台湾

2019年1月25日星期五

台北・飛機巷 -迫力ある飛行機の離着陸を間近に-

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 今回台北にワンタッチして訪れたもう1ヶ所も、やはり乗り物関係。台北・松山空港の滑走路すぐそばまで近づいて飛行機を見ることができる「飛機巷」という通りがあると聞いたので、行ってみることにした。

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 「飛機巷」というと、松山空港の滑走路の先端と直角に交わる濱江街180巷を指して言うようだが、今回は滑走路の延長上にある松江路581巷から滑走路へと近づく。MRT行天宮駅から松江路を北上し、行天宮を通り過ぎてさらに北上し民族東路との交差点も通り過ぎて中山高速公路が見えてきた手前に松江路581巷を示す表示があるので、そこで右折する。

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 松江路581巷。この先に祠があるが、特別なものはなにもない通りだ。








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 滑走路を目指して歩いていたら、早速国内線のプロペラ機が頭上を通り過ぎて行った。なるほど、確かに飛行機との距離が近い。







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 よく知られた場所なのだろう、滑走路周辺にはたくさんの人がいた。三脚で一眼カメラを構えている人もいたが、飛行機ファンや交通マニアという訳ではない普通の友人連れが多いような気がした。






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 滑走路の先端まで近づくことができる。この日は上の写真の通り飛機巷の上を通って着陸する運用のようだったが、(あってはならないが)着陸の失敗や逆の運用、即ち逆側から着陸した時のオーバーランや飛機巷から飛び立つ際の離陸失敗があったら逃げられない場所ではある。





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 有刺鉄線の向こうには駐機場が見える。離陸しようとする飛行機がこちらに向かおうという位置で待つ。








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 そうしているうちに中華航空(チャイナエアライン)のジェット機が着陸してきた。離陸する飛行機を待たせて着陸させる管制がよくわかった。







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 離陸する飛行機は飛機巷の目の前でUターンして離陸していく。先程のプロペラ機は、上のジェット機が着陸してしばし後に離陸。







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 その後には全日空のジェット機が着陸。ジェット機は日本や大陸との往来が多くあとは韓国との便と国内線が少し、というところだろうか。国内線のジェット機は高鉄(台湾新幹線)など鉄道の発達で減ってしまった。離島や台東を目指すプロペラ機が主要な国内線だ。





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 着陸。







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 エバー航空の羽田行きが離陸。離陸するときのジェット噴射はすざまじく、持ち物が飛ばされそうで立っているのが難しいほどだ。



 最後に、着陸するプロペラ機を撮影。実際には回っているプロペラが停まっているように見えてグライダーの着陸のように見えること、そして小さな飛行機だと揺れながら着陸していくのが印象的だ。あと飛行機をうまく撮影するのは難しい。

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2019年1月24日星期四

台北捷運(台北MRT)・紅樹林駅付近にて



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 殆どの路線・区間で地下か高架上を走る台北捷運(台北MRT)にあって、台北エリアを南北に貫く淡水信義線、昔の淡水線はここ紅樹林駅あたりでは地上を走っている。
 淡水へ向かうカーブもあって、MRTの列車を眺めるには良い場所だ。カメラを構えていたら、通りがかった人に「ここは写真を撮るには良いだろう?」と話しかけられた。

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2019年1月23日星期三

台湾・淡海軽軌(淡海ライトレール)

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 昨年末のことになるが、日本に一時帰国する途中で台北にワンタッチし、台北近郊の淡水エリアに新しく開通したライトレール、淡海軽軌(淡海ライトレール)に乗車してきた。



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 淡海軽軌の始発駅は、台北MRTと接続する紅樹林駅。
 淡海軽軌は12月24日に最初の路線となる緑山線が開通したばかり。開通後1ヶ月は無料で乗車できるということで、紅樹林駅には乗車を待つ人の長蛇の列ができていた。MRTの駅を降りたところに掲示されていた淡海軽軌の運行状況には「乗車に120分待ち」と表示されていた。実際にはちょうど1時間くらいの待ち時間で乗車することができたのだが、開通直後さらに無料期間ということで乗ってみようという人が大量に押しかけていた。私もそうなのだが…
 もっとも途中駅からは待つことなくすぐに乗車することができる。途中駅までタクシーなりで移動してもいいのだが、後で乗って気づいたのはこの淡海軽軌は道路を通すのが困難に思える林の上を通って行っているので、車で他の駅に動くのは時間がかかりそうだ。台北近郊の新興エリアの交通不便を解消する役割なのがわかる。
 淡海軽軌の駅の案内は、凝ったイラストが散りばめられている。

