろうか。ここだけでなくても中国語がよく耳に入る池袋であるが、中国を感じさせる店が密集しているというわけではなく、街の中に多数点在している、という感じである。
 私が学生だった頃(くどいようだがH送大学の、ではない)から既に池袋は中国の人が他所よりも多く行き来する街で、前述のようだったか定かではないが中国人が営む飲食店がちらほらとあったと記憶している。

 例えば、上海の古北エリアは日本人が多く住み日本人がよく出入りする街として知られ、また龍柏新村あたりは韓国料理店が並び韓国人が多く住んでいる。しかしながらこれらの街は日本人や韓国人だけで担われているのではなく、もとから住んでいた、あるいはこれらに職を求める中国人によって街が成り立っているのだと思う。「古北には日本人が多く、日本食材店がたくさんある」「龍柏には韓国人向けのマンションや店が多い」という話は聴くしそれはそれで現状なのだが、「古北日本街」「龍柏韓国街」という言われ方をされるとそれはどうか、と思われるだろうし言うのは如何かとも思う。
 「池袋チャイナタウン」構想はもとから住んだり商いを営んでいる人なしには成り立たないだろうし、それらを無視した構想は歓迎されないのではないだろうか。古北の日本人や龍柏の韓国人と逆の立場にあってどう街と関わっていくか、ということだと思う。

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2008年12月6日星期六

上海往事-長楽路を歩く(下)

 前回の続き(2007年5月撮影)。長楽路を、襄陽路との交差点から東に向かって歩く。

Img_1663  襄陽路との交差点付近は。リアカーや自転車で野菜や日用雑貨などを持ってきて売っている人がたくさんいて、青空市場の様相を呈していた。






Img_1662  リアカーに載せられた、たくさんの日用雑貨。1日でいくつくらい売れるのだろうか。







Img_1668 Img_1669  襄陽路との交差点を過ぎると、欧米人好みの店が多数姿を現す。左はオープンスペースを擁するスペイン料理店、右はギリシャ料理店。



Img_1671  ギリシャ料理店と入り口を共有する、広東料理店。








Img_1673 Img_1674  その先、陝西南路との交差点までは、この付近に産婦人科の医院があるせいかマタニティウェアの店が並んでいる。




Img_1675  「電磁波防止専売店」とあるが。








Img_1679 陝西南路との交差点を過ぎると、衣料品店や小さな食堂が並んでいる。ここには「ラーメンの美味しい焼鳥屋」があって日本人としては心をくすぐられたのだが、台湾菜を出す店もあったりしてここにはよく来たものだ。





Img_1681  そんな商店街の上には、上海の著名ホテルが並ぶ。手前が花園飯店、その奥に見える少し低い建物は錦江飯店、そのまた奥にある円柱のてっぺんを持つ現代的なビルは新錦江飯店。これらホテルについては別途触れたい。





Img_1685  茂名南路との交差点にある、蘭心大戯院。1930年できの建物。







Img_1707 Img_1709  茂名南路との交差点を過ぎてしばらくはちょっと高めのレストランなどが並ぶが、瑞金一路との交差点を過ぎると一気に雰囲気が変わり、小さな商店に囲まれた社区が並ぶ。
 左の写真には「長楽路65弄」を示す地番表示が見える。『甘苦上海』のタイトルに見えた「長楽路52弄」はこのあたりという設定だろうか。

Img_1710  「調髪3元」の看板。かなり安い。私も上海在住時は調髪5元の床屋に行っていたが、それよりも安い。







Img_1711 Img_1719  写真左の社区を過ぎ、南北高架橋を渡るとすぐに長楽路の起点に到着し、ここで長楽路は終わる。
 長楽路の起点は、郊外バスの停留所となっている。
 長楽路、旧フランス租界に共通して見られる老房子や古い社区が見られる。そうした光景が『甘苦上海』の作者である高樹のぶ子の心に感じるものがあったのだろうか。
 他方でそう長くはない距離で、白壁の家なり青空市場なり社区が並ぶなりといろいろな姿を見ることができる。並行して走る淮海路が「現代の商業都市・上海の中に孫文の上海なり民国期の上海なりを探す」であれば、長楽路は「現代の商業都市・上海に、かつての上海を残しつつ根を張って生きている人たちの景色」というところであろうか。

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2008年12月5日星期五

上海往事-長楽路を歩く(上)

 日本経済新聞で連載中の小説『甘苦上海』、第1章には上海・長楽路に因んだタイトルが付けられていた。その長楽路をかつて地番の大きいほうから小さいほうへ、西から東へ歩いたときの写真をぼちぼちとアップ。(2007年5月撮影)

Img_1618  華山路・鎮寧路と交わる四叉路から長楽路が始まる。








Img_1622  確か烏魯木斉路との交差点だったと思う。








Img_1626 Img_1625  烏魯木斉路との交差点を過ぎたあたりにて。白い壁の家の軒先に鮮やかな色の花、という光景は、ここだけ切り取るとスペイン・アンダルシアを彷彿とさせる。



Img_1627 Img_1630  さらに進み、常熟路との交差点。







Img_1640 1930年代に建てられた「劉氏住宅」という名前の老房子。








Img_1642 Img_1646  やはり1930年代に建てられた「杜美新村」という名前の老公寓。




Img_1652  富民路との交差点付近にあるおもちゃ屋のショーウインドー。おもちゃに混じって、何故か日本の甲冑が店頭を飾っている。






Img_1656  長楽路に面して建つ、上海郵電医院の裏側の広場を囲む病院の建物。老房子や老公寓は確かに風情があるのだが、こと病院となるとどんな用途で使われているのか気になる。最新の医療設備が使えるのかとか、患者が通ったり入院していたりするのであれば、もし建物の中が高い天井だったり暗い室内だったりしたら如何なものかとか考えてしまう。



Img_1655  その上海郵電医院を囲む広場の一角に、上海厚誠口控医院という名前の歯科医院がある。この歯科医院の建物は、清末~民国期に生きた潘宗周という人がここに住み、宋~元代の書物を保存していたのだと入り口に説明が書いてあった。
 今は日中合弁の歯科医院になっており、入り口には設立当時の厚木市長の筆による「健康は全ての人に」と書かれた揮毫が飾られている。

Img_1660  上海郵電医院の近く、襄陽路との交差点付近のマンション。1階には「にんにくや」という名前の日本料理店?があったが閉店し、タイ料理店になっていた。回転が早い上海の飲食店のこと、今はどうなっているだろうか。

 写真が多くなったので、続きは後程。


*『甘苦上海』のウェブサイトはこちら。また、小説内に登場した建物に触れた拙ブログの記事はこちら

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2006年12月2日星期六

武夷路のレリーフ

 2週間ぶりくらいに満天の青空を見ることができた、今日の上海市内。
 以前新華路の壁面にレリーフがたくさんあることを紹介したが、延安西路と中山公園を結ぶ武夷路でも、壁面にレリーフを見ることができる。

Img_3054 延安西路との交差点付近にて。この辺りでは以前工事中に文革期のスローガンが壁の下から見えていたのだが、またレリーフで覆われてしまったようだ。


Img_3041 Img_3044

 手前の歩道が工事中なので些か殺風景ではあるが、西欧の街並みを表現したレリーフが並ぶ。


Img_3043

 傘をさした男性の足元にいる犬まで細かく表現しているし、手前の電灯までもがわざわざ作られている。





Img_3079

 左側の女性が、本当に扉の中に入っていきそうである。



Img_3081

 レリーフと建物の組み合わせは、例えばこのような感じである。



Img_3068

 少し歩いて、比利時=ベルギー領事館付近の壁面。



Img_3058Img_3059

 こちらは定西路との交差点付近にて。



Img_3060  その拡大写真。上の写真で全体を見るとやはり西欧の街並みを模したもののようであるが、壁の一部分が高くなっているのがまた違う雰囲気を醸し出しており、中東のモスクのようにも見える。

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2006年11月10日星期五

思南路を歩く(2)-国共内戦-

 前回の続き。孫中山故居をあとにして、再び思南路を南へ向かって歩く。
Img_2900 思南路x復興中路の交差点から少し北側にある建物。洗濯物が生活感を醸し出す。




Img_2903Img_2904 思南路x復興中路の交差点に立つ建物。「優秀歴史建築」のプレートが埋め込まれているが今でも現役で、玄関には12世帯分の郵便受けが並んでいる。

Img_2906Img_2908 その向かいにも、やはり同時代からあるであろう建物が並ぶ。



Img_2909Img_2910 少し歩くと、「周公館」こと中国共産党代表団駐滬弁事所記念館が見えてくる。ここは国共内戦期の1946年~47年に中国共産党の駐上海代表処として使われた建物で、建物の中では当時の周恩来や董必武の書斎件寝室、そして党員の寝室や作業室が再現されている。建物自体は1920年代できとのことである。周恩来のかつての活動拠点として、「上海市文物保護単位」かつ「愛国教育基地」に指定されている。
Img_2915 かつての番地表記。現在の上海での番地表記のプレートは緑色で、地番も現在は「思南路71号」に変わっている。



Img_2911 周公館の庭。




Img_2913 庭に立つ周恩来の銅像。







Img_2917Img_2918 周公館の向かいには、かつての上海婦科病院が建っている。この上海婦科病院、当時は国民党の諜報機関が置かれていたとされており、周公館の2階には上海婦科医院を見張る見張り場があった。当時はまさにこの思南路を隔てて国民党と共産党が相対峙していたわけだ。もっとも、今では国民党の党大会に共産党から祝電が来たり国民党主席の連戦が共産党要人と会談したり、主席を退いて名誉主席になってからも訪中するくらいだからなぁ・・・思南路を隔てた国共対立は歴史のひとコマになるのだろうか。
 この旧上海婦科医院も、今は普通の民家。入り口の上にある「70」の数字は今日の番地表記で、かつては「思南路98号」であった。
Img_2920 周公館を過ぎたあたりから租界時代を彷彿とさせる建物は影を潜め、現代的な建物が目に付くようになる。写真は上海交通大学医学院。交通大学なのに医学部とは、と思うが、かつての上海第二医科大学が交通大学と一緒になったものである。

Img_2924Img_2926 建国南路との交差点にある、便利店=コンビニが入った建物。屋根のすぐ下にある「1927」のレリーフは、当時からの存在をアピールするものなのだろうか。


Img_2929 このあとすぐ泰康路とのT字路にぶつかり、ここで思南路は終わり。ちょうどT字路のところに麺のチェーン店「呉越人家」があったのでここで麺を食した。折角歩いたのにこれではダメですね。


Img_2934 このT字路を左に曲がるとすぐに徐家匯路に行き当たり、南北高架路(重慶南路)との交差点が見える。高層ビルやマンションが目に入り、租界の雰囲気から一気に現代の上海に引き戻される。


Img_2933 徐家匯路と泰康路の交差点の近く、集合住宅の入り口に朝鮮戦争時の「抗美援朝」を称えた記念碑が建っている。なぜここにあるのかはわからないが、中朝関係ももはやこの碑のようではあるまい。





Img_2919 高層ビルが林立する上海の中心部でもこのように低層建築がならぶ界隈があちこちに見られる。その中でも思南路はかつてのフランス租界の住宅の雰囲気を今に伝える静かな通りである。
 しかしながら上海交通大学医学院の近くでは、このように取り壊された建物の姿も見かけた。これがこの一角だけであり、思南路がこの雰囲気を保ち続けてくれることを願いたい。

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思南路を歩く(1)

 この前孫中山故居へ行ってきたが、思南路を北から南まで歩いたのでその様子もぼちぼちと。
Img_2859 淮海中路から別れ、思南路に入る。







Img_2863 思南路に入ってすぐ、南昌路との交差点まで続く商店街。




Img_2865Img_2872 南昌路との交差点にある民家。孫中山故居が目当てだったので通りにあるほかの建物にはあまり期待していなかったのだが、歩いてみるとこうした雰囲気の良い建物が目に入ってきてなかなか雰囲気のよさそうな通りである。
Img_2873Img_2874 思南路x南昌路~思南路x香山路にかけて並ぶ建物。こうした家に住んでみたいが、手入れはきっと大変なのだろう。防寒などは大丈夫なのだろうか。


Img_2875 孫中山故居の隣は中学校。この日は何かの試験会場になっていたようだ。



Img_2876 孫中山故居。訪問記はこちら




Img_2895Img_2896Img_2897 孫中山故居の向かいに白い建物がある。ロシア文字のようなものが見え、扉も木製の重厚な趣きなので何かと思ったが、スペイン料理店のようである。一度試してみたい。
 外灘が清末~民国期の商業街を今に伝えるのであれば、ここ思南路は孫中山故居を始めとして旧フランス租界の住まいの雰囲気を今に伝えている、と言えよう。

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2006年11月4日星期六

孫中山故居-こちらが本家?-

 2週間前に淮海路を歩いたときに孫文がかつて住んだとされる淮海中路小学校を見つけたのだが、上海には「孫中山故居」と呼ばれる場所が別にある。今日はそこに行ってきた。
Img_2860 淮海中路x思南路にある、孫中山故居への案内。




Img_2876 写真を撮ったりせずまっすぐ歩けば淮海中路x思南路から歩いて10分足らずで着くことができるだろう。写真は思南路x香山路にある、孫中山故居=孫中山故居記念館への入り口。手前の灰色の建物は管理棟であり、服飾デザインの展示場である。バスの後ろに黒く見えているのが、孫中山故居である。写真の枠外右側には、孫文の生涯を数十枚の絵で示した展示がある。
 ちなみに、今年は孫文生誕140周年、来週の日曜日(11月12日)がその日である。
Img_2889 入ってすぐ「愛国主義教育基地」の掲示があり、