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 並ぶこと1時間、ようやく乗車できる電車がやって来た。








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 駅のホームにはユニークな像が。似たものがあちこちの駅にあった。








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 淡海軽軌緑山線は淡水行政中心駅の先までが高架で、残りの区間では地面にて道路の中心を走っていく。泡海行政中心駅の手前で電車は90度カーブする。







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 淡水行政中心駅からの眺め。駅前の整備開発はこれからという感じだ。








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 終点の崁頂駅に到着。列車はすぐ折り返していく。









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 折り返して1駅、泡海新市鎮駅で一旦下車。駅の壁面が凝っていた。
 沿線にはこれから開発すると思われる更地の間にマンションや商業施設がぼちぼちと建っている。どんな街になるのだろうか。

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 紅樹林駅に程近い高架線上では、淡水河を横に見ながら進んで行く。








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 淡海軽軌往復を終え、紅樹林駅に戻ってきた。戻って来ても乗車を待つ行列はあまり減っていなかった。








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 MRTの別の駅で見かけた、淡海軽軌の求人広告。募集自体はもう終わって広告だけが残っているのか、本格運行に向けての募集なのだろうか。



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2018年4月25日星期三

The Imperial Mae Ping Hotel - テレサ・テン終焉の地

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 チェンマイの中心部、ターペー門を出て少し東へ行ったところにある、The Imperial Mae Ping Hotel ジ インペルアル メーピン ホテル。夜土産物屋や食堂で賑わうAnusarn Marketに程近いところにある大きなホテルだ。








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 このホテル、数多くのヒット曲を発しその歌声が日本・台湾・香港そして中国で親しまれたテレサ・テンが最晩年を過ごしたホテルだ。彼女は1994年8月にチェンマイを訪れ、初めは他のホテルに滞在していたのだがこのメーピンホテルが気に入ったようですぐにここに移り、亡くなるまでの間に3回に渡ってこのホテルに宿泊している。
 そして1995年5月8日、彼女はこのホテルで容体が急変し、部屋を出て助けを求めるも搬送先の病院で死亡が確認された。
 そんな彼女が最晩年を過ごした部屋が一般公開されている。入場料は宿泊客だと500バーツと結構な値段だ。


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 15階のスイートルームが、彼女が過ごした部屋だ。2部屋を繋いだところで過ごしていたようだ。
 15階に上ると、まずチェンマイでのテレサ・テンの暮らしぶりを知る人の証言や彼女の業績を紹介するビデオを見る。当時からこのホテルのこのフロアで担当していたホテルマンが、今でも15階で案内をしてくれる。
 室内にはいくらかのテレサ・テンの写真が飾ってあるのと彼女が生前日本を、台湾を、そして中国や香港を席巻した歌が流れている他は、特に物珍しい展示はない。

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 スイートルームからの眺め。かつての眺めとはかなり変わっているだろう。
 テレサ・テンは中国で有名だったこともあり、この日も多くの中国人観光客がこの部屋を訪れていた。

 日本でも成功を収めたテレサ・テンは、その歌声が広く知れ渡っていた中国でのコンサートを夢見ていたが、その夢は1989年の天安門事件で果たせぬものになってしまった。その後活動を減らしつつあったテレサ・テンは一時フランスのパリに居を構えたが、避寒地としてであろう訪れたここチェンマイを気に入って、突然の死までの日々の多くをここで過ごした。
 当時はこのホテルの前にクイッティアオ屋があり、テレサ・テンは好んでこの店を訪れて「クイッティアオガイ」(鶏肉入りの米麺)を食べたそうだ。その店のことはインターネットで調べると写真とともに見つかるのだが、今メーピンホテルの向かいを見ると長期滞在者用の洗濯屋がそのクイッティアオ屋と同じ屋根、同じひさしだ。飲み物も売っているのでクイッティアオ屋のことを聞いたところ、「ここがその店だ。クイッティアオ屋はもう閉じた」との話だった。同じ人が商売替えしたのか、話したのは当時とは関係ない人でよくこのことを聞かれるので答えたのか、は聞かなかった。テレサ・テンが寄せた「恭禧發財」のサインが店に飾ってあったそうだが、それももうないとの話だった。