Img_2892 孫文の銅像が我々を出迎える。




Img_2887 写真が孫中山故居。8元の入場料を払い、写真右下の入り口から入る。
 この孫中山故居、孫文が日本から帰国後の1918年から1924年までここに住んでいたとのことで、内部は当時の様子を再現している。

Img_2881Img_2883 孫中山故居の内部。庭の芝生が出入り禁止だったり、細い通路からの撮影のためこのようなアングルに。





Img_2880 中庭。




 開館時間中の毎時0分と30分に館内ツアーがあり、館内を案内してくれる。中国語での説明と、英語テープによる説明がなされる。一緒にまわった人の中には、日本人観光客・ドイツ人?観光客・欧米系留学生とその友人の中国人・中国人観光客と思しき人たちがいた。ここは孫文が日本からの帰国後に住んだ居所とかで、家具の中に日本式のものがあると紹介されていた。館内の説明で「五族共和」など、懐かしい?かつて学んだ言葉が思い起こされた。
Img_2884 文革前から「国家重点文物保護単位」に指定されているようだ。




 気になっていた淮海中路小学との関係について、チケット売り場の人に聞いてみた。返ってきた答えは、「あちら(=淮海中路小学)は他の人が孫文に貸していたところで、孫文は短い間しか住んでいなかった。こちらが孫文の故居である」ということであった。なるほど。
 しかし、あちらにも「1918年~24年に居住」のレリーフがあるが・・・あれは「孫文が1918年~24年に上海に居住」ということか?あるいは住んでいなかったが何かに使っていた、ということか。

 孫中山故居のウェブサイトはこちら(中国語)。アドレスの一部がsunyatsenと、広東語なのがおもしろい。

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2006年10月23日星期一

雁湯路でカレーを食す

 淮海路散策の後、南北高架路の西側にある雁湯路へと足を向け、脇道にそれることにした。
Img_2825 雁湯路。歩行者天国のようになっているが、雨上がりのせいか人が少なかった。淮海中路との交差点に始まり、南昌路との交差点を経て復興公園に向かう200メートル程度の短い道路である。


Img_2826 ライトバンの後部を改造して営業しているジューススタンド。




Img_2833Img_2839 通りには様々なレストランがあり、建物の概観とあわせて洒落た雰囲気である。値段はローカル系より高めの店が多そうである。


Img_2840 南昌路との交差点にある、かつての中華職業教育社。今でもその関連の機関が入っており、その他ブライダル写真の店などが入っている。





Img_2834 この雁湯路に、「明治館」という名前のカレー屋がある。店の移り変わりが激しい上海では老舗の部類に入るようだ。



Img_2837 ここでカツカレーを食した。日本のカレー屋と変わらない味である。値段は29元とローカルな昼飯より高めであるが、これならいいだろう。

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淮海路を歩く(1)-4 思南路から南北高架路まで

 前回の続き。
 淮海中路小学を見ているうちに雨が降ってきて、次第に大降りになったのでしばし雨宿り。しかしひとときのことで雨は止んだので、再び淮海中路を東へ向かって散策することにした。
Img_2799 賑やかな淮海中路の裏には、昔ながらの建物が残っている建物がまだまだある。甲子園球場よろしく草が絡まったビルは、かつての泰山公寓。1930年できとのことで、今は研究所やそれに付属する生涯学習施設、旅館になっている(淮海中路622弄)。




Img_2802 雨上がりの淮海中路。




Img_2805 しばらく歩くと、華亭伊勢丹が見えてくる。日系デパートであり靴や洋服は結構高いのだが、日本語を話せる店員は殆どいない。1993年オープンとのことで、上海の外資系デパートとしてはやはり老舗のほう。南京西路x江寧路にも伊勢丹がある。




Img_2811Img_2813Img_2814 華亭伊勢丹は現代的な建物だが、その向かいにはやはり民国期の建物を使った社区がある。旧飛龍大楼という名前で、1922できとのこと。中は普通の社区のようだが、入り口にはローカル料理店や理髪店などがある。入り口には「持高旅館」(一瞬「特高旅館」などと物騒な名前に見えてしまった)の看板と、人民代表大会代表選びにまつわるスローガンが貼ってあった。
Img_2818 再び淮海中路のブランドショップを横に見て歩く。




Img_2829 「上海鐘表商店」という名の時計屋。いかにも上海を代表しているぞと自慢したげな門構えに見えた。



Img_2822 その向かいには旧楊氏公寓と、




Img_2823 上海市婦女用品商店が、雁湯路をはさんで建っている。いずれも民国期からの建物である。上海市婦女用品商店の向こうが南北高架路との交差点である。
 雁湯路でカレーが食べたくなったので、今回の淮海路散策はここまで、「その(2)」はそのうち。地下鉄の駅にして2駅足らずの散歩であった。
 こうして歩いてみると、淮海中路はかつてのフランス租界の雰囲気を今に残し、またその雰囲気を街並み作りに活用していると言えよう。また、表通りの裏にも民国期の建物を使った社区や施設が多数残っており、こちらも民国期の片鱗を感じさせてくれる。

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2006年10月22日星期日

淮海路を歩く(1)-3 孫文ゆかりの地?-淮海中路小学-

 前回の続き。
Img_2791 淮海路x思南路の交差点を過ぎてしばらくのところに、「淮海中路小学」の看板を発見。中へ入ってみると・・・






Img_2787 中には小さな、しかし個性を発揮している建物が建っていた。




Img_2795 建物にはレリーフが埋め込まれており、孫文が1918年~25年の間ここに住んでいたと記されている。1918年~24年といえば孫文の晩年、日本から帰国して、第1次国共合作をまとめ、病に倒れるまでの期間に当たる。そう書かれると、改めてこの建物を見ると民国期初期に思いが至り、ノスタルジックな気分になる。
 しかし、別に「孫中山故居」という場所がちょうどこの略真南、思南路x香山路にあり、そちらのほうが有名である(リンク先はWhenever上海より)。そことの関係は如何に?孫文に詳しい同学、教えてください(私も調べます)。
Img_2789 上の建物の写真右側から後ろ(つまり淮海路側)を振り返る。淮海路と小学校を遮っている建物をバックに「先生を敬い、規律を守り、勤勉であり、向上を目指そう」というところか。「尊師」という表現、以前大理の学校でも見かけたがやはりこれが本来の使い方だろう。

Img_2790 少し引いたところから撮影。手前にバスケットボールのコートがとれるスペースがあり、ゴールが前後2箇所に設置されているが、これが校庭の殆どである。コンクリート敷きであることを考えると、学校としてはちょっと寂しい。

 淮海路を歩いて思わず孫文に思いを馳せることができた。今更ながら孫文をもっと知りたいという気になったし、孫文の上海における歩みについても、この小学校と孫中山故居の関係も含めて学んでみたい。

(追記)孫中山故居にも行ってきました。その様子はこちら

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2006年10月21日星期六

淮海路を歩く(1)-2 一歩入れば・・・

 前回の続き。
Img_2781 淮海中路x茂名路を過ぎたあたりから、ファッションブランドの店やレストランなど、賑わいを演出する店が軒を連ねるようになる。変わったところではソニーのショールームもあったのだが、工事中であった。

Img_2782Img_2786 淮海路はかつてのフランス租界を横切る道路である。並んでいる建物は必ずしも民国期のものではないのだが、淮海路の建物はこうした雰囲気を尊重したものが目立つ。

Img_2779 淮海中路x茂名路から淮海中路x思南路に向かう途中にある建物。通りに面したところはやはりいい雰囲気を醸し出しており、建物の中にはブランドショップが入っている。
 写真やや右側に「人民坊」という表示があり、中に入ると・・・

Img_2777Img_2778 裏にはゆっくりと歴史が流れていそうなコミュニティ(社区)があり、上海人の普通の生活が営まれている。淮海路沿いの賑わいとは対照的である。「人民坊」と書かれた門は、コミュニティへの入り口だったのである。
 淮海路にはここ以外にも、店が軒を連ねる中にこうしたコミュニティへの入り口があるところがあちこちで見られる。上海のあちこちで高層オフィスビルの建設や新規事業が進み、それに伴い古くから住んでいる人が立ち退きを余儀なくされるケースが多々見られ、こうした例は淮海路でも西の果て-淮海西路ではかつて見たことがあるのだが、淮海中路ではいまのところ古くからのコミュニティが生き延びているといえよう。今後こうしたコミュニティがどうなるか、いい雰囲気を出している淮海中路の建物も変わっていくのか、注目である。

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淮海路を歩く(1)-1 常熟路から陝西路へ

 上海のことに話を戻そう。
 上海のメインストリートと言えば、上海の浦西側を東西に走っている、南京路と淮海路の名が挙がることに異論はないだろう。それぞれ平行に走っており、北に南京路、南に淮海路という感じである。
 時折雨も降る曇り空だったが、今日は淮海路をぶらぶらと歩くことにした。
 淮海路は淮海東路・淮海中路・淮海西路に分かれているが、その中で最も賑やかなエリアは淮海中路といえよう。今日は淮海中路を、常熟路との交差点から東に向かって、つまり外灘に向かって歩いた。

Img_2766Img_2767 淮海中路x常熟路から淮海中路x襄陽路までの間は、まだ賑やかとは言えず、一般の民家や商店が並んでいる。それでも洋服の仕立て屋や家具屋などが軒を連ね、これから先の賑やかな淮海路への繋がりを感じさせる。
Img_2769 淮海中路x襄陽路。以前紹介したが、襄陽市場の跡地はまだ外壁で覆われている。相変わらずこの辺りを通ると「時計、カバン」と声を掛けてくる人がたくさんいるし、路上にはアクセサリー等を歩道に並べて売っている人がいるのだが、それだけがかつての襄陽市場の名残だろうか。
Img_2771 パークソン。中国語では「百盛」。かなり早くから店を構えているデパートである。






Img_2773Img_2772 パークソンの下にはマクドナルド=麦当労が入っており、またその向かいにはスターバックス=星巴克がある。いずれもアメリカ資本主義の産物だが、今や上海のみならずとりわけ麦当労は中国各地で見ることができる。
 麦当労はセットメニューが20元前後、星巴克のコーヒーはたいていのものは20元以上するのだが、どちらも賑わっている。上海ではもはやこれらを贅沢とは思わない人が増えているのだろう。麦当労は、朝行くと「朝マック」を堪能している年配の人が多いのが印象的である。かつて食べられなかったものを朝の散歩や太極拳の後で堪能する、ということか。
Img_2774 パークソンから3分くらい、淮海中路x茂名路の交差点にある映画館。DVDがたくさん売られ、しかも封切り直後に売られる中では映画産業も大変だろう。本当はそれではいけないのだが。

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2006年7月29日星期六

外灘の夜景

 ここ1週間、上海にしては珍しく遠くまで見渡せる見通しのいい天気が続いている。今週は外灘を何度か通る機会があったのだが、昼も夜も浦東側がハッキリと見えた。
 というわけで、改めて夜景を見るべく外灘に行ってみた。71番のバスに乗ると延安東路が外灘とぶつかる「延安東路外灘」まで行くことができるので、そこから外灘を北上することにした。
 去年の12月にやはり外灘を昼間に歩いているのだが、そのときの様子はこちら
Img_2421 延安東路からさらに南に数分歩いたところにある歩道橋から撮影した、外灘の夜景。「外灘の夜景」として紹介されるのはこうしたアングルが多かろう。


Img_2431 やはり外灘の夜景を楽しもうという地元の人か他所から来た人かで、夜でもとても賑わっている。



Img_2435 旧ユニオン・アシュランス・カンバニー・ビルを中心に、奥が旧上海クラブ、手前が旧日清汽船(現・華夏銀行)。「ユニオン~」の上には眺めのいいバーがあったような記憶がある。


Img_2432手前は旧・香港上海銀行(現:上海浦東発展銀行)、奥が上海税関。昼間の眺めはこちら



Img_2436 旧日清汽船(現・華夏銀行)。




Img_2438 旧・中国通商銀行(現・バンコク銀行)から上述の旧・香港上海銀行までの眺め。



Img_2439 右が上述の旧・中国通商銀行、左も中国通商銀行のビルだったらしいが今は上海海上安全管理局。中央奥にそびえ立つビルはラディソンホテル。


Img_2444 手前の旧・露満銀行から和平飯店付近までの眺め。




Img_2445 旧・露満銀行。今は中国外匯交易中心。外為取引センターである。



Img_2449 外灘の北部、旧・横浜正金銀行(現・中国工商銀行)から旧・インドシナ銀行(現・中国光大銀行)まで。奥にマル十字のネオンが見える建物は上海大厦(旧・ブロードウェイマンション)で、マル十字は製薬会社のバイエルのマークである。昼間の眺めはこんな感じ