 テレサ・テンの生涯、とりわけ台湾と中国の狭間で揺れ動き翻弄された日々や、天安門事件に関わった民主化勢力にシンパシーを寄せそして大陸でのコンサートが叶わぬこととなりパリやチェンマイで過ごした日々のことは、今回参考にした有田芳生著『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫 2007年、単行本は文藝春秋2005年)で知ることができる。

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2017年3月10日星期五

『牯嶺街少年殺人事件』~A Brighter Summer Day~

 1991年の東京国際映画祭で披露され、翌年日本の映画館でも公開された台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』、25年近くの時を経てデジタルリマスター版のDVDやBlu-rayがアメリカで『A Brighter Summer Day』のタイトルで発売されたので、Blu-rayをAmazon.comで購入した。日本でも今週からこのデジタルリマスター版が公開されるとか。
 1992年の上映当時私も映画館で観ておりクライマックスシーンはよく覚えているが、25年振りに観ることになる。実は去年のうちに買っていたのだが、この長作をいつ観ようかと思っているうちに時間が経ってしまい、ようやく観た次第だ。今回観たのは236分、約4時間に渡るバージョンだ。当時観たのもこの長さだったか、あるいは約3時間の短い版だったか。
 Blu-rayは中国語(台湾国語)の台詞に英語の字幕。長時間ということもあり観るのにエネルギーが必要だった。
 同時期のセンセーショナルだった侯孝賢の台湾映画『悲情城市』は2・28事件の時代に本省人が面した悲哀を描いていたが、『
牯嶺街少年殺人事件』の主人公である小四少年(スー)の一家は大陸から渡って来た外省人の設定。大陸から来た家庭の少年たちによる2つのグループの対立と抗争、気怠さが漂う学校生活、小四の父親に対する秘密警察の取り調べ、そしてこの映画のメインストーリーである小四と小明(ミン)との交流と悲劇的な結末、とこちらは外省人が過ごした厳しい時が描かれる。「本省人」「外省人」と書くと二極対立的になってしまうが、作中ではその点の強調はなく登場人物の人間模様を通じて1960年代の抑圧感を描いていると言える。
 ただわからないのが大学合格者をアナウンスするラジオ放送での終幕。ここに監督のエドワード・ヤンが込めたものは何なのだろうか。やり場のない感情を持ちつつ過ごした時代から、扉を開いていく期待が大学合格者のアナウンスに秘められているのか。

 この『牯嶺街少年殺人事件』、版権の都合でソフト化が困難と聞いていたが、アメリカでDVD化されたり日本で再度上映されたりと、事情はわからないがここ1~2年で再び陽の目を見ることになった感がある。

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11年前に訪れた牯嶺街。台北の国家図書館や中正記念堂の近くだ。






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 「牯嶺街」の名が冠せられたバス停と、ここにある「牯嶺街小劇場」。後者は昔の警察署を利用した劇場だ。






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 この『牯嶺街少年殺人事件』=『A Brighter Summer Day』、小生はアメリカのAmazon.comから購入。一番安い輸送料で購入して到着まで1か月以上かかると言われたが、実際にはバンコクまで2週間で到着した。
 下画像は日本のAmazon.co.jpから(商品の紹介へのリンクです)。そのうち日本では日本語版も発売されるのだろうか。

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2017年1月26日星期四

台湾・深澳線~平渓線に乗る(下)