Img_2452 上の写真を撮った場所で後ろを振り返った景色。和平飯店の新館から上海税関の時計塔までを望むことができ、これも外灘らしい景色といえるだろう。


Img_2443 黄浦江の向こう側、浦東サイドに目を移す。東方明珠も今日はハッキリと見える。






Img_2429 東方明珠から南側、金茂大厦を中心とした眺め。右側の壁面が白くなっているビル、白い部分には広告が投影され外灘を通る人たちへの宣伝となる。だが、電気の無駄使いで近々広告を取りやめるような話を聞いたことがあるのだが、まだやっているところを見ると続けるのだろうか。
 外灘のライトアップされた夜景の写真をアップしたが、一昨年や去年は昼間の温度が35度を超えるとその夜の外灘ライトアップは節電のため取りやめていたとか。今年はこれまた上海らしくなく夏とはいえそこそこしのげる日が多いので夜景を楽しむことができているのだが、そのうち節電措置が必要な日は来るのだろうか。
 先述した襄陽市場のように上海ではあちこちで街のスクラップ・アンド・ビルドが進んでいるのだが、外灘の夜景は今のところ上海の象徴として光を放ち続けている。

(追記)時間によっては花火が打ち上げられ、その煙で視界が悪くなって眺めが損なわれることがあった。折角の夜景なのだから綺麗に見えるままにしてもらいたい、と思うのだが。

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2005年12月4日星期日

外灘散策(4)外灘の建物たち

前回の続き。長白渡橋を渡ると、上海の紹介でおなじみの外灘のビル群を見ることができる。これらの建物は今でも銀行やホテルとして、現役で使われている。
IMG_1279手前から中国工商銀行(旧・横浜正金銀行)、中国農業銀行(旧・ヤンツ・アソシエーション・ビル)、外貿大厦(旧・ジャーディン・マセソン商会)、上海電視局(旧グレン・ライン・ビル)。奥に見える茶色の建物は前回紹介した上海大厦。

IMG_1285上海電視局。上の写真では見えなかったが、奥に見えるのは中国光大銀行(旧・インドシナ銀行)。






IMG_1290旧・横浜正金銀行の入り口にある飾り物。もと日本の銀行であった建物であり、入り口で構えるのは「日本式の武士や神の装飾」との説明である。





IMG_1247外貿大厦。1階が「元禄回転寿司」なのはご愛嬌。




IMG_1254奥の茶色でてっぺんがとんがった建物、手前の白とレンガ色の建物はともに今では和平飯店になっている。奥が旧・サッスーン・ハウス、手前が旧・パレスホテル。つい10年前には外国企業はこんなホテルの1室を借りて細々と活動、というのが当たり前だったし、いまでもそうした企業は少なからずある。上海以外の内陸都市でもこうした形態で活動している企業は多い。


IMG_1268奥が上海税関、手前は上海浦東発展銀行(旧・香港上海銀行)。




IMG_1259このあたりから川沿いは公園になっていて、土日は国内・国外からの観光客や上海の人たちで賑わっている。写真は公園から見た浦東エリア。


IMG_1261黄浦江を南側に見たところ。開発の波は確実に押し寄せている、というか既に開発され高層ビルが並んでいる。



IMG_1263再び外灘に目を戻す。バンコック銀行(旧・中国通商銀行)。




IMG_1274華夏銀行(旧・日清汽船上海支店)。







IMG_1272外灘に灯台が、と思いきやこれは1865年にできた天文台で、今は資料館として使われている。






IMG_1275このあたりが外灘の最南端。手前から、旧・ユニオンアシュランスカンパニービル、旧・上海クラブ、中国太平洋保険公司(旧・アクヘインビル)。


IMG_1269IMG_1271再び川岸の公園に戻って北に向かって写真を撮る。上海・外灘の景色としてよく紹介されているのはこのアングルだろう。
今回来てみて、午後に外灘の写真を撮るのは逆光になってしまうのであまり面白くない、と気づいた。午前なら逆光にはならないだろう。しかしながらこんな快晴は(ややぼやけていても)めったにないことであり、何といっても上海の象徴ともいえる景観である。一部工事中の箇所もあり、また建物の安全性も気がかりであるが、景観と安全性をうまく両立させて眺めを保って欲しいものである。
(もし間違いなどありましたらご指摘ください)

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2005年12月3日星期六

外灘散策(3)蘇州河を渡り外灘へ

前回の続き。ココログが重い日が続いたのでぼちぼちと外灘の様子を公開。

IMG_1232再び浦江飯店の前に戻った。写真左側が浦江飯店。右側はロシア領事館。さらに右側に流れる蘇州河を渡ると外灘である。



IMG_1233ロシア領事館。







IMG_1237蘇州河をまたぐ長白渡橋(ガーデンブリッジ)から浦東側を望んだところ。真ん中が東方明珠(テレビ塔)、その右側の高層ビルが金茂大厦。金茂大厦は1999年できの88階建のビルで、最上階は展望台、あとはオフィスビルとなっており、世界有数の高層ビルというのが売りである。この日は快晴だったのだが、右端に見える公園の記念塔(上海市人民英雄記念塔)に比べて対岸の景色がぼやけているのがわかる。上海で絶好の視界を望むことは難しい。常にガスがかかっているのか、空気が悪いのか。
IMG_1239長白渡橋を渡ったところで振り返る。バイエルの看板を掲げている建物は上海大厦。ここも昔は百老匯大厦(ブロードウェイマンション)と呼ばれ、1934年できの建物である。右側に浦江飯店がちらりと見える。

橋を渡ったところからが所謂外灘であり、上述のテレビ塔の景観とともに上海を表すときのシンボルとしておなじみの光景である。このあたりは改めて。

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2005年11月27日星期日

外灘散策(2)蘇州河の北側へ

前回の続き。
浦東飯店を離れ、そのまま外灘へ行っても良かったのだが、浦東飯店付近の建物が気になり、外灘とは逆の北側に向かって歩いてみた。
IMG_1208浦東飯店を北に上がったところにある集合住宅。洗濯物がたくさん干してあるのは絶好の洗濯日和だからか。



IMG_1209IMG_1211そこからさらに大名路を北へ行き、武昌路に入ったところで見かけた集合住宅たち。



IMG_1214IMG_1217もう少し北へ行き、
閔行路で見かけた建物たち。



IMG_1222やはりこのあたりの路地で見かけた建物。日当たりは良くなさそうだが、それでも快晴の天気を利用して洗濯物を干しているのが目立つ。



IMG_1229再び大名路に戻り、浦東飯店に向かう途中で。
いずれも上海での生活が感じられる姿である。上海といえば外灘やテレビ塔がすぐ思い浮かぶだろうし、かく言う私も外灘目当てに外出したのであるが、また違った上海の一面、もしくはリアルな上海を感じる一場面である。と同時に、これらの建物も歴史を経て、少なくとも文化大革命くらいは見届けたに違いなかろうと思いを馳せる。
これら建物付近のビルにも日本企業が多数進出しているのだが、日本語を多々見かける古北エリアを始めとする上海市内西側と比べると、まだ古い上海が残っているといえよう。
IMG_1231大名路にも開発の波が押し寄せ、高層マンションやオフィスビルに囲まれつつある。大名路を北に望むと高層マンションが見えるし、写真の枠外左側には高層建築物が並んでいる。
変わりゆく上海にあってこの街並みがどうなっていくのか、興味深いところである。