 前回の続き。そのまま折返しの列車に乗り八斗子駅を出発。再びトンネルをくぐり海科館駅で下車。

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 駅から歩くこと5分くらい、車道を横切ると国立海洋科技博物館がある。海洋生物から船舶・港湾、環境、そして海をめぐる文化にまつわる展示があり、海に囲まれている台湾がいかにして海と付き合ってきたかがわかる博物館だ。1時間以上は見てまわって楽しむことができる。惜しむらくは交通の便が今一つのせいか人が少ないことだ。




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 海科館を後にして、海へ向かって歩くと潮境公園。
 ここは8年あまり前にも訪れているが、その時も台風が近づいてくる頃で嵐の前の天気だった。冬の台湾ということでこの日も雲がたちこめる。
 当時書いたとおり、ここは台湾映画『練習曲』にも登場する。聴覚にハンディキャップを持つ青年が自転車で台湾を一周する中での人とのふれあい、そして台湾各地の風景が描き出される映画だ。映画の中で「博物館ができればこのあたりも変わる」という台詞があったようだが、列車が通った以外にはあまり変化はなさそうだ。

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 公園から入り江を隔てて八斗子の駅がある方角を臨み、さらに海をも臨む。この日は波が高く海は荒れ気味だ。





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 公園近くの漁港に停まる漁船。のどかな風景だが背景にはマンションもあり、市街地は意外と近い。








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 潮境公園から海科館駅に向かう途中にある、「台湾水準原点」の碑。基隆港の海面高度の平均を斟酌し、「海門公園」に水準点を設けたことが記されている。この場所がその公園の跡なのだろうか。






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 海科館や潮境公園を散策すること1時間余り、降りてから2時間後にやって来た列車に乗って直通している平渓線を目指す。
 途中の大華駅には、十分瀑布へ行くには十分駅で降りるように、そして線路は歩かないようにとの注意書きがあった。かつては大華駅で降りて線路沿いに歩いて滝を目指すことができたのだが、今は推奨されていないようだ。



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 その1駅先の十分駅。列車の行き違いに10分程時間があったので降りてみたが、平日の夕方にもかかわらず人出が凄い。天燈節の日かと思うくらいの人出だ。
 10年前に訪れた時のような、静かな街並みは期待できないのだろうか。





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 天燈節の日ではなくても、ランタンが空に舞い上がる。








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 再び列車に乗り、終点の菁桐へ。このあたりはやはり台湾映画『台北に舞う雪』の舞台だが、駅の上に描かれていたペイントはなくなっていた。

 深澳線~平渓線と1日かけて沿線を散策するのも良い観光になるだろう。1日乗車券を使って『練習曲』『台北に舞う雪』、そして『悲情城市』に思いを馳せることができる。

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2017年1月1日星期日

台湾・深澳線~平渓線に乗る(上)

 今回日本に一時帰国するに際して台湾にワンタッチしたのだが、故宮博物院に行く前日は何をするか決めておらず行き先を考えていたところ、フォーカス台湾の「『台湾で一番美しい駅』 八斗子駅が開業」というニュースを目にした。八斗子と言えば8年余り前にやはり欧州旅行の際に台北乗継のついでに訪れたので記憶にあり、「美しい駅」との触れ込みが気になったので行ってみることにした。

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 八斗子がある深澳線は、瑞芳駅が起点である。瑞芳駅前からは正面に瑞芳老街が伸び、食堂など小商店が並ぶ。





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 深澳線は瑞芳~海科館の1駅間だけの営業だったが、2016年12月28日から1駅先の八斗子まで延伸。もともとは日本統治期の軽便鉄道に源流があり、その後深澳線となるも旅客輸送・貨物輸送が相次いで廃止された。海洋科技博物館の開業に合わせて海科館までの1駅区間が2014年に旅客営業を始め、そして今回の八斗子までの延伸がなった。
 昼間は平渓線と深澳線で直通運行をしていて、2本の盲腸線を直通で行き来している。
 平渓線方面から列車がやって来る。

 


 

 

 

 

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 海洋科技博物館があり、海に縁がある深澳線に因んだであろうペインティングがされた車輛と、「台湾自行車節」のペインティングの車輛。