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2005年11月26日星期六

外灘散策(1)浦江飯店

秋晴れ、というか冬晴れというにふさわしい快晴だったので、外灘を散策することにした。

IMG_1205以前北蘇州河沿いに浦江飯店まで歩いたことがあるので、今回は浦江飯店をスタート地点とすることにした。以前述べたが、この浦江飯店は私が初めて海外で泊まったホテルである。当時は船で上海に渡ってきた人たちがそのまま浦江飯店になだれ込む、というパターンであった。日本ユースホステル協会による上海情報のウェブサイトによると今はユースホステルとして予約できるようであるが、同時に2つ星ホテルでもある。
浦江飯店のウェブサイトはこちら。室内でもインターネットが使えるんですね。
IMG_1204その門構え。







IMG_12031846年出来のリチャードホテルが前身の伝統あるホテルであることが紹介されている。1990年代にも上海証券取引所であったとは知らなかった。





IMG_1202エントランスホール。薄暗いが、重厚さを感じさせる雰囲気である。写真の右奥には喫茶スペースがあり、撮影位置から後ろを振り返ると土産物店である。階段を上って左へ行くとレストラン・理容室がある。


IMG_1200ホテルの歴史を伝える絵や写真が展示されている。







IMG_1201客室につながる階段。ホテルというより古い屋敷のようである。浦江飯店は古い建物をそのまま使っているのであるが、外灘の建築物にも古い建物をそのまま銀行やオフィス・飲食店として使っているところが多い。その際に内部も昔の雰囲気そのままで使っているところが多い。ヨーロッパの建物にも同様のケースが多々見られる。
私が初めて上海に来た14年前に比べ、上海の様子も大きく様変わりした。上海の位置づけも中国ビジネスの拠点としての役割が強くなり、また上海に対する注目度も高まり、かつての租界はないが日本人をはじめ外国人が多く住むようになった。浦東飯店を始めとする外灘の建築物はそんな中国の変化を見守り続けたといえよう。
それに連れて、中国旅行も様変わりしてきたと思う。今は日本−上海(のみならず中国各都市)のフライトが格段に増え、交通の便はかなり良くなった。航空券は中国便でも安くなっているだろうから、学生にとっても飛行機で中国へ来るハードルは低くなっていると思う。それでも相変わらず日中間にはフェリー便があり、とりわけ関西からこれで上海に来る人は相変わらず多いのだろう。浦江飯店は上海国際旅客ターミナルから程近いところにあるのだが、上海を訪れる旅行者にとって、浦江飯店の位置づけはどんな感じなのだろうか。

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2005年9月17日星期六

新楽路で冷面を食べる

今更ながら残暑を感じる一日。
IMG_1141淮海中路と長楽路の間を並行する新楽路。淮海中路の裏通りとなる。



IMG_1142別に外国人街というわけでもない、普通の通りなのだがドイツビールを出すビアホールがあったり、



IMG_1147なんと日本式の甘味処まである。




IMG_1146店頭のメニュー。和風パフェ・ぜんざい・あんみつ・抹茶ミルクが並ぶ。しかしそれぞれ30元台と高い。日本人としては日本茶を飲むのにに30元払うというのは納得できないのだが・・・ちなみにこの店、店内で無線LAN使用可能らしい。




IMG_1143だが今昼はこの甘味処ではなく、どこにでもある餃子店に入った。上海ではあちこちで「東北餃子」を名乗る店があり、6個で2元からと廉価に水餃子を食することができる。


IMG_1145が、今回食べたのは餃子ではなく冷面。「面」=「麺」なのであるが、「冷麺」といっても朝鮮料理のそれや盛岡冷麺とは全く違う。普通の小麦粉ベースの麺に酢・醤油・アーモンドソースをかけ、辣肉(ひき肉を辛く炒めたもの)やもやし炒めなどの具をのせて食べるのである。
今回は青炒肉絲と荷包蛋=目玉焼きをトッピング注文した。最初はアーモンドソースに違和感を感じたが、何回か食べて慣れてくるとこれが美味しくなるのである。これで麺3.5元+青炒肉絲3元+荷包蛋1元=7.5元。
この冷面、別にこの店オリジナルというわけではなく、夏になるとあちこちの食堂で出している。

甘味処はまたそのうちに。

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2005年6月14日星期二

歩行者・自転車乗り教育

IMG_0936上海のとある交差点にて。
中国の交通マナーについてはとかく言われるところだが、交差点に「歩行者と自転車乗りの遵法率向上のための宣伝活動」と称した掲示がされている。
その内容は、「むやみに道を横切らない」「赤信号無視をしない」「(車線分離の)柵を越えない」「自転車に他人を乗せて運転しない」などなど。
ところで、上海の交差点には交通指導員が配置されているところが多い。この指導員、歩道を走っている自転車乗りに注意したりするのみならず、行者が信号待ちの時に歩道から一歩でも車道に踏み出して待っていただけで笛を鳴らして「歩道に戻れ」と促したり、結構細かいところにうるさい。
ようやく去年歩行者優先原則の道路交通法が施行されたばかりだが、まだまだ交通マナーの確立には労力が必要だと当局は感じているようだ。

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2005年5月29日星期日

四川中路〜福州路 −「あやや」発見−

北蘇州路の郵便局に行く用事があったので、帰りはここから四川中路〜福州路を経て来福士広場まで歩いてみることにした。以前この記事で来福士広場から郵便局まで歩いているが、今度は違う道にチャレンジである。

IMG_0895四川中路を南に下り、北京東路との交差点に立つ建物。




IMG_0896そのはす向かい。




この交差点を過ぎてさらに南に歩くと、まもなく蔡依林の「愛情三十六計」を大音量で流している店があった。
IMG_0897以前蔡依林のコンサートのポスターに何で「阿呀呀=あやや」と書いてあるの?とツッコミをいれたところ、pinkmomoさんから、「阿呀呀」というのは蔡依林がイメージキャラクターをしているアクセサリー屋の名前とご教示戴いたが、これこそがあの「阿呀呀」である。意外と小さな店なんですね。ロゴは店の発音「ayaya」から取ったもので、店頭には蔡依林の看板が立っていた。

IMG_0901再び四川中路を南に下るとものすごい行列のできている店があった。店先に花が飾ってあったので新装開店を待っているのかと思いきや、中は定食やら何やらのファーストフード店のようで、満席なので入場規制をしているのだった。そんなにうまいのかな。


IMG_0902四川中路と、九江路だったか漢口路だったかの交差点にて。この辺りは外灘の裏側にあたり、やはり清朝末期や民国期からある建物が多いようだ。ここで西に曲がってみる

IMG_0905江西中路との交差点にて、この建物も1898年できらしい。チャイナモバイルの営業所として、今でも現役。


IMG_0907江西中路と福州路との交差点にある、新城飯店。古い建物だが3つ星ホテル。





福州路は、本屋と文房具屋が並ぶストリートである。外国人向け書籍(語学テキストなど)や外国語書籍を扱う外文書店もこの通りにある。
IMG_0911上海で最大級の書店、上海書城。確か6階建てくらいで、CDショップや、ラジカセや電子辞書などの売場もある。



IMG_0908IMG_0910入り口で、「本は、人類進歩の階段である」と書かれたレリーフを見つけた。紅衛兵による吊し上げや下放では進歩しないということに気づいた、ということか。



IMG_0914このブログでも何度か触れた、角が丸い建物。上のほうが色が違うのは、後から建て増したからか、それとももとからか。


IMG_0916来福士広場に着く直前に、上海を描いたであろうレリーフを発見。中に入ってみると・・・



IMG_0918IMG_0917「愛国主義教育苑」なる施設で、中に入ると壁には上海では革命がいかにして進められたかという掲示がなされていた。

IMG_0920中にあるレリーフの中の1枚。周恩来・トウ小平・陳毅の3人である。
上海の中心部で、経済的には豊かになっても、革命教育というか共産党による教育を見せ付けられた気がした。

こうして以前この記事この記事で紹介した来福士広場に到着して、今日の散策はおしまい。延安路からバスで帰宅。

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新華路 −レリーフ通り−

上海のことに話を戻しましょうか。
IMG_0867上海の中心部やや西側、淮海路を交通大学の近くで北に分かれる新華路という道がある。両側に街路樹や植え込みがされているきれいな道で、「優秀歴史建築」とされている建物が並んでいる。


IMG_0873IMG_0874この新華路、塀にレリーフが埋められているところが多い。




IMG_0879通りの紹介もレリーフで。民国期に安和寺路と呼ばれていたのが何度か名前を変え、文革直前の1965年に新華路という名前になったようだ。植え込みやらレリーフやらの街作りがうまくいったとかで、「全国創建文明社区示範点」(全国文明コミュニティ建設模範ポイント?)に指定されたそうだ。キャッチフレーズはともかく、確かに緑も多いし塀のレリーフが街並みにアクセントを与えていて、印象に残る通りである。

IMG_0883新華路と番禺路の交差点でも、レリーフがその一角を覆っている。




IMG_0886IMG_0887レリーフに近付いてみるとこんな感じである。中国的なものではなく、ギリシャ神話か何かを題材にしたもののようである。



外灘のように有名ではなく、観光客もあまり来なさそうであるが、バスが通るような道でもこうした印象的な通りがある。

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2005年4月30日星期六

卓球選手権とデモ防止と

明日から労働節連休。例によって連休前後の土日が平日扱いになるのだが、今回は
4月25日(月)〜30日(土) 6連投
5月1日(日)〜7日(土) 7連休
5月8日(日)〜13日(金) 6連投
であり、連投が比較的短く疲れが少ないと言えよう。
昼間は仕事なので、日が沈んでからネタを探しに街に出てみた。

IMG_0714IMG_0715IMG_0717そういえば今日から上海で世界卓球選手権が開催される。愛ちゃんはいつ来たのだろう。よくわからない。
しかしながら徐家匯の交差点に面したビルやデパートの前には、卓球選手権にちなんだオブジェクトが飾られ、きれいな光を放っていた。オートバイの世界グランプリも昨日から開催されているという。去年は第一汽車方程式もといF1も上海で開かれたし、世界規模のイベントが次々と上海にやってくる。

IMG_0719IMG_0736翻って日本総領事館近くの類山関路と興義路の交差点。興義路の中央に海上輸送用のコンテナが並べられ、車線を分離している。デモ隊が入れないよう、あるいは群れることができないように、ということだろう。

日本総領事館の壁とコンテナに挟まれた興義路を歩き、総領事館正門へ通じる万山路との交差点。万山路への入り口が、やはりコンテナで塞がれている。
IMG_0728写真左側、自転車が出てきているのが万山路であり、奥に見える建物が日本総領事館である。
ぴったりふさがれている訳ではなく人が自由に出入りできており、このままではデモ隊が来たらあっさり入られそうな感じであるが、万一の際には塞いで総領事館を守ってくれるのだろうか。
類山関路の総領事館沿いには「武警」と書かれたロープが張ってあり、緑色の服を着た警官が詰所以外にも立って見張っていた。ここの掲示板は割られたそのままの姿を晒しており、割れたガラスが掲示板に残ったままである。

IMG_0727総領事館の壁。ペンキの入ったペットボトルか何か投げた痕が無残に残っている。





5月1日(メーデー)もしくは5月4日(5・4運動)にデモをするよう呼びかけがあるといわれている。結果はどうなるかわからないが、この前途中の道では警官が何もしなかったのはここに書いた通りであり、万一の際にまた容認などということがあってはならない。このコンテナが見せかけのポーズなのかどうか、デモがなくてわからなかった、というのが一番良いのであるが。
卓球やモータースポーツのイベントがある中で反日デモ、ということになると中国も信用にかかわるだろう。

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2005年4月17日星期日

静安別墅

IMG_0541ビルの谷間と呼ぶにはあまりにも広い敷地に、古い煉瓦作りの建物が整然と並んでいる。これらは静安別墅と呼ばれる住居群で、南京西路の梅龍鎮広場(伊勢丹)の前に並ぶ建物である。後方にそびえ立つビルと、煉瓦色の低い建物とのコントラストが際立っている。

IMG_0692IMG_0693IMG_0694勿論今でも住居として使われており、中の様子はこんな感じである。先日上海城市規画展示館(上海都市計画展示館)で買った『Shanghai Residential Building 上海民居』による静安別墅の紹介では建築時期は書いていなかったが、1920年代からある通りとして左の写真と同じアングルを紹介している(写真は現代のものだが)のでおそらくその時期もしくはそれ以前からあるのだろう。古い建物ゆえ快適な生活かどうかはわからないが、文化大革命の混乱と改革・開放期の発展をくぐり抜け、今日までその姿を留め生活の場として使われている。

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2005年4月15日星期五

韓国食材店

IMG_0661
日本人向けの日本食材店同様、上海で暮らす韓国人向けの韓国食材店がある。インスタントラーメン・キムチ・冷麺(調理前の乾いた状態のやつ)・乾物・レトルト食品や飲み物など韓国から輸入したものが置いてある。
明日から籠城するというわけではないが、真露2瓶を購入。当地で日本の焼酎を買うとたいてい100元以上するのに対し、真露360ccは18元。2本買っても焼酎より安い。ということで私の最近のお気に入りである。食べ物も買いたいところであるが、如何せん調理法が読めないので買えず。