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 日中直通運転をしているということで、深澳線・平渓線エリアの1日乗車券。深澳線・東部幹線の瑞芳~三貂嶺間・そして平渓線が1日乗り放題の切符で、1枚80元。
 この切符だが、「別途定める期間内」は日本の江ノ電の1日乗車券と引き換えが可能とのことだ。





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 深澳線は瑞芳を出て海科館~八斗子と終点まで2駅わずか4キロ余りの路線だ。
 海科館を出て短いトンネルをくぐると、すぐに海岸線が姿を現す。





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 八斗子駅のホームからも、海岸線そしてその先に広がる海が一望できる。








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 この日はあいにくの曇り空、しかも駅開業2日目のせいか人も多く、「台北で一番美しい」姿になるのは春や夏の晴天で山の緑や海の青が映える時期だろうか。
 続きは後程。

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台北・故宮博物院

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 日本へ一時帰国する途中で台湾に立ち寄り、台北の故宮博物院が展示物の写真撮影が可能になったと聞いたので再訪することにした。
 代表的な展示品の1つである「翠玉白菜」。緑と白の玉に白菜の上のキリギリスやイナゴまで表現したこの作品は2年余り前に東京で特別展が開かれた時には見ることができなかったが、今回見ることができた。故宮博物院は嘉義に「南院」という別館が新たに設けられ、展示品は台北と嘉義で都度入替があるようで、日本で見た「肉形石」は訪問時は嘉義で展示されているとのことだった。やはり東京で見た「人と熊」も台北では展示されておらず見ることができなかった。
 撮影はフラッシュ禁止、自撮り棒など撮影器具の使用も禁止という条件で許可されている。展示品の記憶を訪問者の心に留めてもらうにはよい試みと言えるだろうし、故宮博物院の文物を世界に広く知らしめることにも繋がるだろう。

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2014年8月25日星期一

特別展「台北 國立故宮博物院」

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 上野の東京国立博物館で開催されている、特別展「台北 國立故宮博物院」を観てきた。
 タイトルに「國立」の文字を付すかで当初議論があったが、むしろ「台北」と名のつく展示で中国史を振り返る、というのが不思議な感じがした。台北の故宮博物館の所蔵物は大陸から持ってきたものということもあり、何か台湾とは異質なものだと捉えていたが、この展覧会にまつわるNHKスペシャルで文物を戦禍から守り台湾に運ぶのに心血を注いだ人の話をみたこともあり、こうした文物がありまた故宮博物館が台北にあるというのも、また台湾なのだと改めて思った。
 展示の目玉である翠玉白菜の展示は7月初旬で終わっていて写真や映像で見るのみであったが、刺繍でできている掛軸の絵の美しさや宝物のミニチュアが詰まった「皇帝の玩具箱」紫檀多宝格といった精緻な作品の美しさもあり、文様のない青磁や白磁の何とも表せない色合いといったストレートに美しさを表したものもあり、中国王朝のコレクションに目を引かれる展示だった。翠玉白菜の代わりという訳ではないだろうが、展示の最後は上写真の案内にも写っている「人と熊」。清朝期の作品だそうで、「故宮の癒し系アイドル」と紹介文にサブタイトルが付してあったが、精緻さを求められる玉の加工の中に今日に通じるユルさ、ということなのだろうか。
 関東大震災の火の手から救った巻物の1つが故宮博物館に所蔵されていて今回来日を果たしたのだが、同じときに同じ人が火災から救った巻物がここ東京国立博物館に所蔵されているとかでこのタイミングにあわせて本館で展示するなど呼応した展示も。アジア館ではシルクロードから発掘された像や大谷探検隊の足跡に、シルクロードのテレビ番組を観て思いを馳せた頃を思い出したりで、この故宮にまつわる特別展以外にも常設展を観て心豊かに半日過ごすことができた。

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2014年7月12日星期六

映画『GF*BF』(原題『女朋友。男朋友』)

 先週のことだが、六本木シネマートで上映されていた『GF*BF』を観に行った。台湾では2012年夏に公開され、日本でも大阪アジアン映画祭やアジアンクィア映画祭への出品はあったが2年越しでの公開になる。ちょっと時間がかかっている感はある。

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