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2005年2月21日星期一

南京路の夜景

IMG_0420以前撮った写真もぼちぼちと公開。
2月13日の記事と略同じ位置から撮った、南京路歩行者天国の夜景。
建物のライトアップの奥に、東方明珠がうっすらと見える。
上海の観光紹介ではおなじみのアングルではなかろうか。

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2005年2月13日星期日

南京路〜蘇州河〜浦江飯店

IMG_0459昨日の続き。
展示館を出ると、向かいは来福士広場。ショッピングモールとオフィスビルからなる新しいビルだが、その対面には全く対照的なアパートが、今もって対峙している。ここに住めば通勤などは便利そうだが。
IMG_0460IMG_0461来福士広場を少し北に歩き、南京路の歩行者天国を外灘に向かって歩いてみる。上海のメインストリートの1つである南京路はさすがに休日となると人でごった返しているが、その中に石のレリーフを見つけたので裏へまわってみると、「5・4運動」の記念碑であった。
歩行者天国を歩き終えて普通ならそのまままっすぐ外灘へ向かって歩いていくとこだが、今回はこの通りを外れて北側の道を歩いてみることにした。南京路をはずれて北へ5分ほど歩くと、蘇州河を横切る。その橋の根元にマンションがあったのだが、このマンションも窓が丸くなっている。
IMG_0463土地を有効に使おうとすると建物は直方体になりそうなものだが、先日紹介した武漢大厦もそうだったし、来福士広場向かいのアパートといい、これが上海にのこる建築物の特徴なのだろうか。最近次々と建つ高層ビルの直線的な切り口とは対照的である。
このマンションから蘇州河に沿って外灘方面に向かって歩いていくと、上海郵電局がある。今はEMS(外国向けの速達便)は上海のほとんどの郵便局で扱っているが、昔はここでしか扱っていなかったらしい。日本で言うと中央郵便局のようなものか。
IMG_0464上海郵電局の向かいにかかる橋から、東方明珠と金茂大厦が視界に入る。この2つは外灘の黄浦江沿いからの風景は有名であるが、蘇州河沿いの建物の間から見えるそれらもなかなか面白い。実は先日上海郵電局に来た際にこの眺めが気になっていたので、また来てみた。
上海郵電局からさらに東に向かって歩くと、蘇州河が黄浦江に注いでいるところにたどり着くのだが、ここには浦江飯店がある。この名前に覚えのある中国旅行経験者は多いだろう。上海には珍しくドミトリーがあり、宿代を安くあげたいバックパッカーで賑っていた。かく言う私も14年前(!)初めて中国に来たときは、大阪からの船旅を終えて上海にたどり着き、このホテルに泊まったことがある。当時はドミトリーは確か30元前後で、地下にあったような記憶がある。今は改装されて2つ星ホテルになり、宿代もそれなりのようで、浦東国際空港へのシャトルバスも運行しており、外灘と東方明珠を一望できる好立地のホテルになっている。とはいえインターネットで調べてみるとドミトリーは今でもあるようで、中に入ってみると日本人らしき人を含めたバックパッカーと思しき人が数人フロントで服務員と何やら話をしていた。
IMG_0465浦江飯店も1864年できのリチャードホテルの建物を使っていて、「歴史的建築物」の部類に入るだろう。入口には建物の由来を説明する掲示があった。
ここから蘇州河を再び渡ると上海紹介でおなじみの外灘の風景が目に入るのだが、デジカメの電池が切れてしまったので散歩はここまで。半日足らずで充電池切れはこれから先しんどいので、PCショップが多数ある、淮海路の香港広場へ行き、充電池を購入して昨日はおしまい。

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2005年2月12日星期六

「歴史的建築物」とは

IMG_0444この春節休みはここまでのところ天気がいまひとつで、なかなか遠出日和とはならない。
仕方がないので、近くを歩いてブラブラと過ごす。
昼ごろに部屋を出て、華山路にある洋館作りの建物に入ってみた。この建物、中は何なんだろうと前から気になっていたのだが、入口には『申粤軒』の看板とともにこの敷地がかつて李鴻章の息子の住処であり、丁香花園という庭園式邸宅であったことが記されていた。中へ入ってみると、「来客は芝生に入らないように」などと書かれた看板に誘導され、洋館作りの建物にたどり着いた。裏へまわってみると、レストランの入口があった。飲茶の店だったのである。
IMG_0446IMG_0447IMG_0450点心2皿と炸醤面を頼み、59元。点心の1つが脂っこかったがあとはいい味であった。
食べ終わった後で48路のバスに乗り、人民広場へ。今後の上海での街歩きを押さえるべく、上海城市規画展示館(上海都市計画展示館)へ入った。
中2階では上海の歴史的景観を残した地区がどこにあるか、また昔の写真との比較なども展示されている。10年前と比べても上海の街並みは大きく変わっていることがよくわかった。
ところで、上海で「歴史的建築物」というと、上述の飲茶レストランも含めて民国期、せいぜい清朝末期までのものがほとんどであり、その形も西洋スタイルのものがほとんどである。これらの建物に上海の歴史を語ってもらうには、さらに中国なのにも関わらず洋館作りが「歴史的建造物」と見なされているのを理解するには、この街がかつて租界だったことを理解しておかなければなるまい。あるいは、現在の高層ビルとのコントラクトが、これらの建物をより歴史的に見せるのだろうか。「文化大革命をくぐり抜けた」という意味もあるのだろうか、今後勉強してみたい。
2階ではなぜかピカソの版画の展示。
IMG_04573階から上は上海の「今」を紹介するフロア。3階では現在の上海の街が大きな模型で示し、浦東地区・崇明島の開発が進んでいることを紹介するパネルや、上海の各区・県ごとの紹介がなされていた。
4階では上海の交通・通信インフラの発展ぶりや環境問題への取り組み、市民の住環境の改善の様子を示す展示が飾ってあった。

ところで、今晩も爆竹や花火が至るところで鳴り響き、火薬の臭いが部屋まで伝わってくる。除夕に使いきれなかった爆竹を処分しているわけではないだろうに、どういうことかな。

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2005年1月23日星期日

物干し竿は垂直に?

IMG_0395上海では、物干し竿が建物から垂直に伸びていて、そこに布団や洗濯物を干しているのをよく見かける。
上海の至る所でこのような光景を見かけるのだが、これが上海のスタンダードなのだろうか、あるいは、「物干し竿は建物と水平に置く」というのが私の思い込みなのだろうか。それにしても、このような干し方ではすぐに洗濯物が道路に落ちてしまいそうなものだし、どうやって洗濯物を取り込むのだろうか。
大連や煙台など他都市に出張したときにはこのような物干し竿を見かけなかったのだが、中国にお住まいの皆さん、いかがですか?

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